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症状別アドバイス集

不安神経症の部屋

「不安と欲望」 '24.11 

Nさん、こんにちは。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神科の半田と申します。森田療法は分かりづらい言葉がたくさん出てきますね。分からないことを勇気を出して質問される姿勢は大変素晴らしいと思います。これからもこの掲示板をどんどんご活用ください。

ただ、すでにお気づきのように、分からないことや不安なことをなくすことにばかり躍起になってしまうと、よくないですね。私たちは、不安をなくすためだけに生きているわけではないはずです。もやもやを抱えながら、不安をなくすために費やしているエネルギーを本来やりたかったことに注げば、今よりもっといろいろなことができると思います。

人に安心感を抱くことが難しいと感じながらも勇気を出して質問できたNさんであれば、きっと大丈夫だと思います。今後益々のご活躍を祈っております。
(半田航平)

「「恐怖に突入する」思いで、一歩踏み出してみる」 '24.10 

Nさん、こんにちは。Nさんは、胃腸炎をきっかけに胃腸の不調が生じ、吐き気への恐怖が再燃して、外出が怖くなってしまったのですね。本来は遠出やライブに行くことが大好きで、頻繁に全国各地を飛び回ったりご友人と遊びにいかれたりされていたとのこと。胃腸症状の辛さはさることながら、Nさんにとって大好きな時間が過ごせなくなってしまったことはとても辛いですね。

実際に吐いてしまったことがあるかどうかは書かれていないので分からないのですが、嘔吐恐怖の方の多くは、「吐いてしまうのではないか」という予期不安から、不安が生じる場面を避けてしまうために生活範囲が狭くなってしまいます。Nさんにおかれましては、これまでになかった胃腸の不調が生じ、困惑し不安が強くなってしまうのは無理もないことですね。一方で、“胃腸の不調=嘔吐”と必要以上に結び付けてしまっていないでしょうか。調子が悪いのは事実、生じてしまっているものですが、実際に吐いてしまうかどうかは、そこへ行って過ごしてみないと分からないものです。

ところで、Nさんは胃腸症状が生じる以前に、元々嘔吐恐怖があったと書かれていますね。それでも出かけることが出来ていたのはなぜでしょうか。不安ながらも身体の感覚を頼りに「これくらいなら大丈夫」と思えていた面があったのかなと想像します。胃腸の不調も、同じことだと思います。「このくらいなら大丈夫」あるいは「このくらいだと休んだ方が良い」という身体の感覚は、実際に動いてみないと分からないものです。

しかし、いざ動いてみるのはとても勇気がいることですよね。そのような時に、後押しをしてくれる森田の言葉に次のようなものがあります。
「いわゆる『恐怖に突入する』と申しまして、毎日、あけくれ仕事にも読書にも、絶えず精神病のことを気にしているようにし、また発作のときは、すなわち手足がしびれるとか、頭がガンとして、気が遠くなるとかいう心持を、ジッと見つめているよう心がけていればよいのであります。・・・自分が精神病になりはせぬか、いまにも気を失いはせぬかと、思う心の少しでもある間は、けっして精神異常はおこさないということであります」。

嘔吐への恐怖も、ここでいう精神病や発作と同様です。じっと抱えつつ、“行きやすいところ”から行ってみてはいかがでしょう。そして、行ってみた時には、胃腸の不調や吐き気があるかないかに注目するのではなく、途中まででも行けたら〇(まる)、としてあげてください。そしてNさん自身がどう感じたかをしっかり受け止めてください。そのうちにNさんの本来の持ち味である行動力が、また少しずつ花開いていくのではないかと思います。Nさんが一歩を踏み出せるよう、陰ながら応援しています。
(金子咲)

「過去にあった事実を変えることはできない」 '24.09 

Wさんは機能不全家族の中で育ち、ネグレクトや暴力なども経験されました。以前は統合失調症と診断され、薬も飲んでいましたが、その後、自力で這い上がり、そのときに森田療法を知り、「今を生きる」ことから始めたそうです。現在はご両親とも離れて暮らし、現在のクリニックでは全般性不安障害とパニック発作の診断を受けているとのことです。現在は「もう一度私が行っていた場所に行きたい。好きな事をしたい。友人にも会いたい。他の場所に行きたい。出会いたい。もっと働きたい」という気持ちを持っていらっしゃいますが、昔のトラウマが邪魔をして、パニック発作がでるとのことで困っていらっしゃいます。

Wさん、本当に大変な生活を過ごされてきたのですね。よくその中で這い上がってきましたね。素晴らしいと思います。私たちは誰でも生きている中で、大変だった体験や2度としたくないような嫌な体験をすることがあります。何かにつけてその過去を思い出して、消してしまいたいと思うこともよくあると思います。しかし、残念ながら過去にあった事実はなくならないので、過去の体験を連想させられるような行動をするときは、やはりその過去の体験を思い出してしまうものだと思います。

Wさんはおそらく、「もう一度行っていた場所に行きたい。好きな事をしたい。友人にも会いたい。もっと働きたい」などと色々なことをやりたい気持ちがあるけれど、それらをしようとすると、嫌な過去を思い出して、しんどくなってしまうということだと思います。ただ、先ほども述べたように、過去の事実は変わらないので、過去の嫌な体験を無かったことのようにして、あるいはそれらを克服してから、やりたいことに取り組もうとするのは難しいのではないでしょうか。そして、Wさん、当然、過去の体験の辛さもありますが、現在のやりたいことができないという辛さやもどかしさもあると思います。過去と現在、変えることが出来る可能性があるのは現在のことです。

そうであるならば、過去の嫌な体験を思い出し、不安や不快な感情になりながらも、今、やりたいことに手を出してみてはどうでしょうか。最初は過去のことを思い出して、辛いと感じると思いますが、やりたいことに取り組む中で、その気持ちは変化していくかもしれません。大変な過去から這い上がってきたWさんであれば、少しずつ、やりたいことをやれるようになると思います。頑張ってくださいね。応援しています。
(谷井一夫)

「隣り合わせの不安と付き合いつつ」 '24.08 

Mさんは交通事故に遭い、その後から不安感が生じているとのことですね。常に不安が拭えず、普通に生活が出来ないとも書かれています。命に関わる出来事に遭遇したら、不安が生じるようになるのも自然なことかもしれません。それだけ怖い思いをされたのではないかと想像しますし、安心感が損なわれてしまう出来事だったのでしょう。

交通事故に合えば当然死の恐怖に直面しますが、それは生きたいがため。まさに生の欲望です。また、事故にあったことをきっかけに、いつ何が起こるかわからないといった不安も強まったのでしょう。しかし、考えてみれば、私達はいつ何が起こるかわからない不安と隣り合わせに生きています。生きていれば災害や事故に見舞われることだってあるかもしれません。だけど、不安なことばかり考えながら生きているでしょうか。不安と隣り合わせであったとしても、少なくとも今、生きている時間を存分に楽しみながら充実させることもできるはずです。

普通の生活が送れないと書かれていますが、もし、不安中心で生活が狭められているとしたら、それは味気ないものになってしまいそうです。

Mさんの具体的な不安一つに、高齢の母が亡くなったらどうしようという不安が書かれています。いつか別れの時がくる、これは誰しも経験する別離の苦しみです。別れを惜しみ、悩み苦しむのはそれだけ大事な存在たからこそ。であるならば、亡くなってしまう不安はありつつも、大事なことは今一緒にいられる時間をどう過ごすか、大事なお母様のために何が出来るのかという事なのではないでしょうか。お母様と会話や食事を楽しむなど、何か工夫が出来るところはないでしょうか。

不安と隣り合わせだったとしても、限りある時間をどのように過ごすか。ここに生の欲望を活かしつつ、今を充実させる方向にエネルギーを注いでいきたいですね。きっと、お母様もMさんが充実した人生を送ることを願っているはずです。私も応援しています。
(渡辺志帆)

「薬物療法とつきあうこと」 '24.07 

Yさんは、「不安神経症です、足の手術をきっかけに抗不安剤が効かなくなりました。薬なしでも治すことはできるのでしょうか?」と書き込まれています。

手術というのは体にも気持ちにも大きな負担になるものです。手術を受ける前も不安だったでしょうし、手術後も手術の影響に加えて「手術をする選択でよかったのだろうか」という不安も加わっているのですね。そして「今の自分の体調ではやっていかれないのではないか」という不安から悪循環が起きているのではないでしょうか。「手術前はやりたいことがたくさんあったのですが、今は不安なのでできるかわかりません」とも書かれており、手術が終わったらやりたいと思っていたことがたくさんあったこと、不安の裏の「やりたい」という思いが伝わってきます。

さて、森田療法では薬物療法は生活がしやすく、行動を広げるための補助として味方につけるもの、と位置付けられます。山登りの杖などにも喩えられます。杖は歩きやすくはしてくれますが、歩くのは自分の足です。Yさんにとっては今はその補助がうまく働いてくれない状況なのですね。それまで効いていた薬が効かないというのは不安になりますね。「今まで抗不安薬がとても効いていたので、不安が押し寄せてくるとどうにかして無くそうとしている自分に気が付きました」と書かれているように、起きてくる不安を焦って消そうとすることで、不安はますます強くなってしまいます。

一方、薬物療法についても、服薬をするかしないかという二択で考えてしまうと、「0か100か」になってしまい、薬物療法についても完ぺき主義になってしまったり、「(薬のことは)いったん置いておく」ことが難しくなってしまったりします。

今のYさんのようにこれまでの薬が効きにくくなっているときには、「当面こうやっていこう」という決め方をするとよいと思います。当面とは、3ヶ月、半年くらいのスパンになるでしょうか。例えば、「3ヶ月は薬を使わないで不安とつきあってみよう」など。

ご自身でも「朝起きたときから今日は大丈夫かとチェックをして余計不安になります」と気が付かれているのですね。チェックはひとまず止めて、手のつくところからまずは手を動かしてみましょう。「家族にも迷惑をかけるかもしれませんが、今はしょうがありませんよね」とも書かれています。もしかしたらこれまであまりご家族の力を借りずに頑張ってこられたのかもしれませんね。今回ご家族の力を借りることは、「迷惑」ではなく、これまでとは違う頼り方をするチャンスかもしれないですよね。

また、不安症の薬物療法は抗不安薬だけが選択枝ではありませんので、処方して下さっている主治医の先生とよく相談して、検討していくとよいと思います。合う薬を見つけるのにもある程度の試行錯誤と時間は必要になります。薬をめぐる考えや気持ち、服薬をめぐる不安も、しっかり話合うことも大切です。その際も服薬の試行錯誤と、不安と付き合う試行錯誤は同時並行で行うことを忘れずに。

ご自身に合う進め方を試行錯誤していきましょう。
(塩路理恵子)

「話すことの重要性。過去への「とらわれ」からの脱却を目指して」 '24.06 

H様、症状で色々辛そうですね。担当医の先生、誠実に診断名を当初から変更になった旨を聞けて良かったと思います。当初一過性にうつのように見えても経過からすると不安がメインと主治医は判断したのだと思いました。

H様、過去の体験辛そうですね。不安や様々な感情を抱えつつ生活を実践する森田療法を実践というより、まずは過去の色々嫌な体験を第三者(精神科医あるいは公認心理師)へ話すことが大事と思います。ご自身が話したい気持ちのタイミングで良いです。無理して「語らなければ」と思わなくて大丈夫です。

ある程度過去の体験を話し整理した上でですが、次第に原因探しから思考を変えていく必要があります。心的外傷後ストレス障害(PTSD)といったような、明らかな自然災害や暴力、戦争などの体験から症状が出る場合もあります。しかし多くの不安障害の場合、原因が特定できず悪循環を起こしている場合も多いです。

原因を探してそれを解決すれば良いという発想は身体医学の発想です。例えば新型コロナウイルス感染症になり発熱するなどです。こういった原因追及モデルと言った身体医学・西洋医学の発想から離れ、過去への「とらわれ」からいかに脱却するかといった方向へ考え方をシフトしていくことが重要です。原因追及モデルでは、自らのマイナス面へばかり注意が向いてしまい、ご自身の健康な面への注意がそがれてしまいます。

不安を持つと言うことはその裏に「~したい」欲求が隠れているからと思います。H様が本来「~したい」ことを発掘し、それを発揮していけばおのずと不安は軽減してくると思います。マイナス面にばかり目を向けず健康な力に着眼しそれを伸ばす、これが森田療法の考え方です。

以上の観点を取り入れられる範囲で取り入れていただければと思います。どうかお大事にして下さい。
(舘野歩)

「もっとよくばりましょう」 '24.05 

Nさん、はじめまして。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科の半田と申します。

きっかけは、転職、手術、子育ての悩みが重なったことだったんですね。さらっと書かれていますが、一つずつ来たとしてもかなり心に負担のかかる悩みだったのではないかと思います。それがこれだけ同時に重なったのですから、それはとてもきつかったですね。ご自身の中では現状に不満でいっぱいかもしれませんが、むしろよくここまで乗り越えてこられたなと感心しながら拝見しておりました。お仕事も復帰され、お子さんも新しい環境に慣れてきて、働きながら(旦那さんからのサポートが足りない中で!)子育て・家事もされているのですから、本当によくがんばっていらっしゃるのだなということは、よく分かります。

そして、それだけの努力ができてしまうのは、お気づきになられているように、それだけ欲が深いからですね。「働きたいのです。それでいて、子どもと楽しむ時間も捨てたくないのです」。大いに結構だと思います。むしろ、もっとよくばっていいです。旦那さんに遠慮して、言いたいことを胸の内にしまいこんでいませんか?職場に対しても、しっかりと成果を出しているのだから、プライベートの時間と両立できるようもっと要求してもいいかもしれません。もちろん、言うは易しで、実際に仕事と家庭のバランスをとることは簡単なことではありません。ですが、よくばる気持ちを忘れずに、悩みながら時間をかけて試行錯誤していけば、きっとNさんらしい生き方が拓けてくると思います。
(半田航平)

「予期不安との付き合い方」 '24.04 

Mさんは長い間パニック発作に苦しまれ、現在は発作自体は出ていないものの、予期不安が続いており辛い状態と書かれていました。パニック障害の場合、このまま死んでしまうのではないか、といった強い恐怖に襲われるため、またあの苦しみがやってきたらどうしようと予期不安にさいなまれる人は少なくありません。Mさんも書かれているような「予期することのできない恐怖」であると同時に、そこで対応できないことへの不安、つまりコントロールを失う恐怖と言えます。それゆえ、必死に不安・恐怖を事前に避けようと身構えることになってしまいます。とはいえ、事前に全ての不安・恐怖を察知し、それを避けることは出来ません。万全を求め、不安・恐怖を必死に避けようとすればするほど、逆に少しの不安・身体の異変にも敏感になって、それを強めてしまうことになります。まさに安心を求めていたものが、逆の方向に働いてしまうわけですね。きっとMさんも、こうした悪循環(とらわれ)から抜け出そうと、必死に過ごされてきたのだと思います。

予期不安は、安全・安心を求めるがゆえに生じるものですから、それ自体をなくすことは困難です。ただ、もしかしたら~、とあれこれ悪い結果を想像し、実際以上に不安を大きくしているかもしれません。事実、不安なままに行動してみると、案外大丈夫だった、何とかなったという経験をした方も多いのです。そうした体験を積み重ねることによって、対応出来ないと思っていた頼りない自分を、少しずつ信じ、頼れるようになっていくのです。つまり、予期不安をなくすのではなく、不安になっても何とか対応できる自分を育てていくということです。

Mさんの場合、ご自身のパニック発作は急に発生するのではなく、精神が不安になり追い詰められた結果、逃げ場がなくなり発生すると書かれていました。では、その時にMさんが感じている不安とはどのような不安なのでしょうか?どうなることを心配されて追い詰められるのでしょうか。先に書いたように、パニック症の予期不安は、コントロールできないことへの不安と言えます。Mさんが不安になって追い詰められる時とは、目の前の不安材料を何とか解決しようともがいている時ではないでしょうか。確かに問題を解決しようとする姿勢は大切です。しかし直ぐに答えが出ないことまでも解決しようとすれば、逆に行き詰ってしまいます。すぐに解決できる(できそう)なことと、できないことをまずは分けてみましょう。そして直ぐに答えが出ないことは、一旦脇に置いて様子を見てみることです。そうすることで、追い詰められる感覚は緩和されるかもしれません。Mさんが恐れている不安とは、予期できるか否かの問題ではなく、そこからすぐに抜け出そうとするか否かの姿勢によって強まっているように思います。不安は、「~ありたい」という願望がある証です。不安の解決を急がず、そんな中でも自分が出来そうなことに手を出してみましょう。真向勝負ではなく、かわしていくような感覚でやってみると、違う出口が見つかるように思います。
(久保田幹子)

「「いつか死ぬんだ」という考えがこびりつくこと」 '24.03 

Gさんは、一カ月ほど前から急にいろいろなことが不安になるようになり、特に「いつか死ぬんだ」という考えが頭から離れず不安になることを書き込まれています。

命あるものはいずれ死を迎える、ということは生きとし生けるものの普遍的な真実であり、昔から偉大な哲学者も頭を悩ませてきたこと。

ひとは生活を送る中で、そのことを考えたり、背景に溶け込むようにあまり意識をせずに過ごせたりしているのでしょう。恐ろしさがまざまざと感じられているときには、「他の人はどうして平気な顔をして生活しているのだろう」とさえ感じられるかもしれません。「生きること」に対する思いが強い時期ほど、その不安は強く現れてくるものかもしれませんね。

森田先生自身も幼いころに近くのお寺で恐ろしい地獄絵を見てから、死の恐怖がこびりついて苦しんだことが知られています。

森田先生は「まず私自身の自覚について、一例を挙げてみれば、私にとっては死ということは、いかなる場合、いかなる条件にも、常に必ず絶対的に恐ろしいものである。私はたとえ私が百二十五歳まで生きたとしても、そのときに死が恐ろしくなくなることは、けっしてないということを予言できる。」とまで書かれています。そして、「死ぬのは恐ろしい」ということを明らかに知ってからは神経質の症状から離れる、けれども苦しんでいる最中には、それは「嘘のような法螺のような話」であることも理解されているのです。Gさんも「死ぬときに後悔したくない。それも重々承知しています。それでもいつか必ず来る死が怖くてたまらんのです。」と書かれていますね。

「楽しいことをしているはずなのに、『いつか死ぬんだ』という考えが頭にこびりついて・・」とのこと、なんとか動くことも続けておられるのですね。こうした悩みを持っているとき、「以前と同じように楽しめるべき」とするのは、自分に対する無理な注文になってしまいます。「楽しめたかどうか」を測りすぎず、そうした「〇〇をやった」という事実を認めていく(不安からスルーしてしまわない)ことを積み重ねましょう。

書き込みを読みますと、一カ月ほど前からの急な不安の一つとして死について考えからくる不安があるとのこと。心療内科でのお薬のことも書かれていますので、主治医の先生ともよくご相談しながら進めてください。
(塩路理恵子)

「デイケアやサポートサービスの利用も考えて」 '24.02 

Eさんはからだのだるさ、不安がなかなか取れずに辛いとのことです。またお仕事もできないためこれからの生活に不安だらけと書かれています。

Eさんには心身の両方を見てくださる主治医や、具体的に日常の生活について相談する相手はいらっしゃいますか。身体の不調がなぜ続いているのか、精神的なものというのはどのような状況から生じてきているのかを良く診てもらい、その診断のもとに、Eさんが体調と付きあいながら、どのように生活を立て直していったらよいかを相談できる場所が必要なように感じます。

日常生活の安定や社会復帰を目的とした通所型のリハビリテーション施設(精神科デイケア)もよいかもしれません。症状との付き合い方や生活リズムの改善の仕方、対人コミュニケーションの向上などその人の状況に合わせて計画を立て、その過程をサポートしてくれます。施設によって異なりますが、医師・作業療法士・精神保健福祉士・心理士・看護師などスタッフも多職種で構成されている場合が多いので、生活や症状のことも相談しやすく安心ではないかと思います。主治医や病院のソーシャルワーカー、または地域の精神保健センターで相談し、受けられるサービスやサポートを利用して自分の生活を組み立てることを考えてみてください。相談し、動き出してみると自分の気持ちや不安も違ってくるはずです。
(矢野勝治)

「突然の病気重症化不安」 '24.01 

Kさんは薬の副作用をきっかけに、強い不安と恐怖心に悩まされ、体重減少や無気力などうつ症状にも悩まされているとのことです。それだけ体重も減り、体力も落ちると、身体も頭も思うように動かず、本当にお辛いことだと思います。そんな中、簡単な家事と、毎日ウォーキングと外出を続けておられるのはとても大事なことですね。

森田先生は死への恐怖を持つ患者さんの治療についてこんな風に述べられています(『療法』第8章「神経質の療法」より)。「死を恐れるのは人情である。ただ発作の時はじっと耐えて必死になって恐れていれば良い。死は余(医者)に任せて置いて家族に大騒ぎをさせてはならない」。死は誰にとっても怖いものである。発作が起こって怖くなった時にはじっと耐えて恐れていること、人の助けを借りずに発作が経過するのを待つこと、容体を家人に訴えず、自分で抱えていくことが病気を軽快させるうえで極めて有効であるとしています。

一人で行動できるようになりたい、家族に迷惑をかけたくないと思われているKさんにとっては大きな指針になるのではないでしょうか。

一方で、それがあまりにも現在の状況で厳しく、ご本人ご家族の疲弊だけが増すようであれば、主治医の先生と相談されて、一旦入院治療を検討してもよいかと思います。身体が疲弊しきって落ち着かない状態で、いくら自分でやってみようと思っても難しいこともあるかもしれません。入院には勇気がいるかもしれませんが、身を任せて治療を受け、しっかり休息することで、心身ともに回復をすることは恐怖心と付き合う上でもとても大切な基礎になると思います。この場合の入院は森田先生のおっしゃる病気の専門家である医師にまずは治療を任せるというところにもつながると思います。

いずれにしても、これまでの検診の結果で病気が大きく悪化していない事実、そして、診断の結果を恐れるがゆえに緊張が高まり、身体の不調が増しているからくりを理解して、今どんな風に時間を過ごすことが自分と家族にとって一番後悔がないかを考えてみてください。
(矢野勝治)

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