Fさん、こんにちは。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神科の半田と申します。
おじいさまが亡くなられてから、ご自身の健康が不安になり、動悸やめまいなどの体の症状にもとらわれがちになっているのですね。いつの日かやってくる自分の死を想像すると、とても恐ろしくなる。それはすべての人が抱える不安の源のようなものだと思います。
現代では死が遠ざけられて目の当たりにする機会が減っているといわれていますが、そんな中でしっかりと最期の姿を見せていかれたおじいさまは、Fさんにとても大切なことを教えてくださったように思います。もちろん、今は恐ろしいという気持ちでいっぱいかもしれません。ですが、おじいさまが伝えたかったことはそれだけではなかったのではないでしょうか?最期に待つのは死だとしても、そこに至るまでにたくさんの人生の喜びや悲しみがあった。たくさんの人との出会いや別れがあった。おじいさまが身をもって教えてくれたことは、死の恐ろしさだけではなく、それと表裏一体の、生きる喜びでもあったのだと思います。
Fさんが、健康には気をつけつつも、それ以外のことも楽しみ、かけがえのない人生を謳歌されることを願っております。
(半田航平)
Mさん、こんにちは。Mさんは不安症で、身体の小さな違和感などが気になって仕方なく、大きな病気ではないかと考えてしまうのですね。「そんな自分が嫌で嫌で時には苦しく、何とかしたいと無駄な努力をしてきました」と書かれていることから、これまでのMさんのご苦労がうかがえます。そうした中で森田療法に出会い、本を読んだり生活の発見会の集談会に参加され、学習を進めてこられたのですね。
Mさんは既にお気づきのことと思いますが、病気への不安が強いということは、それだけ「健康に生きたい」とか、「安心して過ごしたい」という欲求が強いということです。そして欲求があれば不安は無くすことができないので、私たちの気持ちはその時々で、振り子のように不安と欲求との間を揺れ動いていきます。「不安はそのままに目の前の自分の出来る事をやる」ということを指針として過ごしているMさんは、不安とつき合いながら過ごしていくしかないことを分かっていながらも、「不安でいっぱいになり、病院に行った方が良いかな?の考えが暴走してしまう」のを何とかしたい思いがあるようですね。
そのような時の過ごし方として、森田療法でヒントになるものをお伝えしたいと思います。
一つは、「なりきる」といって、不安や恐怖をそのまま受け止める姿勢があります。インターネットなどで調べたりはせずに、「不安だなぁ、恐ろしいなぁ」と一旦そのまま受け止めて過ごします。そうして過ごしているうちに、「まずは食事でもしようかな」とか「そろそろ出かける時間だ」という風に自然と気持ちが変化していくものです。
もう一つは、「客観的事実」を重視する姿勢があります。つまり、事実とは、「今のところは大きな病気にかかっていない」ということもそうですし、「病気について100%は分からない」というもの事実です。また、「今の生活がどうなっているか」の事実を見ることも重要です。健康のために生活の中で改善できるところがあるかどうかも、事実をしっかり見ていく必要があります。
Mさんにおかれましては、「『これでいいんだ』と思える時もある」と書かれていることから、ご自分なりに過ごされてきて手応えも感じていらっしゃるようですね。不安とつき合っていくことは容易ではありませんが、本来の欲求を大切に、Mさんの時間を過ごしていかれてください。
(金子咲)
Hさんは昔から体に違和感が少しでもあると「大きな病気なのではないか」と不安になり、病院を受診して、検査をするということを繰り返していました。最近も次々違和感がおこり、そのたびに色々な病院を受診されましたが、異常はないとのことです。メンタルクリニックを紹介され、薬を飲むよういわれましたが、薬も飲むのも不安という状態で困っていらっしゃいます。
私たちは普段、特別意識することはないかもしれませんが、「健康でありたい」と潜在的に思っていることが多いので、身体に何か違和感があると、「何か病気なのではないか、その病気が大きなものであったらどうしよう」などと不安になるものです。そういう意味ではHさんが不安になる気持ちはよく分かります。ただ、一般に、その違和感は様子をみているうちに、時間とともに薄れて、不安も軽減していくことの方が多いようにも思います。もちろん、その違和感が続くときや症状が強くなってくるときには、病院を受診して、色々と調べてもらう必要があると思います。しかし、Hさんのように、不安になるたびに頻回に病院を受診して、検査してもらう、という行動をとっていると、常に体に注意を向けていることになってしまいます。
Hさんは、「病気が不安」と常に身体の違和感に注意を向け、注意を向ければ向けるほど、身体感覚が鋭くなって違和感が強くなり、そのことしか考えられなくなって、ますます不安も強くなるという悪循環がおきているように感じます。この悪循環を森田療法では精神交互作用(注意と感覚の悪循環)といいます。
この悪循環を打破するためには、不安や違和感はそのままに、本来自分がどういう生活をしたいのか、という気持ちに基づいて、今出来ることに手を出してみてください。また、Hさんはメンタルクリニックの薬も不安で飲めないとのことですが、今の精神科の薬は正しく使えば、大きな問題はないと思います。薬を使うことで不安が消えるということはないと思いますが、注意と感覚の悪循環で大きくなった不安を軽減する働きはあると思います。不安が和らげば、より今出来ることに手をつけやすくなり、そうなれば、不安とも付き合いやすくなり、悪循環におちいることも減ってくると思います。現在の主治医の先生にも相談しながら、うまく薬も使って、不安にとらわれた生活から抜け出していってくださいね。応援しています。
(谷井一夫)
Sさんはもともと神経質な性格で、不安があると血圧が上がり死んでしまったらどうしようと考えてしまうところがあったと書かれています。今回、他人に迷惑をかけたかもしれないという不安から、不眠や不安感、食欲低下などの症状が出ているということですね。そして、その症状がいつ強くなるか、どんどん悪くなったらどうしようという考えにとらわれていると書かれています。確かに体の不調が生じると不安になりますよね。それも自然な事だと思います。
このように体の変化に敏感になり、そこに注意が向き、注意が向くからますます敏感になることを森田療法では精神交互作用と呼びます。ご自身でも悪循環に陥っていると書かれていますが、まさにこれが悪循環を呼ぶメカニズム。では、この悪循環を抜け出すにはどのようにすればいいのでしょうか。森田療法では、両面観という考え方があります。両面観というのは、不安の背後には欲求があるという考え方です。Sさんの状況で考えてみると、死んでしまったらどうしよう、ますます体調が悪くなってしまったらどうしようという不安の背後には、おそらく、生きたい、健康でありたいという欲求があると考えることが出来ます。本来健康でありたいという欲求があるからこそ、それが損なわれる不安が生じるわけですから、不安だけを取り除くことはできません。その時に、森田療法では、不安を取り除くことを目的にはせず、その背後にある欲求を足掛かりに、できる事に目を向けて行動を広げることを勧めています。
今、体調を心配するあまり、不安を中心に時間を過ごす事になっているのではないでしょうか。生活を狭め、やりたいことや出来る事まであきらめてしまっていないでしょうか。Sさん、もし健康であればどんな生活を望みますか?
目を向けるのは症状が悪化するかもしれない不安だけでなく、本当はどのような生活を望むのか。そちらに目を向けながら、今の生活を少しでも充実させることは出来るかもしれません。
もう一つ、今回、症状の呼び水になっていたのが、人に迷惑をかけたかもしれないという不安についてです。この不安についても両面観でみるならば、その背後にはよい関係を築きたいという思いがあるのかもしれません。迷惑をかけてはいけないと思うほど、自分の言動が気になり不安を呼ぶことになります。ここにも悪循環がありそうです。
ちなみに、人間ですから迷惑をかけることだってあるのではないでしょうか。人間関係は、迷惑をかけない事が大事なのではなく、迷惑をかけたとしても、素直に謝ったり感謝の気持ちを伝えたりすることが実は関係をよいものにしていく上では大事なのかもしれません。
人間関係も体調も、損なわれる不安の背後にある健康的な欲求を探りつつ、不安なまま、少なくとも今できる事に取り組むことが、悪循環から抜け出す大事な糸口になるかもしれません。
(渡辺志帆)
Hさんは、酷いヘルニアを患ったことから排尿障害になるのではないかと不安になったこと、一旦落ち着いた不安が再度不安になったこと、さらに味覚にも不安を感じていることを書き込まれています。酷いヘルニアだったとのこと、現在まで自宅療法中とのことですので、り患したときは大変だったことと拝察します。痛みも強かったのではないでしょうか。そこからさまざまな身体の違和感への不安に注意が向くようになってしまったのですね。「とにかく自分の感覚に自信が持てません」とのこと、まさにそうした状況なのでしょうね。検査で異常がなく、ヘルニアの悪化もないとのこと、まずはよかったですね。ひどい身体の病気の後には、まして腰という体の感覚と大きく関わっている箇所の病気では、身体の感覚に敏感になることは、無理もないことですよね。そこに「大丈夫かな」「以前はどうだったかな」「今の自分でやっていけるだろうか」という不安な注意が向くことで、ますます鋭敏になって、「感覚に自信がない」状態になってしまったのかもしれませんね。
Hさんはご主人の勧めで旅行にも出てみたこと、「その最中も不安が頭にあり、以前のように楽しむことはできなかった」とも書き込まれています。今のように体の感覚に不安を抱えているときに「以前と同じように楽しく感じなければ」というのは、ご自分への無理な注文になっていないでしょうか。まずは、不安を抱えつつ、ご主人のアドバイスを受け入れて旅行に出てみた、一歩踏み出したという「事実」を大切にしましょう。逆にいえばHさんがどのように感じたとしても「旅行に出てみた」という事実は変わらないということです。旅行に出たときのご主人やお子さんの様子はどうだったでしょうか。
お書きになっている通り、不安には波があるもので、一旦気にならなくなった不安がまた気になりだしてしまうことも、ままあることです。そこで「また悪くなってしまった」ととらえるのではなく「波が来たのだな」と受け止めるようにしましょう。波は変化し流れるものです。
先輩からのアドバイスを得て「その時のその心をダメとおもわなくていいんだ」と理解されたご様子。本当にその通りだと思います。モヤモヤしながら、揺れながら進んでいきましょう。
(塩路理恵子)
T様、体調不良へ注意が向けば向くほど病気不安になり症状が悪化する悪循環にはまっていますね。心気症は現在米国DSM-5診断基準では病気不安症と言われています。
病気不安症に対する森田療法の考え方・概説を示します。森田療法では病気不安症を症状へ「とらわれ」・悪循環を起こしていると理解します。そのとらわれの心理とは、「症状に気付き、不安となった自己が自己自身を観察し、意識し(精神交互作用)、それを承認できないで「あってはならぬ」と考え(「こうあるべき思考」)もだえている(思想の矛盾)というような内向的、非行動的なあり方」です。森田療法による介入とは症状への「とらわれ」からの脱却を目指します。そのために、
1)症状をそのまま受けとめていくこと、
2)ご自身の生の欲望(健康な力)を生活場面で、発揮できるような行動を促すこと
からなります。
症状を「健康でありたい・万全でありたい気持ちが強いから不安が強まるのですよね」と症状を読み替えます。そしてその気持ちを、症状を無くす方向でなく建設的な方向へ生かすよう森田療法は援助します。そのような行動が、「あってはならぬ」(「こうあるべき思考」)という思想の矛盾をゆるめ、建設的な行動を広げていくことが大事になってきます。
森田療法の創設者森田正馬は当初、今日の神経症性障害に対してヒポコンドリー性基調を基盤に症状発展形成として精神交互作用があるという説を提唱しました。また森田は「ヒポコンドリーとは心気性すなわち疾病を恐怖する意味であって、人間の本性である生存欲のあらわれである。」と説明しました。
病気不安症とは元来心気症のことです。病気不安症に対して、不安の裏側の「生の欲望」を見出しやすいので森田療法的アプローチがしやすいです。病気不安症になると得てしてネット検索を多くしたり、それでも納得できないと病院へ行き検査をしてはまた他の病院へ行くことを繰り返してしまう場合があります。病気不安症の方でもし身体的な検査を繰り返す人は注意が必要です。
T様の主治医の説明良かったと思います。きちんと対応してもらえたと文面の限り思います。病気不安の裏には健康でありたい気持ちが強いと読み替え、より健康的な方向へ発揮することを祈っています。その際には、病気不安を無くそうとするより、びくびくしながらでも病気不安を抱えつつ、「今ここで」のことに没頭することがまずは重要です。一旦何かに没頭して症状が軽くなっても何かのきっかけでまた症状が出てきても、悪化と捉えず、過大な欲求が出てきたサインと思うと良いでしょう。
また生活の発見会を利用したのは良かったです。同じような悩みを持つ人はご自身だけでないと実感なさったかと思います。T様、全体的に良い方向に動いていると思います。森田療法をこの体験フォーラムと生活の発見会を通して身につけていってください。どうかお大事になさってください。
(舘野歩)
Kさん、はじめまして。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科の半田と申します。
体調が悪いと感じると、何か深刻な病気ではないかと不安になったり、あるいはどんどん悪化してくるような気がして怖くなったりしますね。ですが、その不安そのものは、間違った感情ではなく、ご自身やご家族の身の安全を守るために必要なものでもあります。不安が強いのは、それだけ、身近な方のことを大切に思っておられるからなのでしょう。
家族を大切にしたい、自分も健康でいたい。それはとてもいいことなのですが、一つだけもったいない点があると思います。それは、体調不良を恐れるあまり、やりたいことまで避けてしまうことです。家族と出かけたい、けれど胃痛が悪化しそうだから行かない。あるいは、健康のために運動をしたい、けれどめまいがあるからやめておこう。というような経験はないでしょうか?しっかりと内科や耳鼻科に受診されているようですので、そちらで控えた方がいいと勧められている内容でなければ、どんどんやって大丈夫です。せっかくご家族のことをとても大切に考えて外出の予定を立てても、一周回って不安になってドタキャンして、嫌な顔をされる結果に終わってしまったりしたら、それはとても悲しいことですからね。
Kさんの思いやりがちゃんとご家族に伝わっていることを願っております。
(半田航平)
Sさんは、膀胱がん、前立腺がんに罹患し、再発の危険性も示唆されながら、現在も再発せずに過ごされていますが、治療中に不整脈、脊柱管狭窄症、強度の肩こり、めまい等を患う中、そのストレスから何度もうつ状態に陥っているとのことでした。確かに、がんという病による死の恐怖に加え、様々な身体の不調をきたせば、病気に対する不安・恐怖がつのり、ストレスになるのは自然なことと思います。そんな中、治療に取り組んでこられたのは立派だと思いますし、それだけ治したいという強い気持ちがあったからだろうと思います。まさに森田がいう「生の欲望」ですね。
病気に対する不安・恐怖がある、つまり死にたくないのは、それだけ“生きたい”という願望が強いからですよね。それは、健康な欲求そのものです。しかし、“生きたい”からこそ、Sさんは不安材料を払拭したくなり、逆に身体の異変に敏感になったり、自分の身体を信じられなくなって、守りの姿勢を強めてしまったのかもしれません。そうなれば、色々な欲求も制することになり、自分の可能性を狭めることになってしまいます。
身体が悪かった森田が妻・友人と筑波山に上った時の話を紹介しましょう。森田は階段を上るのさえ息切れがしていたので、最初から頂上へは登れないものと断念し、下で待っていたそうですが、じっと待っているのも退屈なのでぶらぶら歩いたそうです。そこでどちらへ歩いたでしょうか。上へ向かって歩いていたのです。登れないと諦めながらも上へ向いて歩く、「それが僕のありのままの生命です」と書いています。しばらく歩いて、後を振り返ってみると、予想以上に登っている。少し歩いては休む、を繰り返しているうちに、いつの間にか頂上に着いていたそうです。まさに、生きたいという欲求にしたがった結果ということでしょう。そしてこうも書いています。「死ぬとは生き尽くすということである」と。
先に述べたように、死や病に対する不安・恐怖は、「生きたい」という欲求が強い証です。しかし、生には限りがあり、死は誰にでも平等に訪れます。だからこそ、今、与えられた生をいかに全うするか、言い換えれば、私たちに出来るのは、今を生きることにエネルギーを注ぐことだけなのです。Sさんが抱えている身体の不調は、確かに辛く、大変な状況なのだと思います。しかし、それをストレスに感じるのは、よりよく生きたいという願望の裏返しです。そうであるなら、私たちに与えられた限りある時間をどのように使うのか?そこにエネルギーを注いで欲しいと思っています。どのように過ごしたとしても、時間は平等に経過していきます。今、出来ることに注意を向け、歩みを進めていけば、森田が頂上にたどり着いたように、Sさんなりの手ごたえを感じることができるのではないでしょうか。きっと視界が拡がると思います。
(久保田幹子)
Tさんは、「心気症になりもうすぐ一年になります」と書き込まれています。一年間重い病気ではないかと心配で、病院を巡ったり、食事が摂れなくなってしまって体重が減ってしまったりそれがまた心配を呼んで病院での検査、また鼻血が出たら舌にしこりがあるのではと病院巡り、今は神経難病に関する不安、そして不安にまつわる不眠や不調・・大変な時間を過ごしてこられたことと思います。
まずは一通りの検査が異常なかったとのこと、何よりです。
「子育ても落ち着きふと気づいたら自分の体のことばかりに意識が行ってしまっていた」とのこと、きっと子育てに夢中に、一生懸命に取り組んでこられたのではないでしょうか。これまでは子育てに集中してきた注意が「ふと」体に向いたときに、悪循環が起こったのかもしれませんね。今は、一段落した子育てから次のステップを探しているときなのかもしれませんね。まずはもしかしたら不安で見えにくくなってしまっているかもしれない、「それだけ懸命に取り組んできた」という事実を大切にしましょう。文面だけではお子さんがお幾つくらいになられたのかわからないですが、「ひと段落」はあっても今度は相談相手になったり・・違う形での関わりが続いていくことでしょう。また、編み物といった素敵な趣味、お仕事もされているとのこと、とても良いですね。
また、一時期ネット検索をしまくっていたものの、今は止めている、「安心を探しに検索すると、ほとんどいいことみつかりません」と書かれていますね。本当にその通りだと思います。ネットは必要最低限の情報収集にとどめましょう。
身体の不調に関する不安を「怖いと思わないようにしよう」「受け入れなければならない」と思っても、怖さが募ってしまうのが今の心の事実。「仕事や家事で手足を動かしてはいるけれどまたふと考える自分がいます」とのこと。ふとまた考えてしまっては、またおそるおそる仕事や家事に戻り、できるだけそこで起きていることに目を向けていくようにしましょう。当面は行ったり来たりで。
そのためにも日記を始められているのはとても良いと思います。日記を書く時にも、仕事でのこと、生活の中でのことなどを一つでも二つでも具体的に書くとよいと思います。例えば電話を積極的に取るようにされているとのことなので、印象に残ったやり取りや伝えたことへの反応、自転車で通勤するときに気付いたことなど。せっかく頑張ったこと、感じたことを素通りしてしまわないようにするためにも書き留めていきましょう。
(塩路理恵子)
Mさんは胃腸とおしりに対するこだわりがあり、悩まれているとのことです。便の硬さをそこまで管理するのは難しいものです。悪いことばかりに意識を向けてしまうのでという理由で、ネットで調べるのはやめておられるのは良い判断ですね。
Mさんの「症状はひどいものではなく、たいしたことのない部類にもかかわらずキレたくない!という思いが固定されてしまった」「こんなことで悩んでばかみたいで涙が出てきます」という言葉から、森田先生の以下の言葉を思い出しました。
「気になることは気にしなくてはいけない」「気になるままにこれを忍受して、勉強なり、その他すべきことをして行けばよい」(森田正馬全集第4巻p46)
どんな些細なことに思えても自分にとっては大切なことです。ですから、気になるのは仕方ないのです。「ひどい状態じゃないんだし、こんなに小さなことにこだわるべきじゃない」「気にしたくない」という思いがMさんの中のどこかにないでしょうか。あって当然のものをなくそうとするところからとらわれが生じてきます。「大したことじゃないのに、こんなに悩んでしまう自分はおかしいのではないか」と悩む自分を否定することでよりとらわれてしまうというからくりです。
まずはきちんと悩むことです。そのうえで実生活の中で起こる具体的な不安を話し、検討する場所(治療)をぜひ持っていただきたいと思います。そうするなかでMさんは本当はどうしたいのか、どんなふうにしなくてはいけないと思っているのかなど、自分のこだわりポイントやこだわり方の特徴がより見えてくるはずです。本当に自分が思っている方法しかないのか等々具体的に検討しながら、アイデアを試していくことがMさんのおしりへのとらわれを緩め、自分へのこだわりを緩めていくのにとても役に立つと思います。
(矢野勝治)
Kさんは仕事やママ友関係で問題解決しても出てくる漠然とした不安をどうしたらよいかと試行錯誤される中で、森田療法の不安をそのままにしておくという考え方に興味を持たれて、こちらのホームページにたどり着かれたとのことです。
不安を無理に消そうとしてもなくならないこと、場合によってはむしろ不安が大きくなることを体験として学ばれたわけですね。
今も漠然とした不安が出て、落ち込むことがあるとのことですが、大変な状況を離れた後に、また起きたら嫌だななど、その時のことを振り返って時折考えてしまうことはよくあることで、極めて自然なことです。
それがどうしても受け入れがたいとすると、漠然とした不安が出てくるとなぜそんなに落ち着かなくなるのか、何が引っかかるのかをもう少し細かく見てみてください。
例えば、それは、
(1)ストレス源から離れたのに、まだ漠然とした不安が出てくることが気になるといった、完全主義的な期待からくる不安なのか、それとも、
(2)また同じような問題が起きたら困るといった予期不安から来る不安なのか、などです。
(1)の場合には、不安をゼロにしようとするのと同じ姿勢がうかがえます。
(2)の場合には、実際の状況としてはどうなのか、今現在の事実を一つ一つ見ていきましょう。
実際に火種になっていることがあるのか、自分の理解者はいるのか。
「もし」ではなく「実際」にどうかが大切です。不安の背後には自分の希望や欲求が隠れているはずです。その不安の背後にどんな気持ちがあるのかよく見つめてみてください。
(矢野勝治)