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症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋

「自律神経症状に対する関わり方について」 '21.12 

こんにちは、Mさん。Mさんは唾液にとらわれ、その違和感に特に悩まれているようですね。そこには、森田療法で言われる所の注意の悪循環が働いていると考えられます。違和感を払拭したいが故に余計に違和感に注意が向き、とらわれを強めてしまった訳です。しかし、Mさんは長い闘病の中で、唾液以外にも自然と注意を向けられるようになってきました。このことは、症状を目の敵にせず、そのまま放っておくことが出来るようになった証左でもあります。ここの感覚が掴めるようになってくると、治療の大山は超えてきたことになります。

 ところで、私は唾液に限らず、自律神経症状などにとらわれる時は、その多くの患者さんが精神的緊張や心身の疲労を溜め込んでいると捉え直すようにしています。特に緊張は交感神経を強め、体の違和感の亢進に関与しているでしょう。また疲労は物事を俯瞰的に見る客観性を減弱させ、視野を狭くさせてしまうのだと思います。つまり、このことは、結果的に上記のような心理的悪循環を増幅させ、とらわれの温床になることを意味していると言えます。

 そうだとすれば、唾液にMさんがとらわれた時は、必ず唾液を無くすのではなく、その背後にある緊張や疲労の緩和に注目していただければと思います。実生活を通じて、一連の緩和が図られれば、身体的違和感も時間とともに自然に消退すると思います。その方法は難しいものではありません。まず早めの睡眠を心がけましょう。初めの二~三時間で熟睡が得られると、心身の疲労が回復し、自律神経が整うと言われているからです。

 また呼吸法を取り入れることも、緊張緩和に大きく寄与すると思います。その上で一番大切なことは、Mさんが仰っているように、普段通りに生活することです。その際、パソコンやスマートフォンを使うなど頭を酷使する時間を少なくし、手先を使い、良く体を動かすこと時間を是非増やしてください。心身を整え、生活感を養うことが、結果的に様々なとらわれを緩和させるからです。つまり、森田療法で作業を重んじている意味がここでも生きるのです。

 しかし、Mさんはかなりのことを体得されていると思います。だから唾液のことが気になっても、上述の生活工夫さえ意識していけば絶対大丈夫です。良くなりますよ!Mさんの日常生活が更に豊かになることを心より願っています。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

「答えを急ぎたくなるときに」 '21.11 

Nさんは「加害強迫が苦しくてどうしたら良いかわかりません」「この6年程はとくに加害強迫がひどく、見知らぬ人と1対1ですれ違ったり、エレベーターに乗ったりすると、何か危害を加えたのではないかと不安でたまりません。お肉料理は怖くてできません。子供でもお年寄りでも、自分より力のなさそうな男性でも、とにかく誰でも不安で仕方がありません。」と書き込まれています。

 加害的な強迫観念は「人を傷つけてはいけない」という思いがあるからこそ生じるもの。 一方でNさんは「本当は傷つけたいんじゃないか」「自分が悪い人だったらどうしよう」という不安に駆られることも書いています。加害的な強迫観念はご自身を苛むもので苦しく、「この観念が浮かばなければ、不安がなければどんなにいいだろう」と思われることでしょう。

 こうしたとき、ともすると「自分は悪い人間かそうでないか」「傷つけたいと思っているかそうでないか」など、白か黒かに答えを急ぎたくなってしまうもの。けれどもそこで「100%の答え」を出そうとしたり、自分の心を試したり、理屈で判断しようとすると、ますます強迫観念から身動きが取れなくなってしまいます。答えが出ないまま、目の前のことに一歩踏み出してみましょう。

 フォーラムにも「失礼な書き込みをしたらどうしよう」と不安がありながら一歩踏み出そうと書き込まれたとのこと。これは大きな一歩ですね。「万一失礼な書き込みをしたら」という不安よりも「一歩を踏み出すために書き込む」ことを選択できたということ。このように、一つ一つ踏み出してみましょう。

 例えば他の日にご家族と買ったお肉を何度もパッケージを確認しながらも焼いて食べたことも書かれています。「治したければ恐怖突入するしかないですよね?」と書かれており、その通りなのですが、大切なのは恐怖突入のその先。お肉を食べたご家族の反応はいかがだったでしょう?しばらくぶりに食べたお肉に喜んでいたのでは?お肉の味はいかがだったでしょうか。そのように恐怖突入してみたら、その先に目をむけることも大切にしましょう。そして少しずつ自分の生活を取り戻していきましょう。
(塩路理恵子)

「背水の陣」 '21.10 

S様、行き詰まっていてお辛そうですね。今の状況ですぐ以下のことを生かせるかどうかわかりませんが、森田療法の創設者の言葉を引用しますね。

森田は治療上「背水の陣」が大事と述べています。具体的には「神経質の症状が治るには、背水の陣ということが最も必要なことです。背水の陣というのは、兵法で敵前に、川を後にして陣をしいて、逃げることの出来ないようにすることです。退却することができないと確定すると、突進して血路を開くよりほかに方法が尽きてしまう。鼠一匹でも、正面からパッと飛びかかってくると、たいていの人が身をかわすものです。必死の勢いで突進していけば、必ず血路は開ける。これを必死必勝といいます。

『窮すれば通ず』といって、神経質の症状は、みなこの心境になりさえすれば、必ず全治することができます。(中略)書痙の場合にも、まず第一に、背水の陣で、自分は字は書けないものと決めて、指が震えてむ腕がくたびれても、けっして普通の筆の持ち方を変えてはならない。そして金釘流に、字の型をつくるような心もちで、時間を構わず、ノロノロと書くようにする。けっして身のほどを知らずに、手際よく書こうとするような野心を起こしてはならない。」と説明しています。

森田先生の言葉をそのまま受け取ると現在の我々には厳しい口調かもしれません。ただ、「悩んでいる」と書き込みから、「不安はあってもなんとかしたい気持ちがある」と推察します。コロナ不安を抱えつつ、一般的に行われている手指消毒やマスクをしつつ、思い切ってお辛いことを相談しにいってみてはいかがでしょうか?

あとは、本当は自分が何をしたいのかを改めて問い直してみて、その方向へ少しずつ動いてみるのも良いかもしれません。どうかお大事になさってください。
(舘野歩)

「汗をかくのは辛いけど、一歩踏み出して」 '21.9 

Jさんは、「二人の場面で話をする時に、顔から大汗をかいて恥ずかしい。話の内容より汗をかく自分に意識が向き、より緊張して汗が顔から吹き出してしまう」と書き込まれています。汗をかいてびしょびしょになるでしょうし、相手から変な目でみられるのではないかと気になるかもしれません。お辛いですね。

Jさんが書かれている通り、汗をかいている自分に意識を向け、汗をかかないように努力すると、より緊張して汗をかくという現象は、精神交互作用と考えられます。一人でいる時や、大人数の中で自分に意識が向けられず過ごしている時は汗をかかないのは不思議ですね。

森田療法では、大汗をかいて恥ずかしいと感じ緊張するのは、きちんとした人と認められたい、人と仲良くなりたい、などの欲望あっての悩みととらえます。また、汗をかくと、相手に不快な思いをさせてしまうと悩む方もいます。このような悩みも、相手への思いやりがあってこその悩みと考えます。本当は家族や友人と楽しい時を過ごしたいのに、その気持ちが強すぎて大汗をかくという症状につながっているのかもしれません。

それでは、このような悩みにどのように対処すればよいのでしょうか。一つ目は、汗をかきながらでも相手の話に耳を傾け、会話に意識を向けることです。Jさんのおっしゃる通りです。相手の話をしっかり聞けば、自分が何を話す言葉も自然と頭に浮かんでくると思います。また、相手が自分の話を聞いてくれていると感じれば、自然と対人関係は良くなっていくのではないでしょうか。

二つ目は、自分から話す話題がない時は、無理して話そうとせず、沈黙があってもよいのではないでしょうか。ずっと話続けるのもお互い疲れるものです。それから、相手からどう思われているかどうしても気になるようでしたら、「最近汗をかきやすくなっちゃって」と率直に伝えてみるのも一手です。案外、相手の方は汗のことを気にしていないかもしれませんよ。

このように不安ながらも、人と関わりたいという気持ちを大切に、少しずつ恐怖突入していくことが大切なのですが、そのハードルが高ければ、医師の処方するお薬を味方につけることも一案です。Jさんのペースで一歩踏み出されることを願っています。
(鈴木優一)

「コロナの不安との付き合い方」 '21.8 

Kさんはもともと確認強迫があったところに、コロナ禍で不潔恐怖になり、時間で決めてもスッキリするまで手洗いがやめられずに悩んでいると書かれていました。恐怖ゆえにご家族も確認に巻き込んでいるとのことですので、ご家族も含め、大変な状況だろうと思います。

確かに、なかなか収まらないコロナ感染に不安・恐怖を抱き、Kさんのように洗浄・消毒がエスカレートしてしまう方は少なくありません。また、外出すること自体も恐怖に感じ、家にひきこもってしまったり、結果的に意欲自体も乏しくなってしまう方もいます。

コロナウィルスは、まさに未知の存在として私達の死の恐怖をつのらせ、生活そのものを脅かすものとなっています。感染が拡大し始めた当初に比べれば、さまざまな対策・治療方法はわかってきていますが、いずれも100%ではないことが、また私達の不安を強めていると言えるでしょう。

Kさんは虚弱体質であることもあり、感染そのものが不安であると同時に、発熱してもすぐに診察してもらえないのでは・・・と診療体制に対しても不安に感じているようです。こうしたコロナに対する不安は、ある意味当然であり、全世界の人々が感じている自然なものです。ではどうしてKさんは、ここまで手洗いをやめられず、不安に怯える毎日になってしまったのでしょうか。

先ほども書いたように、コロナの実態は大分解明されてはきたものの、まだまだ分からないことは残されています。つまり、私達が感染しないために出来ることは限りがあるということです。どれだけ気を付けたとしても100%の安心はあり得ません。しかしKさんは、完璧な対応、100%の安心を求めてしまっているために、「気がかり」に思うことを何とか無くそうとして、逆にそれに振り回されてしまっているのかもしれません。

つまり、100%は不可能という現実や、実際に感染リスクが高い行動をしていたのかという事実に目を向けずに、「気がかり」という気分をスッキリさせようとしてしまっているのでしょう。実際、Kさんは「スッキリするまでやめられない」と書かれていますよね。そうなると、感染を防ぐために洗っているのではなく、不安・嫌悪感という気持ちを洗い流そうとしていることになってしまいます。これでは、どこでやめるかは、その日の気分次第になってしまうでしょう。

ではどうしたらいいのでしょうか?確かに感染対策は必要です。推奨されている手洗い・マスク・密を避けるなどの対策が、今私達に出来ることです。しかし不安をゼロにすることは出来ないことです。まずは現実と気分を分ける、出来ることと出来ないことをわけるようにしましょう。少なくとも「スッキリ」を目安にしたら、それは気分を洗っていることになるのです。

Kさんがそこまでコロナの感染を不安に思うのは、健康で安全な生活を送りたい気持ちが強いからですよね。コロナ禍で、多くの人が「今、出来ること」を必死に探しています。Kさんも、小さなことでも「やってみたいこと」を探し、今の状況で出来る方法を工夫してみましょう。今のまま手洗いで時間と体力を消耗してしまう方が、よほど心残りな人生になってしまうはずです。

本当の意味で、後悔が少ない生活をするにはどうしたらいいか?そこを考えると、Kさんの神経質が長所となって発揮されてくると思います。何とかコロナ禍を生き抜くために、粘ってみてください。
(久保田幹子)

「ハラハラするままやってみる」 '21.7 

こんにちはPさん。子供の頃から神経質な性格で、さまざまなことに悩まされながら過ごしてこられたのですね。一時は、生活に支障が出るほど悩み事が頭から離れなかったこともあったようですが、大学生活を送っていく中で克服されたとのこと。大変な努力をされたのだろうと想像します。しかし、ここ10年程で、また困りごとが出てきたのですね。仕事でのミスが怖い、自分で何かを判断することが怖いというお悩みの内容を鑑みると、管理人の方もコメントされているように「不完全恐怖」というものに分類される強迫症の一症状にお困りでいらっしゃることが推察されます。

不完全恐怖は、「物事に万全を期したい、完璧を目指したい」気持ちが強いために、ちょっとしたことが不完全に思えて気になってしまうものです。Pさんのように、学生の頃までは苦労されながらも何とか過ごせていたのが、お仕事を始めて責任がかかる状況に身を置かれることにより、不完全恐怖が強く出てくるという方は少なくありません。では、このような不完全恐怖に対して、どう対応したらいいでしょうか。

森田療法では、「その気持ちのまま」やってみることを勧めます。つまり、Pさんの場合には、ミスをすることや自分で判断することが「怖い気持ちのまま」やってみるということです。

森田先生は次のように仰っています。「気がもめるハラハラするということは、同時に仕事を多くしたい、能率を上げたいということである。これは必ず別々に取り離して考えることはできない。・・・このハラハラするということは、これをそのままわれわれの行動の方から見ると、私のいうところの『不安定の姿勢』ということに帰着する。・・・この姿勢で乗っていれば、何かのときに、常にかけひきが最も自由にできるのである。」

Pさんの「うまく気持ちを切り替えたい」という言葉からは、怖い気持ちを無くしたいという想いの強さがうかがえます。しかし、森田先生の言葉から見てみると、怖いままやれている方が、一見不安定なようで、かえって何かあった時に柔軟に応じられる良さがあるとも言えます。

Pさんは、神社仏閣をけがしてしまう恐怖も強くあるのですね。「心置きなく参拝したい」というお気持ちがあるPさんですが、神社仏閣が好きという気持ちを大切に、「怖い気持ちのまま」「ハラハラするまま」行ってみてはいかがでしょうか。Pさんの行動が広がっていきますよう、応援しています。
(金子咲)

「雑音恐怖の背後にある気持ち」 '21.6 

Dさんはマンションの騒音に敏感になりすぎていると感じ、またルールを守らない人を必要以上に気にしてしまうことに悩まれているとのことです。他者にも音や周りの環境にもかくあるべしを求める気持ちが強くなっているのですね。

体験フォーラムの方からは、音の大きさではなく、神経質者のかくあるべしによってとらわれが起きている可能性や、静かな環境を作り出そうとしたり、自分を鈍感にさせようとするのではなく、うるさいなあと思って寝ることがとらわれから抜け出る道であることなどがアドバイスされていました。その通りだと思います。

そして、マンションのルールを守らない人についてはどんなルールが守られないことがどのように嫌なのでしょうか。例えばごみの出し方?挨拶をしないこと?役割を果たさないこと?などでしょうか。自分が何に怒りを感じ、何を嫌と感じているのか、その感情をよく味わってみてください。そうすると、本来こうするべきなのにという懲罰的なルールではなく、自分が何を願っていて、どうしたいと思っているのか、別のアプローチが浮かぶかもしれません。

ちなみにDさんが騒音や他人のふるまいが気になるようになったのはいつ頃からでしょうか。小さいころからですか?それともある時期からでしょうか。途中から起きてきた場合には、どんな時期に起きてきたのでしょうか。「自粛警察」について書かれていた方がおられましたが、自分が自分らしくあまり我慢せずに生きているときには、心は常に流れており、他者のふるまいはあまり目に付かなかったりします。Dさんのいらだちや怒りの中にはどんな思いがあり、そして今の自分をどう思っているのでしょうか。そういった視点もまた自分の心底にある気持ちを知り、真に自分を生かすために大切かもしれません。

森田療法では、不安やいらだちといった負の感情もそれ自体は病的なものではなく、人間だれしもが持つ普遍的な感情だと考えます。うるさいなあと思って寝ることというアドバイスにあったように、どのような気持ちが、何によって生じているのかをしっかり見つめ、感じると、どんなに不快な気持ちであっても、その気持ちがずっと滞ることはなく、流れていき、それにとらわれることはなくなっていきます。

自分の性質についても同じです。神経質で物事にとらわれやすい人は、自分をしっかり生かしてやっていきたい気持ち(生の欲望)が強く、自己内省が強いのが特徴であると森田は述べています。旺盛な生の欲望や自己内省は自律と向上心にもつながり、そのまま生かすことができれば大変に豊かな資質となりますが、優劣への敏感さ、自己内省の強さなどにより、大きく感情が揺さぶられるなど、苦痛を伴うこともあります。

この苦痛を避けようとして、いつでも動じない人になろうと試みたり、自分の弱点を隠すことばかりを考えるようになると、自分の資質の弱い部分に目が行き、人の目が気になったり、自分にダメ出しばかりするようになってしまいます。または自分の心もとなさから、かくあるべしが強くなり、他者に厳しくなるということもあるかもしれません。

感じやすく内省の強い自分にOKを出してあげ、いらだちの背後にある自分の気持ちや願いを見つめて、今の生活の中でより自分が望む生活や趣味をすることに力を注いでいけたら、気持ちもより流転し、生活も充実していくはずです。コロナや自然災害など自分だけの力ではどうにもならないことも多いですが、自分を緩め、楽にしていく方法をぜひ取っていってみてください。
(矢野勝治)

「自分の生の欲望を大切にする」 '21.5 

Hさんは子供の頃から視線恐怖症や色々な強迫観念症で苦しんでいらっしゃいました。また、そのことをご家族に理解してもらえず、森田療法やヨガ、修行などを行ったこともあるそうです。また、母親が怖くて守ってもらえなかった、愛された記憶がないと苦しんでいらっしゃいます。

Hさんは小さなころから様々な症状で苦しみ、また、母親から愛された記憶がなく、生まれてこなければ良かったと感じつつも、なんとかしようと、色々なことにチャレンジされてきたのですね。そのチャレンジ精神、素晴らしいと思います。

今回のHさんの発言では、現在何に最も困っていらっしゃるのか分からない所もあるのですが、今回は、強迫観念についての対処方法について、お話しさせていただきます。

強迫観念は自分の意志に反して、頭に浮かんでしまい、払いのけられない考えのことをさします。この強迫観念そのものを無くさなくてはいけない、と必死になくそうとすると、ますます強迫観念にとらわれてしまいます(思想の矛盾といいます)。そのため、森田療法では、強迫観念はあるがままに(そのままにして)、本来の自分の生の欲望(向上発展への希求)の方にエネルギーを費やしていくことを推奨しています。森田療法でいう「あるがまま」は不安をやりくりせずに、そのままにしておくという姿勢と、生の欲望に従って日常生活に関わっていくという姿勢の二つをさしています。

Hさんの生の欲望はどんなものがあるでしょうか。症状に圧倒されて、本来の自分が何をしたいのか、分からなくなる方も多いのですが、症状がなかったら、何をしたいのか、どんな生活を送りたいのか、考えてみてください。そして、その生活に近づくために、今、出来ることに手を付けてみてください。症状をなんとか克服しようと色々なことにチャレンジされてきたHさんであれば、出来るはずです。是非とも頑張ってください。応援しています。
(谷井一夫)

「症状から見える持ち味について」 '21.4 

はじめまして、Tさん。文面を拝見する限り、Tさんは自分の行為が他者に危害を与え、「重大なことになってやしないか」という強迫観念に悩まされているのでしょう。馬鹿々々しいと感じながらも、その観念が心の中に差し迫ってくる様子を踏まえると、Tさんは強迫性障害であると考えられます。

このような強迫観念は、かなり侵襲的であるため、多くの患者さんは受け入れることができません。その結果、その症状を打ち消し、安心を得ようと様々な行動を試みます。その代表的なものが、確認行動や洗浄行為などです。しかし、その行為が繰り返されるほど、症状へのとらわれを生み出すこととなってしまいます。

Tさんは、現在できる対処を色々試みた訳ですが、一連の努力によって回復していないとすれば、その奮闘もやはり症状を打ち消す行為だった可能性があります。しかし、落ち込む必要はありません。友人知人に相談されたこと、プロのサポートを得ようとした試みなど、必死に取り組んだ事実は、回復を求めた「生の欲望:以下欲求」の表れと私は考えます。つまり、この欲求を、症状排斥のためだけに消耗せず、森田療法で言われるところの「より良く生きる」という姿勢に還元していけばよいのです。

では、どのようにしていくと良いでしょうか? 私はTさんの「他者に危害を与え、迷惑をかけるのではないか」という加害恐怖にこそ、回復の糸口があるのではと考えます。そのため次の二点を心がけていただければと思います。

一つは、強迫観念は自然発生的な不安や恐怖と同様に捉えていく必要があります。つまり、先人の森田療法家が述べているように、意志の力ではコントロールできないのです。それは、我々が嵐に向かって「早く消えて晴れになれ」と言っているようなものです。そうだとすれば、症状を放って自然に消退するのを待つという姿勢が欠かせません。早く対策を打ち立てることだけが回復ではないのです。

その際、私は、患者さん達に「不安は悪者ではない。堂々と不安を感じて良い!!」と保障するように心がけています。多少の確認行動もあって構いません。しかし、この視点だけでは、単なる症状に対する我慢比べになってしまいます。そこで二つ目の視点が重要となります。それは症状以外の生活世界にどのように関わるかということです。

私は、Tさんの加害恐怖には単に症状という意味だけでなく、Tさんならではの優しさの表れとも捉えています。その持ち味を目の前の生活場面に如何に発揮するかが求められるのです。それは目の前の生活場面の取り組みに対し、誠実かつ細やかに取り組むことを意味します。そのため、症状に苦しみつつも、日常生活で手と足を積極的に使いながら、様々な作業に関わっていくように心がけていきましょう。

例えば、スーパーで買い物をしている際、「自分が周囲の人に触れ、けがをさせたのでは」と強迫観念に駆られたとします。勿論、そこで振り返るなどの確認行為があったとしても、最終的には今日の夜に必要な食材に思いを巡らし、色々な品物を手に取りながら吟味し買い物を終えていくよう意識することです。そこにTさんの細やかさを生かしていけば、選ばれた食材たちもきっと喜んでくれると思います。そして、持ち味を生かしながら生活感覚を養っていくことは、症状へのとらわれに風穴をあけることでもあるのです。それこそ、Tさんの回復を表しています。

今は苦しみの渦中でしょうが、時間を掛けながら、是非Tさんの持ち味が実生活に更に発揮されることを願っています。
(樋之口潤一郎)

「子供を傷つけるのではないかという強迫観念」 '21.3 

Aさんは、「生後5ヶ月の娘への加害恐怖に苦しんでいます。」と書き込んでおられます。

赤ちゃんはあまりに非力で、私が少しでもその気になったら簡単に傷つけてしまえることが恐ろしくて仕方ないです」とも書かれています。本当にその通りで、子供、赤ちゃんはか弱くて、だからこそお世話も必要で、「傷つけてはいけない」さらに「傷つけてしまったらどうしよう」という観念も浮かぶのでしょう。加害恐怖に悩む人は道徳心が強い(時に強すぎる)人が多いとも言われます。

同じように我が子に対する加害的な強迫観念に悩むKさんは、想像してみたら本当にそうしたいと思っているかのようにさえ思えて、「自分の本心がわからない」と苦しい胸の内を打ち明けておられます。こんな恐ろしいイメージは苦しい、浮かばないでほしい、と思われていることでしょう。

ただ、森田療法では浮かんでくること、感情には価値判断をしない、ということを大切にしています。そして「本当の気持ち」というのは理知でもって探るほどに藪の中に迷い込んでしまいますし、ましてや自分の気持ちを試したりコントロールしようとすればなおさらです。

Aさんの書く「本当なら可愛くて仕方ないはず」というのも、実際には不安な自分の気持ちに「かくあるべし」をあてはめてしまっているかもしれません。森田先生流の喩えでいえば、「胃腸の調子が悪いけど有名店のお菓子だから美味しく感じなくちゃ」というようなもの。感じ方というのもその時その時の様々な要因で変化するもので、やはりそれには無理がありますよね。「可愛く感じることは少し先の自分に預けておく」というようなイメージでもよいと思います。

そして「森田療法のことを知り、自分なりに恐ろしい気分のままでやるべきお世話はやっていますが」とのこと。頑張っておられますね。少しずつでも、お世話をしたときの、娘さんの様子に目を向けていきましょう。娘さんはお世話にその都度いろいろな反応をしているはず。そして、「1週間前、1か月前とこんなに違う」とびっくりするときが来ると思います。
(塩路理恵子)

「一人で悩まず、精神科の医師にご相談ください」 '21.2 

Sさんは、考えていることを頭の中で何度も確認しないと気が済まない、文章を読む時に同じ箇所を何度も読み上げないと気が済まないという強迫症状でお悩みとのことです。一般に、強迫性障害には、強迫観念のみにとどまるタイプと、強迫観念に伴う不安を解消したり打ち消すための強迫行為を伴っているタイプがあります。Sさんの場合は後者のようですね。

また、二つ目に、自分の意思とは関係なしに、頭の中に考え事が浮かんできて行動できなくなるお悩みがあるとのことです。このような心の状態は、周囲の人達からはなかなか理解してもらえず、たいへんにお辛い状態とお察しします。Sさんは、精神科や心療内科に通院されていますでしょうか?

もし、自分が自分であるという感覚が変わってきていたり、思考力全般にも影響が出ている状況でしたら、森田療法に取り組む前に、医師の診断のもと、適切なお薬の治療を受けることをお勧めします。お薬は人の考えや性格を変えてしまうことはなく、症状を緩和してくれる働きがあります。ある程度症状が改善し落ち着いた状態になってから、ゆっくりとご自身の生き方を模索されたらよいと思います。

あまりよいアドバイスができず恐縮ですが、お一人で悩まず、専門の先生に今一度ご自身のお悩みを伝え、最適な治療を受けられることをお勧め致します。
(鈴木優一)

「強迫観念は想像上の不安→本来の願望に目をむけよう」 '21.1 

Rさんは、長らく強迫症に悩まれており、子どもにひどいことを言ってしまうかもしれない、傷つけてしまうような言葉や行動を起こしてしまうかもしれないという不安が頭に出てきて、時に子供と接することが怖くなってしまうと書き込まれていました。

日々の子育ての過程で、お子さんを自ら傷つけてしまうという考えに苛まれることは、とても不安になると思いますし、何よりお子さんとの関わりに躊躇してしまう状況は辛いことと思います。

ではどうして、ご自身の大切なお子さんをあえて傷つけてしまうのではないか・・・といった考え・不安が浮かんでしまうのでしょう?これまでも、この体験フォーラムで多くの先生方が解説していると思いますが、森田療法では、不安は自然な感情と理解します。それは、不安が「より良く生きたい」という欲求の裏返しと考えるためです。Rさんの場合も、お子さんを大事に育てたい、傷つけたくないという気持ちが非常に強いからこそ、逆に傷つけるようなことをしてしまうのではないか・・・と不安に思うのです。つまり、不安はお子さんをとても大切に思っている証ですね。ただ、あまりにその気持ちが強いので、少しの不安がよぎることも受け入れ難く、逆にあえて自分がそうしてしまうのではないか・・・と、自分の態度や行動、何より自分自身のお子さんへの愛情を疑ってしまっているのだと思います。本当にお子さんを傷つけてしまうような母親は、そうなることを心配したり、自分の行動が間違っているのではないかと省みることはありません。 実は、こうした強迫観念は子育て中のお母さまにみられることは少なくないのです。そして、同じような悩みを持つお母さま達に共通することは、母親としての責任意識が非常に強い点です。それは、「母親なのだから子供は大切に育てるべき」「母親は子どもを傷つけてはいけない」といった構えに繋がりがちです。「こうあるべき」と過度に自分に要求してしまうと、少しの失敗も許せなくなってしまいます。それが、Rさんが苛まれている不安を生んでしまうのです。

母親も人間です。時にイライラすることもあるでしょうし、失敗してしまうこともあるでしょう。それでも、我が子を大事に思う気持ちがあれば、それは必ずお子さんに伝わるものだと思います。母親はこの世の中で唯一無二の存在なのですから。

Rさんは、こんな状況を少しでも変えたいと書かれていました。これまで書いてきたように、不安自体を無くすことは出来ませんが、本当の願望を生かすことは出来るのではないでしょうか?お子さんはどんなもの、どんな食べ物、どのような遊びが好きなのでしょうか?Rさんは、お子さんとどんなことをして過ごしたいでしょうか?二度とない、お子さんとの「今」この時間こそを大切にして、強迫観念は頭の片隅にあったとしても、日々の生活の中でお子さんの笑顔が、そして共に笑い合える時間が少しでも増えるように、具体的な過ごし方を考えてみてください。必ず、想像上の不安はいつか流れ去っていくと思います。
(久保田幹子)

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