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症状別アドバイス集

その他の部屋

「グラン・ジュテ(跳躍:grand jeté)」 '12.12 

メンタルヘルス岡本記念財団を設立された岡本常男先生が昨年12月4日に87歳でお亡くなりになりました。心より御冥福をお祈り申し上げます。

このことは、この体験フォーラムでMさんがお知らせしていらっしゃいましたから、皆さんもご存じのことと思います。私は、森田療法学会などで講演される御姿しか存じあげないのですが、いつもその御姿は背筋をピシッと伸ばされ、凛とされたご様子でした。岡本先生の御著書はいくつも拝読させていただきました。終戦後の抑留体験など、戦争を知らない私どもには想像を絶する体験を経られて、その後、商売を軌道にのせていかれる様子は、悪戦苦闘のなかにありながらも、日本の経済成長と歩調を合わせるように右肩上がりの上昇であり、とても気持ちの良い御話として拝読させていただきました。

しかし、そうしたなかで、胃腸神経症にかかり、体重の激減へと至るのでした。いくつもの病院を受診するものの、病名はわからないままで、偶然知った「森田療法」の本を読み、御自身が胃腸神経症であることに気がつかれたのでした。そして、なんと3ヶ月で胃腸神経症を克服されたのでした!その経緯は、以下の文章から当時の様子が伝わってきます。

「私はこの森田博士の教えを一心不乱に学び、学びながら一生懸命実践していった。その甲斐あって、胃腸神経質症を約3ヵ月で克服することができた。6年経った今、私の性格は大きく変わった。まず、ものにこだわらなくなった。完全主義もすっかりなくなった。仕事上の必要に臨機応変に応じたり、家族の都合にも柔軟に対応できるようになった。胃腸もすっかり治って、何でも食べられるようになっている。夕食時間は、6時でも9時でも一向に差し支えなくなった。ひとことでいうと、性格がおおらかになったと思う。眠れない夜はほとんどなくなっている。たまたま夜明けに目が覚めて1〜2時間眠れないことがあっても、このまま静かに横になっていればよい、と思っているうちに眠れるようになった。何よりもそのようなときに心配の連想をしなくなったのである」 と書かれていらっしゃいます。

とても柔軟な御心になられ、臨機応変な姿勢へと変化されたことが記載されています。このように胃腸神経症を克服されるにとどまらず、その後、岡本常男先生は、私財40億を投じられて、メンタルヘルス岡本記念財団を設立され、森田療法の多大なる普及啓発に御尽力されたのでした。世界の森田療法の礎を作られたのです。

森田正馬先生は、御自身の神経衰弱体験を克服し、その後、多くの悩める神経症患者さんを診察するなかで、試行錯誤のなかから、森田療法を創始されました。
また、森田療法と対比して論じられることの多い精神分析ですが、精神分析の創始者である、フロイト博士は、やはり自己自身の神経症の洞察を行うなかで、エディプス・コンプレックス、そして無意識の発見へと至るのでした。人間の心のなかに「意識」以外に、「無意識」という領域があるという主張(発見)は、西洋近代文明のなかで衝撃的な事実として受けとめられたのでした。
ユング博士も、ユング心理学を創始する過程では、ある種の精神病状態(創造の病:Ellenberger HF)になったと言われています。

こうした岡本常男先生、森田正馬先生、フロイト博士、ユング博士のような偉大な歴史上の人々に共通していることの1つに、通常であれば、負の要素になりかねない体験(病気)を結果的に、次なるグラン・ジュテ(跳躍:grand jeté)への契機としていることです。岡本常男先生の胃腸神経症、森田正馬先生の神経衰弱、フロイト博士の神経症、ユング博士の精神病体験です。この病気の体験が、単なる負の体験に終始せずに、次なる飛翔の舞台、新たな創造への鍵となっているのです。私ども凡人が、こうした偉大な人々と比べようもありませんが、大事なことは、どんな人の体験も、その人、その人なりの意味が必ずあるのです。それは、人と比較するものではなく、自己自身に生じた事実(例えば病気)を真摯にうけとめ、その事実のままに、1日1日を一生懸命に生きること(努力即幸福)に集約されます。そこから何かが生まれるときには、何かが生まれてくるのでしょう。何が生まれるか、何が創造されるかは、その時には誰にもわからない。毎日の努力の先に、あとから、事後的に結果(意味)はついてくるのです。結果(意味)が最初からあるのではない。結果がついてくるかどうか、これも誰にもわからない。そこに神経症者は思い悩み停滞する。しかし、そこにこそグラン・ジュテ(跳躍:grand jeté)への契機がある。停滞と飛躍のアウフヘーベン(止揚:aufheben)。だからこそ、自己自身の「生の欲望」のままに「向上一路あるのみ(森田正馬先生)」なのです。
偉大なる岡本常男先生の御冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。
(川上正憲)

「ありうる」という可能性にとらわれる '12.11 

Kさんは、身体症状に重い病気の可能性があると知ると不安を取り除きたくて病院に行くものの、「100%大丈夫」と言ってもらえず困っています。最近では醜形恐怖が統合失調症の症状でみられることがあると知ってから頭から離れないとのことです。
醜形恐怖とは「他覚的には特に問題ないのに、自分の顔や身体部分の形状が醜いと悩み、それにより他人に不快感を与えることを恐れ、対人関係を回避する状態」です。

醜形恐怖はさまざまな精神疾患に出現する非特異的な症状で、以前は統合失調症の前駆症状である可能性など議論されましたが、醜形恐怖の典型例では(敏感性格で自己完結的に悩み統合失調症などの陰性症状を呈することはない)と言われ、長期間の経過にもかかわらず「人格の解体がみられない」という特徴が統合失調症との鑑別の決め手になると言えます。そして最近の醜形恐怖の診断基準に基づく研究において統合失調症との関連性は否定的と言われています。

わが国で醜形恐怖は重症対人恐怖や思春期妄想症との関連で語られます。その観点から醜形恐怖の妄想において考えますと、(統合失調症の関係妄想は迫害妄想であるのに対し)思春期妄想症では忌避妄想(他者は患者から被害を受けるために患者を忌避する)と言われ、(加害恐怖性や関係念慮性が明確には認められないことが多く、対人場面に限らず自室にいるときでさえ常に醜形を意識しており状況依存性に欠ける)という特徴も言われています。

Kさんは、Rさんの言葉を聞いて楽になったと言われています。皆さんのやりとりを拝見していますと、MさんやRさんがKさんに進むべき道を伝えています。今回私がコメントしましたのは、あれこれ思い悩むKさんを安心させるためというより、「気になりながら進めていく」ことを後押ししたいと思ったためです。頑張って下さい。
(矢野勝治)

「2度目の休職後に不調が続く」 '12.10 

Rさんは、文面から推測する限り、おそらくうつ病のため2度目の休職に入り、期限が差し迫って不十分な状態のまま復職されたようです。職場に戻ってからは「周りがばりばりと仕事をこなしているのを見て、それができない自分が情けなくて、毎日不安や自責の念に襲われながら会社に行っています」と記されています。

Rさんは、リストラのため転職後、単身赴任、交代勤務に加えて慣れない業務での失敗が重なったことが、初回のうつにつながったとのことです。近年の経済不況と雇用環境の悪化を背景にして、同様の経緯でうつ病に陥った方を度々拝見してきました。個人の意志や努力を越えた社会の側の要因が大きく影響を及ぼしているということです。初回のうつは速やかに回復し復職されたものの、さらに環境の変化や不慣れな業務が続き、再発・休職を余儀なくされ、それから2年弱が経過したとあります。
Rさんのように、初回に比べて再発した後はなかなか寛解に至らず経過が長引くことも、しばしば目にする事態です。この間にどのような療養生活を送られたのかが分かると、もう少し手がかりがつかめるのですが、ともかく見切り発車的に復職した後、周囲と比べて自分の状態が情けなく、不安や自責の念に駆られているとのことですから、休職を繰り返すうちに、ご自分への評価(自尊感情ともいいます)が低下してしまったことが窺われます。ただでさえ、うつ病のさ中では自分や周りのことが実際以上に否定的、悲観的に見えてくるものです。それはうつ病の症状のひとつでもあります。それに加えて、自己評価を押し下げている要因には次のようなことがないでしょうか?

Rさん、ちょっと想像してみてください。もしも肝炎のような身体の病気で休職していたとしたら、復職した後ここまで自分を否定するような考えに陥ったでしょうか? そうではないはずです。それは身体の病気であれば、仮に周囲の人ほどバリバリとは働けなくても、「病み上がり」だから仕方がないというふうに受け入れやすいからです。言い換えれば、うつ病で長期の休職をしたことが、身体の病気のようには受け入れられず、どこかで「自分の弱さ」「能力の乏しさ」といった問題としてとらえられているのではないでしょうか? 

そのような方々を念頭に、私たちは10年ほど前から「あるがままの養生」ということを提唱してきました。それはまず、うつ病に罹っているという現実をあるがままに受け入れ、悪循環を招かないよう、回復の時期にふさわしく生活を調整していくことです。そして回復期には徐々に休息から活動に移行し、心身の健康な働きを助長していくことです。詳しくは「森田療法で読む『うつ』」という書籍や、「生活の発見会」発行の「うつの理解と養生法」というパンフレットをご参照下さい。ともかく、今の状態をうつ病からの回復途上あるいは病み上がりとしてとらえ直し、焦らず無理せず目の前の仕事に取り組んでいくことです。そのような取り組みを続けても、なお事態が好転しないようなら、入院森田療法という選択肢もありますので、かかりつけの先生とよく相談されることをお勧めします。
(中村敬)

「目的本位」は行動することだけにあらず '12.9 

こんにちは、Tさん。以前自負できる位のパフォーマンスを発揮できていたTさんが、現在疲弊の極みにあることを非常に心配しています。二度の転機が、この状態を作るきっかけとのことですが、恐らくその当初はTさんも責任感を持って新天地に臨んだのではないかと思います。しかし、今は周囲からも「酷く疲れている」と見なされ、かつTさん自身もその疲れから精神活動に支障をきたしています。そうであるとすれば、やはりうつ病の可能性を第一に考えて、しっかり医療機関に繋がってほしいと思います。

もしかしたらうつ病の影響でしょうか、「(あるがまま)(目的本位)を実践したい」というTさんの思いが何となく、焦りに彩られているように感じます。うつ病の治療で大切なのは意欲の低下の回復だと思われがちですが、本当に大切なのは急ぎすぎるくらい忙しい焦燥感の回復なのです。ですから、現在のTさんの「あるがまま」は、何らかの行動をすることにあるのではなく、「仕事から離れしっかり休息をとること」と「抗うつ剤の内服の遵守」に尽きるのです。
Tさんのように責任感がある方は、時として仕事を中座する罪悪感から、休息をとらず内服だけで乗り切ろうとします。しかし、内服だけの治療は、残り少ないエネルギーを絞り出そうとして、余計に疲弊を強めてしまう危険性があります。まさに、このことは、残り少ない歯磨き粉をひねり出して使い切ってしまう状況とよく似ています。この点は、受診された先生とよく相談してほしいと思いまいます。

その後、エネルギーが戻ってきたら、少しずつ行動の範囲を広げていくとよいでしょう。その際、急に広げるのではなく「疲れ」を指標に「休み休み」を心がけていって下さい。「うつ」の気分に逆らわず、その状況で「敢えてやらなくても良いことが何であるのか」を、治療の中で話題にしていくことを大切にされていって欲しいと思います。これもまた、この時期の大切な「あるがままの姿勢」です。大変な中ですが、ゆっくりでも確実に回復されることを願っています。
(樋之口潤一郎)

「本当に自分が望む生き方とは?」 '12.8 

Yさんは、お母様の病気に関する対応(転院、介護、施設探しなど)をしているうちに不眠症、うつ病となり、休職。その間に足裏の痺れも生じ、身体表現性障害との診断をうけた後も、毎日辛い中、休まずに会社勤めをしているとのことでした。

こうした心身の不調の背後に、ご家族の問題を抱えていらっしゃる方は多いように思います。親御さんの介護、配偶者との関係、子育ての問題など、生きていく中で直面する問題は様々です。そしてそれは、どうしても避けがたいことであったり、何とかしなくてはならない問題でもあったりします。ただ、そこで心身の不調をきたす方々には、家族の問題を何とか解決しようと孤軍奮闘したり、とても頑張り過ぎてしまっていることが多いようです。Yさんも、これだけの症状を抱えながら、休まずに仕事を続けているとのことですから、本当に頑張っていると思いますし、その粘りは素晴らしいものだと思います。

とはいえ、Yさんはこの体験フォーラムに書き込みをされました。そこには現状の辛さ以外に具体的な相談事項は書かれていませんでしたが、このフォーラムに、辛い毎日を送る上での支えや何かしらの癒しを求めているのではないかと感じました。ある意味、頑張り屋さんは自分の辛さや苦しさを誰かに吐き出したり、助けを求めることが不得手でもあるのです。

こうしたフォーラムを通して、同じような苦しみを抱えている人の話を聞けば、一人ではないという心強さを感じるかもしれませんし、同じように日々頑張っている人の書き込みをみれば、自分も・・・と再び前向きになるかもしれません。ただ、折角頑張るのであれば、その頑張り方を振り返ることも必要かもしれません。つまり、それが「誰かのため」だけだったり、苦しみに耐えるだけではなく、ご自身の楽しみに繋がるようなものや、自分のやりたいことであれば、より良い人生を手に入れることに繋がりますし、自分を大切にしながら頑張ることになります。

自分の境遇には逆らえませんし、それは受け入れる必要がありますが、うつや痺れなどの症状は、どこか頑張り方に無理がある結果かもしれないからです。森田療法では、より良く生きたいという気持ちを支えに、その境遇の中で出来ることを探る姿勢が、充実した人生に繋がると考えます。家族のためにも、自分自身のためにも、「本当は〜したい」という自らの欲求を大切にしながら、その頑張りを生かしていただけたらと思います。
(久保田幹子)

「不安や症状を消すより先に」 '12.7 

Dさんは、「慢性化したうつと引きこもりに悩んでいます」「先日30歳の誕生日を迎え、今まで考えないように、まずは病気を治してからと逃げていた将来のこと、就職を考えるようになりました」と書き込まれています。 うつ病と診断されてから9年になられるとのこと、若い時期に長い時間動くことが出来なかった時間、さぞつらく、先の見えない思いに苦しんでこられたことでしょうね。

以前他の方へのアドバイスで、Mさんが「なにもしないことがあれほどまでにわが身を苦しめていたことを私は知っていますよ」とお書きになっていたのを思い出しました。
おそらくこれまでは、「将来のためにまず症状を治そう」と考え、休息や薬物療法を行なってこられたのでしょうか。けれども、休息を続けるだけでは、逆に望んでいる「働く」ということから遠ざかってしまっている、とも感じ始めているようですね。

主治医の先生には、やらなくていいともいわれたけれど、自力で学んでいこうとおもわれているとのこと。森田療法は、不安と付き合う知恵、生活の知恵でもあるため、いろいろな取り入れ方ができると思います。
ほかの治療とけんかすることが少ないところも森田療法の良いところです。
混乱することがなければ、ご自身にとって役に立つ部分を取り入れていかれたらよいと思います。
「30歳を迎えて職というものを考えたときに久しぶりにパニックになったのは、自分の働く事への憧れが裏にあるのではと考え・・」と書いておられ、不安の裏に「働きたい」という強い願いがあることにも気付かれているのですね。自分が本当に望んでいることは何なのかを見つめてみることも大切です。
まずは引きこもりやニートをサポートしている団体にお世話になって就職を目指すことになったとのこと、着実な一歩のための良い方法だと思われます。

今後歩みを進めるにつれ、これまで触れずに済んでいた現実に触れる分、感情が揺さぶられたり、思うようにならない事態にもどかしい思いをされることもあるかと思います。
それらも大切なご自身の感情、それをそのまま認め受け止めていくことが、あるがままの自分を受け止め、前に進んでいくためにも大切になります。
不安や症状を消して万全の体制を整えてから、ではなく、まずは「今の自分」でできること、目の前のことから手を付けていって下さい。
(塩路理恵子)

「普段の生活できちんとし過ぎていませんか?」 '12.6 

(Sさんの日記は)今までご自身のその日の行動と時間をきちんと書かれており、Sさんの几帳面さが表れています。そんな中、6月12日の日記で「週末までは大変元気で活動的に過ごしていたのですが、その反動で月曜から動けなくなりました。」と書かれていましたね。Sさんがネガティブな考えになってしまうときは、もしかすると[日々の生活で無理をして行動しすぎる]→[疲弊もしくは憂鬱になる]→[ネガティブな考えに支配される]といった悪循環に陥るのではないかと推察致しましたがいかがでしょう?もし見当違いであればすみません。

ただ、ネガティブな考えを無理やり修正しようとすることはされない方が良いと思います。ご自身がおっしゃるように思考へますます「とらわれて」しまうからです。思考をいじろうせず、「台所を片付けたり、部屋も片付けたり、最低限の事をされた」行動は良かったと思います。あとは元気なときに色々なことへ取り組みすぎたり一日のスケジュールを無理ないようにしていくことが大事ではないでしょうか。日記の書き込みの頻度を少し減らすのも一つの方法ではないかというSさんのご意見に賛成です。元気なときの一日の過ごし方を振り返ることが次の憂鬱になることの予防策になるのではないでしょうか。
(舘野歩)

「過去の記憶は完全には消えない」 '12.5 

Sさんはご自身が10歳の時、目の前で事故死した弟さんのことを、最近になって思い出し、現在は毎日のように思い出して苦しんでいらっしゃいます。小さい頃にショッキングな場面に遭遇し、さぞかし辛かったのだと思います。ただ、小さい頃の記憶で、しばらくは思い出しもしなかった事がふとした時に頭に浮かぶ事は誰でも経験される事だと思います。それは、脳の機能が保たれているうちは完全には記憶が消える事はないからです。

本来、何かの拍子に思い出された事はほっておくと、また自然と記憶がうすれていくものですが、sibaさんのように思い出された事がショッキングな出来事であるとなかなかほっておけないものです。ここで、「なぜこの記憶が今思い出されたのだろう」と考え始めると「とらわれて」しまいやすくなります。というのも、今、ふと思い出された事の原因はどれだけ考えても分からないからです。答えが分からないものをずっと考えてしまう状態は「とらわれている」と言えるでしょう。どのような心の持ちようでいても、おそらくこの事は気になってしまうと思います。その為、まず、Sさんが出来る事は「なぜ思い出したのだろう?」と原因探しをやめる事です。原因が気になるが故に、その事ばかりを考えて、手足を止めて、今の生活を止めてしまうと、ますますとらわれてしまいます。気になっていて構いませんから、今の生活を丁寧に送ってみましょう。今の生活に注意が向くようになれば、自ずと「なぜ思い出したのか」を考える時間は減ってくるはずです。大変だとは思いますが、躁うつ病を乗り越えたSさんならば、「気になる事」を今すぐ解決しようとせずに、時間を味方につけながら、今を充実させていくことは出来るはずです。頑張ってください。
(谷井一夫)

「心静かに受けとめる」 '12.4 

Sさん、40年前のつらい出来事が毎日のように思い出されるとのこと。人間の心の不思議(神秘)を感じます。「なぜ、急にと戸惑っている」と書いていらっしゃるので、直接的に思い当たる要因は現在のところないのだと思います。「なぜか?」は分からないが、40年前の出来事が思い出されることは紛れもない現実の事実として存在する中で、どのようにしたら良いのでしょうか。1つは、どういう理由であれ、思い出されるという「事実」は冷静に受けとめることでありましょう。この「受けとめる」ということは簡単なようで、なかなか難しいものです。
そもそも、この「受けとめる」ということは、どのようなことを意味するのでしょうか。
第1は「目の前で事故死した弟さん」の実際の姿(事実)の受容、第2は「目の前で事故死した弟さん」をめぐるSさん自身の気持ち(心)の整理になるのではないでしょうか。いたずらに詮索する必要はないと思いますが、冷静に受けとめることで何か心の整理がつくかもしれません。また、現在、躁鬱病で治療中とのことですから、主治医の先生とも相談して、場合によっては薬物療法の調整をしてもらっても良いかもしれません。御参考になれば幸いです。

Fさんは、良好な関係にあった主治医の先生が急死されたとのこと。その後、幾つかのクリニックを受診されたようですが、なかなか、しっくりといかない状況のようですね。この状況を解決していくには、どのようにしたら良いのでしょうか。
まず第1は、良好な関係にあった先生との治療関係(経過)を整理する必要があるように思います。Fさんは「素晴らしい医師にめぐりあい、症状はほとんど気にならなくなっていた」と書いていらっしゃいます。この場合、主治医の先生の人格的素晴らしさといった人間性がFさんに良い影響を与えていたことは間違いないように思います。
Fさんが求めていらっしゃるのは、こうした優れた人格的な先生であると同時に、症状そのものを改善に導いてくれる治療技法なのだと思います。Fさんの場合、どのような症状に、どのような森田療法の方法論が有効に作用していたのでしょうか。この点をまずは明確にすることが必要なのではないでしょうか。
この点を明確にすることによって、新たな先生と治療を模索していくことが可能になるように思います。大変残念な事実ではありますが、良好な関係にあった先生と全く同じ先生は存在しません。このことも念頭に入れながら、治療の焦点を明確にしつつ、新たな治療関係を先生との間で構築していくことが必要なのだと思います。「良好な関係にあった先生の急死」という事態をどのように乗り越えていくかが、今後のFさんのさらなる成長の鍵となるように思います。あせらずに取り組んでいってください。
(川上正憲)

「思いとは逆向きの感情が生じる」 '12.3 

Nさんは「自分を認めて支えてくれる友人がいて救われているが、苛立ちなどをぶつけてしまうと愛想をつかされて離れていってしまうのではないかと考え、信じきれないでいる」と周囲との付き合い方に悩み、時に相手に対して苛立ちを感じているようです。
大切に思う・ありがたいと思う一方で、自分から離れていくのではないかという相反する思いを感じています。ここで感情について、物理で学んだ作用・反作用を用いて考えてみたいと思います。作用・反作用は、例えば床の上に置いている物を動かそうとする(作用)に対して、床との間に動かそうとするのとは反対の方向の力(反作用)が働くという考え方ですね。心の動きも同じかもしれません。物事がうまくいっている(作用)と、何か悪いことが起こるのではないかと心配(反作用)が浮かんできたりするものです。
Nさんは人と仲良くやっていきたい思いがある一方で、(心の反作用)に目が行ってしまうために辛くなっているのではないでしょうか。森田療法では症状(死の恐怖)の背後には(生の欲望)があると考えます。混乱した時にこそ、つらい時こそ、原点に戻り、(本当はどうしたいのか)を考えてみるのもよいと思います。大切な人だからこそ生じる感情だと気付くと思いますよ。
(矢野勝治)

「頑固な考え方について」 '12.2 

こんにちは、Aさん。20年に渡る神経症、加えてその後の8年にも及ぶ気分障害との闘病生活は、本当に苦労の連続であったと思います。現在、双極性障害に病名が変更されたとのことですが、どちらにしても気分の安定を治療の中心に据えて、主治医の先生と充分に相談を続けていって欲しいと思います。

ところでAさんは、神経症から現在の双極性障害に至る治療経過の中で、ご自身に偏った頑固な考え方があると捉え、カウンセリングを受けようとしています。この点は、今後治療を進める上で、とても大切だと考えます。というのも、私自身が神経症やうつ病の治療に関わる中で、患者さんそれぞれの持っている頑固な考え方を整理することは、自分を知ることに繋がり、病気回復へのステップと考えるからです。得てして患者さんの多くは、長い闘病生活の中で、否定的に自分をとらえることに長けてしまっています。

誤解を恐れずに表現するならば、「頭の中で自分を否定しつくさなければ先に進めない」という考え方に取り付かれてしまっているのです。もしAさんが、この点に少しでも当てはまるとしたら、その解決方法のひとつは、過剰なまでに否定的な考え方に耽こみ、疲労しがちな脳を休息させることです。ただし漫然と寝ていれば良い訳ではありません。睡眠を取るのであれば、一般的に午後10〜午前2時くらいまでの睡眠の質を向上させることが、脳の疲労を回復する上で重要であるといわれています。また、頑固な考え方に終始している時は、人間は慢性的な緊張に陥りがちです。ですから、気ままな散歩やリラクゼーションなどを取り入れ、日ごろの緊張をほぐすように心がけてみてください。

最後に食事は味わって食べていますか? 考えに耽こんでいる時は、味わうという感覚を見失いがちになります。ほんの少しでも構いません、味わう生活を意識することは、自分だけに向きがちだった心の目を外に転換する機会を我々に与えてくれます。今は悩みの渦中かもしれません。けれどもAさんにとってこれらのアドバイスが少しでも役立ち、生活がより良い方向に進むことを心より願っています。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

「すっと動くためには・・」 '12.1 

Tさんは、抑うつ神経症と診断されて8年になり、休職復職を繰り返し、自宅で過ごしているとのこと。身動きが取れないと感じる、苦しい状況ですね。Mさん始め先輩たちが、たくさんのアドバイスを返しておられます。 「なにもしないことがあれほどまでにわが身を苦しめていたことを私は知っていますよ」という言葉、Tさんの心に響いたとのこと、私も読んで感銘を受けました。Tさんの文章には活動を求めるエネルギー、人との関わりを求める心が表れているように思います。やり取りの中で、「全く動く気力が出ない時は、どのようにすればいいか」「散歩に出た時は行動を広げていけるけれど、家で何もすることがないときはどうしたらいいか」という話題がでています。また、散歩に出て「帰宅後も特に気分は変わりませんでしたら、このようなやり方でよろしいのでしょうか」と質問もされています。

まず、散歩に出た際について。 雑念に悩まされながらでも、涙しながらでもよいのです。「気分が変わること」が散歩の「目的」ではなく、歩いてくることが散歩の目的なのですから、帰宅後に気分が変わらなくてもよいはずです。買物など、目的があったほうがよりいいかもしれませんね。うつむきながら、黙々と歩いていると、足元の様々な石が目に入るはず。また、今の季節であれば、ふと小さく芽を出している草が目が止まるかもしれません。そうしたら、目を上げてみれば、木々の芽も固いながらも膨らんでいることに気づくはずです。そのように注意が移り変わることを大切にしてみてください。家の中でも、同じこと。

森田先生が「休息は仕事の中止に非ず。仕事の転換にあり」(これもとても動き方の参考になるう言葉)ということを紹介している文章の中で、「・・僕は着物を着換えながら何かに目をつけて、一つでも二つでも整理を始める。けっして昔のように、仕事の順序を考えたり、時間の見積もりをしたりするようなことはない。すなわち、するかしないか、いつから仕事にかかるか、などの決定の必要は少しもない。なんでも目に当たるままに、仮に手を出すのである。仮に決めるのであるから、いやならいつでも中止するし、ほかに用事ができれば直ちにその方を向くこともできる。」と先生のやり方を書いています。

家の中でも、「取りあえず」目についたことに手をつけてみましょう。「取りあえず」であれば、途中でやめてもよいし、続くようなら続けていけばいいですね。そうすることで過度の予期感情で身動きが取れなくなることを防ぐことができるわけです。どうしても身を起こすことができないときは、寝床から目をあげて目についたゴミをゴミ箱に入れる、といったことでもいいかもしれません。ご自身の身体を動かすことができるのはご自分だけ。まずは手を動かしてみてください。
(塩路理恵子)

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