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症状別アドバイス集

普通神経症の部屋

「仕事と森田療法」 '16.12 

Aさんは、販売のアルバイトを始めたこと、「すがすがしく働いているという形ではない」けれども、仕事に取り組んでいることを書き込んでいます。

それに対してKさんも「予期不安を持ちつつ」仕事をしていることを発言されています。「もちろん仕事中も症状はありますし、緊張したらさらに強く出ます」とも書かれています。 たくさんの方が不安・症状を抱えながらも、仕事に取り組んでいるのだな、と改めて感じました。

仕事を始めると、「ちゃんと仕事ができるだろうか」「仕事中に症状がおきたらどうしよう」…とますます緊張したり、様々な不安が起こってくるものですね。けれどもこれらはやはり「ちゃんと仕事をしたい」「うまくいってほしい」という「生の欲望」があればこそ。

一方で「そのためには自分のコンディションを万全に整えておかなくては」というように不安を排除しようとしてしまうと、ますます不安にとらわれてしまいます。やはり、おっかなびっくり、そのときにできることをやっていくとにつきるのですね。

森田先生のお話にも仕事をしている人の話がたくさん出てきます。それだけ、当時も今も不安や悩みを持ちながら仕事をしている人がたくさんいる、ということなのでしょう。たとえば、緊張を訴える接客業の人に、愛想笑いをしながら、「何にしましょうか」と声を掛けたり、どういう商品を望んでいるかよく観察することをアドバイスしたり…といった具合です。雑貨屋さんの販売でしたら、愛想よくお客さんを迎えつつ、お客さんのペースで商品を見られるようにしたり、お客さんの好みを観察したり、どんなレイアウトで並べたら見やすいか考えたり…注意を向けられるところはたくさんありそうですね。

症状を抱えながら仕事をしていくのはとても大変なことですね。それでも、「ものそのものになる」「作業の転換がすなわち休息になる」…などの森田療法の知恵が生かせる場面が仕事にはたくさんあります。ぜひ、恐る恐る目の前の仕事に向かってみてください。
(塩路理恵子)

「手の震え」 '16.11 

手の震えから仕事を手放さざるを得なかった事実は、Kさんの自負心に大きな傷を与えたのではないかと察します。相当な奮闘をされて生きてきたのだと思います。今、休まれている訳ですが、私は、この休みがKさんにとって、無意味なものだとは考えていません。むしろ、自身の人生を見直す上で欠かすことのできないものだと考えています。何故なら、Kさんは、難関試験に合格した後でも、結婚、仕事において多忙を極め、自分を振り返る暇すら無かったのではないかと思うからです。

ところで、私はKさんの手の震えを取り除くことが出来るかと言えば、残念ながら取ってあげる事はできないと思います。しかし、Kさんの手の震えの背後に隠された、「しっかり振る舞わねば」という思いの発揮のさせ方については吟味することができると考えます。Kさんには、誰にも負けないくらいの自負があったのではないかと文面から感じ取れます。Kさんの自負は、相当な努力で難関試験に合格した事実などが根拠となり、相当立派なものです。しかし、もう一方で、Kさんの自負には危うさもあります。それは、しばしば自分の弱点を隠すための手段に使われているからです。「手の震え」は「しっかり振る舞わねば」という思いの強さ故に、弱点を消そうと躍起になった象徴のように感じてなりません。

Kさんには粘り強く、誰よりも負けず嫌いという特徴だけでなく、誰よりも小心で、臆病であることも忘れないでください。臆病が悪いのではありません、臆病を隠そうと自分に嘘を付くことがいけないのです。Kさんの負けず嫌いをもってすれば、いずれ仕事に復帰することと思います。その際、臆病や小心をもっと生かすように心がけてください。仕事で分からないことがあれば、ビクビクしながら周囲に質問し、仕事を少しでも進めることです。本当の信頼は、上手く出来ている姿を見せることではなく、不器用であっても仕事を着実に進めることで得られるものだと思います。「しっかり振る舞わねば」という思いを、器用に振る舞うことでなく、少しでも仕事を「より良くしたい」という形で生かすようにすることが、Kさんの本当の自負を育てることに繋がる事だと思います。

Kさんがしっかりとした臆病者として、味わいが出ることを願っています。
(樋之口潤一郎)

「"グレーゾーン"のままでいる」 '16.10 

Oさん、不整脈が頻発されさぞかしびっくりされたでしょうね。そして「また起きるのではないか」との予期不安で悩まされたのですね。内科での精密検査では異常がなかったので何よりです。

Oさんと似たような患者さんに私も良く出会います。人によっては心電図で所見があるが、今は内科の治療の必要性がないと言われても不安な方もいらっしゃいます。

Oさんにも共通するのですが、仮にO様の心電図に何か所見があったとします。一般の方々は心電図で所見が書かれていると即異常、治療が必要と考えがちです。しかし皆様がお考えになるより、「様子を見てよい」幅は広いです。私は患者さんへこのような時、「白と黒の中間・『グレーゾーン』で、限りなく白に近いですね」と伝えます。また、「万が一何か起きたらどうしようと思っていませんか?」と問いかけます。すると皆様、うなずきます。私はこれに対し「専門科の医師のお墨付きをもらえれば、後は病気の心配をしつつ、グレーゾーンのまま、日々必要なことをしていきましょう。」とコメントします。

森田は「神経衰弱と強迫観念の根治法」の中で、「神経質の長所と短所」を述べています。「神経質の素質による長所は種々挙げることができるけれども、これにとらわれて病的となるときは、これがことごとくその短所となって現れるのである。」と述べています。さらに「神経質はたとえば頭痛とか不眠とか煩悩とか、その自己観察にとらわれたときには(中略)自己中心的になってしまい、(中略)これが神経質を自我主義と称するところである。」と短所を記載しています。それに対し「自己の素質の長所に覚醒したときに、これがそのまま唯我独尊となるのである。(中略)自己の全力を発揮し、人をあわれみ、周囲を済度する力である。」と続けています。神経質性格には長所と短所があり、いかに長所を生かすかが大事になってくるわけです。

Oさん、神経質な分、他人より病気を早く発見することもあるかもしれません。神経質性格とは、内向的、受け身、神経質といった弱い面と、几帳面、完全主義、負けず嫌いといった強力面の両方を持ち合わせた性格のことを言います。「少しでも強い自分になりたいです。」と結んでいますね。ここが神経質の強い面かと思います。肩に力を入れず、病気の心配は誰しもしますので、心配を抱えつつ、建設的な行動をするよう心がけていって下さい。
(舘野歩)

「考え方を無理矢理変えようとせず」 '16.9 

Aさん、現状色々うまくいかず思い悩みさぞかし辛いと思います。普通神経質の部屋に御投稿されていますが、病院の先生が仕事をするのが無理と言っているのであれば、まずうつも併発しているのか心配しています。

うつ病の米国DSM5診断基準を照らすと、(1)抑うつ気分(憂鬱な気持ち)、または(2)興味または喜びの喪失のうち少なくとも一つは存在し、(3)体重の変化、(4)ほとんど毎日の不眠か過眠、(5)ほとんど毎日のいらいらまたは行動の抑制がかかる、(6)ほとんど毎日の疲労感、(7)ほとんど毎日の疲労感、(8)集中力の低下、(9)死にたい気持ち、のうち5つが同じ二週間に存在していることが基準になっています。これを満たすようであれば、うつ状態からくる否定的な思考があるのではないかと思います。

うつ状態に伴う否定的な思考であれば一般的にはうつ状態から回復してくれば否定的認知も自然と回復していきます。

思考の内容を変化させる治療法として認知療法が知られています。しかし最近はうつ病患者さんの思考内容を変化させることが回復の十分条件でないとの見解も欧米では現れてきています。そこで登場してきたのが「第三世代」の認知行動療法と呼ばれるものです。これは思考の内容を変化させるのではなく思考との距離を取っていきます。そのために瞑想トレーニングを使い、思考の受容を促していきます。「第三世代」の認知行動療法にはマインドフルネス認知療法(MBCT)やアクセプタンス・コミットメントセラピー(ACT)などがあり、受容(アクセプタンス)がキーワードで森田療法との類似性を国内外の専門家が指摘しているほどです。ただ患者さんが瞑想トレーニングをする場合、誤った思考との距離を取ることのみに終始するとかえって思考へ「とらわれて」しまいますので注意が必要です。

うつ状態から脱していて思考に「とらわれて」いるのであれば、「専業主婦でいる自分(現在の自分)」と「理想の自分(ばりばり働いている自分)」とのギャップに悩んでいるのでしょうか。現在の状態の中でできることを増やした結果として病院の先生からもOKをもらい仕事へ復帰されていってはいかがでしょうか?日々の家事など一見平凡に見えても日々新たな発見があるかもしれません。また今回不安神経症の部屋でのアドヴァイスに「女性の生き方と森田療法」の記載をしましたのでご参考になさって下さい。
(舘野歩)

「症状との付き合いも含め、自分自身の生活を見直してみる」 '16.8 

Eさんは、胸の圧迫感、目の奥の違和感、めまいなどに悩み、心気神経症と診断され、薬物療法(ソラナックスなど)や森田療法的な指導を受けているが、あまり回復傾向にないとのことでした。また重い病気に対する不安などの実感もないので、心気神経症なのだろうか?とも書かれていました。確かに、心気神経症(WHOの国際疾病分類では心気障害)は、身体的な症状に対する苦悩、とらわれはあるものの、より根底にある進行性で深刻な疾患の存在に注意が向けられることが特徴です。そう考えると、Eさんの状態は、身体化障害(繰り返し起こる身体症状の訴えが主、医学的検査は陰性)に近いのかもしれません。ただこうした身体症状が抑うつ症状に伴って(あるいは兆候として)出ることもありますし、最初の病院ではうつ病の診断もうけていらっしゃいますので、意欲や集中力の低下がないのかどうかは気になるところです。特に、半年ほど仕事に邁進され、後任に引き継いだ途端に再発したとなると、疲弊もきっかけになっているかもしれません。いずれにしても、診断やお薬についてまだ疑問が残っているようですので、今一度主治医とよく相談されるか、セカンドオピニオンを試してみることもお勧めします。

これまでの治療では、森田療法的なアドバイスをもとに実践を試みているもののうまくいかないとのこと。とらわれないように…と思っても、症状の不快感は当然強いと思いますし、この症状さえ治まれば…と考えるのも自然なことです。そうなると、自ずと症状の強弱に注意が向いてしまうことでしょう。

様々な検査結果で異常がなかったことを考えると、Eさんの身体症状は日常生活の送り方や考え方のひずみから生じているものと理解できます。すなわち、身体症状は問題の原因なのではなく、何らかのひずみの結果、出現しているということなのです。新しい事業の立ち上げに邁進している間は症状がなかったということですが、確かに目前の仕事に注意が向いていたという点では、ある意味《目的本位》の姿勢と言えますが、その後ダウンしたことを考えるとそのやり方には無理があったと想像できます。完璧を求めて必要以上に頑張ってしまったとか、本当は言いたいことがあっても我慢をしたとか、過剰に責任を担ったとか…などです。もしそうした面があるならば、もう一度チャレンジするのがきついと思うのは当然ですし、何より一番最初に症状が出た頃にも似たようなことがあったかもしれません。

身体症状は後から出たものですから、先に消すことは困難です。身体症状はしんどいですが、今しばらく付き合いつつ、その中でどのように仕事に関わるかを工夫してみたらいかがでしょうか。“チャレンジ”という言葉に象徴されるような意気込みは不要です。あくまでも“ゼロにしない”くらいの構えでやってみましょう。自分の関わり方を振り返り、もう少し肩の力を抜いて、楽に、長続きするやり方を探ってみるのです。その頃になると、身体症状がこれまでより和らいでいることに気づくかもしれません。
(久保田 幹子)

「少しエネルギーが低下しているのかもしれません」 '16.7 

2か月前から体の症状が続いているようですね。心療内科で相談し、そこで処方された抗不安薬が多少なりとも助けになっているようで良かったです。

今回Oさんの状況を拝読して心配だったのが、抑うつ状態を合併していないかということです。不安やそれにまつわる身体症状も長く続くと、エネルギーを奪われ抑うつ状態に至る方がいます。この状態を「二次的抑うつ」と言います。落ち込みやすい、起き上がる気力がない、目の前の仕事に集中できないなど抑うつ状態を疑わせる状態が現れているように思われましたので担当医の先生とよく相談してみてください。

またエネルギーが足りなくなると、今まで気にならなかったことまで気になるようになります。例えてみますと、川の水位と川底にある岩の関係と似ています。川の水位(エネルギー)が低下しますと川底にある岩(悩み・葛藤)が表面化します。水位がもどれば、岩は自然と見えなくなります。もしかするとOさんのエネルギーレベルは低下しており様々な悩みが出てきているかもしれません。その場合、治療としては休息と薬物治療(抗うつ剤など)になります。エネルギーが戻ってきたら、少しずつ不安と共に動いてみる森田療法を再開していけばいいのです。目の前の仕事に集中できないのを悩んでいるOさんのことですから、改善していけば症状が気になりながらも仕事に目が向くようになっていくでしょう。
(石山 菜奈子)

「ふわふわ感」 '16.6 

Oさんは、昨年の11月頃からふわふわ感があり、その症状が目覚めてから寝るまで一日中続くとのことです。ふわふわ・ぐらぐらする感じが続くのは辛いですし、その感じをずっと味わっていると気持ちが悪くなったりもしそうですね。心電図等の検査では異常は発見されていないとのことですが、何か悪いところがあるのではないかと気になり、色々な科を受診されているとのことです。 身体にこれまでとまったく異なる違和感がある場合、原因を求めて色々受診したくなるのももっともですし、ある程度必要なことでもありますね。デパスを飲むと緊張感がなくなり、家庭のこともできると書かれていました。つらい状況の中でも薬を飲んで家事を何とかこなされているというエピソードからはOさんの頑張りや気概を感じます。

神経質度チェックで典型的な森田神経質に当てはまったとのことですが、神経質な性格を持つ方はしっかりとしていなければという気持ちが強く、かつ自分の感覚に敏感で自己内省も強いので、異変に敏感になりやすく、原因がはっきり見つからないと不安になったり、完全に治してからでないと自分はダメであるといった思いにとらわれがちです。そういった良かれと思っての行動が、症状の原因追求や治療法の探求にエネルギーを注ぐことに繋がり、最終的には症状へのとらわれと悪化という全く逆の事態を生んでしまうのです。

器質的な理由が見つからず、ふわふわ感をなくす対応もこれ以上難しいように感じたら、Nさんも勧められていたように、ふわふわする感じはあっても、まずは家の中の必要なこと、できることから手をつけていってみてください。これはデパスが切れるとおっしゃっていた夕方以降も同じです。ふわふわ感がひどく、動けなさそうであれば、一旦休んでみる。休んでみてどうか。どうすると楽か。少し動けるかなというときは、動いてみてどうか。途中疲れたなと感じたら休んでみる。それで疲れが取れるかどうか、どのくらい休むと楽か、などなど。そういったことをぼんやり眺めてみて、今の自分の身体の感覚と実情を少しずつつかんでいってください。こういうことをお勧めするのは… ご本人からすると「突然来た身体の違和感」に悩まれる方の中に、自分の身体の疲れやそのサインを把握するのが苦手な方が意外に多い印象があるからです。 身体の違和感や、違和感へのとらわれは自分が身体的・心理的にいっぱいいっぱいの時に起きやすいとはよく言われる話ですね。つまり、症状=身体からのSOSであることが少なくありません。とても頑張り屋さんだったり、自分がどのくらい疲れているか、何に気持ちが揺れているかといったことを把握することが不得手だったりすると、気がついた時にはかなり参った状態になっているということがよくあるのです。

そしてできたら、少しずつ動く中で感じたことを(自分として良いと感じることも悪いと感じることも)日記に書くなり、家族に少し話すようにして言葉にできるとより良いです。自分の書いたものを読んだり、家族の反応を聞いて、自分がどう感じるか。それがまた自分の心の事実や、周りの事実を知ることにもつながっていきます。 こうやってまずは身体を知ることから始めて、そのうち、自分はふわふわして揺らぐ感じがあるとどうしてそんなに嫌なんだろう、自分はどうできたらいいと思っているんだろう、など自分の気持ちを眺めていけるとよいですね。そうすることで、今は見えにくい自分の心の奥にある願いや、自分が他に困っている点がどこにあるのかが少しずつ見えてくるかもしれません。最初はつらいかもしれませんが、少しずつ試してみてくださいね。
(今村祐子)

「身体の不調が死の恐怖と結びつく」 '16.5 

Sさんが長い間 身体の不調と不安で困っています。ふらつき・胃腸の不具合・胸の締め付け感などの身体症状があり、これまでにいろいろな医療機関で検査されたようですが特に異常の指摘も受けず、不安神経症や自律神経失調症と言われてきたとのことです。また、「身体症状=死」と結びつけて考えることが一番困るとのことです。文面からは心気障害ではないかと思います。気分屋・自己中心的と書かれているのは「自分が気にすることは気にする」という神経質の性格を言われているように感じます。

Sさんのように検査しても特に異常を指摘されない方のなかには、身体が常に万全の状態でありたい・健康でありたい思いが強いゆえに、どこか悪いことがあるのではないかと身体の小さな変化に敏感になり、そのために身体の小さな症状をも拾ってしまう。さらに神経質の心性から症状に焦点を当ててしまうために不調の感覚を強めてしまう方がいます。

身体の症状について検査でどこも悪くないと言われても「やはりどこか悪いのではないか」という思いはありますか?思いはあるがこれまで調べて来ても異常はないのだから大丈夫なのだろうという思いでしょうか? もし後者であれば、症状を気にすることがさらに症状を強めることに繋がりますので、症状を追いかけることをやめてみましょう。そうすることが(どこか悪いところがないかを探す)(不調の感覚を強める)ことから離れる姿勢を身につける一歩になると考えます。さらにそのことに思い悩んでいたエネルギーを、その分 自分らしく生活出来るようにつかえるようになれればしめたものです。頑張って下さい。
(矢野勝治)

「今の生活を充実させていく」 '16.4 

Aさんは思い込みからくる吐き気で悩んでおられます。気分が悪くなると予想すると一日吐き気が続いてしまい、外出ができなくなったり、食事がとれなくなったりすることもあるようです。一日中吐き気が続くというのは本当に辛いですよね。

このホームページ内にある色々なアドバイスを読まれたかもしれませんが、Aさんは「吐いてしまったらどうしよう」という『嘔吐恐怖』という症状と、先々のことを予期して不安になっていく『予期不安』が強いようですね。 erierieringoさんの症状改善のヒントとしては「仕事をしているときは症状が治まっていたが、退職した途端に毎日症状が出ていること」だと思います。

おそらく、お仕事をされていた時にはAさんは「今日はどう仕事をしよう」「今日はこれをやらなきゃ」「家に帰ったら、あれをやろう」などと自然にご自分の注意が外に向いていたのだと思います。退職をされて、自宅で生活をしていると、おそらく仕事をしている時よりは時間があるのではないでしょうか。そうなってくると、「お腹は大丈夫だろうか?」「今日、吐き気は出ないだろうか?」などと自分の身体に注意が向いてしまい、いわゆる精神交互作用(注意と感覚の悪循環)が起きているのだと思います。

まずは「大丈夫かな?心配だな…」と不安になりつつも、今、出来ることに手をつけていきましょう。おっかなびっくり、少しずつ、やれることに手をつけて、仕事をされていたときのように、今の生活を充実させていくことが、悪循環を断ち切ることに繋がるはずです。是非とも頑張って下さいね。
(谷井一夫)

「頻尿に負けるな」 '16.3 

Jさんは、頻尿に現在悩まれて奮闘されている様子が、文面から伝わります。このような頻尿に悩まれている患者さんは決して少なくありません。ただ、恥ずかしいことだと思い心の内に留め、周囲に相談することを躊躇っているのです。
そのような中で、Jさんがフォーラムで相談しようと決意した姿勢は、勇気ある行動だと思います。

このような患者さんは、頻尿に引け目を感じていますから、大学の講義や職場の会議中などで、トイレに立つことを極端に嫌い、我慢してしまう傾向があります。その分、余計に頻尿にとらわれ、「この症状さえなければ」という排除の心境に陥ってしまうのだと思います。
けれども、ここで大切なのは、頻尿をコントロールすることではなく、本当に辛くなったら、挙手をしてトイレに行く勇気ある行動と考えます。つまり恥らいながら、確りトイレで排尿することが、神経性頻尿に対する心理学的な取り組みと言えます。このような視点は、対人恐怖症の患者さんが、恥じらいながら自分の考えを表明する姿勢に近いものがあります。そして、このように辛くなった際に、きちんと排尿することが膀胱にとって一番優しい行動である言えるでしょう。

そして、もう一つ身体的視点から見た際、私自身の視点では(これはあくまで樋之口の視点にすぎませんが・・・)、全員では無いにせよ、冷えが少なからず関与している様に感じます。特に慢性前立腺炎をお持ちの方には、冷えがより多く介在していると考えます。もし、Jさんに、このような視点が当てはまるとすれば、やはり体を冷やさない働きかけが重要となります。骨盤内は唯でさえ血流が悪くなりやすく、冷えを許しやすい部分です。そのため、腹部を温め、日頃運動し筋肉量を減らさないなどの働きかけが、頻尿を無くさないまでも、悪化させない取り組みと言えます。つまり、頻尿のコントロールから離れ、より良い排尿のための取り組みが、神経性頻尿に対する治療的取り組みのように感じます。
今は、苦しみの渦中ですから、試行錯誤を当然余儀なくされると思いますが、Jさんにとって、頻尿の改善以上に新たな境地が開かれることを願っています。
(樋之口潤一郎)

「うつ病でいつから行動を促進するのか」 '16.2 

Bさん、11月〜特に早朝覚醒もありさぞかし辛いと思います。普通神経質の部屋に御投稿されていますが、うつがどの程度なのかにより活動を促進するかが異なります。
うつ病の米国DSM5診断基準を照らすと、
(1)抑うつ気分(憂鬱な気持ち)、または
(2)興味または喜びの喪失・のうち少なくとも一つは存在し、かつ
(3)体重の変化
(4)ほとんど毎日の不眠か過眠
(5)ほとんど毎日のいらいらまたは行動の抑制がかかる
(6)ほとんど毎日の疲労感
(7)ほとんど毎日の疲労感
(8)集中力の低下
(9)死にたい気持ち

の(1)から(5)のうち5つが同じ二週間に存在していることが基準になっています。これを満たすようであればきちんと抗うつ薬を使用し無理をしない方が良いでしょう。

回復の過程は個人差がありますが、以上の症状が少しずつ階段を上がるように回復していきます。我々は患者さんに「今どのくらいの回復度合いですか」と訪ね、%で表現してもらうようにしています。
症状がでそろっているいわゆる「極期の過ごし方」は、「果報は寝て待て」が大事になります。簡単に言うと家でごろごろしていて良いわけです。

30%前後から50%くらい、「回復前期」の時は、「毎日の中での変動が目立つ」のですが「どん底を過ぎれば必ず回復が訪れる」と思っていて下さい。この時期は「疲労感」を主な基準として、疲労感が強い時は休息し、軽い時は手をつけやすいところから手をつけていきましょう。これが「臨機応変」という対応です。また「感じから出発する」のが大事です。何かしたい気持ちがあればそれを少しずつ行動に移して疲れたらまた休んで良い訳です。

本来の状態の60〜70%くらいまで回復してきたら、生活リズムを規則正しくして生活を整えて行く、「外相を整える」ことが大事になってきます。また、今までの自分の生き方を見直す時期でもあります。「かくあるべし」といった思考にとらわれず今の現状の中で出来ることをしていくことが大事になります。
Bさんは、上のどの時期に該当しますか?それにより応対を考えていって下さい。
(舘野歩)

「恐るべきを恐れ、注意し用心すべきをする」 '16.1 

Aさんは、心気症で悩んでいるとのこと。特にお父様をガンでなくされてから酷くなり、自分の病気、家族の病気、特にお子さんのことがいつも心配と書かれていました。
確かにガンは「死」を連想させるものであり、特にお父様を亡くされているということですから心配になるのも自然なことだろうと思います。
またご家族やお子さんの病気や事故を心配されているのは、それだけ大切な存在であるからこそであり、Aさんの家族に対する思いの強さゆえの不安と理解できます。

つまり、こうした病気や事故に対する不安は、それだけ健康で安全な生活をしたい(してもらいたい)という欲求の表れなのですが、「万全を期したい」と願うがゆえに、予期不安(健康や安全が脅かされるのではないか)に翻弄されてしまっているということですね。 森田は、『心悸亢進でも、梅毒恐怖でも、当然恐るべきを恐れ、注意し用心すべきをするのが、「事実唯真」である。恐るべきを恐れてはならないというのを「思想の矛盾」といい、悪智といい、それはけっして人間の心情の事実ではないのである』と述べています。つまり、病気を心配すること自体は自然なことであり、恐れるからこそ、病気にならないよう今出来る範囲の用心をし、健康な生活を心がけることが事実に即した行動であると伝えているのです。

Aさんがいつも心配されていることは、大方未来の心配だろうと思います。でも、私たちは未来を知ることは不可能ですよね。折角自分の健康、そして何より家族・お子さんの健康を心配されているのであれば、妻として、母として少しでも皆が楽しく健康な毎日を送れるよう、日々の生活を工夫することが大切なのではないでしょうか?
大事なお子さんだからこそ、学校での様子などを聞いてあげる、あるいは一緒の時間を楽しむといったこともお子さんの安心感に繋がるでしょうし、笑顔の絶えない生活を心がけることも家族の健康な生活・幸せに繋がると思います。「心配していないと不安という変な感じもあります」と書かれていましたが、心配することはいけないことではないのです。どんな心配をするのか、また心配だからこそ何を工夫していくのかが大事なのです。ご自身の健康、そして大切な家族のために、神経質を大いに生かしていただければと思います。
(久保田幹子)

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