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症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋

「残念と工夫とが、場数を踏んで積もり積もって、はじめて適当(適度)がわかるようになる」 '20.5 

Sさんは、元々内気な性格で、人と話す際に怖いと感じてしまったり、変なことを言っていないかと不安になり、話しかけることをためらって後悔することが多いということでした。こうした対人関係の悩みを抱く方は多いと思います。Sさんが「話しかけてくれることは嬉しいが、いざ自分から話そうとするとどもってしまって話しにまざれなかったり・・」と書いているところを見ると、本当は交流を持ちたい気持ちが強いからこそ、相手の反応に敏感になり、逆に緊張を強めてしまっているようですね。

森田先生は、次のように話しています。『言おうか言うまいかと迷うことについても、種々の度合いがある。気の軽い人は、言いたいことがあれば、心の何の拮抗作用もなくて、そのままベラベラしゃべってしまう。賑やかで良いけれども、むだ事が多くて、うるさくて仕方がない。意志薄弱性のものは、恥ずかしくて自分で言わないことに決めているから、心に少しも葛藤はなく気楽である。神経質は、言いたくてたまらないで、しかも大事をとるから、心の葛藤が非常に強い。これが一歩間違えば、言おうか言うまいかのただ二道の堂々めぐりの迷いになるが、これが一転して、よく場合を考え、適切な文句を工夫するというふうになれば、上等になる。ともかくも心の葛藤の大きいほど偉い人です。そして確かな思想があって、しかもペラペラしゃべらないでいるときに、「沈黙は大なる雄弁なり」ということにもなる。~(略)~ 

僕なども、このことについてはずいぶん昔から迷い苦しんできた。会などでも、今度こそ言おうか、もう言おうかと考えているうちに、ツイツイ時機を失しておしまいになる。重荷を下ろしたようで楽になるが、しかも残念でたまらない。~(略)~  またある座席でときどき、うまい滑稽をいって、人々をアッと言わせたいという野心の出ることがある。これは演説のような筋道の立った腹案をもってやるというわけにはいかない。その場合と周囲の状況とにおける咄嗟の間の思いつきでなくてはいけない。間一髪の気合でなくてはいけないから、しばしばその時機を失して、はなはだ残念なことがある。こんなことも結局は、残念と工夫とが、場数を踏んで積もり積もって、捨て身の心境に達した時に、はじめて適当のかけひきができるようになる』。

つまり、上手くやろう、評価されようといった野心が、心の葛藤や迷いを引き起こすということでしょうし、躊躇してしまうことが逆の結果を招くということでもあるのです。

Sさんは上司に報告する際にためらってしまうと書かれていました。上手く伝える自信がもてないがために、伝えること自体をやめてしまうと、上司からは仕事をやっていないと誤解されてしまうかもしれません。それは自分を理解してもらう「時機を失する」ことになり、大いに損をしてしまうことになります。

人との関わり方は、相手によっても状況によっても変わってくるものです。森田先生が言うように「沈黙」しつつ、聞き上手になることも必要でしょう。一方、上司への報告であれば、「伝える」ことに力を注がなければなりません。そこでは、思ったように伝えられずにがっかりすることもあるかもしれません。しかし、そうした「残念」という気持ちが、次の「工夫」に繋がり、その経験の積み重ねを通して、自分らしい関わり方が出来るようになるのではないでしょうか。森田先生の「捨て身」という言葉は、やみくもに進むということではなく、結果や保証をあらかじめ求める姿勢への忠言といえます。残念と思うのは、次の一歩への原動力になります。「場数を踏んで」こそ、わかることがきっとあると思います。
(久保田幹子)

「強迫症状との付き合い方」 '20.4 

Yさんは幼少時から不潔恐怖や手洗い強迫行為があり、母親や職場での人間関係でも大きなストレスを抱え、鬱が続き悩まれているとのことですね。また、特定の人物が触ったものに触ることができないというお悩みもあり、生活に大きな支障をきたしているとお察しします。

「特定の人が触ったものを触ることができない」、ということを主訴に病院を受診される方はいらっしゃいます。「触ると自分が汚染されてしまう感じがする」、「嫌なものに触ると他に汚染が広がってしまう感じがする」など、患者さんによって訴えはさまざまです。

強迫観念は自分の中でばかばかしいと思いつつも、その観念が侵襲的に頭に浮かび、不快感をもたらすものです。その不快感を解消するために、やむを得ずその行為を避けるわけですが、患者さんのお話を聞くと、「必死に嫌なものを避けたり、手を洗ったりしても、不快感はゼロにならず、繰り返せば繰り返すほど強くなる」と語られる方がいらっしゃいます。

つまり、回避行動を繰り返すことで軽減されるべき不快感がさらに増強されてしまうという悪循環に入ってしまうわけです。この悪循環から抜け出すことが回復の鍵となるため、治療者は「不快感はそのままにやるべき行動に移りましょう」とアドバイスしますが、急に実践するのは難しいものです。そのため、①強迫観念にとらわれている時は、「不快だ、モヤモヤする」といった感情を悪いものと否定せず、そのままに感じてみること、②時計を見ながら自分が決めた時間で次の行動に移ってみることをお勧めしています。

お母様を含め、対人関係におけるストレスや強迫症状については、その時どのような感情が自分の中に生じているか言葉にしてみるとよいでしょう。日記に書いてみると整理されやすいかもしれません。どのような感情も自然に湧き上がってくるものですから、その感情に良し悪しはありません。そのままに受け入れてみる練習も大切です。

しかし、Yさんの鬱症状が強ければ、強迫症状に支配されてしまい、すぐには実践できないかもしれません。そのような時は、鬱からの回復を優先することが望ましいと考えます。お薬の治療も一手です。頭の中では、「〜しなくては」と焦る気持ちで一杯かもしれませんが、一旦やらなければいけないことは棚上げし、しっかり心と体を休ませてあげることが先決と思います。 少し意欲が戻ってきてから、前述した強迫症状との付き合い方を学ばれるとよいと思います。Yさんの回復を願っています。
(鈴木優一)

「沈黙をよしとしながら関わってみる」 '20.3 

Kさんは他人の目が気になり、会話が自然に出てこないことや、自分の発言内容をチェックしてしまうといったことでお悩みなのですね。元々寡黙でいらしたところが就職してから酷くなり、全体的にいつも疲れていて何もできず生活してらっしゃるとのこと、文章からKさんの辛さがうかがえます。一方で、それだけ他人の目を気にされるということは、他の方からのコメントにもあったように、本来人と関わりたいお気持ちが強い方なのだと思います。もしそうだとすると、自分の殻に閉じこもり自ら相手と距離を取ろうとするKさんの姿勢は、勿体ないように感じます。

Kさんは沈黙が怖いと書かれていますが、沈黙することでどうなることが怖いでしょうか?「つまらないと思われたらどうしよう」といった風に、相手から悪く思われることが怖いでしょうか。ただ、実際のところ相手がどう思っているかは分からないものですね。もしかすると、それほど気にしていないかもしれません。沈黙について、森田先生は「訥弁(とつべん)を治すことをやめて、必要なことを言い現す工夫だけすればよい。必要に迫られなければ、なるべく無口の方がよい。『沈黙は、最も大なる雄弁である』という諺さえもあるのである。」と記しています。沈黙を無くそうと思えば思うほど、余計に言葉が出なくなったり、不自然な会話になってしまうものですよね。「沈黙はあっても良い」という心持でいることも一つではないでしょうか。

また、時には自分の気持ちを伝えることも大事です。Kさんは、これまでカウンセリングや精神科に行かれたものの、あまり好転せずやめてしまったとのことですが、そこでは本音の部分を伝えることができていましたか?ご自分の気持ちを飲み込んではいませんでしたか?カウンセリングも診察も、一直線に好転していくことはありません。特に初期の頃は、方針が決まらず行き詰まることが多いです。実際、私がお会いしてきた方の中で、「好転していないような気がする」とはっきりおっしゃってくださった方の方が、よりカウンセリングが深まっていったように感じています。伝える方はとても勇気がいることと思いますし、言われた私も一瞬ギクッとしますが、私としては言葉にしてもらえて初めて本当の気持ちが分かるので、言ってもらえて良かったなと心から思います。

コミュニケーションは会話のキャッチボールです。皆が発言するばかりではぶつかってしまいますから、時に沈黙することも会話の緩衝材として良い役割を持つでしょう。一方で、自分から関わらないと、相手からの反応も返ってこなくなってしまいます。Kさんの「人と関わりたい気持ち」を大切に、時にはKさんの方から歩み寄ることで、相手との会話は広がっていきますよ。
(金子咲)

「完璧は不可能」 '20.2 

Mさんの文には胃腸炎への不安について書かれていましたが、今や他のウイルスの話がずっとニュースで放送されている状態で、いよいよ恐怖の気持ちが湧いてきますよね。しかし残念ながら完璧に予防するということは不可能です。予防の努力をするというまでにとどまります。

その理由として、ご主人も娘さんもそれぞれ意志を持った人間です。妻であり母であるMさんがいくら「このように手洗いして欲しい」と思っても、それを本人たちに強要する事はある程度まではできてもかなり難しいことです。あまりにも言いすぎると本人が拒否することさえあります。子どもの場合、手を洗った瞬間、汚いものを触ってしまったりなど日常茶飯事です。よって例え家族が何かに感染したとしてもそれは誰の責任でもありません。

ではどうしたらよいでしょうか?例えば、娘さんに対しては、手洗いを何度もするようにいうより、「手洗いできたら一緒に遊ぶ」などウイルス騒動で友だちと遊べずにいるお子さんのために一緒に遊ぶことの方がお子さんのためになるかもしれません。

森田先生は「どこまでもあく事を知らない欲望がすなわち完全欲」と言っていますが、完全欲は限界がないので、恐怖のあまり完璧を目指し過ぎるとやがてMさんを苦しめるようになります。やればやる程気になってしまい、やがてMさんの生活を支配するようになります。完全欲の満たされない悪循環に陥るより、どうせウイルスでつらい思いをしているなら、どう工夫したら少しでも面白くご主人やお子さんと過ごせるかを考えるなど発想の転換をしてみてはどうでしょうか?少しでも日々楽しくリラックスして過ごせる工夫をご主人やお子さんと話し合ってみて下さい。
(大久保菜奈子)

「顔の大きさが気になる」 '20.1 

Sさんは顔が大きいことに悩み、そして、顔が今後もっと大きくなるのではないかと不安を感じられているとのことでした。またその後「本当は他人は自分のことを殆ど気にしてないのでは」とも思うようになっていて、真実はどうなのか皆さんの意見を聞きたいと書かれています。

これを読んで、Sさんの不安障害はもう大分よくなられているんだろうなと思いました。なぜなら「殆ど気にしていないのかも」というのは他者の視点から自分を見られるようになってきている証拠ですし、実際はどうなのかと事実を見ようとする姿勢や事実を検討できる力は不安障害を克服するのに何より必要なものだからです。

他人は自分のこと(特に顔のこと)を殆ど気にしていないというのもその通りだと思います。他の方も書かれていたように、集合写真を渡されるとみんな自分を探して、自分がどう映っているかを確認するのです。そして、職場で信頼されるのは小顔な人でも顔のいい人でもなく、誠実にきちんと仕事をする人です。顔に惹かれて恋愛が始まることもあるかもしれませんが、その関係がお互いに心地よく長続きするためには顔以外の要素(お互いの性格や相手に対する思いやりなど)の方がずっと大切です。

Sさんは顔が大きいと何が困るのでしょう。馬鹿にされないかどうかが気になると書かれていましたが、実際はどんな風に自分のことを思ってもらえたらいいなとSさんは思っているのでしょうか。そこにSさんの願いがあるのだと思います。

どういう自分でいたいのか。そしてその願いを具体的にして、実現のためにはどうしていったらよいかを考えてみてください。友達や彼女を作るのは相手もいることなので自分だけのペースでは進みませんが、大事なのは不安をやりくりすることではなく、その元にある願いの実現に向けて今できることに力を注ぐことです。仕事だったら今担当している仕事をしっかりやる、趣味や好きなことがあればそれを楽しむ、評価や人間関係はその後についてきます。
(矢野勝治)

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