Mさんは、様々な心配事があるとついネットで調べてしまうこと、調べることをやめた方がいいのか、ありのままだとしたら調べて不安になって不安のままにいた方がわからないことを書き込まれています。
今はインターネットやSNSさらにはAIが普及し、とても便利になった一方で、ともすると多すぎる情報に飲み込まれそうになってしまいますね。
森田療法とネット、一見距離がありそうですが、ネットとの付き合い方にも森田療法の「目的本位」「完全主義を緩める」の考え方が役に立つように思います。つまり検索で「何を知りたいのか」という目的を明確にした上で使うということです。このときにも、漠然と大きな言葉で検索するのでなく、なるべく具体的な言葉で検索語を入れるようにすると自分でも整理がつきやすいかもしれません。そして検索の結果についても「完全主義にならない」「納得するまでやらない」ことも大切です。
ただ、ネット検索は一言検索すると関連したことがらが次々と示されたり、おすすめに出てきたり・・とついついクリックを進めてしまいそうな状況になります。筆者も気が付いたら思いもよらない時間が経っていたようなことがしばしばあります。神経質の人の一部では過集中、つまり集中しすぎの状態になってしまうこともあります。「切り上げる」「時間を目安にする」ということが役に立つ場面です。
そして一番は「不安を消すために」検索をするのはやめた方がよい、ということでしょう。安心を求めて検索しても、完全に安心できるような情報に行き当たることはめったにないもの。Mさんも書かれているように、情報を探れば探るほどに不安になってしまいます。その場合は検索から距離を置いた方がよいでしょう。
試行錯誤しつつ、ネットと付き合っていきましょう。
(塩路理恵子)
Bさんは以前、PTSDとパニック障害と診断され薬物療法をうけていらっしゃいましたが、その後、身体の問題から現在は殆どの薬をやめ、現在は不安障害(心臓神経症)と診断されています。以前は頻回に脈拍を測定していましたが、現在は不安になると脈をはかってしまうものの、なんとか普通の生活を送っていらっしゃるようです。しかし、不眠もあって、夜中に身体の違和感から不安で脈をはかってしまうということがあり、なんとかそれをやめたいとフォーラムに参加されました。その後、ここのフォーラムを通じて、脈をはかることは減り、不安ながらに日常生活もおくられていました。
しかし、あるとき、Bさんは、3年以上ぶりに、ご友人と一緒に遠方まで出掛けようと準備までしたものの、様々な不安から当日キャンセルしてしまい、自己嫌悪と劣等感に苛まれ、その日はだるくて動けなくなってしまうということがありました。そして、今後、再び遠方まで行く予定があり、現在、不安が強くなっていると困っていらっしゃいます。
Bさん、不安ながらに少しずつ生活の幅を広げていらっしゃるようですね。よく頑張っていらっしゃいますね。以前、不整脈の治療の1つであるアブレーションをされたこともあるということですから、Bさんが心臓に対してより敏感になるのも当然だと思います。そして、一度旅行に行く直前に不安感が強くなって、体調が悪くなってキャンセルしたということがあれば、次の機会に「また、同じように体調が悪くなったらどうしよう」と不安も強くなるのも無理がないと思います。
ただ、先のことは分からないものです。旅行に行きたいから、今から体調に注意しようと心がけることは出来ます。しかし、残念ながら「必ず旅行に行けるようにしよう」とすることや「絶対に体調が悪くならないようにしよう」とすることは出来ませんよね。
Bさんが「遠方まで友人と出かけたい」という思いがあるように、私たちには「~したい」という大切な欲求があります。この欲求が「~しなくてはならない」あるいは「~してはならない」と変化して(森田療法でいう「かくあるべし」)、身構えてしまうと、窮屈になり、ますます不安も強くなってしまいます。ですから、Bさんがご自分でもおっしゃっているように、不安ながら、日常生活を、なすべきことをしていきながら、その日まで過ごしていくのが良いと思います。その中で、「感情の法則」を知っておくと、役立つかもしれません。
感情の法則とは「感情は放っておけば消えていく、感情は衝動を満たせば消失する、感情は慣れることでやわらぐ、感情は注意を向けると強くなる、体験が豊かな感情を育む」というものです。感情は自分でコントロールできるものではないので、そのまま感じ、放っておけば、時間とともにうすれて消えていきます。このように時間を味方につけながら、日常生活の中で、小さな「~したい」という気持ちを大切にしていってくださいね。応援しています。
(谷井一夫)
Oさんは1年前から不安とパニック障害があり、ここ1,2か月は電車と車に乗ると不安と冷や汗、唾や喉の閉塞感が気になり、いつまでとらわれていないといけないのかという怖さがあったとのことです。そんななか、先日出先で具合が悪くなり、帰宅するために電車に乗ってやると乗車したところ、嬉しさがこみあげてきて、「自分のやるべきことにひとつひとつ手を出していったら気分はどこかにいって、自然にまかせておけばいいか」と思われたとのことです。とても大事な体験をされましたね。
これはどんなことから来たうれしさだったのだと思いますか? 避けずに自分から立ち向かえたという感覚や、もう怯えたまま暮らさなくていいという感覚もあったでしょうか。いつまでとらわれていないといけないのかという感覚はパニック障害や思わぬ病を経験された方の多くが通られる道だと思います。あまりに衝撃的なことだった故に、似たようなことが起きないように留意し、また同じような感覚や関連した感覚に遭遇すると、大丈夫なのかという気持ちや、再発を防ぎたいと恐れる気持ちが生じます。とても自然な気持ちです。
嫌な気持ちや不快な状況を避けようとすると、気がつくと常に症状の有無をチェックしていたり、自分の価値を症状のあるなしで決めてしまうような「とらわれ」た状態になってしまう。今回の電車での一件は、そんな「とらわれた状態」から自分の必要なことを「実行する自分」へのシフトフォーカスの瞬間だったのかもしれませんね。
「恐れるままに不安のままに我慢していればよい」「いたずらにその恐怖を去ろうとし、苦痛から逃れようとするから思想の矛盾となり、思想の葛藤から強迫観念になる」(森田『神経衰弱と強迫観念の根治法(新版)』1995)
いろいろ工夫して、パニック発作が起きなくなっていたのに、そのあとでまたパニックのような状態が起きると、一体何をしたらなくなるんだと恐怖を感じることがあるかもしれません。でも、からくりは一緒ですから、「久しぶりに起きると○○と感じて怖いんだな」など自分の気持ちを認め、振り返りつつ、必要なことに手を出す生活を続けていってください。
(矢野勝治)