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症状別アドバイス集

不安神経症の部屋

「待つこと・両面観」 '23.02 

Sさん。こんにちは。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科の半田と申します。

今までも、死の恐怖が高まっている時期に、何度か相談をされているのですね。死や死後のことを想像すると、とても怖くなる。それは、わざわざ改めてお示しする必要がないほどに、世界中の宗教や文化を見ても分かるように、広く人の心に共通するとても大きなテーマですね。死は、どうあがいたって、恐れざるをえない。

ですが、まず一つ言えるのは、死の恐怖をゼロにすることはできないけれど、その恐怖の強さには波がある、ということだと思います。投稿している時は恐怖が最高潮なのだと思いますが、投稿していない期間にはそこまでの強さではない時もあったのではないでしょうか。その波が、感情の自然な性質の一つです。なので、もし今恐怖に圧倒されているとしても、時間が経てばまた多少なりともクールダウンしてくると思います。そこでよくないのは、「今すぐ恐怖を無くしたい!」と思ってしまい、待てないこと。感情は、すぐに打ち消そうとすると、かえって長引くもの。風邪を引いたときに、忙しいからといって無理して働き回っていたら、結果こじらせてしまうようなものですね。今はすごく苦しいけれど、待ってみること(我慢するのとは違います)。それができるようになると、少しラクになるのではないかと思います。

それから、もう一つは、死の恐怖と生の欲望は二つの別のものというわけではなく、コインの裏表のように切り離せないものである、ということです。ご投稿に「日常生活での楽しみを感じて過ごしたいだけなのですが、楽しい時でさえも死の恐怖で打ち消すようになってしまいかなり辛いです」と書かれていますが、これは次のように見ることもできるのではないでしょうか。死の恐怖があるからこそ人生は楽しいのだ、と。たとえば、ゲームをしている時。プレイヤーの体力が無尽蔵で何をしてもゲームオーバーにならなかったら、それは楽しいでしょうか?あるいは、小説を読んでいる時。主人公が何の危険も障害もないまま結末に辿り着いてしまったら、それは面白いでしょうか?死の恐怖から逃れようとすることは、生きる喜びからも遠ざかろうとすることで、それはとてももったいないことなのではないかと思います。
(半田航平)

「緊張のままできることに安心がある」 '23.01 

Pさんは社交不安障害で長年悩んでいらして、今は人前で症状が出るのみにまで回復されているとのことで、森田療法についてもこれから理解を深めて生きやすい日々を送れたらとご自身の体験を含めて共有してくださいました。今は幼稚園での懇親会、自己紹介にも不安ながらも参加しようと考えていらっしゃるとのことですね。

子育てサロンでの経験は正に恐怖突入だと思います。いろいろな要素はあったと思いますが、その場に留まり自己紹介できたという事実を認めて、達成感を次への活力にしていらっしゃる姿勢が素晴らしいと思います。「自分はみんなより緊張しやすく、その症状を気にしやすいだけなのかもとおもいました」「緊張したからと言って死んだりしませんでした」ということも、経験したからこそ得られた感覚だと思います。

懇親会で逃げ出してもいいか、薬を使っていいか悩まれているとのことですね。いざとなれば逃げ出したりしても、薬を使っても大丈夫だと思います。ご自身がいなければ、順番が飛ばされるだけで、おそらく懇親会は問題なく終わりますし、またお話する機会もあると思います。ただ一度経験されたように、動悸がしたからと言って死んだりはしません。せっかくの機会ですから、参加されたらより素敵な経験になると思います。薬についてもお守り代わりにお使いになったらよいかと思います。ただ、参加できたとしたら、緊張したか、薬を使ったかどうかを物差しにせず、自分が踏みとどまったという事実を認めて、達成感を味わってみてください。

“不安即安心“という言葉があります。不安な気持ちを落ち着かせることに安心があるのではなく、落ち着かない心そのものでもできることに安心がある、という意味です。お子さんやご自身のために参加したいという気持ちを糧に、ぜひ不安、緊張を持ちながら、懇親会も参加されて、そのような経験を積み重ねてみられてはいかがでしょうか。Pさんの挑戦を応援しております。
(市川光)

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