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神経症を治す〜現代人の悩みと森田療法のQ&A

(2012年2月4日 第125回心の健康セミナー「現代人の悩みと森田療法」の質疑・応答より)

第125回心の健康セミナー(抜粋)
 「現代人の悩みと森田療法」

Q1:家族への対処法の基本は?

A:

誰か身近で悩んでいる人がうつ病であっても、さまざまな障害であってもそうなのですが、家族は何とかしてあげたい、何とかしなきゃ、何とかせねばならぬ、どうしても、そちらのほうへ注意が向きすぎる傾向にあります。
そうすると、実はよかれと思って心配してやっていることが、逆にその方を縛ってしまい、自分自身をも追い詰めてしまいます。家族間でそういう悪循環ができてしまいます。
周りの家族が何とかするのではなく、悩んでいるご本人が自然に回復するまで自分はどういうサポートが出来るだろうか、と考えるといいです。
あれこれ介入するのがいいのか否か、もう一度理解しておく必要があります。
取り敢えずはその人を受け入れることが大切です。
受け入れることはとても大変ですけれども、ひとりだけではなく周りの人にもサポートしてもらうことが重要です。悩んでいる人は、自分の不安を解消するためにあれこれしたり、何とかしなくてはと思うのではなく、自分の不安を自分のものとして受け入れていきながら、できる範囲のことをしながら、自分の生活、自分の生き方をもう一度考えていく、ということが重要です。
ご家族、配偶者などがうつ病になって、自分が悩んでいるときに、自分なりの生き方を少しずつ変えていくことによって、思わぬことに配偶者などが良くなるという可能性もあるのです。
悩んでいる人というのは、自分が受け入れられないのです。私たちが自分を受け入れる時のことは、ご自身のことを想像していただければ、よくわかると思います。
まずは他の人に受け入れてもらうこと、また他の人と悩みを分ち合えるということが重要なポイントとなります。それがないと自分を受け入れることができません。
つらいだろうけど、その人をそのままで、今はそのままで受け入れていくしかないな、自分があれこれやると返って回復を阻害するのだな、と考えてください。
こうしなさい、ああしなさいということはなるべく止めて、自分の生活に取り組んでいって、オープンにしていくことが大切です。
例えば、ひきこもっている子だったら、そのひきこもりのことをそのまま認めていくにしても、それとともに、そこに自分の注意を持っていって、あれこれしないことです。
現実の原則として重要なことは、単にひきこもるだけでなく、その中で豊かなひきこもりにしていくことです。
お風呂掃除をするとか、家事を手伝うとか、さまざまなそういう日常生活に取り組む活動を身につけていくことは、その人の回復につながる非常に重要なことです。
そういうところでの協力体制をとるにしても、あれだこれだという形で介入していくということは好ましくありません。これが家族への対応の原則ということになります。

Q2:不安や恐怖性障害への対応方法は?

A:

ある症状で悩むんでいる人は、その症状を持っている自分を嫌だと思っています。
自分を受け入れられない方もいらっしゃって、受け入れることができないさまざまな不安に、どうしても注意が向いてしまいます。
そういうことについて、苦しくてしょうがない、そういう状況になっているわけです。
そのことに気づくことが重要で、つらい思いを受け入れてもらえる、解ってもらえる。そういう経験がやはり必要です。これは一人でなかなかやりぬけない。
人間が回復する時というのは、必ず、他の人に解ってもらえた、という人生の上で、成長したり、転機を向かえたり、あの先生に出会って助言をもらえたとか、学校の先生だったり、おばさんだったりがいます。 そういう助言とか、「頑張っているのだから、それでいいのだよ」、「あまり無理はしないで、そのままでいいのよ」と言われるなど、受け入れられる経験というのは、とても重要です。
ですから自分ひとりで考え込まない。これをさらに言うならば、自分ひとりで抱え込まない、悩まないことです。 これはいろんな論文にも書かれており、有名なアメリカの人の論文にも、そういうふうに書かれています。
うつ病になる人はとても真面目な人です。
真面目で一生懸命やろうとするけれど、逆にそこで行き詰まって、うつ病になってしまいます。真面目な人はたくさんいるわけです。
うつ病になる人ならない人、不安になる人ならない人では、何が違うのかといいますと、一つだけ違いがあります。
うつ病になる人や不安が強くて症状が出る人などは、悩みを自分で抱え込んで、ドンドン悩みに入り込んでしまいます。その中でグルグル悩んでいる時には、なかなかそこから抜けられず、そういう状態だと人に話したら、馬鹿にされる、おかしいと思われると考えるのです。 そういうふうに思えば思うほど悩みは深くなっていきます。
対人恐怖なんかも、そういう傾向があるわけです。
人前で恐怖するとか、人前で赤くなるとか自分の視線が変に思われるのではないかとか、そういうことで悩んでいて、人には気づかれないように隠そうとするわけです。
隠そうとすればするほど苦しさはつのります。
不完全な自分、つまり、「人前で完璧だとか、社交的とか、テキパキだとかは、今の自分にはできない。ありのままのダメな自分でいい」と思えた時に、自分の本当の欲求を知ることができます。
これがとても重要なポイントなのです。
今からお話しするのは、何年も悩んでいたある人が劇的に良くなったという、対人恐怖の方のお話です。
ずっと自分が変な目付きをしていて、人に嫌われる、ということに悩んでおられました。
自分の悩みなんか、とても他人には言えないわけです。
苦しくて仕方なかったのですが、結果として、その悩みの根っこには、人と一緒にいて自分のことを理解してもらいたい、いろんな人と一緒にいたい、いろいろと挑戦したい、という素直な欲求があるのに、その望みとは全く逆に人と距離をとってしまい、はたから見ると、なんとよそよそしく見られてしまうのです。
本人はまた辛くなって、私のところに相談へきて、そういう話する中で、彼に「ありのままの自分でそのままでいいのでは」、と伝えていきました。ある時、彼がどうしても辛くなって、ある上司に自分の悩みを言ったのです。 生まれて初めて公的な立場の人に、自分の親以外に言ったことのない、こういう悩みを話したのですが、変な悩みだから絶対に馬鹿にされると思いました。
ところが、彼が「人前で緊張していて、時々落ち込んでしまう」と涙ながらに上司に相談した時、その上司は「そんなことはないよ。ちゃんとやっているじゃないか、それでいいのだよ」と言ったのでした。
治療という関係ではなく、社会の中で自分を理解してくれて受け入れてくれた人がいたことが大きなポイントとなりました。
受け入れてもらうには、彼自身が自分の悩みを伝えることが必要だったのでした。隠そう、これを言ってはおかしいと思えば思うほど、逆に周囲の人たちからすると変に感じてしまうのです。
自分の話を聞かないのだと引かれたり、なんか冷たい人だな、クールな人なのだ、というふうにしか見られなかったりするのです。
自分の悩みをありのままに受け入れる、そしてそれを時には、自分で抱え込まない、分かち合う人に伝えるという作業は、とても重要な作業です。
人前で緊張するということも、そうあってはいけない、そうすべきではない、ということを緩めていく作業と密接で、そういうことができるようになると、自分で自分を縛っているものから抜けていけるようになります。
自分の感情をありのままに認める作業は、こうあるべき、こうあってはいけない、自分の縛りを解くことなのです。
ハラハラビクビク、落ち込んでいる自分を認めていくことです。
ある対人恐怖の方の日記に、もうずいぶん良くなって治療も終わりにかかった頃、次のように書かれていました。
ハラハラビクビクする、これも自分なのだな、自分は生きてる、だから自分はハラハラビクビクした時は、喜んで生きれるのか、と書いていました。
自分を受け入れる程に、素直な自分の欲求が見えてきます。
頭でっかちの自分を変えていく、自分をダメと決めつけずに、ダメな自分でいいのだという発想の転換というのは、重要なポイントのひとつになってきます。

Q3:強迫性障害の克服のポイントは?

A:

強迫性障害の場合は、ここがポイントです。
生活の発見会、生泉会代表の明念さんという方が、“強迫神経症の世界を生きて”という本を出されていますが、自身の強迫神経症から回復した話を書いています。私は、自分が今、治療としていろいろおこなっていることを、明念さんは体験的に掴んだのだな、と感心しました。
彼女の書いていることは、自分の五感を信じることです。上手くやれたかどうか確認をしない。「自分のやっていることはいつも不確実な感じがあるけれど、これで大丈夫だろうか」と、繰り返し繰り返し確認してしまうという場合は、自分の感覚を信じていないということです。自分が動いている「この感じ」を掴んでないのです。
いかに自分が苦しくても一回でいいのだ。これでいいのだ、というように、自分の感覚を信じて生きていく。それには普段から自分の感じたものを、これが汚いなと思ったら、すっと動いて、それを掃除してみたり、何か心に浮かんだものにすっと乗っかってみるといいのです。
この心と体の動きはとても重要なのです。
強迫性障害で悩む人は頭でっかちになっていますから、自分の感覚とか体の感覚とか自然なものをしっかり感じ取れなくなっています。それを膨らましている作業というのが、五感を信じるということと、目の前の必要なことや、心に浮かんだことに取り組んでいくという作業であり、これを根気強く行っていく必要があるのです。
確認するというのは、ある種の癖ですから、ある程度癖として受け入れながら、自分の感性、感覚を高めていき、そこで行動する力も高めていくのです。これは強迫性障害だけではなく、悩んでいる人一般に共通したことです。 そのように生活を膨らましていき、感じを掴んでいくということが、とても重要なのです。

Q4:命とか内的自然とは、どういうことですか?

A:

理屈で説明すると難しいのですが、直感的に私たちが物を感じとって、そして、その「感じ」の時にすっと動けるものです。この感覚はほぼ私たちの体の内的な自然であり、生きていく欲求が根底にあります。
森田療法の基本的人間観というのは、意識よりも無意識、つまり、我々が意識して感じとる考えよりも、その時の感じで動くほうが合理的な動きができる、というものです。自然とその時に合った動きができるという考え方があって、私はそれはそれで極めて合理的な考えだと思います。その時にこうしてみたい、ああしてみたいという、そういうものに注意を向けて、それに乗って動く、そのことが、自分の内面的な回復能力を高めますし、自己能力を高めていく、ということになるのです。従って、生き方が行き詰まりになると病気になるのです。
それは不安障害だとか、うつ病もそうですし、もっと重大な、例えば、ガンみたいなものも考えられます。
私はガンにかかった人たちの森田療法のグループの集まりみたいなのを月一回、開いていますが、皆さん、病にかかった時にもう一度真剣に生き方を考えます。こういう病気になった、どうしよう、どう生きていこう、どんなふうに生き方を変えようかと考えます。皆さんがいろいろな治療を受けながら自分の生き方を変えていく。頭でっかちな生き方より、こういうふうな体とか自分の感じだとか、楽な感じだとか自然に生きているとか、なんとなく、無理してもっともっとと自分を追い込まないで、それなりに自分としての生きている感じを掴んでおられます。
私たちの心の根っこにある生きて行く力のことを森田は生きる力と呼んでます。そして不思議なもので森田正馬自身も、物の考え方を転換していこうという生き方が出来るようになって、その時にこうしてみたい、ああしてみたいという気持ちが、すっと湧いて動き、ある意味ではとても健康な感じになった、という経験をしています。

Q5:自分の性格が嫌なのですが、性格は変えられますか?

A:

実は、性格と言っても固定したものではないのです。
例えば、頭でっかちになったときは、自己中心的になって、自分のことしか考えられない、悩みのことばかり、不安や不快な感情を取り除くことばかり考えたりするわけです。
悩んでいる人の話しを聞くポイントは、悩む前に小さい頃どういう子だった、例えば小さい頃は好奇心が強くて活発な子だったとか、この子はそういうところがあるのだな、とつかむことです。それから、不安だとか、落ち込みだとか、これはその人の持っていた、反応の様式だと理解していくのです。
何かストレスがかかると、糖尿病や頭痛、血圧が高くなる、といった様々な体の症状が出る場合もありますし、不安になり、様々な落ち込みが生じます。その時の人生の危機で、ある反応を引き起こして、私たちはこのような悩み方をするわけです。
小さいうちから持っている本来の力も、人前でハラハラ、ビクビクしやすいというものも、どちらも自分の持っている面なのです。これはどうしようもないのです。
つまり自分のハラハラ、ビクビク、というものは、もうこれは自分でどうしようもないものだと思いを定めると、この頭でっかちが減って、そして、育ってくるのです。育ってくるとともに多くの人は、その人の小さい頃からのものの感じ方、好奇心の持ち方、活動や、のんびりしている人はのんびりすることがでてきたり、わりとセカセカする人は落ちつかないなりの生き方がでてきます。そして、時にハラハラビクビク落ち込みながらでも、そういう自分の持ち味をだしていけばいいわけです。 性格は固定的ではない、変わっていく、変化していく、成長していくものなのです。私たちが大人になるというのは、子供を忘れて大人になってしまったら、もはや頭でっかちの人間になってしまうわけですが、ここを膨らますことは、ありのままの自分を膨らましていく、受け入れていくということです。
従って、これも自分なのだ、これはこれで自分で仕方がないと受け入れる作業は非常に重要だと思います。

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