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症状別アドバイス集

その他の部屋・2003年

自分を表現することについて '03.12

Gqさんは10年以上も「文章を書けない」ということで悩んでいました。ちょっとした文章も書くことが苦痛で、それをするのに多くの努力を要したり、それを避けたりしていました。しかし私たちの生活は「書くこと」を避けては成り立ちません。Gqさんはどのようにしてそれを克服したのでしょうか。Gqさんは4つの点をターニングポイントしてあげていますが、私は最後の点が最も重要だ、と思いました。「ターニングポイントは4つあります。(1)02/10月1ヶ月のパソコン講習・・、(2)02/11月から4ヶ月のアルバイト・・毎日これからのための訓練だと思って、職員の目など気にする暇なく、書くこと、まとめ上げることに集中しました。(3)03/9月インターネット接続・メール開始 ・・イラク戦争が泥沼化し、たくさんの子どもたちが殺され続けていることに対して私も何か発信しなければという切実な思いからです。(4)03/9月森田体験フォーラムに参加・・自分のことを書くことには、最初は抵抗がありました。この15年ひとりの親友としか話らしい話をしたことがなかったし、深い関係を避けていたからです。でも、森田療法で自助努力をしているや苦しんでいる人たちは仲間であり、傷つくようなことはないだろうと信頼して、本音をありのままに出すことにしました。壁が崩れ、どんどん書いている自分に驚きました・・」
自己を表現すること、それも自分の欠点、弱点と思われることを率直に述べることははなはだ困難です。特に誰でも自分に自信を失っているときにはそうなるものです。しかしこのフォーラムで自分を表現すること、そして他者から理解してもらえることがこの克服の最初のステップになります。Gqさんがそれを見事に示してくれました。このような作業は自己開示とも呼ばれ、私たちが事実をありのままに認めていく上でとても重要なことです。私たちの弱点、欠点、劣っていると思うことをそのまま率直に述べられることは、その人のいわばしなやかな強さが表現されたということでもあるのです。

「うつ」の効用とは '03.11

Soさんが「うつ」モードに入ってしまいました。しかしそのまま「うつ」の悪循環に入り込まず、いろいろと工夫しているようです。自分はだめ人間と考える→落ち込み→自分はだめ人間とさらに考えてしまう→さらに落ち込む、というのが「うつ」の悪循環です。
Soさんは、「どうやったら気持ちを持ち直せるか、ということも、いままでだいぶ考えてきました。1.マンガを読む、2.ネットサーフィンする、3.お風呂に入る、4.とにかく寝る、などなどなど。でも、今回は、この欝の機会を利用して(自嘲(^^;)、青色申告の書類を作ろうと思い立ちました。・・だるいししんどいし、人と会いたくないし、頭も良く回らないから、パソコンの前に座って淡々と入力作業をする青色申告書類の作成は、こういうときにぴったり)Maさんも「実は私も抑うつ傾向が強い男です。ですから、一年を通して今日は調子が良いなあといった好感情はあまりありません。どちらかというと、仕方がないなあ、調子が悪くともまあ頑張ってみようかといった風です」と書き込みます。
神経質者の抑うつは(神経症性の抑うつ)、何もしないとむしろ悪くなる傾向があります。「うつ」の悪循環に陥らないように、このように目の前のことに取り組んでいく工夫は大切ですね。

気分はそのままに目的本位の行動をせよ '03.10

Gqさんが求人先に応募できないことで悩んでいます。「・・半分失業状態で、このままでは家計は破綻してしまうにもかかわらず求人先に応募することができません。8年前にはじめたばかりの専門職に挫折したことがきっかけで今の中途半端な無為な生活が続いています。6年前精神科に1年通院し、その間保育のパートに就きましたが、常に前の職への復帰を考えてきました。森田療法の「気分はそのままに目的本位の行動をせよ」と自分に言いきかせ実行を決意するのですが、次の日の朝になると起き上がれず、昼近くまで眠り込みます。・・」
Maさんは「・・こんな時だからこそ、逆にじっくり腰を落ち着けて、森田療法の勉強に専念して、来るべき時に備えてはいかがでしょうか。」と助言します。
私もまずは「出来ることから、とりあえず取り組んでみる」ことを勧めます。そしてGqさんは後で「10/7ハローワークで紹介状を出してもらいました!!今日10/8、1つに面接し、他の1つに応募書類を送りました!!応募の時の重苦しい状態を乗り越えると、面接や電話はそれほど緊張はしません。履歴書がなかなか書けなくて困ります。何も考えないようにして、行動に身を任せました」と書き込みます。この経験を大切にしてください。このように「気分」と「行動」は別物、という体験的自覚が深まると良いですね。

嫌な人とつきあう方法とは '03.09

Clさんが腹を立てています。「・・自分の入っているクラブの同輩にほんとにムカつく奴がいるんです。何かにつけて僕のことを馬鹿にしたような、見下したような態度をとってきます。しかもあからさまに自分だけに。本当に何様だと思います。・・皆さんは嫌な人と接する時はどんな事を心がけていますか?」Maさんは次のように答えます。「本当に無礼な人は嫌ですね。森田ではこのわき起こってくる悪感情を無理に押さえつけようとはしません。どんな感情も自然現象として発生するのですから、コントロールすることは、動きにも悪影響が出て来ます。腹立ち紛れのまま、さっさと次の予定した行動へと移っていきます。しばらくは嫌な感情も残りますが、没頭していく内に、その嫌な感情も消えてなくなります。また、森田では、「腹が立ったら三日待て」とも言います。大抵の腹立ちは三日もすれば消失するものです。・・」
私も同感です。嫌なやつは嫌。しかし時には、そして多くの場合、どこにでも困ったことに嫌なやつがいるのです。それにはMaさんがいうように、怒りはそのままに次の行動に移ることです。またこの感情は続いても3日だな、を知っておくことも有益です。後は嫌な感情はそのままに、必要なことをあっさりとビジネスライクに伝えていけばよいのです。そのような態度を身につけていけば、自分の怒りとつきあえるようになり、また嫌なやつとも一緒に仕事が出来るのです。もちろん嫌々ながらですが・・それでいいのです。

過去にとらわれているときには  '03.08

Skさんは過去へのとらわれからなかなか抜け切れません。「離婚してもうすぐ4年になりますが、どうして離婚になったのか、どうすれば離婚にならなくて済んだのかを考えて、離婚の現実をうけいれられません。新しい人生を歩き出さなきゃ!と思いながら、・・自分は幸せになってはいけないような気がして何となく生活しています。・・」
Maさんは次のように助言します。「私も過去にこだわりも持って随分苦しんできましたから、そのお気持ちは痛いほどによく解ります。傷はいつまでも残るだろうと思いますが、しかしただ嘆き悲しんでいるだけでは活路は開けてきません。そう意味では、本当に良く勇気を出されこのフォーラムにお越しになられましたね。・・」そして一緒に考えていこうと呼びかけます。私も同感です。苦しんでいるときには、自らの悩みを語ること、それを他の人に理解してもらうことが大切です。そして過去の後悔、将来の不安を持つときには私たちの最も重要な「今ここで」生きることがおろそかになっているのです。今ここで自分なりに生きることができるようになって初めて、過去が違って見えてくるでしょう。とりあえず今ここで出来ることから始めてみたらいかがでしょうか。

神経症の原因とは  '03.07

Kaさんが次のように書き込んでいます。「かれこれ神経症16年、一通り神経症について読ませて貰いました。・・一方、神経症になった自分の過去を思い出してみると、母親の内向的性格や不安要素の提示、マイナス思考など、子供の頃から「不安」を植え付けられていた記憶があります。そして子供の頃から石橋を渡る物の考え方が根付きました。これは、母親に対して自分の神経症をなすりつけると言う事ではなくて、一つの事実として受け止めています。「とらわれ」もそんな生活習慣の中から作られたと考えられます。」
神経症の原因を見つけることは難しい作業です。遺伝、環境、性格など多くのことがさまざまなことが複雑に関連しています。これ一つと原因を定められないのです。そして神経症の原因を遺伝に、育った環境に、性格に、求めても、そしてそれが正しいとしても、問題は解決しないのです。神経症の原因を知ること、それはあまり多くの要因が関与していて不可能ですが、とそれから回復することとは別の問題だからです。
それはそれとして、今は生きることの工夫を始めることから私は神経症の回復が始まると考えています。

知行同一とは  '03.06

Kyさんが次のような書き込みをしています。「『心配性をなおす本』(青木薫久著)に載っていた矛盾の普遍性の例として記述されているものですが、まさに自分に当てはまると思いました。自分の状況リズム(内・外とも)を極大的に捕らえてしまうふしがあるようです。状況に一喜一憂するまえに知らぬ間にリズムの変化が訪れる事で平穏を保つことが大事と言うことでしょうか。」
それに対してMaさんは次のようにアドバイスします。「私は森田療法の勉強は事実を学ぶことだと思います。事実はこうなんだからそれに素直に従ってみることにするという態度が大切だと思います。よく森田の教えは難しいとの質問があります。恐らくその人は、『こうすれば治る』というハウツー面から一生懸命取り組まれるから余計に罠に落ちてしまうような事になってしまいます。ああ、成る程そうかと、森田書籍を読みながらその事実だけを心に止めておかれれば、やがてそれが積み重なってきて大きな収穫となります。」
森田を学ぶということは事実を知ることです。そして知ることと行なうことが密接に関係し、知ることを深めることは行なうことを促進します。それを東洋では知行同一といいます。森田の知恵のひとつです。

燃え尽きてしまうこと  '03.05

Taさんがうつ状態で悩んでいます。仕事に過剰適応しすぎて燃え尽きてしまったようです。「過剰適応して、気がつけば、燃え尽きるまで頑張ってしまう自分が情けなくなり、いつになったら自分なりの100%を体感して、その60%位に押しとどめて生活できるようになるのか、途方にくれる思いです。・・やはり何度も失敗を繰り返して、そこから自分なりのペースを学んでいくしかないのでしょうか」。Maさんは「60%くらいに押さえることが、ベストの100%ではないでしょうか。・・ああ、よく頑張った。そして疲れた。で、今は静かに体力の回復を図られてはいかがでしょうか。・・体力が持ち直せば、持ち前のやる気も前面に出て参りますからそれまでは待つことも大切と心得て下さいね。」と助言します。Yuさんも「お互いボチボチ行きましょう」とエールを送ります。
どうしてTaさんは、常に完璧を求めて、過剰適応的になり燃え尽きてしまうのでしょうか。周囲の人の評価を気にしすぎていませんか。そこで完全な自分を求めすぎていませんか。発想を転換して、自分なりにできることをするしかない、それをどう評価するかは、自分の問題でなく、他の人の問題と開き直ることが大切です。そこで初めて自分の限界、つまり100%が見えてきて、60%主義ととはいかなるものか、がわかってくるでしょう。優先順位も見えてくるでしょう。60%とは些末なことは後にして、まず肝心なことにそれなりに力を注ぐことです、メリハリをつけることです。

われわれが悩むこと  '03.04

人はさまざまなことで悩みます。Mkさんが「やっぱり、自分が異常者の様に思えて、周りの人とは違うんだ・・といった考えに襲われて自分に対する劣等感が増します。いつも、こんな感じ方になってくると自分がみじめで、時間がたてば忘れることなんですが、人と関わる時にいつも同じ感情に襲われます」と書き込んでいます。Maさんは次のようなエピソードを紹介しています。「僕も昔、今はお亡くなりになられました生活の発見会の斎藤先生に胸の内を話しこの苦悩が去らないかとたずねました。また、心の平安は訪れないものかと目を伏せて泣きながら先生に迫りました。ふと、自分以外の嗚咽に気付いて顔を上げますと、先生も目を真っ赤にされて言われました。『Maくん、この年寄りに免じて自分を許してやってくれないか。僕だって、未だに苦しんでいる。苦しんでいるが、この年まで生きてきたぞ。』って言われるんです。僕はこの時はっきり目が覚めましたよ。そうです。苦しんだって、悩んだって立派に生きていけるんだということが解ったのです。」
悩みは、それが特殊、特別なものであると思い、それを取り除こうとしようとすると、その苦悩は倍加します。Maさんがいうように発想を180度変えてみると、悩みを持ちながら人は生きていけるのです。悩みを取るための人生から、自分として生きるための人生への転換です。そこで初めてその人として生きるために心の工夫が生まれ、その人らしい個性が見えてくるのです。

この厳しい時代を生き抜くには  '03.03

Yuさんが、厳しい状況に直面しています。
「倒産により、家、預金、長年の仕事を失い。(今、だいぶ軽減した抑鬱感に悩まされながらも、新しい仕事に辛いですが何とか頑張っていますが・・・。)独身の中年で家庭もない私にとって集談会での皆さんがうらやましく思えます。・・集談会で皆さんが訴える、症状に比べると私の現実の方が深刻だ・・・。という感覚がぬぐえません。平等感という言葉も私にとっては説得力に欠けます。毎回期待して足を運ぶ集談会の帰り道に、かえって落ち込む事が多いのです。」現代日本の中年男性の深刻な苦悩を示しています。Maさんは、集談会に何を望んでいますか、と問い返し、「事実は何かが定かになる場としてあるだけなのです。その事実を確認するために参加して、自分の足下をしっかりさせていくこ とが出来るかと思います。」と助言します。確かにMaさんがいうように、集談会はYuさんが望むような「癒しの場」ではありません。
また森田療法は癒されること、癒しとは必ずしも関係しません。むしろある意味では厳しくその人自身のあり方を問い、その修正を迫るものです。私もYuさんの苦悩には、大変だな、と共感しますが、Yuさん自身が決して望まないように同情はしません。人生にはどうしようもないことが運命として襲いかかってきます。私たちがわれとわが身の不運を嘆き、運命を呪っても苦悩は増すばかりです。それにどう関わるのか、ピンチこそチャンス、それをしっかりと見つめ、受け止めていくことから、逆にYuさん本来の生の欲望が見えてきます。それが森田療法の本質的な部分です。そして集談会に出続けるYuさんにはその力があると信じています。

再び「うつ」と森田療法について  '03.02

Koさんが「うつ」の体験と森田療法の効用について述べています。体験者でなければ語れない貴重な話がシリーズとして述べられています。うつ状態で悩む方はぜひとも読んでいただきたいと思います。ここで述べられていることは、私が「うつ」の人に行う森田療法とほぼ一致します。なるほどと思いながら、Koさんの体験を読みました。
たしかにうつ状態となると、神経質のような生の欲望が見えにくくなります。いわば周囲のあまりにもよく適応しようとして、燃え尽きてしまうのです。それがうつ症状といえます。従って、その回復の手順はやや神経症とは違います。まずは心の疲労状態をそのまま認め、ペースダウンする勇気を持つことです。それがKoさんのいう60点主義に当たります。またうつになりやすい人は、自分の生き方がしばしば過剰適応的であることの自覚がありません。そこをしっかりと自覚しながら、仕事に、生活に関わっていく必要があるでしょう。
つまり「うつ」の症状でなく自分の生き方の問題へと自覚が深まります。そして自分として、ぼちぼちとしかしねばり強く生きていけばよい、と心が定まれば、自分としての生き方が見えてくるのです。またMaさんが指摘するように、うつ状態の時は無力感にさいなまれますので、依存的となり、自分の問題のすべてを人にゆだねたくなります。それがまた「うつ」を長引かすことにもなるので要注意です。

森田を学ぶことの疑問について  '03.01

Shさんが次のような疑問を呈しています。「僕は森田を知って半年ぐらいなんですが、最近どうも森田のことが疑問になってきたんです。というのは、今の僕自身際だった症状みたいなものはないんですが、こういう風に宙ぶらりんな状態になると、森田が日常の僕の思考回路をきめつけているような感じがして息苦しく思い、神経症を患ったものは森田を生涯勉強していかないとこの苦しみからのがれられないように書いてある森田関連書に疑問を感じるのです。
まるで一種の信仰宗教の聖書のように。僕としては自分は学びはするが決して依存という形にはなりたくないのです。」これも一つの自然な考え方です。私はさまざまな森田療法に対する考え方があってよいという立場ですので、このような疑問もよく理解できます。森田自身が嫌ったのも森田のいうことにただ従う態度「盲従」でした。まず自分としての生き方、つまり現実に取り組んでみることです。そのように自分の人生に取り組んでみると、森田の知恵がShさんのなかで意味を持ってくる時期が来るでしょう。その時は今までの森田とは違い、さらに深いものになっているはずです。

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