Mさんは、高校生のころから繰り返すうつ症状があり、元気に過ごせるときもあるけれど、40代まで症状に悩んでこられたこと、季節によっても体調を崩しやすいことを書き込まれています。それだけの間症状を持ちながらも仕事を頑張ってこられたこと、さらに出産・育児にと頑張っておられること、本当にすごいことだと思います。
お子さんと会える日を本当に楽しみにしていたのですね。それだけに、「可愛いでしょう?」と聞かれるたびにきつい思いがすること、つらく感じられてきたことと思います。けれども、こんなにもきつい中での育児、「いつでも心から可愛いと思えなければならない」というのは、無理なこと。森田先生流の喩えでいえば、ご馳走だったら胃腸の調子が悪くても美味しいと感じるべき、というようなものです。きついな、しんどいな、と思いながらでもよいのですよね。
さて、Mさんは「よく60%で満足するようにといわれますが、何かコツがあるでしょうか?」とも、書かれています。自分の達成感を基準にすると、ともすると基準を高く設定してしまいがちになります。そこで達成感を基準にせず、作業の量、時間で決めるのもよいでしょう。たとえば、ある時刻には切り上げるようにする、など。熱中しやすく時間の経過に気づきにくいときには、アラームや耳に障らない音楽CDなどを使うのも一法です。また気になって戻ってしまうことがあるとしても、目や手をいったん離すことも大事。「動けるときにやっておかないと」で動くことも控えましょう。そしてやれなかった思うときの罪悪感に引っ張られて動いてしまわないようにすることも大切です。「振り返ってみて、ああ、やり過ぎなければ良かったと思うことの繰り返しです」とのこと。そうしたご自分の癖に気づいていること自体も大事なことです。ただ、うつの人は頑張るときについそれを忘れて熱中してしまうということもおこりがち。気づいたときに、無理をしてしまうときのサインなどを書き留めたり、気づきやすくしておくのもよいでしょう。
お子さんのことでは、どうしてもその時でないと、ということもあると思いますが(その時も完ぺき主義にならずに)、午前中などつらいときは小さな部分の掃除や座って休み休みできる作業をするなど、体調と付き合いながらできることに手をつけていきましょう。そしてご自身でも書かれているように、周りの人にも頼ることを取り入れながら、やってみてください。
(塩路恵理子)
S様、永年双極性障害、社交不安障害、強迫性障害とのことお辛そうですね。
ここではまずうつ状態に応じた森田療法を活かした対応を述べますね。
うつ病の米国DSM-5診断基準を照らすと、
(1)抑うつ気分(憂鬱な気持ち)、または
(2)興味または喜びの喪失のうち少なくとも一つは存在し、
(3)体重の変化、
(4)ほとんど毎日の不眠か過眠、
(5)ほとんど毎日のいらいらまたは行動の抑制がかかる、
(6)ほとんど毎日の疲労感、
(7)ほとんど毎日の無価値観、または罪責感、
(8)集中力の低下、
のうち5つが同じ二週間に存在していることが基準になっています。
これを満たすようであれば、うつ状態からくる否定的な思考があるのではないかと思います。きちんと抗うつ薬を使用し無理をしない方が良いでしょう。回復の過程は個人差がありますが、以上の症状が少しずつ階段を上がるように回復していきます。
我々は患者さんに「今どのくらいの回復度合いですか」と訪ね、パーセント(%)で表現してもらうようにしています。症状がでそろっているいわゆる「極期の過ごし方」は、「果報は寝て待て」が大事になります。簡単に言うと家でごろごろしていて良いわけです。
30%前後から50%くらい、「回復前期」の時は、「毎日の中での変動が目立つ」のですが「どん底を過ぎれば必ず回復が訪れる」と思っていて下さい。この時期は「疲労感」を主な基準として、疲労感が強い時は休息し、軽い時は手をつけやすいところから手をつけていきましょう。これが「臨機応変」という対応です。また「感じから出発する」のが大事です。何かしたい気持ちがあればそれを少しずつ行動に移して疲れたらまた休んで良い訳です。
本来の状態の60~70%くらいまで回復してきたら、生活リズムを規則正しくして生活を整えて行く、「外相を整える」ことが大事になってきます。また、今までの自分の生き方を見直す時期でもあります。「かくあるべし」といった思考にとらわれず現状の中で出来ることをしていくことが大事になります。
また双極性感情障害のうつ病相の再発について述べます。うつ病が回復したときに、完璧主義やいわゆる「過適応」に動いてしまうと、うつ病を再発してしまう場合があります。ですので、うつから抜け出した後の生活の仕方、対人関係でいかに「こうあるべき思考」を緩めることが大事かと思います。
最後に不安が嵐のように来てお辛そうなので森田療法での感情の法則をいくつか述べます。
1:感情はそのままに放任し、あるいは自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ついには消失します。
2:感情はその感覚になれるに従い、その鋭さを失い、次第に感じなくなっていきます。
3:感情はその刺激が継続して起きる時と、注意をそれに集中する時にますます強くなります。
要点は、人間の感情は自然であり、自己の感情の事実に対する認知と受容が重要です。大変と思いますがお大事になさってください。
(舘野歩)
Dさん、はじめまして。東京慈恵会医科大学附属第三病院精神神経科の半田と申します。
色々な悩みがあり、しかも日によって変動も大きいようですね。頭の中で絶えず色々な考えがぐるぐるしていると、疲れて動けなくなってしまう時もありますね。それが極端な時は、自律神経症状となって体に表れることもあるようですね。
書き込んでいただいた内容だけから判断することは難しく憶測にすぎませんが、もしかしたら「ぐるぐる思考」は考え過ぎて疲れてしまうというデメリットもありつつも、他の人には真似できないようなDさんの才能でもあるのかもしれません。もちろん誰にでもある程度の「ぐるぐる思考」はあるのですが、急に糸が切れたように動けなくなったり、体の症状が出たりするほど、限界ぎりぎりまで自分を追い込める人はそう多くないように思います。そのあたりの能力が、自営業のお仕事をされているということですが、何か専門的な技能として発揮されていたりしたらいいなぁと思います。
また、体調がいい時はそのままでいいと思いますが、一方で体の症状が出ている時は、それは体が発している「休んだ方がいいですよ」のサインなのかもしれません。その時は、主治医の先生のおっしゃるように少し休むとよいでしょう。
Dさんが自分らしく輝ける日々が続いていくことを祈っております。
(半田航平)
Cさんは、心を開いて話せる友達が欲しいが、本音を伝えたり相談することが出来ないことに悩んでおり、このサイトの中で練習をしたいと書かれていました。悩みの根源も含め、ご自身の弱点を隠したい、恥ずかしいという気持ちがあるので、主治医にも症状を捻じ曲げて伝えてしまい、誤解されていたかもしれないと振り返っておられます。
本来は悩みを解決したかったにもかかわらず、素直に困り事を話せなかったCさんが、こうして自分自身を振り返り、言葉にして表現していること自体が、これまでとは異なる大きな一歩になっているように思います。
Cさんが、気軽に相談したいと思いつつ心を開けなかったのは、ご自身も書いているように「こういう話をすれば変に思われたり、弱い人間だと思われるかもしれない」と考えてしまうからですよね。言い換えれば、弱さを見せることに対する不安が強いということだと思いますが、その背後には“強くあらねばならない”“自分は~あるべき”といった高い理想や厳しさがあるのではないでしょうか。
人間には、誰にでも長所もあれば短所もあります。森田は、悩みから脱することが出来ない人のことを「自分の殻に閉じこもり、城壁を築いて、なかなか自分のことを発表することができない。自分のような特殊なものは、世の中にないと、ことさらに差別観を立てて頑張っている」と記しています。そして治った人は「恥ずかしいことは恥ずかしい、苦しいことは苦しい。世の中は、誰でも同様である、という事実を認めることができて、平等観に立つことができる」者と述べています。
Cさんの書き込みを拝見すると、自分だけが特殊と決めつけてしまっているようにも思います。「きっと~思われるに違いない」と先取りしてしまっては、心を開くことも怖くなるでしょうし、相手が同じ人間で、同じように感じることがある、という事実も見えなくなってしまうのではないでしょうか。個人的な内容をサイトに書き込む必要はありませんが、まずは相談をしたいと思っていた主治医に対して、素直に伝えてみたらどうでしょうか。頑なに蓋をしていたことが、案外、普通のことだったという事実に気づくかもしれません。
折角、ご自身を振り返り、このサイトに表現する一歩を踏み出したのですから、あともう一歩です。
(久保田幹子)
Mさんは、「今まで、恥ずかしがり屋であることを見破られないようにばかりを考えて生きてきたように思います。これからは、あるがままで生きる、ことにします。」と書き込まれています。
森田先生は「現在になりきる」「苦痛になりきる」など、折に触れて「なりきる」という言葉を書いておられます。その中で「弱くなりきる」ことについて書いておられますので、少し長くなりますが引用します。「(赤面恐怖の人に向けて)自分が小さい、劣等である、どうにもしかたがないと、行きづまったときに、そこに工夫も方法も、尽き果てて、弱くなりきるということになる。このときに自分の境遇上、ある場合に行くべきところ、しなければならぬことなどに対して、静かにこれを見つめて、しかたなく、思いきってこれを実行する。・・すなわち「弱くなりきる」ということは、人前でどんな態度をとればよいかという工夫の尽き果てたときであって、そこにはじめて、突破、窮達ということがあるのである」といいます。
緊張すると、ともすると「恥ずかしがり屋と見られてはいけない」「見破られないように」と構えて自分に注意が向いてしまいがちですが、Mさんも、「空元気」ではなく、恥ずかしがり屋の自分のままで、お仕事で関わる相手の人にとって必要なことを考え伝えておられるのですね。長年素晴らしいお仕事に取り組まれてきたことを書かれていますが、悩み苦しい思いを抱えながら粘ってきた時間でもあったことでしょう。「運動は、身体的改善に効果があるだけでなく、精神的改善にも効果があると思います。」という言葉はお仕事の実体験からくる、重みのある言葉ですね。
ぜひ、実際に当たる生活、続けていってください。
(塩路理恵子)
Kさんは昨年会議で厳しい発言を受ける機会が多発し、動悸・不安感が続き、現在一ヶ月の休職中とのことです。医師から森田療法を勧められ、80%で生きていく練習をしてくださいとアドバイスを受けたものの、完璧主義の自覚もなく、80%の練習をどうしたらよいかわからないと書かれています。
Kさんの100%と、症状の改善のなさには関係がありそうだというのが主治医の診立てなのですね。
厳しい発言への対応が求められることが続くというのはかなり大変な状況ですね。症状の改善と再発の防止のためには、薬物療法に加えて、症状のきっかけや、症状の継続要因について検討し、自分について理解を深めていくことが必要です。無理をしている自覚があまりない場合、一人ではなかなか振り返りにくいので、できたら専門家を相手に振り返り、検討することができると一番良いと思います。通われている医療機関のカウンセリングや、またどこに相談して良いかわからない場合には、メンタルヘルス岡本記念財団が行っている無料オンライン相談を利用してみられるのもよいかもしれません。厳しい発言はどんなことで起きていたのか、それに対してどんな思いや考えが湧いていたのか、その間どのように対応・行動していたのか、具体的にどのような苦労があったのか、そういったことを具体的に振り返り捉えていく中で、どんなところに無理が行っていたか、どこを緩め削っていくことが必要か、が具体化されてくるはずです。Kさんは100%のどんなところが好きなのか、どんな行動・対応が100%なのか、そして100%が自分の達したい目標に達する助けになっているかといった点も大事な問いです。
今、里帰り出産中の娘さんとお孫さんの面倒も見られているのでしょうか。体調不良の背景には、いろいろな役割をやりくりする中での身体・心理的な負担の影響もあるかもしれませんね。動悸や不安感が続くのは自分の精神力の弱さや能力不足ではなく、身体がSOSを教えてくれているのかもしれません。自分の仕事の仕方や人への気の配り方、自分自身のケアの仕方など今の自分の生活のスタイルを具体的に振り返り、より無理のない生活のスタイルへの転換(または微調整)の機会となることを願っています。
(矢野勝治)
Aさんは昨年パニック障害が再発し、予期不安に苦しみ、電車や外食ができないことに困られているとのことでした。書き込みから拝見するAさんの強みの一つは、周りからのアドバイスに対してオープンで、自分がこれと思われたアイデアをすぐに試してやってみる力ですね。
そしてこの体験フォーラムで得た「目先のことに集中する」を試していかれた結果、電車にも乗ることができたとのことです。積み重ねが生んだ大きな一歩ですね。
今は既読無視があると、いつ返事が来るか気になって、返事が来るまで何もできなくなってしまうとのことです。返信を期待して出したメールに、返事がないと、気になるのは当然ですね。でもこれも予期不安との付き合い方と同じです。気にしながら「目先のことに集中する」。そして、もう一つ大切なのは、人とのやり取りが思うようにいかない理由をすべてを自分に紐づけて考えないことです。ご知人は調子を崩しているのかもしれないし、何か忙しいのかもしれない。あなたのことは考えているかもしれないけれど、すぐに返信できない状態にあるのかもしれないのです。そして他意はないけれども、忙しくしているうちにうっかり返信をし忘れるということもあるかもしれません。そういった理解をした上で、話したいことがあったり、どうしても気になるようなら、しばらくしてからまたこちらからメールを出して相手の様子を聞いてみる。そんな形で対応してみるのはいかがでしょうか。
(矢野勝治)