神経症を治す〜神経症(不安障害)の治療方法

森田療法の基本

神経症を発症する背景

森田療法の創始者・森田正馬が着目したのは、神経症患者に多く見受けられる共通の性格傾向(神経質性格)でした。その「神経質性格の特徴」とは、

【背景1】神経症になりやすい共通の性格特徴(=神経質性格)
  • 内向的、内省的であること
  • 心配性
  • 完全主義、理想主義、頑固、負けず嫌い等の強気の気質

であり、弱気と強気が同居する性格傾向であり、それだけに内的葛藤を起こしやすい性格といえるでしょう。森田はこのような神経質性格(素質)を基盤に、特有の「心理的メカニズム」で神経症を発症すると考えたのです。

では、この神経症を発症する特有の「心理的メカニズム」とはどのようなものでしょうか?それは大きく2つの機制によって発症すると考えられています。

【背景2】心理的なメカニズムの発動
  1. 精神交互作用

    例えば、偶然の機会に心悸亢進が起こったとします。患者さんはその事に不安や恐怖を感じるため、心臓部に注意が集中してますます感覚は鋭敏になり、さらに不安がつのって一層の心悸亢進をもたらします。
    このように注意と感覚が悪循環を起こし、症状へと固着発展するのです。この際、また「起こるのでは?」という強い不安を「予期不安」と呼びます。

    「精神交互作用」とは

  2. 思想の矛盾

    とらわれの機制の2つ目は、思想の矛盾と呼ばれるものです。元来、神経質性格の人には実際の感情を「こうあるべきだ」「こうあってはいけない」というように、知性でもって解決しようとする構えが強く認められます。特に不安や恐怖など自己にとって不快、不利益な感情を排除しようとする傾向が強く、不可能を可能にしようとする心の葛藤が生じやすいのです。本来、気分や感情は、人間なら誰である自然な心や身体の反応であり、コントロールできるものではありません。

    例えば、赤面恐怖の人が人前で顔が赤らむことを「ふがいない、情けない」等と考え、恥ずかしがらないように努める結果、かえって自分の羞恥や赤面にとらわれてしまうのです。(=不可能を可能にする行為/思想の矛盾)

    「思想の矛盾」とは

    「感情の法則」とは

このように神経症は、神経質性格を基盤に、不安や恐怖の感情を無理矢理、排除しようとするところに「とらわれ」が生まれ、注意と感覚がますます鋭敏になり、悪循環を起こして発症する心理的メカニズムをもっています。
故に神経症とは、器質的な病気によるものではなく、健康な人が普段から体験するような心や身体に対する感覚や反応が、行き過ぎた状態であるとも言えるでしょう。

森田療法の基本概念

神経症の患者がもつ不安や恐怖心とは、つまるところ、死の不安や恐怖であり、有限の「生」を生きる人間にとって避けることのできない普遍的な感情です。そして何故そのような不安や恐怖を感じるかといえば、その裏にはより良く生きようとする人間本来の欲望(=生の欲望)が存在すると森田は考えたのです。

そして、そうであるなら病気に対する死の恐れの裏には、健康でありたいとする欲求があり、不安や死の恐怖は生の欲望と表裏一体のものであり、どちらも人間性の事実としてそのまま受容する事が人間本来の自然なあり方だと森田は考えたのです。
このような人間観に基づく森田療法の治療プロセスは「とらわれを打破し、自然に従った心のあり方」を獲得することがその核心となります。

すわなち、それにはまず「あるがまま」という言葉に集約されるように、不安や恐怖心など、心や身体にわく自然な感情や症状を排除しようとするのではなく、そのまま自然にしておくという態度を養うことです。

そのとき患者さんは、不安が自然に流れていく事実を体験的に気づくのです。
例えば不安発作のさなかでも、無理に脱出しようとせずに不安を抱えていると、不安はやがてピークを超えてしずまっていくものです。
ところで「あるがまま」とは単なるあきらめとは違う積極的な意味があります。
すなわち「あるがまま」とは、不安を抱きつつも、家事や仕事、勉強など今日一日のやるべき事をできるだけ建設的にに行う具体的な日々の営みを行うことを意味しています。

このようなプロセスによって目指す森田療法の治療目標は、症状に執着したあり方から脱却し、そのままの自分を受け入れて成長させること、そして生の欲望を発揮して自分らしい生き方を実現することでなのです。

「気軽に行こう、精神科」中村 敬 著/白揚社より

「あるがまま(自然服従)」とは

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