Eさんは、1年半ほど書き込みを続けてこられています。書き込みを始めたころは「心臓の動きを過剰に気にするようになり、慢性的なパニック発作が起こるようになった」こと、自分なりに森田療法を学び、わかってはいても常に症状の有無を考えてしまい抜け出せない苦しさを書き込んでおられました。これまでの経過を読むと、発作や不安が強い中でも、その都度「できること」を少しずつ実行されてきたご様子が伝わってきます。
そして専門学校をやめてから感じている「自立したい」という気持ちはとても大切な“生の欲望”です。一方で、その願いが強いほど「早く結果を出したい」「不安があるうちは行動できない」と焦りや自己を否定することにつながりやすい面もあります。あらためて「今できることをする」「できたことを認める」ことを続けましょう。行動の結果がすぐに自信や安定につながらなくても大丈夫です。これまでのように体験を丁寧に振り返り、気づきを言葉にして書き込んでいることも、回復の力になります。
さて今回は、シャワーを浴びる時に不安発作のようなものを起こすことが多かったけれど集中して作業に没頭した直後にシャワーを浴びると、普段とは違い、ほとんど動悸や息切れなどの症状を感じなかったという体験を書き込まれています。「神経症者と、健康的な生活をしている神経質な人の違いというのは、"何にとらわれるか"という違いがあるだけで、両者にはそこまで大きな違いがあるというわけではないのではない」との書き込み、とても大切な気づきですね。同じように「発作が起こらないように集中した後にシャワーするようにしよう」と構えてしまうと、とらわれてしまうこともあるかもしれませんが、少なくとも、「注意の向き方によって症状は変化するものなのだな」という実感を持たれたのだと思います。
シャワーを浴びた後の気持ちよさなどの身体の感覚や、髪や体を洗ってきれいになった、という事実も忘れずに受け止めましょう。これから寒さや乾燥に向かう時期ですので、身体を温めることや乾燥対策も大事にしてください。
そして一連の書き込みを見て、他の方の書き込みやアドバイスを積極的に取り入れており、Eさんはきっととても素直な方なのだろうな、と感じました。素直とはどうなのかな?と疑問に思ったりしながらも「とりあえずやってみる」姿勢です。素直さは回復につながります。これからもご自身の素直さを大切に、試行錯誤を続けてみてください。
(塩路理恵子)
Kさんは感染症にかかられて喉の狭窄や息ができなくなる感覚などを経験し、その後、様々な身体症状と強い不安に悩まされているとのことです。何かにひどく感染すると体調や生活リズムも大きく影響を受けますね。喉もずいぶん苦しかったのですね。
一通りの常識のある大人がめったにないほどに体調を崩した場合、簡単にただころっと忘れるということは少ないのではないでしょうか。そのことを会う人会う人に話したり、あれやこれやさんざんだと悪態をついたり、後悔や今度はこんな目に遭わないぞと備える気持ちが起こったり、いろんな反応があるでしょう。病気は不快で、場合によってはとても怖いものです。分別のある人なら怖れるのが自然ではないでしょうか。
不安へのとらわれをどうなくすことができるかという問いに対して、森田先生は不安そのものになりきることによって、その苦悩も心から流転し、消失すると言われています。
全集4巻の中に「なりきる」についての森田先生の患者さんとのやり取りがあります。それを喉のお話しに当てはめると、苦しいときは苦しいので苦しいと叫ぶ、苦しがる、楽になるためにできる限りのことをする、どうしてこんな苦しい目に合うことになったのかを振り返る気持ちが出てくる、自分の落ち度があればとことん悔しがる、人からもらった咳であれば同じ目に合わないようにどんな人と同席するか、周りを見回すようになる、そしてまた同じような病にかからない用心はどうしたらいいか理知的な工夫を考える。そういったことが順々に、またはこんがらがって起こり、心にむしゃくしゃの不快な気分を起こして苦しいが、単にその心のままになって忍んで受けていれば、感情の自然の経過により、一週間位すると忘れてしまうというような内容です。
非常に強い不安感に襲われたときも同じで「怖さになりきる」。それをこんな風に怖がるのはおかしいとか、怖い気持ちをしっかり受け止めないでいると、自分が実際に何を感じているのかはっきりしなくなって現実感が乏しくなったり、パニック発作を起こすことにつながるのだろうと思います。参考にしていただければ幸いです。
(矢野勝治)
Tさんは全般性不安障害と診断され、再発を繰り返されているということです。何度もうつや不安が強い状態を繰り返していて、とても焦っているお気持ちがよく伝わってきます。そして、特に「一人暮らしで、退職をしてしまった」ということを書かれていますね。「つい人に頼りすぎてしまうが、頼っていると余計に不安になる」ということです。人や社会とつながりながら生きていきたい気持ちと、一方で自分の足でしっかりと歩いていたい気持ち、どちらもしっかりとお持ちなのだろうと想像しております。
「社会的な現実の面では今の自分にできることから取り組んでいくことが必要」と気づいたと書かれていますね。神経症の方の抱える「理想の自分」と「現実の自分」のギャップを、森田療法では「思想の矛盾」と呼びます。一足飛びに「理想の自分」を目指そうとすると、「現実の自分」との差ばかりが目について、途方もないものに思え、ますます、その差にとらわれてしまいます。このため、「現実の自分」を基準に考えることをお勧めしています。今の「現実の自分」に無理なくできることで、ほんの一歩でも「理想の自分」に近づくためにできることを、焦らず、少しずつで良いのでやってみるのが、とても大切なことなのです。
そして、何かをやってみる際は、目の前のことにしっかりと集中するのが重要なことです。森田先生は、森田療法で重要な「作業」について「外形から見て単に仕事をするということとは違う」とおっしゃっています。そして「物事に当たって、これを見つめよ」と指導していたようです。どういうことかというと、「たとえばいま大工の仕事を見る。その手際に感心する。手伝ってみる。自分の不器用さがわかる。やり方を知る。工夫する。上達する」とたとえられています。ただこなすのではなく、目の前の事実をよく見つめて、工夫するということが、森田療法では勧められているのです。
今は不安や焦燥感でとてもつらい状態だと思いますが、繰り返しているということは、今までに二度もこの時期を乗り越えて回復しているということでもありますね。時間はかかるかもしれませんが、目の前のことを丁寧に、一歩ずつ進んでいただければと思います。焦らず、ご自身のペースで回復に向かわれることを、お祈りしています。
(黒瀬有里乃)
Aさんは、20数年落ち着いていたパニック症が再発したことをきっかけに、恐怖心、不眠に悩まれているとのことでした。これまでは三度の食事が美味しかったのが、再発後は喉を通らず、最近ようやく食事がとれるようになったと書かれています。とはいえ、このフォーラムで、同じような悩みを抱えている方との交流によって大分気持ちが落ち着かれた様子も書かれおり、ホッと致しました。やはり仲間の存在は支えになりますね。
そんな中で少々気になったのは、Aさんの日々の暮らし方です。朝は、にわとりの給餌と小屋の掃除、夕方は、にわとりの卵を回収し、犬の散歩をすると書かれており、とても自然に触れた健康的な生活なのですが、日中はずっとパソコンでYouTubeを見て、アルバイトがない日は以前から夜更かしをする毎日だったとのこと。それは果たして健康的な生活と言えるでしょうか?ご自身も「規則正しい生活が基本でしょうか?」と書かれていますが、まさに「その通り!」、規則正しい生活が健康への第一歩です。
パニック症の不安は、体調不良に加え、このまま死んでしまうのではないかといった不安です。まさに死の恐怖ということですね。それは、「生きたい」といった自然な欲求の裏返しでもあるのです。そうであるならば、「生きる」ために何を心がけたら良いでしょうか?寿命を知ることは不可能です。出来るのは、健康的な生活を心がけることでしょう。具体的には、一日中パソコンに張り付くのではなく、折角の一日をどのように過ごすのかを考えてみるのも良いかもしれません。何より、夜更かしは健康に大敵です。
Aさんも書かれているように、薬を飲みながら、少しずつ「やってみたいこと」に手を出し、生活に彩をつけていくことが大切でしょう。「突撃療法は聞いただけで恐怖」と書かれていますが、なにも「突撃」までする必要はありません。まずは、小さな一歩から、色々試してみることです。自分なりに振り返って、今日は○○が出来たな、良い時間だったな・・・と思えるような1日だったら、とても幸せなことですよね。いい日もあれば、そうでない日もある。それが日常です。
今年の夏は酷暑ですから、にわとりも辛いのではないでしょうか。少しでも小屋を涼しくして、にわとりが楽に過ごせるように、そして大きな卵を産めるように、Aさんが工夫できることもあるように思います。そうした工夫に、神経質を生かしていくと、日々の生活も生き生きしてくるのではないでしょうか。自然に触れる日々を存分に味わって頂ければと思います。
(久保田幹子)
Hさん、こんにちは。Hさんは、乗物恐怖と外出恐怖に悩んでおられるのですね。以前のように外出出来なくなるのではないかというのが一番の不安と書かれています。出かける際には、予期不安でいっぱいになるそうですが、受診や美容院など必要な場所に出かけることが出来ているとのこと。「大丈夫、不安があっても良い!」とか「天気はどうすることも出来ない。不安もどうすることも出来ない。」と思いながら行かれているのですね。不安とつき合いながら、外出したい気持ちに従って行動されているHさんの姿勢に、敬意を表します。
そのような中で、昨年末より五十肩になり、元来の神経質な性格から自分の内側に意識が向いてしまい、不安感と憂鬱感が生じているのですね。どんな感情も「あるがまま」に受け入れられるようになりたい、「さらりと流せる」ようになりたいという思いが書かれています。ここは、Hさん自身の外出に伴う不安とつき合う姿勢が活かされるところではないでしょうか。つまり、不安はあるがまま、生の欲望に従って行動するということです。
森田療法でいう「あるがまま」には、二つの側面があります。一つは「不安に対してあるがまま」という側面です。不安も境遇も思い通りにはならないものであって、不安はそのままに受け止めるより仕方ありません。もう一つは、「生の欲望に対してあるがまま」という側面です。不安が強いということは、背後にある生の欲望もそれだけ強いということです。不安を受け止めつつ、生の欲望に従って過ごしていくこと、不安も生の欲望も両方がありながら過ごしていかれることが「あるがまま」の姿勢です。「あるがまま」に関して、こちらの体験フォーラムの場もとても重要です。Hさんは、他の方とのやりとりを丁寧になさっていますね。コメントを素直に受け止め、多くの気づきを得られている様子。他の方の体験を聴くことで、「不安に思うのは自分だけではない」という感覚(平等観)が得られ、不安がありながら過ごしてみよう、という思いにも繋がっていきますね。
Hさんにおかれましては、五十肩の身体症状が気になり、不安感や憂鬱感が強いということは、それだけ健康で過ごしたい気持ちが強いということですね。自分の内側に意識が向いているとしたら、健康で過ごしたい気持ちに従って、 まずは目の前の目につくものに手を出していかれください。そうすることで、Hさんの思う健康な生活に少しでも近づいていくのではないかと思います。
(金子咲)
Sさん、こんにちは。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科の半田です。
11年もつらい症状と付き合って来られたのですね。色々な病気も重なり、合わない治療も多く、とても苦労されてきたのですね。しんどい時期もたくさんあったと思いますが、それでもなんとかここまでこられたのは、お書きになっているように「良く頑張った!」からですね。その真面目さは並大抵のものではないと思います。
ただ、一つ心配なことは、その真面目すぎる性格ゆえに、つらくても人には語らず、お一人で抱え込んでしまってはいないかということです。体力の低下もあり外に出て人と話す機会が減ってしまっているというのも気になるところです。この掲示板に投稿してくださったのも、もしかしたら「誰かに話したい」というお気持ちがあることに、どこかで気づいていたからなのでしょうか?
引き続き掲示板もご利用いただきつつ、体調の許す範囲で人に会いに出てみるといいのかもしれませんね。
Sさんが親しい方々と支え合いながら、病気とも付き合っていけるよう祈っております。
(半田航平)
Kさんは、現在、治療は開始されているものの、そこで処方された薬の効き目や、副作用のこと、治療の道筋、はたまた治るのかどうか、など堂々巡りの状態のようです。また、自分の中で何かひっかかる度に、不安な情報をネットで調べては更に落ち込み、先がみえなくなっている状況でもあるのですね。まさに、“不安が幾重にも膨らんでいく”とご自身で表現されているように、不安を解消しようとしてやっていることが、次の不安を呼びよせ、ますます不安になっているのでしょう。それはとてもつらく苦しい状況なのだろうと想像いたします。
Kさんがそれだけ不安になるということは、背後には健康でありたい、安心して生活を送りたいといった、いわゆる生の欲望があるがため。つまり、不安は欲望の裏返しであると理解できますし、お互い切り離せない関係だといえるでしょう。しかしその時に、不安にばかり着目し、それらを取り除こうとするほど、逆に不安にとらわれるというのは、森田療法で言うところの視野狭窄であり、悪循環と考えられます。ご本人の言葉を借りるのであれば、先が見えない状況と言えるでしょう。
しかし、本当に先が見えないのでしょうか。実は、見えないのではなく、そちらに光を当てていないから見えなくなっているだけなのかもしれません。
ルビンのツボをご存じですか?見方によっては壺にも見えるし、向かい合った二人の顔にも見えるという多義図形です。どこに焦点化するかで見えるものが変わってくるというのは本当に不思議です。現在、強く焦点化されているものはおそらく不安の存在なのでしょう。その背後にある生の欲望に焦点を当てたとしたら、どのようなものが浮き彫りになるでしょうか。そこにはきっとKさんが望むような生活が見えてくるはずです。不安はあって当たり前。それは、欲望を浮き彫りにするための存在でもあると受け止めつつ、どうぞ望む生活の方に焦点を合わせていただきたいと思います。
まずは、光をどこにあてるのか。きっと視野が広がり、見えるものが変わると思います。そこで見えてきた欲望に向けて時間や労力を注いでみていただきたいと思います。Kさん、応援しております。
(渡辺志帆)
Mさんは、様々な心配事があるとついネットで調べてしまうこと、調べることをやめた方がいいのか、ありのままだとしたら調べて不安になって不安のままにいた方がわからないことを書き込まれています。
今はインターネットやSNSさらにはAIが普及し、とても便利になった一方で、ともすると多すぎる情報に飲み込まれそうになってしまいますね。
森田療法とネット、一見距離がありそうですが、ネットとの付き合い方にも森田療法の「目的本位」「完全主義を緩める」の考え方が役に立つように思います。つまり検索で「何を知りたいのか」という目的を明確にした上で使うということです。このときにも、漠然と大きな言葉で検索するのでなく、なるべく具体的な言葉で検索語を入れるようにすると自分でも整理がつきやすいかもしれません。そして検索の結果についても「完全主義にならない」「納得するまでやらない」ことも大切です。
ただ、ネット検索は一言検索すると関連したことがらが次々と示されたり、おすすめに出てきたり・・とついついクリックを進めてしまいそうな状況になります。筆者も気が付いたら思いもよらない時間が経っていたようなことがしばしばあります。神経質の人の一部では過集中、つまり集中しすぎの状態になってしまうこともあります。「切り上げる」「時間を目安にする」ということが役に立つ場面です。
そして一番は「不安を消すために」検索をするのはやめた方がよい、ということでしょう。安心を求めて検索しても、完全に安心できるような情報に行き当たることはめったにないもの。Mさんも書かれているように、情報を探れば探るほどに不安になってしまいます。その場合は検索から距離を置いた方がよいでしょう。
試行錯誤しつつ、ネットと付き合っていきましょう。
(塩路理恵子)
Bさんは以前、PTSDとパニック障害と診断され薬物療法をうけていらっしゃいましたが、その後、身体の問題から現在は殆どの薬をやめ、現在は不安障害(心臓神経症)と診断されています。以前は頻回に脈拍を測定していましたが、現在は不安になると脈をはかってしまうものの、なんとか普通の生活を送っていらっしゃるようです。しかし、不眠もあって、夜中に身体の違和感から不安で脈をはかってしまうということがあり、なんとかそれをやめたいとフォーラムに参加されました。その後、ここのフォーラムを通じて、脈をはかることは減り、不安ながらに日常生活もおくられていました。
しかし、あるとき、Bさんは、3年以上ぶりに、ご友人と一緒に遠方まで出掛けようと準備までしたものの、様々な不安から当日キャンセルしてしまい、自己嫌悪と劣等感に苛まれ、その日はだるくて動けなくなってしまうということがありました。そして、今後、再び遠方まで行く予定があり、現在、不安が強くなっていると困っていらっしゃいます。
Bさん、不安ながらに少しずつ生活の幅を広げていらっしゃるようですね。よく頑張っていらっしゃいますね。以前、不整脈の治療の1つであるアブレーションをされたこともあるということですから、Bさんが心臓に対してより敏感になるのも当然だと思います。そして、一度旅行に行く直前に不安感が強くなって、体調が悪くなってキャンセルしたということがあれば、次の機会に「また、同じように体調が悪くなったらどうしよう」と不安も強くなるのも無理がないと思います。
ただ、先のことは分からないものです。旅行に行きたいから、今から体調に注意しようと心がけることは出来ます。しかし、残念ながら「必ず旅行に行けるようにしよう」とすることや「絶対に体調が悪くならないようにしよう」とすることは出来ませんよね。
Bさんが「遠方まで友人と出かけたい」という思いがあるように、私たちには「~したい」という大切な欲求があります。この欲求が「~しなくてはならない」あるいは「~してはならない」と変化して(森田療法でいう「かくあるべし」)、身構えてしまうと、窮屈になり、ますます不安も強くなってしまいます。ですから、Bさんがご自分でもおっしゃっているように、不安ながら、日常生活を、なすべきことをしていきながら、その日まで過ごしていくのが良いと思います。その中で、「感情の法則」を知っておくと、役立つかもしれません。
感情の法則とは「感情は放っておけば消えていく、感情は衝動を満たせば消失する、感情は慣れることでやわらぐ、感情は注意を向けると強くなる、体験が豊かな感情を育む」というものです。感情は自分でコントロールできるものではないので、そのまま感じ、放っておけば、時間とともにうすれて消えていきます。このように時間を味方につけながら、日常生活の中で、小さな「~したい」という気持ちを大切にしていってくださいね。応援しています。
(谷井一夫)
Oさんは1年前から不安とパニック障害があり、ここ1,2か月は電車と車に乗ると不安と冷や汗、唾や喉の閉塞感が気になり、いつまでとらわれていないといけないのかという怖さがあったとのことです。そんななか、先日出先で具合が悪くなり、帰宅するために電車に乗ってやると乗車したところ、嬉しさがこみあげてきて、「自分のやるべきことにひとつひとつ手を出していったら気分はどこかにいって、自然にまかせておけばいいか」と思われたとのことです。とても大事な体験をされましたね。
これはどんなことから来たうれしさだったのだと思いますか? 避けずに自分から立ち向かえたという感覚や、もう怯えたまま暮らさなくていいという感覚もあったでしょうか。いつまでとらわれていないといけないのかという感覚はパニック障害や思わぬ病を経験された方の多くが通られる道だと思います。あまりに衝撃的なことだった故に、似たようなことが起きないように留意し、また同じような感覚や関連した感覚に遭遇すると、大丈夫なのかという気持ちや、再発を防ぎたいと恐れる気持ちが生じます。とても自然な気持ちです。
嫌な気持ちや不快な状況を避けようとすると、気がつくと常に症状の有無をチェックしていたり、自分の価値を症状のあるなしで決めてしまうような「とらわれ」た状態になってしまう。今回の電車での一件は、そんな「とらわれた状態」から自分の必要なことを「実行する自分」へのシフトフォーカスの瞬間だったのかもしれませんね。
「恐れるままに不安のままに我慢していればよい」「いたずらにその恐怖を去ろうとし、苦痛から逃れようとするから思想の矛盾となり、思想の葛藤から強迫観念になる」(森田『神経衰弱と強迫観念の根治法(新版)』1995)
いろいろ工夫して、パニック発作が起きなくなっていたのに、そのあとでまたパニックのような状態が起きると、一体何をしたらなくなるんだと恐怖を感じることがあるかもしれません。でも、からくりは一緒ですから、「久しぶりに起きると○○と感じて怖いんだな」など自分の気持ちを認め、振り返りつつ、必要なことに手を出す生活を続けていってください。
(矢野勝治)