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症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋

「今の自分にできること」 '19.12 

Eさんは小五の頃左手薬指を骨折し手術されましたが、現在でも少し変形しており、グーの形にすると中指と薬指の間に隙間ができ、中三の頃より、それが異様に気になるようになりました。それが気になるようになってからは「グーは手の真ん中に力を込める時に使うのに、隙間が空いてるから、全身全霊のグーができない。だから、物事をやるにしても全力が出せない」などと考えるようになりました。それをきっかけに儀式行為や確認恐怖などの様々な強迫症状が出現するようになりました。強迫症状の多くは暴露(エクスポージャー)で治されましたが、現在でも「左手への恐怖」が消えなくて、困っていらっしゃいます。

「左手への恐怖」というのは、「見た目」なのか、「全力が出せないこと」なのか、文面だけではちょっと分からないのですが、いずれにしても、左手の隙間が気になって、左手ばかりに注意がいくことで、ますます気になってしまう、といったように左手にとらわれてしまっているようですね。小五までの何の問題もなかった左手の薬指ではなくなってしまったこと、とても残念に感じていらっしゃると思います。また、それは容易に受け入れられなかったのだろうとも思います。

Eさんは、「もしも、隙間が空いていなかったら、全身全霊のグーができるのに」と考えていらっしゃるようですが、今の左手の状態で実際に生活の中で困っていらっしゃることはあるのでしょうか。おそらくは、昔の左手で出来たことと、今の左手で出来ることに大きな違いはないのではないでしょうか。そうであるならば、「もしも、元の左手であったら…」と考えるよりも、今の左手でも出来ることに目を向けてみてはいかがでしょうか。隙間の空いていないグーをしなくても、色々なことに全力を出せると思います。あるいは、変に余計な力が入っていない方がより良い結果を生むこともあるかもしれません。

様々な強迫症状を乗り越えてきたEさんなら、今の自分にできることに目を向けて、それらに手を付けていけば、とらわれから抜け出せると思います。頑張ってみてくださいね。応援しています。
(谷井一夫)

「確認について」 '19.11 

こんにちは、Iさん。Iさんは加害恐怖からの確認行為に悩んでいるのですね。強迫観念はバカバカしいと思っても、侵襲的に頭の中によぎり強い恐怖を我々に与えるものです。そのため、確認をせずにはいられないという気持ちを容易に作り出してしまいます。

内服では、セルトラリンなどSSRIという抗うつ剤が強迫症状に有効とされていますが、その改善率は5割程度に留まり、うつ病の回復率と比べても差ほど高いものではありません。そのため、内服だけで、強迫性障害の治療が完結することはなく、やはり症状との付き合い方を学ぶことが不可欠なのです。

強迫症状の場合、確認行為が更なる不安を呼び、結果的に確認行為を助長させるという特徴があります。だからこそ、「確認をしないように」と担当の先生も助言されたのだと思います。しかし、完全にこの助言を遂行する必要はありません。その上で二つのことを心がけて起きましょう。

まず、確認行為は恐怖を打ち消すための苦肉の策であるという点です。けれどもこの打ち消す行動が却ってとらわれを生んでいるのです。それ故、確認行為の時はしっかり「恐い」という感情を否定せずに味わってください。その方が意外にも確認行動を手短に済ませられるように感じます。

次に、確認行為の次の行動を意識することです。特に確認行為にはまりこんでいる時は、時間感覚が非常に曖昧になってしまいます。確認行為の次の行動が出勤であれば、必ず遅刻しないことを心がけて実践することです。この際は、不確かな感覚を抱えることになりますが、これを少しでも持ち堪えながら前に進むことが、Iさんにとっての治療的練習なのです。

最後に、Iさんが強迫症状以外に、人生の楽しみなどを見出すことを大切にしてください。強迫症状が完全に取れなくても、日々の生活に目を向けて、色々なことに手を出してみることです。特に自宅に留まらず、自然に触れることは、自ずと症状以外の点に目を向ける切掛けとなります。それに恐怖以外の感覚を育てていく切掛けにもなるのです。このような生活が少しずつでも広がっていけば、おのずと症状を抱えながらより良く生きるという森田療法の文脈が育っていくと思います。

今は、まだまだ大変中ですが、Iさんの生活が広がり豊かになることを心より願っています。頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

「「受け入れる」と「ねじ伏せる」の違い」 '19.10 

Yさんは、人間関係に悩み、「キラキラしてる華やかな女性が苦手で、自分のことを見下してると被害妄想になることがあります。」「私だけ男性から話しかけられず、孤独になる時があります。」と書き込まれています。

同じ場にきらびやかな感じの女性がいたら、苦手意識を持ってしまったり居心地の悪い感情を持ってしまうのは、自然なことですよね。Yさんはとても正直な方なのだと思います。でも今の状況にも、自分に起こってくる感情にもとても受け入れ難く感じているのですね。

「この状態も「受け入れる」ことが必要なのでしょうか?」と書き込まれていますが、受け入れがたい気持ちを「受け入れなければならない」とねじ伏せようとしてしまうと、そこにギャップが生まれて、ますます注意も向いてしまい感情にとらわれてしまいます。「受け入れる」とは、「(感情を)ねじ伏せる」こととは異なります。

森田療法には「事実本位」という言葉がありますが、まずはその受け入れがたいという感情を今の「心の事実」、として認めてあげることから始めてみてはいかがでしょうか。その気持ちをそのままに認め、付き合いつつ、少しずつ外の世界と関わっていきましょう。

森田先生の本を4冊も読まれたとのこと、努力家で「より良い自分でありたい」というエネルギーも強いのでしょうね。

「話しかけてもらえず落ち込む」ということは、話してみたいなと思える人がいるということではないでしょうか。まずは挨拶や、その場でのその日の出来事など共有していることから話してみてはいかがでしょうか。キラキラとは異なるかもしれないけれど、Yさんの良さやエネルギーが伝わって関わりが広がっていくことと思います。
(塩路理恵子)

「森田療法に合いやすい強迫症」 '19.9 

M様、こんにちは。

強迫性障害(強迫症)を医師が診察をするとき、
(1)不安を和らげることを目的として強迫行為(手洗いや確認)を行うか
(2)衝動制御障害(自分を傷つける行動・リスカや過量服薬など)を伴う強迫行為か
(3)ばかばかしいと思わず同じ行動をただ繰り返す常同行為に近いか
を見定めることを重視します。

強迫症の中で森田療法に最も適応しやすいのは、不安を和らげることを目的とした強迫観念、強迫行為を有する強迫症です。

不安を和らげるタイプの強迫症に対するアプローチを挙げます。
(1)患者は、自分が何か欠けていると感じている場合が多いです。
  そのような「欠損モデル」でなく、不安の背後には「過大な生の欲望」
  があるという「過剰モデル」に読みかえます。
  その上で、当然あってよい不安を頭の中で打ち消そう
  とすると、ますます症状へ「とらわれて」しまうと伝えます。
(2)不安を強迫症状で排除するのではなく、不安のままに
  一拍置くよう促します。不安のレベルは、ピークが来れば必ず下がることを
  体験してもらえるかどうかが大事になります。
(3)不安のままに建設的な行動を実践してみる。
(4)身体を動かしたときの感情体験をかみしめてみて下さい。

不安を軽くするための手洗いや確認行為でない場合は、薬物療法をまずは試すことをお勧めします。薬物療法の第1選択はSSRIです。ただしすぐに効果が出ることはまれです。医師は、2−3ヶ月かけて評価をします。中止する場合、セロトニン症候群を始めとする離脱症状に注意して少しずつ減らす(漸減)のが望ましいです。

SSRIで効果が得られない場合は、アナフラニール(保険適用外)を医師は使用します。それでも効果が得られないときは、統合失調症で使用する薬剤を少量追加します。

薬の効果で不安が和らぎ、上記の森田療法的考え方を実践しやすくなることもあるからです。薬物療法を開始し、森田療法を併用し、改善後徐々に薬剤を減らしていける可能性も大いにあります。

薬の効果で不安が和らぎ、上記の森田療法的考え方を実践しやすくなることもあるからです。薬物療法を開始し、森田療法を併用し、改善後徐々に薬剤を減らしていける可能性も大いにあります。 M様、上記のことを参考にされてみて下さい。
(舘野歩)

「辛さの裏には、人を求めるこころがある」 '19.8 

Cさん、はじめまして。

以前は特に意識せず普通に話せていたのに、今は人と話そうとすると不安と恐怖が先行してパニックになってしまい、思うように話せないということですね。大学進学を考えているCさんにとって、大きなお悩みとお察しします。 2つほどお話させてください。

1つ目。Cさんは人と話す時に、不快な思いをさせるのではないか、迷惑をかけるのではないか、否定されるのではないか等々と不安や恐怖が先行しているようですね。これを予期不安と言いますが、この感情は大なり小なり人間誰しもが持っているもので、けっしておかしなことではありません。予期不安が強いことは一見弱点のように思えますが、けっしてそうではありません。予期不安の裏には、“よい自分をみせたい”、“好かれたい”、“気配りたい”という願望が隠れているものです。そういった願望が人一倍強いと、会話の先を意識した時に恐怖のあまり言葉が出なくなったり、人と会うこと自体が怖くなったりするものです。

Cさんは、先にあげた願望が実は強いのかもしれません。苦しいかもしれませんがこれは、Cさんの強みでもあるはずです。

さて、少し先生(私)のお話をしましょう。私にはいろんなお付き合いがあります。大人の世界ですからね、お付き合いしようという感情が湧かない相手もいます。そうなると、その相手の人との会話は実に無味乾燥なものになるものです。相手の名前も覚えない、適当でつまらない会話をして時間は過ぎていく。そうすると相手もいつかは去っていくものです。ちょっと喩え話がひどいものになってしまいましたが・・・。人間とはそういうもので、“好き嫌い”という感情が湧かない時、“無関心”という状態になります。私もCさんのように、人と会う時にとても緊張する時がありますが、今お話したシチュエーションではまったく緊張しないものです。

対人緊張や対人恐怖にはこのような一面があり、自分が相手に抱く感情のありようで、その緊張や恐怖は変化するものであります。

2つ目。さきほど予期不安の裏には、“よい自分をみせたい”、“好かれたい”、“気配りたい”という願望が隠れているとお話しましたが、このような気持ちが実は偽りである時があります。“よい自分であるべきだ”、“好かれるべきだ”、“気配りするべきだ”といった、“べき思考”があたかも自分の欲求のように姿を変えている時があります。率直に大切な人、それほど大切でない人、ぜんぜん実は大切でない人など、自分の想いに差があることはないですか?万人を愛すること、大切にすることは人間不可能です。

Cさんが、この人と話したいという想いがあるならば、はじめはとても怖いと思いますが、不安や恐怖の感情はそのままに、言葉に詰まっても、顔が赤くなっても、その場に踏みとどまってみることです。そうすれば、自分が緊張して話せなくても、相手が話してくるかもしれません。案外、寡黙で話を聞いてくれる人ほど好かれたりするものですよ。

大学進学を目指すCさんにエールを送らせてください。
(鈴木優一)

「失敗は成功の糧」 '19.7 

Kさんは、希望の会社に入職し、意気揚々と仕事を始めたものの、現実は「思うように仕事が出来ず、コミュニケーションが取れず〜、会社に行きたくない気持ちが募っている」とのことでした。振り返ってみれば、大学時代も一人が多かったそうですが、勉強は一人でやれば何とかなったものの、会社ではそうもいかず、多くの人と関わって仕事を遂行しなければいけない状態に疲弊してしまったそうです。折角希望の会社に入ったにもかかわらず、辞めることまで考えてしまっているのはかなり追い詰められている状態と思われます。

もともと一人でいることが多かったそうですが、それは人との関わりを避けていたということなのでしょうか?それとも、一人で過ごす時間が好きだったのでしょうか?

もし前者(避けていた)であれば、人との関わりでどんなことが苦手だったのでしょう?自分のペースで物事が進まないとか、楽しい話題が見つからないとか、みっともない自分を見せたくないとか、頼みごとが苦手とか・・・、理由は色々考えられます。共通するのは、こうありたい自分(あるいは満足感など)が人との関わりの中では維持できないという不安感や苦手意識なのかもしれません。言い方を変えれば、理想と現実とのギャップを感じてしまうので、一人の方が気楽・・・と考えた結果なのかもしれません。もしそうであるならば、今の悩みと共通するような気がします。つまり、大学時代には避けられていたものが、今は避けられなくなっての悩みということです。

当初はやる気に満ちてスタートした仕事なわけですし、決して仕事内容が合わないということではないと思います。逆に好きな仕事だからこそ、一人だけでは回せない(結果が出せない)ことが良くわかっていらっしゃるということでしょう。そうであるならば、今の行き詰まりは大学時代まで手を付けなかった宿題にようやく取り組むチャンスと言えます。避けていたことに踏み出すわけですから、最初から上手くこなせるはずがありません。失敗は成功の糧でもあるのです。

上手く質問したり、雑談したりしようとせず、仕事の内容・効率を第一に考え、周囲の人と関わってみたらどうでしょうか。一人で抱えずに情報を伝えてみる、わからないことは聞いてみる、周囲の人がどんな風にコミュニケーションを取っているのかを観察し、真似てみる・・・などです。試行錯誤は、当然すぐに結果は出ないものですが、Kさんの場合は、試す以前にガチガチに身構えた結果の疲労のように思います。

一方、一人でいることが多かった理由が後者(一人が好き)ということであれば、そうした自分らしさを大切にしても良いのかもしれません。まったく一人で仕事を行う職種に転職する方法もあるとは思いますが、元々は好きで選んだ会社のはずです。仕事中は、事務的な会話と割り切ってコミュニケーションを取ってみるのも一つだと思います。その分、仕事以外では一人の時間を満喫することが出来るのですから・・・。

いずれにしても、ご自身がどんなことで行き詰まっているのかを振り返るチャンスだと思います。そして何より、「〜にならないように・・・」という姿勢ではなく、仕事のために何が必要かを第一に考えて、仕事や人と関わってみてください。まだまだ試す余地は沢山あると思います。諦めるのは仕事ではなく、すぐに上手くこなそうとする気負いを諦める(捨てる)・・ということではないでしょうか。
(久保田幹子)

「できている事がたくさんあるはず」 '19.6 

Hさんは、不登校や口臭を乗り越えて、仕事に行きながら子育てもされているんですね。毎日かなりお忙しい事でしょう。

口臭など自分から出る臭いを気にする人は「自己臭恐怖」と呼ばれています。自己臭恐怖の方は、自分の「臭い」について強迫的な自己観察をしています。この症状をお持ちの方は「人に迷惑をかけたくない」という思いから外出などが難しくなることが多いです。

この「口臭→人を不快にさせる・迷惑をかける→ひきこもり」のパターンは相手に好かれたいあまり人と接する時に起こる不安であることに関わらず、人と接することができなくなり相手に好かれるチャンスすらなくなるという矛盾が認められます。一番の問題点は外出困難になってしまうことなので、自己臭恐怖の症状を軽減するために薬物療法を併用することも多いです。

さらに、自己臭恐怖があると、他人に臭いを確認させる行為が出てくることがあります。こうした他者に確認するタイプの方は、まず他者に頼らず自分で確認し次の行動に進む方に移行していく方が望ましいです。他人に確認を頼むとその時は一瞬安心できますが、長くは続かず、他人に確認してもらわなければならない自分を感じ、自分に自信がなくなるという悪循環に陥るからです。他人への巻き込みから自己完結に移行していくのは大切なポイントです。

Hさんは心配はあるものの外出できており、上手く症状と付き合えていますね。そしてHさんの書かれた文章にも「口臭を意識しすぎて口臭を作り出している」と症状に注意が向けば向くほど症状が気になるという悪循環にも気付いていらっしゃいます。この悪循環に気付けたことこそ、森田療法のスタートにおいて大切なところです。

最後に、自己臭恐怖の方は、真面目にコツコツと作業に取り組むタイプが多い印象です。それにも関わらず、ご自身のできている仕事には目が向きにくい方が多いようです。以前入院森田療法を受けた方が、「症状がありながらもここまでできた自分を褒めてあげたい」と言っていました。入院生活を経てやっと自分のできていることに目が向いたのです。そうなると症状への関心が自然と薄れていきます。

Hさんも仕事、子育てをこなし、努力家でできていることが多い印象です。ご自身のできていることを毎日書き出してみてはどうでしょうか?症状がありながらもできていることを再発見できるはずです。
(大久保菜奈子)

「どうしても意識してしまいます…」「それでいいのです」 '19.5 

Fさんは会食恐怖症の他に、頭が痛くなったらどうしよう、便が漏れたらどうしようなどの悩みを抱えておられるとのことです。実際に考え始めると、頭・お尻などを意識してしまい、身体症状に出てしまうこともあるそうです。書き込みの締めくくりに「こんな自分を根本から変えたいです」とあります。他の方とのやり取りでも「どんな自分も自分と思えるようになりたい」「根本から変えたい」といった発言が何度か出てきているのが印象的でした。

Fさんにとって、会食恐怖や失敗恐怖が起こらない相手や場というのはあるのでしょうか。もしあるとしたら、不安にならない相手や場は自分にとって他の相手や場とどのように違うのでしょう。

実際に身体症状にも発展するとのことですが、不安が浮かんだ時の動揺の強さや意識してしまうことへのこだわりを伺うと、他人によく思われたい・嫌われたくないという対人緊張の他に、Fさんは不安がよぎることが不快で、その不快感を避けようと必死になられているようにも思えます。

もしそうだとすると、
(1)不安がよぎることがそこまで嫌なのはどうしてでしょうか
(2)その答えの中に、Fさんが自分や人との関係に対して望んでいるものがある
のだと思います。

まだ大学生でしっかりやっていきたい気持ちを持った立派な方だと思うので、突っ込みどころのある自分をふがいなく思われるのかもしれませんが、不安になるのをゼロにすることはできませんよね。

大事なのは根本から変えることや、どんな場合にも自分の気持ちに安心していられるようになることではなく、「どうしても意識してしまう自分」もまた自分であるという感覚を持てること、揺れる自分は嫌だけどまあ仕方ないという感覚を持てることではないかと思います。

そのためにぜひ(1)(2)を見つめ、(2)の中で実際に実現できることに力を注ぐようにしてみてください。多くの不安に襲われながらも、結婚式にも出席し、大学でもきちんと勉強されているFさんはかなりの頑張り屋さんだと思います。そんな自分にぜひたくさんの花丸をあげてください。
(矢野勝治)

「まずは仕事上での関わりを大切にする」 '19.4 

Mさんは高校の頃から異性への関心はあるものの、どう接して良いか分からず、関心のない振りをしていたようで、1年ほど前から職場の女性に目を向けられず悩んでいます。特に気になる異性がいると「関心を持ってはいけない」という構えが強くなるようです。

気になる異性がいれば、「話したい、仲良くなりたい」という気持ちになるのが自然ですが、その気持ち・感情を「関心をもってはいけない」と頭で無理矢理押し込めているのは辛いですよね。自分の感情を頭でコントロールしようとすること、それがいわゆる「思想の矛盾」というものです。どんな感情であっても、感情そのものはコントロールできませんし、罪もありません。ただし、行動には責任があります。ですから、感情はそのままに、行動をコントロールしていきましょう。

Mさんは、職場の女性に関心を持たないようにするためにも、目を向けないようにしているのでしょうか。それとも、目を向けたいのに、目を向けると辛い気持ち(「恥ずかしい」や「嫌われたくない」など)になって、向けられないのでしょうか。もしかしたら両方あるのかもしれませんね。

そもそも、何の用事もないのに、特定の人をじろじろと見ているのは相手に不快感を与えてしまいますね。ただ、一方で、ある人と話しているのに、その人の顔を全く見ないというのも相手に不快感を与えてしまうかもしれません。

その相手の人に声を掛ける際に、自分の興味や関心の話題が先になってしまうと、相手もびっくりしてしまいますので、まずは仕事上などで関わる機会があった際に、その相手の顔を見ながら話してみてはいかがでしょうか。話している間、ずっと相手の目や顔を見続ける必要はありません。ずっと見られると、相手も圧を感じることもあります。ときどき、特に仕事上で特に大切なことを話す時や聞くときに、顔や目を見ながら、話の内容に注意を向けていきましょう。徐々に仕事上の話題から他の話題に広がっていくこともあると思います。そうやって時間をかけて、人との関係は出来てくるものです。

焦らずに、まずは仕事上の関わりを大切にしていって下さい。頑張ってくださいね。
(谷井一夫)

「人との付き合い方について」 '19.3 

こんにちは、Tさん。7年間、対人緊張に悩みながら社会生活を維持されたのですから、その努力は相当なものです。しかし、Tさんは現在も症状に悩み続けているが故に、このフォーラムの門を叩いたのだと思います。

Tさんは、相手と話す時にどんな思いを抱くでしょうか? 「相手から嫌われないように気の利いたことを言わねば」、もしくは「相手を不快にさせないために常に笑顔で接しなければならない」などでしょうか? ただどちらにしても、他者に対して「円滑なコミュニケーションをせねば」という、「かくあるべし」の姿勢がTさんを苦しめているのだと思います。

世の中は、私たちに日頃から「コミュニケーションをしっかりとろう」「相手の目を見て話そう」などと教育勅語のような示唆を押し付けてきます。そして、ここで参加されている誠実で真面目な方ほど、この示唆を真に受けてしまうところがあります。過去、私がある研修先で教えられたことは、このような助言がしばしば対人緊張を煽る温床になっているという事実でした。Tさんのように、コミュニケーションに悩まれている方ほど、この様な示唆によって苦手な会話を克服して、「流暢なやり取りを身につけねば」という思考に陥ることは半ば然るべきことなのです。

Tさんは、コミュニケーションが苦手であることをもっと自分の持ち味であると認めていって欲しいと思います。持ち味であれば、克服ではなく、苦手なりの切り抜け方を学んでいけばよいのです。そこで、大切なのは流暢な気の利いた会話ではありません。むしろ不器用だけど、自身の言いたいことを簡潔に伝える姿勢です。

特に仕事であれば、業務内容に纏わる報告、連絡、相談などの会話だけをしっかり押さえて置けばよいのです。業務上のやり取りが実践されていれば、必ずTさんの仕事の技量が上がってきます。そして技量が上がる事が周囲の信頼への繋がり、時間の経過とともに周囲との関係が醸成されてくると思います。今は、まだ症状の渦中でそこまでの余裕はないかもしれません。しかし、上記のことを意識するかしないかの差が、やがて大きな変化に繋がると思います。大変でしょうが、数年後Tさんの味わい深さが人間関係の中で育まれていることを願っています。
(樋之口潤一郎)

「"はからい"と"くよくよ"」 '19.2 

Bさんは「対人恐怖と反芻癖で悩んでいる」「会話の後や普段の生活で気になったことや気に入らなかったことを頭の中で繰り返し反芻してしまう癖があります。何度も何度も気が済むまで、頭がスッキリするまで考えてしまいます」と書き込まれています。

人と関わると、「自分の言ったことを相手がどう思ったかな?」「相手の人の態度はこういう(自分に対するネガティブな)意味なのでは」など、気になってしまいますね。それを引きずってしまうこともままある事。相手が「どうでもいい相手」でなければなおさらですね。

Bさんは後から反芻してしまうことを、「はからいなのでは」と悩まれているとのこと。反芻には「頭の中での確認行為(大丈夫であることを確認してすっきりさせる)」である場合や「過ぎたことくよくよと思い悩む」場合などが考えられます。 ここでは、「はからいであるかどうか」をはっきりさせるよりも、どうつきあっていくかを考えていきましょう。

「頭がスッキリするための確認」については、やはり、切り上げて次の行動、家に帰った後であれば身の回りのことや家事など、に手を付けていきましょう。

「相手の反応が気になってくよくよする」ことについては、くよくよしながら。「くよくよしてはいけない」という「かくあるべし」で抑え込もうとしても気持ちに無理な注文をつけることになってしまいます。くよくよするのは「相手といい関係でいたい」「いい人間でありたい」という気持ちがあればこそ。その気持ちを大事に生かして、くよくよと悩みながらも目の前のことに目を向けていきましょう。そして、次に相手の人と会った時は今その時のやりとりにできるだけ目を向けていきましょう。
(塩路理恵子)

「皆親御さんは子供関係の人間関係は大変ですね」 '19.1 

K様、社会人時代からなんとか最低限のコミュニケーションで仕事をこなし、パニック障害も克服されたのですね。しかしお子さんのことでつきあいがありお悩みなのですね。

K様のように神経症をいったん克服したものの、お子さんのことでの対人交流を通して対人恐怖症状が出現する方に私は日常出くわします。K様だけでなく子供のための人間関係でお悩みの方は病院におかかりでなくても日常よくあることではないかと思います。その理由として考えられるのは、今まで生活してきた学生生活や社会生活ではある程度ご自身と共通の背景を持ち会話もしやすいですが、子供を介しての親同士のつきあいでは子供の共通点しかないため親同士は全く今までの生活背景が違うことがあるのではと思います。ですから子供のこと以外の話題はなかなか出しにくいのが本音ではないでしょうか。お子さんに関することではまずは最低限のコミュニケーションをすることを心がけて、話しているうちに趣味など共通の話題が出てくればさらに会話がはずむでしょうが、滅多にないくらいに思っていても良いのではないでしょうか。

「周囲の人にどう思われているか」気持ちの裏には「周囲の人に良く思われたい気持ち」があります。これを森田先生は「生の欲望」と呼んでいます。生の欲望が強いのですが、そのエネルギーが症状へ向いてしまい(「とらわれて」しまい)、悪循環を起こしてしまいます。

森田先生は「たとえば、赤面恐怖・吃音恐怖が、恥ずかしいことそのことが苦しいのではない。実は人前で自分が、立派でありたいのが、その目的である。もし恥ずかしいそのことばかりが苦しいならば、それは意志薄弱者であって、神経質の恐怖症、すなわち強迫観念ではないのである。」と述べています。

今までのご自身の生活、パニック障害を乗り越えられてきたご自身を信じてこれからも「おそるおそる」で良いので、実は自分は「何かを求めている」と信じて必要な人間関係を避けずに行動して頂ければと思います。
(舘野歩)

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