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森田正馬博士アラカルト・コーナー
このコーナーでは、森田正馬博士の生い立ちから実家、その当時の病院や直筆ノートなど、森田療法に関する資料やフォトなどを順次紹介していきます。
森田正馬博士の生家
写真は、森田正馬博士生誕の地である高知県富家村(現・野市町)にある実家の現在のようすです。 石碑には「森田正馬先生 生誕の地」の文字が刻まれています。
生家 石碑

森田正馬博士のお墓
墓石には、森田博士を偲ぶ高弟高良武久先生の追悼文が彫られています。
お墓

お墓

(追悼文)

宿痾のために幾度か危篤を傳へられた森田正馬博士は、本年四月十二日遂に長逝せられた。短命とは言ひ難いが、博士の平生を知る者には此の壽命が殆ど奇蹟の如く感ぜられたものである。博士は晩年の十年間殆ど病床に有り、その間、令息、令夫人、母堂と相次いで失はれ、甚だ苦澁の生活を續けられたが、然も研究に、指導に、治療に、寸暇を惜しんで精進せらるゝ所、殆ど超人の面影があつた。名著「神経質の本態及び治療」以下六冊の著書と数十篇の論文がその病床から生れたのである。

博士は明治七年高知懸香美郡兎田に生れ、明治三十五年東京帝國大學を卒業し、故呉秀三教授の門に入つて精神病學を専攻し、翌年九月慈恵医院専門学校教授となり、大正十四年より東京慈恵会医科大学教授として昭和十二年四月まで在職し、辞任後同学名誉教授となられた。その間、根岸病院医長として、日本精神神経学会評議員として、或は雑誌「神経質」の主幹として活躍されたのである。博士の学的業績としては、祈祷性精神病を特殊の疾病として新しく記載せる外、精神変質症の分類に、或は偏執病の病理に新機軸を出されたが、生涯の事業として心血を濺がれたのは神経質の研究であつた。博士に依つて従来の所謂神経衰弱症、強迫神経症、発作性神経症等の理論及び治療に大変革がなされ、毎年我が精神神経学会に濁特の生彩を加へられたことは周知の事である。博士の学説は、先進諸国のそれと趣きを異にせるため、容易に一般化されなかったが、九大下田光造教授の烱眼に依つて先づその真価が認められ、真摯なる学徒の追試に依つて次第に確認されつゝあるものである。神経質問題に関する限り、博士の名は金字塔として永遠に聳立すべきことは最早疑ひを容れない所であらう。博士に取つて神経質の研究は死に至るまでの関心事であつた。

本年四五日、余が京都に開催された精神神経学会に出張中、博士の病篤しと聞いて急遽帰京、病床に侍して、豫て博士と余とに課せられた宿題「神経症」の講演の模様を報告せる所、博士は瀕死の床に莞爾として微笑、左右を顧みて、「かゝる嬉しき知らせを聞き、弟子に囲まれて死ぬるは大往生なり」と言はれたが、その事は今も響くが如く余の耳底に残つてゐる。

博士は稀有なる獨創的学者であつたが、その人となりも名人肌と云はうか、毫も邊幅を飾らず、此の衒気無く、唯信する所を獨往直言、ために時として人の誤解も受けられたが、面も長く交れば、その人間的情緒感覚の豊富にして精妙なる、此の人にして初めて複雑なる神経質病理の秘密を開き得たものであるとの感を深くしたものである。博士は洵に人としても稀有の人格者であつた。博士に依つて再生した数千の神経質者は、先生を「現代の親鸞」なりと礼賛してゐる。自らを遇することは驚く程薄く、公に奉ずることは極めて敦厚、郷里の公共事業の多くが博士の寄附に依つて成り、慈大に森田奨学資金が設定されたのもその一端の現れであつた。要するに博士は学者としても人としても、大なる苦難を超へて、遂に道に至れる偉人であつたと云ふべきであらうか。先生を偲んで述べ度いことは山積してゐるが、こゝに盡し難いことを恨む。 先生今や亡く、晩春徒らに寂寞の感が深い。

昭和十三年四月十八日
高良 武久 謹誌


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