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心の体験フォーラム・症状別アドバイス集

不安神経症のグループ

恐怖突入の重要性'98.11

不安神経症、不安発作、パニック症候群あるいは不安神経症からアルコ−ル依存へと発展した方など不安神経症に関する多くの問題がここで述べられています。言うまでもないことでしょうが、一応教科書的に不安神経症をおさらいしておきます。不安神経症は不安発作(パニック発作)と予期不安からなります。不安発作には薬物療法が、そして予期不安には精神療法が必要だと現代の精神医学では理解しています。そんなに単純なものであるかどうかは疑問ですが、森田療法は不安神経症に効果を上げています。森田先生の論文を読みますと、外来でいわゆる森田先生の説得によって治った不安神経症の例が報告されています。治療の主眼はやはり予期不安を打破して、不安のままに行動をしていくことです。恐怖に突入することの重要性は、最近になって欧米でも不安神経症の治療の重要な点であると力説されるようになりました。ここでの体験談もやはり恐怖突入の重要性を経験したと述べられています。勇気を持って踏み込んでみること、それにはそのような体験をした人の体験談を聞いたり、アドバイスをもらうことも大切でしょう。
一人で悩みをかかえずに..'98.12

不安にとらわれ、悩んでいても1人で問題を解決しようとしないでください。自分のつらい気持ちを理解し、サポ−ト出来る人たちと対話を続けることが大切です。どうしても人はつらい思いをすると、心を閉じてしまい、そのことが自分のつらさをさらに強めます。またそのことが心を閉じさせ、自分の孤立感を強めてしまいます。私はこのフォ−ラムでの会員の皆さんのやり取りが、ともすれば閉じようとするわれわれの心を開かせる重要な手段と考えています。皆さんの積極的な反応をお待ちしています。
良き理解者が世界中に..'99.1

このグル−プでは、海外在住の方とのやりとりも盛んに行われており、まさにインタ−ネットは世界をかけるというわけです。海外での限られた情報、手段でもインターネットを通して得ることは多いと思います。世界のどこかに自分の悩みの理解者がいて、必要な情報を提供してくれるという安心感は何物にも代え難いと私は思います。
症状の自己理解'99.2

「森田療法では症状の話はそれを拡大するので、なるべく避けるようにといわれ悩んでいる...」。私は、最初症状をきちんと伝えてもらうようにします。なぜならば悩んでいるとき人は症状のことで頭がいっぱいになり、そのことをいうなといわれても困ってしまうからです。そして症状を話しあうことから自分がどのように症状にとらわれているのか、自分で自分の症状を強めていないか、などを理解してもらうようにします。症状をきちんと客観的に見ることは、自己理解の第1歩です。そこをまず理解しないと、次の現実の生活への踏み込むという段階さらには不安の受容という段階に行きません。ざっくばらんに発見会などで自分の悩みを伝えて、自分のことをしっかり理解するようにしてみたらいかがでしょうか。「森田の本を薬のかわりに」。お薬を飲んでいる方も、森田の本を読むことで勇気が出て、薬を減らすことが出来るかもしれません。ただし薬を減らすときには、担当のお医者さんに相談してから、試みてください。
行動すること'99.3

不安神経症で悩んでいる方が次第にそれを克服して、さらに一歩ステップアップを望む時に森田療法は確かに役に立つでしょう。このフォ−ラムに思い切って踏み込んだこと自体が、このような踏み込みが変化をもたらすことと思います。不安を自分のものとしてどのように付き合い受け止めていくか、私たちの人生の課題です。その取り組みから私たちの生き方が見えてくるのです。フットワ−クのよさが鍵ですね。
体の症状で悩んだら..'99.4

身体的症状についてのつらさが述べられています。身体的症状の場合も「なすべきことをなす」でいいのだろうかと不安に感じられているようです。もちろん身体的症状があった時には、それに見合った身体の病気があるかどうかが問題です。それがなければ、今までと違った角度で考える必要があるでしょう。私たちの心と体は私たちが考える以上に密接な関係があります。では身体的症状をどのように受け止め、自分なりに付き合っていったらよいのでしょうか。心と体を自分の体験の中でつなぐものが行動、生活の中での目的にそった行為です。行動を通してそのような身体的、より正確に言うと、心身にまたがる症状の変化を体験できるのです。それと共にいかに自分の体と心が密接につながっているかを実感でいると思います。そこから身体的症状を持ちながら生活する上でのヒントが得られると思います。
不安を受け入れること'99.5

不安にとらわれ悩み、すべてが悲観的で安心できる場所がない...森田の世界にその場所があるのだと思います。
確かに、われわれが苦しいのは、悩むこと自体でなく、その悩みの解決が見出せない場合です。森田は確実に自分がどのようにとらわれ、自分で自分の悩みを拡大していくかを教えてくれます。そしてその悩みの本質的解決は不安を取り除くことではなく、それを受け入れると共に、自分の本来の欲望の発揮であると考えます。
態度の変化が大切'99.6

不安神経症でつらいのは発作そのものよりも、発作を恐れ、人前で取り乱すのを恐れ、そのようなことが自分の弱点、欠点だと悩むことです。それが発作への予期恐怖となり、苦手な場面を回避し、世界を狭めてしまします。
つまり症状を解決することは、症状そのものでなく症状に対する態度、それは人生に対する態度と同じですが、それが変化したときに変わっていくものだと思います。
不安を受け止める心の器'99.7

自分の不安を行動と切り離せるようになったということは、結局不安をそのまま受け止めていけるようになったその人の心の成長であると私は考えています。これは単に不安に耐えることだけでもなく、行動することだけでもなく、不安を抱きかかえるこころの器が大きくなってきたことを物語ります。
症状を持ちながらも..'99.8

症状が出たことに落ち込んで、行動したことを後悔する−これは森田療法を実践すると必ずぶつかる壁です。行動は症状を打ち消すためのものではありません。このように症状を持ちながら行動すること自体が自分を成長させていくものと理解してください。症状を持ちながら、それをそのままにしながら、何かに取り組めるということは確実にその人の成長につながります。
 
パニック障害'99.9

昨今とみにマスコミでも取り上げられるパニック障害。現に多くの皆さんが悩んでいます。森田先生が外来での治療でもっとも得意としたのが、この発作性神経症(いまでいうパニック障害)です。森田療法を学ぶことで得ることが多いはずです。 そして一つだけ付け加えますと、恐怖突入という言葉があります。これは、ただ闇雲に恐怖に突入するのではなく、その恐怖の直面し、恐怖に漂い、そして恐怖をそのまま受け止めていく心の器を作っていくのです。つまりその人が成長するためには必要なことだと思います。
パニック障害(その2)'99.10

パニック障害を解決するためには、パニック発作やそこから生じる恐怖症をしっかりと自分で観察し理解することが大切です。薬物療法は必要ですが、そればかりに頼ると問題は解決しません。やはり不安に対する心の態度をしっかりと作ることが重要です。
フォーラムでは、人間関係にまつわる感情について述べられました。過去から現在までわれわれはさまざまな感情を体験し、特に傷つけられた感情体験は、いつまでもその人を苦しめます。その解決は時間をかけて、「今ここで」の生活を充実させるしかないように思います。そこから違った過去、今までと異なった人間理解が出来てくるようです。
生の欲望と恐怖'99.11

ここではさまざまな不安が述べられています。歯医者に行くこと(私も大嫌いで、恐怖を感じます)、乗り物に乗ること、自分の呼吸が気になること、そして父親に対する悩みなどです。われわれが生きていく上で不安、恐怖はつきものです。生きたいという欲望(森田療法では生の欲望と呼びます)があれば、その背後に恐怖があります。そこでは不安、恐怖に対してそれが生きる上で自分が引き受けていかざるを得ないものと覚悟することが大切です。不安から逃れたいと思えば思うほど不安はつのります。これが不安の逆説です。不安の対処には、まず不安を除くことではなく、不安を自分で作り出し、自分で強めないことを心がけることが大切です。
心からの悲しみは'99.12

フォーラムでは、癌にかかったお父様を持つ方と、お父様をなくされた方のやり取りが心を打ちました。このような気持ちをここで話し合うことは重要なことです。悲しいときに心から悲しめることがうれしいときには本当に喜べる心を作るのだと思います。
森田療法はまた現実の病に私たちがかかってしまったときに、どのような心構えを持てばよいのかを教えてくれるものだと思います。お二人のやり取りを見ながら、考えさせられました。
「クスリ」について'00.1

 私も著者の一人として名を連ねている「心に効くクスリ」という本の題名にちなんで、今回は不安神経症とクスリの話をいたしましょう。
不安を考える場合、急性期(不安発作が主)と慢性期(予期不安、恐怖症としばしばうつ状態を伴います)に分けるとわかりやすくなります。急性期の不安発作の治療は、薬物療法が主となり、不安に対する心の態度はこの薬物療法に平行して作っていくものです。そして薬物療法によって不安が軽減し、不安を受け入れる心の態度ができあがるとともに薬物の減量が可能となります。
しかし多くの場合は、残念ながら慢性的な経過を取ります。慢性期の不安は、薬物療法が従で、不安に対する心の態度を作ることが主となります。そしてしっかりと不安を受け入れる態度を作ってから、クスリを減量することが大切です。それまでは焦らずに、上手にクスリに頼ることも大切です。不安に対する心の態度が進んでくれば、必ずクスリは減らせたり、最終的にはやめることが出来ます。クスリの飲むということに対する自分の気持ちを処方してくれる先生に率直に伝えながら、減量なり、やめる方向に行く方がよいでしょう。
不安神経症の薬物療法について'00.2

不安神経症の薬物療法は、最近とみに発達してきました。すくなからずの人が、薬物療法で軽快し、そのまま治療を終えることが出来ます。しかし残念ながら多くの人は治療が長引いてしまいます。特に神経質傾向のある人、つまり完全主義的な傾向のある人です。不安も完全に取りたいと望んでいるうちに逆に不安にとらわれてしまうのです。
治療が長引いた場合に、その不安にけりを付けることが出来るのは、やはり不安を受け止めるこころの器を大きくするような経験が必要です。それには森田療法が役に立ちます。
完全主義者'00.3

人が悩み出すと自分で気づかないうちに片寄った完全主義者となります。つまり悩む人は多かれ少なかれ完全主義者です。
人に頼ることことも時には必要です。人が完全主義者となりますと、行動は極端になりがちです。極端に人に頼るのをやめてみたり、頼りすぎたりしてしまいます。そのような自分を理解し、ほどほど60点主義で物事に取り組んでいけるとよいと思います。
 
悩みについて'00.4
 
仕事上のことで不安となり落ち込んだりした時に、とりあえず1週間だけでも頑張ろうと短期の目標を立てて頑張っている方がいます。このような具体的な目標は行き詰まったときには重要です。とりあえず出来ることから手を出していくことが、悩みを自分で受け止めていく力をつけていくようです。また同じような悩みを持つ友人と話し合うと勇気づけられるようです。これも大切なことです。私たちの悩みで一番苦しいのは、なぜ自分だけがこのように苦しまなくてはならないのか、と思い悩むときです。それがさまざまな恨みつらみ、人への羨望となり我々を苦しめます。このような時に率直に自分の悩みや自分の弱みと思っていることを友人に相談することです。多くの場合は自分の悩みが決して自分だけのものでなく、他の人に同じよ うな悩みをかけていることに気づきます。そのことが私たちをずいぶん楽にしてくれます。

不安とうつ'00.5
 
最近の精神医学の研究から、以前ほど不安とうつははっきり分かれたものではなく、極めて近い関係にあることがわかりました。従ってその治療は、薬物療法と精神療法が主な方法となります。しかしこの治療の最終的な解決 は、今までも何回となく強調しているように、不安を抱えていけるこころの器を育てることです。なぜ自分がこのような不安に陥ったのか?、それは過去の親との関係?、自分の体質?、現在の環境?などと原因を探求したい気持ちが起こります。しか し残念ながら、不安の原因はひとつのことに還元できません。家族の協力と理解も大切です。薬物療法もある適度の効果はあります。しかし結局その不安とうつからケリをつけるには、不安をしっかりと受け止める心と自分の健康な欲望の発揮です。つまり自然で固有な生き方を見いだすことが本質的な解決になると私は考えています。
不安に踏み込む'00.6

不安は逃げようとすればするほど、取り除こうとすればするほど、 強くなります。これは自分の心のあり方が不安を自分で強めていくことを物語ってい ます。不安に直面し、不安に踏み込む心の態度が大切です。それがすでに不安から逃 げようとしない、不安を自分で作り、強めない心の態度に変わって行くことを物語り ます。そこからは自分の体験です。あ−不安とはこんなものだったのか、自分で体験できるとよいのですが。
過去'00.7

森田療法では過去をどのように理解するのか、それと現在の関係は、について述べてみます。過去の出来事がその人を悩まし、苦しめるときには、まず「今・現在」をどのようにその人が生きているのかを考えます。私たちはまず今を生きることに行き詰まると、過去が大きな意味を持ってその人に襲いかかります。従って森田療法では(少なくとも私の考えでは)、今を問うことからその治療を始めるわけです。率直に自分の気持ちを伝えられているのかどうか、自分の生き方は、などをまず考えてみたらどうでしょうか。以外に問題の解決は身近にあるものです。

「生の欲望」'00.8

症状は確かに人にいいにくいもの、しかしそれを率直に相手に伝えることで、自分が楽になることもあります。それと共にいつも症状の背後になる自分の欲望「生の欲望」とは何かと、問うことです。苦手な背後に実は自分がしたいことがあるということは、私たちが自分としての生き方を見つけていく時に重要な観点です。
相互のやり取りから学ぶこと'00.9

お互いの経験を述べて、お互いに学んでそこから自分を客観的に見ると共に問題解決の手がかりをつかんでいきます。この相互のやり取りを通した相互学習がフォ−ラムを始めとする自助的グル−プの特徴です。人から元気をもらいます。これは他の人たちとのやり取りから生まれたものであると共に、このように感じられる能力を示しています。
パニック発作で悩む'00.10

パニック発作も最近ではよく聞く悩みのひとつです。ストレスの多い時代の産物かもしれません。普通神経質のところで述べたように、パニック発作の背後には、死の恐怖があったり、自分がコントロ−ルを失ってしまい、とんでもないことをしてしまうのではないか、人前で取り乱すのではないかという恐れをしばしば伴います。それと共に外出恐怖、乗り物恐怖もつきものです。このような恐れを強く抱く人が不安にとらわれ、慢性化しやすい傾向にあります。
 以前から強調していることですが、パニックの治療には薬物療法が必要です。しかしパニック発作そのもの、死の恐怖や自分自身を失う恐怖、外出恐怖には薬物療法では限界があり、森田療法が有効です。またパニック障害を治すには、つまりこの神経症にケリを付けるには森田療法が必要です。まず不安は逃げるほど、不安を取り除こうとするほど、不安が強くなるという不安の逆説を身をもって体験することからこの治療は始まります。勇気を持って不安に直面してみてください。幽霊の正体みたり枯れ尾花です。
神経質の陶冶とは'00.11

 神経症の陶冶について述べてみたいと思います。Aさんは「不安や恐怖などの感情が起こってもそれを意思の力でやりくりしないで、「あるがまま」にほっとく。すると強迫観念が起きませんから神経症も起こらない」といいます。それは不快な感情をそのまま受け入れ放っておくことと言う考えと同じものです。たしかに森田のいう陶冶のある一面を鋭くついています。
 そして森田の言葉を引用すると「我々の完全欲というものは、どこまでも際限なしに、押し伸ばしていかなければならない」(森田正馬全集第5巻P84)。つまり、不安・恐怖の感情を放っておくだけではなく、元来持つ自分の欲望を現実に発揮することの重要性を森田は指摘しています。「感情の受容」と「欲望の発揮」が相まって神経質の陶冶がなされるとわたくしは考えます。
不安の逆説'00.12

 もう15年も不安神経症に悩んでいる人がいます。早く治りたいのですが、他の人には話したくないし、薬を飲むのも不安だし・・と書き込みをしています。それと同じように不安神経症で悩む別の人が「早く治そうとする焦り」は悪循環過ぎないのでは述べています。たしかに治そう、症状を取ろう、不安を取り除こう、不安から逃げようとすればするほど、不安はつのり、症状は悪化します。

 人は自分だけが悩んでいると思うとそれだけで苦しみはつのります。悩んでいるのは自分だけではありません。「治ると信じて、一緒にがんばろう」という気持ちが、早くに不安を受け入れ、それにとらわれなくなるこころの態度を作るでしょう。そしてこのこころの態度が出来てくれば、自然に薬から離れていけるようになります。  彼は生きることに行き詰まったようです。しかし「人生、山あり谷ありです。平坦な道ばかりではありません。…・思うようにならない状況で『このままでいいのか〜?!』と自問自答ばかりしていても精神交互作用に よる悪循環を繰り返すばかりです。」調子が悪いときは仕方がないと諦めて、布団を頭からかぶって寝てしまう方がよいと考える人もいます。

 それから救急車で不安発作の時に病院に行くのは止めた方がよいでしょう。経験された方ならわかりますが、このような場合、不愉快な扱いを受けるか、その時限りの安定剤の注射をされるぐらいが多いものです。それよりも、ピンチがチャンス。不安に襲われた ら、「これがどうなるのか見てやろう」ぐらいのつもりでいたらどうでしょうか。不安を観察する勇気ある試みが、不安を受け止めていくこころを作ります。次にはこのような経験を聞けたらよいのですが。

パニック障害(その3) '01.1

 パニック障害で悩んでいます。心療内科で薬物療法を受けていますが、「森田療法でよくなるでしょうか?」と今後の治療方針についての不安、迷いがあるようです。パニック障害と薬物療法、そして森田療法の関係についての詳しいわたくしの見解はいずれこのホ−ムペ−ジに載る予定です。それを参照ください。

  さて実はパニック障害は森田療法が最も得意としている神経症のタイプの一つなのです。森田療法の創始者である森田正馬は、今でいうパニック障害を外来での治療でものの見事に治しています。現代ではパニック障害の治療は薬物療法が最優先されます。急性期の不安に対しての効果はあります。しかし多くの例では薬物療法だけでは治療を終わりにすることは出来ません。つまりそれだけでは治らないのです。薬物療法と森田療法を組み合わせて、次第に不安を受け入れる心が育ってきたら、薬物療法の比重を軽くしていくことが現代のパニック障害の最も合理的な治療法だとわたくしは考えています。「主治医の指導にそって服用しながら森田療法を学んでいってみてください」「医師の処方に従いながら、森田を上手に自分に採り入れていってほしいと思うのです」という助言はまさにその通りだと思います。

フォ−ラムのメンバ −の確実な成長'01.2

 わたくしはこの心の体験フォ−ラムのメンバ−の確実な成長を感じています。Aさんが、人前で話すことの恐怖について書いています。Bさんは、「私も51歳になろうとしますがやはり人前では足は震え声も震え心臓はばくばくと全く同様です。ただ、私の場合はこの状態を決して異常な状態ではないと森田を学び身を 持って知っています」と適切な助言をします。この体験フォ−ラムでいろいろと森田 療法についての書き込みを学んだAさんは「あるがまま」とはどのような心境を いうのだろうと疑問に持ちます。Bさんがさらに伝えます。「まずは、ありのままの自分を認め許してあげてください」そして「次の局面に目を向けて「今何をすべきか」を実践していって下さい」。不安、恐怖、いわゆる症状といわれるものはそのままに受け止め、「今ここで出来ること」に取り組むことが大切なのです。  そしてAさんは、今までとらわれ苦しんできた朝礼当番を何とかやり終えたのです。「とても勇気のいることですが 終えてみるとやって良かった。もちろん怖かったでもそれは自然のことと思えそうです。なんとかやっていけそうです。」と彼女は書き込んでいます。新しい生き方の方向が見えてきたようですし、このような Aさんの体験が他の人に勇気を与えるでしょう。もう一つ。CさんとBさんのやり取りで紹介された、なくなった河野先生 (精神科医)の川柳がわたくしのこころを打ちました。

何事もなかったように日は昇る
人生に理屈はいらぬかたつむり
ほめられた林檎大きな実をつける
平凡に生きて最後も三振
つらい日があって生きている気がする

わたしたちにとっての「生きること」とは、をしみじみ考えさせられました。合掌 。
不安発作の悩み '01.3

 「 離婚するべきか迷っています」と書き込みをしてます。約4年前に不安発作に襲われ、それ以来、いろいろと治療を受け  しかし現在は、むしろ人生を「生きること」そのもので悩んでいるようです。両親・弟と全く絶縁状態、夫のうつ病、買い物依存症などでつらい思いをしています。しかし次の書き込みでは「主人の借金や実家との絶縁など、悩みの多い人生ですが、自分の大切な1度きりの人生なので、自分を殺さず生きて行こうと思います。」と書かれ、しっかりとした心の態度が出来たことを伺わせます。

 不安への「神経症的とらわれ」が打破されても、このように人生上の悩みで苦しむ人たちは多くいます。しかしこれは神経症の悩みと違い、現実の生活そのもの、「生きること」そのものへの格闘なのです。おおいに悩み、夫と話し合い、そして自分として生きていくことが、むしろ不安へのとらわれを打破することなのです。このような悩みはとらわれ、はからう悩みと異なり、人を成長させ、その人らしい生き方へと導いていきます。

仕事上の不安 '01.4

 Aさんが仕事上のことで不安となり落ち込んでいます。B さんも同じような 経験をして、とりあえず1週間だけでも頑張ろうと短期の目標を立てて頑張っていま す。このような具体的な目標は行き詰まったときには重要です。とりあえず出来るこ とから手を出していくことが、悩みを自分で受け止めていく力をつけていくようで す。
 
  A さんはまた同じような悩みを持つ友人と話し合って勇気づけられるといいま す。これも大切なことです。私たちの悩みで一番苦しいのは、なぜ自分だけがこのよ うに苦しまなくてはならないのか、と思い悩むときです。それがさまざまな恨みつら み、人への羨望となり我々を苦しめます。
 このような時に率直に自分の悩みや自分の弱みと思っていることを友人に相談する ことです。多くの場合は自分の悩みが決して自分だけのものでなく、他の人に同じよ うな悩みをかけていることに気づきます。そのことが私たちをずいぶん楽にしてくれ ます。
             
恐怖突入について '01.5

 ここでも多くの方が書き込みをしています。パニック障害がやっと神経症として認 知されてきたようです。しかしパニック障害の治療は、日本では残念ながら適切に行 われていないようです。
 例えばAさんは、「近くの心療内科で「パニック障害」と診断されました。1年近 く薬を飲んでますが、どうも症状がさっぱりしません」と発言しています。パニック 障害の治療は薬物療法だけではなおりません。このホ−ムペ−ジの「薬物療法の捉え 方」を参照ください。パニック障害を克服するには、不安にしっかり直面し、恐怖に 突入する体験が必要です。
 
 今回の書き込みには多くの人たちが自分の恐怖にどのように突入しそして自分の行 動範囲を広げていったかが、書かれています。参照されると大いに役に立つでしょ う。恐怖突入とは、単に不安に慣れることではありません。不安に対する心の態度が 不安にならないように汲々とすることから、不安に直面する覚悟が出来ることを意味 します。それは生きることが不安になる、ならないという基準から、本来に欲望に のった生き方へと変化することでもあります。
       
開き直ることの大切さ '01.6

 Aさんがお母さんの「うつ」の対処法で悩んでいます。いや厳密には「いま した」と過去形を使うべきでしょう。今はそれほどでのないでしょうから。「お母様 の事やお父様の事はお医者様に任せる事と思います。信じる事 母を信じ父を信じ、Aさんより 長く生きている分 立ち上がるすべは知っているはず。 
 Aさ んが元気なのが一番!」とBさんが助言しています。私も同感です。何か悩んだ ときに、まず自分でできることとできないことに分けて、できることをするしかな い、と開き直れれば問題の解決に近づいてきたことを意味します。  
 
  Cさんが吐き気恐怖で悩み、また同じ時期にDさんが吐いてしまう恐怖、実 際に吐いてしまう悩みを書き込みました。二人とも自分が不安神経症であることは十 分意識しているようです。特にDさんはハワイ旅行を控えているので事態は深刻です。Eさんは「あまり時間がないようですので、しばらくは大変でしょうが徹底 的に森田漬けされ乗り切られることを祈ります。森田療法の立場では「過去は決して問わない」と言う教えがあります。また、いくら苦しくとも逃げないでその状況を見 つめることをご自身に言い聞かせて下さい」と適切な助言を送ります。  
  またCさんは「薬物療法と共に恐怖突入して行く事が早道じゃないかなと思います。私も面接時や友人と喋っている時には『別に吐いたっていいんじゃないか?』 と思うようになり昔より幾分楽にはなりました。飛行機で吐いたっていいじゃないで すか。落ちて死ぬ訳でもないですし。コ−ラでも飲んで気楽に行ってきて下さい。」 と書き込みます。  
 
  これも開き直りです。このこころが予期不安を軽減させ、こころをしっかりと現実 へ向かわせるのです。  
  Cさんの診断について一言。担当の先生が抑うつ神経症と言われているのなら ば、それが信頼できるでしょう。慢性化した不安と抑うつが共存する状態を一般には 抑うつ神経症と呼びます。しかし問題はCさんも気づいているようにとらわれた こころのあり方です。
人生上の出来事と神経症 '01.7
 この不安神経症の部屋も多くの人が書き込みをしています。この部屋も活発になりました。Aさんや他のメンバーとのやり取りから自らの経験を深めていく様子が見えてきます。  
  今月のハイライトはBさんの冒険でしょう。「 スゴイ長距離乗車していました(^^; )と題して彼女の経験を述べています。乗り物恐怖の彼女が、600キロ離れたサーキットで事故を起こした旦那さんを迎えに行ったのです。決死の覚悟だったようです。彼女の勇気をたたえたいと思います。Aさんは、「家から一 歩も外出できなかった不安神経症の方が、そのお母様の危篤を聞きつけ我を忘れて飛行機で駆けつけた方のことを思い出しました」と書き込んでいます。私の知っている乗り物恐怖の方も、お母さんが急に病院に入院したということで、15年ぶりに乗り物、それも新幹線に飛び乗り、東京から大阪に看病に駆けつけました。これが不安神経症を乗り越えていく一つの手がかりとなりました。人生上の困難はしばしばその人がそれに真っ正面から取り組むことにより、私たちに健康な力を再認識させ、いきることの意味を再発見させてくれます。
 Cさんが「神経症って、自分の命、ましてや自分の気分よりも、大事なことがあるってことに気がつけば治るような気がします」といいます。同感です。
日常生活の冒険 '01.8
 このグル−プでは、恐怖、不安を持ちながら踏み込んでいった日常生活の冒険の物語が語られています。この日常生活の冒険は読む人に勇気を与えるものです。いわゆる恐怖突入です。不安神経症のみならずさまざまなことでとらわれる人たちが読まれたらよいなと思いました。

 例えばAさんの「イベント前夜の徹夜」、B さんの「結婚式の出席」、Cさんの「海水浴」などです。恐怖に入り込むことで、恐怖の実態を知ることができます。つまり幽霊の正体知ったり枯れ尾花です。

  不安神経症の不安は2つの不安からなっています。1つは不安発作、あるいは不安そのものでもう1つは予期恐怖です。不安そのものよりも多くの場合この予期恐怖が問題です。この予期恐怖のため、自分の苦手な場面を避け、それが自分の自信のなさに拍車をかけます。やっかいなことに、不安とは逃げようとすればするほど、つよくなるのです。そして不安になる、ならない、がその人の生きる基準になってしまいます。それを打破するためには、その時に必要なことを覚悟して取り組むしかありません。不安を基準にするのではなく、自分としていきることを基準にするためです。そのためには恐怖に直面すること、そこに入り込むこと、そしてその体験を客観的に観察し、記述すること(この体験フォーラムの参加者のように)がきわめて重要です。そこで得られた体験がしだいに自分のものとなってくるのです。
不安神経症と薬物療法 '01.9

 今月は昨今のパニック障害の薬物療法がいろいろなところで取り上げられているせいか、あるいは少なからずの精神科や心療内科の医師が神経症治療の第一選択として薬物療法を行うせいか、ここでは薬物療法、抗不安薬のみならずSSRIについてもいろいろな経験と意見が述べられています。このホ−ムペ−ジにも私の意見を述べておきましたので参照ください。
 もう一度簡単に神経症治療における薬物療法の意味について述べます。不安神経症(いわゆるパニック障害や全般性不安障害)の薬物療法はケ−スバイケ−スですが、一応の教科書的な原則はあります。

不安をまず急性期の不安と慢性的な不安に分けます。また不安発作(あるいはある特定の場面で引き起こされる不安)と予期不安に分けます。薬物療法(SSRIも含めて)は急性期の不安、不安発作に効果がありますが、予期不安、あるいは慢性的な不安に対して効果は限定的です。従ってこのような予期不安や慢性的な不安に対しては精神療法、中でも森田療法が有効だと私は考えています。  急性期の不安や激しい不安発作に対して多くの場合薬物療法が必要となります。激しいその人の手に負えない不安の場合に薬物療法を行わないことは、その人の絶望感を強め、時に死にたいという気持ちすら引き起こしてしまいますので時に反治療的です。
 いずれにせよ、多くの人は薬物療法を受けながら、森田療法を学ぶことで不安への 「とらわれ」(つまり神経症)が治っていくのです。そしてとらわれがなくなってくれば、自然に薬物療法から離れることが出来ます。薬を飲む、飲まないにそれこそ神経症的に「とらわれ」てしまう人がいるので要注意です。不安を持ちこたえ、そのままに放っておけるこころを育てていけば、薬物療法はおのずから必要なくなります。
 この治すということは単純な一過性の不安状態を除いては精神療法なしには考えられません。
行き詰まりをどう克服するのか '01.10

 ここのグループでの書き込みもたくさんあります。
 パニック障害の人たちが適切な助言を求めているのかがうかがわれます。やはりパニック障害では薬物療法だけでは 完治が困難で、恐怖に突入し、不安をしっかりと抱え込むことと本来の欲望の発揮が 大切なのです。 しかしこのような森田療法の原則はわかっていても、なかなか不安に直面するとうまくいかないものです。そこにこのフォーラムの意見交換の意味があるのです。
Aさんは「最近は疲労感も強く実践がうまくいっても素直に評価できません。。。。でも逃げる気持ちや諦めの気持ちを持ちながらでも気分に振り回されずに行動第一でがんばります。 は〜つらい・・・」と書いています。
 Bさんは「パニック障害を治すには、どうしたいいのでしょうか!?またわからなくなってしまったのです。・・・私は、このホームページと森田療法の本で勉強をしていますが、時々一人ではわからなくなってしまいます」と書いています。この率直に「わからない」という感覚は大切です。そこから知恵が生まれてくるのです。
 ひとつはCさんの工夫が役に立ちます。彼女は今までの参考になると思うものはプリントアウトして読み、DさんやEさんまた私のアドバイスも参考にしています。ありがとうございます。「意見や、アドバイスを求めるのも一つの手段だと思っていましたが、ココへ来て自分で治していかなきゃイケナイ病気なんだって、分かってからはセコイけど、この手を使っています。」と書いています。これが神経症をなおしていく上で最も大切なことです。神経症を克服するという作業 は、根気の要る作業です。壁に突き当たったら、自分を見直す絶好のチャンスだと考えて初心に戻れば必ず多くのものをつかんでいけると思います。
恐怖に突入すること'01.11

 パニック障害のAさんが大阪に転勤が決まり、引越しのために住む所を見つけなくてはなりません。
 Bさんは卒倒恐怖で悩み、「手の震えや恐怖感だけならまだ何とかなるんですが、気を失ってしまってはどうしようもないんです。もし、採用されたとしても、とても仕事にならず、やっていけないと思い、どうしたものか途方にくれています。」と書き込んでいます。
 Cさんが「私は、まだどうしても不安に思う場所を避けてしまっています。 歯医者も、まだそんなに歯は痛くないからいいや、洋服を買いに行くのも、本当はデパートに行きたいのに、近所でも買えるからとりあえずそこですませてしまおう。なんて思って避けています。前は、不安を持ちながらも電車に乗って出掛けていましたが、最近ずっと避けていたので、ますます恐くなってしまいました。」と述べています。
 パニック障害で悩む人の多くが生活をしていく上で恐怖に突入しなければなりません。そしてそのことで悩むのです。しかしいつも建設的な行動をしなくてはならないと考えるとまたそれで苦しくなります。時には逃げても良いのだと思います。しかし必要な時には、思い切ってそれに踏み込んでみる、そして不安を持ちこたえながら、目の前のことに手を出していくことが大切です。それが不安を抱える心を作るとともに、自分の健康な生の欲望を発揮することにつながります。
自分の悩みを伝達することの意味'01.12

 Aさんが、交通事故のあとのトラブルで悩んでいます。Aさんの自分の悩みを他の人に伝え相談する能力には感心します。つまり悩みを1人で抱え込まずに、このようなファーラムの場で、自ら自分の悩みを語り、そして聞き手の反応をしっかりと受け止めていく能力です。Bさん、Cさんがそれぞれ知恵を絞ってアドバイスしています。このようなコミュニケ−ションを取りながら、自分の問題解決に取り組むことは、神経症の問題だけでなく、私たちが生きていく上でも重要なことです。そしてアドバイスする人たちにとっても、実は自分自身が人に共感す る能力を高め、それがまた自分の問題の客観化に役に立ちます。この不安神経症のグループではそれが特に活発なようです。大いにこのような使い方をしてもらいたいものです。
行き詰まりの解決方法 '02.01

 Aさんが、パニック障害で悩んでいます。Aさんは森田療法を学び、家庭も育児も自分として一生懸命やってきました。しかし森田療法を勉強すればするほど、逆に自分を縛ってしまうようです。つまりいつも不安を持ちながら「しっかりと行動しなくては」と自分で奮い立たせているのですが、うまくいきません。Bさんも同じような悩み、疑問を持っているようです。この事実はとても大切なのです。AさんもBさんも、まじめで完全主義的な方だと思います。すこし森田療法では「こうすべきだ」と肩に力が入っています。完全な行動をすべきだ、不安から逃げてはいけない、そうしないと不安を克服できないと決め付けていないでしょうか。
  不安はしばらくの間はいろいろな場面でついてくるもの、と心に定め、まずこれを完全に取り除こうとはしない心の態度が大切でしょう。そこから不安を抱え込む 力が付いてくるのです。そしてできることをぼちぼちと、ゆっくりとという感じで生活してみたらどうでしょうか。時には不安に漂い、そのような自分を客観的に観察し、日記などに書いてみることも良いでしょう。そこからなにかヒントをつかむかもしれません、そして自分なりの工夫から自分に合った森田療法を見つけることができるようになると思います。
人生はドラマである '02.02

 私たちが生きていくと、さまざまな出来事に襲われます。それは時には仕方がないことであったり、偶然であったり、自分でたぐり寄せたりするものです。そのような 出来事とどのように関わるのかによって、その人の人生と事態は変わってくるのです。それは小説に書かれているような人間のドラマを思わせます。2月の不安神経症のグループでの書き込みは、人生のドラマを私に感じさせました。
 Aさんが、「このままずっとこんな状態が続くのかと思うと、自分で耐えられなくなってきて、自分で自分をふいに何かしちゃったらどうしよう、などという 考えが急に浮かんで恐しくなりました」と書き込みます。Bさんは、「ピンチは チャンス」と発想の逆転、不安から逃げないこころの大切さを書き込みます。その時に思わぬことが起こったのです。Cさんのお父さんの病気が急変し、なくなられたのです。故人の冥福をこころから祈ります。
 不安神経症で悩む方にとっては、これこそ絶対のピンチです。尊敬する父を亡くし たショック、そして近親者としてのお通夜やお葬式の準備とそれらを取り仕切りなが ら行うことなど。しかしそれを避けることはできません。それをきいたメンバーのお 悔やみの言葉は、心温まるCさんに対する配慮に満ちたものでした。このような本当の意味での他者配慮的な言葉は私たちの心を打ちますし、いわゆる神経症のと らわれたこころとは対極的なものでしょう。私もBさん同様胸が熱くなりまし た。このようなつらい体験をしたときには、Bさんが森田の言葉を引用していま したように「悲しみを悲しみとして感じていく」ということにつきると思います。そして故人を偲び、そのこころのままに目の前のしなくてはならないことに手をつけて いくことが大切なのでしょう。しっかりとCさんはそのようなこころの態度を 持ってこのつらい状況を乗り切ったようです。そしてこれがこのようなつらい喪失の 体験を生かし、人が成長していく道でもあります。
パニック障害の不安は脳の機能障害のため '02.03

 最近は神経症の薬物療法が注目を浴びています。そのために自分には何らかの脳の機能的な障害があり、そのためにこの不安が起こるのだ、とまた不安に駆られる多くにパニック障害の人たちがいます。 Aさんもその点が心配なようです。ある本に『パニック発作はふつうの心理的な不安と異なって、何らかの身体的基盤を持つものと考えられる 』とあり、その著者が前慈恵医大教授ということです。実はこの問題は単純なものではありません。もちろんさまざまな感情に身体的プロセスがあるように、不安を感じるには身体的基盤があります。問題は、ある身体的サインを敏感に感じ、それが自分の適応に悪い影響を与える、またはなにか破局的な恐ろしいことが起こる前兆だと考えることです。そうなると、単なるめまい、頭痛、一過性の不安などに強く注意がひきつけられ、そして悪循環が始まります。つまり自分で自分の不安を自分の考えと注意の方向性で強めてしまうのです。この悪循環をきることが森田療法の最も重視するところです。
  またAさんは次のような質問をしています。 『神経質講議』の中に、「女の道」という言葉が出てきますが、「女の道」とは、女性の更年期障害や月経に関する様々な身体の変調の事を指しているのでしょうか。でも、更年期障害や月経に伴う身体変調はホルモンが関係していると思うのですが、「気のせい」なのでしょうか。
  女性のさまざまな身体的変調を血の道とは指すのでしょうが、これも単にホルモンのバランスだけが関係しているとは思えません。その体調の悪さにこれを何とかしなくてはとらわれ、自分で自分の症状を強めている可能性もあるのです。そのことを知る必要はあるでしょう。
生活の発見会について '02.04

 このグループでの書き込みも活発です。ここに書き込んでいる皆さんは不安を 持ちながら、生活での目的をたすために苦手な場面への恐怖突入を試みていま す。うまくいく場合もありますし、そうでないこともあります。しかしこのような試みがやがて自分の不安への関わりあい方を知り、不安への対処法を知り、そ して自分の生き方を見つけていく大きな一歩なのです。
  さてkさんは「一人で頑張り続けるのは厳しいものがあります。今日、生活の発見会に資料を請求しました。出来れば入会しようと思います。」と書き込んでいます。Mさん、Cさんもその決心をサポートします。しかし初めての人にはもちろん生活の発見会とはどんなところだろう、集談会とはなんだろうと不安にもなり、また参加している人たちがみんな元気で自分がだめな人間だ、とも考えてしまいがちです。
 Kさんもそのような不安を持っていましたが、思い切って踏み出してみて、初めて集談会に出席した感想を書いています。「初めて、集談会に出席しました。細かい事は言えませんが私も含めて4人だけだったので却って緊張も少なく話せて良かったです。直接、自分の状態について聞いてもらえた事で気持ちも大分軽くなりました。これからも、出席していきたいと思っています。機会があれば、いろんな会に出席していろんな人の話も聞いてみたいです。」。
  このような最初の出席の経験は恐怖突入といえるものですが、これが大切です。そして自らの不安を語り、経験者からのアドバイスを受けながら、自分なり の不安の対処方法を考える、さらに自分の生き方について考えることは大切なことです。森田療法ではこのような自助的な努力をとても大切にします。自らを助けるものこそが、不安をしっかりと対処できるからです。生活の発見会活動はそのように意味でも重要なのです。
不安の逆説について  '02.05

 Oさんが「逃げずに行動するのが、精一杯・・・」と書き込んでいます。 Sさんも「頑張っても何度耐えても、 成長していなくって・・・戦わなくても、何をしなくても、発作に見舞われ、どうしてなのか苦悶しています」と 書き込みます。たしかに不安が不安を呼ぶ状態はとてもつらいものです。
 このようなときには初心に戻る必要があります。私たちの不安への、そして生 きることへの認識を変える必要が あるのです。不安を取ろう、これをなんとかしたいというのが人情です。ところが厄介なことに不安はそうしようと すればするほど、不安を取り除く行動をすればするほど、不安はいつまでも追っかけてきます。 不安になっている事実を、仕方ないものとあきらめ、受け入れることが認識 を変えることです。 そしてそれとともに不安をとることでなく、目の前のできることに取り組んで以降とする発想の転換が必要です。 それが不安からの開放、正確に言えば、神経症的不安(不安へのとらわれ)からの開放を約束するのです。
 そのためには不安を持ちながら、持ちこたえ、そのなかで不安を取ることをあきらめる (不安は常にあるものと覚悟を決める)ことが次の変化を引き起こすのです。時間はかかりますが、 それが最も着実な変化なのです。
子供を育てることと「かくあるべし」  '02.06

 今回の不安神経症のグループでは、育児、出産にまつわる不安など女性からの書き込みが多いようです。
 例えば、Cさんは3年前にパニック発作に襲われ、外出恐怖ともなりましたが現在は克服できたようです。 現在の悩みは「今、悩んでいるのは、不安症状そのものではなく、子供との関係です。 引っ込み思案な息子なのですが私自身が、子供とは「外で元気に仲良く遊ぶ」というかくあるべしに あてはめようとし、又そんな風に考えるのは、母として失格で母親というものは、 「子供のありのままを認められるおおらかで、優しい人間」という母親像のかくあるべしにとらわれて、 がんじがらめになっています」と書き込んでいます。
 このように完全な母親にならなくてはならない、完全な育児をしなくてはならない、と自分自身を縛り、 苦しんでいる多くの若い母親たちがいます。
 全てを完全にと思うと行き詰まります。私たちのできることは限られているのです。 そして自らに完全さを求めると、さらに子供に対しても「完全さ」を求めてしまいます。 そうなると子供の欠点しか見えないでしょう、自分の欠けている部分しか見えないように。
 子供を育てる上で、自分の出来ることをして後は仕方がないこと、と心に定めれば、 むしろ子供をそのままに認めることが容易になります。結局子供は自分の思い通りに ならない別個の人格を持った人間です。
予期恐怖の対策  '02.07

 NEさんが「私は、不安神経症で、悩んでいます。3年前に、初めて強い不安に襲われました。・・・外で不安に襲われて、取り乱してしまったら、どうしょうという不安があります。・・・またそんな不安に襲われるのが、怖くてどうしても、電車や友達の車で出かける勇気がでません。」と書き込んでいます。ご自分でも行動が大切と自覚されているようですが、どうしても予期不安が強くて、電車に乗れません。
 SAOさんは「気分が悪くなろうとも”その時は、その時”と思うようにしています。今回も、仕事に行くのが怖くなってしまいましたが「気分が悪くなったらその時に考え様」と思い行ってきました。」と予期不安への心の持ち方を助言しています。つまり出たところ勝負という開き直りが大切なのです。
SAKさんは不安から逃げてしまうと後が大変だ、と助言しています。「私 達神経質者は、症状に負けて逃げると、今度行く時に、その何倍もの時間と努力を要します。だから、私はその状況から逃げないで、ぼちぼとでもなんとかやっていければ良いと思います。」大切なことです。 MAさんは「1)般若心経の丸暗記、2)宮沢賢治の詩の丸暗記、3)ビートルズの歌詞の丸暗記」に取り組んだそうです。このように不安をそのままに、何かに打 ち込んでいくことは大切です。ビートルズの歌詞はなかなか味わい深くてよいものです。さてNEさんは皆さんの助言に従って、思い切って電車に乗ることにチャレンジしました。この素直に、びくびくしながら、チャレンジする心が大切なのです。
悩んでいるのは自分だけではない  '02.08

 Miさんが「まさか、私がなるなんて!」と題して書き込みをしています。2人目のお子さんの出産後に、パニック発作に襲われ、そしてまた発作が起こったらどうしよう、自分は頭がおかしくなったのでは、早くこの症状を取り除かなくては、と思えば思うほど、状態はひどくなったようです。また心臓が悪いためでは、という心気的な考えにもとりつかれてしまいました。典型的なパニック発作とそこから生じた悪循環です。
 しかし幸いなことにこのサイトを見つけて、「自分自身をあるがままに受け入れる、という森田療法の考えに、なんだか心が軽くなった気がしました。」と書いています。海外に住んでいられるようなので、インターネットの持つ威力とこのホームページで救われた人も多いのだなあと実感しました。Kiさんがその書き込みに対して、「私の場合ももまさしくその通りでした。呼吸困難に陥った私も、心臓が悪いんじゃないか、肺が悪いんじゃないかと勝手に思いこみ、精密検 査で異常なしといわれるたびにかえって医者に対して不信感を募らせていった記憶があります。・・・毎日苦しさに同居していますが、なんとか一日一日をこなしていけるようにはなってきています。亀の歩みのようではありますが、少しずつ少しずつでも成長できればいいですよね。」と自分の体験を書いています。
 Yさんも同じような経験を書き込みます。Miさんは「Maさん、Yさん、ktさん、はじめまして。みなさ ん、私と同じように神経症と共に暮らしているんですね。こういう場所で同じ症状の方たちと交流するのは、とっても勇気づけられます。・・昨日調子が良くても、今日悪いと「やっぱりだめだ。一生治らないんだ。」ニ落ち込んでいました。でも、最近は「今日はこれでいいんだ」と思えるようになったんです。そうしたら、症状もすっごく軽くなってきました。」と自分の現状を伝えます。悩んでいるのが自分だけではない、自分だけが特別ではないと思えることが、神経症の悪循環から脱出する最初のステップです。そのためにもこのフォーラムは役に立つのです。
純な心、事実唯真  '02.09

 このグループの書き込みも活発です。純な心、事実を事実として受け入れることについて多くの人が参加して論議しています。森田先生は、「素直」という事は、私の常にいう「純なる心」とか、「感じ」とかいう事から出発する事で、つまり理屈から割り出した「思想の矛盾」と反対の事です、と述べています(森田正馬全集第5巻、452p)。
 純な心や事実唯真、つまり事実を事実として認識し、受け入れることと正反対の心の態度が思想の矛盾(とらわれの元になるもの)です。思想の矛盾とは、理屈から物事を理解し、まず理屈で自分の現実、感情、身体を思うがままにしようとする心の態度です。
つまりMさんがいう「そもそも私達神経質者がなぜ苦しみ始めたかと元をただせば、「嫌なことを好きになりたい」「苦労をしないで楽になりたい」という 虫の良いことから起こったことです」が思想の矛盾なのです。 そして嫌なものは嫌ながら、つらいことはつらいながら、目の前のことに取り組んでいくことが 純な心だろうと思います。そして自分の欲望の発揮には苦痛がつきもの、と覚悟を決め、物事に取り組んでいくことそのものが、神経質の向上心の発揮であり、 生きることそのもののプロセスではないでしょうか。それが森田先生のいう努力 即幸福という神経質の本来の生き方だとも思います。
神経質のカミング・アウト '02.10

 Saさんが「・・・でも今後は弱い自分を出しても良いのではと思い始め。それには、言ったほうが良いのか、言わずに自分の心で弱い自分を自覚していれば良いのか悩みます」と書き込んでいます。これは神経質者の、そして悩みを持つ人たちの古くてそして新しい悩みです。自分の不安、恐怖、そして自分が弱点を感じていることをどのようにして人に悟られないようにしようか。私たちはまずそのように考えてしまうのです。しかしそれがまた自分を苦しめていることにも気づいているのです。
 Meさんは「Saさん今晩は〜Meです〜!Meはですねー昨年の夏に友達にカミングアウトしちゃいましたよー・・」といつもの彼女らしく明るく助言します。この率直さがしなやかな強さにつながるのだと思います。
 liさんは「私はきっと皆さんよりおばさんってこともあり、神経症暦も長いので友人にはどんどん言ってます。でもほとんど理解してもらえない、というかふーんそんなこともあるの?って感じで、言ったこちらががっかりしてしまう。いいことは、同じ悩みを持った人に巡り合えるって事。私もこちらに越して きて4年ほどだけど、更年期友達、神経症友達は増えつつありますね。楽しいよー。・・・」と書き込んでいます。なるほどと感心しました。つまり私たちが悩み、それから抜け出せないときには、自分の悩みが、そして自分の性格が特殊であり、特別であり、重大であると考えがちです。それを人に思い切って率直に伝えてみると、liさんも指摘するように、自分で拍子抜けするぐらいあっさりと受け止められたり、親しみを持ってくれるものです。そこで私たちは自分の悩みが特別でも、重大なことでもないのでは、と考えることが出来るようになるのである。それがまた自分の弱さ(それはすべての人が持っているもの)を認められるその人のしなやかな強さにつながるのだと思います。
怒りの感情はコントロールできるのか? '02.11

 Miさんの最近の悩みは、症状よりも自分の生きかた、性格についてのようです。「誰にでも優しく、いつも冷静に物事を処理できる人間に憧れながら、実際には主人と喧嘩をすると怒鳴ったりして「キレてしまう」コントロールの効かない自分に幻滅するのです。そして怒りの感情をコントロールしようと努力するのですが、中々上手くいきません。」と書いています。
 Maさんは、森田先生を例に出しながら、待つことと目の前の作業に取り組むことを薦めています。
 Y3さんは「感情は思い通りには変えられない でも「行動」は変えられます。」とアドバイスします。その通りだと思います。私たちの感情は元来自然なもので、自分でコントロールできないものです。できないことを頭で考え、やりくりしようとすると苦しさは募ります。したがって感情はコントロールできないものと認識が変われば、次にはいろいろな工夫も生まれてくると思います。時には親しい人とは自分の感情をしっかりと伝えて見るのも良いでしょう。その場から離れてみて、自分の感情をしばらく放っておくのも良いでしょう。
 もうひとつ大切なことは、怒りは破壊的であるとともに、創造的となるのです。この怒りをどう生かすのか、自分の感情をどう生かすのか、そこにその人の生き方、個性が見えてきます。
不安は変化し、流れていくものなのか '02.12

 Koさんがパニック障害で悩んでいます。「主な症状は,動悸、呼吸困難(窒息感)、めまい、胸の圧迫感等です。この症状は、毎日有り、特に呼吸に症状がでてしまい、息を吸うとゲップが伴い、めまいを感じ、非常に不快感があります。又、物事に集中出来なくなります。とりあえず、薬を飲んで対処してますが、症状は、完全に無くなる事は、有りません。」Koさんにとって不安は流れるもの、変化するものといわれるとびっくりするかもしれません。不安にとらわれている時には誰でもこれが永遠に続くものと考えてしまいがちです。
 Liさんが自分の経験を生かして、次のように助言します。その経験とは親戚での会食の時の話です。「家族を乗せて車で30分ほどのところまで行くのですが、夕方の渋滞にまきこまれて、胸がつまってきて、心臓が、むずむずする感じから、痛みに、ここで止まってもどうにもならない、引き返すわけには行かない、頭がへんになりそうなと昔思ったその入り口の辺でうろうろする感じでも、家族でおしゃべりはしている(半分上の空だけどね)この痛みはほんとうに体が悪いのでは、心臓でないにしても、肺がんかもとか思いながら、そして無事到着。
 豪華な鍋料理が並んでいるけど、食欲は全くなく、気分を紛らわせるため、鍋に野菜や魚を入れたり、みんなについであげたり、話題を探したり、その間も頭はくらくら、目が回りそう(空腹のせいかも)そして2時間ほど、みんながお腹いっぱいになった頃、すーっと落ち着いてきて、食べられるようになりました。・・・こんなふうで、ちょっとずつ変わっていくのかな?いや変わっていくのだろう!きっと変わる。(わからないけど)」
 そうです。不安は変化し、流動していくのです。不安になってはいけない、その不安から逃げたいと思えば思うほど、不安は募るのです。不安とつきあうしかないと覚悟を決めれば、不安が流動し、変化することを体験できるでしょう。
原点に返ること '03.01

 不安というのはやっかいなものです。私たちの人生の節目、節目に現れ、私たちを苦しめます。それはある程度克服した、楽になった、と思う時にまた現れます。なかなか一筋縄ではいかない相手なのです。Miさんは次のように書き込んでいます。「症状が辛い時期に、原点に返って森田を復習するのは私もやりました。こうして 症状の悪化→森田の再学習→立ち直る→再度悪化→学習が身に付いているから動じない→症状が上向く→症状が気にならない→症状がいつの間にかなくなっているという経路をたどるのだと思います。・・」
 その通りだと思います。私たちが人生に行き詰まった時に森田の原点に立ち返ることでその知恵を深めることが出来ます。そしてその繰り返しが実は「不安」の問題から「生きること」そのものへと私たちを導いていくのです。
体験者のアドバイスとは '03.02

 Hiさんが次のようなことで悩んでいます「・・症状は心臓が苦しくなる感じで呼吸がしづらくなり、心臓が止まるのじゃないかという不安感からじっとしていられなくなるというものです。すごいあがり症のため大勢の人前で話すときにものすごく緊張してしまい、その場面の何日も前から不安に感じてしまいます。会社や電車などいろんな所で症状は出てしまいます。・・どなたか同じ症状や性格もしくは経験者で克服された方などのお話が聞けたらいいなと思います」。
 MaさんやMiさんが早速アドバイスを送ります。それに対してHiさんは「嫁さんや友達に話してもイマイチ理解してもらってなかったので、症状が同じような方からお話いただけて本当にうれしかったです。これから森田療法についてゆっくりと学んでいきたいと思います。特に『症状をなくそうと頭の中でもがいても何も解決しませんが、行動を変えることで意識を他のことに集中させることは出来ます』というのはすごい分かりやすかったです。多分そんなに簡単には出来ないと思いますが、徐々にやっていきたいと思います。このフォーラムにたどりつけてMiさんのような方といっぱいお話できればこの病気とうまくつきあっていけそうな気がしてきました。これからもよろしくお願いします・・」と書き込んでいます。
 このように体験者のアドバイスは時に医師やセラピストよりも説得力を持ちます。また逆にこのようにアドバイスすることにより、助言者の方は自らの経験を明らかにして、その自覚を深めることが出来るのです。それが自助グループやここでの体験フォーラムのよいところだと思います。
不安から逃げてしまうこと '03.03

 Myさんは、パニック障害で悩んでいます。そして現在レストランでアルバイトをしようとしています。さて不安のままにアルバイト先に出かけましたが、そこで発作が起こり吐いてしまいそうになりました。「体は震えるし、吐き気で苦しくて、本当にパニックになっちゃって。 ここまで苦しいのに恐怖突入なんて、今は無理・・。そのお店から出て外の空気を吸ったとたん、発作は治まって、自分がしたことについて後悔してます。でも、もう戻れない。こわくて、逃げてしまいました」と書き込みます。
 Moさんは、「みごとなまでに森田を実行されていると思います。・・・逃げるとは、今回のようなことがまたあるのではないかと自分で悪い想像をふくらませ、なんだかんだと理由をつけて仕事につかなかったり、行かなかったりすることだと思います」と過度に自分を責めてしまい、結果として何も出来なくなる方が逃げることだと助言します。Saさんも「『一歩踏み出す』がこれからのやるべき事なのだと思います。」と書き込みます。
 そうです。人生に取り返しの付かない失敗などないのです。時には無理と思えば、引き返す勇気が必要です。そして時に失敗をしながら、粘って何かに取り組んでいくうちに次第に手応えが感じられるようになります。Maさんもいうように、地道な努力こそ王道です。焦らずに出来ることを一つ、ひとつ、積み重ねていってください。
私たちは失敗を取り戻せるのか '03.04

 Soさんが「あんなこと言っちゃったのはまずかったなぁ、って後悔するのです。いつもそうです。後悔して、「よし、次からは、もっとこんな意見を言おう」とか「自分の話しばっかりせずに、人の意見をたくさん聞こう」とか思うのですが、まったく実行できず、同じ事を繰り返しています」と書き込んでいます。これはよくある後悔ですよね。随分私もこのように後悔したものです。
 Maさんは「森田を知らない前のことでしたら、『さあ、大変、どうしよう。』と大騒ぎになるところですが、感情の法則を学んでそのからくりが解っていますからもう慌てることはありません」と助言します。Miさんは「これが自分なのだから仕方ないのかなと思っています」、Saさんが「『悩みが自分を育てるのだから、悩むことは悪い事ではない』と悩みを無理に取りのぞこうとせずに、悩みと向き合えるようになればしめたもの」と書き込みます。つまり発想を変えることによって、このような後悔こそが私たちを成長させるのです。
 後悔の渦に入ったときには、感情の法則を思い出して、もう少し時を置いてから、つまり待ってからもう一度考えてみようとする態度も大切です。感情が山形の下りにかかる頃にはもっと現実的な考え方ができやすくもなるのです。
神経質の幼弱性とは '03.05

 Saさんが6年前の5月に不安発作を起こしました。つまりとらわれ、トラウマの季節になってしまったのです。「私が不安発作を起こしたのは今ぐらいの季節でもう6年も前の事です。それまでの私は、悩みなど無く毎日楽しく過ごしていました。急に発作におそわれてから、徐々に良くなりつつもすっきりした日は訪れません。…あ〜すっきりしたい、『気分爽快』って心から言ってみたい〜!!」。たしかにSaさんの言わんとしてところはよくわかります。それについてMaさんは鋭く切り込みます。「…あれほどまでに自分を苦しめ悩ませた幼弱性(あれもしたいこれもしたい)が、芽を出し始めてきましたよ。ご用心下さいね。私は乗り越えられないハードルがあってこそ、生きる意味も深みを増すと森田で学び取りましたが」と助言します。
 Moさんは「そういう時は、あっさりと自分の心身の体調をこんなものだと降参してしまう、そういうものだと認めてしまうのが一番楽です。」と言います。Mpさんは「ここが落とし穴なのではないかなと思います。要は、すっきりしない気分や体調に対し、過敏になっているか、そうではないかの違いだけだと思います」と書き込みます。Suさんは「私にもトラウマはありますが、一緒にここで乗り越えていきましょう。」と励まします。Haさんは私もつらいのです、と告白します。Ktさんは「今思うと、発作を起こす前よりも今の方がずっと幸せなような気がします。以前は自分の性格が嫌になることがたびたびあったような気がしますが、今は、あまり思わないんですね。『まあ、僕は僕なんだから仕方がないや』って感じであきらめられるようになったというか」といいます。
 皆さんがそれぞれの立場で書かれていて、それぞれが真実です。私はMaさんの幼弱性を「全てを思い通りにしたい」欲望と理解します。それがわれわれの苦悩の源泉であることは、仏教の教えるところでもあります。そして「世の中には思い通りにならないもの」があり、それをしっかり自覚することからとらわれは抜けられるのです。世の中には思い通りにならないものとは私たちの気分、感情です。そのような認識が幼弱性の克服へとつながるのです。
日々の学習と自覚 '03.06

 Msさんが久しぶりにパニックになりました。「ずっと調子も良く、病気の事などすっかり忘れていました。でも、昨日の夜、寝ようとしたら、目が回り少し息苦しく、冷や汗が出て気持ちが悪くなり、ビックリしました。久しぶりに具合が悪くなったので、チョットと怖かったです。どうしても具合が悪くなると、パニックになってしまいます。皆さんは、こんな時はどうしていますか? 私は、早く治ってーとひたすら祈っています。駄目でしょうか?」と書き込んでいます。Miさんは次のようにアドバイスします。「私の場合、神経症になってから異常に体調に敏感で、ちょっとでも体調がすぐれないと不安になる…の繰り返し。体調なんてたまには悪くって当たり前なんですけど…、私は結構慣れてしまったので、『あ、またかー』と特に何もしません…。」
 Maさんもいうように困ったときの神頼みでなく、日々の学習と実践が大切です。それとともに、ちょっとした体の変化→どこかおかしいのではないかと、自分で自分を不安にするような解釈をする→アーだめだ、と自分で決め付ける→不安反応を起こす、という悪循環に要注意。つまり自分で自分の不安を拡大しているのです。このことに対する自覚が重要です。
神経症と依存 '03.07

 Boさんが次のように書き込んでいます。Boさんは不安神経症で苦しみ、離婚、ギャンブル依存という事態に陥ってしまったのです。「現在40歳です。この病気になって10年になります。・・それは日頃のストレス→解消するための買物、このパターンが増加し、支払いが困難になり『債務整理』をしたのですが(この1年後に最初の発作)余計に経済的な不安が強くなりその結果パチンコに依存してしまい、そしてまた経済的に苦しくなる、この悪循環が不安を大きくする原因ではないか?と思っています。パチンコを辞めるためにカウンセリングに通ったり、民間のサークルにも通ったりしましたが全然効果がありませんでした。5年前には離婚もしました。そして去年の6月には会社を解雇になり今は自営で仕事をしています。・・ギャンブルに依存したり、金銭的に不安になったりする、そもそもの自分はいったい何なのか、今までの人生はいったい何だったのか?毎日が不安の連続です」
 Maさんは次のように指摘します。「・・何故、毎日が不安の連続なのか、Boさんが仰るとおりその依存的な性格が禍しているのだと思います。それでは、どうしたらいいのでしょうか。私はこれを機会にもう一度Boさんが原点に立ち戻られて、これから何をやって生きていったらよいかを模索されたらよいかと思います。そのためには森田の書籍を読まれるのが一番の早道ではないかと思います。」
 私も同感です。Boさんが自覚したように、誰か、何かに頼ろうとする→満たされない→益々頼りたくなる、という悪循環に落ち込みます。その解決にはまず自らの不安を抱え込んでみよう、そこから逃げないでみようと覚悟を決めることです。そうなれば問題の半分以上は解決に向かっているのです。
パニック障害を克服するには '03.08

 Chさんが不安神経症を克服したいと題して、次のような書き込みをしています。「パニック発作をおこして7年になります。今は重度ではないのですが、怖くてできないことがまだまだいっぱいあります。どうしても薬がないと安心できないのですが、昨日森田療法の先生に初めて診ていただき、不安を薬と思って薬は飲まないようにと言っていただき、今日から頑張ってみようと思うのですが、いざ行動しようと思うと正直恐怖心が強いです。こちらでアドバイスをいただいて強くなりたいと思っています・・」このようなことで悩んでいる方も多いと思います。ある程度薬物療法でよくなったのですが、その後がどうしたらよいかわからない、という状態です。Mpさんは正直に次のように書き込みます。
 「・・私は不安神経症になり森田をはじめて1年になります。今まで色々とありましたが、ここで沢山の人に助けられて今では自分が病気だったということも忘れてしまうほどです。そんな私でも未だに発作止めを持って出かけるんですよ。結構忘れてしまうことも多いんですが、あえて持っていくようにしているんです。なぜかと言うと、それは私のお守りのような物だからです。人によっては出かける際に何かを持たないと落ち着かないという人が多いですよね。・・それが私にとっては薬なだけで、要は薬を持とうが持たまいが目的が果たせればそれでいいんです。そうして目的本位の生活をしていれば、目的が果たせたことだけに目がいくようになり、その過程に起きたことや薬のことは気にならなくなります。・・」
 私も同感です。さあ、不安を克服するぞ、とあまり肩に力を入れないことです。薬もお守りでMpさんのいうように持っていればよいのです。そしてしばらくは「怖いものは怖い」と覚悟して、はらはらびくびくしながらその時々の目的を果たしていけばよいのです。不安は時間とともに変化することを経験できるでしょう。この感情の法則を体験すると、「気分」と「行動」は別物であるということがわかってきます。一歩、一歩です。
自らを知ること '03.09

 Emさんがさまざまな不安で苦しんでいます。「・・常に「あの子、なんであんなに小さいの」とよく人に指でさされたり、いじめられていたから「誰か私の悪口を言っているのではないか」と小さい頃から周りを気にして考えるくせがついてしまいました。・・突然、誰かが家に訪ねてきたり、呼んでくれたりするとなんか緊張するんですよね。そんな変な自分を人に見られたくなく必死でした。・・母の母も心配性の人だったから天性のものかもしれないけど「まぁこんなもんでしょうがないか」と思えるようになりました」と書き込みます。このようなほどほど感覚は大切です。
 そしてEmさんは自問自答します。「自分本位の気持ちを優先し、他人に対する思いやりがなく、完全主義的な気持ちを早く治したくなります。何回も人に頼ってはいけないと思いながらもドキドキとはやる気持ちなり、幼児性に何回も戻ってしまいます。他人を利用し、自分の気持ちを居心地よくしようとしてしまいます。友達にも「自分のプログラム通りにどーしてもやりたい人」と言われ、確かに一日の生活でもまず自分の朝から晩までのスケジュールをつくり、それ以外のことが入ると非常にパニックに陥りやすいです。・・今から理想を求め考えすぎているのも今までのカウンセリングで同じ体験をしてきたので分かっています。・・」
 このように自らの完全主義的傾向や他の人が自分をどう見るか、にとらわれ、自然な生き方が出来ていない、という洞察、内省こそが自分を変えていく力となります。そこから自分を生かす工夫が出来てくるのです。
仕事を辞めるべきか、続けるべきか '03.10

 Haさんが仕事のことで悩んでいます。「仕事を辞めようか悩んでいます。とても厳しい社長に毎日怒鳴られています。100やっても200を求められクタクタです。ここで何人か辞めていく人もでました。このまま続けたらいいのか?ほかを探すか?どうしたらいいのか。自分にムチ打ってがんばるか?・・」
 この問題はHaさんだけのものではありません。現代日本の多くの人たちが同じように悩んでいるのではないでしょうか。Maさんは提案します。「・・いかがでしょうか、しばらく継続的にこのフォーラムで心の内を整理されるためにも、日々の暮らしの模様を詳細に掲載されましては。きっと、改善策が書きながら発見できるように思いますよ。」。私も同感です。迷い、悩んでいるときは、時間をおいてみること、そして自分を客観的に観察すること、そしてそれから打開策を考えることが大切だと思います。人に話すこと、このフォーラムに書いてみること、などは自分を観察し、客観的に物事を把握する力を養います。そのうえで、決めることが出来れば、後々後悔する事もないと思いますが・・
苦しいときの対処方法とは '03.11

 Diさんが「最近、つらいことと、怖かったことが重なった後、突然不安感と恐怖感が出るようになりました。仕事は、しているのですが、不安感等が出るようになって、仕事でつかれて、夜、眠ろう、休もうとしても、不安感が先に立って、いろいろな考えが頭をめぐって、寝つきも悪く、熟睡できず、体が休まりません。」とつらい状況を訴え、助言を求めています。Maさんは次のような助言をします。「・・辛いでしょうがお仕事だけはお続け下さいね。・・日薬といって、日にちが経てば必ず改善されます。要はどうしたらその執着から離れられるのか、一寸したことでも良いですから思いつくままにメモに書き出されてはいかがでしょうか」。そして焦らないことを強調します。Emさんは「・・今、自分ができる小さな事からやるようにしています。そして、苦しかったけど出来た自分を自分で褒めるようにしていますよ。そして、生かされていることに感謝することが出来るように必ずなるから。マイペースで!今は自分に対する訓練・・」と書き込みます。Mmさんは「・・頭の中ではいろいろ思考がグルグルしていてもなるべく執着せず今やらなければいけないことをキチンとこなす事に力をいれました。考えと行動は違う!!と自分に言い聞かせながら・・」といいます。Ysさんは今もつらい日々を送っていますが、次のように書き込みます。「・・多分、私には現実を直視できない弱さがあるように思っています。でもありのままの自分で頑張って生きていくしかないと思う、この頃です」。
 皆さんの助言は体験に裏打ちされているので、とても説得力のあるものです。このようなときこそ、森田の原則、「気分」と「行動」を分けることをしっかり認識し、日々の生活に取り組むことが大切だと思います。
森田の学習の進め方 '03.12

 Diさんが一ヶ月前にこのフォーラムに登場しました。不安発作に襲われ、その後さまざまな強迫観念に悩むようになります。しかししっかりと森田を学びながら約一ヶ月経ちました。そこで彼はどのように森田療法を学んだらよいのかを悩み始めました。「・・始めのうちは、暇があるとまるで薬のように、しがみついて読んでいました。今考えると、それは症状をなくしたいが為に、症状をどうにかしたいと言う気持ち”のみ”で読んでいたと自分では思います。
 ・・それも森田の学習のうちの一つでしょうか? 本当に森田先生から学び取らなくてはいけないのは、症状対処法ではなく、森田先生の物の捕らえ方や感じ方、さらには生き方そのものでは?と最近感じています。森田先生の本を繰り返し読んでいますと、そんな気がするのです。症状がどうのこうのではなく、自分がどう生きるか、この限られた時間をどう有効に利用するかということ、生の欲望に基づいて自分を開花させなさい。そして症状があればあるままで、つらいときはつらいままに頑張ったらいいじゃないか。エネルギッシュにその時その時を生きなさい。それを実行するためのヒントが著書に隠されているのではないかと思うのですが・・・」。
 Maさんは次のように助言します。「・・森田の学習については、一足飛びに結論に持って行かない方がよいように思われます。私はDiさんが、一つ一つその過程を大切に確認されながら、そしてやがてはDiさんが言われるように森田的な生き方を目指して進まれることを期待します。」。
 私も同感です。最初は不安の対処方法でいいのです。ここで学んだことを一歩、一歩実行して自分のものとしていくのです。つまり学んだことを実行し、直接に体験してみること、そしてさらに自分の体験を森田の本に照らし合わせてもう一度自分として理解していくことです。私たちの自覚はこのようにして深まり、生き方そのものへと向かっていくのです。最初からそれを意識することは必要ありません。いわば必然的にその方向に向かっていきますので。そのプロセスこそ最も重要なことです。
森田療法を学び続ける理由について '04.01

 Lbさんが次のように書き込みます。「不安神経症になって20年近くになります。森田の勉強も同じだけしてきました。・・でも最近実感していることがあるのです。・・ちょっとしんどくても行くべきだと思ったら、いやな気分を持ちながら行きます。そうすると、帰りには行ってよかったということになるのですね。こういう感覚がこの年になってはじめてわかりました。苦手な掃除でも、前には気持ちを奮い立たせて始めていましたが、今は、気持ちはどうあろうと、今の時間にしとかないといけないんだと、いやいや始めます。そうすると、だんだんはずみがついて、ちゃんとできるし、気持ちはいいし。・・」
 私もこの認識はきわめて重要だと思います。つまり「気分」と「行動」を分けるということです。
 Hiさんが、「Lbさんの状態をみると決して良くなっているとは思いません。・・何故森田をつづけるのですか?いや、つづけることができるのですか?」と疑問を呈します。Lbさんは次のように答えます。「・・やっぱり森田かあって感じで帰ってきています。最初の4年ほど、熱心に集談会に通っていましたが、元気になって、月刊誌を読むだけの時が長く13年くらいありました。良くなってないといえば、良くなってないかもしれないけど 人間の幅は確実に広がったよなあと思っています。・・」
 私たちは誰でも思春期、青年期、中年期と、その人生の節目、節目で悩むものです。そしてその人の危機の様相によって森田に一生懸命取り組む時期と森田から離れる時期もあります。しかし森田に何らかの形で学び続けることで、それらの危機を乗り越えていけるのだ、と思います。それと共に森田への理解が深まっていくのです。
過去の出来事と森田療法 '04.02

 森田療法では一般に過去の出来事は不問とし、「今ここで」生きることに注意を向けるように助言します。しかしわれわれは過去、現在、そして未来へと流れる時間のなかで生きており、事態はそう簡単ではありません。
 Skさんはこういいます。「・・・私も過去のことを話すことで少しでもあるがままに受け入れられるようになりたい・・と、安全に話すことができそうな場を以前探したことがあるのですが最近になって そのような場を得ることができました。遺児の心のケアに長く携わっているかたなので安心・・とはいえ、まだまだ過去のことを話すことに抵抗があり、本当に身震いする思いです。話せたとしてもまた重い気持ちになるでしょう・・。当日行けるか・・も自信がないくらい緊張します。(話そうと思うことを準備はしていこうと思いますが)それでも過去のことを整理する機会になれば行ってきたいととは思っています。森田先生の「過去に問うな」をそのまま読むならば、過去のことを思い出してつらい気持ちになるなんて 症状を固着させるだけでは・・?とも思います。でも、Maさんのおっしゃるように過去を事実として受け止めるきっかけになれば意義のあることなのかなぁと・・」
 私たちが過去にとらわれ、それを苦しむときにはどうしたらよいのでしょうか。まずそれを振り払うのではなく、skyさん、そしてMaさんのように、過去の事実は事実として認めていくことです。それには時に過去を語ることが必要になってきます。その場合共感的な聞き手が必要であり、生活の発見会などの自助グループが役に立つでしょう。
 他はいうまでもなく、「今ここで」をしっかり生き抜くことです。これらが組み合わさってこそ、われわれは過去へのとらわれを抜けることが出来るのです。
自分を好きになる方法とは '04.03

 Emさんが会社を休んで悩んでいます。「・・もうここで会社を辞めたい気持ちです。徹底的な私の欠点は自分で決めれないことです。これから先もいろんなことがある時に誰も助けてはくれないのです。友達に言われていたことが今、すっごく分かります。『誰になんと言われてもいいや』というからっとしたところがなくて辛いです。」となかなか自分を受け入れられない悩みを書き込みます。
 Maさんは次のように書きます。「はい、私もからったしたところがありません。昔はそんな性格が嫌で嫌で堪りませんでした。嫌だ嫌だと自分を責め続け、自分の首を締め付けていったのです。森田を学んでからは、自分のそんな性格を仕方がないと渋々認められるようになっていきました。今はどうかといいますと、からっとしないその性格にも良い点がいっぱいあることが解ります。人にはないなかなか得難い存在です。・・」
 つまり自分のことを嫌だ、嫌だといっているうちは、益々自分を追いつめ、自分で自分の不安、落ち込みを作り、そしてそのような自分がさらに嫌になるのです。それが悪循環です。
 その問題の解決をEmさんは自分で見つけました。「Maさん、有難うございます。なんとか逃げずに乗り越えています」というタイトルで書き込みをします。それがつまり自分を好きになる方法、あるいは悪循環を打破する方法なのです。
不安と薬物 '04.04

 Taさんが薬を飲もうか、飲むまいか悩んでいます。「・・アメリカ生活を終え、先日、無事日本に帰国し、大学の仕事に復帰しました。2年前の講義中のパニック発作以来不安神経症になっていたのですが、アメリカでは薬を飲まずに生活したし、これからは緊張してもパニックになってもいいから、薬を飲まずにいこう、と決めて実行しました。多少の緊張はあったもののパニックもなく無事に講義はできたのですが、講義前の緊張感がものすごく、体ががちがちになるし、また終わったあとも、気が晴れるよりむしろ次の週の講義が不安になったりして、休日でも予期不安が離れません。これならいっそ休みのときくらいは薬でリラックスして楽に過ごしたほうがいいのでは、とさえ思えるのです。それでも「あるがまま」に不安の中にいたほうが良いのでしょうか?」
 パニック障害、あるいは不安と薬物の関係はいつも問題となります。私は一部の精神科医が言うように、薬物のみではパニック障害の治療は出来ないと考えています。一方急性期には薬物療法は必要だとも考えます。急性期の強烈な不安をそのまま放置すると、うつ状態を引き起こす危険性もあるからです。
 しかしTaさんのような場合は、Maさんも言うように、根本的な解決のよいチャンスとも考えられます。しっかりと不安と直面し、感情の法則を体験できれば、自ずから心は現実への健康な欲望の発揮に向かって行くでしょう。
努力即幸福とは '04.05

 Kgさんは不安神経症で悩んでいます。「・・3年前にスーパーに買い物に行ったおり、突然激しい動悸と息苦しさ、強い不安感にみまわれました。その後、外出するたびに不安感と動悸に悩まされるようになりましたが、森田療法の本を読み、自分なりに努力した結果、1年程で徐々に症状は消え、以前通りの生活が出来るようになりました。しかし、昨年の10月の引越しをきっかけに、再び強い不安感と動悸などに悩まされるようになりました・・」と書き込みます。そして森田療法をしっかりと勉強はじめたようです。それはここ1ヶ月の熱心な書き込みで知ることができます。
 ここで取り上げる疑問は次のようなものです。「・・・どのように何を注意すれば、成功体験を体得できるのでしょうか?今の私は、まさしく後者の努力、失策、不成功の反復になってしまっているので、折角努力するのであれば、成功する事によって勇気と自信を養成したいのです」
 Maさんは次のようにコメントを出します。「・・まさに神経質者といった感があります。(笑い)裏を返せば、成功しないのならやらないに通じますからご注意下さい。・・森田先生は『努力即幸福』という言葉をお使いになって私達神経質者に諭します。私達は結果ばかりを追い求めるものですから、良い結果が得られなければすぐに落胆します。森田先生は、結果よりもその時その時、努力する姿そのものが幸福なのであると言われます・・」
 そうです。不安はあるものと心に定め、一歩、一歩目の前の出来ることに取り組んでいくことが努力即幸福に通じる道だと思います。すこしでも前に進んでいる感覚がいずれ自分の「生きる欲望(生の欲望)」をさらに自覚させるのです。
行きつ戻りつ・・・ '04.06

 Kgさんがさまざまな症状で悩んでいます。症状はいろいろと変化するようです。「・・、予期不安も含めて不安感というものは殆ど無くなっています。あんなに困っていた動悸もなりを潜めています。その代り、非常に対人緊張が強く、人と話す時は勿論、お茶を飲む時も緊張でカップを口に運ぶことが出来ません。・・」。
 これはよくあることで症状の変遷と呼びます。しかし根っこは同じで、やはり不安、緊張のとらわれてしまうことにあります。いずれにせよ、Maさんもいうように、完全主義的な傾向がKgさんには強そうです。何か悪いところを見つけて、悲観してしまう、部分を見て全体を見ないという傾向です。不安障害から回復するのは、決して一直線には行きません。このフォーラムでも書かれているように、七転び八起き、行きつ戻りつしながら次第にさまざまなことを学び、自分の知恵としていくのです。そしてDiさんのいうように「一緒に学んでいく心」やSoさんのいう「転びながら学ぶこと」も大切です。
とらわれ、はからいからの脱出 '04.07

 Mpさんが行き詰まってしまいました。「・・私は元々心臓神経症ですので、それ以来脈を計ったりと、自分の心臓がまた気になり始めてしまったのです。でも次第にこれが以前苦しんだ悪循環だということが分かってきましたので、(分かっていながらも止められなかったといいましょうか)心臓へのこだわりは今ではほとんどありません。ところが、それと前後して神経症の様々な症状が出てきました。それらも自分の意識の問題だと分かっているのですが、今症状があるかというのが生活するうえで重要要素になってきてしまって、・・・何でも神経症回復につなげて考えてしまうのです。・・森田を理解していればこんな欲ばりな気持ちにはならないと思うし、こんなことではいつまでも悪循環から抜け出せないのでは?という気分本位な考えも浮かんできます」
 Maさんは台風の時に福井に行っていたそうですが(大変でしたね!)、その体験をひきながら次のように助言します。「・・恐らく被災された方は、ただオロオロされるだけでなく具体的に避難し難を逃れるだけです。この様な立場に立たされた方は、はからっている暇もありませんから直ちに安全な場所へ避難を開始されます。このとらわれとはからいの悪循環を断つことはMpさんが頭で考えるほど難しい問題ではありません。私からすれば、そのことが解らなければ、現実にそのことが解る人に直にお会いしてその方の態度を観察され、その方のアドバイスに素直に従われることです。私もそうですが、結局、この悪循環を断てない自分は強情以外何者でもなかったと解るのみでした。いくら頭でこのことを理解しようとしても実際にその場に遭遇して具体的にテキパキ手を出せるようにならないと難しいものです。」
 Moさんはとらわれ、はからいはじめたときの対策を次のように助言します。
「1:ここまでくると、思考の癖が出来上がっているので執着を取り除くには時間が必要。長丁場になることを覚悟すること。でも絶対に解放されるので、自分自身と、森田を信じること、
2:不快な気分に襲われたら自分なりの呪文(?)をとなえること ちなみに私の呪文は「そのままにするが良い、そのままじゃ、そのままにしておくことじゃ」森田先生書籍より、
3:我慢をして、辛い時期をなんとかしのいでいくこと。症状はあって当然のものと心得る事、この言葉は私には非常に重みがあります。辛い時、「これはあって当たり前のことなんだ」と自分を納得させると、ふさぎこんだ心を元気にしてくれます。」体験に裏打ちされた貴重な助言です。
 Tnさんは「Mpさんも 後ろばかり見ていないで 前を見てゆっくり歩けるといいですね 誰でもぶり返しはあるようですよ」と書き込みます。
 皆さんの助言通りです。まずはとらわれ、はからいに気づくこと、症状は当分はあるものと覚悟すること、そして症状と闘うことを降参すること(これはどうしようもないことですので)、出来ることを一つ、ひとつ取り組んでいくことだと思います。
 そして行きつ戻りつしながら人は自覚を深めて行くのです。そのような意味では自分の自覚、理解を深めるよいチャンスと考えること、発想の転換も大切です。
薬を止めること '04.08

 Kgさんは不安神経症で悩んでいますが、ここでは薬を止めたい、という書き込みをしています。いつ薬を止めるのか、という問題は不安や抑うつで悩む人たちの一般的な問題ですので、ここで取り上げてみましょう。「・・今日は薬のことでご相談なのですが、今現在デパスという抗不安薬を一日1錠飲んでいます。その薬がどうも最近以前ほど効かない感じがしています。(こういう薬はだんだん同じ量では効かなくなってしまうのか!?)もし、あまり効果が期待出来ないなら、いっそのこと少しづつ減量していけたら・・と考えています。ただ、3ヶ月前に一度思い立って突然断薬を決行した時、非常に苦しくなって1ヶ月で再び飲み始めるとういう経験をしていますので、今度は慎重に行いたいと思っています。もし、断薬経験のある方をご存知でしたら、どのような経緯でどんな風にやめていったかの経験談を聞きたいです。今はまずは、焦らず体力作りからと思っています。・・」
 Maさんは他の人の体験や自らの経験をもとに助言します。
 「・・彼ら二人が薬を止めたのも森田先生の教えである《森田療法とは》の《神経質講義》をしっかり掴んだ上で、日々勉強を積み重ねた結果です。森田療法の勉強に加え、私はお二人に基礎体力をつけなさいと言いました。・・断薬の問題は身体が出来上がってからのことです。しっかりと頑張ってやってみて下さい。」
 このように薬を止めるには、それなりの準備が必要です。焦って止めようとすると、Koさんの苦い経験のように再び薬に頼らなくてはならなくなります。抗不安薬には退薬現象があり、薬を止めたために症状が悪化するように感じる場合も多々あります。そして今まで以上に薬に頼ってしまうのです。
 原則は、担当の先生と相談しながら、徐々に行うこと、薬を飲む、飲まないよりも、まず健康的な生活を送ることを心がけることです。それがMaさんのいう体力作りに当たります。そしてこの時期にしっかりと森田療法を学び、しっかりとした認識が出来たら、それこそ自然に薬を止めることが出来るのです。くれぐれも薬を止めることを人生の目的にしないこと、新しいとらわれを作ります。つまり薬ノイローゼです。
森田療法を学ぶということ(知行同一) '04.09

 Tnさんは下痢で悩みながら、一生懸命森田療法を学んでいます。「いましていることは、きにいった語録をいくつか紙に書き、ポケットに入れておき、気が付いたときに、症状が着そうなときに、ぽっけからだしてよんでいます。フォーラムのなかにもありました(森田から離れた生活)にならないように、体を前にだして、がんばっています。」
 Maさんも次のように励まします。「・・森田語録をメモして持ち歩くことはとても良いことです。皆さんどなたも同じようなことをされ乗り越えられて行ってますよ。恥ずかしながら私も万年緊張しっぱなしで、同じくたえず下痢気味です。」
 私も同感です。森田療法の知のあり方は行(行為)と密接に結びついているところにその特徴があります。このようにして日常生活の中で自分自身の認識を深めると共に、それを行為として表現し、そこでの経験がその認識をさらに深め、それがまた行為として表現されていくのです。
中年期の危機と森田療法 '04.10

 Ntさんが長らく不安神経症で悩んでいます。「私は現在47歳です。16歳で不安経症を発病。同時に食べられなくなり1週間前に胃腸神経症でもあるのだと気が付きました。発病以来たびたび不安発作に襲われます。・・34歳くらいから薬は一切飲んでいません。同じ頃知人から森田療法入門・神経質の本体と療法を薦められ発病から17年目でやっと自分の病気の正体がわかりました。34歳から41歳くらいまでは不安神経症はかなり快方に向かっていたのですが41歳のときに久しぶりに不安発作を起こしてから徐々に悪化最近では家にいても家内がいないと不安が起きるようになってしまいました。改めて森田療法を勉強してみようと思っています・・」
 Ntさんのように思春期に神経症を発症し、それをなんとか成人になって克服したようにみえても、また中年になって再燃する人がいます。これらは増えてくるかもしれません。私たちの人生には、思春期―青年期、中年期、老年期という時期に心理的な危機を迎えます。しかしそれを克服することで青年期とは異なる深い自覚に達することも出来るのです。森田正馬先生自身も真の自覚に達したのは40歳も過ぎてからでした。Ntさんも、ここは初心に返り、もう一度森田療法を学ばれたらよいと思います。そしてまず目の前の出来ることを一つ、ひとつ粘り強く取り組んで行かれたらどうでしょうか。17年目でつかんだ自覚がさらに深まると思います。
幼弱性とは '04.11

 Mpさんが次のような疑問を書き込んでいます。「・・”幼弱性”(あれもしたい、これも欲しいというような欲求、自己中心的な物の考え方など)って、一体どうすれば克服出来るのでしょう・・自分の神経症の根っこにあるのがこの”幼弱性”だと確信しています。どうもこの壁に突き当たってしまい、前に進めていないように感じます。幼弱性ってどのように突破出来るのでしょう?」
 Maさんは次のようにレスポンスします。「・・要はいくら頭の中でこの問題を解決しようとしても駄目で、この様に具体的に活字に表現していくと、やがて「幼弱性」の持つ悪い箇所と良い箇所がきちんと整理されて成る程と理解できるようになりますよ」。さらに付け加えて「ものには全て両面があります。学習などではどうしても悪い面の矯正について強調しますので、私はどうかなあという思いです。実際の日常生活において、行動する中で、人間として自然な感情が流出していきます。ぜひ私のお話ししたメモを実際に実行して下さいね」
 私もMaさんの意見に賛成です。また幼弱性という言葉はあまり神経質の本質を指しているように思えなくて、私はこの言葉を原則として使いません。それに類似した言葉として我執という言葉を使います。それはMpさんがいうように、すべてを思い通りにしたいという欲望、自己中心的な心のあり方を示します。しかしそこにはmaさんが言うように、違った側面があるのです。それは神経質者の持つ向上心、よりよく生きたいという欲望(生の欲望)です。この我執に内包する、そして本人がしばしば意識していない向上心を自分の苦悩、症状を取り除く方向でなく、自分を成長させる方向に向けることが本質的な我執(幼弱性)の打破につながるのです。
小さな恐怖突入の積み重ね '04.12

 Mtさんが森田療法の理論は頭でわかるのだが実行できないと悩んでいます。「10数年ぶりに森田を学びなおして、理論的にはだいたい理解できていると思うのだが、小さな実践しかできていない。なかなか恐怖突入ができていないように思う。・・・実際恐怖突入すると疲労困憊になる。胃腸神経症もあるので食べる努力が先かなとも思っている。・・」
 Maさんは自分の経験をもとに次のように助言します。「このフォーラムにも登場しますが、若いMyさんやDi君なども不安障害でした。Myさんはあまりのしんどさに救急車で病院に運ばれたことがあります。薬を常に服用しなければやっていけない状況でした。話を聞くと、食は細く運動もあまりせず、仕事以外は家でジッとしているとのことでした。私は片道7キロの会社までの通勤を歩くように言いました。一緒に歩いたこともあります。私と一緒でとても早足で歩くことができないそんな状況は昔の私と一緒でした。方向もオンチで今自分がどこを歩いているのか解らないという有様でした。約三ヶ月で体力は回復し、今では私と同じ様に自転車で通勤しています。
 ・・また、20年近くうつで苦しんでいた45歳の私の友人も自転車をやり始めました。体力が増し、二ヶ月程前に彼の田舎まで片道約150キロを走破できるまでになりました。この頃の彼の悩みは、早朝覚醒で朝早く目を覚まして渋々自転車のロードーワークに出かけていたが、最近は朝目を覚ますのが大変で練習ができないと苦笑いを浮かべて言います。このようにうつにも効果があるのだと彼も気づき、こんなことならもっと早く私を真似ていればと悔しがります。Ntさんももし頑張れるようだったら毎日少しずつ時間を増やしていって行かれたらいかがでしょうか。」
 まさに森田式運動療法、あるいは自転車療法とでもいうべき方法です。いずれにせよ一歩、一歩小さな恐怖突入を続けていくことだろうと思います。私はそれを人生の習慣作りとよく呼びます。またこのようなことはなかなか一人で続けることが困難です。Ntさんも書き込んでいるように、フォーラムで現状報告を時々されたらよいでしょう。本当はMaさんのように一緒に歩くなり、自転車に乗ってくれる人がいればよいのですが、どこにでもMaさんがいるわけではありませんから・・
苦痛の底にあるのは '05.01

 Nt さんは書きました。「苦痛を取る計らいを止めれば葛藤がなくなるので不安が消えることは多少経験もあり頭では理解できるのだが、苦痛(不安)を嫌う感情はどこからともなく沸き起こってしまう」「苦痛を嫌うのは素直な感情だと思う」

 率直な心情ですね。ことに一度不安(パニック)発作を経験した方は、「二度とこんな苦痛は経験したくない」と思うのが自然な反応のようです。そのような気持ちをよく理解した上で、幾人かの方がとても適切なアドバイスを送っていて感心しました。たとえばYu さんは「私も必要のない苦痛や不安にあえて身をおきたいとは思いませんし、おきません。しかし、自分の納得した生き方の過程に苦痛や不安があったら、仕方ありません」と書いていました。その通りだと私も思います。もう一言付け加えるとすれば、苦痛と感じる事柄こそ、その人にとって大切なことなのだという点です。不安(パニック)発作の際、自律神経の突然の緊張から不安がどんどんエスカレートしていくのは、それが自分の身体におこっているからです。誰でも自分の身体、健康が大切です。それだけに自分の健康、命を脅かすかもしれない(実際にはそうではないが、そのように誤解されやすい)できごとには強い不安と苦痛が生じるのだといってよいでしょう。
 他の例を挙げましょう。仕事の失敗を恐れ、実際に起こった失敗を苦にするのは、その人が仕事を大切に考えているからこそです。仕事なんかどうでもいいや、という人ならそれほど心配も悩みもしないでしょう(同僚にそんな人がいたら困りますね)。また好きな異性に対して、自分の気持ちが拒絶されることを恐れ、あるいは相手の気持ちを測りかねて苦しむ、胸が焦がれるという経験をしたことがありますか。好きでもない相手であれば、このような感情に苦しむこともありませんね。あるいはわが子に対する心配が絶えず、病気にでもなればあれこれ思い悩むのが親の自然な心情です。どうでもいいと思えればさぞ楽でしょうが、そういうわけにはいきません。要するに苦痛の種は大切な事柄(=人間本来の欲望)に宿るのです。
 ですからもし苦痛の種を避けて生きようとすれば、その人は自分にとって大切なこと、望むことを次々に締め出し、隠者のような暮らしをするしかないでしょう。そのように生活をやせ細らせたとしてもなお、苦痛の種は生きている限りどこかに残るはずです。逆に言えば、大切なことを大切にし、その人本来の欲望にしたがって生きるということは、どうしても苦痛を伴うものだということです。Yu さんが言うように「生きている以上、苦痛や不安があるのはいやですが仕方のないこと」なのです。しかしそこに喜びもあります。
(中村 敬 先生)
神経症と薬物療法 '05.02

 Suさんは「医者から薬を出されているのですが、抗うつ剤と睡眠薬を規定量以上に飲んでしまいます。最近では『薬をやめなきゃ』と思うあまりに、体がぼろぼろになっていっているのがわかります」「薬をやめると禁断症状が起こり、耐えられなくなって、一気に薬の服用をしてしまいます」と書かれています。
 実際患者さん達の話を聞いていると、薬を飲むことに抵抗を感じている人は多いものです。Suさんの詳しい症状がわからないので一般論になりますが、森田療法では本来薬は治療の補助として用いているものであり、不安や症状と付き合う姿勢が培われたならばいずれは不要になるものです。しかし患者さん達は、薬を飲むと一生飲み続けなければいけないのではないか、依存症になってやめられなくなってしまうのではないか、などと考えて非常に葛藤的になってしまうようです。Suさんの現在の様子をみると、もともとの症状から、薬をめぐる問題に悩みがすりかわってしまったように見受けられます。
 神経症の人は、不安に怯えつつも薬に頼っている自分をふがいないと考えがちです。しかしそのために薬を自分の判断で急にやめてしまうと当然その反動が生じます。Suさんが「禁断症状」と呼んでいるのはそのことでしょう。急にやめるから苦しくなり、より薬を飲まないといられなくなるといった悪循環に陥るのです。薬はきちんと使えば不安を和らげたり、睡眠を整える作用があり、症状と付き合う姿勢を身につける際の助けになるものです。薬と格闘するのではなく、薬を上手に味方につけながら、まずは不安に振り回されずに行動する姿勢を身につけることを目標にしてみましょう。それが結局のところ、薬を飲まない生活への近道なのです。T2さんは、「気が付いたらお風呂の中で鼻歌が出ていました」「昨日から薬も一日一錠になりました」と書いています。不安に翻弄されずに生活している自分を実感するのは、T2さんの記載にあるような何げない生活の一場面ではないでしょうか。こうして肩の力が自然と抜けてきた時、薬といった踏み台も不要なものとなっていくのです。
 T2さんは「神経症から少しずつ脱却しているところだとしたら、どんな風にしていったらいいのでしょうか」と書いています。Kgさんの記載がそのヒントになるかもしれません。「ここ何年かは、ただの作業だった食事作りも、子供達や夫の好きな物を栄養面のバランスも考えながら用意しています。おやつも子供の喜びそうな物を買いに行ってみたり、今度は久しぶりに手作りでもしてみようか、なんて気持ちも出ています。そういえば、以前は料理大好きだったなあ、なんてことを思い出しました」。不安はあっても良いのです。「〜したい」という健康な欲求を道しるべに進んでいくことが、神経症からの脱却に繋がります。
(久保田幹子 先生)
不安に向き合い、解決するのではなく、つきあう姿勢で '05.03

 Grさん。不安やパニックに圧倒され、8年間も悩まれていてわらをもつかむ思いで投稿されたことと存じます。Grさんも頭部MRIや脳波検査で異常がないという前提で話を進めてまいります。
 まず不安から逃げようとしてますます不安が大きくなっていることはありませんか?不安は逃げれば追ってきます。最初はつらいかもしれませんが、不安から逃げずに不安と向き合い受け止めていくようにしてみましょう。
その上で不安の背後にある健康的な欲求(生の欲望)に沿って少しずつ行動範囲を広げていってはいかがでしょう?この際気をつけていただきたいのは、自分の苦手な急行電車に乗るために急行電車に乗るようなことは森田療法的には逆効果です。急行電車に乗ることは、例えば本屋へ行くといったような目的場所へ行くための手段なわけです。不安を持ちつつ行動をしていく際はこのように自分が「〜したい」ことをしていく過程で急行電車を利用できれば良いくらいに思われていた方が良いでしょう。
(舘野 歩 先生)
服薬を始めることと森田療法 '05.04

Jbさんは、パニック障害に耳鳴りなどが加わり、今まさに苦しい最中におられるようですね。
具体的な生活のご様子などはわからないので、ここでは森田療法と服薬について触れたいと思います。(生活を振り返るにはアドバイスのように日記を書いてみるのもよい方法だと思います)
神経症の方は、慎重である分、服薬にも不安を持たれる方が多いようです。
森田療法についても最初は「薬を使わない治療法だ」と思って関心を持たれる方もいらっしゃいます。
もちろんこれは無頓着であったり、安易に薬に依存してしまうよりも、大切にされてよい姿勢だと思います。
しかし、薬物という「道具」を使わないことが目的になってしまい、生活が狭まってしまうとうのも、もったいないことかもしれませんね。
薬物に「頼る」と考えてしまうと、逆に薬に振り回されてしまうかもしれません。
そこで、薬物は、「行動を広げるための杖」と考えてみてはいかがでしょう?
あくまでも主体は自分、薬物は利用する道具です。
杖は助けにしても、歩みを進めるのは自分な訳です。そして、いつかは手放していくものと位置づけておきましょう。
服薬されているということは、主治医の先生がおられるのですよね?もう一度、服薬について、薬の種類や飲み方も含めて率直に話し合われてみてはいかがでしょうか。抗不安薬のほかにSSRIなどの選択肢もあるでしょう。場合によっては飲み方を一定に決めてしまうほうが「飲むか飲まないか」に振り回されないかもしれません。薬についての不安も、副作用が不安なのか、依存してしまうのが不安なのかなど、具体的に話しあったほうがよいと思います。
薬物療法は森田療法と対立するものではなく、お互いに補いあえるものだと思います。
そして「おそるおそる」でよいので、もう一度できるところ、一番必要なところから生活を立て直すよう、取り組んでみてください。
(塩路 理恵子 先生)
変化と不安 '05.05

 こんにちはKgさん。今は以前に比べて大分、不安発作の方は良くなっているようですね。きっと森田療法に取り組んだ不断の努力の結果と思います。今は雛鳥に挑戦しているのですね。あらためて雛鳥を飼って生活に潤いを持たせようとするKgさんの姿勢に感心させられます。
 ところで今は雛に餌を与える際の手の震えを気にされているとのこと。また次から次へと症状が変化することにも苦しんでいらっしゃるように見受けられます。もしかしたらKgさんの生活が以前に比べ広がって、変化のある生活になってきたからではないでしょうか?一般的に神経質の方は、変化に対応することがとても苦手です。ですから変化のある場面に遭遇すると「上手くできなかったらどうしよう?」などといった不安を抱きがちです。きっと手の震えに対する心配も「上手く餌を与えられなかったらどうしよう?」という不安の現れかもしれません。ですから何か新しいことを始めるときには「多少の不安は起こってくるのが当たり前」と思っていた方が良いと思います。
 しかし、その一方で神経質の人達は決して今の状況をよしとしません。むしろ「もっと良くありたい」と向上発展しようとする意欲も人一倍強いと思います。Kgさんにも向上発展しようとする姿勢を強く感じます。そのため、手の震えを気にしながら雛をきちんと育てて行っていただきたいと思います。特に雛は変化にとても弱い生き物です。Kgさんが刻々と変化する雛の状況に配慮しながら親鳥に育てあげていってもらえたらと思います。親鳥になったときに、きっと新しい自信と喜びがKgさんの中に宿るのではないかと思っています。その時、もしかしたら手の震えは変化しているかもしれません。是非頑張ってくださいね。
(樋之口潤一郎)
完璧すぎず、リラックスして '05.06

 Htさん、こんにちは。掃除洗濯、料理を毎日完璧にこなした上に、このスケジュールは大変ですね。家事と外出と、両方に十分に気を配っていくことは難しいことでしょうね。しかし、完璧にこなす、というおっしゃられ方に主婦としての誇りが感じられます。
 責任感と向上心が大変お強いかたなのだな、とも存じます。Htさんの体験について、私なりに感じたことをお伝えさせていただきます。胃腸神経症もパニックも焦燥緊張も全て自分の力量以上のことをしようと自分への厳しさから神経症としてでている、とのことですね。一般に、向上心の強いかたほど自分には厳しいものですね。かくありたい、理想の自分と、現実の自分との違いに激しく悩み、自分の感情を受容せず、自責的になることも多いものです。同時に、向上心が強ければ強いほど、自己に要求する課題が大きい余りに、不安や緊張を乗り越えなければならない場面も増えてきます。その状況で自分に完全を求めすぎてしまえば、緊張や焦燥感が強まり、その結果として神経症の症状が出現することもあり得るでしょう。しかし、理想を持つことに伴う不安や緊張といったネガティブな感情も当然のこととして受け止め、自分を責めず、完全を求めすぎず、行動の優先順位を考えていく姿勢があれば、理想の自分へ近づいていくことも可能でしょう。自分の力量以上のことをしたい、これは向上心のある人には当然のことです。それでいいのです。
 時には寝込んだり、症状を感じたりする自分も許してあげながら、行動の優先順位をつけて生活に取り組んでいただければと思います。また、ご意見の通り、お薬は症状や不安を和らげ、行動のハードルを低くする効果があります。必要な行動をするために、時には薬の力を借りるということは治療上有益です。落ち着いた頃に薬はだんだんやめていけばよいのです。取り組んだことをまた教えてください
(鹿島直之)
子育てを通して '05.07

 Koさんは完全でない状態を受け入れられずに困っていらっしゃるようです。例えとして喘息を持つ息子さんのことをあげられています。maさんも言われていますが、大切に思う息子さんが病気で苦しんでいる姿を目の当たりにした時、母親としてどうしてあげればよいかわからずに不安になり、忍びない思いになるのは当然だと思います。もっと受け入れなければならないと思ったり、心揺るがずに対処しようと思うのではなく、実際に逃げ出さず傍にいて言葉をかける、それで充分ではないでしょうか。母親として出来ることを努力されている姿はすばらしいと思います。
 出産や子育てを契機に不安が強まる人がいます。子育ては症状が生じやすい場面であるといえますが、その一方で自己成長のよい機会であるともいえるでしょう。頑張ってください。
(矢野勝治)
ピンチはチャンス '05.08

 Hdさんは書きました。「25歳の頃不安神経症の症状がでました。・・・それから30年相変わらず不安やとらわれがあっても森田療法を自己流に取り入れてここまで来ました。でも最近あのころのとらわれ、不安感のすべてがよみがえってきて、今回は正確に学びたいと思っています」。
 Hdさんの書き込みをきっかけに再発の問題が話題になりました。できることなら、二度と不安症状を味わいたくないという気持ちはおそらくどなたもお持ちでしょうね。しかし症状の再発は、時には起り得ることなのです。不安神経症(最近はパニック障害や全般性不安障害とも呼ばれます)は、過労や日常生活のストレスがきっかけになることがよくあります。しかし人生においてはそのようなストレスをまぬがれない場合があるものですね。そのような状況で不安が生じたり自律神経が過緊張を来たすこと、それ自体は自然な心身の反応です。ですからこうした揺らぎはは起ると思っていたほうがいいかも知れません。そしてそんなときこそ、Hdさんが決心しておられるように森田療法の基本に立ち返ることが大切ですね。「一波をもって一波を消さんと欲す、千波万波こもごも起る」と森田先生が言っているように、不安は慌てて押さえ込もうとすればするほどエスカレートしていきます。時間が経てば波は自然に静まることが事実。同様に発作的な不安が起ったとしても、せいぜい数十分のうちには静まるものです。どうか波が起ったら、はからわずそのままにおくという森田療法の基本を思い出し、実行してみてください。うまく波に乗るコツは、何度か波にもまれて初めて体得できるもの。ピンチは体得のチャンスでもあります。
(中村 敬)
「転ばないように」ではなく「転んだ後にどう立ち上がるか」 '05.09

 皆さんの書き込みを見ていると、それぞれが症状を抱えながら、何とかその波に押し流されないように励ましあっている様子がわかります。こうした励ましあいや、それぞれの知恵の出し合いが、また波にのまれない浮き輪の役割になっているのだと思います。
 Obさんも朝礼の時の不安・パニックに対して、初めは心の中でバタバタしていたものの、ピンチは再認識のチャンスと思うと症状が消えていった、と書いています。「ピンチは新しい体験のチャンス」という言葉は、私たちも頻繁にアドバイスとして使いますが、確かに不安発作のさなかは苦しいものですし、同じ思いをしたくないという気持ちも非常に自然なものだと思います。ただし、それが起こらないように自由にコントロール出来ないのもまた事実です。
 転んで痛い思いをすると、当然我々は転びたくないと思いますし、また転んだらどうしようと思います。しかし、転ばないようにしようと思えば思うほどかえって力んでしまうでしょうし、不安も強まってしまいます。ではどうしたらよいのでしょう?
 先ほども書いたように、転ばないように身構えたり、「転ばぬ先の杖」と用心をするのは逆効果ですから、転んだ時にどう立ち上がるかを身に付けていくのです。ただし、スマートにスクッと立ち上がる必要はありません。転んだ時には当然痛いわけですし、何ごともなかった時のように振舞うことも出来ません。とりあえず一呼吸おいてから、「痛いなあ〜」と思いつつ少しずつ立ち上がって、ソロソロと歩き出すことです。この「ソロソロ」の時に、「転んでもただでは起きないぞ」くらいの気持ちで、とりあえず出来ることをやってみましょう。痛い思いだけで終わるのは勿体ないですから・・・。
  その際に、くれぐれもすぐに痛みがなくなることを期待しないことです。痛みは少しずつですが、必ずひいていくものです。もう一つ加えるとしたら、「転ばないように・・・」と好きなことを諦めるのもとても勿体ないことです。「転んだらソロソロと起き上がろう・・・」くらいの気持ちで、今一度「本当はやりたいこと」に立ち返って、行動に移してみましょう。好きなアーティストのライブに「行ってきました!」と報告したMrさんの喜びを、皆さんにも是非体験してもらいたいと思います。
(久保田幹子)
パニック障害の薬物療法について '05.10

 M123様、Ht様へ、現在は神経症に対する様々な薬があり、どのように薬を使用していったら良いかわからないといったお気持ちが伝わってきます。現在不安神経症はパニック障害と全般性不安障害に分けられております。今回はパニック障害に対する薬物療法ついて述べることにいたしました。ご参考にしていただければ幸いです。
 最近不安神経症はパニック障害と言われ、塩酸パロキセチン(商品名:パキシル)やフルボキサミン(商品名:ルボックス、デプロメール)などのSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を第一選択薬として使用されることが一般化していて症状軽減の効果はあります。効果が出るまで一般的には2から4週間かかるといわれているため実際は抗不安薬を併用することが多いのです。このSSRIは抗不安薬に比べて離脱症状が少ないと当初は言われていましたが、最近SSRIの中で特に塩酸パロキセチンを急に中断すると動悸などの自律神経症状が出現するといった離脱症候群があると報告されています。ただ急激に塩酸パロキセチンを減らさなければこの離脱症状を発現させなくてすむことが多いのです。
 ただ以上のような薬物療法の効果のみに頼っていては、「薬をやめたらやはり症状(主にパニック発作)がでてきた。」「いつ薬を飲むのをやめたらよいのだろう」とおっしゃる方が多いのもまた事実です。そこで森田療法的とSSRIのような薬物療法をうまく組み合わせてパニック障害を乗り越えていくのが大事になってきます。あくまで薬物療法の効果は限定的で症状をある程度軽くするものと思っていたほうがよろしいでしょう。パニック発作が繰り返し起こるような時はまずSSRIを規則正しく服薬することが大事です。その上でパニック発作への「予期不安」を受け止め、不安の背後にある「生の欲望」に従って行動するようにしていきましょう。このような生活を実践できるようになり、不安とうまくつきあえるようになってから徐々に担当医とも相談しながら薬物を減らしていくのが得策かと思います。
(舘野 歩)
たくさんのものと関わる幸せ '05.11

 Htさんは「家事どことろじゃないときこそ、家事を」が今できることでありモットーだと、 Hpさんは「頭がごちゃごちゃしてくるときは、洗濯、掃除、草引きといろいろやります」と書かれています。
 日常を大切にされる取り組み、とても良いですね。
 森田先生の弟子の高良先生は、「日々是好日」について次のように述べておられます。毎日期待を持って生活するような日が「日々是好日」なのだ、と。
 その期待が生まれるのは、自分が手を掛け、いろいろなことをすれば、そこから「どうなったかな?」という期待が生まれてくるわけです。
 たとえば自分が育てた植物には、特別な愛着がわいて、ついつい見に行ってしまいます。私の好きな「星の王子様」にも地球に来た王子様がたくさんのバラをみて、バラが特別な花ではないことを知ってがっかりするけれど、「僕が毎日水をあげて、毎日覆いをかけてあげたあの花はやはり特別な花なんだ」と思うくだりがあります。
 同じように家事でも、キッチンがきれいになれば「さあ何を作ろうかしら」と思うし、「ここで塩をひとつまみ足したらどんな味になるかしら」と期待(ハラハラ、でしょうか)しておられるのではないかと思います。
 スポーツでも、勉強でも何かに取り組めば、「この前よりよくなったかな」という期待が生まれます。
 すぐに結果を求めてしまいがちだけれど、そのプロセス自体を大切に。
 森田療法では、不安そのものに「恐怖突入」していくことと、不安に関わらず行動や生活を広げていくことの二つの方向を重視します。
 たくさんのもとと関わって、働きかけることができれば、それがすなわち「好き日」になることでしょう。
(塩路理恵子)
焦らず、慌てず、諦めず '05.12

 Mrさん文面拝読させていただきました。文面からMrさんが日々、自分の生活をとても大切にされ頑張っている様子が感じられました。ところで、今MrさんはPTAの役員に当たるか否かでとても不安になられているようですね。特に人前で話すことが苦手であるとすれば、PTAの仕事を不安に思うことはごく自然なことのように思います。
 だとすれば何といってもPTAの役員が当たらないことはMrさんにとって一番よいことなのでしょう。けれど、もしPTA役員の仕事に当たってしまったとしたら、ここは覚悟を決めて引き受けてみては如何でしょうか?ただし引き受ける際に「緊張して上手く話せなくても目的を果たすことが大事である」「PTAは人の役に立つことだ」などとあまり自分自身に強く言い聞かせない方がよいかもしれません。
 森田先生は形外会の講話の中で「神経症の人々は人に対してももっと思いやりがなければならぬ」と述べておられます。つまり、本来であれば相手に配慮しながら事に当たることは森田療法では大切な姿勢でもあります。でも、配慮の気持ちが強すぎてしまうと逆に「かくあるべし」の態度を強め新たなとらわれを生むことになってしまいます。Mrさんの場合であれば、この新たなとらわれ故に「PTAの仕事をこなす」という本来の目的から離れてしまうのは大変勿体なく感じます。もしかしたら「面倒なものにあたって嫌だなー」という気持ちを否定せずにPTA役員を引き受けるくらいの方が、森田療法でいうところの「あるがまま」に近いような気がします。
 さらに文面からMrさんがまだ当たってもいないPTAに対して、「早く慣れて、上手くこなさねば」という思いをすでに強く抱いているような印象を受けます。PTAのような不慣れな仕事であれば慣れるまでにそれ相応の時間が必要になるものです。ここで早く慣れようとして焦ることは禁物です。
 むしろ「少々不器用であっても粘り強くこなすことで、後から自然に自信がついてくるものだ」といったくらいの気構えをもつことが大切であろうかと思います。何事もやってみないと分からないものです。
 苦手なPTAであっても「焦らず、慌てず、諦めず」の精神で地道に取り組んでいるとMrさんに新しい経験と発見を必ず与えてくれると思います。大変でしょうが是非頑張っていただきたいと思います。
(樋之口潤一郎)
神経症の治療は登山のようなもの'06.01

  hitさん、こんにちは。4年ぶりの1泊、6年ぶりの遠出、行動範囲が大いにひろがっているのですね。何よりです。数年ぶり、という行動にとりくめるまでには、大変な努力の積み重ねがあるのだろうな、と思うし、その努力に尊敬の気持ちを感じます。
 さて、体調の優れないときに久しぶりの大発作を起こした、さらにそういう自分にイライラしてものすごく腹が立つ、とのことですね。神経症の治療とは、山を上るようなものです。直線的な歩みではなく、3歩進んで、2歩下がる、という歩みに近いと思います。治療がとんとん拍子にすすんでいるときこそ、以前からの癖や症状が顔を出すものなのです。それでいいのです。うまくいっているときこそ気づかない心のどこかで不安は強くなっているものなのです。不安や症状が起こらなかったからいい、起こらなかったから悪い、ということではありません。むしろ不安や症状のぶり返しは神経症の治療につきものである、と考えていただいたほうがいいと思います。ただ、治療が進むにつれてぶり返しの程度が弱まってくる、そういったものです。そのように治療を進めるためには、ぶり返して苦しいときこそ、治療のいい機会であるということを忘れず、不安に取り合わず目の前のことに努力をしていくことが重要です。hitさん、イライラする自分も許してあげてくださいね。それも自然な気持ちです。
 また、hitさんの目標は、神経症を治すという、ひいては自分の性格を改善しようという、大変なことなのです。その長い道のり、時には弱気になって当たり前だと思います。その気持ちもわかります。ずっと強気で押し切れる人なんかいないでしょう。弱気になってもいいのです。そこからどのように立ち直るか、そこで努力すればいいのです。
 さらに、体調が悪かったり、心配事があれば不安や恐怖が強まって当たり前です。その癖が悪いと言うこともありません。その癖の中で何をするかが重要です。すべての感情は自分を変化させ、神経症を治す糧なのです。まず自分の気持ちを正直に受け入れることが、それを乗り越える第一歩です。本当にお疲れ様。また頑張ってください。
(鹿島 直之)
不安を持ちながら行動する'06.02

niさんは強迫観念や不安に長い間悩んできた様子ですね。今まで症状の苦しみに対し、それがどういうものなのか考え、どうすればよいのかといろいろ試行錯誤され、大変だったと思います。そして現在は、症状をどうにかしようとすることをやめて、自分のやりたいことに向けて行動しようとしているようですね。このことは、不安を自分で作り出さない、自分で強めないことにつながります。
何事も初めて行うことは誰しも不安になるものです。しかし多くの不安を抱えつつも自己の目標に向かおうとする姿勢は大事なものです。すなわち「不安を持ちながら」という姿勢です。その姿勢が行動につながります。不安が強い人は特にそうですが、迷ったときには進めと考えてみて下さい。
強迫観念に対しても、「またかと思ってほっておくようにしてます。」という話を伺うと、症状とうまく距離が取れていると思います。その調子です。頑張ってください。
(矢野 勝治)
消そうとすればするほど不安の火は広がる'06.03

不安に不安が重なってしまったKuさん。昨年暮れからそんな状態が続いているのでしたら、さぞ苦しんでこられたでしょうね。Kuさんの経過はよく了解できるものです。長年慢性腎炎を抱え、食事や体調に注意を払って暮らしてきたところ、血圧に対する医師の注意をきっかけに病院で測ると血圧が高くなってしまったということです。Kuさんのように病院で測ると血圧が高めになる方は少なくありません。測定の結果が心配で緊張して臨めば、それに伴って心拍数が少し多くなります。水を送り出すポンプにホースがつながれた状態を思い浮かべてください。ポンプをたくさん押せばホース内の水圧は高くなりますね。ちょうど同じ理屈で心拍数が増えれば血圧は高くなるものです。ためしに運動した直後に心拍数と血圧を測ってみれば一目瞭然です。Kuさんは理屈としてはこのことを分かっていらっしゃるかもしれません。さらに抜歯後の経過が悪かったことから、よけいに身体に不安と注意が向き、血圧の心配→心拍数増加→血圧上昇→一層の心配と頻繁な血圧測定という悪循環にはまってしまったのでしょうね。また下痢→健康不安→腸の刺激性亢進、不眠→うつ病への不安→不眠へのとらわれというように、あちこち身体に対する不安が広がってしまっているようです。こうなると、もぐら叩きのように次から次に不安が現れてきて、気が休まる暇もなくなってしまいます。これこそ森田が精神交互作用と呼んだ心身のからくりに他なりません。まずKuさんにはこうしたご自分の状態を客観的に眺めてもらいたいところです。次にどうしたらいいか。そもそもこうした病気に対する不安は健康に生きて行きたいという欲求の裏返しに他ならず、あってはいけない感情ではありません。
むしろ不安だからこそ塩分や過労に気をつけて生活を送り、腎炎を悪化させることなく過ごしてこられたはずです。その意味では神経質がよく生かされてきたのです。ところが最近では、頻繁に血圧や体重を測ったり、病気に関する情報を集めたりというように、不安をすぐ打ち消そうとすることに大半のエネルギーを傾注していませんか? もしそうであるなら、不安や病気に対する恐れはそのままにおいて、もう一度健康で活動的な生活を送ることに力を注いでみてはいかがでしょう。それが悪循環から脱する早道です。精神科や心療内科を受診して不安を軽減する薬をもらうのもひとつの方法ですが、そうしたとしても薬は生活を立て直すための補助手段ということをお忘れなく。
(中村 敬)
日記をうまく活用しよう'06.04

 YUさんは、森田療法を実践するために日記をつけてみようかと考えているとのこと。日々の生活を振り返り、自分自身を知るためにも日記はとても役立つものです。そうしたYUさんに対して、hitさんはとても良いアドバイスを送っています。最初は症状のことばかり書いていましたが、その中で自分の体調のバイオリズムがつかめてきたと。また、その後はなるべくやれたことを日記に書くようにしているとのことです。
日々悩んでいると、どうしても初めのうちは症状のことや、思うようにいかない自分を責める内容が多くなってしまうものです。しかし、それでも良いのです。頭の中だけで考えているものを一旦文字に書いてみると、同じことを繰り返し考えている自分に気付いたり、ずっと調子が悪いと思っていたのが案外そうでもなかったことに気付くなど、これまでとは違った視点で生活を振り返ることが出来るかもしれません。あるいは、どんな時(どんな構えの時)に症状が強まり、どんな時に気分が流れていくかを知るヒントがあるかもしれません。いずれにしても、こういう風に書かなければならない、ということはないのです。悶々と考えていたものを、一旦言葉にして自分の目の前に表現してみることです。日記に書くことで、他人に愚痴らずに抱えることが出来るようになるかもしれません。
YUさんは、その後の書き込みで「森田を実践している人は、症状を持ちながらも行動している。自分はあれもこれも・・と思いながら実践できない」と嘆いていますが、YUさんが「出来ている」と思っている人も、内心は思うようにいかずにじれったい思いをしているはずです。「出来ている」「出来ていない」の二者択一にせず、YUさんが書き出している現状の中で、今すぐに何とかなるものと、何ともならないものを分けてみましょう。これも書き出してみると見えやすくなります。そしてとりあえず手がつけられるものから、一つ一つ積み重ねていくのです。こうしたステップを重ねる際の杖のようなつもりで、気負わずに日記を使ってみることをお勧めします。
(久保田 幹子)
緊張のまま、書き込む事も第一歩'06.05

 YU様は森田療法を本でご理解し、日々実践していくうちに次第に症状が軽くなっていって良かったですね。森田療法は「自己治癒力」を引き出す治療のため、YU様のようにご自身で森田療法の考え方を実践することにより改善していかれる方は大勢いらっしゃると思います。ご自身で森田療法の本を読んでもなかなか森田療法的な考え方を実践できない方が病院を受診することになります。日々の生活を実践していくうちに結果として症状が軽減していく過程は森田療法の良い治療過程をたどっていると考えてよろしいかと思います。今まで症状へ向いていたYU様の「エネルギー」が健康な方向へ向いてきているのです。

今後は「森田療法の理論」の理解を本やこのホームページで深めつつ、さらにご自身の「やりたいこと」へエネルギーを向けていくのが良いと考えます。ですからこれからもご自身の今色々されたい事をもっともっと実践してくことが大事でしょう。
(舘野歩)

最近の報道を見て起こる気持ち'06.06

Kuさんは「変な事件を見て怖くなります。森田療法的にはそういったとき、どのように対処すればよいのでしょうか?今はすぐ頓服を飲んでいます」と書かれています。確かに、最近では幼い子供が巻き込まれたり、動機も理解できないような事件があったり、 日々胸がふさがれるようなニュースがありますね。
そうしたニュースに触れたとき、「自分にもこうしたことが起こりえるのではないか」「身近な人が巻き込まれたらどうしよう」というように不安になるもの。基本的な安全感を脅かされて、ただただ「怖い」「いやだ」という恐怖を感じてしまうこともあります。それ らは皆「安全でありたい」「幸福でありたい」と思うからこそ生まれる自然な気持ちです。幸福な日常や安全な生活を求めればこそ起こる、自然な感情を慌てて消そうとしてしまっていないでしょうか。感情というのは不思議なもので、取り除こうとすると、より強くな るという性質を持っています。感情は、一方でそのままに放置すればやがて弱まるという性質もあります。(森田先生の「感情の法則」を参考にしてください)
不安があまりにもつらいとき、頓服薬を用いるのも対処法の一つではありますが、少し時間を味方につける、つまり少し待ってみるのはいかがでしょうか。
もちろん、「慣れる」「練習する」ために無理にいやなニュースを見ようとする必要はありません。
ただ、現代の社会で嫌なニュースに触れないようにするとなると、一切テレビもニュースも見ないようにするしかないでしょう。
Kuさんは「ニュースを見たいと家族が言うときに困る」とのこと。
「テレビをつけないで」と言ってご家族にも我慢させるとなると、本来のKuさんの願い、つまりご家族との幸福な生活を守りたいという思いと逆になってしまうのではないでしょうか。
そうしたニュースに触れてしまったときは、しっかり怖さを感じつつ、次のニュースにも耳を傾けましょう。生きるということにつきまとう、不確かさに持ちこたえていくことで、日常の生活も大切にできるのかもしれません。
(塩路 理恵子)
無言も会話のひとつ'06.07

 こんにちは、yuさん。yuさんは、対人場面で緊張し、そのことに深く悩んでいるようにお見受けします。でも、その悩みの裏には、yuさんの人を欲して止まない気持ちが、人一倍強く存在しているように思えてなりません。
もしかしたら、この気持ちが強いゆえに、「常に上手く接しなくてはいけない」という思いを募らせ、さらに緊張感を強めたのかもしれません。そうだとすれば、yuさんの緊張感は、当然起こるべくして起こったものだといえます。
しかし、実際には「緊張感さえなければ、交友関係も上手くいくのに」という思いが先行してしまい、緊張感を取り除くことだけにエネルギーが費やされている印象があります。
つまり、切に願っているyuさんの「人と接したい」いう思いが活かされていないことになるのです。その結果、取り除けない緊張感を前に、自分自身を常に否定的に見なしてしまっているのだと思います。
ですから、yuさんの本来の思いを活かすためにも、まずは緊張しながらでも、人と接する機会を持つように努めることが大切なのです。この時、最初から上手く接する必要はありません。
特にyuさんは、「会話も頭に浮かばなくて無言になりやすい」と記しているように、心のどこかでスムーズな会話にとらわれてしまっているのでしょう。けれども本当に大切なのは、yuさんが人と接しようとした姿勢であって、スムーズに会話することではない はずです。
無言は自分にとって悩みの種かもしれませんが、相手にとってむしろ会話のゆとりを与えてくれる大切な時間でもあります。無言も大切な会話に一つです。
yuさんの無言をyuさん自身が否定せず、会話の一部として大切にしていくことが、会話を豊かにしていく第一歩であると思います。その延長線上に豊かな交友関係があるはずです。今は、まだ辛い渦中にあるかもしれません。でも是非頑張って欲しいと思います。
(樋之口潤一郎)
できることはたくさんあります'06.08

keさん、こんにちは。自分の家で友人と話している時でも、パニック 発作が顔を覗かせる時があるとのこと、大変ですね。お疲れさまです。家族で お出かけする時も遠出したりする時も途中で発作が出そうになったり、慣れた スーパーや美容室へは行けるが、慣れない所に行くと怖くなったり、これでは 日常生活を送るのも一苦労ですね。その中で何とか家族とお出かけしたり、買 い物したり、友人と話したりしておられるのですね。すごい努力だと思いま す。結婚なさった6年前に初めての発作があったとのこと、いったいどうやっ て耐えてきたのですか?その辛抱と努力を尊敬いたします。
また、この6年間 は、keさんにとって決して無駄ではなく、貴重な経験であったと思いま す。神経症は辛いですが、その経験は自分の気持ちや考えを見直すきっかけに もなります。神経症にかかることで、かえって健康な人より人生に対しての考 えが深められることもとても多いと思います。一緒に取り組んでいきましょう。
さて、moさんがおっしゃっているように、必要なら薬も使う、徐々に 行動範囲を広げていく、不安、緊張を受け入れる、倒れてもいいと覚悟を持 つ、粘り強くとりくみ、自分が少しでも出来たことを認めていく、これらはす べて大切なことです。moさんが自分で努力するなかで見つけ出した宝の ようなご意見の数々であるというように感じられます。moさん、ありが とうございます。私にも参考になります。
keさん、今お伝えしたように、パニック障害を乗り越えるために出来 ることはたくさんあります。不安や緊張を受け入れることは難しいことです が、だからこそ取り組む価値があるのです。不安や緊張、発作が出そうになる ときこそ、行動する、前進する機会だと思ってください。なお、不安が余りに も強く、行動範囲を広げるのが困難な場合には、現在ご使用している安定剤の ほかに、以前に使用しておられたSSRIを再度服用してみるのも一法と存じま す。主治医とご相談してみてください。
不安の中で行動することの積み重ねによって必ず乗り越えられます。結婚し てからの6年間何とか耐え抜いてきたkeさんなら出来ると信じております。
(鹿島 直之)
不調の時にはことさら問題と感じてしまうもの'06.09

toさん大変でしたね。
発見会では代表幹事というご苦労の多い役職についておられ、しかし今回講師の方から「人数不足は不努力のため」と言われ、2年間の苦労が吹き飛んだと感じたとのことです。加えて職場では、一時はリストラの恐怖を味わい、転職も考えたこともあった。最近では以前に比べて評定が厳しくなっており居心地がよいとは言えず、そんななか先日には退職を促す怪文書が届いたとのこと、大変意気消沈したのではないでしょうか。正式な文書ではないにしても周囲にそう見る人もいると考えると誰でも気分は落ち込むものです。

maさんも書かれていますが、意気消沈しているときや身体の不調を自覚しているときには問題をより大きなこととして感じてしまうものです。toさんの場合、毎朝出勤することが億劫で、何事にも気力が減退しているとのことですので、単なる気落ちでなく、うつ状態に陥っている可能性があります。かかりつけ医には相談したとのことですが、改めて意欲減退、倦怠感などの症状について相談してみてはいかがでしょう。場合によっては精神科医を紹介してもらうことも一案です。

それともう一つ、toさんのおかれている状況を改めて見直してみることが大切です。集談会の出席者が少なかったこと、勤務評定が厳しくなっていることなどは、いずれも個人の努力を越えた時代の流れが背景にあります。そこで他人の不用意な一言があったとしても、先ず「自分なりに努力を重ねてきた」という事実を自分自身がしっかり認めることです。事実唯真と森田先生も言っていますよね。幹事として苦労されてきた2年間をこの一言で崩されてしまうのはもったいないと感じるのですがいかがでしょうか。行動については臨機応変に考え、少し負担を減らして様子を見てみましょう。それでもつらいようなら、しばらく休息を取ることも考えてください。
(矢野 勝治)

「〜したい」という気持ちを大事にしましょう'06.10

YUさん。はじめまして。娘さんの音楽コンクールに車の運転をして見に行かれたとのこと。娘さんもさぞかし喜ばれたことでしょうネ。家では音楽コンクールの話で会話が弾んだ様子が目に浮かんできます。こうした微笑ましい会話が出来たのも、車の運転中に「パニックになったらどうしよう」という「予期不安」があったにもかかわらず、「娘さんの音楽コンクールに行く」という大きな目標に向かって車を運転されたからに他なりません。こうした不安がありながらも、目的本位に行動することを森田療法では「恐怖突入」と表現します。まさにYUさんは恐怖突入された訳です。その結果、娘さんとの音楽コンクールを共に体験し、貴重な親子の思い出を作ることができました。不安な気持ちに左右されるのではなく、不安を抱えながら、「〜したい」という内なる欲求に素直に行動すること、そうした目的本位の行動が貴方を貴重な体験へと導いてくれた訳です。こうした内なる欲求を大事にしながら目前のことに1つ1つ取り組んでいくことこそ、YUさんのおっしゃる「今日をしっかり生きる」ことに他なりません。
(川上 正憲)
広場恐怖…苛立ちの底には切実な願いがある'06.11

 hdさんのメールを拝見しました。一時は毎日のようにパニック発作に見まわれ死の恐怖に圧倒されていたとのこと。今は発作自体は軽減しているようですが、10年以上経過してもなお予期不安が頭から離れず、いまだに一人で行動できないとのことですね。

 同様の体験を持つ何人かの方が書き込みをされていますが、パニック発作に伴う不安、恐怖感は筆舌に尽くしがたいものがあるのでしょうね。「発作で死ぬことはない」と頭では分かっていても、パニックが起こりそうな状況に直面すると反射的に身体が回れ右をしてしまうほどに、強い恐怖が記憶に刻まれているのでしょう。このためパニック発作を繰り返すうちにしばしば広場恐怖に発展し、hdさんのように一人で外出したり乗り物に乗ったり、果ては一人で自宅に居ることも困難になっていきます。ある壮年男性は30年以上一人で外出できず、いつも高齢の母親に伴われて通院していました。受診までに長期間を経ていたこともあり、徐々に一人で行動するよう促してもまったく受け付ける様子は見られませんでした。しばらく姿を見ないなと思っているうち、久しぶりにその人が一人で(!)来院されたのです。聞けば母親は数ヶ月前に死去されたとのことでした。一人になってしまってからもなかなか外出できないでいるうち、食料も底をつき、このまま自宅に留まっていたら餓死する恐れされ出てきたというのです。つまり外出するのも恐怖、留まるのも恐怖という切羽詰った状況に陥った末に、ついにその人は「死ぬ思い」で近所のコンビニに買い物に行き、それがきっかけでとうとう一人で外出できるようになったということでした。この話を聞き、ようやく回復を遂げてよかったという気持ちと共に、今までの長い年月がもったいなかったという思いを禁ずることはできませんでした。

 hdさん。余計不安になるかもしれないエピソードをお伝えしてごめんなさい。でも、この方のように発作の恐怖に勝る「生存の危機」が訪れるまで行動を先延ばしにするのは、やはりもったいないことです。もう一つの例をお話しましょう。この女性もパニック発作を伴う広場恐怖の方で、予期恐怖のために一人で電車に乗ることが困難でした。通院を始めてから改善傾向にあったとはいえ、急行電車には依然として乗ることができないでいました。そのうちに外国で暮らしている父親が癌の末期になってしまったのです。生きているうちに一目父親に会っておきたい、という願いが日増しに強くなったその女性は意を決して、薬の助けを借りたとはいえ飛行機に乗って(!)父親の見舞いに行ったのでした。飛行機で行くしか選択肢のない場所だったのですが、ともかく急行電車をすっ飛ばして一足飛びに飛行機まで乗ってしまったのです。この例が物語っているのは、先のケースのように自己の「生存の危機」でなくとも、どうしても実現したいという欲求があれば、恐怖を越えて行動に踏み出すことができるということです。同じ症状に悩んだtomさんも同様のアドバイスを寄せています。「「くも膜下出血で半身麻痺の母のもとへ行きたい」「娘のほしがるものを買いに行きたい」「集談会に行きたい」といった気持が目的本位の行動として少しずつ距離を広げていきました。近いコンビニとか・・少しずつ距離を伸ばされてはどうでしょうか」と。

 「一人で行動できない苛立ちで情けない」と書かれたhldさん。その苛立ち、情けないという気持ちこそ、「もっと自由な人生を歩んで生きたい」という切実な願いを抱いていることの証であり、それが行動を広げる原動力に他なりません。どうぞもう一度自分自身の心に「本当はどうしたいのか、何を望んでいるのか」を尋ねてみてください。そしてそのような願い(生の欲望といいますね)を確かめたら、それを恐る恐る行動に結び付けていってください。外出に限らず、生活の細々としたことをひとりで成し遂げる姿勢を培えば、いつか一人で外に向かって踏み出す機も熟すはずですよ。
 最後に医学的事実をひとつ。パニック発作は通常10分以内にピークに達し、それが過ぎればひとりでに鎮まっていくという性質があることも頭の隅にとどめておいて下さい。
(中村 敬)

何が「特別」なのか?'06.12

最近の体験フォーラムを見ていると、非常に皆さんのやり取りが活発なことに驚かされると共に、体験を共有し支えあっていることにある種の感動を覚えました。まさにこのフォーラムでのやり取りから「私だけではない」という実感を得て、それを支えに、また仲間の体験を拠り所にして、それぞれの生活に踏み込み、不安と向き合おうとしているのでしょう。それだけに、今回「私だけの不安障害?」というテーマで活発なやり取りがなされていることに興味を覚えました。

神経症者の多くは、完全でありたい、人より優れていたいという生の欲望が強いものです。これは言葉を変えれば、発展向上欲や特別な存在でありたいという願望が強いとも言えます。だからこそ、症状や不安に関しても、本来は欲求の裏返しであるにも関わらず、「自分だけが特別なのではないか」と考え、それにとらわれていくのです。理想の自分に近づきたい、そういう点では特別でありたいわけですが、それが症状や不安であると恐ろしい。何だか言葉遊びのようになってしまいましたが、同じ「特別」でも、その内容によって良いものと悪いものに明確な色分けをしていることがおわかりになるでしょう。誰にでも「私(だけ)にあって欲しいもの」と、「私にはあって欲しくないもの」があり、それ自体は自然なことです。しかし、そこに絶対的な価値を置いてしまうところに苦しみの原点があると言えるでしょう。maさんも不安や症状についての森田の言葉(「常人に誰にでも起る不快の感覚」)を例に挙げていましたが、本来は誰しもが体験する感覚であったはずなのです。しかし、完全(特別)であらねば・・・という構えが強くなると、この常人に生じる感覚も問題と考えてしまう。まさに、特別である前に、「これがあると一人前ではない」という劣等意識に繋がってしまうわけです。

そんな悩みを、「特別ではない」と共有するフォーラムのやり取りは、回復への貴重な第一歩と言えるでしょう。人間、優れたところは案外皆と同じと思いたくないものですが、劣っていると思い込んでいることが実はそうではなかったとわかることは、救いであると同時に視界が開ける思いになるはずです。実際、入院森田療法や生活の発見会といった自助グループを体験した人は、まず「自分だけではない」ということに力を得るようです。「誰にでもある感覚」と一言で表現する以上の説得力が、こうした仲間同士のやり取りには秘められていますね。「特別」と思っていたことが、実は「特別ではなかった」とわかることによって、ようやく本当はどんな「特別」を求めていたのか、という本来の欲求に目を向けることが出来ると言えるでしょう。残念ながら、現実に「特別」な自分になることはかなり難しい。しかし、「特別」でなくても理想に近づく試行錯誤は出来るはず。「自分だけではない」という感覚を土台にして、本来の欲求に向けて一歩一歩進んでみてください。そして、その感覚もまた仲間で共有して欲しいと思います。
(久保田 幹子)

完治へとらわれずに'07.01

PTA活動へ行けてなによりですね。何人かからのアドヴァイスがありましたように、完治するためあるいは症状の有無にかかわらずPTA活動を行なっていくことがこれから大事になっていくでしょう。森田先生の言葉に、「不眠でも、赤面恐怖でも、なんでもこれを治そうと思う間は、どうしても治らぬ。治すことを断念し、治ることを忘れたら治る。これを私は『思想の矛盾』として説明してあることはみなさんご承知のとおりです。」とあります。症状を治そうとする事から離れ、PTAにはいろんな方がいて大変なこともあるでしょうけど、その中でお話の合う方を見つけたりしてはいかがでしょうか?またPTA活動時間が終わった後、PTAに出た人と色々なお話ができたりするかもしれませんよね。そうしていくうちにPTA参加が楽しくなってくることもあるでしょう。またPTAでの活動で悩みや困ったことがありましたら書き込みをされても良いと思います。
(舘野 歩)
「健康人の真似」と「素直」'07.02

今月の不安神経症の部屋ではPさんの神社の豆まきの行事に、おっかなびっくり「行ってみました」という報告から、maさん、Rさん、hiさんのアドバイスそして「面接」「アルバイト」へとつながるやりとりは、読んでいてとても勉強になりました。フォーラムの真髄を見た、という感じです。

そこでここではとくに印象に残ったやりとりと、思い浮かんだことを記すにとどめたいと思います。
maさんの日記に心の外の現象を書くようにするというアドバイスはとてもいいと思いましたし、続いてのPさんの日記も読み応えがありました。

そして話題になっていた「神経質は病気ではない」「健康人の真似」ということ。
「病気ではない」の意味は、しばしば誤解を受けるような「気の持ちよう」のなどというものではなく、そうしたときのつらさも見切った上で森田先生が指摘したのは、誰にでも起こることを排除しようとして注意を向ける結果、とらわれてしまうというあり方です。
だから振る舞いをまず「健康人の真似をする」ことで内面も健康になっていくのです。
そして、今月のやり取りの全体を通して、Pさんの「素直さ」が印象に残りました。
それは何も考えずに受け身でやるような「盲従」とは違う、アドバイスを聞いて「とりあえずやってみる」「身を任せてみる」という力です。森田療法では素直な人ほどよく治る、と考えます。
森田先生も「身体にいいから飲むべき」と考えていたときには飲めなかった牛乳が友達がおいしそうにのんでいるのに接しているうちに飲めるようになってしまったとか。
Pさんも、フォーラムをお読みになっているかたも、先輩たちのいいやりかただな、と思えることにはぜひ「あやかって」回復に結び付けてください。
(塩路 理恵子)

「抜きの一手」と「頼ること」'07.03

 こんにちはGさん。お母様が末期がんであることを宣告されて以降、Gさんは非常に辛い生活を送られているように見受けられます。加えて、母親として5人のお子さんの子育てに追われていることもGさんの生活をより大変なものにしているのかもしれません。
現在の状態は如何ですか?

文面から察するに、今のGさんには、不安や恐怖といった症状以上に、気力の減退や生き生きとした感覚の喪失、さらに集中力の低下といった症状が強く認められるように思います。
つまり、Gさんは心の疲労の代表であるうつ状態に陥っている可能性が考えられます。もしそうだとすれば、心の疲労を和らげていくことが、まず先決でしょう。
つまり、心の休息が何より必要なのです。そのため「生き生きしなくては」などと、生活の遅れを取り戻そうと思って焦ってしまうGさんの姿勢を一旦脇に置いておくことが大切だと思います。焦ることは、現在の状況を打開しないばかりか、余計に心の空回りを引き起こし、心の疲労を助長させてしまいかねないからです。

そこで、yさんがアドバイスされているように「手抜き、息抜き、気分転換」といった内容を生活の中に盛り込むことをまずお勧めしたいと思います。
生活に「押しの一手」だけではなく「抜きの一手」が加わることで、Ghrkmさんの心にゆとりが生まれてくるはずです。しかし、このように、新たな生活を試みても、なかなか心の疲労が回復しない場合は、一人で抱え込まないで、様々な援助に頼ることも大切にしていって欲しいと思います。もし「薬では治したくない」といったGさんの思いの背後に、「薬には絶対頼りたくない」という頑なな思いがあるとすれば、専門医に相談した上で時に薬に頼ることだって必要かもしれません。服薬によって睡眠が改善するだけでも、生活にゆとりが回復したりするものです。
Gさんにとって大変な状況が続いているからこそ、様々な観点から心の疲労の回復に取り組んでいただければと思います。その取り組みから得た体験は、必ずGさんの生活の幅を広げてくれるはずです。
(樋之口潤一郎)

「世間体が気になるのは当然」'07.04

「Aさん、世間体についての質問です。35歳でフリーター」

世間体についての皆様のご意見を伺いたくて書き込みをしました。私は、4月から介護福祉士の資格を得る為に通信制の学校へ入学しました。卒業まで2年間なのですが、この2年間の間、週に3、4回の介護の仕事をしながら夜は学業に専念しようと考えています。 しかし、自分の中では、35歳でフリーターの自分が許せない、というか恥ずかしいという気持ちになります。
私と同年代の知人は結婚もして家庭を築き、家まで購入しています。私は相対的な考えをする性格なので、35歳でフリーターの自分が情けなくなります。皆様のご意見が頂ければ幸いです。

回答 「世間体が気になるのは当然」

Aさん、ご相談ありがとうございます。35歳でフリーターの自分が許せない、というか恥ずかしいという気持ちになるとのことですね。なお、同年代の知人は結婚して家庭を築き、家も購入しており、自分が情けなくなる、とのこと、お気持ちは本当によくわかります。
全く自然な感情のように思います。さらに、そのようなお気持ちの中で、ご自分なりに計画を立て、目の前の仕事にも取り組んでおられる、その姿勢を尊敬します。ご自分の気持ちは気持ちとして、正直にあるがままに認め、その上で目的を持って行動しておられる、まさに森田療法でいうところの目的本位の姿勢のように感じられます。是非学業を全うし、介護福祉士の資格を取得して頂きたいものです。

また、世間体が気になるとのことですが、世間にいる以上はそれも自然なことです。むしろ気にしない人こそ世間では受け入れられないものでしょう。どうして気になると思いますか?

森田療法ではマイナスの否定的な感情を、「生の欲望」の裏返しと考えます。「生の欲望」とは人間が本来的に持っている向上心のことです。向上心がない人、友人がどうであっても、自分の立場がどうであっても頓着しない人は、世間体なぞもとより全く気にしないものです。その一方で向上心があり、自分を少しでも良くしたいという気持ちが強いひとこそ、友人のことや世間体が気になって仕方がないものです。
Aさん、そのお気持ちでいいのです。そのお気持ちを生かしましょう。人と比べて自分を責めたりせず、その気持ちを踏み台として、現在の取り組みの原動力とすればよいのです。自分を哀れんだりせず、目の前のことにさらに一層努力すればいいのです。人生はひとそれぞれです。どんな人にとっても人生の経験は実は無駄にはなっていないものです。今までのAさんの歩みも考えようによっては十分強みになりえると思います。35歳までの取り組みをただ悔やむのではなく、その取り組みから何を得たか、どのような経験ができて、どのようなメリットがあったのか考えてみてください。ご自身なりに得られているものが必ずあるはずです。それは今後の人生にきっと生きてくるでしょう。
最後に、Aさんは自分のお気持ちに正直で向上心のお強いかたのように思います。必ず道は開けると信じております。
(鹿島 直之)

「前を謀らず、後を慮らず」'07.05

Yさんは「葛藤に闘っていさえすれば、自然に上達してくる」ということをどう理解するのがよいのか困っていました。Mさんが書かれていますように葛藤は葛藤で、「葛藤と闘っていさえすれば」という意味は、「葛藤と戦い続ければ」葛藤がなくなるということでも症状が治癒するということでもなく、葛藤は葛藤としてあっても、それにとらわれず、行動に取り組んでさえいれば、行動が出来るようになることだと考えます。

また、Yさんは主治医の先生から「もう理論はわかっていると思うから、勉強はほどほどに実生活に目を向けていくこと」とアドバイスされたとのことです。「一寸先は闇」「どこへ行くのも緊張して怖い」と書かれていますが、メッセージからは恐る恐るでも行動に踏み出している様子が伝わってきます。
GW中も外出し、実際に行動した結果、自然に感情が動いて楽しく過ごせたようですね。また「たくさん書き込みをしていたら書くことが尽きてきた」ということです。症状はあるものの、いつもの奴だという感じで距離を持って見ることができるようになってきたのではないでしょうか。このように症状をパターン化してみることができればしめたものです。症状と付き合いながら行動することで、気分がどのように変化していくかを見ることが容易になります。

「前を謀らず、後を慮らず」について、実際には誰しも先々(前)について心配し、過去(後)を振り返っては後悔するものです。そのような先々への懸念や過去の後悔をなくそうと思って消えるものではありません。けれども、ただ立ち止まって将来を心配したり過去を悔やんだりしているだけでは何も生まれません。
将来を恐れ、過去を悔やみながらもいま現在、今日一日の生活の充実を図ることです。いまのこの一時が生き生きと充実したならば、次のひと時もより一層充実するよう工夫してみることです。このように今、目の前の行動に打ち込むことによって、ことによると将来や過去の見え方も今までとは違ってくるかもしれません。
「前を謀らず、後ろを慮らず」という心境は、考え方の問題ではなく、行動の後からひとりでについてくるものではないでしょうか。
(矢野勝治)

「人生の主人公は皆さんひとりひとりです」'07.06

hさん、yさん、pさん、こんにちは。お薬のことで色々とお悩みのようですね。そこで今回は、森田療法における薬物療法についてお話したいと思います。元来、森田療法は、薬物療法を使わないというイメージがあるかもしれません。
しかし、近年の医学、および薬物療法の進歩は目覚ましいものがあり、特にSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などは社会不安障害、強迫性障害、パニック障害などに一定の効果があるとのエビデンスが出されています。ですから、現在では必要に応じて薬物療法を併用しているのが実際です。

しかし、ここで大事なことは薬物療法の位置づけです。
皆さんのお話を読んでいるといずれも、「薬を出された。疑問はあるけれども、出されたから飲んでみるか」といった受け身の服薬行動になっているようです。森田療法では、何よりも皆さんの主体性を大事にします。これは他ならぬ「より良く生きたい」という「内なる希求」すなわち「生の欲望」を涵養することを意味します。
ですから、薬物療法を併用するにあたっては「よりよく生きたい」皆さんが主体となって、薬物療法を積極的に吟味し、主治医の先生と相談しながら服薬をしていくことが望ましいのです。

結局のところ、薬物療法を併用するかしないかが問題なのではなく、いかに不安や症状と付き合いながら、そこでの行動の仕方を身につけるかが大事となります。その目標のために必要であれば薬物療法を併用するし、不要であれば併用しないという形に柔軟に考えれば良いと思われます。あくまで、薬物療法は補助的なものであり、皆さん1人1人の生活への取り組みこそが回復への原動力であると言えます。
(川上正憲)

「異性とのおつきあい」'07.07

Sさんへ
 ご自身が神経症で悩んでいるとお付き合いしている人へいつどう話したらよいだろうと思うでしょう。確かにお付き合いを始めたときに自分は神経症だとは言いませんよね。お互い色々良いところを認め合ってお付き合いが進んでくるとこのような悩みがでてくると思います。お返事の書き込みにもありましたが、自分が対人緊張を病気で自分がだめだと思っていても、相手からするとその裏返しでずうずうしくなく気配りをする方という長所に見えるかもしれません。森田先生の著書・「神経衰弱と強迫観念の根治法」内の「2 神経質の本性」で「神経質の長所と短所」という項目があり、「神経質の素質による長所は種々挙げることができるけれども、これにとらわれて病的となるときは、これがことごとくその短所となって現れるのである。」と述べています。そして最後に「神経質のただわれ独り苦しいという心持ちは、ひとたびその心境を転回して、自己の素質の長所に覚醒したときに、これがそのまま唯我独尊となるのである。この心は、すなわち人を恨み、自分をかこつ卑屈の心ではない。自己の全力を発揮し、人をあわれみ、周囲を済度する力である。」と結んでいます。この文章を参考に症状を分かってくれるか否かということから離れてご自身をみつめた上で、もう一度相手と向き合ってみてはいかがでしょうか?
(舘野 歩)
「中庸の道」'07.08

Sさんは「思想の修正」で書きました。自分はいつも我慢して、人に合わせてきた。しかしそうすることによって自分をなくしてしまい、「自己中心」的な他人の振る舞いにいつもイライラせざるをえなかったこと。そこで最近はイライラするくらいなら、相手のためよりも自分が楽しめるように矛先を変えたところ、すごく楽になったということでしたね。

 Sさんはご自分のことを客観的に見つめ直して、人との間合いをどう取ったらいいか真剣に考えていらっしゃるようです。たしかに世の中にはいろいろなタイプの性格の方がいます。一方の極には、ほとんど自分のことを顧みず、他人の気持ちや意向を汲んでそれに合わせていくタイプの方がいます。かつて「気配り人間のすすめ」という本がベストセラーになったことがあったように、「気配り」は社会の中で尊重されるべき態度であり、 Sさんが言われるように、「(こうした人がいないと)なりたたないこともあるし、必要とされる」のです。しかし同時にこのようなタイプは、うつ病や不安神経症に関わりの深い性格傾向でもあります。いつも家族や周囲の人のことを心配してばかりで、気が休まらないという人がいます。また、せっかく人に心を配っているのに、相手の自分に対する評価が低いと感じれば、落胆もしてしまいます。自分が我慢すればするほど、周囲のひとが一層好き勝手にしているように見えて、イライラしてしまうという Sさんの気持ちは、よく理解できます。我慢が限界に達すれば、感情が爆発してしまうのもあり得ることです。

さて、もう一方の極にあるのが、全くといっていいほど周囲の人の気持ちに注意を払わず、自分の欲するままに行動して平気なタイプの性格です。こういうタイプは本人が悩むことが少ないだけに不安神経症やうつ病にはなりにくいのですが、本人が悩まない分、しばしば周りの人が悩まされ、迷惑をこうむります。自己の欲望だけで衝動的に行動する人は、時に反社会的な行動に及ぶことだってあるかもしれません。

 こうして見ると、他者を気遣うことと、自分自身を尊重することのバランスを図ることが大切だといえますね。もともと自分より他人を優先し、相手に合わせることばかりという方は、もう少し自己主張してみる、また時には Sさんの言うように、自分の気持ちに沿って「自分が楽しめるように」行動してみることで、適度なバランスが取り直されるのではないでしょうか。今までのやり方から軌道修正を図るには不安がつきものです。したがって、おっかなびっくり新しいやり方を試してみるというプロセスが必要になります。反対に、元々自分の都合で行動しがちな人は、もう少し周囲に心を配り、他人の身になって考えるトレーニングが必要なことはいうまでもありません。

最初から完璧なバランスが取れている人はいません。私たちが成長するということは、バランスのよい状態(中庸)に徐々に近づいていくということではないでしょうか。この意味では、 Sさんだけでなく皆が成長途上にあるのです。
(中村 敬)

「今、現在を加点主義で生きる」'07.09

こんにちは、Aさん。15年に及ぶ不安神経症の治療の中で、様々な苦労があったことと思います。その一方で、文面を拝見していると、Aさんが森田療法を通じて不安との付き合い方を大分習得されているように見受けられました。これは、Aさんの粘り強い取り組みの結果に他なりません。

けれども、現在は症状だけでなく、新たな悩みがAさんを苦しめているように思いました。それは、「よりよくありたい」という悩みです。Aさんは、この思いを反映させるために、日々頑張られているのだと思います。
「自分のやることなすことが上手くいかず、後悔ばかりしている」などといった文面も、「よりよくありたい」というAさんの切なる思いの表れだといえます。しかし、時としてAさんは、この思いを募らせるあまり、「常にきちんと振舞わねばならない」といった考えにとらわれてしまっていることもまた事実のようです。

つまり、このような考えにとらわれてしまうことで、常に自分の至らない部分だけが大きく見えてしまったのだと思います。そうだとすれば、上手く振舞えない自分を過度に責めてしまうことや必要以上に周囲の目を気にして、緊張してしまうことも当然のことといえます。では、どうしたらこのとらわれから少しでも脱することができるでしょうか? まず、自分の取り組みに対してできた事実を少しでも認めてあげることです。Aさんの行動は、至らないことばかりでは決してないはずです。自分にしか分かりえない苦労と努力の軌跡をAYR1519さん自身が認めず、簡単に切り捨ててしまうとしたら、それは大変もったいないことです。減点主義に人一倍長けているAさんには、是非心掛けていただきたい点だと思います。

さらに、今、頑張られている母親などといった自分本来の役割を丁寧に取り組むよう、あらためて意識して頂けたらと思います。将来をより良く生きたいと思うときに、変えられるのは「今、現在」だけなのです。ですから今の生活に最善を尽くして行っていただきたいと思います。すぐに上手く行かないことも多いでしょう。しかし、このような視点をもって粘り強く生活することで、「よりよくありたい」というAさんの思いが発展することを願っています。是非頑張ってくださいね。

(樋之口潤一郎)

「高血圧恐怖」'07.10

yさんは、数ヶ月前にたまたま血圧を測ったら170だったことから、「高血圧恐怖」にとらわれてしまったと書いています。
それ以前にも20年間心臓神経症に、9年間「運転恐怖」に悩まされてきたとのこと、その中で森田の教えでお仕事もされ、なんとか生活されてきたということは大変なことだと思います。「通勤の運転中」と書かれているということは、運転も避けずにやっておられるということですよね。
もちろん、高血圧については現実的な対処をすることが前提となります。無頓着になることが神経質の治療ではありませんから。

その上で取り組みとしては、そのまま、大いに高血圧を心配しながらお仕事に、運転に向かわれるのがよいと思います。森田先生が言っておられたことに「前を謀らず、後ろを慮らず」という言葉があります。すなわち「あのときあんなことをしなければよかった」と過去にこだわり続けるのでもなく、「ここでこんなことがあったらどうしよう」という取り越し苦労にこだわり続けるのでもなく、おっかなびっくり、「現在になりきる」ということを述べられています。 そして無事に職場に着いたら、あるいはひとつ仕事を終えたら、しっかりと「やれたこと」を振り返っておきましょう。神経質傾向を持つ人はともすると「先の見積もり」に走ってしまい、やれたことを認めないまま次へ次へといってしまう傾向があります。
yさんは、人一倍「健康でありたい」という思いが強いのでしょう。これまでそうされてきたように、その「良く生きたい」という「生の欲望」をおおいに発揮していかれてください。

(塩路 理恵子)

「良くなる、とはどういうこと?」'07.11

 Tさんは、パニックの悩みを抱えており、厳粛な場所や逃げられない場所、乗り物を避けてしまうと訴えています。これまではそれを避けることが出来ていたようですが、今回飛行機に乗らなければならない、という状況になり、「良くなりたい」と書き込みをされていました。
さて、Tさんが言っている「良くなる」というのは、どのようなことを指しているのでしょう?
不安がなくなることでしょうか、あるいは飛行機に乗れることでしょうか。
勿論、不安なく飛行機に乗れることを希望していらっしゃると思いますが、その際に優先されるのは「不安がなくなること」になっているように思います。不安がなくなれば、当然飛行機にも難なく乗れるわけですから。

しかし、良くなるためにこの「不安をなくしたい」と考えること、これが曲者なのです。つまり、不安をなくそうと思えば思うほど、その存在を意識するようになり、逆に不安を大きく育ててしまうことになるからです。
予期せぬ出来事は、人を動揺させます。それが、パニック発作という不安や苦痛を伴うものであればなおさらでしょう。
しかし、予期せぬ出来事とは、どんなに我々が頑張っても予期できないものです。先の予想がつかないことも、そうした事態を前にして動揺してしまうことも、結局のところどうにも出来ない事実なのです。
一方、得意、不得意があることも人間の自然な姿です。Pさんが、“高橋ジョージが飛行機嫌いで、カチンコチンになって冷や汗を流しつつ乗っている”という良い例を紹介してくれています。彼は神経症ではないけれど、飛行機が恐くて不安に慄きながら乗っているということですね。恐いものは恐い。恐いと感じることが神経症ではないし、逆に恐怖や不安がなくなることが「良くなること」ではないということです。

Tさんは、今度飛行機に乗ることを避けられない・・と書かれていますが、もしそれが仕事などで必要なことであるならば、高橋ジョージさんと同じように、恐々乗ってみる、新しい一歩のチャンスです。恐怖突入ということになりますが、それは我慢比べではありません。必要な仕事に取り組み、そこで力を発揮し、自分の世界を広げるための一歩です。
Pさんも、不安や恐怖を抱きつつ初めての出産に臨もうとしています。それは、Pさんが求めている生活がその先にあるからです。Tさんはどんな生活、どんな人生を求めているのでしょうか?恐くても、不安でもいいのです。自由に、そして充実した生活にしたい・・と願う気持ちを拠り所に、今必要なことに一歩一歩踏み出していく、それこそが「良くなる」ということなのではないでしょうか。
(久保田 幹子)

「不安神経症で悩んでいます」'07.12

 ★質問:
  • はじめまして、私は今現在漠然とした死への恐怖を感じ苦しんでいます。
    始まりは病気不安からでした。健康診断で異常が見つかり精密検査を受けました。
    その時から検査結果が出るまで、癌ではないだろうかとか不安で不安でしょうがなく、自分をコントロールできない状況になってしまいました。
    そのときから心療内科にお世話になり現在デパス0.5mgを1日2錠リスミーを1錠処方してもらい飲み続けています。
    幸い検査の結果は特に問題ない結果でした。これで不安から解消されると思ったのですが、そこから漠然とした死の恐怖感じるようになりました。突然事故で死ぬのではないか、等毎日考えてしまいます。
    何もやる気がおきず、仕事以外外出するのもきつい状態です。
    ぜひともアドバイスをいただきたくすがる思いです。よろしくお願いいたします。
 ★回答:
  • Kさん、こんにちは。今現在漠然とした死への恐怖を感じ苦しんでいます、とのことですね。なるほど。
    それ自体は誰にでもある自然な感情です。なお、始まりは病気不安からで、健康診断で異常が見つかり精密検査を受けたが、結果が出るまで、癌ではないかと不安で自分をコントロールできない状況になった。とあります。健康診断での異常は、誰もが不安になるものですね。よくわかります。さらに、検査の結果は問題がなかった。これで不安が解消されると思ったが、そこから漠然とした死の恐怖を感じるようになり、突然事故で死ぬのではないか、等毎日考えてしまう。 とのことですね。これは大変ですね。健康診断で強まった不安が治まらず続いているようです。
  • 森田療法では人間が生きていく限り、不安は自然なものと考えます。むしろ人生のことを真剣に、大切に受け止める姿勢があるほど、不安も強まると考えているのです。Kさんもおそらく自分の人生を大切に、貴重なものとして受け止めるかたなのだと想像いたします。不安は人生に対する強い思いへの裏返しなのでしょう。それでいいのです。
    ただ、その不安をどのように生かすかが重要です。
    また、Kさんは何もやる気がおきず、仕事以外外出するのもきつい状態になっている、とのこと、不安の中でのお仕事、ご苦労様です。大変な努力がうかがわれ、頭が下がる思いです。一体そういう中でどうやって仕事に取り組めておられるのですか?不安の中でもやるべきことをやる、目的を果たしている、その勇気ある態度がとても重要なものと存じます。その体験は今後も不安と向き合っていく上で大切な財産となるでしょう。是非その態度を続けていただきたいものです。
  • さて、人間にとって生きていく限り当然の不安をいかに生かすか、ということを考えてみます。避けられない不安にこだわったり、それについてあれこれ考え込んだりすることはかえってそれを強めてしまうものなのです。自分の不安から何を学べるか、という問いかけが大事だと思います。今回の症状の不安の根本にあるのは、「健康でいたい」というお気持ちです。その不安を「健康でいる」ために日常生活の中でどのような努力をするか?ということを考えたり、考えたことを行動に移すきっかけにするというように受け止めたらいかがでしょうか。健康診断で異常を指摘されたことは、ご自分の健康でいたいという気持ちに気づくきっかけであった、と考えれば、結果的にはかえってよかったかのもしれません。これからさらなる健康を保つために新たに日常生活を見つめなおす、というきっかけにすることは難しいかもしれませんが、可能であると思います。どんな不安でも成長や変化のきっかけとして生かせないものはないのです。強い不安の中でも仕事に取り組んでおられるKさんならご不安を十分に生かせると思います。ご参考にしてみてください。
    (鹿島 直之)
「職場復帰の不安」'08.01

 Mさんが2月からの職場復帰を前に、職場の人と話す時に失敗しないだろうか、上手くやっていけるだろうかと考えて不安な様子です。休職前には上司や先輩の足音が聞こえてくるだけで具合が悪くなったりミスが多くなってしまったとのことで、復職を前に強く不安を感じているようです。Sさんも書かれていますが、復職前には「また同じようになるのではないか」と誰しも不安になるものです。その不安は、「戻るからにはきちんとやりたい」という思いの裏返しでもあり、あってはいけないものではありません。「ミスがあってはならない」という考えから身動きがとれなくなるのではなく、現実的に仕事というものは、ミスを修正しながら進めていく試行錯誤がつきものです。例えば、自転車の練習で転ばずに上手になる人はいませんね。転びながら慣れていきバランスを取るのが上手くなっていきます。失敗しながらも進めていくことが大事なのです。
(矢野勝治)
「不安は不安のままに、手足を動かす」'08.02

 Yさん、こんにちは。久しぶりのフォーラムへの参加で近況を報告してくれていますネ。以前、この回答でYさんにコメントしたことを記憶しています。

6年間のパニック障害との付き合いを経て、現在はのびのびと仕事に、日常生活を送ってらっしゃる様子がしなやかな文章から伝わってきます。3月から新しい仕事に変わることとなり、様々な気持ちが交錯するにも関わらず、「こういう時には森田先生だったらどう仰るのかな?」と自らに語りかけ、「そのままで良い。しっかりと手足を動かしなさい・・・」と仰っているのではないかと考え、「不安は不安なままに、手足を動かす」ことを実践されているとのこと。学習と行動の連動が見事に実践されています。非常にすばらしいのではないでしょうか。
千変万化する日常のなか、その時々に応じて臨機応変に行動し、内なる希求である「より良く生きたい」という気持ちに従って行動されているように感じます。そして、そうした体験をフォーラムに綴ることで、「新しい参加者がYさんのコメントを参考にする」という、森田療法の循環が見事に起きているように思います。生きた森田療法の体験ほど、力強いメッセージはないと思います。皆さんの様々な体験でフォーラムがさらに生き生きとしたものになることを祈念します。
(川上正憲)

「神経質性不眠に対する森田療法」'08.03

 Mさん、睡眠剤を飲むことかなりお辛そうですね。睡眠剤を飲むとどんなことが辛いのでしょう?服薬した翌朝眠気が残ってしまうのでしょうか?あるいは服薬した翌日にふらついたりするのでしょうか?もしこのような副作用が辛いのであれば、睡眠薬といっても色々な種類がありますので主治医と相談して変更することも必要でしょう。

 ただ「日々睡眠薬を飲むか飲まないかにとらわれている」ということはありませんか?睡眠をきちんと取らなければならないと思いそのことばかりにとらわれている状態を神経質性不眠と呼びます。今まで森田先生の本を読んで克服されてきたとのことですのでそれだけMさんには潜在的な「力」があると想像されます。今までの悩みを乗り越えてきた時のように今回も睡眠のことだけでなく、日中に不安なことがあったり悩みがあったりしていませんか?翌日を万全な体調で過ごしたいという構えが強ければ強いほど、その日睡眠をきっちりとりたいという意識も強まりますます眠れなくなってしまいます。つまり睡眠のことばかりに目を向けすぎず、日中起きている生活へ目を向けてみましょう。睡眠時間や睡眠の質のことだけでなく、一日全体をいかに充実させていくかを大事にしていきましょう。

睡眠についての森田療法的な具体的なアドバイスを示します。森田先生は「眠っても眠らなくても七、八時間以上床に尤いてゐてはいけない」と言っており、高良先生は「患者の夜の就床時間を七時間内外に一定し、それ以外の就床域は睡眠を厳禁する」と指導していました。つまり規則正しい睡眠スケジュールを確立することが大切です。
(舘野歩)

「全般性不安障害にどう対処するか」'08.04

 Sさんは、10年来不安状態に苦しんでおられるとのことです。身内の方の不幸や環境の変化といったストレスをきっかけに、「胸がいつも重苦しく息苦しい感じが続く」という体の症状と、「気持ちもざわざわと不安で憂うつな、すべてが不安に映る」という心の症状が長期間にわたって持続していることから、全般性不安障害という診断に該当すると思います。従来、不安神経症と呼ばれていた状態は、最近では急性・発作性の不安(パニック発作)を主とするパニック障害と、慢性・持続性の不安を特徴とする全般性不安障害に区別されるようになりました。パニック発作を繰り返すうちに、全般性不安障害が共存するようになる人が25%程度いますが、パニック発作とは無関係に全般性不安障害になる方も少なくありません。Sさんの周囲には似た症状の人がいないということですが、米国の地域調査によれば、全般性不安障害の生涯有病率は一般人口中約5%という結果であり、決して少ないものではありません。精神科よりも内科などの一般診療科を受診する人が多いことも特徴のひとつです。全般性不安障害の際の不安は、特定の内容に固定しておらず、そのときそのときで変化します(浮動性不安と呼びます)。たとえば自分の健康不安や仕事の失敗への恐れ、事故に遭遇するかもしれないといった身近な不安から、地震や戦争が起こったらどうしようといったことまでが心配の種になることがあります。また自分のことだけでなく、身内の病気や死など、家族のこともしばしば心配の種になります。
 Sさんは、これまで1度しか病院に行ったことがないといいますが、ことによると薬に対しても心配が強いのかも知れませんね。しかし、ある程度の期間、抗不安薬や抗うつ薬を服用することによって、不安や緊張、ことに胸苦しさや息苦しい感じなどの身体症状の改善が期待できますので、改めて精神科か心療内科を受診して薬もしっかり味方につけてはいかがでしょう? ただし、薬だけで不安を取り除こうとしてもうまくいきません。全般性不安障害の人は、元来心配性で完全主義的傾向を有する神経質性格の方が多いのです。そこで、何とか不安を除去しようと努めるのですが、いくら心配を打ち消そうとしても次々いろいろなことが気になってリラックスできないはずです。では回復の決め手は何でしょうか? 結論を言えば、不安に対する姿勢を変化させることです。つまり、不安は無理に打ち消さなくとも、時間と共に変化していくこと(森田はこれを感情の法則と呼びました)を思い起こし、不安との闘いをやめて、日々の生活の充実を図ることです。1度しか病院に行かなくとも、10年間生活を続けてこられたという事実が、身体的には健康であることを示しています。電車、美容院、外食が苦手になっているということですが、もう一度不安のまま、生活全体を外向的にしていくよう努めてみるとよいと思います。それから、同様の悩みを抱えている方々との交流も支えになりますので、この体験フォーラムや生活の発見会を大いに活用されるといいでしょう。万が一それでも現状を打開できないということでしたら、一度慈恵医大第三病院を受診してください。
(中村 敬)
「かくあるべしの呪縛」'08.05

 Hさんは入院した時の経験を振り返り、自由に動けるようになってから精神的に不安定になったことや、新しく同室になった患者さんと思うように接することが出来なかったことについて書き込みをされています。そこで伝わってくるのは、せっかく森田療法を学んでいるのにどうしてうまくいかなかったのだろうという落胆と、ちゃんと対処できるようにもっと森田療法を学ぼうとする前向きな姿勢でした。
 Hさんが書かれていることはとてもよくわかります。手術という大変な事態は何とか乗り切ったのに、なぜ点滴もはずれて自由になった頃から精神的に不安定になったのだろう・・・(もうストレスはないはずなのに)。新しい同室の患者さんとの関わりが嬉しい反面、負担となって予定前に退院してしまった。どうして不安感の中にいることが出来なかったのだろう・・・(ちゃんと森田療法を勉強したはずなのに)。うまくいかなかったことだけでなく、(  )の中の気持ちが葛藤を生んでいるのではないでしょうか。確かに、客観的にみれば手術当初よりも自由に動けるようになった頃の方がストレスも少ないはず。個室よりも、同室の患者さんがいた方が退屈しないはずです。しかし、そこに「かくあるべし」の落とし穴があるのかもしれません。
 手術当初は当然回復に向けて身体も心も精一杯です。他に目を向けるゆとりもなかったことでしょう。一人部屋の時も同じことです。話したくても話す相手もいなかったのですから。でも、自由に動けるようになったら、初めての入院生活について考えるゆとりが出来た。新しい患者さんがきたら、孤独から解放されて嬉しくなった。とても自然な心の動きですよね。ただ、そこで同時に生れたのが、「ちゃんとしなければ」というかくあるべしの構えだったのではないでしょうか。ちゃんとしようと思えば思うほど、眠れない事実や、同室の患者さんとの接し方が気になる。気になればなるほど、それを何とかしようとしてますますパニックになる・・・まさに“とらわれ”です。
Hさんも気づいておられるように、同室の患者さんに対しては、楽しくおしゃべりできなければいけないと考え、無理をしたことがとらわれを生んだわけです。つまり、「楽しくおしゃべりしたい」が「しなければならない」に転じた時、自分自身に縛りがかかってしまったのです。でも、対人的なことだけでなく今回の入院をめぐる一連のことは同じからくりで起きているのかもしれません。つまり、「ちゃんと出来なければいけない」という構え(かくあるべし)というからくりから。特に、繰り返しHさんが書かれている「森田療法を勉強してきた」というところにそのきっかけがあるようにも思えます。「森田を勉強してきたのだから大丈夫なはず」、あるいは「ちゃんと対処できなければいけない」という新たな「かくあるべし」を生んでいたと思うからです。

しかしそれも、成長したいという前向きな欲求があるからこそ生じるものです。悩みつつも、途中で入院生活の目的を思い出し、軌道修正が出来ているところからも、進歩は十分にみられます。どんな状況でも動揺せず、冷静沈着に対処できることが「ちゃんとしている」ことではありません。初めての入院と手術に動揺しながらも、本来の目的(治療やリハビリ)を思い出しながら、そこに力を注ぐことが出来るならば、立派に森田の姿勢が身についていると言えるでしょう。あまり頑張りすぎずに、今回の経験から得たことを生かしていけば、十分学びになると思います。
(久保田幹子)

「選択肢」と「素直」'08.06

 Mさんは、不安発作がまた出るのではという予期不安の中でスポーツ観戦にでかけたことを報告されています。

フォーラムでのやりとりに背中を押されて恐怖突入をされてきたとのこと。 投稿を読んでMさんがとても素直な方なのだな、と感じました。

「素直」は、森田療法で治癒のために重視していることのひとつです。
それは、たとえば理解できなくても、先輩やよくなった人の真似をしたり、「あやかる」こと。やはり自分の殻に閉じこもって、自分の症状は特別だから、ほかの人とは違うから、と壁を作ってしまうと、変化のきっかけはつかみにくくなってしまうもの。
 森田先生も「『思いきってぶつかる』とか『自分を投げ出す』とかいう話を聞いて、その苦しいことに同感・同情するとか、元気になり、強迫観念が直ったとかいうことを聞いて、自分もそのようになりたいとか思うのを『感じ』とか『素直』とかいうので、『あの人は、病気が軽いから、なんでもないけれども、自分は特別であるから、治らない』とか『自分は意志薄弱であるから、先生の診断が間違っている』とかいうのをヒネクレとか強情とかうのである。それで素直な人は、よくなった人の話を聞いて、自然にその気合につり込まれて、治るようになる」と仰っています。

一方で「選択肢」という表題に、「何を望み、何を選ぶのかは自分なのだ」という覚悟が読み取れました。
「すぐには自信にむすびつきませんが」とのこと、それでよいと思います。
自信はあとから自然に生まれるもの。ご自身が主観的にどのように評価したとしても、電車に乗って出掛けてみた」というのは変わらない「事実」です。
さらに一歩の後押しを先輩がされています。
これからもチャレンジを続け、「事実」と積み重ねてください。
(塩路理恵子)

「外相を整える」'08.07

 Mさんは、現在、過呼吸を恐れ、外出することを躊躇されていらっしゃるようですね。文面から察するにパニック発作と、その予期不安に苛まれて、生活が萎縮しているのだと思われました。そして、このような状況の中で、何度も外出を試み、上手く結果を出せないことに意気阻喪しているように見受けられました。2年以上もこうような状況の中で、孤軍奮闘されているのだから、さぞかし辛い状況であったと思います。

 ところで、Mさんは、精神科の治療機関に定期的にかかっていらっしゃいますか? 
向精神薬の服薬でパニック発作自体の軽減は可能です。そのため、規則的な服薬を是非心がけてください。発作の軽減が図られるだけでも、外出時の心理的負担を軽くさせてくれると思います。その上で、Mさんの生活自体をもう一度見直していきましょう。

現在、Mさんは、殆ど自宅内で生活しているのでしょうか?
そうだとすれば、自分の部屋が万年床になっている可能性はありませんか? 現在、パソコンが普及し、自宅で情報を簡単に知ることが可能となりました。便利なことに越したことはありませんが、そのことで外出する機会を敢えて自らに課す必要も少なくなってしまいました。
つまり、自らが行動し、様々な体験をする機会も奪われていったように思います。そのため、Mさんには、自宅の中だけでもいいから、変化のある生活を心がけていくことをお勧めします。その際、3点を心がけていってください。

  • 1つ目は、今までもMさんが挑戦してこられた、朝決まった時刻に起床し、日の光を浴びることです。
  • 2つ目は、外出しなくても窓を開け、外気などを自宅に引き寄せることです。可能であれば、無理のない範囲で自宅周囲の散歩を試みてください。季節感を肌身で感じ取ることが、Mさんの生活感を取り戻す上で意外にも重要なのです。
  • 最後にパソコンから離れた生活を一日の半分は持つようにしてください。パソコンは情報を与えてくれますが、豊かな生活は与えてくれません。パソコンの前に座り込んで根を生やさないことです。これらは、不安を直ぐに解決する訳ではありません。しかし、森田療法の基本が生活の回復にあるならば、これらの3つをMAIさんの当座の目標にしていって欲しいと考えます。
一見地道ですが、地道に勝る近道はありません。是非頑張っていただきたいと願っています。
(樋之口潤一郎)
「パニック障害との付き合い方」'08.09

 Sさんは、今年6月に心臓がチクチクしたことから恐ろしくなり、その後健康に過度に気をつけているなか、7月にも発作が生じました。経過からパニック障害と思われます。パニック発作は、恐怖や不安とともに身体や精神の症状が突然出現し、短時間でピークを迎えるものです。身体症状としては動悸などが多く、最初に発作が生じたときには心筋梗塞などを起こしたのではないかと大変驚いて救急車を呼ぶ方も多くいらっしゃいます。しかし、症状は10分以内にピークを迎え数十分で落ち着くので病院に到着する頃には症状はだいたい治まっているものです。

 パニック障害は身体のメカニズムだけで発作が生じるのではなく心理的プロセスが介在します。特に発作が繰り返されると、また発作が生じるのではないかという「予期不安」が生じてきます。気にすれば気にするほど強まる予期不安は病気を長引かせる因子とも言われ、薬ではなかなか改善しません。そのため症状をなくすのではなく、症状との付き合い方を身につけ、その人らしい生活を送ることを目標とする森田療法が予期不安との付き合い方に有効になってくると言えます。

さてSさんは病院にかかるようになり症状は治まりましたが、薬なしでは生きていけないのではないかという心配がつのっていったのですね。そのような心配から、いきなり薬を中止すると、反動で不安や緊張が強く現れることがありますので、医師と相談しながら、徐々に減量・中止するほうが無難です。しかし最終的には、おっかなびっくり飲まずにやってみる決心も必要です。このサイトがきっかけになって、そのような決心をつけられたのは何よりです。
今のSさんの悩みは、吐いてしまうのではないか、という恐怖感とのことでした。これも予期不安の一種です。家族の前であまり食べないと心配をかけるのではないかと気にされており、発作のときにも母親に心配をかけまいと受診を躊躇していたことからも、Sさんの家族を思う気持ちが伝わってきます。しかし、人は時に調子が悪かったりすると食べられないときもあるものです。御本人が心配しているよりも家族はSさんの状態を受け入れてくれているのではないでしょうか。「一応は食事をする」「無理に全部食べなくていい」というSさんの方針は適切なものです。構えすぎずその調子でよいと思いますよ。
(矢野勝治)

「外出を試みてはいますが」'08.10

 Mさん、いろいろとお疲れ様。森田療法を忠実に実行されようとしておられる努力に頭が下がります。皆さんからのアドバイスで恐怖なくして外出することは無理だと新ためて気付いたこと、何よりです。とても大切な気付きですね。これを忘れないでくださいね。途中で帰ってくるものの、次の日から早速近くのお店へ行こうと思い出かける、これも素晴らしい実行力だと感じます。そういうMさんが私はとても好もしく思われます。

途中で帰ることを何日か繰り返し、2分行けば着くのに、その道を渡りお店の中に入ってと考えると、不安で過呼吸になって苦しい思いをするんだ、でも不安や怖い思いは仕方ないんだ、と色々な思いがめぐり、結局帰ってくる、 今日も挑戦したが、いつもと同じ所で帰ってきた、とのことですね。ご苦労さまです。何度も挑戦するその努力はとてもいいと思います。結果はどうあれ、挑戦してみなければわからないのですから。これも良くなるための貴重な経験なのです。
さらに、そういった中で、また頑張るつもりで、できるようになるまで諦めません。 とおっしゃられているのには驚かされました。本当にファイトあふれる言葉だと思うし、この気持を持ち続けられれば、必ずいい方向に行くことと存じます。Mさん、この気持ですよ。

 さて、次ですが、あまりにお店まで到達できないので、まずは駐車場まで行ければOKというふうにしようかと、まずはハードルを下げようかと思った、とのことですが、これもいいのではないでしょうか。目的を果たせればもちろんいいのですが、不安が強すぎてそれができない場合が往々にしてあるのです。そのハードルを下げるために森田療法をしながらでも抗不安薬などを使用することも多いのです。いろいろとお考えのようですが、Mさんもお気づきのとおり、最終的に目的を果たせばいいのです。そもそもMさんの目的は買い物を含め自由に外出して、日常生活を普通に送れるようになることでしょう。だとすればとりあえず近くまでの外出を繰り返す、これも役に立つ目的本位の行動でしょう。小さな目的にこだわらなくてもよいと思います。大目的があるのですから、できるところから取り組んでください。
ただ、Mさんのしたいことを買い物に限らず、いろいろとお考えいただきたく存じます。他の人も言ってくれているように、本当にしたいこと、やらなければならないことがはっきりしてくれば勇気も意欲も出てくるものです。お気づきのように、恐怖があっても行動できた経験こそ貴重なものです。ぜひやりたいことを追求し、その上でハードルの低いことから、多少の不安があっても飛び込み、徐々にハードルを上げ、行動範囲を広げてみてください。心の境界線を破るのは行動の積み重ねです。ファイトあるMさんならできると信じております。
(鹿島直之)

「現在になりきる」'08.11

 Uさん、Cさん、Wさん、こんにちは。皆さん1人1人が、不安を感じながらも毎日をご自分なりに奮闘されて生活されている様子が伝わってきます。我々人間が、生きていく上で「より良き明日を思うところ」に不安が生じるのは必然のことかもしれません。「明日への希望」と「不安」は表裏一体と言えましょう。明日への希望を願う気持ちが強ければ強いほど、同時に抱く不安も強いのではないでしょうか。こうした不安とどうのように付き合っていくか・・・。なかなか難しいものですね。

 森田正馬先生がよく使われた言葉に達磨大師の「前を謀らず、後ろを慮らず」という言葉があります。これは不安にとらわれ、今現在がすっぽりと抜け落ちている我々に、「現在になりきる」姿勢を指導する言葉です。過去を憂えても、未来の不安に慄いても、何も変わることはありません。我々に出来るのは、今この瞬間をいかに充実させるかのみです。コツコツと目の前の必要な関わりに取り組んでいきましょう。「現在になりきること」、このことが未来への活路です。
(川上正憲)

「どっちも辛い」'08.12

hさんは不安神経症と診断され、現在の生活は人に頼って甘えている、病気と向き合う覚悟が欲しい、と悩んでらっしゃるのですね。
 hさんがどのような不安や症状があるのかまでは分かりませんが、その不安や症状の為に仕事を休んだり、人に頼ってしまったりしているということでしょうか。そうであるならば、休んだり頼ったりした際にはきっとhさん自身が「また休んでしまった」などと嫌な気持ちになり、辛い思いをされているのでしょう。一方で、どこにいても不安などの症状は辛いものです。

 つまり、仕事を休んでも休まなくてもどちらにしても辛いのではないでしょうか。
どちらも辛いのであれば、とりあえず仕事に行ってみる事を試みてはいかがでしょう。症状はおそらく最初のうちはどこにいても出てくるものです。それであれば、「休んでしまった」と自己嫌悪にならないだけ、仕事に行った方が楽なのではないでしょうか。「病気と向き合う覚悟を決めなくては」と思っても、なかなか心は思うようにはいきません。本当はそんな悲壮な覚悟は必要ないのです。「どっちも辛い」それなら、とりあえず今日一日だけは仕事に行ってみようと、家を出てよろよろとでも職場に向かいましょう。

 そしてもし今日なんとか仕事ができたなら、明日、もう一日だけ同様に出勤してみましょう。明日もなんとかなったなら・・・・明後日hさんはどうなさいますか?
(谷井一夫)

「あせらずに」'09.1

 二ヶ月前から急激な食欲不振で三週間ほどご入院されたとはとても大変だったと思います。今どのくらい行動したらよいのかは本来は病気の種類や程度にもよりますし、担当医ともよく話し合うことが大事です。しかしそれでもうまくいかなくてここにかきこまれているかもしれないので書き込み文章からの範囲で少しでもお役に立てるようコメントいたします。

 情報が少ないのでなんとも言えないのですが、退院後だるくて寝てばかりの日が続いてから「このままじゃ絶対にいや!!」と思えるようになってきたのはさながら入院森田療法での臥褥期から開けた患者さん彷彿とさせます。

 そして少しずつ行動を広げようとしていらしたのになかなか思うようにいかず苛立ちが募っていられるのですね。確かに退院されたのに身の回りのことを家族にしてもらっていると内面的には前向きになっていても外から見られている状態(行動)は何も変わっていないと思いがちですね。しかしご家族のおっしゃるように「なんでもやれるような気分になっただけ進歩」と私も思います。

 薬をもっと飲んだ方がよいのかどうかはやはり病気の種類や病気の程度にもよります。よりうつ(病気)としても要素が強ければ抗うつ薬の増量も有効でしょう。しかしもし病気というより生活の仕方が完全主義に陥っていて改善がスムーズにいかないのであれば薬の増量はあまり効果がないでしょう。

 また色々自分のことをみつめて考えることばかりしているとますます内面のことへとらわれてしまいます。なるべく抽象的なことを考え悩むのではなく、具体的に悩むことが重要です。今まで色々試行錯誤されてきてうまくいかないと否定的に自分をとらえがちだと思いますが、その中にもSさんの「生の欲望」の実現の過程であるような気がします。今までやってきたことのマイナス面だけにとらわれずできたことをふまえた上でこれから「どうしていきたいのか?」を少しずつ具現化していっていただければと思います。
(舘野歩)

「不安の『モグラ叩き』から脱するには?」'09.2

Pさんは、「結婚してから、漠然とした不安、妻は幸せじゃないんじゃないか、私以外に好きな人がいるのではないか、会社で異動させられるんじゃないか、など、考え始めると何も手につかなくなってしまいました」。とあります。

 Pさんは、日常生活で次から次へといろいろなことが心配になり、リラックスできない状態が続いておられるようですね。このように不安が特定のことに限られず、漠然と様々なことに広がっている状態は浮動性不安(自由に漂う不安)とか全般性不安と呼ばれます。こうした絶えざる心配に見舞われている人は、たいてい頭痛、頭のふらつき、肩こり、筋肉の緊張、発汗、脈拍の増加、浅い眠りなど身体のほうにも緊張が現れており、それだけに疲労感も自覚しやすいようです。生活を妨げるほどの強い心配が長期間にわたって持続する場合は、全般性不安障害(かつて不安神経症と呼んでいた病態のうち、不安が持続するタイプ)と診断されます。

 全般性不安障害には、一般に抗不安薬やある種の抗うつ薬が有効です。このフォーラムは薬を中心に考える場でありませんが、薬でも何でも味方になるものは利用するという考えでよいと思います。その上で、Pさんが考えておられるように森田療法を学んで、事態を積極的に打開する手がかりをつかんでいただきたいと思います。

 Pさんのように様々なことへ心配が広がっている人は、ともするとひとつひとつ不安になるたびに、その不安を解決しようと焦ることが多いのです。たとえば子供が交通事故に遭ったのではないかという心配に駆られて、度々学校に電話して無事を確かめていた患者さんもいました。しかし、浮動性不安(全般性不安)の特徴は、次々にいろいろなことに心配が移っていくことですから、一つの心配が解消したとしても、すぐ別のことが心配になってしまいます。ちょうど不安の「モグラ叩き」のような按配になり、しかもゲームと違って数分で終了するわけではありませんから、切りなく叩いているうちに疲れきってしまうのです。また、たとえば奥さんの気持ちを繰り返し問い質したりすれば、いくら夫に対して愛情豊かな奥さんでも時には少し苛立った態度を示すかもしれません。そのような苛立ちを見て、「妻は幸せではないのではないか」と一層心配になることだってあるかも知れません。このように不安のモグラ叩きをしているうちに、かえって不安をつのらせることが少なくないのです。

 Pさん、こうした苦しい状態から脱するには、まず上記のような不安の性質をよく知り、「モグラ叩き」を止めてみることです。苦しくても、心配なことをすぐ確かめようとせずに、時間をおいてみましょう。
まともに相手にしなければ、不安はひとりでに流れていくものです。Pさんは「考え始めると何も手につかなくなってしまった」ということですね。このように、心配事について堂々巡りの考えに陥っているときは、たいてい行動が止まっているものです。対処のヒントはここにあります。堂々巡りに入っていると気づいたら立ち上がって、机の上の片付け、書類の整理、風呂掃除、なんでもいいので身を動かして行動してみましょう。この場合、なるべくテキパキと動いていくことがコツです。そうすれば、じっと考えに耽っているよりも、不安は早く流れていくことが実感できるでしょう。

 さらに言うと、心配の種になるのは、普段大切に考えている事柄す。Pさんはきっと愛妻家なのでしょうね。それならば、その愛情を生かし、奥さんが喜びそうなことを積極的に実行に移してみてはいかがでしょう。何をすればいいか、それはPさんがよくご存知のはずです。
(中村 敬)

「短気は損気。喜びや楽しさは、後からじんわり出てくるもの」'09.3

 Nさんはパニック発作に悩んでいらっしゃいますが、それに加えて、結婚や仕事など将来のことや新しいことに対する不安との付き合い方にも悩んでいらっしゃるようです。保障されていない将来、先が見えない未来というのは、やはり不安ですよね。誰しも、傷つきたくないし、失敗はしたくないと思うものです。これは、人間が持っている本能的なものかもしれませんが、それだけ安全を求めているということでしょう。こうした思い(不安)が強いということは、言い換えれば、それだけ「幸せになりたい!」という欲求が強いということです。

これは、生きていく上でとても大切なパワーと言えます。ただし、100%の安全を確保しようとするあまり、0.1%の危険性も排除しようとしたら・・・? おそらく、どれもこれも不安で身動きがとれなくなってしまうでしょう。パワーが一転して、ブレーキになってしまうのです。

 人は、何か行動に移すとき、それに対する見返りを期待するものです。特に努力が必要なものであればあるほど、また求めるものが大きければ大きいほど、目に見える形で成果を期待します。これは自然な心でもありますが、そこにちょっとした落とし穴があるのです。期待をして思うような結果が得られなければ、当然落胆する・・・その「思うような」のところが落とし穴の入口です。つまり、判断するタイミングが早すぎたり、“理想”がいつの間にか“当然”になってしまう・・・という落とし穴です。

Nさんも、不安だから早く結果が欲しい、辛い思いをした(する)のだから、それ相応の成果が欲しい、と急いでいるところはないでしょうか?文面からは、何とか手がかりを見つけようと努力している様子がうかがわれますが、いつも不全感や心もとなさが残ってしまって、果たしてこれでいいのだろうかと不安に思っておられるようです。

 不安だから手がかりを得ようとする、その気持ちが、気づかないうちに結果を急ぐことになっているのかもしれません。あるいは、目に見えない何かを追いかけるあまり、足もとにある小さな変化や喜びはたわいないものとして流されてしまっているのかもしれません。じれったいでしょうが、結果が出るには時間が必要です。それが出る前に、意味がないと諦めてしまっては、可能性を自ら捨ててしまうことにもなりかねません。短気は損気・・・。あぶり出しを待つような気持で、何が経験できるのかをもう少し待ってみませんか?「結婚できるのか」「新しい仕事をやっていかれるのか」と不安に思うのも、すべて「幸せに暮らしたい」と思うからこそです。見えない将来の結果よりも、そこに続く道のりとして、「今」の生活の中で小さな喜びを探してみたらどうでしょうか。無理にチャレンジしようとか、頑張るのではなく、気力がないままに・・・。

 そんな道のりを歩んでいく時に役立つのが日記です。不安神経症のグループでは、皆さんが日記をつけて共有していますが、これはとても良いことだと思います。自分の生活を振り返るだけでなく、他の人の日記を通して改めて気づくこともあると思うからです。ご自分の日記を、少し間をおいて読み返してみるのも良いでしょう。案外、あぶり出しのように、かつては思いもしなかったことをじんわりと感じるかもしれません。
(久保田幹子)

フォーラムで『あやかる』『つられる』'09.4

 いつもながら、いやいつも以上にこの部屋のやりとりは活発です。そこで、やり取りをお読みして、感じたこと、少し付け加えることをお書きしたいと思います。

 Mさんの「今日は久しぶりに最悪で症状がつらくて最後まで踏ん張れなかった」という書き込みにuemyさんがご自身の体験を踏まえて「お気持ち、わかります!」と共感し「今答えを急がないで」とアドバイスされ、MAさんのアドバイスがそれに続いています。フォーラムならではのやりとりですね。

 フォーラムや身近な人で「いいな」と思う人に接し素直に「あやかる」ことは、回復への動きにつながります。森田先生も「あやかるとは、うらやましくて、その人のようになりたいと思い、その人の謦咳(けいがい)にでも接することである」と書いておられます。

 「行動本位」が大切と十分理解はしていても、「行動するべき」という自分の意思だけで動き出すのは本当に難しいこと。そうしたとき、身近な人の動きや、あるいはフォーラムの先輩の動きに触れてみると案外「つられて」行動に入れるものです。ダンスのステップなどでも自分の頭で考えている時はこんがらがってしまうものが、先生と一緒に体を動かしてみると自然に踊れてしまうようなこともありますよね。

また、MさんやUさん、Nさん、Wさん・・皆さんの書き込みにこれだけのレスポンスやアドバイスがあるのは、具体的に、うまくいかなかったことも含めて正直に書き込まれているからだと思います。「正しい取り組みを書かなければならない」「行動したことを書かなければならない」「我慢して頑張らねばならない」と構えてしまうと、悩みを抽象的にしてしまい、相手にも伝わらない、自分でもどこから取り組んでいいかわからず圧倒されるようになってしまいます。具体的に、正直に書くということは、「人に知られたら恥ずかしい」という構えを超えて、「よくなりたい」という気持ちを生かすことにもつながっていくことでしょう。

 Uさんの「あるがままがまだまだ」という表題、響きもよくてなんだか気に入ってしまいました。「あるがまま」、柔らかい言葉ですが「こういうことかな」とわかったように思っても、また何日か経つと「あれ・・」とわからなくなって。そんな繰り返しの中ですとん、と見えてくるのが「花は紅、柳は緑」なのでしょうね。
(塩路理恵子)


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