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克服体験談

パニック障害3

あるがままに生きる

(動悸、胸痛、めまい(特に夜中に起こる動悸))
幸野 夢子(仮名)40代・会社員(体験フォーラム会員)

母との関係と神経症の発症

私は、父、母、妹の4人家族です。

多くを語らない静かな父。何でも自分でサッサと行動しなければ気が済まない母。7歳年下の妹とは、あまり話もしませんでした。

私が神経症になったのは、今思えば中学生の頃ではなかったかと思います。

何かにつけ、ダメだと言う母。部活動に入部するのもダメだと言われました。そんな母の顔をうかがう様になり、何でも話せなくなりました。どうしてもやりたかった吹奏楽。言ってもダメなら自分で決めよう。吹奏楽部に入部し、母には報告だけしました。母が怒ったのは言うまでもありません。

高校に入学し、弓道部に入部しました。母には言わず自分で決めての入部です。早く的に矢を打ちたいと毎日練習に打ち込んでいました。しかし、家に帰ると、帰りが遅すぎる、日曜日まで練習に行くのか…そんな母の言葉に耐え切れず、とうとう退部してしまいました。何を言っても、何をしても否定されるんだと悲しくなりました。

この頃からでしょうか、母だけではなく周りの人にも、何でも話せなくなり、顔色をうかがったりする様になったのです。高校卒業後の進路を決める時、図書館司書になりたかった私は、大学進学を希望しました。しかし、ここでも母に否定されました。就職しなさいと…三者面談の時、担任の先生からも大学受験を母に言ってもらいましたがダメでした。

私の将来も母が決めるのか、もうどうでもいいや、働けと言うなら働くよ…ほとんど開き直りで、卒業後、就職しました。

出産、夫の借金、パニック障害

24歳で結婚し、2人の子供に恵まれました。

しかし、今度は夫の借金に苦しめられます。2回までは、子供の為にと我慢しました。この頃でしょうか、勤務先で、突然激しい動悸に襲われたのです。その日から、動悸、めまいなど、さまざまな症状が出始めました。また会社で苦しくなったらどうしよう、会社の駐車場から、そのまま家に帰った事もありました。

病院ではパニック障害だと診断され、安定剤が処方されました。私は心臓が悪いのだと、会社を休んでドクターショッピングを繰り返すようになりました。

それに追い打ちをかけるように、また夫の借金が発覚しました。3回目です。もう、この人とはやっていけない。子供には申し訳ないと思いながら離婚を決意しました。

森田療法と出会って行動範囲が広がる

しかし、私の身体的症状は改善されません。そんな中、インターネットで森田療法を知り、体験フォーラムに入会しました。フォーラムで発言していく中で、症状はそのままに、今やるべき事をしていく…森田先生の教えを、恐る恐る、一つ一つ実践していきました。

幸いに、その頃通院していた病院の先生のおっしゃる事が、森田療法と似ていました。動悸がしても苦しくても仕事に行きなさい。何処も悪くはないから、しっかり運動しなさいと仰って下さいました。

やがて体験フォーラムの管理人さんに会いたいと、子供2人を連れて高速バスに乗り込みました。短い時間でしたが、とても楽しく過ごす事が出来ました。それからの私は、どんどん行動範囲も広がり、色々な事に挑戦し、断薬にも成功しました。

再婚、母との関係の変化

離婚して9年、こんな私にも彼ができました。パニック障害だと言われた事も、元夫の事も全て話して、受け入れてくれました。子供達とも仲良く、4人で遊びに行きました。再婚を考えた時、最初に浮かんだのが母の事です。また、否定され反対するだろう。母を選ぶのか、彼を選ぶのか…悩みました。たった一度の人生、幸せになりたい。彼を選びました。

当然、母の怒りはすごいものでした。その時、父と話す機会があり、初めて母の事を父にぶつけました。私が母の言葉で、どんなに傷ついたかを。父は、言葉の暴力だと感じていたと私に言ってくれました。その言葉を聞いて涙が止まりませんでした。

実家を出て再婚し6年になります。時々、過去を思い出し辛くなる事もありますが、すぐに前を向き、今、今を生きています。子供達も、大学3年と大学1年です。平凡ですが、今、幸せです。これからも、精一杯生きていきたいと思います。

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