Bさん。こんにちは。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科の半田と申します。
強迫行為かそうではないか。あるいは、強迫観念かそうでないか。考え出すと、わけがわからなくなりますね。
Nさんの書かれているように、そこに明確な区別はありません。同じ行為であっても、状況や人によって判断基準は変わると思います。指差し確認を例にとって考えてみましょう。たとえば、電車の車掌さんが指差し確認をしている時。これは、強迫行為とは言わないですね。乗客の安全を守るために必要な行為です。では、横断歩道を渡ろうとしている人が信号の指差し確認をしていたらどうでしょうか。これは「やりすぎじゃない?」と思う人も多いと思いますが、とっても慎重な人であれば、「いや、必要かもしれない」ぐらいには思うかもしれません。ただこれが、街中の横断歩道ではなくて、車も滅多に通らない山奥の横断歩道だとしたら、どうでしょうか。さすがに、必要だと思う人はほとんどいないでしょうね。…というか、そもそも信号がないかもしれませんね。
ある時は必要な行為だけれど、またある時は強迫行為になってしまう。Bさんが困っておられる「強迫行為」も、時にはBさんを救っていることもあるのだと思います。ですので、「強迫行為」を排除しようと闘うのではなく、ぜひうまく付き合っていく道を探していってもらいたいなと思います。
(半田航平)
「悩むことをあきらめる」 '23.01
Tさんは学校での緊張感、コミュニケーションがうまくいかず大学受験に身が入らないこと、身体の痛み、嫌なことを思い出して資格試験の勉強に集中できないこと、など様々なことに悩んでいらっしゃるのですね。
いろいろなお悩みを拝見して、緊張感をなくすこと、嫌なことを思い出さないようにすること、身体の違和感を無くすことなど、共通して、自分でコントロールできないことをやろうとして上手くいかなくなっているのではないかなと感じました。
できないことをやろうとしていたら、上手くいかないのは当然です。今度困ったことがあったら、これは自分でコントロールできるものなのかを、一度立ち止まって考えてみてください。コントロール出来ないものなのだとしたら、なんとかしようと悩むのを諦めてみてはいかがでしょうか。そうしたら同じ苦しみでも悩まなくなる分、生きやすくなるかもしれません。
また、ご自身でも「時間は有限」「起こってもいないことに不安になって動かないままでは、何もハッキリしないので、とにかく行動するしかない」とおっしゃっていて、その通りだと思いました。実際に人間が自分でコントロールできるのは、行動くらいなのではないかと思います。そして、限られた時間にどのような行動をするかが大切です。勉強のためにまずペンを持つ、など小さなことが大切です。今目の前ですぐにできることを、まずは行動にうつしてみてください。
(市川光)