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症状別アドバイス集

その他の部屋

「不快はあるままに、自分らしい生活を取り戻す」 '20.12 

こんにちは、Gさん。半年前に頭痛が続いたことをきっかけに、さまざまなことについて気に病まれていて、辛いご様子ですね。不快が治まらない不安からパニック症状を起こされ、心療内科を受診されるも不調を繰り返し、またそのことを気に病んで不安や落ち込みが生じてらっしゃるとのこと。何とかしたい思うほど、改善しない状況にやきもきしてしまうGさんのお気持ち、お察しします。

さて、このような時には、森田療法の観点からどのように考えていくことができるでしょうか。一度ここで整理してみましょう。まず、森田療法では悩みを悪循環として理解します。頭痛などの心身の不快が実際にあると、気にしない方が難しいものですが、それを「あってはいけない!」「早く治さなくては!」と思えば思うほど余計に気になってしまうものです。 Gさんの場合は、この悪循環に加え、さらにもう一つの悪循環が起きているように思います。それは、「こんなことを気にしている自分はダメ。不調を繰り返す状態ではいけない。」と、ご自身の状態を否定することで、ますます気に病んでしまっているように推察します。これらの悪循環に気付いた後は、どう脱するかを考えていくことが次の流れになります。

Gさんは、不快を無くすために試行錯誤され、ますます不快であることを気に病んで、他のことに目が向かなくなってしまっていませんか?具体的には、「不快がある自分ではできない」と思い、Gさんが本来やりたいことや必要なことへ取りかかることを諦めてしまっていないでしょうか?「スッキリした気持ちで過ごしたい」「健康で安心して生活したい」という願いをもつのは自然な気持ちですが、不快は願いに反してやってきてしまうものですよね。 一方で、不快があるまま不安なままに、目の前のことに取り組んでいくことはできます。このことに目を向けられているかどうかが、悪循環から脱するための大切なポイントとなります。Gさんが今、生活の中でやってみることができそうなことはあるでしょうか。もしくは、今やれていることはあるでしょうか。一度そちらの方へ目を向けてみることをお勧めします。

また、森田療法では治療のためにお薬を使わないというイメージを持たれている方もいらっしゃるようですが、必要に応じてお薬の力を借りることも大切です。Gさんは、状態が悪化しているということですので、今は減薬を焦らずお薬を味方につけることが、生活を取り戻す助けになるかもしれません。依存や離脱症状のご心配があるとのことですので、そのお気持ちをまずは主治医の先生に相談されてみるのも一案です。Gさんが、不快がありながらも、自分らしい生活を取り戻されることを願っています。
(金子咲)

「長年うつ病と診断、治療」 '20.11 

うつ病の回復期に不安が出現したりします。

うつ病の米国DSM5診断基準を照らすと、
(1)抑うつ気分(憂鬱な気持ち)
(2)興味または喜びの喪失
(3)体重の変化
(4)ほとんど毎日の不眠か過眠、
(5)ほとんど毎日のいらいらまたは行動の抑制がかかる
(6)ほとんど毎日の疲労感
(7)ほとんど毎日の無価値観
(8)集中力の低下
(9)死にたい気持ち
(1)と(2)のうち少なくとも一つは存在した上で、(1)~(9)のうち、5つが同じ二週間に存在していることが基準になっています。  これを満たすようであれば、うつ状態からくる否定的な思考があるのではないかと思います。これを満たすようであればきちんと抗うつ薬を使用し無理をしない方が良いでしょう。

回復の過程は個人差がありますが、以上の症状が少しずつ階段を上がるように回復していきます。我々は患者さんに「今どのくらいの回復度合いですか」と訪ね、%で表現してもらうようにしています。 症状がでそろっているいわゆる「極期の過ごし方」は、「果報は寝て待て」が大事になります。簡単に言うと家でごろごろしていて良いわけです。

30%前後から50%くらい、「回復前期」の時は、「毎日の中での変動が目立つ」のですが「どん底を過ぎれば必ず回復が訪れる」と思っていて下さい。この時期は「疲労感」を主な基準として、疲労感が強い時は休息し、軽い時は手をつけやすいところから手をつけていきましょう。 これが「臨機応変」という対応です。また「感じから出発する」のが大事です。何かしたい気持ちがあればそれを少しずつ行動に移して疲れたらまた休んで良い訳です。

本来の状態の60~70%くらいまで回復してきたら、生活リズムを規則正しくして生活を整えて行く、「外相を整える」ことが大事になってきます。 この回復過程の中で約半分くらいは改善してきた時期に不安を合併することもよくあります。

ヴァルター・シュルテ(1910~1972)という精神科医は著書「精神療法研究」:第5章うつ病の精神療法の中で、「うつ病相期から『ぬけ出る』際に、患者が具合がよくなってきたのを認めたがらない時も、首をひねったり、これを“神経症的遷延状態”の現れと捉えてはならない。 これはうつ病患者の特徴なのである。」と述べているのが象徴的です。つまりうつの回復期に不安症状を合併するわけです。

うつ病のいわゆる急性期を過ぎたのであれば、休息から、不安や様々な感情を抱えつつ活動する方向へシフトしていってもよいのではないかと考えます。どうかお大事にされて下さい。
(舘野歩)

「強い不安に駆られ始めたのはすべて神経質性格のせい?」 '20.10 

Tさんは一時期パニック障害と引きこもりで悩まれていましたが、現在それらは解決し、自分の悩みやすい性質の問題で悩まれているとのことです。

かなり強い不安に圧倒されることもあるようですが、できることに手をつけているとのこと。この姿勢は過去と未来に重心が向きがちな神経質性格を持つ私たちが今を味わって生きていくのにとても大事なことですね。

不安にとらわれがちな自分とどう付き合っていくかというのはもちろんとても大事なテーマですが、書き込みを拝見するとTさんが症状を再燃されたのがどういう状況で、今はどういう状態にあるのかを理解することが今の自分との付き合い方を考えるのに大事なのではないかと思いました。つまりなぜ今そこまで不安に駆られる状態になっているのかということです。

再燃の状況としては、パートで職を得て、それがフルタイムになり、段々に役割が増えてやりがいが出てきたりした頃に、昔のように働けないことが苦しくなったことがきっかけと書かれています。まず、離職された後に、パートで仕事を得て、そこからフルタイムになられること自体がすごいことですよね。Tさんの力や持ち味が活かされ、仕事ぶりが周りにも認められたのだと思います。

しかしそこで苦しくなられた。昔のように働くというのは具体的にどういうことだったのでしょう。そして苦しくなった時にどういう対処を取られたのでしょう。

その他に、自分が自分であることには諦観を持って、しかし人様に対するけじめはつけていきたいというコメントもありました。人に対してはどういうけじめをつけていかなくてはいけないと思っているのでしょう。苦しいということは何らかの我慢していて、自分の自由が利かないということです。不安の裏に自分の欲求があるものです。Tさんはどんな欲求をお持ちなのでしょう。急にすべてを実現することはできないにしても、自分の欲求と自分が辛くなるポイント・無理をしてしまうポイントを理解し、生活に活かすことでストレスは減っていきます。この繰り返しでだんだんそこまで大きな症状を発さずとも生きていけるようになっていきます。神経質性格をベースに持っていたとしても、無理を重ねれば症状は悪化しますし、自分を追い込み過ぎないかたちで自分の欲求を生かせるようになっていけば症状は消失し、より楽に生きられるようになっていくものです。

神経質性格の人はいつも淡々と平常心でということは難しいと思いますが、だからと言ってそれは感情に振り回されている人間というわけではなく、それだけ感情の揺れ動きの幅の大きい人ということです。幸せも不幸も強く感じます。Tさんが悩んでいた間にも幸せな時間はたくさんあったはずだと気づいたと書かれていましたが、そこに書かれていた内容もあなたの感情の深さの現れの一つです。好きなわさび茶漬けを食べていたことや友達と笑いあうこともあったなんて具体的な情景を思い出されているのは最高ですね。

その他にも前から気になってやってみたことに手をつけて非常に楽しい時間を過ごすなど、Tさんはとても引き出しの多い方だなと思います。パニック発作はもう起きなくなったことからも、同じところをぐるぐる回っているわけではなく、着実に進歩されていっていると思いますので、今の良い試みを続けていきつつ、先ほどのポイントをぜひ振り返ってみてください。
(矢野勝治)

「新型コロナの不安について」 '20.9 

新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、不安を感じていらっしゃる方も多いと思います。このような中で、心身の健康をどう維持していくか、森田療法の観点から、対処法や留意点についてお話しさせていただきます。

1. 正しく恐れる:
正確な情報を得ることは必要ですが、現代社会は情報過多で、中にはフェイクニュースも紛れています。それらに振り回されないように、ある程度情報を絞っていくことが必要です。

2. 過剰な不安を作り上げてしまう悪循環:
私たちが強い不安を感じると、それに注意を引きつけられ、それにとらわれて、それしか考えられないような状態となります。そして、すぐに安心を得ようと、その不安を打ち消す行動や過度の回避行動(過剰な情報収集や過度にひきこもるなど)をとると、ますます不安を強めてしまいます。

3. 悪循環から抜けるコツ(こころの持ち方・行動の仕方):
(1)不安はそのままに:
このような私たちの不安の裏側には、「安心して暮らしたい」「よりよく生きたい」という自然で健康的な生きる欲望、生きる力があります。この生きる力が、不安を打ち消そうとする方向に向かってしまうと、悪循環になってしまいます。ですから、「このような状況で不安になるのは自然なこと」と認識しましょう。そして、その不安を今すぐどうにかしようとすることを一度やめてみましょう。

(2)「今できること」に手をつけていこう:
自然に感じてしまう「不安」そのものをなくすことはできないことです。不安ながらにも「今できること」に手をつけていきましょう。具体的には「家族や仲間と辛いことや困っていることを共有する」「好きな音楽を聴く」「簡単な運動をする」「家の掃除・片づけをする」「職場・職場外の相談窓口を利用する」など色々とありそうです。
(谷井一夫)

「"克服"ではなく、"凌ぐ"こと」 '20.8 

お母様が亡くなられ、そして妹様が癌で闘病されている現状を目の当たりにされているとしたら、それはCさんにとってとても辛いことだと察します。心が暗くなり、笑顔が少なるのはむしろ当然だと思います。それだけ、Cさんは、ご家族を心配し、心を砕いてきたのでしょう。その疲れが今心身に表れているのだと思います。現状を乗り切るためにどうすれば良いか。ここは中々難しい問題ですが、一緒に考えてみましょう。

我々は得てして重大な局面ほど、克服するという言葉を想起し奮闘しがちです。しかし、このような姿勢は、「完璧に対応せねば」などと余計な力みを作り出し、却って心身の消耗を増長させてしまいます。私は重大な局面ほど、克服ではなく、何とか凌ぐという姿勢が重要と常日頃考えています。それは、完璧ではないけれども、その時々での最善、もしくは最良を心がけた行動にあるのだと思います。では、最善の行動のために、我々はどうしたらよいでしょうか? まず、一人で頑張ろうとあらゆる問題を抱え込まないことです。頼れる仲間がいれば、辛い心情を吐露しながら、何から手を付けていくべきかを話題にしていくと良いでしょう。他人に話す事で、悩みは解決しなくても整理されるものです。自ずと進むべき道が見えてくると思います。もし相談する仲間がいないとしても、紙に自分の悩みを書き出し、視覚化すると良いと思います。やはり、どんな手段であっても心の内に苦しみを溜め込まないことが肝要なのです。

もう一つ大切なことは、ご自身の体を必ず大切にすることです。心労を募らせる状況では、心配の余り、色々なことを考え込み、脳の疲労を募らせてしまいます。そして、この疲労が強ければ強いほど、無意識に「もっとしっかりせねば」と自分の体に鞭を撃って、無理を強いているのだと思います。そうだとすれば、脳の疲労を緩和する上でも、首から下の体を是非労わってください。まずは、早く寝て体を楽にすることです。不安のあまり、自然の入眠が困難であれば、一時的に睡眠薬や抗うつ剤などにあやかることも一考に値します。今年は猛暑でした。ついつい冷たい物に手が伸びてしまいますが、胃腸は冷やさないことを意識してください。難局を凌ぐ上でも、粘り強さは不可欠です。胃腸機能の安定は、免疫機能を維持し、粘り強さを作りだすことに繋がります。それこそ、腹が座るという取り組みなのだと思います。

今は、まだまだ渦中の中だと思います。くれぐれもご自愛しながら、頑張っていただければと思います。
(樋之口潤一郎)

「うつ病の回復前期の過ごし方について」 '20.7 

Oさんは、コロナ感染恐怖から身体の不調に始まり、アルバイトを休業、うつ病になり、1ヶ月前から抗うつ剤、抗不安薬を服用していること、「通常の日常生活ができるよう早く治したいです。」と記載されています。

「不眠、食欲不振は改善されましたがメンタル面(気持ちの落ち込み、楽しめない、笑えないなど)不調がとても辛いです。」とのこと、とてもつらい状況ですね。まずは、不眠・食欲不振と言った身体の症状が改善されているということ、良い方向への動きがあることを見てあげましょう。

うつ病の回復には段階や波があります。一部の症状が改善してもつらい症状が残っていると「まだ良くなっていない。これも早く治さないといけないのに」「このまま良くならないのでは」などの思いに駆られてしまいがちです。波があるために、少し良い時の後に不調が来るととても落胆してしまったり、希望がもてないように感じてしまいがちです。まず、波があるのだということを知り、「波の一部なのだな」「回復のプロセスの途中にいるのだな」と認識することが大切です。

「家事もままならないことが多く、高校生のお弁当も満足に作れず、かわいそうな思いをさせてると思います。」とも書かれています。

こうした時期は、「調子に応じて、手のつけやすいことから動いてみる」という動き方をする時期だと思います。お弁当であれば、お金を渡してお子さんに買ってもらう→冷凍食品を活用する、お子さんに詰めてもらうのもあり→ご飯かおかず一品だけ用意する→・・・というような感じで、その時にできそうなやり方でよいと思います。「かわいそうな思いをさせていると思います」とのことですが、お母さんがつらそうに、鞭うつようにお弁当を作っている姿を見るほうがお子さんにとってはつらいことではないでしょうか。

「遠く離れた両親についても以前は体調などとても心配していたのに、それさえも同じように思えない」というのは、それだけ気持ちが動くためのエネルギーが下がっているということなのだと思います。「それではダメだ、早く治さなければ」と思いすぎて、自分を責めることで、余計にエネルギーがたまりにくくなっているのかもしれませんね。感情も、体調や状況によって変わるもので一定のものではありません。ご両親を思う気持ちがあるからこそ、「同じように思えない」ことがつらいのではないでしょうか。

「唯一、スマホで情報集めるとか、友人とのLINEやりとりで、落ち着けます。」とのこと、お友達とのやりとりで落ち着けるのは、とても良いですね。疲れすぎない範囲で、を意識しつつ活かしていきましょう。一点、スマホで情報を集める時に、病気のことやコロナのことの情報収集に集中してしまわないよう、情報過多になったりスマホを見る時間が長くなりすぎたりしないよう気を付けてください。

「早く良くなりたい」と思えばこそ、焦りは生まれてきてしまうものですが、焦りから悪循環に陥らないように、その時々の回復具合に応じた動きをしていきましょう。森田先生が風邪で高熱の時は往生して寝込み、少し回復したらお弟子さんに音読をさせ、次に口述筆記・・というように風邪の回復具合に応じた行動をした、というのもイメージとして参考になるかもしれません。

おそらく身近なご家族でしょうか、「焦りは禁物」と言ってくださるとのこと。「そうかなあ」と疑いながらでも良いので、しっかり耳を傾けましょう。主治医の先生ともよく相談しながら、回復段階に応じた動き方を探っていってください。
(塩路理恵子)

「森田療法における全治」 '20.6 

N様、日々森田療法を実践しておられ、前進していることと思います。今日は参考までに森田先生が全治患者について述べていることを記載します(森田正馬全集第五巻 p138)。

「またここの全治患者の、よくいうことであるが、それは例えば、自分の不眠や赤面恐怖の治った事は嬉しいが、それよりもさらに有り難い事は、日常生活に能率があがるようになり、人生観が変わった事であるとかいう事である。

しかしこれは物の本末を誤り、部分と全体とを思い違えたものである。それは、人生観が変わったから病気が治ったのである。

例えば、息切れや心悸亢進の治ったのは嬉しいが、それよりも有り難い事は、怪獣は増し、仕事をしても疲れぬようになった事である、というと同様である。

息切れの治ったのは、健康になった事と同一の事であって、日常生活に適応性がよくなったという事が、神経質の症状の全治した所以であって、その二つは別々のことではないという事を知らなければならない。

さて、また私にときどき起こる感想は、今日失業者の非常に多い世の中に、神経質者がなかなか失業しないことである。

(中略)神経質は物に執着する。一度何か目的を定め、あるいは一つの職業につけば、常にこれに未練があって、いろいろ目的を変えたり、職業を転々とすることが少ない。

山野君も字が書けないにもかかわらず、私の言葉を容れて、会社に出勤して、書痙が治った。行方君も休養中、いつも会社に執着して、結局、生の欲望にひきずられて、ついに書痙が治ったのである。」

森田先生の時代は100年近く前の記載であることと、当時と今とでは雇用や仕事への考え方もだいぶ異なる面も多いかもしれません。N様があまり「全治の心境にならなければならない」と構えてしまっては困るのですが、症状への「とらわれ」が減っていくとこのようになっていく方もいるのだというくらいに思って参考にして頂けると幸いです。
(舘野歩)

「生き尽くすために:ささやかな欲求をゆっくり探す」 '20.5 

Hさんは、父親の暴力が原因で家族関係が崩壊し、大きな心の傷を負ったとのことでした。うわべだけの人間関係は築きつつも、心を閉ざしながら人と接してきたために、自分の考えを思いめぐらすことが常であったと記しています。本来の自分を取り戻し、有意義な人生を送りたいという願いも書かれていました。

私たちは、生まれてくる時も、また人生を終える時も、自らの境遇を選ぶことが出来ません。それは私たちのさだめでもあります。とはいえ、身近な存在である親の暴力にさらされ、怯えながら育ってきたHさんの苦悩を思うと、心が痛みます。そうした境遇の中で生きてきたHさんが、周囲に心を開けなかったのは致し方ないでしょうし、何よりそれは自分自身を守る術だったのだろうと思います。しかし、このままでは生きづらい、もっと自分らしく生きたいというHさんの思いや欲求は、健康さの現れとも思うのです。

Hさんは、本来できたはずのいろんな経験が欠落し、心の成長が出来なかったと綴っています。しかし、「出来たはず」という判断はどこからくるのでしょう?傷つきたくない思いから、本当はやってみたいことも、実は伝えたいことも抑えてきたという感覚があるのかもしれませんね。それゆえ、何かやり損ねてきたような、他の人に比べて何かが足りないような焦りを感じているのかもしれません。言い換えれば、自分を守るために、何かを失ってきたことに気づいたということでしょうか。しかし、それも心の傷を癒すためには必要な時間だったのかもしれません。それだけに、周囲に注意が向けられるようになった今が、再出発の時ということなのではないでしょうか。

生きていく道のりで経験することは人それぞれであり、何が自分の成長に繋がるかはわからないものです。Hさんは、「昔は、結婚は人生設計の中に入れていなかった。将来が不安」と最後に綴っています。ということは、違う人生も想像するようになってきたということであり、そうだからこそ感じる不安でもあるのでしょう。森田先生は、「人が死にたくないのは、生きたいがためである」「死ぬとは、生き尽くすということである」と述べています。Hさんの不安や焦りも、「幸せになりたい」思いの現れと思いますし、何より、happyというニックネームにその願いが込められているように思います。

とはいえ、これまで抑えてきた自分の欲求や感情を、急に実感することは難しいでしょう。恐る恐るでも、自分なりに色々なもの、色々な人・・に関わってみて、そこで何を感じるのかを探ってみたらどうでしょう。後味が良いものも、悪いものも、全て大事な経験であり、生きているからこそ味わえるものです。その中で、少しずつ自分らしい歩み方が見えてくると思います。
(久保田幹子)

「勇気を持って日々の日課を削ってみる」 '20.4 

Aさん、こんにちは。未就学児の3人のお子さんを育てながらパート勤務をされているとのことでたいへん多忙な日々だとお察しします。それに加えコロナウイルスの影響でしょうか。外出自粛や保育園や幼稚園の休止等でなお負担が増しているのではと心配です。

Aさんがより良い生活を送れるようになるポイントは、ご自身で書き込まれている「真面目系クズ完璧主義でマイナス思考」という特性をどう生かすかにあると感じました。真面目で完璧主義であることはAさんの長所ではないでしょうか?親御さんとの関係が難しい中、家庭を持ち、お子さん3人を育てることができているのは、紛れもなくAさんの力です。

森田療法では、不安や緊張は、「欲求の過剰モデル」として捉えます。自分には何かが欠けているから駄目なんだと捉えるのではなく、「しっかりやりたい」「しっかりやらねば」という強い欲求故に、理想の自分と現実の自分とのギャップに苦しむと考えます。ここでその欲求が、自分の心から素直に生じているものであれば苦難があってもやり遂げられるものでありますが、他者からの評価や世間体から生じる「〜しなければならない」ですと、辛くなるものです。

Aさんにとって日々の行いはどれも大切なものだと思いますが、思い切って、今行なっている日課を減らしてみたり、旦那様に任せてみてはいかがでしょうか?たとえば、料理は一品減らす、掃除を手抜きする、洗い物は旦那様に任せるなど勝手ながら想像してみました。意外に影響はないかもしれませんよ。少し日課を削ることでき時間ができたら、過去に好きだったこと、心が安らぐこと、興味があることに少しずつ手を出してみることが大切です。

コロナウイルスの影響が続いている日々ですが、Aさんが生き生きと過ごせる日が来ることを願っています。
(鈴木優一)

「一度立ち止まって自分を捉えなおしてみる」 '20.3 

Kさんは、ADHDの特性から仕事で困難さがあり、自信を無くされて、二次的にうつ状態になってしまっているのですね。仕事をお辞めになった今では、失敗したことを思い出して自分を責めてしまう状況とのこと、とても苦しいですね。体験フォーラムでのやりとりを通して、Kさんが「自分の障害を受け止めきれず悩んでいます」、「私を一番追い詰めているのは自分自身」、「ありのままの自分を認めることができないのは私」と繰り返し書かれているのが印象的です。自分自身をどう捉えるかということに関して、Kさんは悩んでいらっしゃるのだと感じます。

森田療法では、「あるがまま」の姿勢を大切にします。「あるがままに自分を受け入れる」ということですが、これがなかなか難しいもので、ついつい「どうして~できないんだ」と自分を否定してしまう場合が多いように思います。そのため、改めて「ありのままに自分を捉えなおす」ことを通して、理想と現実とを調和させることが重要です。

Kさんは、「社会に適応しなければならない」「働いてないのに遊んではいけない」「子の学費を稼いで親の務めを果たさなければならない」などと、ご自分を理想の枠組みに当てはめようとする思いが強いようですね。理想と現実とのギャップを強く感じて、まさに自分を否定する気持ちが強まっているように思います。しかし率直なところ、Kさんご自身の中で、この理想に対してどう感じてらっしゃるでしょうか。頭では「こうでなくては!」と強く思いつつも、これまで仕事や子育てに奮闘されてきたKさんだからこそ、理想通りにやっていくのはしんどいと感じている部分もあるのではないでしょうか。

「ありのままに自分を捉えなおす」ことは、辛く切ない作業となります。特にKさんの場合は、ADHDの特性からくるご自身の傾向もあるようですね。ただ、今一度立ち止まってじっくりとありのままの自分を捉えなおした時に、見えてくるものは否定的な面だけではないはずです。自分の中の悪い面も良い面も、苦手な面も得意な面も、両方を見でいきましょう。そうして等身大の自分が分かると、ふと楽になるものですよ。相田みつをさんの詩に、こんなものがあります。「途中にいるからちゅうぶらりん 底まで落ちて地に足が着けば ほんとうに落ち着く」。理想通りにいかない自分を否定してきたあり方から、Kさんの生き方の幅が広がっていくことを願っています。
(金子咲)

「うつ病の経験を無駄にしない」 '20.2 

Nさんは、同僚がメンタルヘルスの問題で倒れ、その後の負担によりご自身もうつ病になられたとのこと、このように職場内で一人が倒れると周囲にも影響が出ますよね。大変でしたね。通常であれば「そんな仕事できません」と言ってしまうところがNさんは真面目な方なのでなるべく引き受けようとなさったのでしょう。

うつ病になるの方は、「期待に応えたい」「頼まれたことは断らずにやる」という考えがあり頑張りすぎてしまいます。その背景には「完璧にやらないと迷惑をかけるのでは」「頼んだりしたら嫌われてしまうのでは」という心配が潜んでいる可能性があります。うつ病になったことにより、ご自身のこのようなパターンに気付けたのではないでしょうか?うつ病を経験された方は「うつ病は苦しかったけど、自分について知ることができた」と治った後話されることがあります。

今のお仕事ですが半分程度でやられているとのことですね。真面目なNさんにとって、完璧にやることより、半分程度でやる方が苦しいのではと推察します。半分程度でやることで周りに比べて「十分でない自分」を感じてしまうのかもしれません。しかし森田先生のことばにもある「なりきる」ことです。「半分程度でやる自分」「十分でない自分」になりきり仕事をしてみて下さい。それがご自身のためになるだけではなく、長い目で見ると会社のためにもなるのです。会社としても今Nさんに無理して働いてもらうより、今は無理せず程々に継続して働いてもらえる方が有難いのです。

今後は再発予防が大切ですよね。そのため「やりすぎない」「人に頼む」「できることとできないことを分けて上司に伝える」ことを心掛けながらやっていって下さい。 また仕事以外のプライベートについて書かれていませんが、それについてはいかがでしょうか?例えば以前やっていた趣味を再開したことで、「仕事だけに集中しなくて済むようになった」「仕事だけで長い間忘れていた楽しみをまた感じられるようになった」などとおっしゃる方もいます。仕事とプライベートのバランスをもう一度見直してみても良いかもしれません。
(大久保菜奈子)

「本音で生きる」 '20.1 

Aさんは小さい頃からあったというお金を使う時の緊張についての悩みや、職場での難しい園児との関わり、自分の感情や顔の引きつりについての困惑、雑談についての悩みなど様々な思いを書かれています。

これまでずいぶん頑張っていらしたんですね。数日で体験フォーラムのアドバイス集を全部読まれたというのもすごいエネルギーです。そして、Aさんが色々悩みながらも、やるべきことはやる毎日を送られているのは素晴らしいことです。ぜひこれは続けてください。なぜなら自信というのは、自分の日々の仕事の積み重ねの後についてくるものだからです。

社会人になってから、人と関わることが怖くなったと書かれていましたが、人に対する緊張はそれ以前からそれなりにあったのかもしれませんね。それが仕事が始まって以降、色々な壁に突き当たる中でより強まってきたのかもしれません。劣等感と優越感で見下すというお話も、あなたの性格が悪いからではなく、こういう人だと決めてかかった方が接しやすかった面もあるのではないかとも思いました。いじめられた経験についても書かれていたので、そういう経験があるとすると、対人場面でより身構えたり、自分を守る方法を取ろうと自然に身体や思考が動いてしまうのも当然だと思います。

Aさんは「自分はこうしたい」という思いがしっかりある方だと思いますし、長期的には本音で生きていけるようになることが楽になる秘訣ではないかと思います。しかし、今は自分の本音が何かわかっているけど相手の反応が心配で出せないという場面と、そもそも自分の本音が何かわからない場面と両方あるようです。

何が嫌か自分の中ではっきりしている場面(例えば、会計が気がかりなために友達と食事に出かけるのが億劫になってしまう)については、ぜひ自分の本音を大切にしてください。会計以外の面は楽しいのでしょうか?もしそうだとしたら、面倒でもぜひ行き、話せそうなお友達にはぜひ「私は割り勘の方がすっきり気持ちがいいタイプだからそうさせて」と言ってみてください。ずっと付き合っている友達には「Aはそういう方が好きなタイプだもんね」とわかってもらえるのではないでしょうか。またそういうことで気を遣いすぎずに済む友達がAさんにとって付き合いやすい友達ですよね。もし、お友達に言うのはハードルが高い場合には、少なくとも自分の中では「私ははっきり割り勘がいいんだけど」「私はこういう細かいことが気になる人間なんだよね」と引け目を感じずしっかり感じるようにしておいてください。

そもそも自分の本音が何かわからない場面の例は、例えば職場での雑談場面のように、何が引っかかるのかもはっきりしないけれど「自分にブレーキをかけてしまう」場面や、焦ったり、イライラしたり、怯えたりしているのだけれども、原因がわからず焦るといった場面です。こういう時は「この感覚は何だろう」「あー、なんでこんなに怯えてるんだろう(イライラしてるんだろう、顔が引きつっているんだろう)」と眺めてみるようにしてください。答えを急がずに、観察することです。そうしていくうちに徐々に、これで引っかかるのかな、イライラするのかなということが感じられる場面が出てくると思います。すると、好きなアイドルの話が出た時にも「話したいけど~が引っかかる」というように自分がどうしたいのかが徐々にわかってくるはずです。

ここに書いたことも、すぐにやらねばになってしまうかもしれませんが、できるときに少しずつ試すスタンスでやってみてください。

Aさんのように目標に向かってしっかり勉強して積み重ねてきた人は「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」の精神で解決を急ぎがちです。解決しようとすること自体はいいことですが、かくあるべしは自分の生き方と重なっている場合もあるので、自分の中にかくあるべしが深く根付いているほど変わっていくのに時間がかかります。でも悲観する必要はありません。Aさんが少しずつ楽になってきていると書かれているように、少しずつ楽になっていくものです。
(矢野勝治)

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