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症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋

「症状がまた出てしまったときの森田療法での捉え方」 '22.7 

Aさん、パニック障害と強迫性障害の再発でさぞかしお辛いと思います。一旦森田療法で克服されたのですね。今回の再発と言うのは、パニック発作がまた何回か出る、また強迫観念に襲われる頻度が多くなったのでしょうか?まずは一度克服されたのですからその過程をまず振り返られることをお勧めします。

その上でですが、Aさん、症状がまた出て再発とおっしゃっているということはご自身を症状の程度で測定していませんでしょうか?森田療法ではパニック障害や強迫観念の症状が仮に再度出てもそれを再発とは捉えません。パニック障害のパニック発作が多く出ている、そして強迫観念を振り払おうとすればするほど「とらわれ」ているということは、いまなんらかの不安が高まっているのではないでしょうか。

寝る前の不安は、それだけ日中万全を期したい気持ちが強いからではないでしょうか。パニック発作であれば数分すれば山なりに症状は下降します。ふとした考えを振り払おうとすればするほど強迫観念へと発展してしまいます。今不安が高まった裏には何らかしら「~したい」欲求(森田療法で言う「生の欲望」)が強まっているからではないでしょうか。

森田療法を始めるときには皆さん、不安の裏にある過大な欲求の存在を知り、不安を排除せず、不安を抱えて「~したい」欲求に従って建設的な行動を始めたと思います。しかし、これは治療の過程でも度々思い出してほしい大切な視点です。このように症状が出た時に再発と捉えず、自分の欲求が過大となり注意が症状へ向いてしまい注意と感覚の悪循環・森田療法でいう「精神交互作用」に陥ってしまっているわけです。また、その症状をなくそうともがこうとすればするほど症状は襲ってきます。これが森田療法でいう「思想の矛盾」になります。この背後には「症状のない完璧な自分」(=「理想の自分」)と「症状がある自分(=「現実の自己」)」との葛藤があると思います。

以上にように、症状がでたことが再発捉えずに、その背後に「~したい」過大な欲求が出てきたと思いご自身を振り返ってみてください。もしかすると育児と仕事の両立のバランスが上手くいっていない可能性も考えましたがいかがでしょうか。症状をなくしたいいわゆる完璧主義を緩め、本来「~したいこと」を膨らませていく方向が治療上大事になってきます。書面上のアドヴァイスで限界はありますが、どうかご参考になさってくださいね。
(舘野歩)

「長く悩む人ほど」 '22.6 

Rさん。こんにちは。

昔やってしまった過ちというのは、なかなか厄介なものですね。振り返ると、何かとんでもないことをしてしまったような気持ちになりますし、忘れようとすればするほど、かえって意識してしまうようになります。さらに、とても苦しいので、思い出にまつわる物を目の届かないところに追いやったりしてみても、ふと何かのはずみで思い出してしまうと、結局何も変わっていないことに気がついて、悲しくなったりしますね。

過去をなかったことにはできないので、罪悪感を抱かないようにすることは難しいでしょう。しかし、この嫌な感情をよくよく見つめ直してみますと、ある大切な気持ちの裏返しであることに気づかれるのではないかと思います。それは、「人を傷つけたくない」あるいは「人によく思われたい」という気持ちです。

人のことをどうでもいいと思っている人は、罪悪感なんて抱かないでしょう。Rさんが10年以上もの長い間罪悪感に苦しまれているのは、きっとそれだけご友人のことを大切に思われているからではないでしょうか。それはなかなかできることではない、すごいことだと思います。

現在、そのご友人とは仲直りされているのですね。それはきっと、ずっと自分を責め続けてしまうくらい相手のことを大切に思うやさしさが、ちゃんとお友達にも伝わっているから、なのではないでしょうか。
(半田航平)

「出来ることと出来ないことを分けて」 '22.5 

Yさんはお仕事を始めて少し慣れてきた辺りから、自分や他の人の視線や表情が気になるという症状が増してらっしゃるとのことでした。周囲との年代の違いもあって話が分からないことや、仕事を注意されるなどのストレス、薬が合っていないとのご不安もあるとのことでした。

仕事を始めて少し経った頃は、お仕事に慣れてできることも増えて少し余裕がでる一方で、周囲からもできて当たり前と思われたり、後輩も増えたり、と大変な時期だと思います。まして同年代がおらず、年齢の離れた方ばかりでどう振る舞っていいか難しい状況ですものね。そんな中もお仕事を継続されていて素晴らしいと思います。私もそんな環境で働いていたら、ストレスを感じ、疲れて笑顔になれない時もありそうです。

ただ、Yさんの場合は少し気にするポイントがずれてしまって、余計につらさがましていらっしゃるように思います。私たちには自分で頑張ってどうにかなること(出来ること)、自分ではどうしようもないこと(出来ないこと)があります。Yさんの場合には、相手の表情や周囲からどう思われるかということは、ご自身ではどうにもならない部分(出来ないこと)ではないでしょうか。

例えば表情に関しては、同じお笑いを見ていても面白いと笑う人もいれば、下品だと嫌な顔をする人もいますよね。観客の人が笑わないとしてもそのお笑いが下手なのかもしれないし、受取手の感性や相性、たまたま会場が寒くて嫌な気持ちだっただけかもしれません。プロが沢山準備して頑張っても全員を笑顔にはできないのですから、まして自分ができなくて当然です。出来ないことをなんとかしようとしていらっしゃるのが、悪循環になっていらっしゃる一因だと思います。出来ないことはそのままに、自分が出来ることを探して行かれるのがいいと思います。

そこでヒントになるのが、背後に隠れているYさんの気持ちです。気になることの裏側には、相手によく思ってもらいたい、仕事をしっかりしたいという素敵な気持ちが隠れていると思います。そのためには他の方もYさんもおっしゃっているように、一つ一つ目の前の仕事をこなしていくことが一番大事なのではないでしょうか。というのも、ここはYさんが頑張ることでどうにかなりやすい部分(出来ること)ですよね。

また、周囲の人によく思ってもらうには、仕事用の仮面をつけてみるのもいいかもしれません。まずは自分から挨拶をする、下準備として鏡を見て笑顔の練習をしてもいいと思います。自分のありのままは相手には分からないのですから、よく振る舞っている姿を評価してもらいましょう。「外相が整いて、内相自ずから熟す」といいます。健康な人らしくすれば健康になれるという意味です。まずは症状を除去してから、健康な人の生活に戻ろうとしても、いつまでたっても望んだものは手に入りません。いつでも気分はそのままに、健康な人らしく振る舞うことを心がけていかれてはいかがでしょうか。
(市川光)

「何のための納得(確認)なのか?」 '22.4 

Nさんは、相手が返事をしてくれているのに、自分が納得するまで何回も質問をしてしまう症状に悩んでいるとのことでした。相手の返事(言葉)を頭に入れるために、そのことばかりを考えたり、何回も質問をすることが怖くて我慢するものの、その質問が気になって仕事に手がつかない、今は転職も考えていると記されていました。

 以前の書き込みでは、「質問をして、納得出来たら自分の仕事に自信がつく」と書かれていたので、当初は納得して良い仕事をしたい、と思っての「質問(確認)」だったのかもしれません。それが、今や質問に翻弄されて仕事も手につかないのだとしたら、逆効果ですね。まさに空回りですが、それがわかっていてもやめられないことが苦しいのでしょう。

 ここで少し視点を変えてみましょう。Nさんはどうなれば「納得」するでしょうか?あるいは「納得することがゴール」だと思っていないでしょうか? 納得とは、他人の考え、行動などを理解して受け入れることを指します。ただし、Nさんの場合、相手の言葉・返事を100%理解しければいけないと考え過ぎて、逆に「聞き漏らしたのではないか」といった疑いや不安を強めてしまっているのかもしれませんね。

 しかし、その疑いを解決するために、再度同じ質問を繰り返すことは、ある意味自分の気分中心ということになりますから、相手にも迷惑になります。それを感じているから、質問することが怖くなるのでしょうし、何とか我慢しようとするわけですが、結局「疑う気持ち」を解決しなければ・・・という思い(納得できない思い)は強まってしまうのでしょう。

 森田先生は、こうした心の動きを禅の言葉を引用して「一波を以て一波を消さんと欲す、千波万漂交々起こる」と述べています。それを水泳に例えて、波が荒い時に早く泳いで浜に上がろうともがけば逆に波にのまれてしまうが、素直に波に乗って、静かに泳いでいれば、浜辺に寄ったり、押し流されたりするうちに、次第に浜に近付くことが出来る、と説明しています。つまり、心の中に自然に生じる雑念を無理に押さえようとしたり、打ち消そうとすればするほど、それはますます強くなってしまうということですね。言い換えれば、波は来るものと思って、そのまま波に逆らわず、泳ぎ続けるということでしょうか。

 Nさんは、いつの間にか本来の欲求、つまりしっかり仕事をやりたいということから、「納得する」ことに目的がすり替わり、曖昧さを払拭することのみにエネルギーを注ぐようになってしまったのではないでしょうか?自然に生じる波を消すことが出来ないように、心の中に生じる疑問やモヤモヤを消すことは出来ません。我慢することも、やはりモヤモヤを押さえこむことになってしまうので、抗うことになりますね。「そのまま」というのは、言うは簡単ですが、実践はなかなか難しいと思います。ただ、これまで出口が見つからず、苦しさが持続してしまったのであれば、頑張る方向が少しずれていたのかもしれません。質問が浮かぶことは「自分の癖」くらいに捉えて、モヤモヤを質問で解決しようとせず、とりあえず淡々と仕事に手を出すことを続けてみましょう。少なくとも自分で波を大きくしなければ、いつかは流れていきます。本当に大事なご自身の仕事、役割をみすみす流してしまわないように、納得できないままでも、そちらに力を注いでみてはいかがでしょうか。
(久保田幹子)

「緊張や震え以外のことにも目を向けて」 '22.3 

Oさん、こんにちは。人前で緊張することに悩んでらっしゃるのですね。幼い頃から人前で話す機会を極力避けてこられた一方で、就職してからはそうした機会が避けられなくなっているとのこと。定期的に朝礼の担当が回ってきて、その度に、足がガクガク震えるほど緊張してしまうのですね。 Oさんの大変なご苦労をお察しすると共に、苦手なことに取り組まれているOさんの姿勢に敬服いたします。

Oさんは朝礼について、「何日も前から気分が落ち込む」、「誰かが朝礼をしているのを見るだけでも気分が悪くなる」といったことを書かれていますね。また、「特に震えた日には、その日一日朝礼のことが頭から離れなくなり、死にたい気分になるし会社を辞めたくなる」ということも書かれています。朝礼を巡って、Oさんがとても辛い気分になり、そのことで頭がいっぱいになっていることが推察されます。

緊張や震えは心地が悪いので無くせたら良いのですが・・・実際には、無くそうと意識を向ければ向けるほど、それらがますます強く感じられてしまうという落とし穴があります。oelolb6iさんとしても、今の行き詰まりをどうにかしたいと、この体験フォーラムに書き込みをされたのではないかと思います。

では、このような時に、森田療法の視点からどう考えていくと良いでしょうか。森田は次のように述べています。「人生観の第一の条件とする観点を何におくかということについて、自分の気分を第一におこうとするものを気分本位というのである。毎日の価値を気分で判断する。今日は終日悲観しながらも、一人前働いたというときに、悲観したからだめだというのを気分本位といい、一人前働いたから、それでよいというのを事実本位というのであります。」つまり、緊張や震えの有る無しによる気分の変化を第一におく(気分本位)よりも、必要なことができたかどうかを第一におく(事実本位)姿勢をすすめているのです。

Oさんの場合はいかがでしょうか。朝礼についての自分の評価が、気分に傾いているとしたら、今一度事実にも目を向けてみてください。例えば、発言の内容は必要なことを言えているでしょうか?声の大きさは、朝礼の参加者に聞こえる程度に出ているでしょうか?目線は前を向いているでしょうか?そうした実際の事実において必要なことをやれているとしたら、朝礼でのOさんの役割はまず果たしているのだと認めてあげてくださいね。もしも、そうした点で工夫できそうなことがあれば、そちらに力を注いでいかれることが重要です。

Oさんの視野が広がって、緊張や震えに着目する比重が小さくなると、結果的に少しずつ、少しずつ、緊張や震えが気にならなくなっていきますよ。せっかく苦労して苦手な場面に取り組んでらっしゃるのですから、Oさんの体験の中の、出来ている事実にも目を向けながら過ごされてください。Oさんの努力が報われることを願っています。
(金子咲)

「薬で自分を判断しないのが薬から離れる道」 '22.2 

Lさんは人前で話をする時の声の震えに悩まれていました。人前に立つ以外でも常に人からどう思われるか、自分は恥ずかしい存在ではないかという思いがあり、人と関わることに苦手意識・疲労感を強く感じていたとのことです。

ちゃんとして見える自分を壊したくない気持ち、すごい人と思われたい気持ち、自分のままで自由にできることをやっていきたい気持ちなど、自分の中にさまざまにある気持ちを良く見つめ、良く自覚されています。自分の問題に腰を据えて向き合うことは勇気が必要だったと思いますが、よく踏み出してみましたね。

この不安さえなければという姿勢ではなく、自分がどうしていきたいかに力を注げているLさんはすでに治療も半ばに差し掛かられていると思います。職場の会議の発表に臨み、発表と共有という行動自体に喜びと達成感を感じたのは良い経験をされたと思います。

Lさんはこうやって自分の仕事や考えを共有し、相手からコメントを受けて、そのやり取りをしていくことにとても喜びを感じることの出来る方なんですね。そのことを大切にしてください!

そして、ご本人や他の方も言及されていたように、薬の必要がない自分を目指すのではなく、今回の発表の時のように、自分の仕事・生活の中で必要なことに一つ一つ臨んでいくのがとても大切です。発表時に、薬が半錠で済めばそれでよいですし、1錠飲むことがあったとしてもそれは失敗ではありません。薬の量ではなく、発表を通して伝えるべきことを伝えられたのであればOKで、他にも発表後のやり取りから何を得られたかなどを大切にしてください。

仕事でどう工夫するかを考えていくうちに、仕事での自信も付き、こだわりのポイントも変化して、次第と薬へのこだわりが減っていくものです。そうすると意外に薬を飲み忘れることが出てきたりするものですよ。
(矢野勝治)

「本来の欲求・気持ちを大切にする」 '22.1 

Tさんは「誰かを傷つけるのではないか」と言う考えがふとよぎったり、人とすれ違うだけで「傷つけたのではないか」という考えがよぎったり、といった加害恐怖で悩んでいらっしゃいます。このフォーラムで勉強されて、少し良くなったそうですが、現在は運転時の加害恐怖からドライブレコーダーを見たり、元の場所を確かめたりと確認行為をしてしまうようです。そのことで「運転をやめなくてはいけないのか」「運転をやめることが逃げなのか」とも悩んでいらっしゃいます。

頻繁に「人を傷つけたかもしれない」と感じるのは辛いですよね。それだけ人を傷つけたくないという思いが強いのでしょう。一般にそんな思いの強い人は実際にすれ違うだけで人に危害を加えてしまうことはないのだろうと思います。ですので、今までTさんが実際に誰かに危害を加えたということはないと思います。

運転に関してですが、必要でなければ、運転しなくてもいいと思いますし、それは逃げというものではないと思います。ただ、一方で、運転することが生活に必要なのであれば、あるいは、Tさんが運転することが好きで楽しいのであれば、諦める必要もないと思います。いずれにしても、現在、Tさんは運転時の加害恐怖が強いということですが、一般に強迫観念や行為というのは、形を変えて色々と出てくることが多いので、運転をやめさえすれば、解決するというものでもないとも思います。

強迫観念というのは打ち消そうとしたり、考えないようにしよう、とすればするほどますますその観念にとらわれてしまうものです。ですから、Tさんが実践されたように、なんとか強迫行為(確認)をせずに、サッと次の行動に手をだしていくことが大切です。もちろん、運転の際には後から「ぶつかってなかったか」と注意するのが一番重要なのではなく、常に(事前に)周囲に注意を払って「ぶつからないように」安全に運転することが必要ですよね。

今後も粘り強くTさんの「不安だけど、ご自分の本来の欲求・気持ちを大事にして、目の前のことに取り組んでいく」という姿勢を大切にして、日常生活を送っていただければと思います。頑張ってください。応援しています。
(谷井一夫)

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