スマートフォン専用サイトはこちらをタップ

症状別アドバイス集

普通神経症の部屋

「コロナ不安へ己の性を尽くす」 '20.12 

新型コロナウイルス感染者数の増加が留まるところを知らず、気が抜けない毎日が続いていますね。皆さんの周りにも、陽性者や濃厚接触者となる方がポツポツと出てきていらっしゃるのではないでしょうか。いよいよ近くに迫ってきているなという感じですが、いざ自分や家族や身近な方が陽性になった、もしくは濃厚接触になったとしたら・・・どう対応したら良いものか、誰でも慌ててしまうのではないかと思います。

Fさんの場合は、ご主人の職場で陽性の方が出たのですね。知らせを受けた時には、ビックリされたことでしょう。思考停止して不安と動悸とに襲われたというのも、無理もないことだと思います。その中でFさんがまず取り組まれたことは、作りかけのごはんを作ったこと、そしてご主人用の入院セットを作ったり、足りないものの買い出しをしたりということですね。不安ながらにも、まずは目の前のできることに取りかかり、対応された姿勢がとても良いなと感じました。

新型コロナウイルスの感染が拡大し始めてから約1年が経ち、少しずつ分かってきたこともありますが、未だその全貌は不明確です。確実な対応基準がないからこそ、その時その時で不安ながらに対応していくしかないのでしょう。そんな時だからこそ、私たちが自分のもてる最大限の力を発揮できるかどうかが試されているのだと思います。森田の述べた言葉に、『中庸』の「物の性を尽くす」という言葉があります。すべての物の働き・値打ちをベストに発揮させることという意味です。それと同時に森田は、自分の頭の働きも、力もベストに使うことで、すなわち「己の性を尽くす」ということにもなる、と述べています。

日々状況が変化していますが、それに振り回されるばかりでなく、何か対応できることはないか、工夫できることはないかと模索してらっしゃる方は少なくないと思います。例えば、人との距離を保つ必要がある現状でも、リモートやこちらのフォーラムのような形で人と繋がることで、新たな対応策が見えてきたりもしますね。Fさんの書き込みにも、何人かの方がそれぞれの実体験をコメントされていて、とても良い共有の場になっているなと感じました。日々状況が変化している今こそ、私たちの知恵と発想が活かされる時だと思います。それぞれの立場で、新型コロナウイルスに対しても、己の性を尽くしていきましょう。
(金子咲)

「できることと、できないことの区別」 '20.11 

F様、長時間検査が終わらず辛いですね。その中で日々森田療法を実践されているのが良くわかります。ここでFn様が実践されていることを他の閲覧者のためにも整理したいと思います。

人間誰しも「できること」と「できないこと」があります。一般的には物事に悩む人は「できないこと」を何とかしようとして苦労してしまい、本当は「できること」ができなくなってしまいます。自らの体調のこと、他人の事、様々な沸き起こる感情など自らの意思でコントロールできないことをコントロールしようとしてますます体調へ「とらわれ」てしまうというわけです。森田療法では「できないこと」を何とかしようとすることから離れ、「できないこと」はできないこととして「ほっておく」ことを推奨します。その分「できないこと」を何とかしようとするエネルギーを実際「できること」をするようにしていくようアドヴァイスをします。

では「できないこと」と「できること」の区別はどのようにしたら良いでしょうか。先ほど例に挙げたことは自らの意志では動かせないですよね。例えば自分の体調を良くしようとしてもどうにもなりません。また他人は他人ですからこちらの思う通りには動きません。また沸き起こる様々な感情は自然な現象なのでこれをコントロールすることはできません。

「できること」と「できないこと」の見分ける力は今までとは違った柔軟な思考を必要とします。次には「できること」すなわち現実のことへ踏み出し目の前のことに取り組むこと、その時に色々創意工夫をすることが大事になってきます。ここでも「~したい」といった自然な欲求(森田で言う生の欲望)に乗っかっていくことが重要です。
(舘野歩)

「神経が疲れている時は6割主義で」 '20.10 

Mさんは以前住んでいたマンションで昼夜を問わず地響きのような音がし、それがきっかけで音が気になるようになり、今では身体がぞわぞわするような感覚や、不安感も生じ、疲れてしまうと書かれていました。

昼夜を問わずに理由のわからない地響きのような音が聞こえていたとは、さぞ不気味で不愉快だったことでしょう。常に不快な音にさらされた生活を続ける中で身体も神経も疲れてしまったのではないかと思います。

今悩まれている身体のざわざわ感や不安感は、もともと何も変な音が聞こえていないか探してしまう感じが自分の感覚や身体に向いたことで起きている現象ではないかと思います。感覚や音に対する敏感さは人によってかなり違います。外の音の確認をするうちに、人と自分の音に対する感受性の違いを実感することもあったでしょうし、自分の感覚は大丈夫なのかと疑問を感じることもあったでしょう。その過程の中で、常に音を確認し、自分の感覚もチェックする状態になってしまっているのではないでしょうか。

現在受診を迷っておられるとのことですが、心療内科にもかかってみるのが良いと思います。なぜなら今は自分の状態を理解し、自分のケアをすることが大事だからです。どのように自分のケアをしていったらよいかを下にまとめていきます。

まず、職場でも音が気になるようになり、退職されるほどに大変な状況であったのに、先日は学校の参観日に行ってこられたとのこと。よく行ってこられましたね。お子さんの様子はいかがでしたか?お母さんが来てくれてお子さんもうれしかったのではないでしょうか。最近自分をほめていないことに気づいたとも書かれていましたが、「やっている」と意識していなくても、このように日々の家事や家の用事などされているいろいろなことがあるのではないでしょうか。

一日を振り返るときに気にしてほしいのは、こちらの方です。自分が今日一日何をして過ごしたか、自分の反応・家族の反応はどうだったか。つまり毎日を自分の行動や、自分と家族の反応など、自分の症状以外の項目で、振り返ってほしいのです。のんびり過ごす日があっていいですし、むしろ「だらだらデー」も大切です。すべてを完璧になんてできないですねと書かれていましたが、その通りです。だから気になるな、不安だなと思って休む日があるのもOK。だらだら過ごしの日があるのもOKなのです。すべてに100%を出し切るのではなく、疲れたら休み、休んで少しエネルギーがたまったらまた動く。例えば、参観日の翌日に行事があると書かれていましたが、1日行って疲れていたら翌日はスキップするのでよいのです。どちらか自分がより大事にしたい行事を選ぶのもいいでしょう。こうする中で身体の様子に合わせて動く柔軟さが少しずつ身についていきます。

一日の振り返りには日記が有効です。日記を毎日書くのが今大変だったら、いいこと日記をメモや携帯にちょこっとつけてみるだけでもいいかもしれません。

行動していけば(症状が)変わってくるのかと尋ねておられたり、効果を感じられないとすぐに投げ出してしまう自分がいるが、もう少し続けてみようとも書かれていました。とても自然な発想だと思います。でもそれは自分の状態を常に確認している状態ですね。それだとなかなか変化を感じにくいので気を付けてください。今は自分が頭で思っている以上に疲れ切っている状態なので思うように動けなくて当然、治ることばかり考えると堂々巡りになってしまいます。自分がその日出来たこと、味わえたことを大切にしていくこと、そして自分の身体のケアをし休息と活動のバランスが取れてくることで、結果として過敏な感覚は落ち着いていくと思いますよ。
(矢野勝治)

「今の体の状態にあった過ごし方」 '20.9 

Tさんはウォーキング後に熱中症になり、その後、便秘、不眠、疲労感が続きました。最近は、便通や食欲・睡眠は回復してきたということですが、耳の調子も悪くなってきたということで、困っていらっしゃいます。また、自律神経失調症のために疲れと焦りがあって、不安を強く感じていらっしゃいます。

熱中症、大変でしたね。今年の夏は特に暑かったですし、新型コロナの影響でマスクをしているなどの影響もあって、熱中症になりやすかったのだと思います。熱中症になった後は、体に疲労がたまった状態ですし、自律神経が乱れやすいのも無理はないと思います。

また、自律神経というのは自ら律する神経ですので、自分の意思でコントロールすることが出来ない神経です。それに注意が向いたり、不快な感覚をコントロールしようとしたりすると、ますます悪循環になってしまいます。そのため、耳の不調など様々な不快な感覚はありつつも、今、出来ることに手を付けていくことが大切です。

ただし、今出来ることというのは、元気いっぱいの時と同じように過ごすのではなく、今の体の状態にあった過ごし方を工夫していくという点が大切だと思います。決して特別なことをする必要はありません。仕事や日常生活の中で、今は無理してやらなくていいことは、後回しにしたり、いつもより、少し多く睡眠時間をとるようにしてみたり、体に良い食べ物(例えば、消化の良いもの)をとるようにしてみたり、と少し体を労わった生活を心がけてみてはいかがでしょうか。

定年まであと半年、ということですが、人生に定年はありませんよね。これからも自分らしく生活していくためにも、今の体の状態であった過ごし方を工夫していってください。応援しています。
(谷井一夫)

「胸の違和感について」 '20.8 

こんにちは、Nさん、現在、喉頭から胸部にかけてのつかえ感に悩んでおられるようですね。このような訴えの患者さんは、外来でも比較的多く来院されます。体の不快感はどのようなものであっても、自身にまとわりつくため、煩わしいことこの上ないと思います。ただ、この違和感が身体的疾患によるものでないことは、まず確認して置いた方が良いでしょう。身体の専門の先生方から問題ないとお墨付きをもらうことで安心し、胸部の違和感が軽減した患者さんを、私自身良く経験するからです。内科的な問題でないとすると、私はこの胸部の違和感が過緊張によって作り出されているのではないかと考えます。過緊張はしばしば自律神経の一つである交感神経を刺激し、その神経の支配下にある五感を鋭敏にさせるからです。Nさんが不安障害で治療を受けている事実から考えても、やはり様々な不安から過緊張を募らせたとしてもおかしくありません。

そうだとすると、治療では、胸部の違和感を取ることではなく、過緊張を緩めることに目を向けることです。違和感を取りたい気持ちは、Nさんの立場であれば当然ですが、自然発生的に発生する自律神経症状を意志の力でコントロールしようとする姿勢は、取れないものを取り去ろうと力ずくにさせるだけで、違和感へのとらわれを作り出す温床にしかなりません。残念ながら身体的違和感は取れないものと閑念するしかないのです。しかし、緊張を解す方法は幾らでもあります。私は、緊張を貯める多くの患者さんには、まず筋肉を解し乍ら呼吸を整えていくことを勧めています。特に不安障害の患者さんの多くは、息を止め飲み込むことには長けていますが、吐くことには全く意識が及んでいません。風船から空気が抜けることで表面が緩むのと同じように、体からゆっくり息を吐き肩の力を抜いていってみてください。今まで如何に緊張を溜め込んでいたかが、理解できると思います。その他、ストレッチを取り入れた体操も有効でしょう。更に、我々はIT社会の中で脳がフル回転して緊張し続けています。ボーっとする時間を意識することも緊張を和らげる秘訣と捉えて実践してみてください。

ところで、治療が進む過程でNさんに心がけてほしいことが、もう一つあります。それは、何故そこまで緊張を溜め込んでしまったのかということです。恐らく何らかの不安から「きちんと頑張らねば」などと自分を必要以上に奮い立たせた事実があったのではないでしょうか? もしそうであれば、必要以上に頑張り過ぎた自分をもう一度見つめ直し、これからはどういう頑張り方が自分には合っているかなどと問いかけてみると良いと思います。それこそ、この治療の本質が身体的違和感の排除ではなく、Nさんならではの自然体の醸成にあるからです。治療はまだまだ続くでしょうが、このような捉え方の転換は、新たな発見をNさんに必ず与えてくれると思います。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

「不眠恐怖と森田療法」 '20.7 

Kさんは、「20代の頃に不眠症から始まり、うつ病になりました。 今では元気になっているのですが、不眠が怖くて睡眠薬が手放せません。 かれこれ20年以上飲み続けており、止めたいのに止まれません。」と書かれています。 まずは、うつ病から元気になられているとのこと、よかったですね。長い経過だと目を向けなくなってしまいがちですが、着実に良くなってきたことは、大切にされるとよいと思います。

さて、眠れないで過ごす時間というのは、不安にもなるし、つらいものですね。 眠りというのは難しいもので、向こうから訪れるものなのに、「ちゃんと眠ろう」と構えると遠ざかってしまったりします。森田先生の本の中にも中国の美しい髭の老人の話が出てきますね。皇帝に「寝る時はその髭をどうしているのかね」と聞かれて考えだしたら眠れなくなってしまったという。また、いろいろ工夫して「こうすれば眠れるんだ、わかった」と思っても、それにとらわれてまた眠れなくなってしまったりします。

Kさんは「眠れたら満足で全く問題ない生活が送れるのに、眠れなかったら、その事に囚われてしまい、更に興奮して眠れないという悪循環。 この囚われを手放したいのに、手放すことができません。」とも書かれています。眠ること、眠って体調を整えることに完全主義になっているところもありそうですね。「眠れたら満足」ということは、「眠ること」自体が大きな目的になってしまっていないでしょうか。

改めて、「ちゃんと眠りたいのはどうしてだったか」を見つめ直してみましょう。そこには「体調を整えて仕事をしたい」「家事をしっかりやりたい」「趣味を楽しみたい」という「生の欲望」があったはずです。もしかしたらそれが強すぎて、がんじがらめになっているところもあるかもしれませんね。「眠って体調を整えて仕事を完全にやらなければならない」「趣味は楽しまなければならない」という「かくあるべし」を緩めて、「~たい」を生かしていきましょう。そのためには眠れなくてすっきりしない日も、「その日なりに」仕事や趣味に手を付けていきましょう。集中や、楽しみなどの気分は、その都度変化していくものです。 服薬について、「通常飲んでるのは1/4錠で、ほとんどお守りみたいなものです。ただ、一旦眠れなくなると、1錠飲んでも眠れません。」と書かれています。逆に言えば、例えば当初1錠ずつ服用していたとしても、4分の1まで減らせてきているとうことですね。それだけ、粘って減らす力があるということで、素晴らしいと思います。あまり日によって飲む量を変えず、昼間の生活を大切にして、徐々に主治医の先生と相談しながら間隔を開けるなどして、手放していけるかと思います。
(塩路理恵子)

「書痙に対する森田療法」 '20.6 

S様、書痙でさぞかしお辛いと思います。今まであまりフォーラムの解答で取り上げてこなかった、まずは「書痙に対する森田療法」についての一般的なことを述べたいと思います。

書痙とは、字を書こうとするとき、または字を書いている最中に、手が震え、または痛みが発生し、字を書くことが困難となる書字障害を指します。ICD10という精神および行動の障害の診断分類を見てみると、「F4神経症性障害、ストレス関連障害および身体表現性障害」の大分類内にあり、「F48.8他の特定の神経症性障害」の中に「書痙を含む職業神経症」と記されています。

一方森田は書痙の患者について記載をしています。その中で「書痙の治った経験」を山野井氏が述べているので、要点を記します。「昼は会社、夜は夜学に通っていて、学校ではすらすら書けるのに会社では力が抜けて良く書けなかった。入院森田療法を受けて退院前に森田先生に家へ帰ってもう食うのに困らないから会社を辞めて帰りたいと言ったら先生に非常に叱られました。実はひどい対人恐怖だったので、書痙が治っては困る、書痙をかえってよいことにしてたのです。退院後会社の重役へ会うときはどきどきしていましたが、最初の一言二言は震えたもののあとはとどこおりなくスラスラと話が出来ました。私は十分に書けない。でも先生が出勤せよとおっしゃるから、しかたなしに会社へ出ました。そのうちにしだいに治ったのですが、そんな風で、私には一挙にして治ったということはありませんでした。現在ではお陰様でスラスラと書けるようになりました。この間、会計学の雑誌に原稿を書いて初めて原稿料をもらいました。先生方にお知らせして喜んで頂こうと思ってまいりました。」と森田主催の患者との集団での会合(第56回形外会)で発言していました(森田正馬全集第5巻・第56回形外会p654-655より)。

S様は書痙から包丁のことへと広がって視野狭窄を起こしているようですね。そこにはご自身が書かれている「予期不安」からますます悪化していると思われます。予期不安の背後には実は何らかしら良くなりたいなど森田療法でいう「生の欲望」があると思います。大変と思いますが、不安は欲求の裏返しと捉えなおし、不安を抱えつつ目の前の事へチャレンジしてみてください。
(舘野歩)

「身体を整えてから行動・・・ではなく、生活や行動をしていく中で身体も整っていく」 '20.5 

Kさんは、子育てが一段落した頃に肌荒れが気になりだし、触っているうちに悪化、さらに痒みや手足の不安感などに悩まされ、日々の生活が辛いとのことでした。また、Mさんは、めまいと胃腸の不快感に悩んでいると書き込まれています。お二人とも、症状に応じて身体科の診察や検査を受けられたものの、不調が改善しないために、生活に支障が出ているとのことでした。

実際、身体の不調は不快なものですし、何とか原因を探りたい、解決したいと思うのは当然のことです。治療を試みても改善しないとなると、八方塞がりの気持ちになってしまいますね。しかし、症状を何とか早く治したいという気持ちが強ければ強いほど、かえって身体の状態(不調)が気になり、逆にそのことに敏感になってしまうといった事態に陥ります。大なり小なり、こうした経験は皆さんにもあると思いますが、特に心配性で神経質な性格傾向の方は、身体の不調のみに注意が向いてしまうために、どんどんとらわれていってしまうのです。その結果、まず身体の不調を治すことが先決、治ってから行動しようと考え、どんどん生活や行動範囲が狭まってしまい、ますます身体の不調を恨めしく思うようになってしまうわけです。特に皮膚の症状は、気になって触ったり掻いたりしてしまうことが、逆に皮膚組織を壊してしまい、悪化に繋がると言われています。とはいえ、痒みをなるべく触らずに様子を見るというのは辛いものですよね。

では、こうした身体の不調に対してどのように対応したらよいでしょう。先ほども述べたように、体調をまず整えようとすると、どうしてもその原因を探りたくなり、原因がわからない、あるいは体調がすっきり整わないことがさらなるストレスに繋がってしまいます。まさに、身体の不調の原因であるストレスを自分で作り出してしまうわけです。

身体の不調は、ある意味心の叫びのサインなのかもしれません。Mさんはもともと些細なことでも悩みやすい性格と書かれていました。つまり、めまいなどの不調は、考えても答えがすぐに出ないことをあれこれ心配し、心が疲れたサインとも考えられるでしょう。 Kさんは子育てが一段落して暇になった時に肌荒れが気になるようになったと書かれていました。もしかしたら、これまで必死に子育てに取り組んできたエネルギーを、どこに向けたらいいのかわからないといった心の迷いが身体に影響していたのかもしれません。身体は思っているよりも繊細で正直なものです。まずは、身体の症状を先に解決しようとせず、心に栄養を与えてあげることが必要なのかもしれませんね。そのためには、不調な中でも、自分の心が欲していることに手を出してみたらどうでしょうか。あるいは、辛い中でも日々の家事や育児をこなしているご自身を褒めてあげることが、心の余裕に繋がるのかもしれません。

体験フォーラムを拝見すると、お二人は日記をつけて日々の生活を振り返っているようです。その中で、Mさんはお子さんとの日常を楽しんでいらっしゃいますし、Kさんは、買い物をしているうちに症状を忘れていた経験や、ゴルフ練習場に通うなかでコツをつかんできた喜びなどを記載されていました。身体の症状がなくなったわけではないと思いますが、十分にお二人とも「今、この時」を生きていらっしゃるように思います。

身体の症状を治してから・・・と考えていた時には、思い通りにならないことばかりの毎日だったかもしれませんが、ちょっと順番を変えて、今やってみたいこと、出来ることに取り組んでいくと着実に何かが積みあがっていきます。心が少しずつ満たされていくにつれて、身体の調子も整っていくのではないでしょうか。
(久保田幹子)

「身近なところにヒントはある」 '20.4 

Hさん、はじめまして。幼少時から死への恐怖が強く、今は頻脈と不整脈に囚われ苦しんでいらっしゃるのですね。医療現場はコロナウイルスに気を配りながらの勤務で、日々緊張を強いられる状況ですので、疲れが溜まりやすい状況とお察し致します。本当にお疲れさまです。

私は医師ですが同じく病気は怖いです。病気になろうと思って病気になる人などいませんし、自分がコントロールできないところで病気は生じるものです。Hさんは病気の知識があるでしょうから、それ故不整脈や頻脈の怖さも知っていると思います。心臓の動きに意識を向けると、その感覚が鋭敏となり、さらに胸の違和感が増すという悪循環に陥っているのかもしれません。

森田療法では、死や病気への恐怖心は、「生きたい」という気持ちの裏返しであり、避けては通れない人間の自然な感情と捉えます。もしかしたら、Hさんはこんなことに悩む自分は情けない、人間として弱い、とお考えかもしれませんが、生きている限り誰にも生じる自然な気持ちなのだと森田療法では考えます。

私には、Hさんが不整脈や頻脈への不安を抱えながらも、日々病に苦しむ患者さんのケアに取り組んでいらっしゃる姿が目に浮かびます。患者さんのケアをしている時、どのような感覚や気持ちが生じているでしょうか?

自分への囚われが生じている時は、外の世界に目を向けることがポイントです。忙しい中たいへんと思いますが、患者さんと接する時間を少し長く取り、丁寧に患者さんに寄り添ってみると、新たな発見があるかもしれません。また、職場には複雑な人間関係があると思います。人間誰しも完璧に物事をこなすことはできないですし、皆に好かれることも不可能なものです。1日1つ、患者さんのためになるケアが実践できればそれでよし。そう自分に言い聞かせてみてはいかがでしょうか。

自分に多くを求めず、肩に力が入らない人生が送れる日が来ることを願っています。
(鈴木優一)

「不眠に対する発想の転換」 '20.3 

Kさんは過去にパニック障害などのお悩みがあったとのことですが、森田療法カウンセリングを受けて落ち着かれていたのですね。それが、7年程経って、今度は眠れないことを気に病まれているとのこと。良くなっている実感がもてていた分、また困りごとが生じると穏やかな気持ちでいられないものですね。そのような時には、真面目な方ほど「前のように戻ってしまったのでは」と焦り、不安になる傾向が強いように思います。

Kさんは睡眠について、「眠れた日は元気によく朝起きれるのに、寝付けなかった日は朝起きた時に、眠れなかった事のショックを受けてしまう」と書かれていますね。不眠にお悩みの方の場合、眠れるようにあれこれと努力をされることが多いのですが、実はそれでは逆効果になってしまいます。不眠について森田先生は、「不眠に注意を集中するほど、ますますこまごまと眠れない状態が明らかになり、これを恐怖するほど、ますます注意がその方に集中するようになる」と、注意と恐怖がお互いに強め合ってしまう相乗作用を「精神交互作用」という言葉で説明しています。そのため、眠ろうと強く思えば思うほど、眠れなくなってしまうのです。

ではどうしたら良いでしょうか。寝付けない時には悪あがきせず、思い切って「眠らない」という選択をとるのはいかがでしょう。実際に、森田先生が不眠に悩む患者さんに対して「明日は眠らず来てください」と告げると、患者さんは早速その晩安眠できたというエピソードがあります。「眠らない」と思うことで構えがゆるみ、かえって眠れるようになる、発想の転換が功を奏したということですね。

発想の転換つながりでもう一つお伝えします。そもそも、眠れる眠れないことへとらわれているということは、眠ることが目的になってしまっていると考えられます。眠ることの本来の目的は、休むことですよね。そのため、眠れるかどうかより、身体を休めることに意識を向けてみることも発想の転換になるかと思います。現在Kさんは、子育ての真っ只中でいらして、気持ちにも余裕がないとのことです。子育ては思うようにいかないことばかりでしょうから、本当に大変ですよね。日中奮闘して疲れた身体を、どう休めるか工夫されることが大事です。夜ゆっくり身体を横にすることで案外休めるかもしれませんし、日中お子さんと一緒にお昼寝することも一案です。発想の転換をしてみると、解決の糸口は見えてくるかもしれません。
(金子咲)

「失ったからこそ大切なものがわかる」 '20.2 

Yさんはメニエール病で闘病中とのことですね。以前この体験フォーラムのコメントにも書きましたが、難治の耳鼻科疾患で森田療法を希望される方は多い印象です。そしてメニエール病、突発性難聴を初めとした耳鼻科疾患は身近によく起こるものです。周囲にも今も難聴に苦しんでいる同僚や患者さんはよく聞きます。

聴力が落ちていくことは恐怖です。人とのコミュニケーションの時に支障が出たり、Yさんの場合は小さなお子さんがいるので余計心配でしょう。「もっと悪くなったらどうしよう」と繰り返し考えてしまうのは自然な気持ちで、それだけ家族との関係や他人との関係を大切にしたいと思うからでしょう。

今回の話を聞いて思いだしたのはトーベ・ヤンソンの「ムーミン谷の仲間たち」にあるフィリフヨンカの物語です。お読みになったことがありますか?繊細な性格のフィリフヨンカはいつも自分の家にある大事なものをいつか失ってしまうのではと毎日毎日恐れて生きていました。ある日、竜巻が来てフィリフヨンカの家を奪ってしまします。しかし失ってみて初めて、「もう二度と失う事を恐れてびくびくする必要はないんだ」と思うのです。竜巻を前に両手を上げて自由になったフィリフヨンカのイラストが本には描かれています。この物語を読んでいるとフィリフヨンカの自由になった清々しい気分を読者も味わうことができます。失ってみて初めて自分のありのままを感じることができたのではないでしょうか?Yさんも失っている部分はあるかもしれませんが、それでも尚ある弱い自分も含めたありのままの自分を感じていってください。

それと保育園にお子さんを入れたとのこと、良いと思います。保育園に入れることを「本当は自分がみるべきなのに」と感じられるお母さんは多いですが、保育園で子どもは育っていきます。お母さんが無理せずに休息も取れると、お子さんと接する時のゆとりも生まれお子さんにとっても逆に良かったりします。お子さんが元気一杯に育っているのはYさんが病と付き合いながらも子育てを一生懸命やっていらっしゃる何よりの証拠だと思います。
(大久保菜奈子)

「頑張りすぎぬように」 '20.1 

Mさんは病気、体調不良を恐れ、そのことを考えない日はないとのことです。小さいころから病弱で入院もたびたびされていたのですね。すると自分の体調に過敏になるのも無理はないかもしれません。身体の病気を心配する人はこんな悩みを持っているのは自分だけだと思いがちなところもありますので、ここで話して少しずつ不安のある自分もOKだと思ってもらえるようになればと思います。

Sさんや経験者のKさんがアドバイスしてくださったように、検索の時間制限やサイトの制限のアイデアはとてもいいですし、外の情報によってとても揺り動かされやすい状態にあるので、病気のニュースなどはあまり見ないというのもいいと思います。

診察については、毎回同じ先生にかかられていますか?それとも違う科にかかられるのでしょうか。先生の反応や、診察の後の状態や気分はいかがですか?楽になりますか? 様子を見て、診てもらうかどうかを徐々に決めていけるようになれるといいですね。大事なのは行くか行かないかで綱引きをすることではなく、行ってみてどうだったかを感じて、自分と家族にとってより良い選択肢を選べるようになること、そして診察に行った方がいい病状とそうでない病状を分けていけるようになることです。それが不安を抱える心の器を大きくすることになります。通院を制限して何とかなった体験を積み重ねていくことでも抱える力はつきますし、通院する経験の中で少しずつわかっていくという道でもいいのです。

出産を機に病気が前よりもひどくなったとのことですが、その理由として思いつくことはありますか?病気になったら何が困るのか、自分が大切にしたいものは何かをよく考えて、見つめてみてください。

そして完璧にいい一日が過ごせなくてもいいのです。少しでもやりたいと思っていたことができたり、家族が笑って過ごせたとしたらそれで(はなまる)ですね。神経質性格を持つ人はみんな自分を責めるのがとても得意なので、今日の反省は明日に生かせばいいというスタンスで少し気楽にやっていきましょう。
(矢野勝治)

Copyright (C) 2009 The Mental Health Okamoto Memorial Foundation