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心の体験フォーラム・症状別アドバイス集

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うつ病と森田療法'98.11

ここには多くの悩みが述べられています。症状の種類よりもその成り立ちが大切です。うつ状態で悩む方、過去にどうしてもこだわってしまう方、咽頭神経症(のどの詰まった感じで神経症の症状として比較的多いものです)で悩む方などなどです。今回はうつ病と森田療法について述べます。うつ状態あるいはうつ病に森田療法が効果があるのかどうか、よく聞かれます。うつ病には神経症性うつ病と内因性と呼ばれる体質的な要因が強いうつ病の2種類があります。神経症性うつ病には森田療法が効果があります。では内因性うつ病には森田療法は役に立たないでしょうか。内因性うつ病は、その時期によって、急性期、回復期、慢性期、中間期(うつ病がすっかりよくなった時期)に分けられます。回復期や慢性期あるいは自分のあり方を考え、再発を予防しなくてはならない中間期には森田療法的接近が意味を持ちます。神経症性であれ、内因性うつ病であれ薬物療法が必要な場合が多いですから、専門家と相談しながら治療を進めて行く必要があります。
うつ状態の人には..'98.12

もしあなたの大切な友達がうつ状態になってしまったら...自分の悩みとは違うのでどのような助言をしたらよいのか、戸惑うことと思います。そんなときには、“自分にはわからない”と白旗を挙げてしまいなさいということです。友達に「苦しんでいるのはわかるけど、どのようにしてあげてよいのかわからない」と率直に告げることです。そして、友達もどのようにしてよいのかわからないはずですから、専門家への助言を求めるように薦めたらよいのです。わからないことはわからない、自分の出来ることもあまりない、でも君のことはとても心配しているという友人は得難いものだと私は考えています。
読書のすすめ'99.1

なにか悩んでいるときには、よかれとおもって行うことが、しばしば自分の悩みを強めてしまいます。そのようなことを避けるために専門家のアドバイスとともに大切なことは、自分で自分の悩みの性質を知りそれを克服する努力をすることです。そのために一つの手段として本を読むことがあります。読書療法という名前がつくくらい、一般的なものです。森田先生の本を読んだだけで、大正昭和の多くの若者が救われたといいます。その延長としてこの心の体験フォ−ラムや生活の発見会活動があります。
家族の悩み・劣等感の悩み'99.2

家族のことを心配し、悩む気持ちはよく分かります。まず自分自身の生活をしっかりとして、後は家族の方が全員協力し出来ることをしながら、時を待つことだと思います。それと信頼できる専門家の先生を一人相談役に決めて、その人に折りに触れて助言してもらうことも大切でしょう。劣等感の悩み。劣等感は欲望の裏返しです。負けず嫌いなところがあるかもしれません。まず人との比較でなく、自分の好きなこと、楽しいこと、自分の感じ方などを生活の中で見つけていくことが良いと思います。
過食症'99.3

過食症の人は一般に完全欲が強く、かくありたいという欲求に自分自身が縛られていることが多いようです。とても生きることにまじめで、それゆえ気分転換がへたなのです。つまり森田神経質なのです。従って森田療法は過食症にも役に立つでしょう。そのような自分の生き方のパタ−ンを知り、それを自分なりに修正するように心がけることから、なにか新しいことが始まると思います。ここでの皆さんとの対話は意味のあるものとなるでしょう。
東洋の”生きる知恵”1'99.4

4月になると春めいて、新しい生活が始まる予感がします。 私は冬が苦手ですので、春と共に今年一年の新しい生活を思い浮かべます。私事ですが今年の一月から森田療法の本を書いています。今まで書いたものの発展版で、森田療法とは何か、東洋の文化、哲学、宗教などの知恵と森田療法がどのような関係があるのか、そして西欧で発展した精神療法と類似する点と異なる点などを念頭に書いています。

主たるテ−マは、我執、最近のはやりの心理学的用語でいえば、ナルシシズム(自己愛)と森田療法です。結局われわれが生きているということは、生病老死の苦を背負って生きることです。森田流にいえば、生きるという欲望が恐怖、つまり苦を生むわけです。したがって苦の否定は生の否定につながります。よりよく生きたい、それゆえ苦悩を伴う人生を歩まざるを得ない、それが神経質です。その苦悩を自分の生として引き受けた時、私たちのあるがままの生き方、自分としての生き方、自分を生かす生き方が始まります。これは森田療法のオリジナルではありません。釈迦に始まる仏教、それはすでに2500年前という途方のない年月が経ているわけだが、ではすでに生病老死の苦がどのように滅却されるのかが真剣に論議されました。そして東洋におけるわれわれの恐怖、苦に対する回答の一つが森田療法であると私は考えています。

なぜこのようなことを総評で書いたかというと、その他のグル−プでの「森田療法について最近考えること」のやり取りに刺激を受けたからです。

なぜ釈迦のことを持ち出したか、東洋の伝統的考えを持ち出したか、これは京都の三省病院で森田正馬先生が退院のまじかの患者の不安に対して釈迦を例に挙げて説明しました。それに習ったわけです。しかしそれだけではありません。われわれは森田とどのように付き合っていくかという問題への森田療法の回答には東洋の生きる上での知恵がふんだんにあるからです。それを見つけていくのがむしろわれわれの課題であると私は考えています。

それについてはフォーラムを参照してください。貴重なヒントが得られると思います。 私の回答は単純です。それはその他のグル−プの私のコメントを見てください。

東洋の”生きる知恵”2

ここを読まれる方はまず総評をお読みください。このコメントは総評の続きです。直裁にいえば、おのおのの自分なりの森田がある。その人の生い立ち、年齢、性、そして今おかれている状況、つまりわれわれの人生にあった森田の理解の仕方があると思います。それがもっとも大切なことです。そしてその時その時に直面する困難に見合った森田の理解があり、新しい発見があると思います。人が真剣に生きようとするならば、かならず壁にぶつかり、その時に森田の知恵が生きてきます。森田は、偉大だが森田の知恵は総評で述べたように、森田個人のものではないと考えています。それは東洋の長い歴史の中で培われてきたわれわれの悩みの解決法の具体的な提示であり、われわれの共有する財産なのです。したがってあまり森田と意識せず、東洋の知恵だと思って、森田を自分なりに理解するということも必要だと思います。自分なりの森田の再発見こそ、われわれの人生において重要な課題でしょう。
悩みを抱え、成長する'99.5

森田療法のビデオ「生きる」を見ての感想が寄せられています。藤田先生は私の尊敬する先輩です。また、この制作の仕掛け人の丸山晋先生は、4月の行われた国際日本森田療法学会の組織委員として2年ほど一緒に仕事をしてきた身近な親しい先輩です。このビデオは今までの森田療法のビデオと異なり、スト−リ−性があり、わかりやすいものだと私も感心しました。機会があったらぜひ見てください。
フォーラムでは興味深い指摘がされています。私たちは、悩みを解決するために、あれこれやりくりするのではなく、その悩みを丸抱えできれば、その悩みは実は解決しているのです。私はそれを心の器を大きくする、成長するといいます。
神経質の「個性」'99.6

人が悩むと、平均な普通の人になりたいと渇望します。しかしそんな人はいるのでしょうか。神経質者は強烈な個性の持ち主であると思います。ただ本人だけが、自分は弱い人間だ、繊細で傷つきやすい、だめな人間だ、と思い込んでいます。しかしその背後に誇り高い自分、頑固で、自分のやりたいことしかしない自分、つまり我の強い自分があります。ですからその人生は波瀾万丈なのです。
そしてこの我が単に自己中心的でなく、その人のものの感じ方、取り組み方、生き方として洗練されて表現されたとき個性的な生き方、創造的な人生が歩めると思います。森田先生の生き方がそのことを物語っています。
百人百様の悩み'99.7

現在休職中であと5ヶ月もすると会社を解雇されるのでは、という不安に悩んでいる方がいます。このような時には今までの治療を続けていきながら、自分でできることは何かと問うことも大切です。自分を知り、多分自分の完全主義的な生き方を知り、その限界を知ることから今までと違った見方ができるようになるかもしれません。そのために森田療法の勉強は役に立つと思います。
ご近所との関係で悩んでいる方がいます。あまりにもご近所との関係に敏感になりすぎているのかもしれません。そこにとらわれるとますますご近所の方の動向に敏感となり、不安はますますつのります。まずは自分の生活の質を上げ、楽しみを見つけるように発想を転換できると楽になるかもしれません。
劣等感と向き合う'99.8

はっきりとした症状はないけれども、「どうしたらいいかわからない」、「病気であるか」と、強い劣等感で悩むということは、いわばいったい自分は何者で、どのように生きていったらよいのか、という自分の不確かな存在をめぐっての悩みのようにも理解できます。それゆえに人と比べて劣っているに違いないと鋭く悩むのでしょう。
この問題は簡単に答えは出ません。一歩一歩、「こうあるべきだ」という自分で自分を縛っている部分をゆるめ、自然な自分の生き方を見つけていくことが必要なのかも知れません。そして自分としての体験をつみ、自分を成長させていくことが大切だと思います。
日記について'99.9

正しい日記の書き方はなかなか難しいものです。確かに書き方によっては、悪いことだけしか書けずに返って苦しむことになってしまいます。助言者がいてコメントをもらう場合はまた別ですが。
なぜ日記を書くのか。自分を内省し、理解し、新たな自分を発見し、修正していく有力な手段だからです。書きやすい、そして続けやすいスタイルを見つけること、日記を書く目的をはっきりさせることが重要だと思います。そして自分の持つ2面性、例えば欲望と恐怖、感情と行動などをはっきり自覚しながら書くことを薦めます。
うつ病と森田療法(その2)'99.10

「うつ」には2種類あります。内因性うつ病と神経症性うつ病で、前者の治療は薬物療法と休息が中心になります。神経症性うつ病は、現代的森田神経質と考えられる場合が多く、森田療法の適応となります。前者の内因性うつ病の場合も、急性期の場合は別ですが、回復期あるいは慢性化してしまった場合には森田療法が有効です。また私は、うつ病の予防にも森田療法は役に立つと考えています。 一般には薬物療法と併用しながら、自分のうつとの付き合い方や自分としての生き方を考えていくことが、どのようなうつ病の治療と予防にも欠かせません。
「哀しみ」の感情'99.11

「哀しみ」はとても人間的な感情で私たちが最も大切にしなくてならないものです。それがあまり強くなるならば次の点を考えてみてください。そこでは悪循環が働いていないでしょうか。自分は駄目な人間である、全てがうまく行かないなどというマイナス思考から気分の落ち込み、それがまたマイナス思考を強めるという悪循環です。これが現代人の悩みの代表的なものです。それが強迫神経症のグル−プのところで述べた完全主義者の挫折のパタ−ンです。些細な自分の欠点、失敗を自分の全てと決め付け、落ち込んでいくのです。このようなことがないか、自己点検をしてみてください。
抑うつ神経症の悩み'99.12

抑うつ状態のすべてに森田療法が有効であるとは言えません。しかし抑うつ神経症の人の多くは森田神経質と考えてよいと私は考えています。そのような人達は、完全主義者で、その行き詰まりからうつ状態となると理解されます。治療を受けているならば、薬物療法は軽快するまでは継続しながら、森田療法の勉強をするとよいと思います。何かうつ状態から脱するヒントが得られるかもしれません。
何事も60点で'00.1

うつ、無気力、気分の落ち込み、気分の変動の悩みがこのコ−ナ−には寄せられています。うつを考える場合、まず私は完全主義者の挫折ということを考えます。すべてを完全にと思うと行き詰まります。そして完全に出来ない自分がイヤになり、落ち込んでしまいます。そこでは「かくあるべし」が自分を縛っています。
また何でも完全にやろうとすると、白か黒か、オ−ル・オア・ナッシングのパタ−ンに陥りがちです。どうせうまくできないなら、何もしない方がよいという考え方になっていないかどうか、チェックが必要です。何ごとも60点で、出来る範囲からぼちぼちという発想の転換が出来ると、だいぶ楽になるものです。そうなると「うつ」も変化する、流れていく経験につながっていきます。
うつ病'00.2

どうやらうつ病らしいということでその対処に苦慮していることはよくあります。また微妙な問題です。
不眠もあり、体調が悪い場合は、まず内科、できれば心療内科の受診を勧めます。
神経症'00.3

重要なことは、自然な現象を自分の適応に好ましくないと思い、それを取り除こうとすることそのものが神経症を作ります。つまり自分で自分の症状を作り出さないことが大切となります。
医者に遠慮なく自分の疑問をぶっつけて聞いてみることがうまい医者の使い方です。これは治療を受けている方にはぜひともおすすめいたします。
自分の悩みを知る'00.4

病的だと思える強い不安を感じながら、日々消耗していくという悩みを訴えてられている方がおられます。このような時こそこのフォ−ラムが役に立つと思います。いろいろな人の悩みやそのレスポンスを読むことから、自分の悩みが次第にはっきりしてくると思います。そこで自分の悩みをもっと具体的にここで発言してみたらよいと思います。私たちは自分の悩みを解決しようとするときに、自分の悩みがどのようなものなのか、を知る必要があります。自分の悩みを的確に表現できることはすでに悩みの解決の入り口に入っていると私は考えています。
問題意識'00.5

人格障害に森田療法は効くのか。難しい問題です。私は次のように考えます。森田療法は我に執着し、自己中心的な欲望ゆえに悩む人たちの解決法です。世界と自分を思うように支配したいがゆえに私たちは苦しむのです。その欲望の限界に気づき、その修正を試みたいと考え、それを自らの課題と出来る人は森田療法の適応となり、効果を上げることが出来ます。簡単に言えば、自分の問題を人のせいにしないで、自分の生き方と関連して理解 し、その解決を求める人たちに森田療法は最も有効です。このような人は、一般には 人を巻きこまず、人を非難するよりも内省的となり、それゆえ生きていくのが苦しくなる人たちです。ここでは診断はあまり問題となりません。その人の問題意識が重要なのです。
不安と向き合う'00.6

不安にとらわれると、それしか考えられません。不安の存在が心の全てを占め、こ れさえなければ自分の人生は楽になるのに、バラ色になるのにと考えます。それがま た自分の不安を強め、生きることもつらくなります。不安から逃げようと思えば思う ほど、不安は強まります。その背後に余りに完全に、自分の思うままにいきようとす る完全主義が存在します。
不安と向き合い、不安を受け止め、不安に踏み込むことが今までと違う不安の態度を作ります。それがまた前向きの自分の人生を生きようとする気持ちになります。森田療法はこのような不安への対処の知恵をふんだんに含んだ治療法であり、生き方の指針です。
「変化を引き起こす」'00.7

「小さい時から自分に自信がなくて、死にたいような気分になることが多い」と悩んでいる方が、精神科に行きたくとも、薬づけにされるのも怖いし、と悩まれています。精神科は怖いところではありません。そして「生きることの行き詰まり」を相談できるところも増えてきました。死にたいという悩みは、強く、完全に生きたいという気持ちの行き詰まりです。あるいは裏返しです。私たちが悩み出すと、悩みが悩みを生み、次第に身動きが取れなくなってきます。そのような時に必要なことは「変化を引き起こす」ことです。
うつ病と森田療法'00.8

「うつ」のひどいときは、休養、薬物療法が最も大切です。しかしうつが回復期に入りますと、ただやすんでいるだけでは不十分です。もっと積極的な治療法が必要です。その指針として森田療法は非常に有効です。「うつ」に陥る方はしばしば完全主義者です。そしてこの回復期に完全主義が頭をもたげます。
まず焦らないこと、60%主義でぼちぼち感覚で、自然を感じる感性を大切に、頭でっかちになることに要注意、自分の出来ることと出来ないことをはっきりと区分けしていくことです。そして自分に見合ったやり方で生活に取り組んでいけばよいと思います。
うつ病と森田療法'00.9

全てに興味をなくし、完全自殺マニュアルに惹かれてしまうようなうつ病は、体重の減少、不眠が続いたら要注意です。それと共に「死んでしまいたい」と考え、そこから抜けられないようでしたら、早急に専門家を訪れ、診断と適切な治療を必要とします。あまり辛いときに、無理して自分だけで乗り切ろうとしないことが肝心です。それと共に「こころを閉じないこと」。家族、友人そして専門家のサポ−トを必要とします。その上で、適宜森田療法の持つ知恵を生かしていくと回復に役に立つと私は考えています。森田療法は以前にも書きましたが、うつ病の回復期、慢性期などには非常に役に立つものです。しかし急性期(気分の落ち込みがひどいとき)は、薬物療法と休息が大切です。
思春期の子供の問題'00.10

多くの親御さんが子供さんの問題で相談にまいります。しかしその問題の多くは単純ではありません。多くの場合、子供の問題であると共に、相談に来た親御さんの生き方の問題でもあります。つまりそこで親御さんがお子さんにとらわれているのです。そして子供の問題は、時に親御さんが自分の生き方の不自然さ、「こうあるべきだ」と自分と子供を縛っていたことに気づいたときに、転換点を迎えます。
 子育て、そして思春期の子供の問題は、現代の日本の最も重大で、深刻な問題のひとつです。しかし私は、この問題は子供だけの問題でなく、われわれ大人の問題として理解しなくてはならない点も多々あると考えています。子供の行動は大人のそれをいわば極端にして映し出したものとも考えられるからです。
このような考えると森田療法もこの問題に寄与できることは多そうです。
完全主義者の落とし穴'00.11

 ある人は「うとうとしているときでも目覚めているときでも、自分がビルの手すりを飛び越えて身投げする妄想に頻繁にとらわれます。こんな妄想にとらわれることが気持ち悪く、もしかすると、将来、何らかの苦悩に耐えられなくなったとき、本当に自殺してしまうのではないかと不安になります」という不安に悩んでいます。
 それに対して別の人は「私はかつて、こんなに苦しい毎日が続くならいっそのこと死にたいと願っていたことがあります。…・しかし、いつも思い直してその場を立ち去ります。当時は「死にたい、死にたい」と殆ど口癖のようになっていました」。そして彼は名案(迷案?)を思いつきました。朝晩の通勤途上でお経を唱え始めたのです。そして次にはお経の繰り言が止まらなくなったそうです。しかし人が深刻に悩む時に、時に滑稽にうつることがあります。そして滑稽にうつることが自分にも分かってくるとその悩みの力は減じてきたということです。つまり恐怖に駆られた行動に対して、なんてばかばかしいことをしているのだろう、と思えるようになれば自分に対して客観的、批判的に見られる心が育ってきたということではないでしょうか。
 つまりこのような人は完全主義者でないでしょうか。自分自身をしっかりとコントロ−ルしなくてはという欲求が強いと、それを失う恐怖も強いのです。それを失ったときに、自分は人前で取り乱すのではないか、思わぬことをしてしまうのではないか、自殺してしまうのではないか、などと恐れるものです。まず自分の足元をしっかり固めて今の生活をやり抜くこと、そして自然な心の流れに任せれば、そのような強迫観念 も消えていくと思います。
現代人の悩みと森田療法'00.12

 現代人の悩みは多様化しています。しかしその悩みによく耳を傾けてみると、そこには森田療法でいう「とらわれ」と自己中心的で完全さを求める「生き方」があるようです。そしてそれらが「神経症的とらわれ」を作り、生きることの行き詰まりを引き起こします。 それが現代人の多様な悩みの元にはあるようです。そしてその解決を最も明確に示しているのが森田療法だと考えています。21世紀には森田療法の果たす役割がさらに広がる予感がします。
森田療法の基本'01.1

 わたくしの著書、「我執の病理−森田療法による生きることの探求」を読んで感想を寄せてくれています。著者としては嬉しい限りです。ありがとうございます。 森田療法は古くてそして、新しい精神療法です。西欧的な考え方が行き詰まった21世紀では、さらにその重要性を増すだろうとわたくしは確信しています。  わたくしは森田療法の基本を、“わたしたちに元来備わっている「固有で自然な生」をどのようにつかみ、自分の人生に表現していけるのか、それが「神経症的とらわれ」の最終的な解決である”とする考え方、と理解しています。
ある方が、うつ状態で悩んでいるようです。治療は受けているのでしょうか。まずうつ状態ならば、適切な薬物療法を受けながら、森田の智恵を学び、それを日々の生活に生かしてください。森田を学ぶことは自分を知り、自分を生かすことです。
参加者のやりとり'01.2

 ここでのやり取りも活発で嬉しい限りです。自分の悩み、疑問を書き込み、そして さまざまな人たちとやり取りをして、また書かれたものを読み、そして実際の行動に 踏み込んでみる。そこで得られた体験と書かれたことを照合し、それをまた書き込んでいく。そのことが自分の体験を明確にし、深めていく作業です。それはまた生活の 発見会の集談会への参加の経験や森田療法の治療そのものともいえるのです。
  Aさんは、「18歳の息子の事で色々と悩んでいたのですがこのページを見て実は私自身の問題である事に気づきました。もっとたくさんの内容が知りたいので参加したいと思います」と書かれています。親は子供のことを当然のことながら、あ れこれ心配するものです。親としての「こうあるべし」という押しつけになっていな いのか、内省することからむしろ親子の関係は変わっていくのです。その点で Aさんの気づきは重要です。  またBさんが「仕事に完璧を求め、ダメな自分に劣等感を持ち、恐怖を感じて、 立ち止まってしまうことについては、森田的にはどのように考えているんでしょうか?」と書き込んでいます。つまり「生きること」に伴う苦悩です。そしてBさんは、Cさんの助言をしっかりと理解し、もう一度自分として生きることに取り組みだしたようです。「少し、不安の雨や冷たい視線に打たれながら、生きてみようかと思います」と書いています。
生きることの行き詰まり'01.3

 「年齢が増し、上司として、父親として、夫として、一人の個人として自分の表現が思うように できないことが非常に苦痛です」と述べています。いわば成人期から中年期にかけて の「生きることの行き詰まり」とも考えられます。いままでは若さに任せて何とか 突っ走ってきた。しかしもうそれほど若くはない。社会的、家庭的な責任も増えてき た。このような状況で人はしばしば行き詰まります。

 多くの人はこのような場合に完全主義的となり、仕事も家庭も、すべてをうまく、 しっかりとやらなくては、と肩に力が入ります。わたくしはむしろ肩の力を抜くこと を勧めます。ほどほどに、少しゆっくりとしたん。
このように頭の中でぐるぐると考えているとさらに自分のしたことが不確実に思え、何が真実で何が自分の思い込みかわからなくなります。そのようなときには、このようなぐるぐる回りは放っておき、今自分にできることは何か、を自分に問うてください。そしてできることからまず手をつけていくことが肝心です。
アルバイトに行っているとのこと、そのことも大切です。日々が恐怖そのものですが、それにしっかりと直面し、強迫のぐるぐる回りをそのままにして、今できることに注意を向けていく努力が次第にあなたを変化させていくのです。

自らを語ること '01.11

 Aさんが「・・・1人暮らしで休みの日も気が安らぐことがなく悶々としています。 精神科に行っても気が狂ったような話をして、すべてのことに逆恨みをし、 自分勝手極まりない話をして泣き崩れ、相手にされていないようです。 いろいろ薬を変えてもらってますが・・・。もうこのままでは限界です」と書き込んでいます。それに対してBさんは「・・・森田を学び始めてそう時間のかからないところで、 神経質者は人一倍欲求水準が高く、それ故に悲嘆にくれると一層強く絶望感が強くなるということを知りました」と述べています。苦悩はその欲望ゆえであると私も思います。 われとわが身を嘆くのも、よりよく生きたいという欲望ゆえです。その欲望をしっかりと実感するためにも、まずは自分でその悩みを書き出してみることも一案です。自らを語り、それを通して自分を知ることは、私たちが悩みの渦に入ったときの重要な解決法のひとつです。
人生の習慣について '01.12

 Aさんが長らくうつ病で悩んでいます。現在も休職中です。午後11時から翌日の午後3時まで寝てしまい、起きてからは何をするのもおっくうで、困っています。Bさんは「朝は決まった時間に起き、きちんと食事をし散歩などをされてはいかがでしょうか」と助言しています。Cさんは「とにかく、何をどうすればよいのかわからずになにも手につかないで困っています」と書き込みをしています。
 このお二人の症状は異なっていますが、何をしてよいのか、ほとほと困っていることは同じようです。うつ病では急性期を除いて、特に神経質な人には休息は逆効果な場合が多いようです。またDさんのように混乱して、何をしたらよいのか困っている人も多くいます。
 私はまず自分の人生の習慣を作ることと助言します。Bさんが言っているように、食事、散歩、読書、掃除など何でもいいのです。それを自分の人生の習慣だと心に定め、それを自分なりのペ−スでやり続けることです。それがお二人の悩み解決の第一歩に非常に役に立つでしょう。
うつ状態から抜け出すために '02.02

 Aさん、Bさん、Cさんがうつ状態から抜け出すためにはどうしたらよいだろうと悩んでいます。神経質な性格の人がうつ状態に陥りますと、抜けるのにも時間がかかるようです。あるいはうつ状態から回復するときに、人はしばしば神経質傾向、こだわりやすくなり、それが結果としてうつ状態を長引かしてしまいます。このような軽度でありますが長引いたうつ状態には森田療法は効果があります。
 うつ状態に森田療法を用いる場合の原則として、
  1)担当の先生に森田療法を学習する、あるいは取り組むことについて話をしておくこと、
  2)薬物療法は引き続いて行う、
  3)行動の原則として、大きな目標を立てないで、日常生活でできることを具体的に一つひとつ
    取り組んでいくこと、そしてそれを習慣として続けること、
  4)白か黒かという完全主義的な考え方に要注意、特に自分はダメな人間である、などと
   決めつけずに、とりあえず目の前のできることをねばり強く行っていくこと、
  5)「うつ」の正しい知識を知ること、
  6)うつ状態は行きつ戻りつしながら軽快していくものだ、と理解しておくこと、
などがあります。
 その他森田療法には生きるための智恵が沢山含まれています。それを自分として見つけ、できることから実行してください。

うつ状態と神経質 '02.03

 Aさん、Bさん、Cさんがそれぞれうつ状態で悩んでいます。現代のうつ病治療の最も重要な問題点として、軽症であるが長期化するうつ状態が増えていることが挙げられます。そこには神経質な性格が関与しているようです。多くの場合、この神経質の特徴は、完全主義的で、あることに執着することです。
  ここで挙げた人たちもなかなか物事が長続きしないと悩んでいます。わたくしはそれを完全主義的な傾向が関係していると理解します。つまりなんでも完全にしなくては、と執着し、自分で自分の人生のハードルを上げてしまうのです。そして完全にできないぐらいなら、しないほうがよい、と何もしばしばやらなくなります。そのことが何かに取り組みにくくし、長続きもしなくなります。ほどほどに、6割程度でやるしかない、不満足ながらできることをぼちぼち続けていくしかない、と覚悟が決まれば、違った人生が見えてくると思います。生きることは日常のちょっとしたことを積み上げていくこと、つなげていくことです。完全主義者はしばしばそれが苦手なのです。
神経質者は悲観論者 '02.04

 Oさんは、嘔吐恐怖で悩んでいます。「吐くのがとても怖いし、人が吐いているのも怖いです。神経科で安定剤をもらって飲んでいますが、薬が手離せません。このままでは、子供も産めないと思うと辛いです」と書いています。Rさんは「毎日、抑うつ感に悩まされています。森田療法で、『考え方が転換す る』『楽しいことが見つかる』という事を模索していきたいです」と書いています。Mさんが書いていますが「Rさんは、メンタルヘルス図書室へ来られ 森田を勉強されておられます。辛い状況からよく頑張って来られましたね。これからはもっと森田を深められるよう頑張ってくださいね。「楽しいことが見つかる」の模索はとても大切なことですね。森田先生のいわれる「日々新たに」を追求していってください」  
  このお二人にはある共通点があると思います。たぶん二人とも悲観論者で、Oさんは苦手な場面では「吐いてしまうのでは」という予期恐怖に悩まされているようです。つまり悪いことしか考えないのです、それが自分の恐怖を作り出 してしまうのです。Rさんは考え方を転換する必要性を感じています。つまりどうしても悪く、悪く考える思考のパターンに自分で気づいて、その修正を試みているだろうと思います。  
  「こうに違いない」と決め付けずに、事実を事実としてみていくことは重要なことです。それが出来ると共に、本来の健康的な生の欲望がみえてくるのです。
「神経症性抑うつ」の対策  '02.05

 このグループでは「抑うつ」で悩む方の書き込みェ多いようです。Yさんは、長年働いていたところの 倒産、失業、新しい職場への適応など人生の苦難に 直面し、うつ状態となっています。
 Tさんは強迫傾向が強かったのですが、 なにか緊張の糸が切れたようになり無気力状態に陥って 悩んでいます。お二人と も完全主義者とお見受けしました。全てに完全を求めると行き詰まります。 そし てわれわれはしばしば人生の危機の時に、そのような完全さを自らに要求しま す。そうなると、 細かなことの一つ一つが気になり、それに拘泥してしまいま す。それがその人を消耗させ、疲れさせるのです。 そして些細な失敗にとらわれ、落ち込みます。仕事の能率も落ち、物事を決めることが困難となります。
  このような状態は要注意です。このようなときに「木を見て森を見ず」という状態 になりがちです。 全体が見えずに優先順位がつけられなくなります。
 対策として、完全主義に陥っていることを自分で理解すること、肩の力を抜い て、できることをやるしかない、 あとはなるようにしかならない、と開き直ることです。そこから自由な心の働きが始まるのです。
肩の力を抜くこととは '02.06

 yさんはうつ状態で悩んでいます。それに対してのわたくしのアドバイスがわからないとの質問がありましたので、お答えしましょう。うつ状態へのアドバイスとして「対策として、完全主義に陥っていることを自分で理解すること、肩の力を抜いて、できることをやるしかない、あとはなるようにしかならない、と開き直ることです。 そこから自由な心の働きが始まるのです」と書いたのですが、説明不足だったようです。
 yさんは「肩に力が入っているのは自分でもよく分かっています。でも、肩の力は抜こうとして抜ける物では 無いように思うのです。・・・肩の力を抜こうとすることは、起こるべきして起こる緊張感を意識でコントロールしようと いう作業のように感じるのです。私流には“完全主義に陥っていることを自分で理解すること、肩に力が入ったままでも、できることをやるしかない・・・”と思うのです」と疑問を呈しています。
  Mさんも言いますように、私は文字通り 肩の力を抜きなさい、つまり緊張感を取りなさいといっているわけではないのです。肩の力を抜くということは、認識の仕方、こころのあり方について指摘しているのです。完全主義に陥ると(心のあり方として)肩の力が入り、 細部にしか目が届かなくなります。そこで発想を変えてみたらどうでしょうか、といいたいのです。 そして人生には思い通りにならないこともあるのだ、とあきらめることから、生の欲望が発揮され、心がその状況に応じた自由な働きを得ることが出来るのです。
出来ることと出来ないことを分けること '02.07

 Eさんが、入院森田療法で軽快しましたが、仕事への復帰を前に揺れています。Hさんは「不快な感情、気持ちにとらわれやすく、そしてなかなかながれず七転八倒して辛い思いをすることが多いです」と書き込んでいます。
 Mさんが例によって例のごとく適切なアドバイスを送ります。「何とか脱出したい気持ちは良く理解できますが、それでは逆効果です。焦らずに慌てずに、一気に読もうとせず、書き写すような態度でのぞめば生活に変化があらわれるのではないでしょうか。私の経験からそのように思うのですがいかがでしょうか。問題を一つずつ明らかにしていくことが森田の生き方です。」
 つまりわたくし流にいえば、出来ないこと「不快な感情を取ろうとすること、そこから逃げること」をやめることです。そうするしかないと覚悟を決めることです。それとともに、今できることは何かと自分に問うこと、そのような発想を持つことです。例えば日記を書くこと、目の前の出来ることに手を出すこと、森田療法の勉強をすること、そして少しずつ出来ることを毎日続けていくこと、積み重ねていくこと、そしてそれしかできない、と開き直ることです。
不快な感情とのつきあい方と自分の生き方について '02.08

 Hさんが、入院森田療法を含めたさまざまな治療を受け、また森田療法の勉強を続けていますが、どうしても不快な感情との付きあい方がつかめないので困っています。自分の激しい感情との折り合いに困っているようです。「今困っているのは、恐怖を始めとする不快な感情、気持ちとのつき合い方です。・・人間が自然に感じる不快な感情、気持ちにとらわれやすく、そしてなかなかながれず七転八倒して辛い思いをすることが多いです。・・主治医には『仕方ないと思い切ること』とか『感情と付き合うこと』とアドバイスを受けますが上手くいきません。」
 Mさんは「私も長年、この問題に取り組んで参りましたので、若い方々にとっては大変な問題だろうと認識しています。どうでしょう。徹底的に取り組まれてはいかがでしょうか。きっと面白い、森田にとっては価値ある追求が出来るのではないかと楽しみにしています」とそれに対して書き込みます。私も同感です。
 Eさんは「私は、入院中に「心身の不快な感情は流れる」ということに気付くことができました。それには、ひたすら黙々と目前の作業に取り組むことで実感できたんです」と自分の経験を述べます。
 Cさんは「不愉快な気持ち・苦しさは、じっくり味わう。 これが正解だと思います。」と書き込みます。 いずれも私は同感です。後は自分でねばり強く実践して、そしてあーそうなのか、と自らの体験でつかむしかないと思います。それまでの試行錯誤がつらいでしょうが、このように真摯に人の意見を聞きながら、自分でこの問題に取り組ん でいけば必ず道は開けるでしょう。
担当医からのアドバイスに納得できない時はどうするか '02.09

 Taさんが次のようなことで悩んでいます。「私は、不安に悩んでいた頃から、森田協力医の先生に診てもらっているのですが、うつ状態になってからの先生のアドバイスに不信感を持つことがあります。神経症に対しては、恐怖突入など、事実から逃げずに目的本位の行動を進めていくように指導され納得していました。しかし、うつになってからは、今自分が休むべきなのか、最低限の仕事でもしていた方がいいのか、自分では判断に困り先生に尋ねるのですが、行くたびに答えが違ったりして、混乱をきたしています。・・」
 この質問には、2つの点が含まれます。うつ状態の時にはどのように行動していったらよいのか、森田療法の指針が役に立つのか、担当医のアドバイスが納得できない時はどうするのか、についてです。Maさんもアドバイスしているように、うつ状態の回復期やうつが長引いた時には森田療法の指針、知恵が役に立ちます。それについては私もコメントとして書きましたので、参照してください。
 あと一つの問題は担当医のアドバイスが納得できない時の対処法です。これは実は神経質の人の対人関係のありかたとも関係します。なかなか率直に疑問を担当医にぶっつけて聞けないのです。私は率直に疑問を担当医に勇気を出して聞くべ きであろうと思います。何か納得のいかないままに診察を受け、後であれこれ悩むよりも、その時に思い切ってわからないこと、納得できないことをその時々で聞いてみることが大切です。そこから自分の状態にあった治療の指針が見えてくるのではないでしょうか。
感情を流すこととは '02.10

 Yuさんが人間関係で悩んでいます。「人間関係にとても気を使います。よく言えば、人当たりがいい、やさしいなどと言ってくれる人もいます。でも、悪く言えば八方美人です。・・・人間関係の摩擦を恐れるあまり、失敗を恐れるあまり行き詰まっています。」と書き込みます。どうもあれこれと悪く考えてしまい、そしてうつに落ち込め、それがまたマイナス思考を強めるという悪循環に陥っているようです。「うつの悪循環」です。主治医からはうまく流すことを覚えるようにと助言されています。
 そこから「感情を流すこと」とは、ということについて活発な意見の交換がありました。どうぞそれを参考にしてください。Maさんもいうように私たちの感情は、それを操作しないで、そのまま感じていければ、それは変化流動するものです。それにはいやな感情をそのまま持ちこたえながら、目の前のできることにいやいやながら手を出していくという心の態度を学ぶことが大切です。これは言うに易く、行なうに難し、であることは、とらわれて悩んでいる人は実感されているでしょう。結局のところ、自分のできることをやり、できないこと(気分を操作すること)をあきらめるという認識をいつも再確認することがこのような心の態度を身に付けるうえで役に立つと思います。
とらわれ尽くすこととは? '02.11

 Hiが森田先生の言葉に、苦痛から脱する方法の一つに「とらわれ尽くすこと」と言うのがあるが、これはどのようなことだろうと書き込んでいます。
 Maさんは、「とらわれから脱する・としては、とらわれ尽くすという方法と気にしながらでもなすべきを成すという方法があります。」と書き込みます。
 Miさんは、「・・・私は何ヶ月か前に「考え」が頭の中で止まらなくて辛かった時期がありました。・・・Maさんに「そのうち身も心も憔悴しきって止まると思いますよ。」とアドバイスされました。考えを止めようとするのが間違いだと諦めて、放っておきました。その後、心も体も疲れきった状態になりました。・・・今考えると、あの状態は考えすぎが原因だったのではないかと思います。考え尽くした、つまりとらわれ尽くしたのではないかと・・」とらわれ尽くすという言葉は私たちの苦悩からの回復に深い関係を持っています。
 Miさんのいう、どん底状態でお手上げとなり、このつらい状態をそのままにするしかない、という境地に達すると、それがとらわれ尽くすといえるものかもしれません。底をつくとか、どん底になった、とでもいう体験で、私たちがどうにもしようがない状態を指します。ここで私たちは症状や苦悩をコントロールすることをあきらめ、そしてそこから私たちの回復が始まるのです。
神経質と親への恨み、つらみ '02.12

 Hiさんが衝撃的な書き込みをしました。「僕は、3日くらい前、母親を本気ではないですが、ある程度の力で何発もぶちました。(父がいれば同じ態度を採ったでしょう)理由は、何でヒポコンドリー性基調、幼弱性を気質的に持つ人間に育てたのかと言う理由からです。確かに、それを打破するのは、森田が有効ではありましょう。でも、そのような気質が無く、普通の人と同じ感情の感じかたで あれば、今頃は家庭を持ち、家も持ち、そして仕事も辞めずに 済んだかも知れない。(ちなみに僕は30代後半です) だから、暗い気持ちになりやすいし、やりきれなくなる気持ちにもなりやすいです。そして、森田の壁は高すぎるように思えてしまいます。」
 親に対する暴力に対して、Maさんは「果たして本当にHiさんがそのことを深く自己内省されておられるかどうか疑問に感じます。果たして神経質者がHiさんの取られたような行為に及ぶでしょうか。」と厳しく指摘します。Peさんも過去に親を恨んだことがあると書き込みます。Miさんは、お母さんの気持ちを思いやって、謝罪をすすめます。Maさんは、さらに自分の以前の「自分は神経質でないのでは」という悩みにどのように対処したかを書いています。「私はその後どうしたと思いますか。逆転の発想です。先生は「神経症は必ず直る」と言われる。そこで真の神経質者になるための勉強を開始していったわけです。そしてこれこそ神経質者なりという人のお側近くに極力近づき、言葉や仕草を真似たものです。「朱に交われば赤くなる」を実行していきました。「縁無き衆生は度し難し」は、私にとっての背水の陣ですから一歩も後ずさりは出来ません。私が崖から落ちるか、目の前の神経質者から学び取るかのいずれかです。いつしか自分にとって都合のよいようには森田を学ばなくなり、あるがままの現実直視の目が芽生えていったものです。」
 Maさんの素直な心がそのまま伝わってくるようです。森田正馬全集を読んでも、とても神経質と思えないような人たちもたくさん出てきます。しかし森田を理解し、実践しようという悪戦苦闘の中に次第に自分の生き方をつかんでいくのです。そこでの分かれ道が、森田のやり方を素直に信じて、それを粘って、工夫してやっていくか、そんなことは出来ない、と自分でさじを投げて、自分の運命を呪うか、です。この後者の態度を森田は強情と呼びました。
 親への暴力は、それだけ親に依存し、お互いの心理的距離が近くなっている時に起こります。このような時にこそ、親との距離をとることが必要かもしれませんね。怒りという感情は大切ですが、それを直接相手に力という形で使ってしまえば破壊的です。そこで怒りながら、その場面から離れて、時間をおくのです。怒りは必ずさめてきます。その時に人は必ず内省的になります。そこで考えたことを大切にしてください。
 Hiさんも、いずれは自分のことは結局自分でしか処理は出来ないと考えられるようになるでしょう。その時には親との関係も穏やかになり、そしてなによりも自分の感情と上手につきあえるようになるでしょう。
森田を学ぶことの疑問について '03.01

 Shさんが次のような疑問を呈しています。「僕は森田を知って半年ぐらいなんですが、最近どうも森田のことが疑問になってきたんです。というのは、今の僕自身際だった症状みたいなものはないんですが、こういう風に宙ぶらりんな状態になると、森田が日常の僕の思考回路をきめつけているような感じがして息苦しく思い、神経症を患ったものは森田を生涯勉強していかないとこの苦しみからのがれられないように書いてある森田関連書に疑問を感じるのです。
 まるで一種の信仰宗教の聖書のように。僕としては自分は学びはするが決して依存という形にはなりたくないのです。」 これも一つの自然な考え方です。私はさまざまな森田療法に対する考え方があってよいという立場ですので、このような疑問もよく理解できます。森田自身が嫌ったのも森田のいうことにただ従う態度「盲従」でした。まず自分としての生き方、つまり現実に取り組んでみることです。そのように自分の人生に取り組んでみると、森田の知恵がShさんのなかで意味を持ってくる時期が来るでしょう。その時は今までの森田とは違い、さらに深いものになっているはずです。
再び「うつ」と森田療法について '03.02

 Koさんが「うつ」の体験と森田療法の効用について述べています。体験者でなければ語れない貴重な話がシリーズとして述べられています。うつ状態で悩む方はぜひとも読んでいただきたいと思います。ここで述べられていることは、私が「うつ」の人に行う森田療法とほぼ一致します。なるほどと思いながら、Koさんの体験を読みました。
 たしかにうつ状態となると、神経質のような生の欲望が見えにくくなります。いわば周囲のあまりにもよく適応しようとして、燃え尽きてしまうのです。それがうつ症状といえます。従って、その回復の手順はやや神経症とは違います。まずは心の疲労状態をそのまま認め、ペースダウンする勇気を持つことです。それがKoさんのいう60点主義に当たります。またうつになりやすい人は、自分の生き方がしばしば過剰適応的であることの自覚がありません。そこをしっかりと自覚しながら、仕事に、生活に関わっていく必要があるでしょう。
 つまり「うつ」の症状でなく自分の生き方の問題へと自覚が深まります。そして自分として、ぼちぼちとしかしねばり強く生きていけばよい、と心が定まれば、自分としての生き方が見えてくるのです。またMaさんが指摘するように、うつ状態の時は無力感にさいなまれますので、依存的となり、自分の問題のすべてを人にゆだねたくなります。それがまた「うつ」を長引かすことにもなるので要注意です。
この厳しい時代を生き抜くには '03.03

 Yuさんが、厳しい状況に直面しています。
 「倒産により、家、預金、長年の仕事を失い。 (今、だいぶ軽減した抑鬱感に悩まされながらも、新しい仕事に辛いですが何とか頑張っていますが・・・。)独身の中年で家庭もない私にとって集談会での皆さんがうらやましく思えます。・・集談会で皆さんが訴える、症状に比べると私の現実の方が深刻だ・・・。という感覚がぬぐえません。平等感という言葉も私にとっては説得力に欠けます。毎回期待して足を運ぶ集談会の帰り道に、かえって落ち込む事が多いのです。」  現代日本の中年男性の深刻な苦悩を示しています。Maさんは、集談会に何を望んでいますか、と問い返し、「事実は何かが定かになる場としてあるだけなのです。その事実を確認するために参加して、自分の足下をしっかりさせていくこ とが出来るかと思います。」と助言します。確かにMaさんがいうように、集談会はYuさんが望むような「癒しの場」ではありません。
 また森田療法は癒されること、癒しとは必ずしも関係しません。むしろある意味では厳しくその人自身のあり方を問い、その修正を迫るものです。私もYuさんの苦悩には、大変だな、と共感しますが、Yuさん自身が決して望まないように同情はしません。人生にはどうしようもないことが運命として襲いかかってきます。私たちがわれとわが身の不運を嘆き、運命を呪っても苦悩は増すばかりです。それにどう関わるのか、ピンチこそチャンス、それをしっかりと見つめ、受け止めていくことから、逆にYuさん本来の生の欲望が見えてきます。それが森田療法の本質的な部分です。そして集談会に出続けるYuさんにはその力があると信じています。
われわれが悩むこと  '03.04

 人はさまざまなことで悩みます。Mkさんが「やっぱり、自分が異常者の様に思えて、周りの人とは違うんだ・・といった考えに襲われて自分に対する劣等感が増します。いつも、こんな感じ方になってくると自分がみじめで、時間がたてば忘れることなんですが、人と関わる時にいつも同じ感情に襲われます」と書き込んでいます。Maさんは次のようなエピソードを紹介しています。「僕も昔、今はお亡くなりになられました生活の発見会の斎藤先生に胸の内を話しこの苦悩が去らないかとたずねました。また、心の平安は訪れないものかと目を伏せて泣きながら先生に迫りました。ふと、自分以外の嗚咽に気付いて顔を上げますと、先生も目を真っ赤にされて言われました。『Maくん、この年寄りに免じて自分を許してやってくれないか。僕だって、未だに苦しんでいる。苦しんでいるが、この年まで生きてきたぞ。』って言われるんです。僕はこの時はっきり目が覚めましたよ。そうです。苦しんだって、悩んだって立派に生きていけるんだということが解ったのです。」
 悩みは、それが特殊、特別なものであると思い、それを取り除こうとしようとすると、その苦悩は倍加します。Maさんがいうように発想を180度変えてみると、悩みを持ちながら人は生きていけるのです。悩みを取るための人生から、自分として生きるための人生への転換です。そこで初めてその人として生きるために心の工夫が生まれ、その人らしい個性が見えてくるのです。
燃え尽きてしまうこと  '03.05

 Taさんがうつ状態で悩んでいます。仕事に過剰適応しすぎて燃え尽きてしまったようです。「過剰適応して、気がつけば、燃え尽きるまで頑張ってしまう自分が情けなくなり、いつになったら自分なりの100%を体感して、その60%位に押しとどめて生活できるようになるのか、途方にくれる思いです。・・やはり何度も失敗を繰り返して、そこから自分なりのペースを学んでいくしかないのでしょうか」。Maさんは「60%くらいに押さえることが、ベストの100%ではないでしょうか。・・ああ、よく頑張った。そして疲れた。で、今は静かに体力の回復を図られてはいかがでしょうか。・・体力が持ち直せば、持ち前のやる気も前面に出て参りますからそれまでは待つことも大切と心得て下さいね。」と助言します。Yuさんも「お互いボチボチ行きましょう」とエールを送ります。
 どうしてTaさんは、常に完璧を求めて、過剰適応的になり燃え尽きてしまうのでしょうか。周囲の人の評価を気にしすぎていませんか。そこで完全な自分を求めすぎていませんか。発想を転換して、自分なりにできることをするしかない、それをどう評価するかは、自分の問題でなく、他の人の問題と開き直ることが大切です。そこで初めて自分の限界、つまり100%が見えてきて、60%主義ととはいかなるものか、がわかってくるでしょう。優先順位も見えてくるでしょう。60%とは些末なことは後にして、まず肝心なことにそれなりに力を注ぐことです、メリハリをつけることです。
知行同一とは  '03.06

 Kyさんが次のような書き込みをしています。「『心配性をなおす本』(青木薫久著)に載っていた矛盾の普遍性の例として記述されているものですが、まさに自分に当てはまると思いました。自分の状況リズム(内・外とも)を極大的に捕らえてしまうふしがあるようです。状況に一喜一憂するまえに知らぬ間にリズムの変化が訪れる事で平穏を保つことが大事と言うことでしょうか。」
 それに対してMaさんは次のようにアドバイスします。「私は森田療法の勉強は事実を学ぶことだと思います。事実はこうなんだからそれに素直に従ってみることにするという態度が大切だと思います。よく森田の教えは難しいとの質問があります。恐らくその人は、『こうすれば治る』というハウツー面から一生懸命取り組まれるから余計に罠に落ちてしまうような事になってしまいます。ああ、成る程そうかと、森田書籍を読みながらその事実だけを心に止めておかれれば、やがてそれが積み重なってきて大きな収穫となります。」
 森田を学ぶということは事実を知ることです。そして知ることと行なうことが密接に関係し、知ることを深めることは行なうことを促進します。それを東洋では知行同一といいます。森田の知恵のひとつです。
神経症の原因とは  '03.07

 Kaさんが次のように書き込んでいます。「かれこれ神経症16年、一通り神経症について読ませて貰いました。・・一方、神経症になった自分の過去を思い出してみると、母親の内向的性格や不安要素の提示、マイナス思考など、子供の頃から「不安」を植え付けられていた記憶があります。そして子供の頃から石橋を渡る物の考え方が根付きました。これは、母親に対して自分の神経症をなすりつけると言う事ではなくて、一つの事実として受け止めています。「とらわれ」もそんな生活習慣の中から作られたと考えられます。」
 神経症の原因を見つけることは難しい作業です。遺伝、環境、性格など多くのことがさまざまなことが複雑に関連しています。これ一つと原因を定められないのです。そして神経症の原因を遺伝に、育った環境に、性格に、求めても、そしてそれが正しいとしても、問題は解決しないのです。神経症の原因を知ること、それはあまり多くの要因が関与していて不可能ですが、とそれから回復することとは別の問題だからです。
 それはそれとして、今は生きることの工夫を始めることから私は神経症の回復が始まると考えています。
過去にとらわれているときには  '03.08

 Skさんは過去へのとらわれからなかなか抜け切れません。「離婚してもうすぐ4年になりますが、どうして離婚になったのか、どうすれば離婚にならなくて済んだのかを考えて、離婚の現実をうけいれられません。新しい人生を歩き出さなきゃ! と思いながら、・・自分は幸せになってはいけないような気がして何となく生活しています。・・」
 Maさんは次のように助言します。「私も過去にこだわりも持って随分苦しんできましたから、そのお気持ちは痛いほどによく解ります。傷はいつまでも残るだろうと思いますが、しかしただ嘆き悲しんでいるだけでは活路は開けてきません。そう意味では、本当に良く勇気を出されこのフォーラムにお越しになられましたね。・・」そして一緒に考えていこうと呼びかけます。私も同感です。苦しんでいるときには、自らの悩みを語ること、それを他の人に理解してもらうことが大切です。そして過去の後悔、将来の不安を持つときには私たちの最も重要な「今ここで」生きることがおろそかになっているのです。今ここで自分なりに生きることができるようになって初めて、過去が違って見えてくるでしょう。とりあえず今ここで出来ることから始めてみたらいかがでしょうか。
嫌な人とつきあう方法とは '03.09

 Clさんが腹を立てています。「・・自分の入っているクラブの同輩にほんとにムカつく奴がいるんです。何かにつけて僕のことを馬鹿にしたような、見下したような態度をとってきます。しかもあからさまに自分だけに。本当に何様だと思います。・・皆さんは嫌な人と接する時はどんな事を心がけていますか?」Maさんは次のように答えます。「本当に無礼な人は嫌ですね。森田ではこのわき起こってくる悪感情を無理に押さえつけようとはしません。どんな感情も自然現象として発生するのですから、コントロールすることは、動きにも悪影響が出て来ます。腹立ち紛れのまま、さっさと次の予定した行動へと移っていきます。しばらくは嫌な感情も残りますが、没頭していく内に、その嫌な感情も消えてなくなります。また、森田では、「腹が立ったら三日待て」とも言います。大抵の腹立ちは三日もすれば消失するものです。・・」
 私も同感です。嫌なやつは嫌。しかし時には、そして多くの場合、どこにでも困ったことに嫌なやつがいるのです。それにはMaさんがいうように、怒りはそのままに次の行動に移ることです。またこの感情は続いても3日だな、を知っておくことも有益です。後は嫌な感情はそのままに、必要なことをあっさりとビジネスライクに伝えていけばよいのです。そのような態度を身につけていけば、自分の怒りとつきあえるようになり、また嫌なやつとも一緒に仕事が出来るのです。もちろん嫌々ながらですが・・それでいいのです。
気分はそのままに目的本位の行動をせよ '03.10

 Gqさんが求人先に応募できないことで悩んでいます。「・・半分失業状態で、このままでは家計は破綻してしまうにもかかわらず求人先に応募することができません。8年前にはじめたばかりの専門職に挫折したことがきっかけで今の中途半端な無為な生活が続いています。6年前精神科に1年通院し、その間保育のパートに就きましたが、常に前の職への復帰を考えてきました。森田療法の「気分はそのままに目的本位の行動をせよ」と自分に言いきかせ実行を決意するのですが、次の日の朝になると起き上がれず、昼近くまで眠り込みます。・・」
 Maさんは「・・こんな時だからこそ、逆にじっくり腰を落ち着けて、森田療法の勉強に専念して、来るべき時に備えてはいかがでしょうか。」と助言します。
 私もまずは「出来ることから、とりあえず取り組んでみる」ことを勧めます。そしてGqさんは後で「10/7ハローワークで紹介状を出してもらいました!!今日10/8、1つに面接し、他の1つに応募書類を送りました!! 応募の時の重苦しい状態を乗り越えると、面接や電話はそれほど緊張はしません。履歴書がなかなか書けなくて困ります。何も考えないようにして、行動に身を任せました」と書き込みます。この経験を大切にしてください。このように「気分」と「行動」は別物、という体験的自覚が深まると良いですね。
「うつ」の効用とは '03.11

 Soさんが「うつ」モードに入ってしまいました。しかしそのまま「うつ」の悪循環に入り込まず、いろいろと工夫しているようです。自分はだめ人間と考える→落ち込み→自分はだめ人間とさらに考えてしまう→さらに落ち込む、というのが「うつ」の悪循環です。
 Soさんは、「どうやったら気持ちを持ち直せるか、ということも、いままでだいぶ考えてきました。1.マンガを読む、2.ネットサーフィンする、3.お風呂に入る、4.とにかく寝る、などなどなど。でも、今回は、この欝の機会を利用して(自嘲(^^;)、青色申告の書類を作ろうと思い立ちました。・・だるいししんどいし、人と会いたくないし、頭も良く回らないから、パソコンの前に座って淡々と入力作業をする青色申告書類の作成は、こういうときにぴったり)Maさんも「実は私も抑うつ傾向が強い男です。ですから、一年を通して今日は調子が良いなあといった好感情はあまりありません。どちらかというと、仕方がないなあ、調子が悪くともまあ頑張ってみようかといった風です」と書き込みます。
 神経質者の抑うつは(神経症性の抑うつ)、何もしないとむしろ悪くなる傾向があります。「うつ」の悪循環に陥らないように、このように目の前のことに取り組んでいく工夫は大切ですね。
自分を表現することについて '03.12

 Gqさんは10年以上も「文章を書けない」ということで悩んでいました。ちょっとした文章も書くことが苦痛で、それをするのに多くの努力を要したり、それを避けたりしていました。しかし私たちの生活は「書くこと」を避けては成り立ちません。Gqさんはどのようにしてそれを克服したのでしょうか。Gqさんは4つの点をターニングポイントしてあげていますが、私は最後の点が最も重要だ、と思いました。「ターニングポイントは4つあります。 (1)02/10 月1ヶ月のパソコン講習 ・・、(2)02/11月から4ヶ月のアルバイト・・毎日これからのための訓練だと思って、職員の目など気にする暇なく、書くこと、まとめ上げることに集中しました。(3)03/9月インターネット接続・メール開始 ・・イラク戦争が泥沼化し、たくさんの子どもたちが殺され続けていることに対して私も何か発信しなければという切実な思いからです。(4)03/9月森田体験フォーラムに参加・・自分のことを書くことには、最初は抵抗がありました。この15年ひとりの親友としか話らしい話をしたことがなかったし、深い関係を避けていたからです。でも、森田療法で自助努力をしているや苦しんでいる人たちは仲間であり、傷つくようなことはないだろうと信頼して、本音をありのままに出すことにしました。壁が崩れ、どんどん書いている自分に驚きました・・」
 自己を表現すること、それも自分の欠点、弱点と思われることを率直に述べることははなはだ困難です。特に誰でも自分に自信を失っているときにはそうなるものです。しかしこのフォーラムで自分を表現すること、そして他者から理解してもらえることがこの克服の最初のステップになります。Gqさんがそれを見事に示してくれました。このような作業は自己開示とも呼ばれ、私たちが事実をありのままに認めていく上でとても重要なことです。私たちの弱点、欠点、劣っていると思うことをそのまま率直に述べられることは、その人のいわばしなやかな強さが表現されたということでもあるのです。
心の事実を知ること '04.01

 今月はHiさんがたくさん書き込んでいます。このように悩みを人と話し合うことで自覚が深まるのだろうと思います。さてここでは心の事実ということを取り上げてみましょう。「私が今困っているのは、心の不快感を受け入れることです。恐怖、落ち込み、暗い気持ち、これらは全部そのときの心の事実ですよね。この事実を認められるようにねればな〜とおもってしまいます。」Taさんはその発言を受けて次のように書き込みます。「僕も症状にとらわれるとHiさんの発言にあるように受け入れることが難しくなってしまいます。自分の思い込みによって、事実を見失い症状に苦しめられます。でも自分の思い込みは何で、事実は何かというのを冷静に分析できれば解決の糸口がみつかってきます。僕の場合は、自分の思い込みはほっておき、事実をしっかりみつめて、今やるべきことややりたいことをやっていくということを実行していくようにしています。」
 Ymさんは次のように指摘します。「Hiさんのいう、恐怖、暗い気持ち、落ち込みは、確かに“今”の、Hiさんの“心の状態の事実”ではあるけれど、森田で言う“事実を認める”の、事実とは違うと思います。それは、そういう感情に“とらわれている”事実であって、自分の妄想であり、思い込みです・・」Ycさんは次のようにいいます。「こころをこころで操作しようとするのではなく、感情は脇に置いといて 行動に移すというというあたりが大切だと思います。」
 森田は2つの事実が大切だと、晩年に指摘しました。その2つの事実は彼が到達した最終的な境地であり、人間性に対する洞察です。それは「死は恐れざるを得ない」であり、「欲望はあきらめられない」です。つまりつらい気持ちはどうしようもないことであり、それを受け入れることから欲望をしっかりと自覚でき、それを発揮することが可能となります。
自覚すること '04.02

 Gqさんがフォーラムに参加して約4ヶ月自覚を深めてきたようです。次のように書き込みます。「森田の本を読めるようになり、自己認識を深めたり、こだわりを見つめたりできるようになりました。入会当初から、Maさんには、何度も何度も、「本を読むように、勉強をするように」と励まされてきました。やっとその気になって読んでみましたら、認知の転換にすごく有効でした。森田の理論は素直に受け入れることができます・・」そして、森田を学ぶことで今までも自らのあり方を知り、そしてそれを修正する努力を始めたのです。
 森田療法では自らを知ることを重視します。森田は常に自覚することの重要さを説いていました。そして森田療法では知ること(自覚すること)とは行動することそのものなのです。つまり行うことと知ることは密接につながるのです。つまり東洋の伝統である知行同一という知のあり方なのです。
引きこもることと森田療法 '04.03

 Rmさんが電車に乗れなくて困っています。そして引きこもりの生活になっているようです。「・・30代男性です。仕事をしておらず基本的にこもっています。唯一の趣味がギターでそれのレッスンは毎週行っています。その他は家の近くを散歩したり、買い物したりする程度です。電車に乗ることに多少恐怖を感じます。もう6,7年くらい前からですが。乗れないことはないのですが、予期不安みたいなものがあって街に出たりとかという機会が減っています。・・」
 Maさんは次のように助言します。「・・森田療法の立場に立って行動を起こされてはいかがでしょうか。予期恐怖の実体は、○○がしたいのに、XXがあるから出来ないと、具体的行動を起こさない結果生じるもので、先生の言われる『お化けの正体見たり枯れ尾花』の事実を体験しないで、恐怖に恐怖するといった有様に陥ってしまいます。・・」。Maさんがいうようにこれが基本的な考え方です。
 Rmさんは次のようにそれについて次のように書き込みます。「・・ただ最近目的を持って、仕事に結びつくようにと勉強を家でしています。多分目的があって外出する分には外出できるので、(行けないときもありますが)。・・」このようにある程度引きこもっていても、その制約のなかで出来ることを見つけ、取り組んでいく姿勢が大切だと思います。つまり豊かな、ある程度変化に富んだ引きこもり生活もあり得るのです。そこから自然に次に進むべき道がみえてくるでしょう。
家族との再会 '04.04

 Gqさんがそれこそ何年かぶりで家族と再会のための旅に出ます。「二週間、旅してきました。・・家族4人が顔をそろえることは、全員が東京にいた頃にもなかったことで、子どものときの記憶にもありません。実家を出てから30年、考えてみればはじめてのことかもしれません。母と弟は8年ぶり、父とは13年ぶりくらいに会いました。・・さすがの私も頭にきて、「だめな私でも幸せなんだから、認めてほしい」と怒り、母が私に望むことや他者に対する受けとめ方の違いをはっきり主張しました。とはいえ、具体的な仕事のことも長く神経症で行動できなかったことも話せませんでした。毎日小さいことで口論しながら、作業していました。でも、今までになく、親子として、普通の感情的なぶつかり合いができたような気がしています。・・」
 それはGqさんが自ら書いているように親子関係の修復の旅でした。「・・自信がなくて、帰省に踏み切れない感じでしたが、今は父母の様子がわかり、素直に自分を出していけるような気がしてきて、いつでも実家には帰れそうです。でも、農業のことがふっきれたので、両親が動けるうちは、もう少し東京にいることにします。・・」
 われわれが神経症的葛藤に悩んでいるときは、なかなか親子関係の修復が出来ません。そして率直な感情的なぶつかり合いも出来ないのです。避けてしまうか、激しくやり合ってしまうか、いずれにせよ親子の溝は深いのです。しかし私たちが自分として生きていこうと心に決めたときに、しばしばGqさんのように親子関係の修復が始まります。それは自分の人生を歩み出したこと、「かくあるべし」という生き方から柔軟な生き方へ変化してきたことを意味します。
Gqさんの新しい人生の旅が始まったようです。
アトピー性皮膚炎と森田療法 '04.05

 Mdさんの甥御さんがアトピー性皮膚炎で悩んでいます。「・・アトピー性皮膚炎は、ステロイド剤の使用を止めることが快復の大前提だそうです。しかし、その使用を止めると痒さ、痛さが激烈に襲ってくるようです。が、どれだけかかるか解かりませんが、それを克服すると完治するそうです。そのとき、森田療法が必要になってくるのではないかとおもい書き込ませて頂きました。甥に「あるがままに生きる」ことを何とか伝えていきたいと思いますが、・・」
 Maさんもいうようにアトピー性皮膚炎の治療に森田療法は大いに役に立つようです。第21回森田療法学会で細谷律子先生(細谷皮ふ科)がシンポジウムで「アトピー性皮膚炎と森田療法」について発表しています。細谷先生はアトピー性皮膚炎の治療のポイントはかゆみを掻破する(掻く)ことをまずやめることだといいます。慢性のアトピー性皮膚炎の人は掻破行動があたかも強迫行為のように習慣行動化しているのです。それを止めるには、まずそれを自覚すること、その掻く行為の基になる不安、ストレスをそのまま受けとめ処理できる能力を高めることといいます。そして皮膚科の治療と平行しながら日記療法などを用いながら根気よく森田療法的な接近を行い、すばらしい効果を上げています。またこのような慢性化に陥りやすい人はこだわりやすく、神経質、完全主義、強迫的傾向を認めるそうです。従ってそのような生き方を変えることで不安、ストレスを受けとめやすくするのです。これも森田療法の新しい可能性を示す発表です。
アトピーかわるということ '04.06

 Gqさんが心的な展開を得たようです。その経験を次のように表現しています。少し長いですが、その一部を引用してみましょう。  「体験的に、『目的本位』『素直な心』『自己受容』が、状況を一転させる心の持ち方だと確信しています。症状に振り回されて、なかなか実践の効果があがらないときは、症状を否定し、症状に苦しむ自分を「異常だ」「劣等だ」などと認知していて、受容できていないんですよ。苦しみの無い、完璧な、強くて素晴らしいかっこいい理想の自分を、完全主義的に立派に自分の力で達成したいと願っており、他者の声を頭で分別して、心の中までは受け入れようとしない差別心が強いようです。現在の自分や他者の、「できなさ」「弱さ」「甘え」を許容できないんですね。・・・行動した時の直感的な気づき、快感、心身の変化を素直に受けとめることです。苦しくても、イヤでも、焦らず行動を続けていかれれば、症状でなく、自分自身がまず変わっていくことでしょう。・・私の本質的な人生の葛藤に、逃げないで向き合う気持ちになれたような感じです。理想と現実のギャップを埋めるように、落ち着いて自由に考えてみたいと思います。」
 Maさんは次のように書き込みます。「・・私もかつてはその苦しみから解放された時は感涙し喜びのため小躍りしたものです。しかし、そこで終わっていたら今日の私はありません。その後も森田の勉学を励み、学習→実践→総括(plan → do → see)を繰り返すことにより、症状森田から人生森田へと入っていきます。神経症なら森田で症状は簡単に取れるでしょうが、実はそれからが大変というか面白いのです。これまで症状のために断念していた生きがいが広がりを見せていくのです。」
 私も実はこれからが人生の最も重要な局面なのだ、と思いました。不安、恐怖を一方ではしっかりと抱え込み、それをどうこうすることは出来ないのだ、と諦めながら、他方で本来の自己の欲望に乗って生きていくことが重要なポイントとなります。そしてここでも行きつ戻りつ、七転び八起き、が起こるのです。後戻りをする局面、行き詰まる局面も出てきます。しかしそれは私の言葉でいえば、「生きること」をめぐって、ダイナミックな人生の始まりなのです。そのようなときにはまた初心に返ればよいのです。さらに自覚が螺旋形に深まっていくでしょう。
職業選択について '04.07

 Gqさんが職業選択で迷っています。「・・森田先生のいわれるように、実際仕事についた後になって、興味や得意がわかっていくものですよね。すっかり忘れてしまって、「あれがしたい、これをしなければいけない、あれが価値がある、これが天職だ」などと自分の職業を予め決めてしまおうとしていました。・・行動より観念を先にしてしまうんです。『われ思う、故にわれあり』ですね。これが迷いや間違いのもとになり、わがままになって、お金がないのにいつまでも求人に応募できないことになっているんでしょう。」
 Maさんは次のように助言します。「一般的には君の適正はこうなんだからこんな仕事があうんじゃないかとよく耳にします。しかし、実際は森田先生も言われるように手を出していく中で仕事に対する興味が湧いてくるものです。」同感です。私たちは経験しながら、仕事についての興味、さらには自分自身の適性を見出していくのです。Ycさんは「まさしく、捨て身でいくしかありません。(不安のままに・・・)そこで、神経質を存分に発揮し、いい仕事をすることだと思っています。」
 Kzさんは「行動は何より大切ですが、その前に目的をしっかりさせる必要があると思います」と助言します。
 私たちは現実に関わり、そこから次第に自分という人間がみえてきます。あるいはそのような経験から現実的な神経症的でない認識が深まります。それが自己理解というものです。つまり私、動きながら、行動しながら、認識を深めていくことが何よりも大切、と思います。
神経症の原因は? '04.08

 Ymさんが、神経症の原因は脳内物質が足りないためで、遺伝子によって規定されているのでは、という話を聞いてショックを受けました。「・・私は、家に帰って調べた後に、でも生まれつきじゃなくって、じゃあ人生の途中から神経症になる人は、どうなんだろう?生まれつき遺伝子的に異常があるんなら、絶対治らないよね。やっぱり、治すのをやめればいいんよね。とか思いました。それと、やっぱりちょっとショックでした・・。」
 Maさんは次のように助言します。「・・私達神経質者はその苦悩の最中にあっては、何とか良い方法はないものかとその克服の知識ばかりを追い求めます。しかし、知識だけでは解決しません。自分の身体の喜ぶ動き行動の中で裏付けされた知識でないとウロウロするばかりです。・・」
 神経症の原因について、さまざまな説明がなされています。遺伝、環境、育て方、親との関係、学習などが一時はもてはやされました。現在は、さまざまな最新の技術を使って神経症の脳の機能を調べようという研究が盛んに行われています。また神経症の薬の治療も積極的に行われる時代となりました。
 神経症が形成されるには、さまざまな要因が関与していると思われます。一つの原因に還元することは出来ないでしょう。またこの問題にはその人の生き方も深く関係しています。脳内物質の不足がたとえあったとしても、それが原因なのか、不安という現象の反映なのか、わからないのです。そして不安とはご承知のように、誰でも経験することなのです。森田療法では不安は本来自然な心身の反応で、それをあってはならないものと認識し、それにとらわれることが問題だ、と理解します。そして原因探求よりも、心身の不快な反応、不安などをそのままに受けとめ、本来自分の持つ健康な欲望(生の欲望)を発揮することが重要だとするのです。そのような意味では、森田療法は不安にとらわれた生き方から、人生を回復するための方法とも理解されます。
感じが先か、行動が先か '04.09

 Hdさんは森田療法に対する疑問で悩んでいます。『今日も朝、起きると何の「感じ」も起きませんでした。夕方まで食事もとらずに寝ていました。 夕方、目が覚めたとき「お金をおろさなきゃ」と考えました。(私はこれを「感じ」と受け取っていません。頭で考えただけで、心から思った事ではないからです。私は「感じ」と言うのを心から「感じた」ことと捉えています。どうですか?Maさん)・・森田先生の仰った様に「感じ」が先なのでしょうか?「行動」が先なのでしょうか?』
 Maさんは「私には「鶏が先か卵か先か」と言うような循環理論に陥る罠には引っかかりたくはありません。・・」と問題をむしろHdさんに返します。
Hdさんはさらに疑問を投げかけます。「・・・お叱りを受ける覚悟でお尋ねします。この状況をどう打破すれば良いのでしょうか?」
 Maさんは自らの体験と森田との出会いを書いた後にこのように書き込みます。「・・私はこの文面を見て今もその当時を鮮明に思い返して涙することがある。いろいろはからいとらわれて万策尽きて、はじめて我が身を放り出せた私です。私が学習仲間に話す言葉《もういい加減に、ほっとけ。》です。長年坐禅して、やっとほっとけ様(仏様)の真意が理解できるようになったのです。人に聞いて解るものではありません。自分で涙を流して解るものです。」
 その通りです。今置かれているつらい状況を自らのものとして自分で取り組んでいくことが最も重要です。ここが森田療法の重要なポイントとなります。今月の不安神経症のグループのコメントで「森田療法を学ぶということ」の中で書いたことともつながります。
 Hdさんは、理論で考え過ぎて袋小路に入ってしまったようです。そして今悩んでいる問題の解決方法を今すぐ知りたくなり、行き詰まったようです。まず自分で試行錯誤し、悩み、その経験を森田の知恵と照らし合わせる作業が必要です。この自分としての試行錯誤が今までのHdさんの森田の豊かな知識を深めることに役に立つでしょう。そこから知ることと行うことは密接に関係した森田の知恵のあり方がみえてくるのです。今悩んでいることは決して無駄ではないのです。
新しい人生のスタート '04.10

 Gqさんがいよいよ新しい人生のスタートをきられたようです。「このフォーラムに参加してから9月で1年が過ぎました。私にとってこの1年は内面的な激動期、大変革の時期でした。神経症で悩んでおられる方や克服された方の体験や書き込みは私自身を映す鏡となり、北西先生のアドバイス、Maさんとのやり取りは心理的な成長の支えとなり指針となりました。
 ・・9月は伯父と弟の入院が重なり、これまで家族との関わりから逃げていた私も父母からの要請で動き出さざるをえなくなりました。すでに森田の理論はある程度血肉となっており、境遇に柔順になる心の器も育っていましたし、自己受容もできていたことが、関係修復や実力発揮につながったんだと思います。・・10年くらい姿を隠していた私が、突然別人のようになって皆の前に現れ大活躍をしたので、皆びっくりしたみたいです。素直に自然に抵抗なく話しができました。・・」と書き込みます。
 MaさんもGqさんの新しい人生の出発に心からお祝いを述べます。私もこの体験フォーラムはこのような形でGqさんの再生、成長に役に立ったことを嬉しく思いました。
 そしてGqさんはさらに自分の心境について述べます。「一人ではできないことも、他人といっしょだと何でもでき、健康的に生活できますね。自発性とか主体性とか意志の力というのは他者との関係で引き出されるものだと思うことにしました。環境変える時期が熟してきました。他者に対して何かしてあげることにも抵抗がなくなってきたようです」森田先生は、人生観が変わったから神経症がよくなるのだ、といいます。Gqさんも今までとは違った人生観からものを考えているようです。このことが私は最も重要だと考えています。さらにその考え方を深めていってください。
生活の向上のためには '04.11

 Tcさんが、「最近では森田を勉強してもあまり向上しません。皆さんどのように勉強してますか」と悩んでいます。さてこの悩みに答えるのは、同じ「その他のグループ」で展開されているGqさんとMaさんとのやり取りです。その一部を紹介しながら、私たちの生活を向上するためにはどうしたらよいか、考えてみましょう。
 Gqさんは次のように書き込みます。『・・《感情と行動は別である》ということです。「苦しいからしない」「苦しいけどする」「楽だからする」「楽だけどしない」……いろいろありますが、「苦楽」と「するしない」は切り離さなくてはいけないことでした。苦であろうと楽であろうと、すべきことをしないということだけを問題にすればいいことなんです・・』その通りです。苦悩を取り除こうと望めば望むほど、その苦悩は深まります。人生の苦悩を自分として背負っていこうと心が定まれば、本来の欲望が生活のなかで発揮されるようになるのです。
 そしてMaさんは次のように書き込みます。「森田先生の言われる『努力即幸福』の世界は決して成果主義ではありません。・・こんな世の中故に、森田先生の『事実唯真』の生き方が余計にありがたく見えるのです。世が厳しくなれば成る程、人は夢を見たくなるものです。しかし、私達神経質者は、森田によって夢はあくまでも夢であると目覚めることが出来ます。自分の命も人の命もみな大事にするようになります。」
 つまり日々の生活のなかで自分の向上心を発見し、発揮することが、すなわち努力即幸福であり、それがわれわれの人間性の事実であるということです。それが自分を知ること、事実を知ることです。そして私たちの生活を向上することは自分の向上心を現実に発揮する作業そのものなのです。
昇進について '04.12

 Tcさんは抑うつ神経症で悩み、現在は大分回復してきました。そこで問題が起こってきたのです。
「職場で1週間前、課長に体調はどうか?と聞かれました。「今は大分よくなりました。もう薬も飲んでいません。カウンセリングもやめました。でもまだ万全ではなく、あと1・2年もすればもっと元気になっていると思います。」といったことをいいました。 そういう風に課長に言ったのですが、まだ万全でないと言えばまた昇進しないのではないかと不安です。課長も早く元気にならないとなあと言いました。Maさんは昇進は全く気にならないと言いましたが本当でしょうか?普通の人は気になるのではないでしょうか?森田は昇進するような方向で頑張れと言ったのではないでしょうか?なぜ気にならないのですか?・・」さらに自分の病名を上司に伝えるべきかどうか、昇進とのかねあいでTcさんは悩みます。
 Maさんは次のように助言します。「・・私が思いますに、森田先生が言われますように「人は誰でも偉くなりたい」は当然の自然な感情ですが、その思いが強ければ、本筋から外れご本人の力が逆に発揮できなくなって行くのではないかと思うのです。それと、仕事仕事だけに頭を忙殺されることは心身の健康にも悪いように思われます。家庭や趣味や遊びにもバランスを持って毎日を過ごされることが、回りの信頼関係を保つ上にも役立つことではないでしょうか。」
 その後もTcさんとMaさんとのやり取りが続きますが、Tcさんは「かくあるべし」思考に縛られすぎ、結果としてMaさんがいうように力が出せていないのかもしれません。いまこのような問題で悩んでいるときこそ、発想の転換が重要です。つまり人の評価にあまり振り回されると生きることが行き詰まりやすくなります。それよりも目の前のことの取り組み、そしてそのこと自体についてあれこれ工夫し取り組んでいくことが、長い目で見ればTcさんの力を発揮させることになるのではないでしょうか。
うつは回復してからが大事 '05.01

 Ym さんは書きました。「躁うつ病ですので寛解時には、何事も無かったかのように振舞えますので今までは病相を自分でも蓋をして見ないようにしてきましたが、ようやくこの年齢となって、自分を深く見つめ、病を乗り越えて将来を建設的に考える必要性を痛感するに至り・・・」

 長年うつ病を反復してこられたとのこと、ご苦労が多かったことでしょうね。
 Ym さんのように、多くの人はいったんうつ病から回復すると、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」かのように、従来どおり「何事も無かったかのように」過ごそうとします(回復すればそうすることもできます)。辛い時期はなるべく忘れてしまいたいのが人情でもありますね。
 しかしうつ病の予防ということを考えるとき、どこかで「熱さ」を忘れずにいたほうがいいのです。反復性のうつ病は、神経症以上に身体の病気に近いものです。したがって抗うつ薬や気分安定薬(炭酸リチウムなど)などの薬が主な治療の手立てであり、実際気分安定薬がよく効いて長年うつ病相が予防されている方も数多くいます。先ずは根気よく服薬を続けることが大切です。それと共に、yamatack さんは「今までは病相を自分でも蓋をして見ないようにしてきましたが、ようやく・・・自分を深く見つめ」る心境になられた由、心の転換点にたどり着いたのかもしれませんね。せっかくの機会ですから、寛解時の生活にどこか「うつ」を呼び込むようなところがなかったか、かかりつけの医師と共に吟味してみてはいかがでしょう。
 たとえば病気によって休んだ分を取り戻そうとして、回復するたびに仕事にのめりこみ、やがて過労してうつ病に陥るというパターンの人がいます。また異動や昇進のたびにうつ病に陥る人もいますが、そのような人は新しい業務も直ちに、これまでと同様の高いレベルでこなさなければいけないといった「かくあるべし」の強い方に多いようです。「急がば回れ」というように、時間をかけてゆっくり慣れていくように心がけることが大切ですね。いずれにしても、ふだんの生活を改めて見つめなおし、抽象的な心構えではなく具体的な対策を講じていくことが再発予防の力になるはずです。またうつ病の始まりのころの症状(朝早く目覚める、集中力の減退など)を記憶しておき、そのようなサインが2,3日続くようなら早めに受診するといった対処もお勧めします。
(中村 敬 先生)
転ばぬよにするより転んだ時にどうするか '05.02

 Tmさんは「やりたいことがあってもなかなかやる気が出てこない・・・週に一度ずつ起きられない。しかしこの1年半、毎日朝起きて会社に行っているということ自体が18年ぶりの出来事で、うつと大うつの狭間で働いては引きこもり、人と会っては引きこもっていた私にとっては奇跡に近い出来事ではあるのですが・・」と書いています。
 十代から気分変調症に悩まれてきたようですが、ご自分でも「雑談してはいけない、遊んでいてはいけない、休んではいけない・・さもなければ首を切られる、と知らぬ間に感じて恐怖してしまっている・・」と振り返っているように、とても“頑張る”タイプなのでしょう(だったのでしょう)。
 抑うつを繰り返す方には、元来完全主義的で何事もきちんとこなそうとする責任感の強い人が多いようです。それだけに、人並み以上に頑張って仕事に取り組み、やがて疲れてダウンをしてしまうのです。しかしそうした事実も「ふがいない」と自分の責任と考えてしまうため、抑うつが軽減すると、遅れを取り戻そうとまた必死に頑張って自分を疲れさせてしまうのです。まるで毎日全力疾走で人生を送ろうとしているかのように・・。ではダウンしないためにはどうしたらよいのでしょうか?気分の波と上手に付き合うためには長続きする方法、すなわち「力加減」を模索することが重要になります。しかし「力加減」とひとことで言ってもそれはわかりづらいものです。ダウンしてみて始めて、力みすぎていた自分に気付くこともあるでしょう。これは自分なりの試行錯誤から初めてわかるものです。Tmさんも「6割、ほどほど、いい加減・・」などと言い聞かせながらその加減を探っているようですね。
 こうしたTmさんの試みは同じ悩みを持つ人の参考になるはずです。万全であろうとするがゆえに、苦手なことには取り組まないという姿勢も生活の幅を狭めることになり、さらに万全への構えを強めることになります。また100%であらねばならないと考えれば、ダウンしたことに落胆して起き上がれなくなってしまいます。実際は転んでみないと何が悪かったのかはわからないものです。転んでしまったら、またゆっくり起き上がり、出来る範囲で歩いていけばよいのです。人生は短距離走ではなく、マラソンです。「転ばないようにするのではなく、転んだ時にどう起きるか」を生活の中で具体的に探ることが、実は転ばない術を学ぶことになるのです。
(久保田幹子 先生)
うつはがんばらないで治すこと '05.03

 Spさん。うつ病が長引かれていてさぞかしおつらいことと思います。うつ病の急性期(わかりやすく言うと症状が始まったばかりで抑うつ気分があったり行動や思考の抑制がかかっている時期)治療は休息と薬物療法の併用が一般的です。しかし急性期を脱してうつが長引いてしまっている時には休息だけでは逆に治療が停滞してしまうこともあります。
 うつ病の中で森田療法による効果が期待できるのは、1)うつ病の急性期(抑うつ気分などの症状がつらい時期)を脱しているがうつ病が長引いてしまっていて、2)神経質性格がうつ病の自然回復を妨げている場合です。うつ病は本来自然回復する病ですが、神経質性格の方は、「うつを完全に消し去りたい」「常に万全な体調でなければならない」といった「かくあるべし」を自らに課してしまい、うつ病の自然回復を遅らせてしまうことが多いのです。特に「うつ病」の回復期であれば、現状のうつを受け入れつつ、現状でできることを少しずつ行っていくことが大事になってきます。詳しくは中村敬著「うつはがんばらないで治す」(講談社マガジンハウス)を参照してみてください。もしご自身に思い当たることがあれば慈恵医大第三病院精神神経科を受診してみてください。
(舘野 歩 先生)
人と人との関係の中での悪循環 '05.04

Spさん。
ご主人との関係に悩んでおられるとのこと。ご自身にとって大切なことだからこその悩みが「変な」悩みだなんていうことがあるものでしょうか?
具体的な状況や問題はわからないので、ここでは一般的にいえる人との関わりについてお話ししたいと思います。
親子、夫婦、友達・・人と人との関係の中でも「悪循環のとらわれ」は起こります。
(家族の中で起こる悪循環については北西憲二先生の著書などに詳しく書かれています)
相手の人との関係を大切に思い、なんとかよい関係を保ちたいと思えばこそ「相手はどんな気持ちなのだろう」と不安に感じるものですね。
もちろん状況によってはしっかり「何が不安なのか」「本当は何を求めているのか」を話し合うことも必要です。
しかし、不安を消すために相手の人の心を性急に確かめ、白黒をつけようとしてしまうと、相手の一挙一動に敏感になり、ますます不安が不安を呼んでしまうこともままあるものです。
そんなときはいったん不安をそのまま抱えて、その日のご主人の生活(どんな仕事をしたのか、どのくらい疲れているのか、だとしたらこんなものが食べたいんじゃないか・・など)や、自分の生活(不安にとらわれているときは生活に目が向かなくなってしまいがちです。最近忘れていた好きなことはありませんか?)に目を向け、取り組んでみるのも一つのやりかたです。
案外そのほうが話し合うタイミングも分かりやすくなるかもしれません。
また文面からは過去のつらい経験をお持ちになっているのかもしれませんが、「つらい経験をなんとか生き延びてきた今の自分がどう生きるか」、Maさんのような人生の先輩の言葉も励みに、取り組んでみてください。
(塩路 理恵子)
過ぎたるは及ばざるがごとし '05.05

 こんにちはYcさん。お忙しそうですが、以前に比べてお仕事などは順調なように見受けられます。ただ文面を拝見して気がつくのは、やはりYcさんが頑張りすぎてしまい疲れを貯めやすい生活スタイルに陥りやすいという点でした。きっと頑張りすぎる背景にはYcさんの「もっと良い仕事をしたい」という思いがあったからに他ならないと思います。でも「よりよくありたい」という思いがいつしか「こうあらねばならない」という思いに変化していたとしたら、それは疲労を溜め込む生活スタイルへの黄色信号だと思ってよいでしょう。
 そこで大切なのがタイトルにもある気分転換なのだと思います。しかし気分転換と一言で言っても具体的にどういうものがあるのかといわれると中々難しいですね。でも何も気分転換を大袈裟に考える必要は無いと思います。むしろ仕事のことを忘れる時間を少しでも持つようにするといった程度からスタートするのが良いと思います。その際、思い切ってパソコンから離れた時間を作ってみてはどうでしょうか?
 確かにパソコンは趣味としても有用な手段です。しかし、仕事でずっと使用していたとなればテクノストレスを家に持ち込んでしまっているのと同じことになってしまいます。森田療法では、「気分の転換は行動から」とよく言っています。パソコンの手をとめて「ふらっと散歩するもよし」「ストレッチをするもよし」、一つの動きをやめて他の行動を何気なく行なってみる・・・これだけでも!気分転換になるものです。私の友人などは瞑想で気分転換を図っているようです。
 ちなみに私の場合の気分転換は夜のちょっとしたドライブです。これだけでも随分と気分転換になっているように思います。是非「過ぎたるは及ばざるがごとし」ということを念頭に置きながらYcさんの中にあたらしい気分転換の方法が宿ることを願っています。
(樋之口潤一郎)
不安を克服する '05.06

 Wtさん、こんにちは。人前での行動に伴う不安、それに伴う動悸や手の震え、僕にも経験があります。というより、全くそのような不安を感じた経験がない、という人はほとんどいないのではないでしょうか。人から注目される場に置かれた場合、責任感の強い、真面目な人ほど、きちんと振舞いたい、という欲求が強いあまりに不安も高まってきます。Wtさんの不安感も自然なものなのではないかと想像いたします。では、そのような不安を克服するにはどのようにしたらいいのか?
 Ymさんのおっしゃったように、実際の経験をつむこと、これ以外にはないと存じます。怖くても水に入らなければいつまでたっても泳げるようにならないように、不安をもたらす状況に身を置かなければ改善は望めません。不安をもたらす状況で、不安感を受け止めつつ必要な事に注意を向けていく、この経験が大切です。日常生活では様々な不安はつきものです。不安をもたらす状況から逃げていれば不安はかえって強まり、いつまでもつきまとわれることになります。もともとは普通の程度であった不安が病的なものになり、ついには、神経症の症状を生むことにもなりかねません。逆に不安をもたらす状況に踏みとどまり、やるべきことに注意をむけていく経験を積むことで、不安は和らいできます。
 Gqさんのおっしゃったように、積極的な姿勢も大切です。十分な準備をしたり、人前で話す目的をしっかりと考えておき、意識することも重要です。その姿勢によって不安を強めていたエネルギーが正常な、実りのある方向へ生かされるのです。逆に消極的な姿勢、ろくに準備もせず、自分のしなければならない話の内容より、不安や症状のことを気にしてばかりいれば症状が出て当たり前です。森田療法では、症状や不安感よりも行動する姿勢を重視します。不安も持ちつつ取り組む行動の積み重ねによって不安や症状も和らいでくるのです。しかし、まずは行動です。Wtさん、不安でいいのです。今のお気持ちで取り組んでみてください。
(鹿島直之)
家族を心配する気持ち '05.07

 Gqさんは感情に流されずに行動するよう頑張っておられるようです。一方で、以前お父さんに受けた暴力的な支配や躾、現在も残る拒絶感、さらには社会の権威的な体制や行為に対する過敏さや反発する気持ちがあると書かれています。
 そんななか、お父さんがアルコール依存症のように飲酒しているとのことです。大変心配されている一方で、お父さんのことは見守るしかなく、お父さんの不安や心配や飲酒のことを自分が言うことは、お父さんの自己評価を下げることになるのではないかと気にされているようです。しかし、大切なのはお父さんの身体を心配する気持ちです。家族として感じる当然の心配だと思います。お父さんの体が心配であるという気持ちを伝えてよいのではないでしょうか。
 また、高齢者や治療意欲のない方の入院森田療法について質問されています。入院森田療法において年齢の制限はありませんが、高齢の方ですと体力に応じて作業内容を考えなければならないと思います。治療意欲のない方は、不安と付き合うという治療の合意が難しいため、入院生活が苦痛になり治療的意味合いが乏しくなる印象です。
 まずは、一度専門の先生に診てもらってはいかがでしょうか。
(矢野勝治)
家族を心配する気持ち '05.07

 Gqさんは感情に流されずに行動するよう頑張っておられるようです。一方で、以前お父さんに受けた暴力的な支配や躾、現在も残る拒絶感、さらには社会の権威的な体制や行為に対する過敏さや反発する気持ちがあると書かれています。
 そんななか、お父さんがアルコール依存症のように飲酒しているとのことです。大変心配されている一方で、お父さんのことは見守るしかなく、お父さんの不安や心配や飲酒のことを自分が言うことは、お父さんの自己評価を下げることになるのではないかと気にされているようです。しかし、大切なのはお父さんの身体を心配する気持ちです。家族として感じる当然の心配だと思います。お父さんの体が心配であるという気持ちを伝えてよいのではないでしょうか。
 また、高齢者や治療意欲のない方の入院森田療法について質問されています。入院森田療法において年齢の制限はありませんが、高齢の方ですと体力に応じて作業内容を考えなければならないと思います。治療意欲のない方は、不安と付き合うという治療の合意が難しいため、入院生活が苦痛になり治療的意味合いが乏しくなる印象です。
 まずは、一度専門の先生に診てもらってはいかがでしょうか。
(矢野勝治)
うつ病の療養は回復の時期を考慮して '05.08

 Gqさんは、保育士の資格試験の問題を紹介してくれました。保育士さんにも母親の「うつ」について基本的な知識が求められているのですね。この問題の正解は、やはり4(会社を休職して子どもは保育所に通えるよう配慮する)です。Gqさんも言うように、この事例は1ヶ月前からの変調、つまり急性の時期で症状の程度は中等度以上のようです。うつ病の療養には規則正しい服薬と休息が二本柱です。またうつ病の人には叱咤激励してはいけないこともよく言われています。しかし、「私は森田療法で対処しよう!と決めて、_を覚悟で2(家事を時間通りにてきぱきとこなすよう指導する)に_した」とおっしゃるGqさんの心意気もまたよし、です。
 たしかにうつ病のどん底の時期(極期)には、何かをすることによって調子がよくなるということはまずありません。この時期にはゆっくりと休息を取ること、それが可能になるよう環境を整えることが最優先です。しかし、うつ病の治療に際して医師は「休息」ばかりを強調しすぎたきらいがあります。いつまでも休息だけでは十分でないということが、ようやく気づかれてきました。回復期にはいったら、手のつけやすいことからぼつぼつ活動を再開することが必要です。回復の前期には、まだ休息に軸足をおいて活動は調子の比較的よいときに試みてみるというやり方がいいでしょう。しかし回復の後期(大体本来の60〜70%くらいまでよくなった頃)になったら、生活を規則正しく整え、少しテキパキと活動してみることが勧められます。ですからGqさんが選んだ2は、この時期であれば○でいいのです。さらに本来の状態まで回復して安定した後ならば、責任ある仕事を担うことが、最終的に自尊感情の回復につながるということも十分あり得ます。また医師は治療中に、時として患者さんを励ますこともないわけではありません(タイミングが難しいのですが)。
 いずれにしてもうつ病の方が適切な療養生活を送るには、回復の時期を考慮して徐々に休息から活動に移行していくことがポイントになるのです。Maさんが全部○と言ったのも、こうしたことを考えての上でしょう(子どもの保育所を休ませるという選択肢はあまり推奨できませんが、そうせざるを得ない状況もことによるとあるかも知れませんね)。
(中村 敬)
「身を任せること」によって見えてくる '05.09

 新しいことや苦手なことを前にすると、どうしても「自信がない」「こんなに不安な状態ではとても出来ない」と尻込みをしてしまいがちです。そんな時、Gqさんの頑張りに励まされる方も非常に多いことでしょう。「やらねばならない」と思うと、どうしても力が入ってしまうものですが、そんな時こそ「小さな一歩から」踏み出すことが大切です。求職活動で行き詰っていたGqさんの「一つ一つ目の前のことを丁寧にという基本の言葉が頭に浮かび・・・何ヶ月ぶりにゴミを捨てました」という言葉は重要ですね。踏み出すきっかけは、案外生活のそこここにあるものです。
 そうしてとりあえず行動することによって、考えているだけでは見えなかったことが色々と見えてくるはずです。Gqさんの「予期不安に突然襲われて身がすくみ、やっていることを放り出して逃げ出したくなることがあります。それにとらわれているとパニックになるのかもしれません」という言葉にもあるように、行動することによってそれまで避けていた感情を実感するので、一時は辛いかもしれませんが、しっかり体験することによって自分の状態を客観的に見ることも出来るようになるのです。避けていればとりあえずは安泰かもしれません。しかし、先が見えないことはもっと苦しいはずです。体験を通して思うようにいかない自分を知ることは勿論苦しいことですが、たとえ完全ではなくても何かを「やった」という手ごたえは、先が見えない中を一歩一歩進んでいく支えになるでしょう。
 Gqさんはこうも書いています。「今現在、大きな激しい流れの中に身を置いている実感があります。怖いけど身を任せていればいいんですよね」。一言で、不安とあるがままに付き合うといっても確かになかなか思うようにはいかないものです。しかし、こんな経験はないでしょうか?海水浴の最中に大波にのまれて焦った経験が。そんな時、当然苦しいし怖いから必死に這い上がろうとあがいてしまいがちですが、ジタバタあがけばもっと波にのまれてしまいます。逆に波にさからわずにちょっと力を抜いて身を任せてみると、自然な浮力で海面に浮き上がっていきます。これは抑うつの気分についても応用できる姿勢です。皆さんもおそらく日常生活の他のことでは同じような経験をしているはずです。とりあえず、一旦身を任せること、そしてそこで見えてきたものを頼りに次の行動を決めることが、方向性を見誤らないコツではないでしょうか。丁度海面に顔が出てから進む方向を見定めるように。
(久保田幹子)
森田療法的知恵の日常生活での生かし方 '05.10

Md様、自暴自棄になるという不安、とてもつらそうですね。
 人間関係や仕事のことで悩み、自暴自棄になるのではないかと不安に思うことは人間誰しも起こることだと思います。しかしこのような悩みや不安を排除しようとしたりするとますます悩みは増え、不安は大きくなってしまいます。そして人間関係や仕事を避けているとますますひきこもった生活になってしまいます。
 人間誰しもある悩みや不安を排除しようとせずに、悩みをしっかりとみつめ、不安と向き合って見ましょう。すると今まで悩みや不安から逃げていた自分とは違った一面が見えてくる可能性があります。最初は悩みや不安と向き合うことが怖いかもしれませんが是非実行してみてください。
(舘野 歩)
長い人生の歩みと森田療法 '05.11

 Tyさんは、定年退職後のさまざまな問題を契機に二十年近く服薬を続けてこられたとのこと。
「楽天的性格だと思っていた」とおっしゃるだけに、しっかり歩んで凝られた人生の中で落とし穴にはまってしまったように苦しい思いでおられることとお察しします。
「この病気は一生治らないのか」と書かれていますが、これは「この苦しみは一生続くのだろうか」と考えておられるということかもしれませんね。
 文面からだけではどのような症状に悩まれているのか、どのような薬を服用されているのかはわからないのですが、例えば抗うつ薬を服用されている場合はある程度の期間服用を継続することが必要になります。主治医の先生と相談されながら取り組まれてください。
 仕事と家庭内のことで板ばさみになり神経をすり減らす思いをされたとのこと。
これは、仕事のことも奥様との関係もこれを切り捨てたり、悩みを見ないことにしなかったからこそ、生まれた苦しみだったのではないでしょうか。
果たして今の苦しみはこれまでの自分の足で歩んでこられた歴史を否定するものでしょうか。
 北西憲二先生は著書の中で森田先生が行き着いたところは「死はこれを恐れざるを得ない、欲望はこれを諦めることはできない」ということだと書かれています。
 また森田先生は生きる上での煩悶の中にこそ「生の欲望」を見出しています。
 Tyさんがご年長の方だとしたら、こうしてパソコンに向かい、書き込みをするというのもなかなかないことであり、そこからも「なんとか乗り越えよう」と考えておられるエネルギーを感じます。
 長い時間人生を歩むにつれ、さまざまな「失うこと」に出会われるでしょうし、生活する上での苦い思いも抱えてこられたのですね。
 それを「楽天的に」扱うのではなく、むやみに悲観するのでもなく、悩みを悩みとして、事実を事実として受け止め、そして今日一日を大切にしていただけたら、と思います。
 そしてそのプロセスを私たち後から歩むものに伝えていただけたら心強く思います。
(塩路理恵子)
得るために捨てる勇気を '05.12

 こんにちはGqさん。その後、生活の方は如何でしょうか?文面を拝見させていただいて、改めてGqさんにとって森田療法が生活の道標となっているように感じました。ところでGqさんは生活の中で様々な不安だけでなく片付けることにも強い困難を感じていらっしゃるようですね。もしかしたら物事を押し進め、次に進むことが苦手なのかもしれません。
 物事を押し進める際、多かれ少なかれ人は不安やためらいを感じるといいます。しかし、これらの気持ちの解決を待って全ての生活の手を止めてしまったのでは、発展するはずの生活も彩りを失いかねません。
 これに対して森田療法では臨機応変な生活や身軽に動く生活の重要性を説いています。しかしこの生活を押し進めていく上でさらに大切なことは「何かを得ようと思うならば何かを捨てなくてはいけない」という事実であろうと思います。この事実を避けないこと、延いてはこの「捨てる」という気持ちの際に起こる「ためらい」を避けないことが重要なのだと思います。この気持ちと向き合うことで臨機応変かつ身軽な生活が、始めて可能になるのだと思います。
 最初は、上手く物事は進まないかもしれません。特に、捨てきれぬ思いが勝り先に進めないこともあるかと思います。けれど、ここは是非、彩のある生活を説いた森田療法を糸口に粘り強く生活の手を緩めず頑張っていただきたいと願っています。そしてGqさんのお部屋が少しでも快適なものになることを心より願っています。
(樋之口潤一郎)
ご主人のためにも、自分の気持ちに正直に '06.01

 toさん、こんにちは。結婚生活について思い悩んでおられる、とのことですね。ご主人はスキルを磨いて成長したいと給料の安い中国で働いており、toさんは日本で仕事をしながら子供を育てていて、ご主人を応援したいと思っておられる、とのこと、toさんは本当にご主人思いなのですね。
 さて、ご主人は一年に一度帰国はするものの、また中国に仕事に行ってしまう、toさんは、私達の事はどうなるのか、と怒りの気持ちも湧いてくる、ということですね。怒りの気持ちは大変ごもっともで、全く怒らない方がこれは不思議と言うものです。しかし、toさんは怒りの気持ちを持ちながらも、仕事や育児など自分の役割にまい進しようと努力しているご様子、非常にご立派であると感じざるを得ません。ご主人との結びつきは大変に深いものがあるのだな、と思います。尊い思いやりのお気持ちなのでしょう。
 しかし、その一方でどうにもやりきれない思いがして最近落ち込みがち、とのことですね。この思いも全く自然なもののように感じます。物質的にも精神的にもお互いに尊重しあってこその夫婦関係です。それがなければ長続きしないでしょう。toさん、ご主人を思う気持ちは本当に素晴らしいと思います。しかし、toさんがご主人から尊重されているという感じがもてなければ、それはかえってご主人のためにもならないでしょう。ご自身が犠牲になっているように感じられるのであれば、言いづらいこととは思いますが、思い切って正直なお気持ちをご主人に打ち明けてみては?ご主人が日本で働くということがいつも口約束で終わってしまっていること、こういったことについてもオープンに話し合ってみたらいかがでしょうか。話し合いの結果、このままの状態が続く、ということになっても話し合ってみるのとそうでないのとは全然違うと思います。ご主人にお気持ちや努力が理解されている、ということになれば同じ生活をするのでも張り合いは大いに違ってくるでしょう。ご主人のためにも、toさんは自分に正直に、ご無理をなさらず、辛いお気持ちも分かち合ってみたらいかがでしょうか。お疲れ様です。
(鹿島 直之)
恐怖の裏に欲望あり '06.02

hiさんの話からは、恐怖から逃れるために飲酒をするが、飲酒して死ぬことや命を縮めることも恐怖に感じる様子です。 森田療法は、感情をやりくりするのではなく、湧き上がる感情は自然なものとして捉え、それにとらわれることなく目前のことに取り組んでいくなかで、感情は流れていくことを経験し、その結果として感情との付き合い方を体得していく治療法と言えます。
hiさんは、恐怖が生じた際、今までの目的は吹き飛んでしまい、恐怖からどう逃れるかということ(早く家に帰ることや飲酒して恐怖から逃れること)が目的になっているように思います。それは恐怖の対象が漠然としていたり、また周りの騒々しさ、人の多さ、人の顔が怖いなど様々なことに広がっていて、恐怖がどのような欲求から生じてくるものなのか道筋が追いにくいからなのかもしれませんね。しかしいずれにしても、怖いものは怖い、それはいたしかたのない感情の事実です。「飲酒して死ぬことや命を縮めることが怖い」、これも当然の感情であり、そう感じているからこそアルコール依存の治療を受けておられるのでしょう。もしも恐怖を感じなかったなら、心身を蝕んでも平気で飲酒を続けて取り返しのつかないことになってしまっていたかも知れません。「死ぬことが怖い」と感じるその気持ちの裏にはhiさんのよりよく生きたいという欲望があり、それが回復の原動力になるのです。
恐怖も欲望も取り除くことはできない、またその必要もないものだということがお分かりいただけたでしょうか。
(矢野 勝治)
完全主義者とグズグズ・ギリギリ '06.03

Aさんはグズグズ・ギリギリの行動パターンを率直に紹介してくれました。このように文章にすることができるのは、かなり客観的に自分のパターンを捉えているからでしょう。しかし「わかっちゃいるけど手がつかない」という心境なのでしょうね。このようなグズグズパターンは多かれ少なかれ私たちの誰も思い当たるところがあるはずです。かくいう私も締め切りが迫りお尻に火がついてからようやく原稿に着手することがいつものパターンです。とはいえギリギリになっても間に合わず結局予定していた行動を延期するとか取りやめるという結果になってしまうなら、やはり修正の必要がありますね。このようになかなか必要な行動に手が出せないというパターンの一因をなすのが、過度の完全主義です。ひとたびやるとなったら完璧でなければならない、という人ほど、ひとつの行動にかけるエネルギーも莫大なものになります。それだけにすっと手が出ません。ある患者さんは行動に着手することが困難な様子を、「重たいブレーカーを満身の力を込めて押し上げるようなもの」という喩えで表現しました。つまりやるとなったら100、そうでなければゼロになってしまいがちなのです。ではこうした人はどのような対策を立てればいいのでしょう。全か無かの行動パターンから脱するために、森田療法ではいろいろな助言がなされています。普段から価値判断を脇において「尻軽く行動する」習慣を身に着けること。1日20〜30分というように短時間に限定して行動を進めてみること(いきなり長時間集中しようとするとうまく行きません)。また目的とする行動を細かいプロセスに分割して、1日ひとつずつ実行するという方法もあります。行動の期限を定めることも大切ですね。どうか試行錯誤しながら、20,30でもいいから行動を進めて行くやり方を工夫してみてください。どうしてもうまくいかなければ、森田療法施設に入院して、作業を通して新しいやり方を身に着けるという手もありますよ。
(中村 敬)
自分に「合う」ことと「合わない」こと '06.04

 ここ最近のテーマを見ると、「ドクターショッピング」や「(治療が)自分に合うかどうか」ということが話題になっているようです。これだけ沢山医療機関・相談機関があると、どうしても「もっといいところがあるのではないか」「もっと自分に合う治療者がいるのではないか」と考えてしまうものでしょう。そうした思いは、現状を何とか打開したい、それも早く何とかしたい、という願望があるからこそ生じるものだと思います。それだけに「もっと、もっと」と理想を追い求めてしまい、思い通りにいかないことにとらわれている可能性もあるでしょう。Aさんも「自分に合う」とは何だろう、と書いていますが、何を基準に「合う」「合わない」と考えているのかを今一度振り返ってみることは大切でしょう。案外、自分の期待通りの対応をしてくれるか否かが「合う」「合わない」の分かれ目になっているかもしれません。
 勿論、治療も人間関係の一つですから相性はありますが、一番大切なことは疑問も含めて率直に話し合うことでしょう。治療に何を期待しているのか、相手はどのような考えでそうした対応をしているのか、などを治療者と話してみることです。なかなか言い出せない・・・と思われるかもしれません。しかし、相手の考えていることを自分ひとりで考えていてもそれは独りよがりになってしまいますし、思い悩んでいる時間が勿体ないかもしれません。hiさんの場合は、別の病院に行ったら「すっきりした」とのことですが、今通っている病院では「何が不安」なのか、もう一つの病院ではどういった点ですっきりしたのか、などを具体的に考えてみることも必要でしょう。「すっきり感」で判断してしまうと、「気分」で判断してしまう可能性もありますから。また、疑問をもちながらもとりあえず結論を急がずに続けてみることも一つの方法です。他の方も同じようなアドバイスをされていますが、自分の中でレッテルを貼ってしまわずに率直に話し合う中で、あぶり出しのように方向性が見えてくることもあると思います。
(久保田 幹子)
目の前のなすべき事をする '06.05

 mo様、神経症性うつ病(現在では気分変調症と言われています)で今まで長い間悩まれさぞ大変だったと思います。そんな中、「念仏」や「数を数える」ことが「うつ」への注意をそらす方法を知ったのですね。ご自身なりの対処を見つけられたのでこのよう な方法も大事にされていくと良いと思います。

mo様がいわゆる「うつ病の急性期」でないと仮定いたします。森田療法の治癒過程では、そのときの気分に流されず目の前の必要なことに打ち込むこんだ結果として症状との距離が取れていきます。mo様も今までの「うつ」から注意をそらすことも実践しつつ、そのときに必要な目の前のことへも取り組むことが大事と考えます。
(舘野歩)

抱えることと伝えること '06.06

YUさんは、一緒に仕事をしている男性が忙しいという理由で責任の重い製品納期調整の仕事をやらされることになってしまい、戸惑っておられるとのこと。
YUさんの置かれている具体的な状況や前後の流れはわからないので、やりとりを見て思い浮かんだこととして書きたいと思います。
私は仕事柄、そしてプライベートも合わせて、働く女性の話を聞くことも多いのですが、頑張る人ほど、仕事を頼まれて忙しく、大変になることも多いようです。
それはなんといっても真面目で信頼されているからこそ、といえます。
Aさんの「失敗したら会社としても大変なことになる仕事なので、上司としても、責任感のある信頼できるYUさんだからこそ、その仕事を任せても大丈夫と判断したのではないかなあ?」という見解、本当にそうだと思います。
その一方で「一人で頑張る」という状況になってしまうと、つらくなってしまいますよね。真面目な人ほど自分自身が相手の人の求めることを読み取って応えようとするので、周りの人にも「(言わなくても)わかるはず」「どうしてわからないの?」と思ってしまいがち です。残念ながら伝えなくてもわかることは多くはなく、それは自分にも周りにも「かくあるべし」を当てはめることになってしまいます。

YUさんは「『私ばっかりに押しつけて、誰も手伝ってくれないのに』という感情があったように思います。これは『とらわれ』でしょうか?」と書いています。とても素直に自分の感情を認めていると思います。むしろ「プラス思考になるべき」「仕事は楽しむ べき」といった「あるべき姿」を出発点にすると、逆に感情にとらわれてしまいます。Aさんが「・・理由がもう少しましなことなら、納得したかもしれなかったとか。責任の重い仕事は不安だとか」と表現してくださっているように、感じていることをなるべく具体 的に自分の中で整理しておくとよいのではないでしょうか。
その上で、自分の中で抱えてみる感情と、周りの人に伝えていくことを分けてみては?がんばってみたいことや不安に思っていること、手伝ってもらいたいことなどは伝えていきたいですよね。これもできるだけ具体的に。
例えば引き受けるとしても、黙って引き受けるのと、「大変だけどやってみます」と言ったり、「ここの部分は責任が重くて不安なので一緒に確認してください」「自分はこの仕事をまずやりたいので、そのあとこのくらいならできます」などを言うのでは、周りの人に 伝わることも変わってきますよね。
もしも周りの人のサポートも借りながら仕事の幅を広げることができたら、とても素敵なことですね。
(塩路 理恵子)

「楽しむ」ためにも行動を '06.07

こんにちは、hiさん。何事も楽しめないという状況が続いているのですから、お辛いと思います。
ところで、このような「楽しめない」といった気持ちは、うつ病によって抑うつ気分や意欲低下が出現した際、さらに神経症によって不安恐怖に圧倒され先行きに希望が持てなくなった際など、色々な疾患でも表れてきます。
hiさんは、どのような状況で「楽しめない」という気持ちを抱くようになったのでしょうか?
もし現在、治療機関におかかりであれば、主治医の先生に診断や治療について十分ご相談頂ければと思います。

何故なら、うつ病だけでなく神経症であっても適切な投薬や休息は症状を軽快させ、その結果として「楽しめない」という気持ちを少しでも緩和させる可能性があるからです。ただし、全てが服薬や休息任せであってはいけません。時に、これらに過度な期待を寄せるあまり、「症状や気持ちが完全に回復したら生活を立て直したい」といった考えを抱く患者さんを、我々は外来で拝見する事があります。
一見このような考えは理に適っているように思われるかもしれません。しかし、実際には「気分が完全に回復しなければ、行動を起こさない」ということを述べているにしか過ぎないのです。
ですから、うつ病の急性期や症状が著しく悪化している場合を除けば、「楽しめない」なりに少しずつ生活に手を出していく事が、まずは大切になるのです。うつ病の回復期であれば、自分の「感じ」を頼りに徐々に行動することが必要になるでしょう。
さらに神経症であれば、「楽しめない」という気持ちにとらわれずに、目前のことに踏み込んでいく事が必要になるでしょう。このように、「楽しめない」なりに生活に手をつけていくことが、結果として楽しむ生活を得るための近道だったりもするのです。
その際、コツとして、まず大きな目標を立てずに、身の回りのことから生活を立て直すように心掛けてみましょう。特に、生活が昼夜逆転傾向にあるときは、この生活リズムを正す事から始めていくと良いように思えます。最初は、戸惑うことも多いかもしれません。 ですが、継続することでhiさんの生活に楽しみが宿る事を願っています。
(樋之口潤一郎)

気分変調症も森田療法の適応 '06.08

KUさん、こんにちは。症状を自覚して10年間、その間抗うつ薬も全く 効かなかった、ということですね。対人関係をきっかけに抑うつが見られ、疲 労感、意欲の低下、過食、不眠、不安もあるとのこと、大変ですね。この10年間何とか生活してきて、さらに諦めずにこのフォーラムにも参加しておられ る、不屈の意志を尊敬せざるを得ません。

さて、ご質問ですが、気分変調症も適応になります。軽度のうつ状態が長期 にわたるものが気分変調症です。最近、うつ病に対する森田療法の応用は注目 されており、その有効性も実証されつつあります。KUさんの症状につい て考えてみましょう。
まず、対人関係ですが、相手のちょっとした一言や態度 に腹が立つ、相手にいつもイライラしてその気分から抜け出せない、とのこと ですね。ところで、対人関係では、相手に腹が立ったり、イライラすることは ある程度当たり前のことだといえます。むしろ相手といい関係を持ちたい、相 手に期待する気持ちがあるからこそ相手を批判する気持ちが起こってくるのです。
KUさん、その気持ちでいいのです。それはKUさんが対人関係 を大切にしたい気持ちの裏返しなのです。だから、その気持ちのままで、自分を責めることなく、対人関係をさけることなく、必要な関わりを続けていってください。
気分から抜け出すために必要なことは、気分について分析したり考え込んだ りすることではなく、毎日の目前のやるべきことにとりくんでいくことです。

気分にこだわって何もしないでいれば、抜け出すのにさらに時間がかかる悪循 環になります。しかし、目前のことに取り組むといっても、うつ状態で疲労感 や意欲低下が見られるときに無理をすれば、かえって疲労感が強まって状態が 悪化することもあります。そのために、やるべきことに手を出しては見ても、 疲労感が強まってしまう場合には無理を避けて休む、多少状態がよければまた 出来る範囲で手を出してみる、といった工夫が必要となります。完全にやろう とこだわるのではなく、疲労感に注意しながらとりあえず手を出してみる、と いう姿勢です。
気分変調症のように長期にわたっても、毎日の取り組みの積み重ねがいい結 果を生みます。
KUさん、今の不屈の意志を忘れないで下さい。

(鹿島 直之)

自分を知ること '06.09

Aさん、(周囲から話し方や書き方の癖を指摘されてわかった、自分のことは自分ではわからないものだ)と話し、面接の場面でも予想外の状況に戸惑ったこと書かれています。

確かに癖というものは自分ではわかりにくいものです。周囲の人との関わりの中で、はじめて他人の特徴と同様に自分の特徴もはっきりしてくると言えます。例えば、小さな子供は、大人のなかで過ごすよりも、公園に行くようになったり学校に通い始め、同年代の他の子供を意識するようになると、自分と他者との違いがわかり、真似をしたりするなかで成長していきます。他の人や集団を意識するなかで、社会性が育ってくるのだと思います。もし他の人たちと関わる機会がなかったり、自分の短所を気にして人との関わりを持たないようにしていたら、自分が成長する機会も少なくなってしまいますね。ですからAさんがいろいろ試行錯誤し、人との関わりを通して自分を知るようになってきたことは貴重な経験の積み重ねと言えます。

またyuさんは「視点を自己内部に向けるのではなく、外に向ける」ことを提案されました。それも大切なことです。あれこれ自分を分析し、自分が人に与える印象をコントロールしようとしても、そううまくいくとは限りません。「落ち着いていて優しい」印象と「おとなしい」印象とは紙一重のことだからです。それよりも就職面接の鍵は、よくその会社のことを知り、自分が真剣に働きたいという気持ちをいかに伝えるかでしょう。その熱意が伝われば「おとなしそうだが、芯はしっかりしている」といった印象にもおのずからつながるはずです。頑張ってください。
(矢野 勝治)

あるがままに徹する '06.10

Aさん。はじめまして。面接の帰りに「ドキドキ・ハラハラ」という言葉が浮かんできたそうですね。その上で、「前を向いて一歩一歩しっかりと踏みしめて歩いている自分がいる」と書かれています。この文章を読ませていただいた際の私の脳裏には、不安はありながらも、ご自分の気持ちに素直に行動して、生き生きと毎日を過ごされているAさんの姿が浮かんでくるようでした。高良武久先生の「森田療法のすすめ」には、「あるがままというのは当然起こるべき恐怖はそのまま受けいれて、ビクビク、ハラハラしながら本来の発展的行為である飛び込むという欲望によって飛び込むのである」と書かれています。まさに、Aさんは、森田療法の真髄である「あるがままに徹する」行動をしていることになりましょう。症状あるいはそれに伴う苦悩を素直に認め、その上で内なる欲求である「生の欲望」にのって建設的に行動する姿がAさんには見えます。あせらず、ゆっくりと、ハラハラ、ドキドキしながら前進していきましょう。
(川上 正憲)
慢性的なうつ状態の診断について '06.11

Kさんから次のような質問が寄せられました。
友人が「うつ病」という診断のもと、長期間いろいろな抗うつ薬を服用したがいっこうによくならない。本人は「統合失調症の陰性症状ではないか」と疑っているようだが、Kさんは「神経症の可能性」があるのではないかと考えている由。

 長期間、慢性的に持続するうつ状態は診断も治療もなかなか難しいものです。ご友人の場合もいくつかの可能性が考えられます。第1は、主治医の先生が考えているようにやはり本態は「うつ病」だという可能性です。およそ2割くらいのうつ病の患者さんは経過が遷延するというデータがあります。もしそうであるなら、さらに薬物処方を工夫する必要があるでしょうし、また認知行動療法や森田療法などの精神療法を併用することが有効であるかもしれません。ちなみに入院森田療法によってうつ病の回復過程がリセットされる場合がしばしばあります。

 第2は、「気分変調症」と呼ばれる軽症・慢性のうつ状態(通常2年以上持続する)である可能性です。Akiskal という米国の精神医学者によれば、気分変調症のおよそ3分の1は、うつ病が水で薄まったような病態で、抗うつ薬が有効です。しかし残りの3分の2はより性格要因が強く、このタイプには抗うつ薬はあまり効果がなく、治療の主役は精神療法になります。Kさんが「神経症のうつ状態」とおっしゃるのは後者のタイプを指しているのでしょう。典型的な神経質性格の方であれば森田療法がいいと思いますが、必ずしも神経質とは呼べないようなパーソナリティの方であれば、別のタイプの精神療法が適しているも知れません。気分変調症のために米国で開発されたCBASPと呼ばれる治療法(認知行動分析システム精神療法)がわが国にも導入され始めましたが、まだごく一部で試行している段階です。

 第3に、ご本人が考えているように「統合失調症の陰性症状」である場合も、可能性は低いとはいえ否定はできません。統合失調症の陰性症状というのは、この病気の慢性期に目立つことの多い症状で、生き生きとした感情が鈍ったようになる、思考内容が平板で単純なものになる、意欲や自発性が乏しくなるといった状態です。こうした状態はうつ病や気分変調症との鑑別が時として難しい場合がありますが、一般には陰性症状に先立って幻覚や妄想、あるいは知覚過敏などの症状(陽性症状といいます)が短期間でも出現することが多いこと、また本人がこの状態をさほど深刻に悩まない傾向にあることなどが相違点です。
 いずれにしても、うつ状態を鑑別するにはやはり専門医を受診することをお勧めします。元来の性格傾向や発症時の状況、現在の症状、これまでの経過(薬に対する反応性も含めて)などを詳しく検討する必要があるからです。
(中村 敬)

出口は足元にある '06.12

hiさんは「人が怖い」「自由に外出できなくて苦しい」と、またsunsetさんは「本音を話せる仲間が欲しい」と切実な訴えをしています。お二人とも、「(本当は)〜したい」という欲求が強いだけに、思うようにならない自分、先が見えない現状に悩んでいることが良くわかります。こうした悩みに対して、多くの方が適切なアドバイスをされています。焦るhiさんに、段階的な目標を立てて行動するようアドバイスしたり、stさんには仲間作りの練習として発見会やフォーラムへの書き込みを提案していたり・・・どれもとても支えになるアドバイスだと思います。そこで私は、こうした行動への指針に加えて、お二人の悩みから連想したことを書かせてもらうことにします。

お二人の悩んでいる内容は先に述べたように異なりますが、そこには共通して「焦り」と「自己否定」があるようです。具体的には、「〜したい」という願望に近づけないことに対する焦りと、そうした自分への劣等感や自責感です。症状や不安に悩むだけでなく、本当はもっとこうしたいのに・・・という思いが強ければ強いほど、思うようにならない現実にジレンマを感じることになります。こうしたジレンマは、