メンタルニュース

メンタルニュース NO.14

自然を尊ぶ生き方を

公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団
理事長・岡本常男

おかもと・つねお
1924年、広島県生まれ。
1958年、(株)ニチイ設立に参画。
1974年、(株)ニチイ副社長。
1988年、公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団を設立、理事長に就任。
(株)マイカル相談役。著書に『自分に克つ生き方』(ごま書房)など。

まえがき

かつて、胃腸にかかわる神経症で悩んだ当財団理事長。それを、世界的に知られた神経症のための精神療法である「森田療法」でのりこえた体験、および森田療法から得たものについて語ります。

第一線の実業人として活躍していたころ、私は、激しい神経症に陥りました。やがて幸いにもこれを、森田療法によって克服することができました。以来、森田療法をとおして、人間の生き方について学んでいます。以下は、私の神経症体験もふくめて、森田療法に関することを記してみましょう。

シベリア抑留が発端

中国の東北地方で終戦を迎えた私は、1945年から1949年までの4年間、旧ソビエト連邦のシベリアで捕虜生活を送りました。その間の食糧事情はきわめて悪く、大豆ばかりの食事が1ヶ月も続くような、ひどい状態の時期もありました。そのため慢性的な下痢症状がおこり、ついに透明な粘液と血が混じった便となりました。私はなんとか下痢を治そうとの思いから、1日3食のところを2食に減らし、節食を心がけました。それ以来、「私の胃腸は弱い」と思いこみ、復員後も主食はパンかうどんに決めて、ごはんは15年間くらい食べませんでした。節食していても少し食べ過ぎたり、油っこいものを食べると、すぐ下痢をしたり胃が痛んだりしました。ふだんは、少量しか食べないので便秘がちでした。

極度の食欲不振に陥る

さて、株ニチイで副社長と営業本部長を兼任していたときです。1985年の秋ごろから急激に食欲が減退して、1日2食だった食事がときには1食になりました。翌年の春になりますと、1日1食でさえやっとの思いです。その食事の内容にしても、トースト半切れ、スープがカップ一杯、たまご半分、アイスクリーム少々というありさまでした。
それまで、私の体重は45キロでしたが、とうとう36キロにまで減ってしまいました。体力も衰えて、自宅前のゆるやかな坂道を登るときにも、うしろから家内に押してもらわねばならなかったほどです。
そのころ、4ヶ所の病院で精密検査をしてもらいましたが、胃下垂、栄養失調、白血球不足などの診断はあったものの、「胃腸にはとくに異常ありません」と言われました。異常なし、と言われても、まったく食欲がないので納得できません。漢方薬や健康食品から心霊療法に至るまで、人が良いという治療法はいろいろと試みました。しかし、いっこうに快くならず、ずいぶん悩みました。そんなある日ことです。たまたま、古くからの友人である大西衣料株式会社の大西輝生さん(現在、同社専務理事)に相談してみました。日ごろの私の状態もよく知っておられた大西さんはそのとき、「岡本さん、それは胃腸がわるいのではなく、神経症だと思いますよ」と言われました。
というのは大西さんのお話を聞くと、かって大西さんも、私と同じようにほとんど食事ができなかった時期があったのです。そんなときに大西さんは、「森田療法」という神経症のための精神療法に出会ってすっかり元気になった、ということでした。

正体は「神経症」だった

その日、大西さんから、森田療法の本を数冊とカセットテープをいただいて帰りました。さっそく本をむさぼるように読み、くりかえしテープを聴きました。そのうちに私は、まず「自分が胃腸の病気ではなく、神経症であること」が十分に理解できたのです。
したがって、あとは森田療法の教えるところにそって自分の気分・感情にとらわれず、目的本位に行動すればよいわけです。すなわち、毎日3食、少量でも食べることから実行していきました。食欲もなく体調のわるいときもありましたが、「狂っているのは胃腸ではなく、自律神経のほうだから……」と言い聞かせて、食べる量にしても少しずつ増やしていったのです。
おかげで体重が、ひと月に2キロずつ増えて、半年後には過去最高の50キロに達し、胃腸の調子もすっかりよくなりました。そればかりか、しだいに性格も明るくなり、生き方も前向きになって、心配性のクセも一時的にはあっても、いつまでも、それにこだわることはなくなりました。

こうして私は、長年の悩みから解放されました。それと同時に、症状の内容は私とはちがっても、世の中には神経症で苦しんでいる人が多い事実も知りました。そこで、ひとりでも多くのかたに森田療法のことを知ってもらいたい、と思うようになりました。といっても私は学者でもありませんし、教育者でもありません。したがって私にできることは、みずから森田理論をできるだけ素直に実践して、その成果を確かめていくことです。さらに、それらの体験をとおして、何らかのかたちで神経症に悩む人びとに役立つことでしょう。
そのような願いから、1988年7月に厚生省の認可をえて「財団法人メンタルヘルス岡本記念財団」を設立いたしました。ことしで9年目を迎えています。そのあいだには、おかげさまで3冊の拙著も世に送ることができました。

神経症と森田療法

さて「森田療法」というのは、1920年ごろ、森田正馬博士(東京慈恵会医科大学名誉教授、1874〜1938)によって創始された、神経症のための精神療法です。そこでまず、森田療法が生まれた背景からみてみましょう。森田博士そのひと自身が、幼少のころから神経質な性格でした。ちょっとした自分のからだの異常とか環境の変化に、過剰反応をするようなところがありました。また十歳のころ、近所のお寺にあった地獄絵を見て、死の恐怖に襲われています。青年期には、不眠に悩まされたり、自転車に乗っているときに心悸亢進を起こしたりしています。
そして東京大学医学部(東京帝国大学医科大学)に在学中には、神経衰弱および脚気と医師から診断されています。ですから一年ちかく、勉強もそこそこに服薬などをつづけていたのです。
そのころ、こんなことがありました。郷里から届く学資の遅れも手伝って、父にたいする反感から森田正馬は、「こんなに苦労して勉強をしているのに、いまだ実家からの送金がない。よし、それなら死でもよい」と、神経質な性格のひとらしい反抗をしたのです。
すなわち、医師から処方されているクスリもやめて、むちゃくちゃ勉強をしたのです。するとその結果はどうでしょう。試験の成績がグンとあがったばかりでなく、神経衰弱と脚気がすっかりよくなってしまったのです。何よりもご本人が、びっくりしたのはいうまでもありません。
この体験がきっかけになり、やがて精神科医になってから、その当時は神経衰弱とよばれていた問題にとりくむことになります。国内・国外の精神医学はもちろんのこと、迷信といわれるものまで研究し、そのころの精神療法についても臨床応用をかさねたうえで、ついに、「神経質の本態と療法」を発見し確立したのです。なお、ここでいう神経質とは、森田療法がよくあてはまる神経症のことを指します。

なぜ神経症になるのか

ところで、まず森田療法が画期的な点は、神経症を噐質的な病気ではないとしたことです。
つまり神経症(神経質)は、からだの病気ではありません。過去の医学では、神経が衰弱して神経衰弱が生じるとか、精神の異常で神経症がおこるとか、いろいろな学説がありました。しかし森田博士の神経症学説は、こうです。内向的で完全欲がつよい……などの特徴をもっているのが、神経質性格のひとです。こういう性格のひとは、なにか特定の、心やからだに関する不快感に気づきますと、それを異常と感じて排斥しようとします。ところがそのために、いよいよ、明けても暮れてもそのことに意識を集中させてしまいます。この「注意と感覚による相互の悪循環」(これを精神交互作用という)によって、ますます不安や恐怖がつよくなります。そして、しだいに症状として増幅されていくことになるのです。
もちろん神経症は、これ以外にもいろいろなメカニズムが働いて起こります。が、要は心理的に、自分で自分の神経症状態をつくりだしてしまうのです。高良武久博士(森田博士の高弟、東京慈恵会医科大学名誉教授)は、神経症というものを定義して、「神経症とは心理的からくりによって、精神的あるいは身体的、もしくは両者を含む機能障害が起こり、それが慢性的に固定している状態」と言われています。

神経症を解決するには

そこで森田療法の創始者である森田博士は、その療法について、およそこう言われています。「神経質の治療というのは本来、教育のやり直しで、再教育というようなもの」と。
つまり、神経症を克服するのには、まず「神経症とはどういうものかを理解する」、それとともに「自分の考え方・生き方のまちがいを正す」ことが必要なのです。いわゆるひとくちでいえば、心配しながらも前向きに日常生活を進めていく。その結果として、遅かれ早かれ神経症は解決する、ということを森田療法は教えているのです。
さて、神経症に悩む人たちとその体験者でつくっている、「生活の発見会」(同会本部、電話=03-3947−1011)という全国組織の団体があります。この会は、神経症ではあっても日常生活はできるひとが、森田理論(森田療法を支える生き方・考え方)を学習する組織的な自助グループです。現在、会員数は約6500人。そして北海道から沖縄まで全国約130か所以上の地区で、月例会が開かれています。この生活の発見会が、毎月発行している機関誌として「生活の発見」誌があります。同誌は創刊いらい39年にもなりますが、そのなかに掲載された「神経症克服体験記」(1957〜1994)の数は、すでに957例にのぼっています。もとより体験記には、じつにさまざまな神経症の症例が網羅されています。(この雑誌は、メンタルヘルス図書室にも揃えてあります。)

森田療法における自然観

では、森田療法による生き方・考え方の基本を示しておきましょう。森田正馬博士は、「自然に服従し、境遇に従順なれ」と教えています。私たちはよく「かくあるべし」、つまり、こうあるべきだ……という理想をかかげて、なんとかそれに自分を合わそうと、人為的な心のやりくりを重ねていきます。みんなと仲良くしたい、だれからも好かれたい、悪く思われたくない、いつも健康で楽しく暮らしたい……などなど。理想を高くもつのはけっこうですが、それが現実からあまりにも遊離したものになると、現実と理想のギャップが悩みのタネになってきます。現実ではすべての人に好かれ、よく思われることは不可能です。毎日毎日、快適に楽しく暮らすこともできません。それは天候でも、晴れた日もあれば曇りや大雨の日もあるのと同じです。
仏教に「諸行無常」ということばがあります。すべてのものは移り変わるという意味です。したがってたとえば、今年はこうしたい、今月はこうしようと計画をたてても、なかなかそのとおりにはいきません。要は、周囲の状況の変化につれて、柔軟に対応することこそかんじんなのです。
神経症の人はこれとは反対で、ある特定の不安や恐怖のみにこだわり、それが固着してしまっているのです。そのために、心の自然なはたらきが妨げられている状態といえます。それと同時に、人によっては自律神経が失調し、体調もおかしくなります。私の場合は、いつも胃腸のことを気にしていました。油っこいものを食べると下痢しないかと心配し、コーヒーを飲むと胃が痛くなりはしないかと不安になります。そうすると決まって、下痢をしたり胃が痛くなったりしたものです。いまは毎日コーヒーを飲んだり、てんぷらを食べる日もありますが、なんともありません。

自然な心をとり戻す

森田博士が実施された入院森田療法では、40日ぐらいをメドに基礎体験がえられるようにつくられていました。それは、第一期から第四期までで成り立っています。そこでは最初に絶対臥褥といって、一週間ぐらい小部屋で、ひとり静かに寝ているのです。食事も世話する人が運んでくれます。ラジオを聴く、新聞をよむ、人との会話など、気分をまぎらわすような行為は禁じられています。要するに、人為的な「はからい」で、心のうごきや自律神経系のはたらきが固定化してしまっているのを、もとの自然なかたちに戻すのです。臥褥をしている人は初めの3日か4日、いろいろな思いがドッと押し寄せて、煩悶します。が、やがてその思いや考えも尽きてきます。すると、泥水のなかの泥が底に沈殿して水が澄んでくるように、心の固着状態も氷解していきます。つまり、本来の自然な心がよみがえり、その人の自発性をとり戻していくことになるのです。そのうちに寝ているのが退屈になって、からだを動かしたい、働きたい、という衝動がおこってくるのです。施設では、この入院者の状態をみて、自然を観察したり軽い作業をおこなう第二期にうつります。
入院者がはじめて戸外に出て、外気に接し、草花など自然の生気にふれるとき、その美しさと自分が生きていることへの感動を覚えるといいます。神経症の人が忘れていた、自然の美しさ、偉大さに感動するのです。この感動こそ、神経症を克服する第一歩となります。
「心は万境に従って転ず」ということばがあります。もともと、本来の自然な心というものは、そのときどきの外界の状態や境遇にしたがって自由自在に変化、対応していくようになっています。ところが「かくあるべし」という主観的な思いこみに支配されると、心が回転しなくなり、やがて神経症に陥ることにもなるのです。

中国で広がる森田療法

1991年のことです。大原健士郎先生(浜松医科大学名誉教授)たちと森田療法をたずさえて、はじめて中国へ飛びました。このときは、中国心理衛生協会の招きで訪れたのです。それから5年がたちました。
昨年の1995年の春には、北京で第三回日本森田療法学会(The Third International Congress of MORITA THERAPY)が盛大に開かれています。大会委員長は沈漁邨・北京医科大学教授です。この学会には、精神科医や心理学者を中心に、中国、日本、アメリカ、カナダ、香港など14か国から約330人におよぶ専門関係者らが参会しました。いま、中国で森田療法を実施している病院も、多数にのぼります。たとえば、北京医科大学の精神衛生研究所はじめ、北京の回龍観病院、上海第二医科大学など……。外来のみで診療している病院も含めて、50か所以上になると聞いています。このように短期間で、中国において森田療法が普及した背景には、こんな事情もあるでしょう。
かねてより中国では近代化政策がとられ、近年は、欧米や日本などからの技術導入、合併企業の設立などが盛んです。そして経済情勢は、世界に類を見ないほどダイナミックな急成長をとげています。このような近代化のながれのなかで、精神医学の分野においても中国では、精神分析、行動療法、認知療法などの導入や研究が進んできました。ちょうどそんな最中に、日本からは森田療法が紹介されたのです。精神療法というのは、その精神療法が生まれた国の、歴史と文化にふかい関係があります。日本と中国は、おなじ東洋文化・思想という共通した地盤をもっています。また、お互いに漢字をつかう国ということもあって、その親近感から、中国のかたがたの森田療法についての理解が早く、共感されるところもまた大きい、と感じています。たとえば森田療法でいう「あるがまま」を、中国語に翻訳すると「自然順応」というふうに、お互いにすぐ理解し合えるのです。そこで、すでに森田療法を臨床実施されている中国の先生方に、その感想を聞いてみますと、だいたいこんな答えが返ってきます。神経症の精神療法として森田療法は、治癒率が比較的高いこと。とくに、従来は治りにくかった強迫観念のひとが入院森田療法によって立ち直るケースが多くなってきている、とのことです。また、日中両国における神経症のちがいについては、日本では対人恐怖・対人緊張が多いのにたいして、中国では比較的少ないこと。しかし疾病恐怖・不潔恐怖などその他の強迫観念のパーセントは、あまり差がないようです。さらに最近の日本では、境界例といって神経症とうつ病などの中間タイプで、本人にははっきりとした病識がなく、これを治そうとする意志も希薄な、若い人が増えているといわれています。これは日本が豊かになったことによる、過保護の環境のもとで育った人のひとつの特徴かもしれません。中国ではこの種のタイプはまだ少ないようです。

森田療法の現況から

ここで日本の状況にふれておきましょう。まず森田療法を実施している大学病院は、東京慈恵会医科大学、浜松医科大学、聖マリアンナ医科大学、九州大学医学部などが あります。
さきに紹介しました「生活の発見会」は、勤務や日常生活は何とかできるが神経症(神経質症)に悩んでいる人のための、森田理論の学習団体です。そのほかに森田療法理論を応用して、がんや難病の闘病者に、生きがいと回復力をもたらす「生きがい療法」があります。これは岡山倉敷の伊丹仁朗先生の提唱で始まったもので、世界的にも広まりつつあります。会員のモンブラン登頂などが有名です。いっぽう海外事情はこんなふうです。アメリカでは、文化人類学者のD・K・レイノルズ博士が活動しています。同博士は、森田理論をベースに内観療法も加えて「建設的な生き方(Constructive Living)」の基本をつくり、そのネットワークをアメリカ国内に広げています。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学では、石山一舟先生が森田カウンセリングの講座を開かれています。
このように森田理論の応用範囲は、ますます拡大していくでしょう。ともあれ今後、急増する老人の健康と生きがい問題は、大きな社会的テーマです。森田理論をこの高齢化社会で活用すれば、はかりしれない貢献ができるのではないか、と思われます。

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