| 日付 | 今日の一言 |
| 8月1日 | 雑念もいたずらにこれを拒否する事なしに、素直にこれを受け入れる時には、かえってそれが心の刺激になって、心の自然活動を強大にするものである。森田正馬 |
| 8月2日 | 神経質の症状は、注意の執着という事から起こる。無頓着で忘れさえすれば治る。森田正馬 |
| 8月3日 | 素直に当然聞こえるべき音は、そのままに聞き、当然起こるべき連想は、そのままに忍受(耐え忍んで受け入れること)していれば、我々は日常、音のうちにあって音を聞かず、雑念の流れに乗っていながら、その雑念に気がつかないのである。森田正馬 |
| 8月4日 | 安心立命は、目的ではなく手段である。安心によって、大勇猛心を起こさんがためである。ハラハラしないようにとは、仕事の能率をあげたいがためである。しかしそこから、さまざまの迷いが起こるのである。森田正馬 |
| 8月5日 | 心配事を安心したり、忙しいのを落着いたりしようとするのは、それは「難きに求む」以上の事で、全く不可能の努力であるのである。森田正馬 |
| 8月6日 | 忙しい時は、ハラハラする・(略)・人前は恥ずかしい・不潔はいやらしい、みなすべて「諸行無常」すなわち固定・常住でないという事の事実である。この事実そのまま認識さえすれば、初めて安心立命の境地に到達し、強迫観念が解消する。森田正馬 |
| 8月7日 | 心配事をも、作為をもって安心しようとするから、そこに迷妄が起こり、絶えざる不安心に駆られるようになるのである。森田正馬 |
| 8月8日 | 「気分の悪いまま、こらえて働く」これができ出したら、修養の程度でいえば小学卒業というところです。森田正馬 |
| 8月9日 | 注意すべき事は、「我慢してやっていれば、そのうちに治る」という理屈があった時は、それが人為的の作為になり、楽になろうとする予期があるため、病気は治らなくなる。森田正馬 |
| 8月10日 | 「気分の悪い時は、いやなものである。また気分のよい時は、朗らかなものである」という事実をそのままに認める事は、諸行無常という事実を認めると同様であって、この程度が中学卒業に相当する。森田正馬 |
| 8月11日 | 善し悪しとか苦楽とかいう事は、事実と言葉との間に非常な相違がある。この苦楽の評価の拘泥を超越して、ただ現実における、我々の「生命の躍動」そのものになりきって行く事ができれば、それが大学卒業程度のものでもあろうか。森田正馬 |
| 8月12日 | 癪にさわるとか悲しいとか、その名目はいらない。ただ連想考慮の進行のままに、決してこれに逆らわずに、こんな気持を起こすのは損だとか・得だとか、評価する事なしに、その心の波の上に乗りかかっていさえすれば、波は自然に自分を浜の上に打ち上げてくれるのである。森田正馬
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| 8月13日 | 苦痛はそのまま苦痛する。やはり絶対である。しかもそれは事実であるから、なんの策略も・骨折りも・修行もいらない。森田正馬 |
| 8月14日 | 耳鳴りは苦しいままに。その耳鳴りに明け暮れ聞き入ればよい。心悸亢進発作は、恐ろしいままに、静かにその発作を見つめていればよいとかいう風である。森田正馬 |
| 8月15日 | 物事の暗い方面ばかりを見つめれば、当然いつも憂鬱になり、明るい方面のみ心を向ければ、当然朗らかになるべきはずである。森田正馬 |
| 8月16日 | 私(森田正馬医師)が「過ちて皿を割り、驚いてこれをつぎ合わせて見る、これ純なる心なり」といってあるが、「アア惜しい事をした残念だ」という心そのままであった時は、その後決してこれと類似の過ちをくり返すような事はない。森田正馬 |
| 8月17日 | 書けないのは書けない・くたびれるのはくたびれる・どうもしかたがないと、素直に自分の境遇に柔順であれば、それらの症状は、いつとはなしに治るのである。森田正馬 |
| 8月18日 | いやな事はいや・面白い事は面白い。それよりほかに、どうにもしかたがない。それをアベコベに、自分の心をためそう(正しく治そう)とするから、余計な葛藤になるのである。森田正馬 |
| 8月19日 | 僕(森田正馬医師)は常に自分などの心の事実を、認識不足のないように、精密に観察して、その事実をいっているだけです。決してそうあってはならぬ、などとは言っていない事を忘れないように願います。森田正馬 |
| 8月20日 | 人は面倒と思ってはならぬ・勤勉でなくてはならぬとか、余計なおせっかいを考えるから、心に無理があり・不自然になって、自然の感じが出なくなってしまう。森田正馬 |
| 8月21日 | 神経質の人は、ズボラな人を見ると、物に拘泥しなくてよいとか・無欲恬淡(むよくてんたん)でよいとかいって、これをうらやむ事さえある。しかし僕のところの修養ができて来ると、初めて自分が、物に拘泥し・面倒がり・あれもこれもと欲望が強く・絶えず心がハラハラとして、向上発展の力が泉のようにわいてくるという事を喜び・感謝するようになる。森田正馬 |
| 8月22日 | いたずらに自分の病気に勝とうとしてあせるのが、すなわち神経質の症状たる所以でもある。森田正馬 |
| 8月23日 | 神経質は、何かにつけて功利主義で、目前の利益ばかり考えて、むだ骨を惜しむからいけない。森田正馬 |
| 8月24日 | むだ仕事が少しもいやでなく、しかも面白くなるには、どうすればよいか。それは「物そのものになる」ことである。森田正馬 |
| 8月25日 | 苦痛はそのまま苦痛になりきるという事で、頭痛でも不眠でも、苦痛不安のままに、そのまま我慢して働いていさえすれば、いつしかその苦痛も意識から離れて忘れてしまうのである。森田正馬 |
| 8月26日 | 僕は魚釣りは好まない。それは功利的に考えて、釣れるか釣れないのか、少しも当てにならないからである。しかし釣好きの人は、物そのものになりきって、今にも今にもと待っているその現在が面白かろうと思うのである。森田正馬 |
| 8月27日 | 神経質が不眠を恐れるのは、不眠が苦しいのではない。そのために仕事の能率があがらないのを悩ましく思うがためである。森田正馬 |
| 8月28日 | 「気分本位」というのは、人生の事実・実際を無視して、いたずらに自分の気分を標準にして考えるものである。「案ずるよりも産むがやすい」という事がある。実際に事実は気分とは違う。案ずるのは夢のようなもので、想像が事実のように思われてくる。恐ろしい心で見れば枯ススキも幽霊になる。これをジッと見つめれば幽霊の正体もわかる。森田正馬 |
| 8月29日 | 知識欲に駆られて、読みたくて読んでこそ、初めてますますよく理解ができ、知識の内容が豊富になり、自分の強迫観念も、いつ治ったか知らぬうちに治っている、という事に気がつくようになる。森田正馬 |
| 8月30日 | 強迫観念の本を読んで、「あるがまま」とか「なりきる」とかいう事を、なるほどと理解し承認すればよいけれども、一度自分が「あるがまま」になろうとしては、それは「求めんとすれば得られず」で、既に「あるがまま」ではない。森田正馬 |
| 8月31日 | 「眠らなくとも決して身体に障る事はない」といわれて、「なるほどそれで安心した」といえば、直ちに不眠は治るのであるが、「そう思って安眠ができるものなら、そう思う事にしよう」といえば、もはや決して眠られないのである。森田正馬 |