4月8日、東京において「自分に克つ生き方」(ごま書房)出版記念講演会を、当財団の主僅で開催しました。当日は、「純な心」と題して近藤章久先生にご講演をいただきましたが、講演のあとにおこなわれた近藤先生と参会者との質疑応答のなかから、その一部を掲載します。
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| 手のふるえと脱力感に悩む
質問者A(主婦)
実は昨年の暮れに家が火災で全焼してしまったのです。
それでその後に、文字を書くときに手が、ふるえたり、全身から力が抜けてしまつたような感じになって、とても悩みました。
何か良い治す方法はないかと、一番最初に買いました本が「心配症をなおす本」(青木薫久著)です。そして二冊目に「自分に克つ生き方」の本を読ませていただいたんです。
読んで学びながら、なるべく文字を書くよう努力しているんですけれど、特にこういうタイプの神経症の者は、どのようなことに注意すればいいんでしようか。
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ムリな努力をせず自然にまかせる
近藤先生
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- 今の努力というコトバが気になるんですけれど……。努力してもどうにもならないのが神経症なんです。努力しないほうがいいんですね。
- 逆説的な言い方になりますけれど、努力という言葉をもってくると、どうも神経症の人はまずいほうにいってしまうんです。
努力しないで自然にまかせたらどうでしようか。たとえば、ふるえたときは「私はこんなものなんだなぁ……」とかね。そういうふうにしておくと、とにかく、なんとかなりますから。あんまり努力して、かたくなにカチンカチンになっていると、かえつてますます心のキズを深くして、葛藤を強くしていってしまうものです。
- 心の想いとか、心の葛藤というものは、ムリになんべんもなんべんも妙な努力をしなければ、自然に溶けて消えていく性質のものなんです。だから、ほっておいたほうがいいですよ。「私は、手がふるえてしようがないわ……」というふうに、そのままにしておいたらどうでしょうか。そしてあなたの手は、本来の動く作用はあるんですから、きっと何かの理由でそうなっているんでしよう。だけど今、自分では、どういうことがその原因や理由であるのかは、わからない。わからないときは、いくら頭を使って詮索してもどうにもなりません。だから捨てておくのがいいんです。
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近年、私も年をとりまして、硬筆−ボールペンとか万年筆で文字を書くのがとても辛いんですよ。しようがないから、このころは毛筆で書くんです。毛筆で書くと手やヒザがちょつと、ふるえると、筆先がコロンと思わぬ方向へいってしまう。それを気にしていたらなにもできないですよ。「しかたがないな、見るからによくない字だな……」と思うけれども、その現実の実情を受けいれる。つまり、きたないな、という見方もあるけれども、やはりそこに自分の自然がでているという見方もできる。この自分の自然がでているところに、自分が書いた意味もあるんじゃないですか。そういう意味で、私はもう自分の判断で、ああだこうだと考えることはしません。
- だから、不都合は全部お預けしちゃって、「必要だから書く」というふうにしていただきたいものですね。
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| 自分のほんとうの気持ちとは?
質問者B〈会社員〉
先生のお話のなかで、自分の気持ちに沿って生きればいいということを言われました。その場合、自分の本当の気持ちというものを、どうやって見極めたらいいのかなぁ、という思いがわいてきました。
たとえば、私はサラリーマンですが、どんどん偉くなりたいのが自分の気持ちなのか、それとも、そうじゃない人生を歩みたいのかなぁ……と。これをどのように見極めていったらいいんでしよう。ヒントがあれば教えていただきたいんですが……。
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割り切ってしまわないことが大切
近藤先生
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- 人間の心の深いところを突いた質問だと思います。いろいろ矛盾したものを抱えているのが人間の心で、しかも心というものはコロコロ転じていくんですね。ですから、どちらかにムリに割り切ろうとするときに、迷いが生じてくるんじゃないでしようか。
- たとえば、確かに誰しも偉くなりたいという気持ちもあるでしょう。しかし、いくら自分が偉くなりたいと思っても、結局それは希望でしよう。あなたを認めてくれたり引き上げてくれる人との巡り合いがないと、うまくいきませんね。それで、自分の純な気持ちを生かすためにどんなことをしているだろうか、と考えてみると、ただ早く出世したいなあという気持ちだけではダメでしよう。すなわち、自分が仕事に対してどういう態度でやっているだろうかとか、本当に仕事を楽しんでいるだろうかとか、いろんなことが考えられるんじゃないでしようか。
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- また、この仕事と言いましても私は、そこになにか「人間関係」ということが、大変大事な働きをしているのではないかと感ずるのです。ひとつの事例として非常に感銘したんですけれども、もし岡本さんが大西さんに巡り合わなかったならば、こんなふうに早くなおらなかったと思うんですね。
- 人間関係というのは、不思議なものです。普段は気が付かないけれども、平生からお互いの気持ちを語りあったり、人間としての心の交通を開いていくことが、大事なんですね。そうすると「純な心」によって、おのずからひとつの効果も出てくるのじゃないかと思うのです。
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| 「あるがまま」が私に合うかどうか
質問者C
一年ぐらいまえに、私は抑うつ症になりました。現在は、一週間に一回、外来で精神科に通っています。
なんとか治さなくてはならないと思い、カセット・テープで自律訓練法を学んで、心をリラックスさせようと努めてい ます。ついては、森田療法で言うあるがままということが、私にとつていいことなのかどうか……。その点について、アドバイスをお願いします。
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自分の実感から判断すること
近藤先生
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- あるがままが、あなたにとっていいかどうか。これは、ご自分の体験とその実際の感じで判断されたらどうですか。いま、自律訓練法を自分でおやりになっているのでしょう。したがって、それが自分に合っているかどうかは、おやりになっていくなかで決めたらどうでしょうか。
- つまり、それがいいかどうかというのは、人によって違うんですよ。私は−治るということばを使うのは危険なんですけれど治療をすすめるときに、だれもが同一のプロセスで治っていくことはない、ということをイヤというほど味わってきた者です。
- すなわち、あなたはあなた流に、それぞれの人に適した、機に応じた治り方をするものなんですよ。そこに個性というものがあるわけです。
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- だから、だれにも共通した普遍的な治り方があるというふうなものは、私はあんまり信用しないんです。−実は、ある 機縁に恵まれて「これだ」というものが生まれてくるんですよ。
- ただ、抑うつ症の場合は、自分自身について自信がなくなっちやうんです。ですから、あなたの気持ちもわかるんですが、あくまでも、やっていることが自分に役立っているかいないかを、あまり考えないでください。いろいろ利用して、やっていけばいいんです。「機に応じてやる」ということでよろしいのです。
こんどう・あきひさ
1911年生まれ。東大法学部卒業、さらに慈恵会医科大学を卒業。1951年、アメリカに留学し、ニューヨークのア メリカ精神分析研究所に入所してカレン・ホーナイに師事。1958年、精神科近藤クリニックを開設、治療に従事して
現在に至る。医学博士、八雲学園理事長・校長。著書に『ノイローゼ』(弘文堂)『人間の愛と真実』(ナツメ社)ほか 多数がある。
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