2026年4月

4月1日

自分の頭の重さを意識せず、あれやこれや修養は実際を離れてはいけない。実際と修養とが、不即不離でなくてはならない。森田正馬の取越苦労もなく、ただ仕事、あるいは遊びそのものになりきっているとき、それが本来の自分であって、このとき生の力は最大限発揮されるのである。森田正馬

4月2日

仕事とか修養とか、その言葉尻にとらわれるから、自然の感じというものがなくなるのである。森田正馬

4月3日

できても、できなくとも、いやでも応でも、しなければならぬ事は、ともかくもするという事に帰着する。その時に、勇気とか自信とかいうものの、付け焼刃をしてはいけない、という事である。森田正馬

4月4日

「林檎はなに故に下に落ちるか」という疑問が起こる。凡人は「それは落ちるに決まった事である、何がはない」という。強迫観念は「こんなつまらぬ考えが起こって、精神の統一を失って困る」という風に、これを苦悩するようになる。森田正馬

4月5日

しずかに自分を観察して、自分が死の恐怖、あるいは憂鬱な気分にとらわれていることをつきとめ、気分は気分、仕事は仕事と、はっきり区別強迫観念は、いずれも当然起こすべき疑問に対して、これを馬鹿げた事とし、そんなはずはないとして、これを否定せんと苦しむものである。森田正馬して考えるとき、そこにはじめて正しい人生観が生れ、自分をも外界をも事実に即して正しく判断することができるようになる。森田正馬

4月6日

対人恐怖で、赤面恐怖でも、腹が立ちやすくて困るという人でも、少し物その事に深く見入って、ここに疑問を起こし、吾人はなに故に恥ずかしいか、吾人はいかなる際に腹を立てるかなど、観察・研究の歩を進めれば、心理学者にこそなれ、決して強迫観念には、ならないのである。森田正馬もし恥ずかしいという心がなくなったら、それは図々しいすれっからしになる。可憐とか可愛らしいとかいうのは、恥ずかしがりが、第一の条件である。森田正馬

4月7日

腹が立って、三、四時間も経て、まだ胸の中が熱いような感じがするという。これはいたずらに、自分の腹立ちの気分に執着し自分は腹が立たなければ、楽であろうに、なんとかしてこの苦しみがなくなればよいのにとか、その事ばかりに、心を集中するから、いつまでも忘れられない。森田正馬

4月8日

恐るべきを恐れてはならないというのを「思想の矛盾」といい、悪知といい、それは決して人間の心情の事実ではないのである。森腹立ちの起こる事情には、外部の事情のほかに、自分自身の不機嫌の事情や、下痢とか身体の病的の事情など、さまざまの条件から、ともかくも腹立ちの起こるには、その起こるべき条件がピッタリとそろって、初めて起こるから、これを自分の都合のよいように、怒りたいときには怒り、怒りたくない時に、怒らぬという訳にはいかない。森田正馬田正馬

4月9日

「弱くなりきる」という事は、人前でどんな態度をとればよいかという工夫の尽き果てた時であって、そこに初めて、突破・窮達という事があるのである。森田正馬

4月10日

林檎の落ちるのを気にする人はいないだろう。こんな事を気にしてはならないといえば、ニュートンの発見はないはずです。学者でも、哲人でも、みな自分独自の疑問・迷い・煩悶があって、初めて立派な成功がある。森田正馬

4月11日

拮抗作用というのは、つまり「したい」と「できない」との間の迷いであって、この迷いの複雑で大きいほど、精神の発達した修養の積んだ人である。森田正馬

4月12日

神経質の患者は、迷ってはならぬ、なんでも解決しなければならぬと考えるのが、第一の誤解の元である。森田正馬

4月13日

治ったら気がハッキリするとか、気分の悪いのがなくなるとかいう間は決して治らぬ。気分は悪くとも、どうでもよいという風になると治るのである。森田正馬

4月14日

不眠でも赤面恐怖でも、なんでもこれを治そうと思う間は、どうしても治らぬ。治す事を断念し、治す事を忘れたら治る。森田正馬

4月15日

心悸亢進発作(今でいうパニック障害)人は、ただ一途に、「死んだら大変たいへん」と恐れおののいて「風の柳」のように反抗せず、「どうすれば、発作が起こらなくなるか。恐怖をさる事ができるか」というような考え方をやめれば、十年の心悸亢進も、一朝にして治るのであります。森田正馬

4月16日

我々人間は、物事に執着し、あこがれたり喜んだりする。これが破滅すれば悲しみ苦しむ。これが事実である。森田正馬

4月17日

喜ぶとか悲しむとかいう事は、夏は暑く、冬は寒いというと同様で、どうにもしかたのない事実である。思い曲げようとしても、決して曲がるものではない。森田正馬

4月18日

机上論で腹式呼吸でもやり、周囲の事も何も忘れて、心が一つになった時が、仕事が最もできるという風に考えるのは、思想の間違いである。精神が四方八方全般に働いて、しかも現在の仕事の最も適切にできる状態を、「無所住心」というかと思います。森田正馬

4月19日

迷い、疑いがあって、しかるに後に、これを離脱したものが、「悟り」である。「大疑ありて、大悟あり」というのはそれである。迷いのないものには「悟り」はない。森田正馬

4月20日

我々は、苦しい事を苦しいと思い、残念な事を残念と思うのは、自然人情の事実であるから、腹がへった時に、食べたいと思うと同様に、これをどうすることもできない。これをそうでなくしようとするから、全く不可能の事で、あせればあせるほど、いたずらに奔命(忙しく活動すること)に疲れるばかりである。森田正馬

4月21日

神経質は、自分の劣等感から、常に用心し勉強して、人に劣らないようになるのが特徴であります。森田正馬

4月22日

神経質が人を使う場合には、自己本位の性質から、仕事が、自分の思い通りにならぬため、その人が気が利かないとか、拙劣であるとかいう風に、その人の欠点が、多く見えるようになる事があるのである。森田正馬

4月23日

人の目をみつめるがよいとか・悪いとか、解決しようとするのが、神経質の考え方の間違いである。つまり、我々の複雑な精神葛藤を当然の事と思わず、いたずらにその苦悩から逃避せんとする、ずるい不柔順な心からであります。森田正馬

4月24日

赤面恐怖は机上論で、思想するのみで実行しない事が著名である。それが実行するようになると治る。森田正馬

4月25日

「遊びたいというような、呑気な心を起こしてはならぬ」(略)という風に「べし」という事を強いる。これは「毛虫をいやらしいと思ってはならぬ」とか、「苦いものを甘いと思わなければならぬ」というのと同様で、我々の心の事実を否定しようとする不可能の努力となって、これが悪知となるからである。森田正馬

4月26日

強迫観念は、実に人生の煩悶(もだえ苦しむこと)の模型的のものである。例えば「人の前では恥ずかしい」「難しい本を読めばいやになる」とかいう当然の心の事実を、そうあってはならぬという「べし」という事で、その心を否定し・圧制し・回避しようとする不可能の心の葛藤であるからである。森田正馬

4月27日

思い開きのできない人は、まず自分の胸の苦しさに、胆をつぶして、もしこんな事を思い続ければ、身も世もあらぬ事になるだろうと、これを思わないように、気を紛らせるようにと、我と我心から、心の葛藤を起こすようになる。これがすなわち煩悶(もだえ苦しむこと)であって、強迫観念と同様の形をなすものである。森田正馬

4月28日

神経質はほめられると、お世辞でないかと疑い、またこれを実際としても、ほめられる以上の責任を感じ、なおその上に、もし将来、その期待に反するような事があっては、かえってその信用が失墜してしまうという風に、取越苦労をする。森田正馬

4月29日

神経質には「全治した」といっても「本当に治ったかしらん、また再発することはないか」という風に心配する。十の症状が、八つよくなっても、残りの二つをいい立てて、治らぬと主張し、決してその治った方を喜ぶという事をしないのがその特徴である。森田正馬

4月30日

感謝とかいう語は、みな相対的なもので、恨むとか呪うとかいう事と対立したものです。希望と恐怖・苦痛と安楽とかいう語も、みな同様であります。一円を得たという事と、一円だけ働いたという事とは、同一事件の表裏・両方面です。森田正馬

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