3月1日
神経質について私がいう精神交互作用とは、われわれがある感覚に対して注意を集中すれば、その感覚は鋭敏になり、そうして鋭敏になった感覚はさらにそこに注意を固着させ、この感覚と注意が相まって交互に作用することによりその感覚をますます強大にする、そういう精神過程を名付けたものである。森田正馬
3月2日
苦しいことは誰も苦しいというのを平等観といいます。
ただ自分一人が、特別に苦しくて、他の人はみな平気であるというふうに考えるのを差別観といいます。
神経質は自己中心のために、なかなかこの平等観の修養ができにくいのであります。森田正馬
3月3日
神経質患者の頭重や不眠や強迫観念のようなものは、みなもとは常人の普通の感覚、感想が、患者の病的誤想によって固着した信念である。すなわち患者は注意をこれに固着するとき、周囲に対する注意の自在な活動を失い、無意識的注意の状態になったものであって、これに執着して全く事実と信じるようになったものである。森田正馬
3月4日
神経質者は、不眠を恐れるため、夢を熟睡できなかった証拠として常に注意がそこに傾注されるため、たくさん夢を見ると感じるのである。
そのため患者が治癒し、もう不眠を恐れず、夢になど無頓着になった後には、常人と同じく、夢を見たのか見ないのか気づかないようになる。森田正馬
3月5日
「嫌いなものは嫌い」「人前では恥ずかしいものである」と、事実そのままに見るとき、たやすく嫌いなものも好きになり、人前も恥ずかしくなくなるのであります。
これが私のいうところの「思想の矛盾」でありまして、考えることと現実とは、ちょうど逆になるのであります。森田正馬
3月6日
香取氏(実業家):「眠らなくともよい。とにかく七時間ほど横になってさえおればよい。人間は拷問でも受ければともかく、普通の生活をしていて眠れないために死ぬということがあるものではない」といわれ、すっかり安心して、それだけで不眠は治ってしまいました。
3月7日
私のいうように自然に服従し、境遇に柔順であれば、暇なときは暇なときのように、また忙しいときは忙しいときのように、自然に適切な行動がとれるものであります。森田正馬
3月8日
苦痛の大小は、欲望の大小に正比例するものです。
一万円を得るには一万円相当の骨折をすることが必要ですし、虎児をつかまえるには危険をおかして虎穴に入らなければなりません。森田正馬
3月9日
「成績はどうでもよい、ただ気持よく(本を)読めさえすればよい」というのは、自分で自分の心を欺いているのです。
もしほんとうに成績などどうでもよいのだったら、毎日小説ばかり読んでおりさえすればよいはずです。
しかし、そんなことではとうてい満足できないのが、読書恐怖にかかるような神経質者であります。森田正馬
3月10日
強迫観念に悩んでいるうちは、自覚が足らず、気分本位に支配されているのであり、正しい自覚を得さえすれば、強迫観念に悩むこともなく、普通の人以上に能率を上げてゆくことができるのであります。森田正馬
3月11日
自分というものを正しく、ありのままに認めるのが自覚でありますが、ここで少し注意しておきたいことは、自覚を得るには自分の本性を正しく深く細密に観察し認識しさえすればよいのでありまして、それ以上のやりくりは一切無用だということであります。
怠けてはいけない、読書に興味を持たなければならない、人前に出てもオドオドしてはならない・・・・・・というように、人為的な小智や悪でやりくりしようとするのがもっともいけません。森田正馬
3月12日
私たちの注意作用には、絶えず緊張と弛緩とのリズムがあって、同一のことに対して、常に一様の緊張で、注意を集中することはできない。
強いてこれをすれば、自然に精神が茫乎(ぼうこ:広々としているさま)となるばかりである。多くの事柄に触れて、一定数の変化があるときに、かえって精神は緊張するものであるからである。森田正馬
3月13日
神経質はいつも劣等感を起こすのが自分の持前であるから、そのまま劣等感になりきっていさえすればよい。
自分を不器用と決めておきさえすれば、(略)何か自分で作りたくてたまらぬ物ができれば、(略)ただ工夫努力するよりほかは道がなくなる。森田正馬
3月14日
何ごとにも偉くなるような人はみな劣等感をもち、へりくだった心から、自分の行いを慎み励んでいるものである。
高ぶった心の人は、けっして優れた者になることはできない。森田正馬
3月15日
怠け者は、常人の休むときに働く。
そこに面白い心理があると思います。
神経質は、本当の怠け者ではないが、仕事になかなか手を出さぬことと、いったんやり始めると、なかなかやめない点が似ている。
似ているが、しかし違う。
神経質は、怠け者のように、意志薄弱ではない。
神経質は、時間割をこしらえ、仕事の見積りを立てて、納得できるまでは、手を出さない。森田正馬
3月16日
神経質は、時間割をこしらえ、仕事の見積りを立てて、納得できるまでは、手を出さない。
このように、するとしないとの境が、はっきり別れる。
しない癖がつくと、惰性でなかなか手が出せぬ。
僕はこれを重い鉄の車にたとえている。森田正馬
3月17日
神経質のいたずらに不眠に執着するものは、ますます不眠の感にとらわれてしまって、仕事も何も、まったくできなくなって、下達してしまうのであります。森田正馬
3月18日
私は「馬鹿になれ」と教えるかわりに「偉い人になりたい者は、偉い人を見よ」という。
そうすれば自然に、自分は馬鹿のように感じ、これではならぬと努力するようになる。森田正馬
3月19日
苦しいのが雑念で、面白いのが空想である。
砂糖は甘い、塩は辛いと同じく、いずれもわれわれの心の事実である。
苦しいとか面白いとかいう言葉のとらわれを離れて、あるがままの事実になりきれば、ただ、心の一つの進行過程ということのみになる。森田正馬
3月20日
われわれの心は、周囲の刺激(見たり聞いたりすること)なく、また何もせずにいるときは、際限なしに、あたかも取りとめない夢のように、絶えず何かと考えるものである。
これが、ボケた人には少なく、若い元気な人には、ますます多い。これを空想という。
もしこれが、考えたくないということが、拮抗的に甚しく起こるときは、これを煩悶というのです。森田正馬
3月21日
空想は、これを起こさないように努力すれば、煩悶苦悩になり、これを放任すれば限りがない。
どうすれば調和ができるかといえば、普通の人は、自由に素直に、周囲の事情に適応して、気軽く活動し、立ち働いているからである。森田正馬
3月22日
神経質の強迫観念の治し方は、空想なり不快の考え方なりは、そのままに起こるがままに放任して、強いてこれを否定し排除する努力をせずに、日常の境遇に順応して、絶えず実生活の方に、気軽く手を出して実行さえしていけば、食欲も空想も、自ら調節されるように、強迫観念もなくなるのであります。森田正馬
3月23日
神経質の症状を治すということについては、まず最も大切なことは、自分の病を治すことを忘れなければならない。
これを忘れない間は、けっして治らない。(略)
神経質も精神が健全になり、人生観が正しくなれば、はじめて全快して再発しないのである。森田正馬
3月24日
煩悩・強迫観念、その苦痛そのままでよし、徹底的に苦しめ、そうすればそのままに解脱して安楽になるぞ。
火は熱い、水は冷たい、あるがままに見よ、当然のこととせよ、そうすれば火もまた涼しくなるであろう。森田正馬
3月25日
自覚によって、自分の卑劣な心を、衆人の前に告白するのは、けっしてたんに自分の気晴らしというのではありません。
この自覚の喜びから、来人をも啓発して、この幸福を分かち、互いに研究して修養を高めようとする心持ちであります。森田正馬
3月26日
また神経質の特徴として、「自分の症状は、人には少しもわからぬけれども、こんな苦しいものはほかにはない」とひそかに信じ、人にも訴えるということがある。
すなわちまったくたんに本人の主観的なものに止まり、客観的なものではない。森田正馬
3月27日
「好かれたい・憎まれたくない」ということが、変化しては、あるいは「人からエラク思われたい・侮られたくない」という心ともなって、それがヒネクレになると、対人恐怖・赤面恐怖とかいうものにもなることがある。森田正馬
3月28日
人はまず誰でも腹がへれば食いたい、目上の人の前では恥ずかしい。
これを平等観という。森田正馬
3月29日
治った人と、治らぬ人との区別。
治らぬ人は、自分の殻に閉じこもり、城壁を築いて、なかなか自分のことを発表することができない。
自分のような特殊なものは、世の中にないと、ことさらに差別観を立てて、頑張っている。
人に話すことが、恥ずかしい、恐ろしい。(略)
治らぬ人は、世の中の事実に対して、近頃のいわゆる認識不足であるのである。森田正馬
3月30日
治った人と、治らぬ人との区別。
治った人は、夏は暑く、冬は寒い。
恥ずかしいことは恥ずかしく、苦しいことは苦しい。
世の中は、誰でも同様である、という事実を認めることができて、平等観に立つことができる。
「事実唯真」といって、世の中の心の事実を、明らかに認識することができるようになる。森田正馬
3月31日
自覚ができ、平等観が確立して、人間心理の事実の動かすべからざるところを会得すれば、もはや、強いられなくとも、また懺悔するとか打ち明けるとかいう心持ちなしに、なんのこだわりもなく安楽に告白することができるようになる。森田正馬