スマートフォン専用サイトはこちらをタップ

症状別アドバイス集

強迫神経症の部屋・2003年

神経症と努力の方向 '03.12

Koさんが強迫観念で悩んでいます。「・・私が気になっているものは一つではなくいろいろな事が気に なって頭から離れないのです。最近では「まばたき」がきになって他人と話している ときに目ばかり見てしまっています・・。」と書き込んでいます。Moさんが同じように悩んでいたことがある、と書き込みます。Koさんはほっとした様子で、次のように書き込みます。「・・私と同じ症状を経験された方をいると知ってすごく嬉しかったです。私みたいな悩みをもっている人はいないと思っていました。そして一生治らないと落ち込んで泣いてばかりいました。Mo様はどのようにして症状を改善されていったのでしょうか?・・」。
そうです。私たちの最大の苦悩の源泉の一つとして、自分の悩みが特別である、自分のような悩みを持っている人はいない、ということです。他の人が同じように悩んでいる、そしてその悩みを克服したと聞けば人生に希望と勇気が出てくるものです。Moさんは次のように助言します。「・・努力の方向がちがっている(症状を取り除こうと努力するのではなく、症状をもちながら、症状をそのままに受け入れながら生活をしていくよう努めること)との御指摘を頂き、わたしの生活は一変いたしました。症状を取り除くはからいを一切やめてしまったのです。その分、今まで「症状がなくなってからやろう」と思っていた勉強を始め,自分の意識を外に外にむけるようにいたしました。もちろん、症状はもったままです。辛くはございましたが、症状を嘆き、症状をなくすことに一喜一憂していた頃の辛さに比べると雲泥の差があったように思います。」。とてもよい助言です。不安、恐怖、強迫観念とは逆説的なものです。それを取り除こうとしている間はそれにとらわれ、身動きがとれなくなるのです。いわば自分で自分の悩みを拡大していくのです。このことに対する気づきこそ悩みの解決の第一歩です。Moさんの言うように努力の方向を変えていけばよいのです。目の前の出来ることを一つ、一つ取り組んでいけば、少しずつ事態が前にと進んでいくのです。

森田を学ぶということ '03.11

Kaさんが次のように書き込んでいます「私も怖いのは嫌だし、緊張するのも、やっぱり抵抗があるんですが、でも自分の成長とか、向上とか、自分自身の人間として、生命として、活性化して発達しようと思ったら、やはりそんな環境が必要なんですね。・・だから、期限を決めざるを得ないような状況に自分を追いやるとか、人前に出て、やらないと居られない様な状況に自分をおいてしまうということが、結局は工夫として必要なんだと思います。そんなことを感じるこの頃です」。私も本来の生の欲望を発揮させるには、境遇の選択は重要だ、と考えています。Chさんも「神経症や症状は努力して治すことはできない。ただ、境遇が治してくれるだけです。忙しくて、自分のことに構っていられない環境。それでいて自分の殻を打ち破らざるを得ない環境。これこそが神経症をいつのまにか治してくれるものでしょう。森田の基本がわかってきたら、もう森田のことはちょっと忘れて自分を新たな環境に置くことが大事だと思います」と助言します。Koさんも同意見です。
それについてkaさんは「・・私としては、森田は忘れるには及ばないと思います。むしろ、もっともっと勉強するべきだと思います・・」と書き込みます。
私はそれぞれの意見が正しいと思います。私たちは森田の知恵を学び、そしてそれを指針として自分の人生、つまり自分として生きることに取り組みます。それがまた行き詰まれば、森田の知恵に戻る、つまり森田をもう一度学びなおせばよいのです。そのような試行錯誤からその知恵は次第に自分のものとなり、自覚が深まるのです。

生きることの行き詰まりと落ち込み '03.10

最近うつ病が増えてきたようです。特に女性のうつ病が増えてきたようにも思います。そして中でも、Yoさんのように、生きることに行き詰まり、落ち込んでしまう方々が増えているようです。「いつも完璧を目指して未熟な自分に情けなく落ち込んでしまいます。仕事は頑張っていくので、それだけは自分をほめてあげたいです。元々生きる気力に乏しく特に離婚してからはずーっとよくうつ状態で、特にこれをしたいというものがありません。 意識して行動しなければという感じで行動しています」。また他のところでは次のように書き込みます。
「・・誰も本気で自分の事を必要としてくれていない寂しさの中で「もう人生終わってもいいかな!」そういう気持ちの自分がいます。」しかしYoさんも自覚しているように、実はもっと建設的に生きたいとも思っているのです。しかし完全主義者のYoさんは自分の出来ないことにだけに注目し、そしてだめな自分と決め付けてしまします。自分で自分の「うつ」を拡大している傾向があります。また自信を失っていますから、どうしても人の評価が気になってしまうのです。
ここでも発想の転換が必要です。自分のできることをぼちぼちとするしかない、それを続けていくことが次第に自分のもつ健康な力を確認できるようになるのです。だめだと決め付ける前に「今、ここで」出来ることは何か、という思いにいたったら、すでに心は現実に向かって一歩一歩踏み出しているのです。

底つき体験とは '03.09

Yoさんは、自分の激しい感情反応に振り回され、苦しんでいるようです。また仕事上の悩み、家族のことなど、Yoさんの苦しみは次から次へと襲ってくるようです。それに対して、Maさんはその時々の感情に振り回されない「不即不離」の関係を勧めます。Kaさんは、Yoさんなら必ず得ることがあると、森田正馬全集の5巻を読むことを勧めます。
Yoさんは「Kaさん、Maさん、ありがとうございます。惨めな自分でもいいのだと、そのままに生きていいのだと、そういう自分をすっぽりと受け入れてもらったような気分で、勇気が出ました。・・これからも本を読んだり、アドバイスをいただきながらそのままの自分で、生き方を見つめていこうと思います。・・今、仕事での人間関係で悩み、元夫を傷つけてしまったかも知れない、そういう罪悪感の中で一日一日を過ごしています。こういう気持ちのまま、今を生きていこうと思って頑張っています。森田療法にであってよかったと思い、頑張れてる自分にも褒美をあげたいです」と書き込みます。
このように自分の気持ちをしっかりと見つめ、それを書くこと、そして待つこと、がまず自分の感情とつきあい、それに振り回されなくなる第一歩です。そしてYoさんの人の助言を素直に受け入れる心が必ず自分を成長させていくことになるでしょう。

悩みを分かち合うこととは '03.08

Sqさんが不潔恐怖で苦しんでいます。「強迫神経症の不潔恐怖症で毎日が辛いです。全てうまくいかずに。生きているのが辛くて。少しでもいきる勇気をもらえたらと思っています。が、今かなり追い込まれて余裕がありません・・」。不潔恐怖はその恐怖が生活を行うことに直結しますので、苦しい毎日なのです。それとともに自分だけが、なぜこのような悩みで苦しんでいるのだろう、ということでも人は悩むのです。
Kzさんも同じ不潔恐怖で悩んでいました。「・・私も、他の強迫観念も、ありましたけど、一番きつかったのは、不潔恐怖症に、陥ったことでした。陥ってしまって、一時、毎日、死ぬことばかり考えていました。でも、森田療法にであって、また、色々な方に、(友人や発見会の方、)御指導いただき、なんとか、日常生活も送られるようになりました。 Sqさんも、辛いかも知れないけど、何があっても、投げないで下さい。心は、一瞬一瞬、変わっていくんです。・・Maさんも、おっしゃられるとおり、これを機に森田療法を勉強していって下さい・・」と書き込みます。Kaさんに自分の悩みを理解されたこと、共感されたことそして悩んでいるのは自分だけでないことをわかったSqさんは、それだけで悩みが幾分か軽くなったようです。
それがこの体験フォーラムのよいところなのです。そしてKzさんが勧めるように自分の状態を正直に書き込むことは、自分の悩みに対して自覚を深め、他の人の理解と助言を得やすくするのです。KzさんやMaさんの助言に従い、Sqさんは森田的な考えに基づき、嫌な気分はそのまま横に置いて、生活に取り組み始めたようです。森田療法の実行はしばしば一人では困難です。応援してくれる仲間がいてこそ、つまり一人ではないという感覚を持ってこそ、希望を持ちながらつらい日常生活を何とか持ちこたえ、正しい認識を身につけることができるようになるのです。

事実を知ること '03.07

Unさんが次のように書き込んでいます。「4月から異動して、色々あります。仕事が全くわからなくて、かなり、嫌味に近いことも言われたりしました。でも、結局、今の現実を受け止めえ、誠実にやっていくしかないのかな、と思います。現実は、変わりません。現実を逃げて、理屈をこねるだけなら誰でもできます。また、職場の軋轢はどこでもあります。特に、神経症の人は(私もそうですが)、それまでの経験からそれが雰囲気に出て、嫌がらせに遭うことも当然あります。やれることは、現実を逃げずに、仕事を真剣にやり、人に対して誠実に接することだけだと思います。・・我々は、もともと不器用ですから、愚直にやっていくしかありません。仕事を真剣にやる、人に対する感謝の気持ちを表す、この基本的なことを忘れて、自分の思い通りに物事を進めようとすると、私の経験から、職場では必ず破綻します。」
またChも同じような心境について語ります。「5月以降、私はちょっと前向きになりすぎてイケイケ状態になっていたようです。今ちょっと前につんのめりかけています。心理的には、職場で総スカンを食い、四面楚歌になっている心境です。・・職場の最近の出来事に注意を払おう。そして、知っておきたいことがあったら聞いてみること、そのことから逃げてはいけない。疎遠になった顧客に、久しぶりに連絡を入れてみること、そのことから逃げてはいけない。部長に報告すること、相談することから逃げてはいけない。部会に嫌々出席することから逃げてはいけない。・・こうしてみると、本当にイヤなことが一杯あって、かつ、そこからいつのまにか逃げているなあと思う。」
私は、お二人ともしっかりと事実を知っている、と思います。事実を知ることがいかに難しいことか、それは神経症で悩んだことのある人たちは実感されているでしょう。どうしても私たちは「こうあるべし」、「こうあらねばならない」と決めつけ、そうならない現実に失望し、そしてそこから逃げてしまうのです。このことを知ることから自分を生かす力が育ってくるのです。お二人はこのことを私たちに教えてくれます。

事実を知ること '03.06

Rcさんが明日の仕事の前に不安になっているようです。「仕事が決まってもあんまりたいして嬉しくないというか、何の感動も感じないんです…。それと、対人恐怖的だから会社の人と上手くやれるだろうかと不安でたまらない。前の仕事が2月いっぱいで終わってからは、履歴書を書いて面接に行っては不採用になる。で、また履歴書書いて面接に行っては、また不採用になる。こんな日々に疲れました。他にも理由はありますが、とにかく今って7年前に病院に入院する前と同じくらい『憂鬱な気分』なので明日からが本当に不安でたまらない…。」と書き込みます。さてこの不安はどのように理解され、どうしたらよいでしょうか。
Maさんは鋭く指摘します。「会社に行ってみて、実際に働かなければ、何も分からないのではと思います。お話を読んでいますとやはり神経症的発想による不確実な煩悶です。実態のない不安に怯えないでください。明日からのお仕事、頑張ってくださいね」。
その通りだと思います。つまり考えても仕方がないのです。現実に踏み出してみて事実を知ることこそが大切です。そこで何が起こるのかを観察してみるのもよいでしょう。そこからまた知恵も出てくるのです。Buさんのいうように「会社に行くのは辛い事も多いけど、『仕事をしにいくんだ! 人と話す事を目的にしているんじゃない』と自分に言い聞かせて取りあえず頑張ってます」という認識が大切です。確かに私たちは人と仲良くなるためでなく、仕事をするために職場に行くのですから、その仕事の工夫をするしかないのです。

注意と雑念の悪循環 '03.05

Flさんが雑念恐怖で悩んでいます。「些細な音(時計の音や、犬の鳴き声、隣の部屋のごくわずかな話声等)が気になって、勉強が全く手につかない。これらの音を完全に排除しないと眠れない。今までなんとも思わなかった音が、突然嫌で仕方なくなる(例えば、高校時代は、鼻をすする音が嫌いになりました)。嫌いになった音を聞かされると、頭が痛くなる。一度きらいになった音は、ずっと嫌いなままなので、今では10種類近く、嫌いな音に悩まされている」といいます。
Taさんが体験に基づいた助言をしています。「雑念にこだわっているときは、僕もそうでしたが、それを意識的に消そうとしてしまいます。しかし、自分で思う雑念や雑音というのは自分の意思でコントロールできないのが現実なのです。・・消そうとか無くそうとか意識的にやろうとすることは、結果的にその雑念や雑音に注意をもっていってしまうことに なっているのです。なので、雑念や雑音がイヤだなーと思っても勉強なり仕事なりをしていけばいいのです。それが大切なことなのだから・・」
私も同じ意見です。雑念恐怖とは、雑念の出現を恐れ、それを消そう消そうとして注意を雑念に集中してしまう状態です。tarkさんがいうようにそれをコントロールできないものと諦め、一方目の前のできることをしていく心の態度が大切です。それが結果として雑念恐怖から単なる雑念に変えることになります。それはすでに症状ではないのです。

対人恐怖とは '03.04

対人恐怖で悩んでいる人が増えているようです。対人恐怖と一括して呼んでも、実は人は多くの形の悩みを持つものです。例えばDeさんは、なかなかわからないことを人に聞けません。Shさんは極度のあがり症で思春期から悩んでいます。Buさんは、会話がうまくできず、就職の面接がうまくいきません。
Apさんは、あがり症で苦しんでおり、その出口が見えなくて辛い思いをしています。
Myさんは、どこに行っても自分だけが浮いている、と感じてしまいます。
このように人間とは人との関係で多彩に悩むものです。そして心はいつも人の動向、あっている人たちの一挙手一投足に向けられ、そこでの反応に一喜一憂してしまいます。あたかもその人たちがどのように自分を評価しているのか、しか目に入らないようです。一度初心に戻り、自分は何のためにここにいるのか、何をするのか、それをするしかないのだ、と心がそちらの工夫に向かうと、すでに心は相手の動向から離れ、本来の目的に向かって働き出します。

育児で悩むこと '03.03

Haさんが「下の子どもが生まれて家にいるようになってからずっと、対人恐怖や強迫神経症のような症状に苦しんでます。幼稚園や小学校のお付き合いは何とかこなしているのですが、こなしているだけなので中身がともなっていなく て、からっぽのお付き合いをずっと続けてきているような気がします。今は幼稚園の自転車での送り迎えがつらく、会う人会う人にぜんぶ気を使ってあいさつをするのでヘンな人、またはずいぶん気を使う人だな〜と思われていると思います」と書き込んでいます。どちらかというと育児そのものよりも、お母さん方とのつきあいで悩んでいるようです。
それに対してメンバーである心優しいお母さん方がいろいろな助言をしています。Ikさんは「いやな思いをしてあたりまえぐらいの気持ちでいてはどうでしょうか。自分で自分を痛めつけているようなものだから、自分にマル!と誉め てあげると変わってきます」と発想の転換をすすめます。神経質の人は、出来たことよりも出来ないことに注目し、悩むくせがあります。このような認識は大切です。Saさんは、「『自信が無いながらも取り組む』、『恐怖突入』でやってみました。」とアドバイスします。Miさんは、「楽しくなければやりたくないという固定観念を捨てて、自分の好き嫌いはともかくとりあえず手を出していけば良いと思います。」と認識を変えることを助言します。Peさんは「私は1年前からいろいろボランティア活動をしています。自分でも役に立っているんだと思える瞬間、幸せな気分になります。」と世界を広げることをすすめます。
その通りだと思います。育児は楽しくなくてはならない、母親は常に優しくなくてはならない、などと自分を縛ってしまったら、それこそ苦しくなるでしょう。また育児の時は世界が狭くなり、それがまた自分と子供だけに注意が集中し、とらわれやすい状態となります。新しい人との出会いが大切です。このフォーラムはそのような役割を担ってもいるのです。

神経症の自己中心的とは '03.02

Buさんが自分は自己中心的でないか、悩んでいます。アルバイト先に問い合わせの電話を2回もしてしまい、それが神経症の自己中心的な面かな、と悩んでいます。そして「人との話し方やコミュニケーションよりもこういうところを改善すべきですよね」と書き込みます。しかしUnさんは違った意見を持っています。「・・むしろ、このことを気にしすぎて、考えすぎて社会的な失礼なことをすることの方が心配です。神経症とは、小さなことを気にしすぎて、周りが見えなくなって、その結果非社会的になる、このことに気付いたほうが良いのでは、と思います」と書き込みます。
私たちは他の人とのコミュニケーションでいつも悩みます。それは誰にでもあることです。しかしその場合でも、他者を気にすることには2つの種類があること、それらはとりあえず分けて考えた方がよいだろうということを述べてみたいと思います。
他の人のことを考える時に、その人が自分をどう評価するのだろうか、とばかり考えてしまうことがあります。それは他の人のことを考えているようで、実は自分のことしか考えていないことになります。つまり自己中心的なわけです。
もう一つは、本当に相手の立場に立ってものを考えることです。そこから必要なことをする態度が生まれてきます。Unさんがいうように、自己中心的になると、結局必要なことを言えずに、またはやらずに、自分ではそう思わないで非社会的な行動をとってしまいがちです。相手の立場に立ってこそ、今ここで必要なことに取りかかれる態度を身につけることが出来るのです。

森田療法と過食症 '03.01

Miさんが過食で悩んでいます。そしてさまざまなことを試みますが、効果はなかったようです。果たして森田療法は過食症に効果があるのでしょうか。私は過食症の人に森田療法が効果を持ちうると考えています。それにはMiさんのように、完全主義的で神経症的な悩みを持っているという条件が付きますが。この悩みは決してまれなことではなく、現代に生きる人に共通した傾向です。森田療法はそのような人たちの悩み、それがどのようなものであれ、の解決法を提供します。
Maさんがいうように、こうすればよいのですよ、というような簡単なマニュアル、答えは森田療法では用意されていません。しかし過食症を悪循環過程ととらえることが出来ます。過食を不安と同じように自分を苦しめ、何よりもそれを取り除きたいものと考えてみたらどうでしょう。食べたいという欲求と戦い、そして敗れ、そしてまた食べてしまうのです。そして過食の後の敗北感、落ち込みがつらいのです。それゆえまた過食に陥るのです。従ってこの悪循環を打破すること、そしてその背後にある完全主義的で強迫的なものごとの認識の仕方、生き方を変えていくことが大切なのです。
「白か黒か」という認識パターン、「出来たこと」よりも「出来なかったこと」に注意が向き、それでさらに自分の悩みを強めてしまうような心の態度が問題なのです。食べることをコントロールすること、そして仕事、人との関係もすべて完全には行かないもの、つまり自分の思い通りにはならないもの、と自覚することが大切です。ほどほどでいこう、60点主義でいこう、と発想を変えることが悪循環からの脱出の第一歩です。まず森田療法をこのフォーラムで学んでみてください。

SEMINAR

Copyright (C) 2009 The Mental Health Okamoto Memorial Foundation