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神経症とは

治療をうけるには

神経症のいろいろ
神経症のいろいろ
  (1)心理的なショックでなる神経症
(2)よくある恐怖(神経)症 外出恐怖症と対人恐怖症
(3)発作型不安神経症と拡散型不安神経症
(4)神経症の不安と健康な人の不安
(5)死の不安・健康への不安をテーマにする神経症
(6)男の人に多い強迫神経症
(7)ふしぎな症状をだす神経症――ヒステリー型神経症
(8)同じヒステリーだが、身体に症状のでる転換神経症

 

(1)心理的なショックでなる神経症
 

 ショックから、あるいははっきりしたストレスから神経症になる場合です。二つに分けてお話するのがよいでしょう。誰にとっても破局的な大変な出来事(たとえば、大災害にあったとか、暴行をうけ死の危険を感じたとか、最愛の人を予期しない形で突然失ったときなど)でおこる反応と、それほどのことではないが、その人にとっては、はっきりしたストレス (失職、社会的な名誉をおとしめられるような出来事、親しい人間同士の争い、外国への移住、宗教的体験、性的体験など)のあとにおこる反応です。
 最初の大ストレスのあとの反応にも、その直後からおこって二、三日のうちに消えてしまうのと、しばらくしてから(といっても数か月以内に)おこる場合とがあります。急性反応のときは「不安」が中心ですが、少し時間をおいてからおこってくるときは、ショックだった出来事が、白昼夢や夢としてくりかえし心の中に出てきて、なかなか消えないという状態が中心になります。
 二番目の、外からみれば日常範囲内の出来事でも、本人にとっては深刻な体験があっておこる場合は、その人がそういうストレスに出会った後、何とか立ちなおろう、適応しようと努力している段階で生じてくるので、「適応反応」といいます。このときは「ゆううつ」と「不安」が中心で、ときに「怒り」が加わります。また、重い場合には一時、「行動上の乱れ」がおこることもあります)たとえば、児童なら夜尿や指しゃぶりといった退行行動が出やすいことが知られています。それと同じように青年期の神経症では、本来はおとなしい人が攻撃的反社会的な行動に一時的に走ることもあります。しかし、いずれの場合も適応反応は、まれな例外を除いて、だいたい6か月以上つづくことはないとされています。6か月をこえて何年もつづくとなると、それは適応反応ではなく、もっと重い障害の可能性があります。たとえば、失恋のあと、ゆううつになって二年も三年も家にひきこもったままだという人は、失恋がきっかけになったとしても、ここでいう適応反応ではありません。
 一般的にいって、人間の心は意外に強いもので、6か月ばかりの間いろいろと悩みながらも、愛する人を失った心の傷をいやし、その人のいないところで自分の新しい世界をつくりあげていくものです。

(2)よくある恐怖(神経)症 外出恐怖症と対人恐怖症
 

 つぎに述べるのは、いちばんありふれた型の神経症です。ある場面や場所や人や物が怖い、しかしそれさえ避けていればそれほど不安は感じなくてすむ。よくあるのは外出恐怖症、対人恐怖症その他、蛇だとか雷だとか飛行機だとか血をみるのが怖いといった特異な対象に限っての恐怖症です。
「外出恐怖症」というのは群衆の中へ入ること、人の集まる街の広場(プラザ)へいくこと、−人旅、外国への旅などをしようと思うだけで、途方もない不安にかられ、逃げてしまう場合です。この不安には必ず身体の症状がともないます。動悸、頻脈、発汗、ふるえ、口渇、めまい、窒息感などなど。こういう人たちは自分の不安が(合理理的でないことをよく知っています。だから、なんとかしようとするのですが、それがなかなかできないのです。
「対人恐怖症」は、少人数の、顔見知りの人間関係の中に入っていくのに、さらにいえば彼らの面前で行動するのに、たいへん不安をおぼえる場合です。たいてい自分の赤面、顔のこわばり、声や手のふるえ、目のやり場などが気になり、それが相手に嫌な感じを与え、軽べつされないかと案じます。外出恐怖症の人とちがって、見知らぬ人の中へ入っていくことには不要を感じません。苦手な対人的場面さえはずして生活しておれば、不安をいだかずにすみます。
しかし外出恐怖症といい対人恐怖症といい、ともに人間の社会生活にとって重要な社交がそのために制限されてしまいます。
とくに青年期という、人間関係を豊かにしていくための基礎の時代におきた場合、放っておくのはよくありません。  
蛇恐怖や尖端恐怖や飛行機恐怖については、説明の要はないと思います。誰にも多少ともある恐怖が少し度を増しただけですから。それさえ避けておれば、まったく支障なく社会生活をおくれます。

(3)発作型不安神経症と拡散型不安神経症
 

 発作型不安神経症はパニック不安神経症ともいいます。その名前からおわかりのように、激しい不安が理由もなく突発し、死の恐怖に圧倒されて、なすすべを失ってしまうタイプで、神経症の中では−番劇的なタイプです。
神経症の人の悩みは第三者にわからないことが多いと先に書きましたが、この場合は外からもよくわかります。本人は、いってみれば、なりふりかまわず救急車を呼んで病院へかけつけずにはいられないからです。頻脈、ふるえ、口渇、胸苦しさ、呼吸因難、めまいなどをともないます。まもなくおさまりますが、発作は軽い場合でも週に一回の割合で、重い場合は週のうちに三、四回、くりかえされます。前項の恐怖(神経)症とちがうのは、特定の場面や物と関係しておこるのでないこと、不安の程度が激しいことです。
 この発作をおこす人は、発作をおこすまで平均以上に元気な人であることが少なくありません。むしろ少々の病気をものともせず頑張ってしまうクセのある人といってもよいかもしれません。
 パニック症がなおったあと、しばしば「また発作がやってこないか」という心配にとりつかれます。そのため自宅の周囲か、すぐ医師の門をたたける範囲内しか行動できない人がいます。先に述べた「外出恐怖症」になってしまうのです。  パニック不安神経症とは正反対に、それほど強くない不安が広く浅くあるタイプがもう一つあります。このタイプも症状は、特定の場面と結びついていません。また、きっかけがあることも、ないこともあります。不安は軽いが表現は多彩で、動悸、ほてり、ふるえ、口渇、胸痛、窒息感、めまい、喉頭のつかえなど、たくさんの身体の症状に加え、緊張感、いらいらなど、心の症状まであります。こういう状態が少なくと六か月以上つづきます。このタイプがパニック型に移行することはほとんどないといわれています。そのかわり、長く不安がつづくと心のエネルギーの備蓄がだんだんなくなってきて慢性的に「ゆううつ」や「おっくう」になってしまうことは、よくあります。

(4)神経症の不安と健康な人の不安
 

 ここでちょっと、神経症の人の不安を健康な人の不要と対比しておきましょう。第二図がそれです。  はっきりした理由がわかっていれば人間は相当の不安や恐怖にも耐える力をもっています。しかし、何だかわからないことがらに耐えることは容易なことではありません。外出恐怖症にしても対人恐怖症にしても、なぜある場面をそれほど恐れなければならないのかが、自分にはっきりわからないので、不安は二倍にも三倍にも増強されます。健康範囲内の不安は、試験を前にしての不安とか、叱責されるのがわかっていて上司に呼ばれる時などのように、理由や対象がはっきりしています。

第二図 神経症の不安と健常範囲内の不安の比較
神経症の不安 健常範囲内の不安

・合理的な理由(対象)なしにおこる
・十分に表現しにくい
・我慢しにくい
・あとに長く尾を引く
・またやってこないかと不安がつづく

・はっきりした理由  (対象)がある
・はっきり表現できる
・我慢できる
・長くつづかない
・いったん去れば気にならない

(5)死の不安・健康への不安をテーマにする神経症
 

 これは神経症の不安のなかでも健常人の不安にいちばん近いものです。「不安」が身体に集中した場合を考えてください。健康な人の中にも健康への不安、生命への不安を感じやすい人がたくさんおられましょうから、どなたにとっても身につまされることのいちばん大きい神経症です。 第一章5で例としてあげたサラリーマンの方の神経症もこれでした。三つタイプがあります。

第一は、消化器や循環器や生殖器や皮膚などに何年もつづく症状があります(たとえば、腹痛、吐気、呼吸のしにくさ、頻尿、皮膚のシミなどなど)。それを医師が検査の末、特別のものでないといってくれたとしても、それによる安心はほんのわずかの時間しかつづかず、すぐまた次の処置を求めはじめます。簡単におさまらず、二年三年とつづきます。ただし、次のタイプのようにそれが生命にかかわるほどのことがらとまでは思いません。
第二のタイプになると、こうした症状が生命にかかわる重大な病気の徴候だとみて、いくら否定されても医師から医師へと確認を求めて行脚します。これを心気(神経)症といいます。自分でもこだわりすぎだと思っています。しかし、批判力がなくなり、ほんとうに自分は病気だと思い込んでしまう人もいます。
第三は自律神経失調症といってもよいタイプです。心臓や胃腸の働きだとか発汗など、自分の意志ではどうにもできない身体の自律的な動きをコントロールする神経を自律神経といいます。この神経が不調におちいると頻脈、発汗、口渇、胃の不快感などがおこります。しかし、ほんとうの心気(神経)症の人のように、これらの症状の裏に重大な病気を相定して案じたりはしません。したがって神経症というより一種の体質とみてもよいのです。ただこういう身体の不調があると、どうしてもそこへ注意が集中しやすく、そうなると症状がますます強く意識され、その結果、第一第二の夕イプヘと移行する可能性も否定できません。
 もう一つ、やや特殊ですが、痛みだけを訴える人がいます。いろいろ調べてもらってもそれに見合う身体の障害はないのに、何か月も何年もほとんど変わらずに痛みだけがつづくのです。相当に強い痛みで、そのために社会生活から脱落しがちです。

(6)男の人に多い強迫神経症
 

 強迫、つまり忘れ去ろうとしても、ある考えが強く迫ってきて心の中に浮かび、邪魔になってしかたがないという神経症です。同じ発音ですが、他人から脅迫され悩むのではありません。考えまいとするとかえって嫌な考えが増強する。つまり、そのことだけが自分の心のコントロールにしたがわない。邪魔になる考えの内容は、たいてい、不潔なこと、死や腐敗に関係すること、性的なこと、考えてはいけないとされる不道徳なこと、昔の不快な体験の断片といったところです。一日のうちに何度も浮かび、それが何か月も何年もつづきます。  そのうち、この考えを消し去ろうとしていろんな策略を発明します。たとえば、嫌な考えを消すために正反対のイメージや考えを頭に浮かべる。それでもうまくいかないと、一定の行動で考えを消そうとします。たとえば、不潔な考えを手を洗うことで消そうとします。  思考の内容を行動で消そうとするのは、原理的には不合理なことで、そのことを本人はよく承知していますが、そうすれば多少ラクになるのでくりかえします。強迫行動といいます。これがくりかえされるようになると、日常生活や、社会生活が次第に困難になってくるので困ります。  強迫行動(たとえば洗滌行動)を第三者が力づくでむりやりやめさせようとすると、本人に強い不安がおこってきます。このことから強迫症状は不安を防衛する一つの形式であることがわかります。  強迫神経症は、昔からよく研究されている神経症で、男性に多いといわれていますが、女性にもあります。ストレスよりも、性格が大きな役割を演じています。

(7)ふしぎな症状をだす神経症――ヒステリー型神経症
 

 強迫神経症と同じように、もう百年も前から知られている代表的ノイローゼです。強迫神経症がどちらかというと男性に多いのに対し、ヒステリーは女性に多いといわれます。とくに若い女性に多いようです。しかし男性にもあります。  症状はドラマチックといいましょうか、健常範囲ではほとんどみられない性質のものです。たとえば、その個人にとって相当に深刻で苦痛なストレスの前後に、それに関係した、ある期間のことを本人が忘れてしまったり(解離性健亡)、ときには生まれてからのことをすっかり忘れてしまったりします(全生活史健忘)。もし、あなたに自分の来歴を忘れてしまうようなことがおこったとしたら、多分あなたは大変不安になって、家人や周囲の人びとにさっそくいろいろと質問し、自分の忘れたところを埋め合わせようとされるでしょう)しかし、この人たちはケロリとしていて、一向に不安がりません。周りの人にたずねようとはまったくしないのです。
 また、ある人は突然行方不明になり、遠い地方の駅で保護されたりすることもあります。その旅行にはおよそ理由はありません。勤務先には無断欠勤をしてしまいます。しかし、旅行中の日常茶飯の行動やあいさつは、ふつうにやれます。右に述べた生活史健忘がいっしょにあると、「いったい私は誰なんでしょう」と問いかけて、相手をびっくりさせたりします。
 もう一段劇的になると、二重人格になります。ジキルとハイドみたいなものです。しつかりしたいつもの彼女と、平素のその人らしからぬ、少し退行的幼児的衝動的な彼女が交代して出現し、典型的には一方の被女が他の彼女を知らないという不思議なことがおこります。前者を主人格、後者を副人格といいます。もっとも、この現象はきわめてまれにしかおこらず、またおこっても時間的に短いことが多いものです。
 二重人格に近いもので、背後霊が憑くといった現象もあります。二重人格の際の副人格が内側ではなく外側にいると考えてくださればよいのです。これは純粋の二重人格よりは割合よくあることで、持続ももう少し長いものです。

(8)同じヒステリーだが、身体に症状のでる転換神経症
 

 たとえば両足がまったく動かなくなってしまいます。いろいろ調べても医学的には神経に故障がないのです。そして先に述べたのと同じように、本人は(たとえば若い十六、七歳の娘さんが)足の立たないことに対してそんなに不安がりません。お母さんがオロオロしているのに本人は、平気とはいいませんが、それほど心配しないのです。その他、痙攣発作もおこります。これも検査上てんかんの痙攣発作から簡学に区別できます。また、皮膚の痛覚や触覚、視野、聴覚の一部または全部がなくなります。そのなくなり方も身体の病気の際のなくなり方とちがいます。
 ヒステリーという神経症は、百年ばかり前、ヨーロツパで熱心に研究されましたが、現代の文明国ではそれほど多いノイローゼではありません。どちらかというと若い女性、地方から都会に出てきた素朴な人びと、たいへん窮地にたたされた人びとなどのものです。個人的に耐えがたい心理的ショックと、それに加えて矛盾をはらんだ性格傾向との共同産物と考えられます。つまり一方で誇り高く、清濁あわせ呑むことに抵抗がありながら、他方で人の評価にひどく敏感で、簡単に暗示にかかるといった性格です。
 それはともかく、人間は窮地にたつと、自分というもともと一つの存在を二つに分けて、二人の自分をつくったり、心と身体を別々にしたりして、難をさける生き物のようです。そうなると、神経症の症状の中心をなすはずの「不安」という症状は消えてしまいます。フロイトという人は、その際不安は無意識の中へ追い込まれたとみました。


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