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症状別アドバイス集

不安神経症の部屋

「生の欲望の発揮へ転換していく」 '20.12 

こんにちは、Lさん。ある時、大学の課題をしようとすると頭の中がパニックになり、心臓もバクバクして、このままだと死んでしまうような気がするほどの苦しさを経験されたのですね。人は、一度発作を経験すると、「またあの恐ろしい発作が起きたらどうしよう」と不安になり、発作が起きそうな状況を避ける傾向があるものです。Lさんもまた、発作を経験されてから、「死ぬぐらいだったら課題から逃げよう」と思い、次々と単位を落とすようになってしまわれたのですね。「死の恐怖から逃れることしか考えられなかった」というLさんの言葉から、本当に必死で辛い状況であったことが想像できます。

それから Lさんは、あるブログをきっかけに森田療法を知るところになったのですね。なんだか、Lさんと森田療法との出会いは必然だったのかなと感じてしまいます。というのも、森田療法は、森田正馬自身が死の恐怖について悩んだ経験を基に、生み出された治療法だからです。森田は死の恐怖について、「われわれの最も根源的な恐怖は、死の恐怖であって、それは表から見れば、生きたいという欲望であります」と述べ、生の欲望と死の恐怖の両面性を説きました。さらに、「病の悩み死の恐怖という一面にのみとらわれ、動きもとれなくなったものが、一度覚醒して、生の欲望・自力の発揮ということに気がついたのを心機一転といい、今度は生きるために、火花を散らして働くようになったのを『悟り』というのである。」とも述べています。この心機一転といえる転換点が、悩み過ごしているうちにどこかで訪れるのだと思います。Lさんにとっても、その転換点があったのではないでしょうか。

Lさんが、大学に通う意味が見いだせず悩んでらっしゃったのは、「有意義で意味のある大学生活を送りたい」という欲望ゆえの悩みだったのだと思います。課題への取り組みが特に苦しかったのも、「ちゃんとやろう」と思う気持ちが強かったからだと推測します。死の恐怖をはじめとする様々な不安を無くすために本来の欲望を諦めるあり方から、恐怖や不安はあるままに、欲望へ向かってLさんが力を発揮してゆけますよう、願っています。
(金子咲)

「病気不安症(心気症)」 '20.11 

M様、全般性不安障害に加えて人間ドックから病気の不安に圧倒されていて大変そうですね。今の状態はかつて心気症、今は病気不安症と言われるものに該当します。

米国の診断基準DSM5を参照すると
A,重い病気である、または病気にかかりつつあるというとらわれ
B,身体症状は存在しない。または存在しても軽度である。他の医学的疾患が存在する、または発症する危険が高い場合は、とらわれが明らかに過度であるか不釣り合いなものである
C,健康に対する強い不安が存在し、かつ健康状態について容易に恐怖を感じる
D,その人は過度の健康関連行動を行う、または不適切な回避を示す
E,病気についてのとらわれは少なくとも6か月は存在するが、恐怖している特定の病気は、その間変化するかもしれない
F,その病気に関連したとらわれは、身体症状症、パニック症、全般性不安症、醜形恐怖症、強迫症または「妄想性障害、身体型」などの他の精神疾患ではうまく説明できない、となっています。
血圧は1日の中で変動しますし、ストレス状況下では上がったりします。ですので血圧測定は人間ドックで指示を受けた頻度でよいと思います。

森田療法を創設した森田正馬先生は心気症をヒポコンドリー性基調と名付け、それは自己内省が強く、身体のことに注意が向きこだわり心配するからであると説きました。 森田はこれを心配しるマイナス面としてだけとらえずに、その裏側には人間の本性である生存欲の現れであるととらえました。つまり病気の心配を過度にする裏側には、健康でありたい切なる思いがあるのです。

病気の不安を消そうとしてネットなどで調べてばかりいるとそのことばかりにし注意が向き悪循環になってしまいます。病気の心配を脇に置き、本当にM様がしたいことへ向かって病気を調べるエネルギーを転換させていくことが大事になります。
(舘野歩)

「病気不安で落ち着かなくなった時に振り返っておきたいこと」 '20.10 

Nさんは数年落ち着いていた心気症の症状が、身内の不幸やご自身の体調不良が続いたことで、今年に入って再燃したとのことでした。

もう体調は良くなられたのでしょうか。今回の体調不良の背景に、生活・仕事における変化や過度の大変さなどはなかったですか。

何人かの方が書かれていましたが、病気になったら悩むのは当たり前ですね。誰でも健康であることを望みます。そして今年はコロナによるパンデミックもあり、これまでにない生活の変化を世界中の人が被りました。窮屈な生活に加えて、仕事の仕方や収入に大きな影響があった人も少なくありません。そんな中で、自分の今後や健康に不安を感じるのはこれまで以上に自然なことかもしれません。特に、先を考え、きちんと整えておきたいという気持ちの強い人であれば、その傾向は一層強まるかもしれません。

不安が備えに活かされればよいですが、ぐるぐる不安になってしまうと辛いですよね。そこで考えてほしいのはこんなことです。

Nさんは自分に自信がないからせめて健康くらい人並みかそれ以上でいたい気持ちがあると書かれています。でも虚勢を張っているため、周りの人からは自信がないとは思われていないのだそうです。虚勢を張っているから自信があるように見えるのでしょうか?張ってなくても「Nさん=自信がない人」というレッテルには簡単にはならないのではないかと思います。そして、もしそう思われたとしても、Nさんの一部に自信のなさがあるだけでNさんの全体を決定するものではありません。

むしろ私が心配するのは、自分が感じている自信のなさを隠そうとすることで、健康でいつでも対応できる自分でいなくてはいけないとNさん自身が常に気張って緊張の高い状態になっていないかという点です。森田療法で言うように、感情は自然なものです。

突然のコロナパンデミックもそうですが、この世の中自分の行動とは関係なく起きる様々な事象があり、私たちの仕事や生活環境はそういった外因の影響を絶えず受けています。その他個人的にもさまざまなことが予期せずに起こるでしょう。その中でいつも自信たっぷりいられる方がおかしく、内的には色々な揺れや相反する気持ち(両価的、アンビバレント)な気持ちが生じて当然なのです。両価的な気持ちのうち、否定的な気持ち(例えば、自信のなさや、不安など)の方だけ押し込めていると、実際以上に否定的な気持ちの方だけが大きくなったり、不安を小さくするために自分自身がもっと強靭でいなくてはと無理を求めるようになってしまうのです。

「弱さの吐露=その人が弱い」ということではありません。自分のなかには両価的なものがあると認識し、その本音を語り、相手に受け入れられることで、安心し逆に虚勢を張らなくてもよくなるのです。もちろん、誰に本音を話すかは大事ですが、大丈夫と思うところではキレイごとを語らず、本音を大切にしていきましょう。

辛くても日常を送ることを続けながら、仕事や生活の中で自分だけで何かを抱え込む状態になっていないか、もしかしたら、両価的な気持ちを表現できずに抱え込んでいることがないかをぜひ振り返ってみてください。
(矢野勝治)

「形を整える・感じから出発する」 '20.9 

Mさんは会社を退職して以来、パニック障害のために、徐々に外出しなくなり、最近では自宅から出ることさえ出来なくなってしまって、困っていらっしゃいます。ただ、森田療法の記事で、不安は不安のままに、また、決めたことは辛かったとしてもやり遂げてみよう、という様な主旨の文章を読んで、心がスッと軽くなり、まずは自分自身で出来ることから始めたいとおっしゃっています。

Mさんはパニック発作の恐怖の中、なんとか自分で立ち上がろうとしているのですね。とても素晴らしいと思います。そんなMさんに「自分自身で出来ること」を始めるヒントになればと思い、「形を整える」「感じから出発する」という言葉を贈りたいと思います。

最初は「形を整える」ことから始めてみましょう。生活でも態度でも、気持ちは揺れるままに、まず外側の形を整えることから始めてみるのです。例えば、特に外出などの予定がない日に、遅くまで寝ていて、一日パジャマで過ごすのではなく、朝起きて、身なりを整える、身支度をするといった具合です。

そして、頭であれこれ考えて、行動に踏み出せないときは「感じから出発」してみましょう。例えば、ふとしたときに「お腹が空いたな」と感じること、これが「感じ」です。一旦色々と考えることを棚上げして、「まずはご飯を作ろう」など、その時の感じから出発してみることで、私たちの生活が広がっていくことに繋がります。

最後に、Mさんは内科で抗不安薬を自分の都合で処方してもらっているということですが、ここに関しては、やはりきちんと精神科医と相談して処方してもらった方が良いと思います。専門性の高い薬ですから、内科では何か問題があった時に対処してもらえないかもしれません。
(谷井一夫)

「コロナ不安」 '20.8 

高良先生や森岡先生の書物で森田療法的生活スタイルを実践されながら、不安神経症を克服されたのですね。様々なご苦労の中で克己の姿勢を貫いたのですから、その努力は大したものだと思います。そして、現在、我々を悩ます新型コロナ感染症に、Yさんもまた悩まされています。コロナウィルスは我々に二つの恐怖を与えていると、私は常日頃考えています。一つは、コロナウィルスに感染し、身体的ダメージから最悪死に至るという恐怖です。二つ目は、自分がコロナウィルスに罹り、他人へ感染を伝播させ、社会的制裁を被るという恐怖です。文章を概観し、Yさんは後者の社会的制裁を受けることに対する恐怖が中心なのではないかと思います。

しかし、程度の差こそあれ、世界中の人々もこの不安・恐怖を無意識に有していると思います。そうであるとすれば、我々は、コロナ不安を無くすことは出来ないのです。けれども、不必要に自ら不安を煽り、生活を膠着させてはいけません。北西クリニックの北西憲二先生も仰られているように、不安を悪戯に煽り立てるSNSやワイドショーなどで情報を得ようと躍起にならないことです。このようなメディア媒体は、多くの情報を与えてくれますが、余計な情報も提供するため、我々を却って不安にさせ、コロナウィルスへの偏見を作り出す温床となってしまいます。コロナウィルスを寄せ付けないためには、何と言っても嗽、マスク、手洗い、そして換気など当たり前の対策を忘れないことが肝要です。その上で、我々が忘れがちであった体の健康に纏わる生活実践を怠らないように心がけましょう。コロナ不安で見失いがちだった、「健康でありたい」という欲求を意識的に実践することが、実は我々を不用意に不安にさせない秘訣なのです。

さらにコロナウィルス感染症は、我々から当たり前の日常を奪ってしまいました。その喪失体験が、不透明な先行きを余計に強め、「この先も生きて行けるのだろうか」などと不安にさせるだと思います。しかし、これもまた森田療法の原則である、目の前の実生活を大切にする姿勢をもう一度見直してもらいたいと思います。不安の裏にある「より良く生きたい」という欲求は、実生活の積重ねなしでは叶えられないからです。コロナ感染症は、もしかすると「激動の世の中で安心ばかり追い求めては駄目、迷いつつもその時々の最善の生活を模索するように」と悩みながら生きることを教えてくれているのかもしれません。

森田療法がYさんにもう一度福音を与えてくれることを願っています。頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

「コロナ不安と森田療法の知恵」 '20.7 

Eさんは「コロナでステイホームしていたら、死の恐怖を感じてしまい、世の中全てが怖くなり不安神経症になってしまいました。 早く通常の社会復帰したいです。」と書かれています。

現在のコロナ禍の状況下で、多くの人が不安を抱えていると思います。その不安には、自分や身近な人が感染するのではないかという不安、完全な予防策が明らかではないこと、有効な治療法が確立していないこと、生活への影響、「いつまで」という先が見えない不安、死の恐怖・・など様々なものがあります。そのような状況に身を置きながら「不安になってはならない」と構えるのは、無理があるかもしれません。「他の人も大変だから」と気持ちをねじ伏せることも起こりがちです。「不安に感じている」こと自体を否定したり、そう感じている自分を責めたりするのではなく、どう付き合っていくかを考えてみましょう。(発作を繰り返しているような状態であったら、医療機関への受診も検討してください。)

また、同じくコロナ不安について書き込まれているKさんは、「家族は楽観的で意見が合わず 毎日不安でいっぱいで どう考えればいいのかわからずにいます。」と書かれています。家族の中での違い、も苦しいことですね。コロナ対策の難しさの一つとして、3密を避ける・マスク着用・手洗いなどの基本的な予防策は共有されてきているものの、絶対的な基準がないことが挙げられます。置かれている状況や生活圏、場面、必要性・・様々な要素が対応の判断には影響するもの。家族であっても持っている基準や感覚は微妙に異なってきます。必要最低限を共有した後は、ご家族の中で折り合いを見つけたり、それぞれに任せることも必要かもしれません。あまりに完全にしようとすると、どうしても「ずれ」が目につき、家族の中でも悪循環が生まれてしまいます。「周囲の状況や家族に対しても、自分の行動に対しても、必要な対応を取りつつ、折合っての行動を探っていきましょう。

さて、自粛生活も長くなり、人との接点が減り、かといって遠出も難しく、という状況では、心身のリズムを作るのが難しくなります。そうしたとき起こりやすい事として、なんとなく現実感が持ちにくくなる、日時を含めた実感を持ちにくくなる、ということがあります。それらが不安に与える影響も大きいと考えられます。

こうしたときは、いつも以上にリズムを作ったり、「感じ」を活かすことが大切になります。身近なことで、換気を兼ねて窓を開けたり、蝉の声を聴き比べてみたり、暑さの和らぐ時間帯に歩いてみたり、かなう場合は人と話したり連絡を取ったり・・自分の中にリズムを作ってあげてください。とても手近な方法としては曜日の決まっているTV番組を「今日は〇曜日だからこれを見る」と意識して見る、というのも一法です。内容が楽しみにできたり続きが気になるようだとよいですね。

フォーラムで多くの人が取り入れているように、日記を書くこともよいと思います。そのとき、一つでもいいのでその日に見たもの、体験したことをできるだけ詳しく書くとよいでしょう。

「ウィズコロナの時代」は「不安と共にある時代」でもあると思います。とても大変な状況ですし、不安はなくすことができないですが、不安との付き合い方について、森田療法の知恵を生かして、一日一日を過ごしていきましょう。
(塩路理恵子)

「完璧主義を緩めてみては」 '20.6 

M様お辛そうですね。投稿された症状のからくりは、いわゆる「強迫心性」から来るものと考えます。これは症状としての「強迫症(強迫性障害)」とは異なります。強迫症は、強迫観念や手洗い確認といった強迫行為からなりますが、「強迫心性」はより性格的な要素もあります。「強迫心性」には強迫性パーソナリティ障害に近い要素があります。具体的には、「秩序、完璧主義、精神および対人関係の統制にとらわれ、柔軟性、開放性、効率性が犠牲にされる広範な様式」とDSM5というアメリカの精神疾患の診断・統計マニュアルに記されています。項目としては以下の中から四つまたはそれ以上とされています。

(1)活動の主要点が見失われるまでに、細目、規則、一覧表、順序、構成、
   または予定表にとらわれる
(2)課題の達成を妨げるような完璧主義を示す
(3)娯楽や友人関係を犠牲にしてまで仕事と生産性に過剰にのめりこむ
(4)道徳、倫理、または価値観についての事柄に、過度に誠実でかつ良心的かつ融通がきかない
(5)感傷的な意味をもたなくなってでも、使い古した、または価値のない物
   を捨てることができない
(6)自分のやるやり方どおりに従わなければ、他人に仕事をまかせることができない
(7)自分のためにも他人のためにもけちなお金の使い方をする、
   お金は将来の破局に備えて貯めこんでおくべきだと思っている
(8)堅苦しさと頑固さを示す、です。

一方、(森田)神経質性格とは、几帳面・完全主義・負けず嫌いといった強迫性、強力性の面と、内向的・神経質・受身といった内向性、弱力性の両面を持つ性格を指します。よって強迫性パーソナリテイ障害の特徴は神経質性格の強迫性、強力性と重なります。ですので、「~障害」といっていわゆる「障害者」をイメージされなくて良いです。

ご自身の「誰かに何か頼まれると、できるかなと不安になってそのことばかり考えてしまいます。」の背後には「きちんと頼まれたことを行いたい」という強い(森田療法の言葉でいう)生の欲望が強いからだと思います。決して何か「欠けている」のではなく欲求が過剰なのです。ですから、不安を排除しようとせず不安を抱えつつ頼まれたことを実践されていくと良いと思います。ただ、ここで上記の性格特徴である「完璧主義」を緩めていくと良いと思います。我々はよく患者さんに「60%主義」と言います。「完璧であらねば」という構えを緩めて頼まれたことに踏み込んでみましょう。
(舘野歩)

「前に謀らず(はからず)、後に慮らず(おもんばからず)」 '20.5 

Nさんは、お子さんの病気や怪我に関する不安に苛まれているとのことでした。具体的には、過去の自分の行動を思い返しては「~すべきだった」「~しなかったので、~になってしまったかも」と考え、後悔・心配ばかりの毎日が苦しいと書かれていました。 確かに大事なお子さんのことですから、大病をするのではないか、怪我をしたらどうしよう・・・とあれこれ心配に思うのは、自然な親心ですね。 ただ、Nさんが「何故か過去のことばかり」と書かれているように、過ぎてしまったことを後悔するばかりでは、過去に戻ってやり直さない限り、納得は出来ないでしょう。しかも「子供が元気に見えても、検査等をしないとわからないことは不安でたまりません」となると、未来も含め全てを把握しないと落ち着かないことになってしまいます。つまり、過去も未来も全てが心配の種になってしまうということですね。

では、どうしてこのように後悔と不安に苛まれてしまうのでしょう? 私たちは、失敗をしたくない、不幸な出来事に遭遇したくないと思うものです。それは、健やかに安心した生活を送りたいと願うからこそです。そうした日々を手に入れるために、私たちは色々心がけて生活をするわけですが、それでも予想外の事が起きたり、避けられない事態に陥ることもあるでしょう。 Nさんの場合であれば、いくら母親が全てに注意を払ったとしても、100%安心・安全な人生を保証することは不可能ということなのです。

ではどうしたらよいのでしょう? 森田先生は、こうした心配性の人達に「前に謀らず、後に慮らず」といった姿勢を伝え、次のようなお話をしています。『たとえば、私が自分がこんな病気がなかったらよかろうに、あの大正十年に、流感をおして講演をやらねばよかったのに、さては一昨年、あの夜、活動写真を見に行かなかったら、肺炎にもかからなかったろうに、とか既往の失策の繰り言をいわないのを「前に謀らず」といいます。「後に慮らず」とは、自分は旅行の途中でつい大患にかかったら、九州で死ぬようなことがあっては、というふうに未来の取越苦労をしないことである。結局は自分が欲望に乗り切るために、その現在現在において、戦々恐々、注意に注意をして、間違いのないようにし、そのうえもしいけないことがあれば、それは天命であって、倒れて後やむのみである、というふうに、その時々の現在になるのである』。

つまり、過去の繰り言をいったり、当てにならない未来のことを空想するのではなく、ただただ「今・現在」に目を向けて生活をすることを促しているのです。実際、過去を変えることは出来ませんし、未来を全て把握することも出来ません。健やかで幸せな子供の人生を望むのであれば、今目の前にいるお子さんとの生活を大切にし、そこで出来ることにエネルギーを注ぐことが、結局はお子さんの笑顔、親子の充実した時間に繋がるのではないでしょうか。

今、私たちは、見えないコロナウイルスの不安とどう付き合うかを問われています。そこでも同じように、現在になりきる姿勢が求められているのではないかと思うのです。
(久保田幹子)

「空回りせず、今は焦らずゆっくり療養する時期」 '20.4 

Uさん、はじめまして。パニック障害に加え、気持ちの落ち込み、食欲低下、不安等がある中、コロナウイルスの不安も加わりとてもつらい時期ですね。Uさんの文章から、自分の力でなんとかこの難局を克服しようと頑張ってこられた姿が目に浮かびます。

そんな中、心療内科を受診し主治医の先生と相談され、お薬の治療が開始されたことは大きな一歩だったと思います。治療を受け一時回復されましたが、今は再びエネルギーが枯渇し、うつ状態となっているようです。

人は誰しもうつ状態に陥ると、自分は怠け者だ、努力が足りないと思い、無理をしがちです。Uさんも、無理して頑張るけれど以前のように家事ができず、自分を責め、さらに落ち込むといった悪循環に陥ってはいませんか?

今必要なことは、「いつも通りにやらなければ」という気持ちを一旦脇に置き、空回りせず、質のよい休息を取ることです。入院森田療法では、はじめの7日間を臥褥期と呼び、部屋で何もせずひたすら横になって過ごしてもらいます。そうする中で、少しずつ「〜したいな」という気持ちが湧いてくる。その気持ちが出てきたら、少しずつ活動してみるようにアドバイスしています。

Uさんは自宅で療養されているので、何もせずゴロゴロ過ごすということは気が引けるかもしれませんが、「急がば回れ」で今は自然と気力が出てくるまで待つことが大切だと思います。もし家でゆっくり休むことが難しければ、主治医の先生と相談し、自宅以外で休んでみるのもよいかもしれません。自分に合った療養ができれば、きっと回復に向かっていくでしょう。

それから、服薬も大切です。今の体調不良は病気だから仕方がないと開き直って、薬に頼ってみてはいかがでしょうか?「自力でなんとかしよう」と悪戦苦闘する状態から抜け出すきっかけになるかもしれません。体調がよくなってから、少しずつ減薬することをお勧めします。

何はともあれ、お悩みを一人で抱えず、空回りせず、自分の自然回復力が発揮されるような環境を整えることに意識を向けてください。Uさんの回復を願っています。
(鈴木優一)

「先の不安は仕方なしに今できることをやっていく」 '20.3 

Yさんは10年前にパニック障害で悩んでいらして、それから一時症状がおさまった時期もあったようですね。しかし、何か悩み事がある度に先々悩む癖があり、不眠や強い不安感が生じてしまうとのことです。最近では、犬の病気のことで悩み、今までにない不安感が生じてお困りのようですね。Yさんは「どうにかしてこの病気を治したい」と強く希望されていますが、治ることについてどのようなイメージをお持ちでしょうか。元々ヨガのインストラクターをされていて、普段明るいYさんとのこと。もしかしたら、何かに悩んだり、強い不安がある状態は自分らしくないと思うかもしれませんね。

しかし、不安はそんなに悪いものでしょうか。森田療法では、不安の背後に欲望があると考え、物事には両面があると捉えます。この観点からみると、Yさんが犬の病気のことで不安になるということは、それだけ犬を大切に想う気持ちが強いということですね。また、Yさんの先々悩む癖については、それだけ先々の安全を求める気持ちが強いということでしょう。

何か悩み事がある度に不安になるのは、自然なことと捉えることが出来ます。一方で、先の安全を求めるがために、不安を無くそうとすればするほど、考え込んで不安がよりいっそう強くなり、不眠など体の不調にもつながってしまいます。

先のことがどうなるかは、誰にも分からないことですね。案外うまくいくこともあれば、どれだけ手を尽くしてもうまくいかないこともあります。だからこそ、不安なままで仕方なしに、大切に想うことのために今出来ることを精一杯やるしかないのですよね。今のYさんはどうでしょうか。犬のために出来ることを精一杯なさっているのではないでしょうか。こまごまと様子をみてお世話をしたり、具合が悪いと病院へ連れて行ったり忙しくされているのだと思います。その時に、不安を含む色々な気持ちが浮かぶままで仕方ないのです。

普段は明るいYさんですが、時には悲しんだり、苛立ったり、様々な気持ちがYさんの中で浮かぶこともあるでしょうし、時にはご家族にもYさんの気持ちを見せてみても良いのではないかなと思います。悲しいことですが、犬とのお別れは、いつかは訪れてしまいますね。だからこそ、今犬のためにできること、犬と一緒にしたいことを精一杯に、Yさんにとって後悔が少なくなるような時間を過ごしていただきたいと思います。
(金子咲)

「直面しにくい感情と向き合う」 '20.2 

Gさんにとって、結婚して実家を離れる、出産するということは本当に大きな変化です。特に真面目な性格の方はその環境に完璧に自分を合わせようとするあまり、様々な不調を自覚することがあります。うがいの件、火の元や鍵の確認、人と話して傷つくことの恐怖については、それぞれ別々の症状に見えますが根本はつながっている印象です。

 それらは全て「万全な状態ではないと安心できない」というものですが、万全ではないとどうなってしまうことが不安なのでしょうか?どうなることを恐れているのでしょうか?うがいや確認を最低限にとどめることは現実的な対応法ですが、その根本にあるGさんが直面しにくい感情と向き合うことが解決へのプロセスとなります。

真面目な方は周りに合わせるあまり、自然な感情を抑圧して過ごしています。例えば、「子育て、家事を頑張るあまり、自分のやりたいことを犠牲にしている」「苦しいのに人に頼れない、どう頼ったらいいのかわからない」「友達に相談したいけど、嫌われるのが恐くて相談できず孤独」など環境の変化によって症状の背景に様々な感情を抱えているケースが多いです。そういった感情と向き合っていくプロセスをカウンセリングなどで発見していけるといいですね。直面しにくかった感情を意識できると、例えば前述した例で考えると「今までは自分を犠牲にしてきたけど、自分のやりたいことをやってみる」「頼れなかったけど、思い切って人に任せてみる」「恐る恐る友達に気持ちを打ち明けてみる」など行動を変えていくことができます。行動が変わってくると不思議なことに自然に様々な不安とも付き合えることになります。

森田先生のことばに「互いに他人の苦痛に共鳴し同感する事が神経質の治る第一歩である」ということばがあります。まさにその通りで感情と向き合い、人と共有すると変化が生まれます。
(大久保菜奈子)

「構えすぎず無理ない範囲でやっていく」 '20.1 

Mさんは、昨年の8月に倒れてから休職し、一度復職されましたが、めまい、ほてり、首肩の痛みから、また休職され、現在は再復職への不安で悩まれているとのことです。

急に度重なる症状に襲われて大変でしたね。10月に復職して以降は、身体の症状に加えて、不安・緊張の強まりから、仕事がさらに手に着かなくなった様子もあるようです。

体験フォーラムでのやり取りで更年期についての理解が進み、そしてAさんの「症状は出ます」という言葉で少し覚悟が決まったとのお話もありました。

Mさん自身が入眠障害について書かれていたコメントで「眠れなくても次の日眠ればいいじゃない」の一言で踏み出せたというエピソードを書かれていました。すばらしい!体調不良も復職もこれと同じです。自然に起こる体調の悪化(人間の生理、一次的現象)は仕方ないことなのでこれについてはあきらめ、必要な治療は行い、それぞれの症状が和らぐように過ごしましょう。こうすることで、「本来具合が悪くなるべきではないのに」という心理的葛藤からより症状が悪くなる悪循環(二次的現象)を防ぐことができます。

Jさんのアドバイスにあったように、自分のキャパシティを理解しながら進むというのもとても大事な観点ですね。更年期ならなおさら大事です。若い頃や病気をする前とは違う新しい自分の状態に慣れていくということを英語では自分のnew normal(ニューノーマル)に慣れていくという言い方をするそうです。それが無理な目標に向かって自分を追い込まず、今頑張っている自分を温かく見つめられる秘訣かと思います。

そして、戻った時に再び体調不全になると何が困るのか具体的に考えてみましょう。困るのは実際の仕事の内容についてですか?それとも職場の周りの人の目や反応でしょうか?そしてそれぞれのことについて具体的に対策を考えていくとともに、更年期や不慮の病は自分ではどうしようもないことなので、落ち着くまでは引け目を感じすぎることなく、会社にもやって頂けるサポートをしてもらうのも一案です。
(矢野勝治)

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