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【体験談】対人恐怖(赤面恐怖)に悩んで

中学の終わりごろから私は、対人恐怖に悩みました。いちばん苦しんだのは赤面恐怖です。
また赤面恐怖のほか、視線恐怖や人中で話ができない、人の思惑がいつも気になる、主婦として毎日の買物がしにくい、会食ができない、家族での団らんの食事もこわい……。そのような対人場面にまつわる、いろいろな恐怖症状(心のとらわれ)を体験しました。

赤面恐怖のはじまり

そういう対人恐怖に陥ったきつかけは、こうでした。
昭和37年のことです。大学を卒業して私は、大阪のある病院に就職しました。まもなく初めての配置転換があって、レベルの高い研究部門へと配属されました。そこは上司(ドクター)との二人部屋で、ドクターにとても気をつかう仕事です。

ですからいつも、“ドクターの気にいられているか、評価はどうか……”と気にしながら、よく働いたと思います。その上司にとってよきパートナーでありたいと、緊張感もどんどん高まってきました。
自分とちがう自分を演じている……、ときには、そんな思いが頭をかすめることもありました。きつと自分の気持ちを抑えつけていたのでしょう。

ある日、上司のドクターから病院内で盗難事件があったことを聞かされました。そのとたん、ほんの一瞬、私の顔がカーツと赤くなるのを意識しました。この赤面で、わけもなく心は動揺し、不安がワッと湧きだしてきました。つまり赤面したことで、私の欠点をあらわにし、自分の価値がガラガラとくずれ落ちた……そう思いこみました。それ以来、赤面地獄というくらいの赤面恐怖におちこみました。

私は異常ではないか?

仕事が病院関係でしたのでドクターから、ケースワーカーのところへ相談に行くようすすめられました。ですからケースワーカー室へは、よく話しに行きました。

しかし、自分はどういう状態になっているのか、やはり、まったくつかめません。いくら赤くなるまいと思っても、抑えれば抑えるほど意識してしまい、いよいよ赤くなります。人前や緊張する場面では、とくに赤面がひどいのです。「自分がコントロールできない。私は異常ではないか」と苦悩しました。

その後も仕事はなんとかつづけていました。けれども、ひとりで職場の部屋にいても、いつ人が部屋に入ってきはしないかと怖れて、つねに戦々恐々とした心境です。とうとう疲れはてて逃げては、みじめな思いをしていました。当時は、生きるのもつらいし、さりとて死ぬこともできないような状態でした。

そんなときに、『赤面恐怖の治し方』(森田正馬著・白揚社)という本から森田療法の存在を知りました。
そこで、治してもらえるかもしれない……と期待し、さっそく大阪から東京へと、本にでていた施設へ診察をうけに行きました。面接の結論として、「入院か、あるいは日記指導をうけるように……」との指示がありました。すなわち、すぐに治してもらえないことがわかり、当時の私は、がっかりして帰阪しました。

このあと退職して、心の安らぎをもとめて結婚しました。が、そこも安住の地ではなかったようです。
子どもができてからも、対人恐怖はずっとつづきます。日常生活では、子どもを外で遊ばせたり、病院につれていくことさえ、悩みのタネです。また、近所の人とのつきあいや買物も、やはり苦痛でした。けれども、“苦しい苦しい……”と逃げ腰で生活しながら、どうにか最低限のことはしていました。

ふたたび苦悩の日々へ

やがて子育てが一段落しました。あいた時間をつかって働くことにし、パートの仕事を2つもちました。

しかし、まもなく対人恐怖が強くなって行きづまり、仕事は続けられなくなりました。結局、月1回だけ出社すれば、あとは自宅でできる仕事のみにしぼりました。その1回の出社でも、途中、なるべく同僚に出会わないように時間をすこしずらして家を出ます。帰りもまた、乗る電車を1台遅らせます。

とある日、出社しての帰路のことです。いつものように電車を1台遅らせたはずなのに、私がプラットホームに近づきますと、仕事仲間たちのにぎやかな話し声が聞こえます。とっさに私は、あわててそばのトイレにとびこみました。そんな自分にいや気がさし、みじめな、なさけない思いで帰るのでした。

当時は、“仕事もしたい、人とも交わりたい……しかしできない”。そういうジレンマの毎日です。そして、この症状さえなければ自分の思いどおりの人生が送れるし、発展ができる、とばかり考えていました。
そのため、なんとか赤面恐怖を治したいと、催眠療法にかよったり、大胆になる方法のたぐいの本をよんだりしていました。

あるとき本をみていますとその中に、ノイローゼには断食がよいと書いてありました。さっそく断食の本をさがしに書店に寄り、そこで“森田療法”の書物に再会しました。『森田療法入門』(水谷啓二編・白揚社)という本です。
おかげで生活の発見会(森田理論学習によるセルフヘルプ・グループ。神経質者のための全国組織)にも入会することができました。私が39歳のときです。


やっと正体がつかめた

その後、生活の発見会の集談会(月例会)などで学んでいくうちに、自分の状態は異常ではないことが、だんだんわかりました。つまり、こうです。

赤くなったら恥ずかしい、人の視線を意識する、人の思惑が気になる……など、これら対人恐怖の症状としているものは、ときにはだれもが感じつつ生活していることでしょう。それがふつうは、意識としてひっかからないで流れていくにすぎません。

ところが私は、ものごとに執着しやすく、完全欲のつよい性格に生まれついています。そのうえ人間性の事実について無知であったことから、不快な気分をはらいのけようとして精神交互作用(注意と病覚の悪循環)におちこみ、心のとらわれを発展、固着させてしまったのでした。このような神経症のメカニズムを、ようやくはっきりと知ることができました。

あるがままの生き方

しかし、そう頭でわかっても、症状は長いあいだの心のクセです。条件反射のごとく出ます。対人恐怖の苦しさは依然として変わりませんでした。

この状態の中で私を支え救ってくれたのが、森田療法の“あるがまま”の生き方でした。その、あるがままとは、症状を治す努力をするのではなく、努力方向を180度転換して、症状はそのまま、毎日の自分のすべきことをしなさい−という教えです。

私自身のすべきことは、まず主婦としての役割をはたすことです。家事をていねいに、家族が快く生活できるようにすることでした。
ですから、にがてな買物もメモをみながら、とにかくとりそろえる。PTAや自治会にも出席する。仕事でも、まず集合時間に遅れないように行く。そういう最低限のことから始めていきました。

また森田療法では、気分はどうあれその時の目的をはたすようにするのです。このように、あるがままの目的本位の行動をすること、しかも、必要な行動をつみかさねていくのです。
この、目的をはたす生活をコツコツとつみかさねていくことによって私は、ひとつの心の転回がありました。

心の転回とはいってもそれは、あたかも、氷を火であたためていくと溶けていくのと似ています。つまり、氷がとけるあいだ温度は○度ですが、氷がとけてしまうと初めて1度2度と温度は徐々に上がっていきます。
ちょうどこれと同じように、はじめは苦しいばかりでしたが、行動をつづけるうちに“やれた、うれしい……”という 実感がわいてくるようになりました。また、私の前面にたちふさがっていた症状も、それをもちながら必要なことは何と かやれる、という状態になってきました。
ただしこの間、何度となく落ちこみました。
しかし、落ちこみをとおして私が教えられたことは、“今は症状があるという現状を認めなさい。そのままの自分でしか生きられないのだ”ということでした。

さらに、このあるがままの生き方は、心のとらわれをのりこえさせるだけのものではありません。それは、自分自身の 発見にもつながります。たとえば、“自分のいやな面、いやな性格など、そのままで生きるしかない。自分らしく生きれ ばよい……”という人生の事実を学ばせていただきました。
もちろん私にとって、このあるがままの生き方は今後とも必要であり、一生の課題です。

仲間とともに解決へ

さきに述べましたように私は、生活の発見会の神経質者どうしの助けあい運動(森田理論の集団学習運動)に参加させていただいています。参加して早や13年になります。この活動は私に、人間関係や社会性の基本を身につけさせる実践の機会でもありました。

ふり返ってみますと、対人恐怖の私は自己中心的な生き方をしてきました。かつては、“自分、自分”と自分のことばかりにかまけて人生を送っていました。人の役にたったり、人を喜ばすことを知りませんでした。いつも“人から自分がどう見られているか”ということばかりに注意が向けられていたのです。
したがって、集談会の世話役活動にかかわることによつて私は、社会のしくみを知り、少しずつ社会性などを養うことができました。

今日、私は、以前にくらべてしだいに森田的生き方ができるようになってきています。けれども、向上発展したい人間 ですので、これからも森田理論をさらに学んでいきたいと思っています。

以上のように述べますと、私ひとりの力で立ちなおってきたように聞えるかもしれません。が、神経症をひとりでのり こえるのは容易ではありません。私はその苦しみを、先生がたはじめ多くの先輩仲間に、支えられつつ歩んできました。 また、悩みのさなかにあっても真剣に学んでいる後輩に啓発されながら、現在に至りました。

死ねたらどんなにいいか……と考えた時期もあったのに、“生を与えられてよかった。与えられた生を全うしたい”と 思うようになりました。と同時に、いっしよに発見会活動をするなかで、いきいきと立ちなおってこられる仲間のかたが たと、共に喜びあえる日々を送っています。


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