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【体験談】神経症性の頭痛・不眠に悩んで

転宅と息子の受験の中で

息子が中学3年のときでした。私たち一家は主人の転勤で、東京から名古屋に引っ越しました。東京では高校の入試科目が3科目だったのが、名古屋では5科目で、息子はオロオロしていました。それを見ていて親の私は、どうすることもできない……。

しかも、社宅と職場が近かったものですから、主人は部下をしょっちゅう家に連れてきます。「入試をひかえたこの1年は、静かに過ごさせてほしい」というのですが、主人も仕事関係でそうしているので、ムリにやめてもらうこともできません。夜中の12時、1時ごろまで階下ではガヤガヤしているし、2階では息子が勉強しています。その間にはいって、とても気をつかったことが、私にはすごいストレスとなりました。

また、2軒家の社宅で、となりが上司の方だったので、おつきあいの仕方で神経質な私は、いつも迷っていました。そういう状況のなかで私の神経は、糸をピンと引っ張ったときのように、張りつめていたと思います。
そして息子の受験が終わったとたん、心が、むなしさに襲われるようになったのです。胸のなかにぽっかり穴があいたような、なんともいえない不安感が執拗につきまとってきます。もう何もしたくないのです。

ところが私はもともと、コマネズミのように動きたい性格です。掃除、洗濯、炊事はもとより、自分の思うように家の中がおさまっていないと不満な性分です。“こんなことでは大変だ。なんとか不安をはらいのけて、安心できるようになりたい”と焦りました。

そんな状態のとき、友だちのご主人がニューヨークで急死されたとか、まわりのいろいろな情報が入ってきます。それもふつうに受けとめられなくて、“自分もそうなるのではないか……”と、何もかも自分にすぐ当てはめてしまうのでした。

耐えがたい頭痛と不眠

からだの調子も除々にわるくなってきました。
十何年ぶりかで、ほとんど忘れていた痔がでました。このさい手術をしたほうがよいということで、思いきって手術したのです。2週間後に病院を退院してからも、すっかり回復するのにはそれなりの日数がかかるのだ、とは考えず、“1日も早くもとの状態にもどりたい。こんな私じゃなかったはずだ……”など、自分で自分を ムチ打ちながら動いていました。

いちばんひどかったのは、頭痛でした。それもふつうのものではなく、まるでお釜でもかぶったように、何かが頭にピッタリはりついた頭痛です。お医者さんに症状を訴えて、いろいろ聞くのですが、どうもたいしたことがないようにいわれます。それが私には不服で、しだいにお医者さんが信じられなくなりました。

そのうちに、だんだん夜も眠れなくなってきました。毎日、午後になってくると夜のことが気になり、夕方をむかえるのが苦痛です。「また今夜も寝床にはいるのか。みんなが静かに寝息をたてているとき、私は脂汗をかいて……」と思うと、それだけでもゾッとしました。

そんなときです。朝日新聞の健康欄に「生活の発見会」の紹介記事がのりました。この記事を読んで私は、「求めていたのは、これだ。まさしく私はノイローゼだったのだ。ほんとうの病気ではなかった」と思いあたり、ひじょうに喜びました。何日かのち、さっそく生活の発見会に入会して、ぼちぼち森田理論の勉強をはじめていました。


そのままで進む

それから1か月ほどあとに、また転勤がありました。しかも主人は先に単身で行きました。残された私は、転勤につきまとういろいろな雑事、運送屋の手配まで、否応なく自分でやらなければならなかったのです。これは大きなショックでした。しかし逃げようにも逃げられません。

それまで、いつも逃げまわっていた私は、半年ほどの間に、森田理論に学びながら、大きな恐怖突入を何度もしなければなりませんでした。
たとえば、出かけて人と話をします。不眠で頭は重く、それに目をあけていられないくらいの頭痛です。しかもその症状と格闘している間は、なんとか抑えようとするわけですから、よけいひどくなります。それで、“このままでいいんだ”と考えるようにして、あまりひどいときはしかたなく相手の話をじっと聞いているのです。すると、そのうちに症状がす−っと軽くなるのです。

こうしたことを実際に、自分の体で体験した私は、「自分の頭痛は何かが頭にはりついているのではない。抑えつけて治そうとしていたこと自体がいけなかったんだな」と、ようやく気がついたのです。こうして、学習と日常実践をすすめていきました。そのおかげで私は、苦しい泥沼からしだいに這いあがることができ たと思います。

自分のことは後まわしに

転勤地は東京でしたので、私はちかくの集談会(生活の発見会が全国各地で開催している月例会)にも出席しはじめました。最初のうちは、対人恐怖など私と症状のちがう人の話を聞いても、「へえ、そんなことで悩むのかしら」と思ったり、自己本位の状態でした。しかしやがて、いつも「自分、自分」とそれに執着していた私自身の姿がわかってきて、“ほんとうに自己中心だった。まちがっていた”と思い知らされるようになったのです。

そこで私は、「何か手伝わせてください」と申し出て、女性集談会の世話をするようになりました。この経験をつうじて、また大事なことを学びました。たとえば集談会に出席するのは、自分が治りたいからです。よくなりたいから、せっせと通うのです。

でも、治そうということよりも−集談会をどう運営するか、そこでの自分の役割をどう果たしていくか、来月はどのようにやっていくか、再来月いや一年分のことも考えよう……。そういうようにやっていると、「自分のことは明日考えよう」という心境になってきます。その明日が、あさってになり、しあさってになりしているうちに、だんだん忘れていく。これが、症状の消えていく一つのステップとなりました。
いま私は、主婦として、華道の教師として、また生活の発見会の活動にと、毎日を忙しく暮しています。

〈筆者=生活の発見会・顧問)


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