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メンタルニュース NO.16


森田療法の今日性

―現代的“読みかえ作業”をとおして―

北 西 憲 二

Kenji Kitanishi
成増厚生病院副院長、森田療法研究所、
東京慈恵会医科大学助教授(非常勤)

現代的なこころの悩みに森田療法はどう応えるか―について
本紙今号は、日本森田療法学会理事・当財団顧問の北西憲二先生につづっていただきました。


いま森田療法は―

    さきごろ、東京工業大学教授の渡辺利夫氏が『神経症の時代―わが内なる森田正馬』(TBSブリタニカ、1996)という著作をものにして、第5回・開高健賞正賞を受賞した。そして、この著作がベストセラーとなるにともなって、たくさんの人が新たに森田療法のことを知るきっかけを生みだした。あるいは、その名前を再認識するようになった。

    また、森田療法を基盤とした集団学習のグループである「生活の発見会」に、多くの人が、みずからの悩みの解決を求めて参加する。

    さらに中国では、森田療法は行動療法を抜いて、もっとも用いられる精神療法となっている。中国の森田療法を行なう専門施設の数は、すでに日本のそれをはるかに上回っている。

現代社会と森田療法

    しかし現代社会では、創始者・森田正馬(1874〜1938)の時代のような、古典的なあらわれかたをする神経症が少なくなり、境界のはっきりしない不安、抑うつを訴える神経症、あるいは人格障害が増えてきた。

    そのような人たちも森田療法を求めてわれわれのもとを訪れる。彼らの悩みは、かつての森田神経質のようにりんかく輪郭のはっきりした不安、恐怖と異なる。不安、恐怖は浮動的でばく然としており、多くは抑うつ、無気力状態になり、回避的・弱力的である。

    そして自分は何者で、どのように生きていったらよいのか…という自分のアイデンティティをめぐる問題が中心となる。それは中年期になっても事情は同じである。やはり自分のあり方、生き方をめぐる深刻な悩みが中心になる。しかし森田学派では、このような問題は今まで重要視しなかった。それは以下のような事情によろう。

    森田正馬の時代から高度成長をとげていた日本の社会的状況下では、不安、恐怖を克服すれば、その後の自分はどのような人間になりたいのか、なるのか―がはっきりとしていた。
    また不安をあるがままに受けとめていけば、自然に自分の進む道が見えてきて、それに乗って生きていけばよいという暗黙の前提が森田学派にあった。

    しかし現代の神経症や人格障害では、このようなことはおよそまれである。むしろ不安を最初からストレートに、あるいは、あるていど自分なりに受けとめられたときに、その自分とはいったい何者で、どのように生きていくべきか…という本質的な問題が、治療のテーマとして浮かび上がってくる。

    このような現代の神経症や人格障害には、しばしば伝統的な森田療法では対応がむずかくなる。ある患者は、「不安はそのままに、まず日常の生活にとり組んでごらんなさい」と治療者にいわれ、「それができないから治療にきたのだ」と怒りをあらわにした。ある患者は、治療者に自分の問題を理解されていない、拒絶されたように感じた。しかし、いずれの患者も森田療法に自分の問題の解決を求めてきたのである。

    いずれにせよ、現代の神経症や人格障害の少なからずの例は、自分中心的で、回避的であり、治療的関係を結びそれを維持していくことが困難である。そして治療者の対応に傷つきやすく、治療者の建設的な助言にも、しばしば怒りや抑うつで反応する。

    さてこのような患者に対して、森田療法は対応が可能なのであろうか。伝統的な森田療法家が行なってきたように、ただ、だまって治療者の指示どおり行動をとおして体験を積んでいけばよい、という権威的な対応には限界があろう。

伝統的な森田療法を超えて

    では、現代社会のもたらす人びとの悩みには、もはや森田療法は対応ができないのであろうか。私はそう思わない。

    森田療法には時代を超えて―日本文化の、そして東洋の知恵が含まれている。まず現代の森田療法家はそれを意識化し、言語化する作業を行なう必要があろう。

    さらには、力動的精神医学や認知療法、行動療法、集団精神療法などと、森田療法の比較検討を行なう。また必要の応じて、実際の治療にそれらの治療技法をとり込んで、森田療法をより現代的な治療法に変えていくことが重要である。

    私はこの、現代社会の病理に対応するための、森田療法の新しい概念と技法の開発にとり組んできた。これは入院という伝統的な治療システムによらない、個人精神療法であること。すなわち、治療者・患者関係を重視すること、力動精神医学の概念をとり入れていること―などから新しいスタイルの森田療法(ネオ森田療法)ともいえる。

    そして、今まで森田学派からじゅうぶんに検討されてこなかった森田療法の“欲望・感情論”から、森田療法の理論と技法を見直し、新しい精神療法の統合をはかろうと試みている。もとより私は森田療法の、精神病理仮説や治療論の再検討にもとづいた新しい外来森田療法が、さきほど触れた現代的な病態に有用であると考えている。

    また、入院というシステムによらないだけに森田療法を基盤に、家族療法やその他の治療との併用ができる。それだけに今まで伝統的な森田療法では扱えなかったような広い対象に治療が可能で、かつ有効である。したがって、入院森田療法と外来森田療法とは、いわば互いに補いあう関係となる。

森田療法の基本的理論

  • ここでは私の立場から森田療法の理論 を見直し、提示する。

    とらわれ―因果論を超えて円環論的理解へ

    ある人が不安(あるいは、悩みでもよい)を感じたとする。この不安の理解とその治療法には、少なくとも二通りがあろう。

    一つは、不安の原因をさぐり、それを取り除くことである。精神分析でいえば、過去の心的外傷にその源を求め、治療者はその探索を行なうことになる。

    行動療法では、それは誤った学習の結果であると考える。したがってその行動の修正が治療の主眼となる。認知療法では、不安をひき起こす否定的な考え(認知のパターン)に注目し、その修正を試みる。これらは西欧で創始され、発展した精神療法である。そして一見すると、まったく異なった人間理解の仮説と治療法のようにみえる。しかしそこに共通するのは、その不安をある原因から説明しようとする試み―つまり因果論による点である。

    森田療法では、発想が基本的に異なる。われわれが感じる情緒的反応は、自然なものでそれ自体に病理を認めない。これが森田理論の最初の枠組みである。

    つまり、不安あるいは人の悩みは、意図的に取り除くことができないものと理解する。それは、われわれが生きていくうえで必要なものであるとも考える。問題は、そのような自然な感情の反応を自分の生存に不利なもの、苦痛なものとして、取り除こうとするその人の心のあり方である。そういう心のあり方が、本来は有用な不安や悩みを生かすことができず、それにとらわれてしまう結果をまねく、と森田療法では理解する。

    また不安や感情の原因を、過去のできごとや誤った学習、あるいはゆがんだ認知パターンに還元しない。つまり単純な還元主義をとらない。

    このように森田学派は、現象を因果論でなく、すべて円環論的に理解していく。そして問題の解決は、原因の探究ではなく、閉じられた悪循環過程の打破であると考える。それを打破することにより、われわれはつらい心的な外傷も、そこからひき起こされた感情反応も自分で受けとめ、背負っていけるようになる。

  • 精神内界におこる悪循環

    1.注意と感覚の悪循環

    ここで具体的に森田正馬のいうとらわれ、悪循環説について説明する。

    われわれの不安(あるいは感情の反応様式)は、生来の傾向で決まると森田は考えた。問題は、すでに述べたようにこの“自然な”情緒的反応を自分の生存、適応に否定的な反応として決めつけることである。このような心的態度をもとに、悪循環が形成される。

    森田が提唱した悪循環とは、“注意と感覚の悪循環”である。ある情緒的反応に自分の注意が集中するとする。そのためこの情緒がますます鋭く、強く感じられ、さらに注意が引きつけられてしまう(これを精神交互作用という)。このような感覚と注意の悪循環から症状が形成され、固着してしまう。この悪循環過程を森田は「とらわれ」と呼んだ。これは自分の内界で強められ、それしか意識に上がらないような閉じられた心の悪循環過程である。

    この悪循環過程は、ある人が苦痛と感じるような体験をしたときに発動する。それは不快な感情(不安、恐怖など)、気分・観念・悩み・痛みなどの身体的なあらゆる不快な感覚などを含む。幻覚ですら、注意と感覚の悪循環過程が見いだせる。したがってこのような現象は決して神経症だけにかぎらない。そして悪循環過程の指摘は、そのまま患者に受け入れやすいし、治療への導きとなる。つまりこの心の現象はもっとも普遍的で、患者に意識されやすく、治療はその悪循環過程の打破をめぐってまず始まる。

    2.感情と思考・認知の悪循環

    また私は、いまのべた注意と感覚の悪循環だけではなく、認知療法が指摘する感情と認知(ここでは思考と呼んでおく)の悪循環が存在すると考える。しかし認知療法のように、ある認知のゆがみがある感情を生みだすとは理解しない。

    たとえば、ある人が何かのおりに気分の落ち込みを経験する。そのような気分がその人に否定的な思考(ダメな自分であるなど)をひき起こし、それがまた気分の落ち込みを強める。これも気分と思考の悪循環過程である。

    つまり自分で、自分の抑うつや不安をつくりだし、拡大していく過程である。このようなメカニズムは、人が不安や抑うつに陥ったときにはっきりと見いだすことができる。よく私は、自分で自分のうつを強めたり、不安をつくり出さないこと―とこの悪循環過程を指摘する。こういう指摘は、うつ病や不安神経症の患者にはとくに理解されやすいし、“あーそうだったのか”と納得をえやすい。

  • 精神内界から対人関係論へ

    1.悪循環の連鎖性

    さらにこんな現象は、決してある人のこころの中でばかり起こるものではない。実際の家族や職場の対人関係でも起こる。たとえば、ある親子のことを考えてみよう。

    子供が登校拒否で、家に閉じこもってばかりいるとする。母親は当然、気が気でない。そして子供に対してどうしてもその注意が引きつけられ、子供の一挙手一投足がますます気になって仕方がない。そして通常では何でもなく見逃している子供の言動が、母親の不安、失望、怒りなどを呼ぶ。その結果さらに母親の注意が子供に引きつけられる。したがって母親は子供のことしか考えられないという視野きょうさく狭窄現象に陥っている。これは立派な悪循環の完成である。

    また子供の立場からみれば、学校に行っていないという、やましいという心が母親の挙動に対する注意を呼び、その言動に対する敏感な反応をひき起こす。それが母親の注意を強めていく。

    このような相互の言動に対する注意の悪循環が存在する。そのへいそく閉塞状況を破るために、しばしば暴力や引きこもりが出現し、さらに事態をわるくする。この現象は、青年期の精神障害(たとえば登校拒否、引きこもり、家庭内暴力、食行動異常)の家庭で見いだせるものである。そればかりか、慢性の精神障害(分裂病など)の家族でもたびたび観察され、その打破が治療上の問題となる場合も少なくない。

    この悪循環過程を治療者が把握すれば、それを患者やその家族に伝え、それを打破するための方策を、共に考えることができるようになる。つまり臨床的な応用がひろい現象である。私はしばしば、患者の内界や家族の中で起こっているこの悪循環過程を、治療の最初の目標としてとりあげる。そしてその悪循環過程の打破のみで、治療を終結できる症例もかなりいる。

    2.森田療法と家族カウンセリング

    最近では家族のみが、青年期の子供の引きこもりや暴力などの相談にやってくる。今まで多くの治療機関で相談し、お子さんを連れてきてくださいといわれ、途方に暮れている親たちである。

    私はこのような症例では、親が子供にとらわれ、悪循環をつくっている状態と理解するので、まず親を治療の対象とする。「子供さんはムリに連れてくる必要はありません。それよりもご両親の問題として考えたらいかがでしょうか」と告げて、子供とはべつに両親の治療から始めていく。

    私は両親が、家族内で起こっている閉ざされた悪循環に気づき、親はこうあるべきだ、あるいは子供はこうあるべきだという思いこみ(森田正馬はこれを思想の矛盾と呼んだ)を、修正するように援助する。いわゆる家族療法と異なることは、子供を必ずしも治療の場面に登場させる必要がないこと――主として親自身の生き方に焦点をあて、そこでの人生をいっしょに問い直していく作業を行なうことである。

    そして、このような中年の悩みの解決法には、森田療法はうってつけであり、親たちの共感をえやすい。また両親の変化が、劇的に思春期の子供の行動的・感情的変化をひき起こす多くの例を私は経験した。

  • 思想の矛盾

    さて、そういうこころの中で、あるいは対人関係において悪循環に陥りやすい人は、自分の存在と世界に対するかかわりあい方に、ある特有な特徴がある。それが思想の矛盾であり、森田正馬は、「心身の活動、さらには患者が症状と呼ぶ不安、恐怖などの不快な体験も、それらが自然の現象そのもので、じんい人為(考え、思考)によって左右できるものではない」という。

    思想の矛盾に陥りやすい人は、「かくありたい、かくなければならない…」と思想するし、そのような観念的なあり方をもって、自分の存在と周囲の世界へかかわろうとする。つまり、普遍的な人間の悩みを生みだす様式を示している。そしてこのような矛盾したあり方は、こころの中だけでなく、すでに述べたように対人関係の中でも生じてくる。

    たとえば、「かくあるべし」とかたくなな価値観をもつ両親と、思春期の子供の悩みを想像してもらうとわかりやすいかもしれない。またこの「かくあるべし」という価値観は、時代と社会が個人にそれを要求し、これをめぐって個人はさまざまな悩みを意識する。したがってこの構造は、個人の内界から家族、社会文化的な概念と連鎖的につながり、そこでの悩みを理解するキーポイントとなる。

  • 治療原理

    二つの治療モデル


    森田療法がしめす治療原理は、きわめて単純である。これはつぎの二つに要約できる。

    一つは、自分の健康な欲望を、日常生活の行為・行動において発揮することである。それにはまず、日常の生活を健康的に行なうことが重要となる。これを「行動モデル」と呼ぶ。もう一つは、自分の不安・恐怖・不快な感情をしっかりと見つめ、受けとめることである。これを「受容モデル」という。私はこれらのモデルを必要に応じて提示し、患者の問題解決を援助する。

    まず行なうこと(行動モデル)として、不安、恐怖を回避しそれを何とか軽減しようとしている人たちに、今までと違った行動・行為を提案する。そして私は一貫して、面接や日記、日常生活のなかに表現されるその人の“健康な欲望”に注目し、それに共感し、その発揮を促していく。そして不安、恐怖があっても、現実の世界での実際的な生活が可能であることを体験してもらい、そこでの達成感を獲得できるように助力する。

    もう一つは、自分の感情を受けとめ、受け入れること(受容モデル)である。患者は、「この悩みや不快な感情、症状さえなければ、何をするにも可能であるのに」と考えている。それに対して発想の逆転、逆説的アプローチをとる。つまり不安、恐怖、悩みなどの苦痛に満ちた感情を排除しないで、それをむしろ自分で感じとり、受けとめ、つきあうことを助言する。

    すなわち私は、この二つの治療モデルにもとづいて、日記のコメントや面接を行なう。そしてさまざまなことわざ諺、例えなどを用いて、悩める人を勇気づけ、自分のあり方に気づかせ、困難な問題を解決できるようにその人の行動的、心理的な変化を援助する。

    「行動モデル」から「感情モデル」へ(不問から共感へ)


    森田療法では行動的体験を重視する。しかしそれを強調しすぎると、すでに述べたように人によっては、「この行動ができないから困っている…」と治療者に反論する。あるいは拒絶されたように思い、自分が理解されていないと感じる。とくに現代の患者においてはその傾向が強い。

    しかし今までの森田療法ではそのような患者の感情は不問にふ付され、生活上の必要な行動にとり組むことが要請される。そしてときに、治療者と患者とのあいだで“行動する、しない”という綱引きがはじまる。

    その結果、患者がしぶしぶ治療者の指示にしたがったとしても、いずれ、治療は中断するかこうちゃく膠着状態となる。これは治療者の強迫であり、支配欲求である。私は治療者自身がそこから自由となることこそ、現代の森田療法には重要であると考えている。

    そこで私は、まず患者に“自分を見つめることと、それを表現すること”を提案する。いわゆる、面接や日記で自分を表現することをとおして、自分の行為・感情・考えを理解すること、つまり自分のあり方を知ることが可能となる。そして治療者は、権威的な態度から共感的なあり方への変換がかんたんになる。それとともに、患者の欲望と感情のあり方に対して森田療法家としての理解が深まり、その対応が適切となると思う。

    現代的病態と治療者・患者関係


    伝統的な森田療法では、治療者・患者関係を重視せず、すくなくともその関係と治療論は、まったく無関係に組み立てられていた。しかし私が提唱する新しい枠組みの森田療法では、治療者・患者関係を検討することは、もっとも重要な課題である。

    森田療法家の不問的態度とは、治療者・患者関係で生じてくる感情的体験に注目しないということでもある。しかし私は治療者・患者関係も含んだ、あらゆる場面での“感情体験を重視”し、それに共感し、患者との共同作業で感情内容を明確にしようと試みる。これを、ここでくわしく論じる紙面の余裕もないが、森田療法の感情・欲望論からの枠組みでそれらを理解する。

    そして今まで患者が受けとめ、自分のものとして保持できなかった感情を、自分のものとして受け入れ、それを感じとれるように援助する。これはすでに治療者の不問的態度の大幅な修正であり、発想の転換である。

    このような治療的関係の持ち方が、その関係を結びにくい現代的病態には重要である、と私は考えている。そしてまず、患者の存在そのものを肯定することから治療をはじめていく。つまり私は、患者のあり方の背後に病理を見いだせても、まず患者が意識し、述べていることを肯定的に再定義し、受けとめる。そしてそれが、内面をおか侵したり、解釈しないこと、今ここでの感情の体験を共感すること―などからさらに強固なものとなる。それが治療を推進する重要な因子であることは論を待たない。

    終わりに


    現在、私が行なっている森田療法について説明した。考えてみれば、現代社会は精神療法がもっとも必要とされながら、その遂行が困難な時代である。それは森田療法のみならず他の精神療法においても事情は同じである。

    いわゆる、現代に生きる人と治療的な関係を持続することが困難であること、現代人は直接的な情緒的体験を避ける傾向にあること、価値が多様な時代になったこと―などがその要因としてあげられる。だからこそ私は、森田療法のもつ新しい可能性をこの時代精神と照合しながら、浮かび上がらせ、現代人の悩みの解決法として提示していきたいと考えている。


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