4月1日
泣きたいのを笑ったりして、卑怯だとか、いつわりだ、とかいう人があるかもしれません。
しかし私は、心に表裏のある自分自身をそのままに認め、肯定しているのであります。森田正馬
4月2日
私はただ、自分の心の事実を認めるだけであって、“こうなくてはならない”とかいう考えはみじんもないのであります。森田正馬
4月3日
私ども人間の心は、いかなる条件、事情によってどのように動くものであるかということを観察する修練を積むことが大切であります。
つまり、目前の快、不快にとらわれて、不快を除こうとして自分の心をやりくりするのでなく、自分の心をそのあるがままの姿において観察するのであります。森田正馬
4月4日
私どものいろいろな気分は、おこるべき原因があっておこるものでありますから、それをどうすることもできません。
それが心の自然であってみれば、抵抗しないで受け入れてゆくよりほかはありません。それが“自然に服従する”ということであります。森田正馬
4月5日
不眠も、耳鳴りも、物象回転も、計算恐怖も、それを恐れ、じゃまものあつかいにしてなくそうとするから、ますますそれが苦痛となり、執着を深めるのであります。森田正馬
4月6日
睡眠とは無意識の状態でありますが、眠ろうと努力することは意識の活動する状態でありますから、眠ろう眠ろうと努力する間は眠れないわけです。森田正馬
4月7日
強迫観念にかかるような人は、もともと自分を理想の状態にもってゆこうとあせる傾向があります。
ところが、その理想というのが、その人の気分からつくり上げられた空想なのでありまして、とうてい実現できない性質のものであります。森田正馬
4月8日
強迫観念の発生する条件を考えますと、その第一は事実そのものを尊重しないでいつも気分あるいは気持をアレコレと問題にする気分本位であり、第二はある機会から恐怖の衝動に駆られ、不快な気分をなくしようとしてもがくことであります。森田正馬
4月9日
強迫観念は、(略)、ふだんの生活の間に誰にもおこりがちな不快な気分を、病的あるいは異常なものと思いちがえて、おそれ、心配し、それをなくそうともがくために起こってくるところの苦しみなのであります。森田正馬
4月10日
憂鬱や絶望をおもしろくし、雨天を晴天にし、緑を紅にしようとするのは、そもそも不可能なことであって、そのような不可能な努力をするならば、世の中にこれ以上苦しいことはありますまい。森田正馬
4月11日
私どもは腹が減れば食べたいし、腹が張れば食べたくない。
いつも食べたく、しかもおいしく食べたいというのは迷妄であり、邪道であります。森田正馬
4月12日
神経質者の経験する心機一転の普通の場合は、内向的な心が外向的に一転することでありましょう。
それはたとえば、いままで足元ばかりを見、また自分の勇気の有無ばかりを考えてどうしてもわたることのできなかった丸木橋を、捨身になった拍子に、前の方ばかり見つめてスラスラと渡ってしまった時のようなものであります。森田正馬
4月13日
心悸亢進恐怖の患者は、家人からいたわられたり、寝ていて氷嚢をつけたりするとますます悪くなりますが、ひとり電車に乗っていて誰も助けてくれる人のないときには、はじめて精神が緊張して「調和」の状態が得られ、発作はけっして起こらないものであります。森田正馬
4月14日
この会(退院後に患者が集う会、今でいう自助グループのような会)でも、(略)、神経質のよく治った元気な人をいつでも見ることができます。
そんなとき、まだ治っていない人は、ただ素直に、従順に、その人をうらやみながら、自分もあのように治りたいと思ってじっと見ていると、自然にその気合に感化されて、自分も治るようになるものであります。森田正馬
4月15日
自分の為すべき道だからやるというのではなく、人の苦労を見かねて手伝ってやれば、はじめて心が外向的に働き、仕事そのものになりきり、自己内省を忘れるのであります。森田正馬
4月16日
私どものもっとも根本的な恐怖は“死の恐怖”でありまして、それを表から見れば“生きたい”という欲望であります。森田正馬
4月17日
神経質症状に苦しんでいる人は、なぜ病気がおそろしいのか、なぜ不眠が苦しいのかと、自己反省によって追及してゆけば、けっきょく生きたい、発展したいという欲望がつよいからだ、ということがわかってくるのであります。森田正馬
4月18日
赤面恐怖についていえば、人から笑われるのがイヤだ、負けたくない、偉くなりたい、というのは人間の“純なる心”であり、“生の欲望”そのものであります。
ところが赤面恐怖の人は、人から笑われても平気な厚顔な人間になろうとして、いろいろ工夫をするのであります。森田正馬
4月19日
ハラハラしている状態とは、あれもしたい、これもしたいという欲望のたかまることでありまして、そのために自分の心身の異常にたいしていちいちこだわっておれなくなり、そこに欲望と恐怖の調和ができて、神経質の症状がなくなるのであります。
それは、ちょっと考えると、忙しくて気がまぎれるためだと思われるかもしれませんが、けっしてそれだけではありません。森田正馬
4月20日
苦痛や恐怖になりきるということは、苦痛をそのまま忍受(にんじゅ)し、苦痛をのがれるための小細工をやらないことであります。森田正馬
4月21日
「死を恐れないで、人生のいろいろの目的を楽々となし遂げたい」(略)。
このような考え方をするのが神経質者の特徴であります。森田正馬
4月22日
困難と成功、苦痛と安楽、生と死といったものは、同一の事柄の両面観であり、時間的にいうと一つの「過程」であります。森田正馬
4月23日
神経質の症状を治すということについては、まず最も大切なことは、自分の病を治すことを忘れなければならない。
これを忘れない間は、けっして治らない。(略)
神経質も精神が健全になり、人生観が正しくなれば、はじめて全快して再発しないのである。森田正馬
4月24日
平常心というものは、つくるものではなくて、あるものであります。
おそろしいならばおそろしいままの心、それがすなわち平常心であります。森田正馬
4月25日
善悪をとやかくいうことをしばらく止め、理想を強調することをしばらく中止して、私どもの日常の事実を反省するならば、自分というものが自然にハッキリとわかってくるのであります。森田正馬
4月26日
赤面恐怖の患者が、人から好かれることによって伸びたいという本当の目的をわすれ、どんなえらい人の前でも赤面しないようなズウズウしい人間になりたいと思い、また不潔恐怖の患者が身のまわりを清潔にしたい、というほんとうの目的を忘れて、ただきたないという気分をなくしたいとあせる間は、強迫観念の治ることはけっしてないのであります。森田正馬
4月27日
強迫観念に苦しみながらでも、やれば何でもできるのです。
ところが、神経質の人の考え方の特徴として、それをできないことと理論的に独断してしまうのです。森田正馬
4月28日
神経質症状にかぎらず、(略)、たった一人ではちょっとした苦痛にたえることもなかなかできにくいものであります。
お互いに他の人の苦痛に同感し共鳴することが、神経質症状の治る第一歩なのであります。森田正馬
4月29日
(書痙(しょけい:人前で文字を書くときに手が震える)の人に対して)手のふるえるのをやめよう、やめようとする心でもよい、とにかくそのままで毎日の勤めをはたしてゆけばよいのです。森田正馬
4月30日
苦痛の大小は、欲望の大小に正比例するものです。
1万円を得るには1万円相当の骨折をすることがひつようですし、虎児をつかまえるには危険をおかして虎穴に入らなければなりません。
「成績はどうでもよい、ただ気持ちよく読めさえすればよい」というのは自分で自分の心を欺いているのです。森田正馬