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症状別アドバイス集

その他の部屋・2007年

「困っています」 '07.12

  • ★Q:質問
  • 私は家族と一緒に住んで家族と働いています。趣味の材料(ステンドグラス関係)を輸入卸販売しているのですが、従業員は家族だけという非常に閉鎖的な環境で、お客さんが直接店に来られる事は殆どなく、電話での応対が殆どです。
    もともと大学卒業時に抑うつ状態と自信喪失に陥り、死にたいなどと考えていて、まったく就職活動が出来ずにいたところを、母の勧めで父が数年前から始めていた仕事を手伝うように言われて、何も自分では考える事が出来ない状態だったので嫌々でしたが、仕事を手伝うようになりました。その後すぐ自動車の教習所には通わされて、どうにかこうにか免許を取得し、パソコン教室などへは行ったりして、勉強をした事もあったのですが、周りの人と口を利くのが恐ろしく、劣等感に苛まれながら、鬱々とした日々を送っていました。
    それから後、勇気を振り絞って催眠療法(昔友達が行っていたので)に通ったり、カウンセリングに通ったりしましたが、あまり状況は変わらず、自然にやめてしまい、そのまま仕事を続けていました。
    その後自宅と店・事務所が一緒の場所に移転したりはしましたが、状況はあまり変化しませんでした。
    そして、ある日突然我慢が出来なくなって、近くの総合病院の精神科に行き、薬物療法とカウンセリングを受け始めました。
    そして何年間かそこで話をして過ぎたのですが、突然やりきれない気持ちになり、仕事をやめる勇気はなかったのですが、なにか出来る行動を起こしたいと思い、合気道の道場と中国語の教室と英語の教室(英会話ではない)と太極拳の教室に行き始めるようになりました。
    しかし人と付き合う事が出来ず、あまり一時にたくさん始めてしまった反動でしょうか、英語と太極拳はやめてしまい、合気道、中国語は細々と続けてはいますが、次第に休みがちになってしまっています。
    結局カウンセリングもやめてしまい、今また途方にくれてしまって、インターネットで森田療法の本を取り寄せて呼んだり、生活の発見会に出かけだしたりしています。 しかし今は隙があれば鬱が忍び寄ってきて、仕事は休まないようにしているのですが、終わるとすぐ寝込んでしまったりという状態です。
    発見会に来ておられる皆さんは、ちゃんと仕事が出来た上で悩んでいるように見えます。
    自分が全て人に頼り切って甘えて生きてきた事に激しい劣等感を覚えてしまい、恥ずかしくて悩みを説明することすら覚束なくなってしまっています。でもぼちぼちと続けていきたいと思っています。
  • ★A:回答
  • Pさん、こんにちは。うつ状態に長い間悩まされておられるようですね。最初から取り上げてみます。大学卒業時に抑うつ状態に陥り、死にたいなどと考え、就職活動も出来なかった。母の勧めで嫌々ながらも自宅の仕事を手伝うようになった。とのことですね。死にたいというお気持ちをよく凌ぎましたね。その上で、嫌だという気持ちがありつつも、仕事の手伝いも始めたことはとても大変な努力のように感じられます。危機を何とか乗り越えられたのですね。
  • 次です。周りの人と話すことが不安で、劣等感に苛まれていた。勇気を振り絞って催眠療法、カウンセリングに通ったが、変化なく、自然にやめ、そのまま仕事を続けていたとあります。不安や劣等感の中、勇気を出したことは非常によかったと感じます。神経症の治療で大切なのは一歩を踏み出す勇気なのです。これはとても貴重な体験だと思います。次です。総合病院の精神科に行き、薬物療法とカウンセリングを受けた。何年間かそこで話をして過ぎたが、何らかの行動を起こしたいと合気道や語学などの教室に通うようになったとのこと、これはとてもよくわかります。
  • というのは、一般のカウンセリングでは、話はできても行動面での変化が促される機会が少なく、その結果として治療効果があまり見られない、ということが起こりえるからです。やはり、長期にわたる抑うつや神経症では行動面の取り組みも重要です。
    だから、Pさんがその中で行動に取り組んだ感覚はとてもまっとうで素晴らしいように思います。
  • なお、その点目的本位の行動を大切にする森田療法がご参考になると存じます。次です。
  • 人と付き合えず、英語と太極拳はやめ、休みがちになっている。カウンセリングもやめ、森田療法の本を読み、生活の発見会に出かけているが、隙があれば鬱が忍び寄り、仕事は休まないものの、終わるとすぐ寝込む。とのこと。森田療法を知ったのですね。とてもよかったと思います。鬱が忍び寄るなかで仕事は休まない、これは大切な態度です。目的本位ということをよく理解され、生かされておられます。次です。
  • 発見会の皆さんは、仕事が出来た上で悩んでいるように見える。自分が全て人に頼って生きてきたと劣等感を覚え、恥ずかしくて悩みを説明できない、とあります。人と付き合うのが苦手の中で、発見会の出席、大変ご苦労様です。それでいいのです。その中で劣等感を覚えるのも無理はありません。劣等感とは向上心の裏返し、よくなりたいという気持ちのあらわれなのです。だから、劣等感から自分を責めたりせず、そのお気持ちを生かしてください。他の人の体験を参考に、出来ることに取り組んでください。Pさんは今までご自分でいろいろな努力を積み重ねてきたではありませんか。一人で様々な苦しみを乗り越えてきたではありませんか。ご自分を恥ずかしがることは全くありません。是非発見会に続けて出席し、ご自身の体験を他の人にも教えてください。時間はかかっても必ずよくなります。Pさんはお一人ではありません。我々のとても大切な仲間です。一緒に頑張りましょう。
    (鹿島 直之)

「過去でも、未来でもなく、“今”に目を向ける」 '07.11

Mさんは、うつ状態になっていた時に、家族の勧めもあってお父様の会社の従業員となり、外部との触れ合いがないままに働いてきたとのことです。徐々に趣味や語学教室をきっかけに世界を広げてきているものの、気持ちが沈むと休みがちになり、久しぶりに行ってみれば周囲から疎まれているように感じてしまう自分が、「人間として根本的に出来ていない」と考え、悩んでいると記載しています。最近は、過去の反省や将来への不安で、かえって不安定になっているとのことでした。

このように自分自身を謙虚に振り返り、親に甘えてきた自分などを省みる姿勢はとても大切ですが、逆に自分を責めすぎてしまって自信を失わせてしまっているようです。これはとても勿体ないことですね。同じ振り返りでも、どんな風に振り返るか、どこに注目するかによって、結果が変わってきてしまうのではないでしょうか。

年齢を重ねる中で、人は様々な経験をしていきます。そこでどんな経験をするかは人それぞれです。かつて思い描いた理想の自分と現実の自分の違いに気付いた時、私達は落胆し、「何が悪かったのだろう」「もっとこうすれば良かった・・・」と過去の自分の行動を反省します。それ自体は悪いことではありません。しかし、「取り返しがつかないこと」と考え、その後悔だけに終始してしまったらどうでしょう?まさに過去に対する“とらわれ”です。こんな自分ではとても無理と将来への不安も強めてしまいます。神経症に悩む人は、万全な状態や完全な自分を求めるがゆえに、過去を悔やみ、未来を慮って行き詰ることがとても多いのです。
つまり、折角考えているのに、「今、どうするか」という視点が抜け落ちてしまっているのです。

Mさんは、色々悩んだ時期に、何とか踏み出せる場所としてお父様の会社を選びました。それは、その時の「今、できること」だったはずです。その後、趣味や語学教室に踏み出したわけですが、それもその時の「今、できること」だったはず。「もっとこうすればよかった」という反省は、進んでみた今だからこそ出来ることでもあるのです。その時はその決断が精一杯だったはずですし、そこで仕事を積み重ねてきたからこそ次の一歩に繋がったのです。折角反省をするのであれば、足りないところは、経験を重ねた今だからこそわかることとして受けとめ、「今」そして「これから」に生かしていくことです。過去でも遠い未来でもない、「今」に目を向け、そこでの経験を紡いでいくことが、未来に繋がる道を作っていくのです。
(久保田 幹子)

「人に依存してしまうことについて」 '07.10

Pさんは「彼氏に依存してしまう」「社会に出る上で気分の変動が大きすぎてつらさや怒られることばかり考え、やりたいこともわからなく、友人や彼氏にもネガティブから立ち直れず迷惑を掛けてしまう」と書き込んでいます。
Sさんも「自分も生きた心地がするのは、パートナーができたときだけ」と共感しています。

人が人である以上、誰かの温もりや支えを求めるのはとても自然なこと。
ましてやそれが「初めてできた悪口も非難もしない恋人」であればなおのこと、でしょう。けれどもそれが自分の不安を消すための「依存」になってしまうと、「愛されていなければならない」「その人がいなければ自分はなにもできない」という恐怖になってしまい、相手がどう思っているかが気になり、相手の一挙一動に敏感になって苦しくなってしまいます。たとえば電話の声がちょっと素っ気なかった、メールの返事が遅かった・・そんな日常的なことでも世界が壊れてしまうような不安に駆られてしまいます(恋愛というのはそういう側面を持つものではあるけれど)。相手がどう思うかが基準になるため、自分の物差しを見失ってしまうこともあるでしょう。

そこで「自分の足で困難を乗り越えられるようになりたい」、その一歩として、自分の行動、自分の「感じ」を取り戻してみてはいかがでしょうか。日記を書くのもお勧めできます。少し意識して「私はこうした」「私はこう感じた」・・という具合に「私」という主語をきちんと書くようにするのもよいでしょう。外に出たときの空気の「感じ」、今の季節だったら落ち葉の色。家事であったり、趣味であったり、自分の手を掛けたものがあると、「それがどうなったかな?」と気持ちも動いていくものです。そして自分が目を留めたもの、自分が手を掛けたものを増やしていってください。愛するものがたくさんあるのは、幸せなことですよね。

PさんもSさんも、自分の「劣等感や嫉妬に淋しさ、孤独」そんな感情も認められる素敵な女性なのだろうと思います。
その大切な自分自身の感情を「埋めなければならないもの」と、慌てて消そうとするのではなく、まずそのまま受け止めてみてください。そこから自分らしい一歩が見えてくるのではないでしょうか。
(塩路 理恵子)

「焦らず着実に」 '07.09

Sさん、こんにちは。4年にも渡るうつ病との闘病生活、さらにそのことで2年近い休職を余儀なくされたこと、さぞかし大変であったと思います。けれども、その後7ヶ月もの期間、復職訓練をへて職場復帰を果たされたことは、Sさんの粘り強い努力の結果に他なりません。

ところでSさんは、復職後2ヵ月半を経て出社できているものの、意欲がなかなか湧いてこない状況のようですね。現在、うつ状態の程度は如何ですか?
主治医の先生から出社を止められるまでに状態が芳しくないとすれば、休息を再度検討することも選択肢の1つかもしれません。しかし、もしそうでないとすれば、この現状を、休息のみに頼らずに乗り切るかがとても大切になると思います。というのも、Sさんの文面から、日々なんとか仕事を続けようと悪戦苦闘している姿が垣間見られるからです。
では、どのようなことを意識しながら、取り組んでいくと良いでしょうか?
私の場合、Sさんと同じ悩みをお持ちの患者さんに対して次のことだけは必ず話すように心がけています。それは、遅れを取り戻そうと思って背伸びをしないことです。何故なら、長い休職から復職を果たした患者さんの多くは、周囲に迷惑をかけた罪悪感ゆえに、人一倍早い回復を願い、周囲に追いつこうとする傾向が強く認められるからです。その結果、必要以上に焦り、返って心身の疲労を募らせることになります。Sさんの高望みしてしまう気持ちの中に、このような気持ちがもしあるとすれば、焦りに任せて行動しないことを勧めたいと思います。

つまり、仕事本来の役割を淡々とこなしていくことが、一見そうでないようであっても、一番早い回復の道のりだったりするものです。最初は、戸惑うことがかなり多いと思います。しかし、その中で最低限でも取り組めた事実は、後にSさんに確かな自信を与えてくれるはずです。大変な時期ですが、Sさんにとって実りある復職であることを祈っています。
(樋之口 潤一郎)

「復職当初は落ち着かないもの」 '07.08

Nさんは、「悩み相談のため」というタイトルで、うつ病による休職の後、職場復帰を果たされたところで次のような心境を記されました。「何をして良いのかわからず職場に来るとあれこれと引き出しを開けたり閉めたりして落ち着きがなくなり再び休職にならないか」と不安になっているとのこと。
これまで復職を遂げたうつ病の患者さんのお話からすると、多くの方が同様の心境を体験なさっているようです。これにはおよそ二つの理由があると思います。

先ず第1には、回復早々の時期には、「また具合が悪くなり、休職することになりはしないか」という不安が自然に生じてくるものだということです。つい最近まで、うつ病の症状に苦しみ辛い体験をされたばかりですから、もう後戻りしたくないと思うのは当然の心理です。そして「順調に復職を果たしたい。健康を保ちたい」という願いが強ければ強いほど、「また悪くならないか」という不安もまた強く現れてくるものです。つまりこのような不安は、病初期の不安焦燥感と異なり、あってはならない症状とは別物ですから、不安即再発の兆しと受け止める必要はありません。ここは森田療法の基本に立ち返り、落ち着かない心境なら落ち着かないままに、手元の仕事にぼつぼつ取り掛かり、手を動かしていくことです。そのような取り組みを続けるうちに、こうした不安は時間と共に自然に流れ去っていくものですから。

もう一つ、本人のみならず職場環境の側にも、こうした心境をもたらしいやすい要因が認められる場合があります。無理もない側面があるのですが、会社(人事担当者や上司など)がうつ病の方の受け入れに慣れていない場合、せっかくよくなった患者さんを悪化させてはいけないという配慮から、ほとんど仕事を与えず、「席に着いていればそれでいい」といった対応を取る場合があります。あるいは本人の回復の様子を見てから仕事の分担を決めようという考えから、明確な業務の指示なしに日が過ぎるという場合も少なからず見られます。しかし本人にしてみれば、「何もすることがない」「何をしていいか分からない」状況は、仕事が多すぎる状況と同じく辛いものです。もしもこのような状況に置かれているならば、思い切って上司に、もう少し仕事を回してもらいたいと意思表示してみてはいかがでしょう。「そんなことを言うと、対処困難な仕事が振られるのではないか」という不安から、そのように切り出すことに躊躇があるかもしれません。しかしここは目的本位。そんな不安も含めて率直に相談してみれば、上司ももう少し考えてくれるかも知れません。おっかなびっくり気持ちを伝えコミュニケーションを持つことが、理解を得るために必要な行動です。 以上のことを念頭に、ぼつぼつやっていってください。
(中村 敬)

「一拍置いてみる」 '07.07

Hさん
一日起きているのが辛いと書き込まれて約10日間で作業、実践課題を始められましたね。実践課題を始められた感じはいかがでしょうか?おそらく最初に辛いと思っていた以上に動けたのではないでしょうか?これはHさんの潜在能力があったからだと思います。逆にいうと辛いとすぐに書き込まなくても辛さを脱出できたのでは、と思ってしまいます。

森田先生は感情の事実について以下のように述べています。

  1. 感情はそのままに放任し、あるいは自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ついには消失します。
  2. 感情はその感覚になれるに従い、その鋭さを失い、次第に感じなくなってきます。
  3. 感情はその刺激が継続して起きる時と、注意をそれに集中する時にますます強くなります。

今回、Hさんは思ったときすぐにホームページへ書き込んだりしませんでしたか?これだけ短期間に行動へ移れたわけですから、辛い気持ちがあってもすぐに書き込まず、時間をおいていけば以上のような感情の法則で辛い感情も流れていったかもしれませんね。
今はインターネットや携帯電話などが発達し、すぐにインターネットで情報が手に入ったり、携帯電話があるので公衆電話で待たなくても良い時代になり、便利になりました。しかし逆に「待つこと」については我々も含め不得手になっているような気がしております。ちょっと辛いなあと感じた時にときに「一拍置いてみる」ことも良いかもしれませんね。一拍置いてみても辛いようであればホームページに書き込んでみましょう。
(舘野 歩)

「”ままならなさ”の中に身をおくこと」 '07.06

Rさん、こんにちは。「事実唯真」「臨機応変」「感謝すること」など、いずれも森田理論を日常の生活にしっかりと根付かせて生活されている様子が伝わってきます。すばらしいですね。いずれも、目の前の事実、事象をしっかりと冷静に見つめ、思い込みや観念で行動するのではなく、あくまで現実の事実に即した森田理論に基づく行動と言えましょう。なかなか、こうした行動は「言うは易し、行なうは難し」です。しかし、なかなか思うようにいかないのもまた、現実の事実です。そうした「ままならない現実」を現実として受け入れ(「ままならなさの中に身をおくこと」を意味します)、日々、目前のできることに取り組んでいくこと、それが森田理論を日常生活に生かした生活となりましょう。「日々是好日」です。
(川上正憲)

「時間の使い方」 '07.05

Hさんは時間の使い方で困っています。時間を持て余して昼間から睡眠薬を飲んで寝て時間を潰すこともあるようです。また、他の方の時間の使い方に「やはり仕事ですか」「仕事は嫌です」とコメントされています。

Hさんは仕事の何が嫌ですか。仕事にもたくさんの種類があり、その内容によっても違ってきませんか。強いられる感じが嫌なのでしょうか。仕事であれ勉強であれ、強いられることは嫌なものですね。しかしその一方で仕事を進めるうちに形になっていったり、美しくなっていったり、わかるようになったりもするものです。それとともにやりがいや楽しみという違った面が見えてくるのではないでしょうか。行動に移すのに大きな壁が感じられたとしても、ここはひとつ取り組んでみてはいかがでしょうか。

また、アルコールの問題があり、ストレスやイライラに対して過敏になっているようです。ストレスがたまりイライラする、その解消のためにアルコールを飲むというパターンに陥っているようですが、ストレスや不満な状態を直ちに解消しないではおれないこと、そのために一層現状が辛くなってしまうことが問題なのかもしれません。全てが上手くいくとは限りませんし、むしろ上手くいかないことの方が多いでしょう。結果ではなく、上手くいかないものは次回生かしてみるくらいの気持ちでやってみられてはいかがでしょうか。人生の結果もすぐ出るものではありません。一日一日のプロセスを大事に頑張ってみてください。
(矢野 勝治)

「窮地は変化へのチャンス」 '07.04

「Hさんー私の対人恐怖の本態」

久々、発言させてもらいます。私の対人恐怖本態は以下の通りです。

「誰かから何かされるのではないか」
「誰かからやっつけられるのではないか」
「誰かに目を付けられるのではないか」
「変なやつに声を掛けられるのではないか」です。
ですから、前の主治医には「統合失調症」の疑いがあるとみられていて、それようの薬はをもらって飲んでいましたが状態はよくならず、今の主治医は病名を口に出さず、「効いていないから」と言う理由で減薬だけされています。薬の変更をお願いしても「恐怖に効く薬はありません」と一蹴されてしまいます。
私は苛立ちやすい性格ですから、カルシュウムのサプリメントをのんでいます。私はアルコール依存者ですが、1年と1ヶ月半飲んでいません。どうかこの窮地から脱出するアドバイスをください。宜しくお願いします。

回答 「窮地は変化へのチャンス」

Hさん、こんにちは。「誰かから何かされるのではないか」「誰かからやっつけられるのではないか」「誰かに目を付けられるのではないか」「変なやつに声を掛けられるのではないか」との不安があり、主治医から「統合失調症用」の薬をもらって服用している、とのことですね。他人に対するご不安がとても強いようで、さぞや苦労なさっていることと存じます。そこから脱出するアドバイスを考えてみます。

Hさんは対人関係のトラブルを怖れるお気持ちがとても強いようですね。しかし、対人関係に多少のトラブルは誰でもつきものなのであり、トラブルを怖れる気持ちも誰にも共通しているものと思われます。
すなわち、対人関係と不安は切り離せないものなのです。特に新たな対人関係ではそうでしょう。だとすれば、重要なことは対人関係に不安を感じるかどうかではなく、そこでどう行動するかであると存じます。
なお、Hさんはアルコール依存者であったにも関わらず、現在一年以上断酒されているとのこと、これはすごい努力です。どうして出来たのですか?飲みたいと思っても飲まずに、日常生活に取り組んでおられるのでしょう。飲酒の習慣を乗り越えたHさんの努力は、他人に対するいろいろな不安への対応にも役立つと思います。

Hさん、アルコールを克服したときと同様、不安も克服するように考えてみましょう。 すなわち、不安を感じても、不安について考え込んだり、対人関係を避けたりせず、対人関係で必要な行動に取り組んでいくのです。窮地と感じるほど不安が強い今こそ、実は治療のチャンスなのです。アルコールを克服したHさんならこのチャンスを生かせるでしょう。

次に、カルシウム・サプリメントをイライラするので服用しているとのこと、いろいろご工夫なさってますね。効き目はいかがでしょうか。カルシウムは精神的な鎮静効果があるとされますが、海草や大豆を多くとるなど、自然なものからのほうが吸収されやすいかもしれません。
また、今の主治医の先生は、病名を口に出さず、Hさんの訴えに減薬の対応だけするとのことですね。
しかし、もしHさんのご希望があれば、適切な病名と見通しの説明をなさるかもしれません。また、先生から「恐怖に効く薬はない」といわれるとのことですが、恐怖に効く薬がないなら、恐怖に対処するそれ以外の方法を一緒に話し合ってみてはどうでしょう。
今お伝えした点をhide0810さんが主治医の先生にご確認してもご不満が残るようなら、現主治医に紹介状を書いてもらい、信頼できる医療機関でセカンド・オピニオンを聞いてみるのも一法です。ご検討ください。
(鹿島 直之)

辛い時にこそ今を大切に '07.03

Sさん、文面を拝見しました。お父様の危篤は、Sさんにとって、さぞかし辛い状況ではないかとお察しします。

現在、Sさんは、お父様の身を案じ「この先どうなるのであろうか」と先々への心配を募らせていることと思います。
加えて、若い頃の自己中心的な振舞いが御両親に寂しい思いや辛い思いをさせていたことを振り返り、十分親孝行できなかったことを一頻り後悔しているかもしれません。

このように、人は辛い状況に直面すると、多かれ少なかれ先を憂い、過去を悔いてしまうといった心情に駆られるものです。いわんや、大切なお父様のことであれば、このような気持ちを強く有してしまうことは当然のように思います。しかし、その一方で先を憂い、過去を悔いるだけでは、建設的な方向になんら向かないこともまた事実です。
つまり、いま現実の生活をどう送るかがとても大切になるのです。このことは、うつ状態の患者さんであっても、神経症の患者さんであっても何ら変わりません。ただし、うつ状態の患者さんの場合では、心身の疲労に応じて、生活を調整する必要があると思います。そのため、Sさんの場合であれば、まずうつ状態の程度を担当医によく診ていただき、どの程度の生活が可能であるかを話し合っていく必要があるでしょう。もし、お父様のことで抑うつ症状や睡眠障害が芳しくないとすれば、適度な休息や抗うつ剤などの服用も生活の中に組み込んでいって欲しいと思います。

次にこのことを踏まえて、Sさんが日常生活の中で実行可能なことを少しでもよいから継続することをお勧めしたいと思います。
仕事も適度な内容であれば、生活にメリハリを与えてくれる手がかりになったりするものです。このように日常生活を大切にする姿勢は、結果として自分を労わることに繋がってきます。
最後に、今後、ご家族と小まめに電話で連絡を取り合うことを心がけて頂ければと思います。このことは、悲嘆にくれるお母様を安心させるだけでなく、病気と闘っているお父様を電話の向こうから見舞っていることに他ならないからです。大変な時期ではありますが、Sさんが最善を尽くされることを願っています。
(樋之口 潤一郎)

「合間の読書」のすすめ '07.02

今月の「その他の部屋」にはたくさんの大切な問題が寄せられていて、それに対するアドバイスや活発なやりとりを見て、フォーラムの力を感じました。
今回はSさんの「森田関係の本をどう読んでいますか?・・私は10冊くらいあるんですが、的がしぼれない感じです」という書き込みから、森田療法と読書について考えてみたいと思います。

まず「何を読むか」ですが、これは先輩や担当の治療者の意見を聞きながら、あるいは自分が手にとって見た感じから選んでいけばよいと思います。初めは、森田療法の全般的なことが一冊になった概説的な本がよいと思います。(北西先生の著書、高良先生の著書など)
いずれかの時点で、森田先生自身の著書を読まれることは、私もお勧めです。(「神経質の本態と療法」「神経衰弱と強迫観念の根治法」、全集の5巻など)かくいう私も森田療法に出会った当初は「とっつきにくい」イメージから森田先生の著書は後回しにしていましたが、読んでみると、内容が具体的で発見もたくさんありました。
そして「どう読むか」。これは森田療法関連の本に限らないことですが、神経質の傾向の強い人ほど、「もっとも有効に読書したい」と思うために、「環境を整えて」「まとまった時間をつくらなければならない」と考えてしまいがちです。そうすることで環境を整えることにとらわれてしまったり、先々を考えて気ばかり焦ってしまいます。

そこで、森田先生の読書療法を参考に、お勧めなのが「合間の読書」です。
しっかり時間をとっての読書だけでなく、電車の中や、仕事の合間、食後やお茶の時間・・など、日に何度となく本を手に取り、開いたところに目を通す、というやり方です。
森田先生はこのとき、ことさらに理解しようとしたり記憶しようとするのでなく、いやになればすぐ閉じる、気が向いたときは量は制限しないとしています。
ちなみに、森田療法からはちょっと離れますが、大江健三郎先生も最近のエッセイの中で、大切だけれど読み続けることが難しい本はスポーツクラブに行く電車に乗るときに鞄の中に入れておくのだと書いています。そしてクラブの談話室で読み続けるようになれば、もう心配ないのだそうです。
Sさんも的が絞れない中から、その日手に取った本を開いて、目を通してみてはいかがでしょう。
(塩路 理恵子)

減薬について '07.01

薬を減らしたいという気持ちは前向きでよろしいと思います。一般的には減薬の話題が出てくるのは症状へのとらわれもだいぶ解消されてきて日常生活が出来るようになってきたからだと思います。つまり治療の仕上げに入っていることが多いのですが、hi様はいかがでしょう?ここでは治療の仕上げ時に行なわれる薬の減量について述べます。

最近不安障害に対して有効とされている選択的セロトニン再取り込み阻害剤(以下SSRI)と呼ばれている、塩酸パロキセチン(商品名:パキシル)、フルボキサミン(商品名:デプロメール、ルボックス)、塩酸セルトラリン(商品名:ジェイゾロフト)はあまり急に減らすと動悸や汗をかいたりといった自律神経症状が出ることがあります。減量の際は医師と良く相談してゆっくり行なうのが良いです。

またSSRIを初めとした抗うつ薬や抗不安薬を減量したときYUME様の書き込みであったようにある程度不安が出現することも多いと思います。
大事なのは「薬を減らすと不安や症状が出現する→だから服薬を再開する」のままでは減薬、中止することが困難になってしまうことを知ることです。減薬時、YU様が書き込まれているように「不安はでても段々消えていく」、この体験が重要であると思います。この体験ができれば治療の仕上げ、つまり減薬、そして最終的には投薬中止をすることも充分可能だと考えます。このホームページでの減薬時の成功体験談を参考にされていきましょう。
(舘野 歩)

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