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症状別アドバイス集

普通神経症の部屋

「"生の欲望"の発揮について」 '14.12 

Rさんは、名前のようにまさに「再スタート」がテーマのようですね。けれどもドイツへの留学や現職場での奮闘体験などは、Rさんを益々逞しくさせているように思います。これらは、森田療法でいうところの目的本位に徹した行動に他ならず、とても立派なことだと考えます。きっと色んな不安や悩みを抱えながら奮闘されたことでしょう。その取り組みの結果として、Rさんは転職を勝ち取ったのだと思います。

ところで、いざ転職を迎えると、後にする職場への申し訳なさが必ず我々の心の中に起こるものです。これは何もRさんだけではなく、転職を経験された方なら誰しも感じる普遍的な感情でしょう。しかし、Rさんは転職先に可能性を見出して、その方向を大切にしようとしています。私は、それでよいと思っています。その方向が、Rさんの向上発展を求めて止まない「生の欲望」だと思うからです。けれども、「生の欲望」を発揮する上で、一つだけ我々が覚悟しなくてはならない点があります。それは、自分の望むものを得る際には、必ず何かを捨てなくてはいけないという事実です。逆に言えば、しっかりと捨てなければ、自分の本当に欲しいものは得られないのです。そして捨てる際に感じるであろう「後味の悪さ」は酷であっても、抱えて進まなくてはいけません。これが、Rさんにとっての恐怖突入と考えます。

では、しっかり捨てる上で大切なことは何でしょうか。私自身、明確に回答できるものを持ち合わせてはいませんが、現時点では、やはり「礼を尽くす」ということに尽きると考えています。礼を確りと尽くすことは、捨てることへの申し訳なさだけでなく、「新たなステージで今までの経験を生かし奮闘したい」という感謝や決意の表明でもあります。その思いを言葉と態度で示していくことで、Rさんは現職場を確りと捨て、心新たな気持ちで次の職場で活躍することができると思います。

Rさんが次のステージでご活躍されることを心より祈願しております。そして次なる奮闘記をここのフォーラムで再びお話いただければと思います。そのことが、神経症で悩まれている皆様に大きな勇気を与えてくれるからです。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

「書痙と予期不安について」 '14.11 

現在60代のAさんは20代半ばごろ、宴会などで酒をつぐときに若干手の震えがあり、現在では書痙や食事のときなど日常生活に支障が出るほどの震えがあることを書き込まれています。40年余りを悩みとともに生きてこられたとのこと、大変な年月だったことと思います。逆にいえばそれだけの年月を悩みを抱えながら生き抜いてこられたということでもあり、尊敬を感じます。その時間や生きる力の重みはご自身でも大切にされてください。

Mさんからは森田先生の「神経質講義」の紹介があり、改めて読んでも勉強になります。「震えをみせまい」とすることでいかにがんじがらめになってしまうかが分かります。
Pさんの「貴方はひとりではありません」という書き込み、心強いですね!
人は「自分だけがこのことで悩んでいるのではない」と知るだけでも救われるものです。(フォーラムの持つ力ですね)

「このことが原因で人付き合いもせばめられてきた」とのこと、もしかしたらこのことこそがAさんを一番苦しめていたことかもしれませんね。そしてその悩みを持つということは人と関わり、いい関係を保ちたいと思えばこそ。手の震えはAさんの人となりを損なうものではありませんよね。どこかで「震えを見られてしまっては人との関係が築けない」と捉えてしまっているのかもしれません。震えながらでよいのでぜひ人との関わりは取り戻し、話をしたり話を聞いたりしてください。これまでの人生で得てきた知恵を伝えることはAさんにしかできないはずです。

私の受け持った患者さんから教えてもらった話なのですが、鈴木知準先生は「神経質は赤い花」と仰っていたそうです。赤い花なのに青い花になろうと不可能な努力をすることで身動きが取れなくなっているのだと。 予期不安でますます症状が強まってきたことも自覚されているとのこと。
先に触れた鈴木知準先生は「不安は不安。それきり」とも仰っていたそうです。予期不安を含めて不安は、不安であってそれ以上のものでもありません。森田先生の「不安常在」にも通じる言葉だと思います。「予期不安への対処法」を求められているとのことですが、「不安とともに在る」ことが一番の対処法ではないでしょうか。
(塩路理恵子)

「心は万境に随って転ず」 '14.10 

「以前は美容院へ行っても症状のことばかり考えていて終わったらどっと疲れが出ていたのが、今は症状のことを考えるのも仕方がない。いろいろあったんだからと考える方向を少し変えることができるようになりました。」「今までは不安でガチガチになっていたのが、肩の力を抜いて、症状があってもやりたいことができれば良いと思うようになり、ずいぶんと楽になりました。」とYさんは書かれていますね。

 森田先生は、「誰もが人並みにそうやっているところの『苦しいままに働く』、それが小学程度、次に『苦しいことはいやである』そのままの事実を認識するのが中学程度、さらに『いやとか好きとかの名目を超越した』のが大学程度である」と述べています。Yさんは森田先生時代の中学程度を通過したと言えます。不安でガチガチだったのがだいぶ楽になって良かったですね。これからの参考になるように森田先生が、大学卒業程度の説明をしているのでここに掲載しますね。

 大学卒業の『いやとか好きとかの名目を超越した』とは『苦楽を超越して、現実そのままになりきる』ということです。森田先生の香取さんという患者さんが、女中の紅茶の入れ方が悪かったことに癇にさわり3,4時間も不愉快な気持ちが治らないと言いました。森田先生はそんな時「どうしてこんなに遅いか。飲んでみれば薄い。一体どうしたんだろう。いつでもあいつはずぼらだ。いっそうのこと追い出そうか。しかし今日は雨が降るから、明日にしようか。随分の雨降りだが、これでは桜も散るだろう。家の盆栽の桜も咲きかけたが、桜の盆栽もよいものだ」という風に、自由な心の流転にまかせておけば、連想は連想を引き出して、下手な作為を超越して、全く思いもかけぬ事に移り変わって、女中への腹立ちも、いつしか桜の風流に変化してくる」と述べています。

 「心は万鏡に随って転ず」という句に森田先生は感心していました。Yさんもこのような体験が(もう出来ているかもしれませんが)、できると良いですね。
(舘野歩)

「不安のままで“低めに”生きていく」 '14.9 

お父様の緊急入院を機に不安が再び出てきたというYさんの投稿を拝見しました。「不安を気にしないで今していることに集中して」と困難な状況の中、何とか森田療法の考えを用いて対処されようと努力している様子が伝わりました。

お父様の緊急入院はYさんも随分驚かれたのではないでしょうか。自分の大切な家族の悪い状態を見て精神的にも参り、また看病などで身体的にも疲れている事でしょう。不安の根源は死の恐怖です。また死の恐怖の裏には「お父さんに健康になって欲しい」「自分も健康でありたい」という願望があります。その願望は打ち消すことが出来ないものなので、同時に不安を気にしないようにするというのも無理なことなのです。

人間は生きている限り必ず困難な時期が訪れます。困難な時期は無理に元気になろうとせず、「低めに生きていく」というスタンスでよいと思います。お父様の看病や自分の健康の悩みに圧倒されながら元気ではないが何とか目の前のことをやっていく、それだけで充分なのです。ただ、睡眠、食欲に影響が出ているようでしたら、以前薬を処方してもらった医師に相談した方がいいでしょう。

またYさんは「体調がおかしくなったらといつも不安です」と書いてあります。ということは「体調が良ければこういうことがやりたい」という事があるはずです。少し元気になってきたら後悔のないよう「やらなければならないこと」だけでなく「やりたいこと」もやってみて下さい。
(石山菜奈子)

「動いているおなかは絶えず音を出しているものです」 '14.8 

Rさんが社会場面でお腹が鳴ることに困っています。これまでは間食を摂るなどしてきたものの、間食が摂れない状態で多くの人と静かな場所で過ごさなければならない、法事などの大事な席でお腹が鳴ると周りに白い目で見られる、交際している女性に腹鳴で嫌われてしまうのではないかなどと恐怖や不安があるとのことです。社会不安障害の腹鳴恐怖の症状と言えます。しかし最近では過敏性腸症候群という病名が認知されるようになり、このような症状を身体の病気として治療していたという人が多くいらっしゃいます。
おなかが空けば誰しもおなかは鳴るものです。さらに言えば我々は生きていれば何かしらの音(例えば心臓の音など)を出しています。きちんとしていたい場面でその思いから症状への意識が強まるため、そのような場面が苦手になってしまいます。また、将来的に変化があると場合、いろいろな場面の不安が頭のなかをめぐってしまうものです。

Yさんの言葉に励まされて、Rさんは「お腹の鳴りくらいで態度を変えてしまう人ならそれまでの人ですよね」「お腹の鳴りなしに今の自分は無いとも思うんです」と言うことが出来ています。不安で場面を避けるのでなく、自分の本当の進むべき道にひとつひとつ行動として進んでいくことです。頑張って下さい。
(矢野勝治)

「めまい」 '14.7 

KさんとEさんがめまいについて書いていらっしゃいました。どちらも5年ほど続いており、内科や耳鼻科で検査をしても異常がなしと言われ、自律神経の問題だと言われたとのこと。めまいは実際に立っていられない、気持ち悪いなどの症状を伴うものですから、本当につらいと思います。

Eさんは自律神経の乱れもあるが、いつも体調を気にするばかりで発作を自分で作り出していることに気がついたとのこと。コペルニクス的転換ですね!どんなきっかけでそう思われるようになったのでしょう?目的本位の実践に加えて、その問いへの答えの中に、これからどう動いていったらよいかのヒントが隠されていると思います。Eさんが何を求めていて、今何が得られなくて苦しいのか。自分が求めているものを少しでも実生活の中で実現していくことがEさんの願いのはずです。

Kさんはめまいから動悸・焦燥感・足の脱力感や目のけいれんなど身体症状が広がっている感覚があり、めまいの辛さに加えて、服用している薬の副作用も疑うようになり、過去を悔いる毎日のようです。 それほどつらい症状がまた起こるようになったわけですから、すぐに更年期だと納得がいかなくて当然だと思います。また、自分に合う先生を探し、自分が病気を知っていくまでにはある程度のドクターショッピングも必要なものだったのではないでしょうか。Kさんの言葉の端々に共通して現れているのは「すっきりしたい気持ち」のようです。症状がそれだけ辛いわけですから、症状をどうにかすっきりなくしたいと願う気持ちは当然のように思います。ただ、それが可能か?というとどうでしょうか。これまでいろいろ試してこられたけれども、それは得られなかったわけですよね。「すっきりを望む心」がしつこい症状とのつきあいにおいてはかえって足かせになる?そういったことがあるように思います。
とすると、今最大限できることは何か?

Kさんが述べられていた「何も気にせず心配せずに普通に暮らしたい」の「普通に」はどんなイメージでしょうか。どんなことができたらいいなと思うのでしょう。
多彩な症状で気になると思うので、ここならと思える医療機関で継続的に診てもらいながら(場合によっては信頼できる先生を探しながら?ただこれにも完全を求めすぎないことです)、自分が少しでも効果を感じるケアを取り入れつつ、自分が思い描くことを1つでもやってみる。めまいがひどいときには薬を服用して、休んでいるより仕方がないこともあると思います。花粉症のように、手当てと薬を上手に使いながら、かつ自分の求める生活をゼロにしないでやっていけるようになるといいですね。?
(今村祐子)

「かかってこい」が効かなくなるの意味 '14.6 

Kさん、フォーラムで日記を書いて日々の生活に取り組んでいらっしゃいますね。少しずつ不安なことがあったりしても立て直しも早くなっていると感じます。

ただそんな中何故Mさんが「『かかってこい』が効かなくなる日がある」と水をかけたとお思いでしょうか?それは文章の端々に、まだ「不安はあってはいけない」「どんな状況でもきちんとしていないといけない」と思われているとMさんは思ったからではないでしょうか?森田先生は「不安常住」と述べています。また、森田先生は形外会で、「はからわざらんとする心がすなわちはからう心になって一波を以て一波を消さんと欲す、千波万波交々起るという風に、ますますこんがらがってくるようになることを注意しなければならぬ。我々は何かにつけて常にはからっている。これが吾人の心の事実であり、精神の自然現象である。このはからう心そのままであったときに、すなわち計らわぬ個々rであるということを考えなければならぬ。」「無常・不安定を常住とするとき、はじめてそこに安心立命の境地があることを知るのである。」と述べています。Kさん、「かかってこい」と思わず自然にいられるようになると良いですね(「自然でなければ」と構えぬことが大切です)。

日記13日目で「息子(インコ)が嘔吐してパニックになる」とありましたが、これはインコが吐いたら慌てるのは人間皆自然な現象なのではないでしょうか?森田は、「『負ければくやしい』『貧乏は心細い』『人に軽蔑されるのは恨めしい』とかいうことは、冬は寒く・花は奇麗と同様の、動かすべからざる事実であります。また一方には、世の中の事実、すなわち前述の碁の勝負の事実、あるいは『商売は七転八起』というような事実において、財産を積めばよいということ、いたずらに目前の競争に捉われず、金も実力もあるがうえにも、常に蓄積するように勉強すれば、結局人に勝ちうることなどの事実を見定め、感情と理智とを常に対照して、その事実に服従するように心がけることが、人間の修養の最も大切なることであります。」と述べています。大事なのは、驚いた時の感情はそのまま認め、その後どう行動するかです。
(舘野歩)

「日中の眠気について」 '14.5 

Kさんは2年程前より通院をされていますが、それ以来、授業中の異常な眠気、物覚えが悪い、人混みが怖いなどの症状もあって、学校に行くのがつらいとのことで困っていらっしゃいます。今回は日中の眠気について、焦点を絞って説明させていただきます。

まずは日中の眠気の原因が「睡眠不足」にある場合はその睡眠不足を解消することが一番となります。一般的なアドバイスとなりますが、以下のようなことを注意してみてください。
まず、寝る直前まで部屋が明るいと、深い眠りが得にくいとされています。眠る数時間前から、部屋は薄暗くしていきましょう。勉強などで照明が必要な場合でも、必要以上に明るくしすぎないことです。また、ベッドで読書や携帯・スマートフォンをしないということも大切です。布団に入って読書や携帯に夢中になると、脳の興奮が持続してしまいます。カフェインが多いコーヒー・緑茶なども夕食時以降は控えた方がよいでしょう。時々寝るためにアルコールを飲む方もいますが、確かにアルコールには催眠作用がありますが、体内で代謝されると、睡眠を浅くする作用があります。睡眠の質を下げてしまいますので、アルコールも控えましょう。

一方で「夜、ちゃんと寝ているのに眠い」という場合は様々なことが考えられます。ナルコレプシーや睡眠時無呼吸症候群などに代表される睡眠障害やうつ病などの精神障害がある場合などです。Kさんは通院されているとのことですが、何か薬も飲んでいらっしゃるでしょうか。その薬の副作用での眠気ということも十分に考えられます。まずは、今かかっていらっしゃる主治医の先生にご相談されてみるのが一番良いと思いますよ。
(谷井一夫)

「生活の送り方」 '14.4 

Fさん、始めまして。現在、幾つかの身体的愁訴に悩まれているようですね。けれどもこのような中であっても、会社員として仕事を粘り強く継続されている姿勢は、とても立派であると思います。数年前、手の震えから森田療法を自ら求めた姿勢も、Fさんの「より良くありたい」という克己の姿勢の表れではないしょうか。それだけ、Fさんには、人一倍の向上心があるのだと思います。だからこそ、再び体の振るえや、こわばりの強さ、そして視点が合わないなどの症状の出現は、Fさんの向上心を脅かす存在に映ったのではないかと感じます。

私は、このような症状に苦しんでいる姿から、Fさんには強い緊張があるのではないかと考えました。向上心が強い分だけ、Fさんがいつも心のどこかで気負っているように、私には見えたのです。そして、この気負いが緊張を作り出し、「様々な身体的愁訴に至ったのではないか」と推察したのです。そうだとすると、仕事や私生活などあらゆる場面に対して「常に良い状態を保たねばならない」という姿勢を見直してみることは、今後の生活を考える上でとても重要であると言えるでしょう。何故なら、この姿勢は、身体的愁訴に対するFさんの姿勢にも通底するからです。つまり、生活で気負う部分と、敢えて手を抜く部分を色分けしていく必要があるのです。

ところでFさんは、日常生活でどのような息抜きをなさっているでしょうか? もし息抜きが思いつかない時は、まず敢えてボーっとする時間を作ることから始めてみてください。ある患者さんは、入浴時にぬるま湯に浸かりボーっとすることで、仕事で起こった嫌な出来事を忘れるように心がけていました。また別な患者さんは仕事の合間のランチの際に、極力同僚と行動を共にせず、喫茶店でゆっくりすることで、リフレッシュを図っていたようです。このように生活に緩急を取り入れることによって、何時も緊迫していたFさんの気持ちにゆとりのようなものが出来ると思います。そしてこのような体験が醸成されるなかで、症状に対しても少しずつ余裕を持って接することを可能にしてくれると考えます。

最後に、私は常々「パソコンや携帯などの電子媒体のやりすぎには注意するように」と患者さんに呼びかけています。電子媒体は便利で現代社会に欠かせないツールですが、絶えず人間に緊張を与える緊張造成機としての一面もあります。その点も心がけながら、生活の送り方を工夫していただければと思います。Fさんにとって苦しい状況ではあると思いますが、少しでも生活にゆとりが出来ることを願っています。
(樋之口潤一郎)

「不安に圧倒されそうな時に生かす"日常の動きの力"」 '14.3 

Sさんは5年前から不眠で服薬されており、5か月前に仕事のリストラの話が来てから、胃痛、腹痛、喉の違和感、吐き気や動機、発作のような恐怖が起こってしまっていることを書き込んでおられます。
5年前から不眠症があられたとのことですので、神経質の傾向は以前からお持ちだったのかもしれませんね。 リストラの話がきたこと、将来の不安を感じていること、大変な思いをされているのですね。安定や安心を求めるのは、人の基本的な心情です。今感じておられる不安や身体の症状は、大変な状況での無理もない反応でもあるのではないでしょうか。もしかしたら、「こんなときでもしっかりしていなければ」と自分に無理な注文をつけてしまい、より自分を追い込んでしまっているかもしれませんね。

生活のことなどの現実的な不安については、信頼できる身近な人に相談したり、話を聞いてもらいましょう。すぐには解決に結びつかなくても、悩みを知っていてくれる人がいることはそれだけで支えになるものです。 薬についても「全く効果がない」ようであれば、主治医の先生に率直に相談してみてもいいかもしれません。薬の種類によって、すぐに効果が出るのではなく続けるうちに効果がでるものもありますから、薬の種類について説明をしていただいてもいいでしょう。

圧倒されてしまいそうな悩みや、不安に晒されたとき、人を支えてくれるものに「日常生活が持つ力」があります。日常の動きが持つ力、と言い換えてもいいかもしれません。
日々、なんとか身を起こし、顔を洗い着替えをし、身支度をすること。
進まなくても、少しずつでも食べ物を口に運ぶこと。
もしも植物を育てていたり、動物を育てていたら、加減をみながら日々水をあげること、動物に餌をあげたり洗ってあげたり・・そういった動きの一つ一つが人を支え、時を前に進ませてくれることがあります。
今は、派遣とはいえ何とか続けられることになった仕事を大切に、押しつぶされそうな不安を抱えながら、一歩ずつ足を進めてみてください。
(塩路理恵子)

「不快な出来事や気分との付き合い方」 '14.2 

Mさんの悩みは、嫌なことを思い浮かべると、繰り返し頭の中でリピートされて止まらないということでした。ただし、就職をして激務に追われるようになって、いつしか消えていたということですので、まさに目の前のことに取り組んでいるうちに、注意の転換、そして気分の転換がなされたと言えるでしょう。これ自体は、貴重な経験だったと思うのですが、仕事をしている今でも、気分本位で仕事の効率を落としたり、自分でたてたはずの目標を達成できなかったり・・ということがしばしばとのこと。何とか目的本位のより良い人生を歩みたいと書き込まれています。

そもそも嫌なことが繰り返しリピートされたのはどうしてでしょうか。
誰しも嫌な出来事や嫌な気分は思い出したくないものですし、出来れば消し去りたい、無かったことにしたいと思うでしょう。しかし、忘れたいと意識することは、逆にそこに注意を向けることになってしまいます。Mさんの頭の中のリピートは、こうした「消し去りたい」という気持ちが非常に強かったために、その存在に過剰に注意が向いた結果、生じたものかもしれません。とはいえ、嫌な出来事も、それに伴う不快感も事実であり、それを消し去ることは不可能です。激務に追われていた時は、嫌な気分は残っていても、目前の仕事に注意を向けざるを得なかったでしょうし、そうした取り組みを続けるうちに、いつの間にか嫌な出来事に対する不快感は流れていったのでしょう。まさに、消そうとしている間は消えず、それを脇に置いた時に消えたということですね。

現在、気分本位で仕事の効率が落ちることを悩んでいらっしゃいますが、具体的にはどのような状況なのでしょうか。不安や嫌な気持ちに注意が向いて、仕事に手がつかないということなのでしょうか。もし、仕事をきちんとこなすためには、気になることや不安を解決することが先決・・・と考えているようであれば、本当に大切なことは後回しになってしまいますね。目標を達成出来ないということも、思うようにならない焦り、不安などに気を取られて、目の前の仕事に注意が向いていないということがあるのかもしれません。あるいは、何とか頑張りたいという気持ちが先行して、目標を高く掲げ過ぎている可能性も考えられます。
 目的本位を心がけることは大切ですが、目的にしっかり取り組むためには、それを妨げるような気分、不安をまず解決してから・・・と考えてしまうと、気分本位になってしまいます。Mさんの書き込みを読ませていただくと、より良い人生を送りたいという向上心の強さをとても感じます。それだけに、仕事を進める上で本当にやるべきことは何なのか?目標が達成できない時には何がまずかったのか?と、まず事実に目を向けてみたらどうでしょうか。事実には、不愉快な事実や受け入れ難い現実もありますが、そこから本当に必要なことも見えてくるものです。自分の気持ちも含め、ありのままの事実に抗わず、そこで出来ることを探ることが、本来の力を発揮することに繋がるのではないでしょうか。
(久保田幹子)

「向上心を持ち続けている姿勢を尊敬します」 '14.1 

色々な考えが浮かびながらも生活されているAさんの投稿を見て、心が動かされました。Aさんは、高校3年生とお若いですが、自分の目標を明確に持ち場面に出るのを避けることなく努力し続けているからです。

まず、「柔道クラブの先輩のように筋肉をつけようと必死で筋トレをした」とのこと。Aさんの「よりよく生きたい願望(生の欲望)」であり、この気持ちを症状の原因と型にはめてしまう必要はないように思えます。その他にも、Aさんの「よりよく生きたい願望」が随所に読み取れます。「水道工事のアルバイトをしながら、通信制高校に通っている」などは随分大変なことをやり遂げてらっしゃいますね。学業と仕事との両立は非常に大変なことです。自分を高めるために努力する、これはとても素晴らしい事ですし、特にAさんの年頃の方には持っていてほしいものですよね。このような向上心を否定せず、むしろ誇りに思ってください

同時に、このよりよく生きたい願望と表裏一体なのは不安・恐怖です。今は食事の時にいろいろな考えが浮かんできてしんどいとのことですが、どのようなことが不安なのでしょうか。自分がどうなることが不安なのでしょうか。森田式カウンセリングを受けてらっしゃるとの事なので、カウンセリングでもちろん話題には上がっていることと思います。よく先生と話しあい、その裏にあるAさんの「生の欲望」が見つかり、それを実現する事に集中していけばよいでしょう。不安は打ち消すことはできません。不安のままに、Aさんの持つよりよく生きたい願望を存分に生かしていってください。そして何より今のAさん自身が悩みと共に生きていくという森田療法の目標とする姿を既に実行しているように思えます。
Aさんには将来の目標もあるようですね。悩みと共に生きながら、ご自身の夢をかなえていってくださいね。
(石山菜奈子)

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