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心の体験フォーラム・症状別アドバイス集

強迫神経症のグループ

対人恐怖'98.11

強迫観念症には、強迫神経症と恐怖症が含まれます。掲示板に発言されている方の大部分は、恐怖症特に対人恐怖の人たちです。視線恐怖、赤面恐怖、電話恐怖、におい恐怖(自己臭恐怖と呼ばれます)、その他対人関係で悩む方などさまざまな恐怖が述べられています。対人恐怖の人は単に人が恐いのではありません。自分の弱点と思える症状が他の人にどのように思われるか、嫌われないか、避けられないか、を恐れ、またそのような自分がいやで受け入れることが出来ません。いってみればわれわれが人間関係で悩むことを鋭く、強く、激しく悩んでいる人たちといえましょうか。それだけ普遍的な悩みの一つであると思います。それは思春期にも、青年期にも、成人期にも、そして中年期でも表われてきます。また欧米では社会恐怖(社会的、対人的状況への恐怖)として1980年頃から知られるようになりました。森田療法の考えが役に立つと共に、集団での経験(発見会などでのグル−プ体験)が重要です。またなかなかグル−プに入れない方は専門家に相談していくことが必要です。
森田の生涯学習の重要性'98.12

“森田は生涯学習”という考え方はとても重要なことです。生活の発見会でも中間層のマンネリ化についてはよく話を聞きます。どうしても、ある程度自分の不安を克服できたと思うと次の段階が見えなくなります。森田の学習も惰性となります。しかしそれは生きること、生活すること自体もマンネリ化していることを意味します。このようなマンネリ化は常に起こります。森田療法の治療でもある時期にはマンネリ化がおこりますし、生活の発見会の学習でもでもそうですし、私たちの人生でもやはり同様です。初心に返ること、そして自分の欲望とはなにか、自分の人生とはなにか、をもう一度問い直すことが重要です。生の欲望の発揮にはマンネリはないでしょうから。
”盲従”ではいけない'99.1

心が行動へ向かっていない時期に目的本位、行動本位を強調すれば、自分で自分を苦しめてしまう結果になります。それが自分の神経症を強めてしまうこともあります。森田療法でいう行動本位、目的本位は、森田療法のめざす心のあり方へ到着するための一つの手段です。重要なことは自分を内省すること、自分の欲望を見つけていくこと、それに沿った行動を心がけること、自分を受け入れることなどです。まず森田療法に対して疑問を持つことは、その人の内省する力を養い、自分としての体験を獲得する最初のステップとなります。森田先生が嫌ったのは盲従です。その疑問を話し合うことから、自己理解や森田療法に対する理解も深まると思います。
対人関係で悩んだら..'99.2

若者らしいやりとりも盛んに行われているようです。学び、時には失敗し、挫折し、そこから成長する。大いなる目標に苦悩あり、苦悩の背後に欲望あり、人生のドラマは始まったばかりです。会社の同僚や上司などが嫌いですぐ態度や顔の表情に出てしまう悩みも対人恐怖の一種です。明るく振る舞わなくてならないし、それに疲れてしまうし。対人関係をうまくやろうとすると、失敗します。嫌なやつは嫌なやつ、変えようがありませんが、それと仕事は別と言い聞かせ、とりあえず仕事に注意を向けてみることが大切です。仕事に入ることで、嫌だという感情も変化するかもしれません。
”生の欲望”に気づく'99.3

集談会で自分の悩みが十分伝えられない、わかってもらえないという悩みは、人間にとって受け入れられることの大切さを表しています。悩みをうまく生かして、自分自身をよく理解できたらよいと思います。私たちはこのような悩みから自分を理解し、成長していくものです。このように自分を表現できたことは大切なことです。またここでのフォ−ラムでは重要な議論がなされています。離人感についての苦しみなども挙げられています。生きることの意味を探し、それを求めすぎると、逆に生き生きとして自分の感情を感じられなくなります。われわれには自ずからわきあがる悲しみ、苦しみ、喜びなどさまざまな感情があるはずですが、あることにとらわれるとそれすら注意を向けられなくなります。一つ一つの生活での行為とそこでの感情を大切にしながら過ごされるとよいと思います。悩みの背後に自分の欲望、森田では生の欲望といいますが、それを発見し、発揮していくことがわれわれにとって生きるということでしょう。これには多分理屈は要らないことだと思います。
対人恐怖の裏側に..'99.4

引きこもっている青年からのメッセ−ジが届いています。対人恐怖で悩む人は、人と接することに恐怖を持ち、そこから回避しようとしてしまいます。しかし人と接触することを避けていては問題の解決にはなりません。それは人と接するのが恐いという気持ちの背後に人一倍、人とうまくやりたい、他の人に認められたい、人間的交流を持ちたいという欲望があるのです。それをどういかすかです。人に認められたいと思う気持ちが強くなりすぎると、逆に人と接するのが恐くなります。あまりに強い人と円満な関係を持ちたい、人に評価されたいという欲望をほどほどに、自分なりと修正することも重要です。対人関係に悩む人は、一般に内弁慶で、家ではそれなりに過ごせますが、外ではだめなのです。人とうまくやるより、まず出来る仕事を優先すると発想を変えてみたらどうでしょうか。目の前の人とうまく付き合おうとする気持ちをとりあえず棚に上げてみて、まず自分で出来ることは何かを問うことです。そこから、むしろ人との関係が築けるようになります。人が周囲が見えるようになります。それが出来て始めて、他の人と人間的交流を持ちたいという本来の欲望の発揮が容易になります。
事実唯真'99.5

事実唯真がテ−マです。フォーラムにも具体的に述べられていますので、参照ください。さらに私の感想を付け加えると、結局われわれは現実と幻想のはざまで生きている。自分の思い込みからさめることが事実唯真で、そのためにはさまざまなことを知ることが重要なのでしょう。特に自分の弱さを知り、それを受け入れることが心の器を大きくし、そこから自分としての真の強さも知ることができると思います。
集談会に参加できなくて悩んでいる方がいます。集談会のあり方に疑問を持っているからです。このような時こそ、もう一度自分における森田療法を考える絶好の契機です。それは突き詰めていえば、自分の生き方への問いであり、自分の人生を見直すチャンスです。そこから新しい自分の気づき、発見、修正が見えてくると思います。
自己中心の克服'99.6

確かに私たちが成長するには自己中心性(わたくしはそれを我執と呼びますが)の気づきと修正が必要です。それは単に神経症を克服するという次元を超えて、私たちが生きるというそのもの、あるいは人生そのものと関係します。
予期不安について'99.7

予期不安ということについて考えたいと思います。手が震える、司会がうまくいかない、声が震える、吃るなど、私たちはどうしても人前での失敗を恐れます。そして失敗をあまりに恐れると、失敗したらどうしようという予期不安がつのってきます。これが曲者です。この不安を除こうとすればするほど不安が強まり、そのような場面を避けてしまいます。失敗してもよい、人前でびくびくするのも自分と思い定めれば、この予期不安は幾分かは軽くなるものです。そこから今までと違った発想が出てきます。
対人恐怖'99.8

対人場面での悩みを持つ方たちがたくさんいます。現代の社会はそれだけ人付き合いが難しい社会なのかも知れません。われわれの人間関係では、一方で自己を主張することが要請され、他方周囲との調和が必要です。対人恐怖で悩む人は、この両者のはざ間で鋭く苦しむのです。これはなかなか解決できないことですが、自分の足元を固め、自分を成長させていくことが遠回りなようでもっとも着実な方法です。
集談会のような自助グル−プで最も基本的なことは、批判なしに共感し傾聴することだと思います。人の悩みをまず共感的に傾聴する態度が重要です。また、よくなった人の体験は、悩んでいる人に重要な示唆を与えます。
われわれは人の話を聞くことから自分の体験を深め、自分をよりよく理解出来るようになります。その上で自分の体験を絶対視しない立場からの助言は重要だと考えます。そのような相互作用から私たちは、自分を理解し、修正する機会を得ることが出来ると思います。
完全主義から自然体へ'99.9

対人恐怖という人と接することに苦痛、恐怖を持つ人たちが、人と多く接する仕事が向いているのかどうかということについて、心の体験フォ−ラムで話し合われました。恐怖の裏に生の欲望があり、そして人はその欲望を決してあきらめることが出来ない。従って自分の欲望をどのように見つけて、発揮していくのか、が問題です。完全主義ではなく肩の力を抜いた60点主義あるいは自然体が望まれます。それにより自分の欲望をより素直に見つけることが出来ます。
率直に伝え、虚心に聞く'99.10

悩みの解決のためには、自分の悩みを率直に伝え、そして人の意見を虚心に聞くことから始めましょう。そこで重要なことは、自分の体験を絶対視しないことです。そこから心の成長、進歩が始まります。
フォーラムでは実用的なアイデアが提案されています。例えば「森田の言葉をいろいろな場所にはっておいて、迷ったとき、悩んだときに見ていく」というものです。行動療法でも勧める方法の一つです。強迫観念が浮かんだり、強迫行為をしたくなると、ポケットからそれを禁じる言葉の書いたカ−ドを取り出します。それを見ることで、とりあえず次の行動に移るように心がけます。古今東西人間のすることには多くの点で共通点があります。
強迫現象'99.11

強迫現象ということについて感想を述べます。フォーラムで発言されている方々を私は簡潔に完全主義者の挫折だと理解します。現代社会は常に完全であることを要求します。私たちも完全でありたいと思うわけですが、それが行き過ぎると自分で自分を縛ってしまいます。元来不完全な私たち人間を認めていくことから、私たちは成長し、自分の完全欲を現実に生かしていけると思います。
イライラする時は'99.12

わたし達がイライラするときにその原因は多くのものがあります。しかしそれが耐えがたいものである場合は、「今ここで」の生活が充実していないことが多いようです。そのときには、イライラの原因を探るよりも、どうしたら自分としての充実した生き方ができるだろうか、と発想を変えて自分の生活の再点検をしてみたらいかがでしょうか。自分の生活がそれなりにやれてくれば、森田の言う感情の法則が体験できると思います。
完全を求めない事'00.1

対人関係での悩みが多く寄せられています。現代は人間関係が希薄な時代ともいわれますが、それゆえに、多くの人たちは対人関係で悩むのです。
わたしたちは元来対人関係で傷つきやすいものです。なかなか自分の感情を率直に表現できないものです。そして対人関係は行き詰まりやすいものです。まずは自分がなにが苦手なのか、恐怖なのか、そしてその背後にある自分の欲望とはなにかをしっかりと見てみることが重要です。
恐怖の後ろに必ず欲望があり、恐怖を取り除こうとするよりも欲望を発揮すること。あまり完全を求めないことが大切です。それとともに傷つくことを恐れるあまり、防衛的になり、元来の人と接触したい、人と何かを分かち合いたい気持ちを見失なわないこだと思います。
不安の逆説'00.2

わたしたちは、不安恐怖になったときに、「なぜ自分がこんなに苦しまなくてはならないのか」「他の人は楽しく人と話しているのに」「他の人は何の人間関係の問題もないようにみえるに」とわれとわが身をのろい、自分の運命を嘆くこころがその不安を耐え難いものにします。
不安の逆説を体験することの重要性と言い換えることが出来ます。不安恐怖は、取り除こうとすると、結局自分で自分の不安を強めてしまいます。それがいつまでも追っかけてきます。不安恐怖はそれに入り込んでしまえば、不安の元来の変化し、流動するという体験をすることが出来ます。これをわたくしは不安の逆説と読んでいます。
不潔恐怖'00.3

不潔恐怖で悩んでいる人は多いようです。
不快な感じを持ちこたえ、放っておける心の態度を作る必要があります。強迫神経症の欲望はしばしば逆になりますので要注意。
不潔恐怖の人は不潔を恐れるあまり不潔となってしまいます。「清潔で気持ちがよいな」という元来の現実的な感覚を取り戻すことが肝心です。
薬物療法'00.4

以前に不安神経症のところでパニック障害の薬物療法について述べましたが、ここでは強迫神経症や対人恐怖の薬物療法の意味とその終結の仕方について述べましょう。強迫神経症に抗うつ剤SSRI(ルボックス、デプロメ−ル)が効果あることは知られています。しかしこの効果も症状をすっかり取り去るものではありません。強迫行為や強迫観念が減少する程度です。私は薬物療法と精神療法とは必ずしも対立するものとは考えていません。簡単にいえば急性期に薬物療法は必要ですが、その治療を終わらせるには精神療法が必須です。不安、不全感、不快な感情をそのまま受けとめられる心を作っていくことがより少量での薬物療法を可能とし、それが治療の終結に結びつきます。慢性期になればさらに精神療法の役割は大きくなります。 対人恐怖も、抑うつを伴う場合には薬物療法も一時的に効果を認めます。またアメリカでは社会恐怖(対人恐怖とほぼ同じタイプの神経症)にはある種の抗うつ剤の効果が認められるという報告があります。しかしその根本的治療は強迫神経症と同様に不安に対する心を作っていくことにあります。薬物療法で気をつけてもらいたいのは、自己判断による急激な服薬中断です。中断による症状の悪化が必ずみられ、それがまた薬物への依存や自分に対する自信をなくさせます。そのため主治医と相談して、精神療法と併用しながら減薬することがベストです。
森田療法'00.5

森田療法に関する考え方について意見を述べてみたいと思います。森田療法で得られる体験を Step1:理論森田 Step2:有森田(実践森田)Step:無森田(実践とかいう「言葉」さえ 「無」い)と分けて考えている方の例です。Step1:理論森田は高良先生のレベルで、発見会の体験発表はStep2:有森田(実践森田)だそうです。これも森田の理解のひとつでしょう。しかし私はこれにあまりこだわることには反対です。私が日頃から主張しているように、森田の読み方、理解の仕方はそれぞれの今までの人生、価値観、年齢、直面している問題、そして現在の環境と密接に関連します。森田療法の理解に深い、浅い、ステップ1から3というレベルがあるとは思えません。それぞれの個人の問題に合った森田の理解があり、そこからどのように自己の問題を洞察し、解決していくかが問題です。そして固有で自然な生き方を見つけることが出来るかです。ある人はさまざまな自分が好きになる方法を探しました。これは心理学的用語で自己受容といい、苦悩の解決の最も重要な点です。そこで森田療法を基本に内観療法とアサーション(認知行動療法の技法の一部で自己主張訓練とも呼ばれます)が彼に合った方法だとわかりました。私たち森田療法に関わり、興味を持つものは、自分にあった森田療法、時代が求め る森田療法をその本質を押さえながら、発展させていく、自分のものとしていく時代ではないでしょうか。
対人関係'00.6

現代は以前に比べて個人主義的となってきたといわれますが、やはり対人関係はわれわれの楽しみであると共に苦悩ももたらします。対人関係で悩む人は、仕事の場面は何とかなるが、皆がリラックスしたときに、どのように話したらよいのかについて悩みます。 このようなリラックスした時間でのコミュニケ−ションは、難しいもの。出たところ勝負という開き直りが大切でしょう。  対人関係に悩むということは、他の人の評価に敏感で、それに合わせた自分を演じてしまうことです。それは結局自分の持ち味を殺すことになりかねません。自分は自分で、自分のそのままを少しずつ率直に表現することが大切だと思います。
「対人恐怖でも恋愛できるのか」'00.7

対人恐怖に悩む人たちは、何よりも人が好きです。人が好きであるということが恋愛をする第一の条件です。恐怖の背後に欲望あり。人に接近したい欲望が対人恐怖で悩む人は強く持っています。それがしばしば強すぎて、人の評価が気になりすぎてつらいのです。しかし実際にはそういってもなかなかすぐに思ったような恋は出来ないでしょう。また好きな人が出来ても、その想いばかりが募り、なかなかその気持ちをうち明けられないでしょう。しかしそれは誰もが、少数の人たちをのぞいて、そうなのです。まず身近な対人関係を大切にすること、そこでの率直な自己表現を心がけること、自分としての生き方を求めていくことが大切だと思います。その延長上に恋愛があり、結婚があるのだろうと思います。
不潔恐怖の解決'00.8

不潔恐怖で悩む人は、当然深刻ですが、それと共に家族の悩みも深いものがあります。どうしても家族を巻き込むことが多いからです。不潔恐怖の解決は、逆説的ですが、ほどほどに清潔に自分の住んでいるところや自分自身を保つことですが、それがなかなか出来ません。 何か汚れたものを見たり、想像するだけで、恐怖にとらわれてしまうからです。そしてその恐怖を消すために、手を洗い、あるいは汚れていないか家族に確認し、肝心な清潔であることがおろそかになってしまいます。
 恐怖の対象を避けないで出来るところから手をつけていくこと、なるべく家族を巻き込まないこと、家族は完全に本人をサポ−トしようとはせず出来ることと出来ないことをはっきりさせていくことなどが重要です。
関係の中で生きる言葉'00.9

森田の言葉、あるいは森田療法の持つ知恵はさまざまなものを含みます。しかしそれが自分のこころに届き、ある種の感情を伴って「あ−そうだったのか」といつも思えるとは限りません。森田療法の言葉がこころに届くときには、悩むこころが軽くなり、今までと違った自分の理解に達すると共に前向きな姿勢が出てきます。それは多くの場合、人との関係、親しいそして信頼できる友人、同じ悩みを持つ人たち、あるいは治療者とのやり取りから起こります。言葉を生かすには、まず安定的な関係が必要なのです。森田療法を学ぼうとする人たちはある人を信頼できる能力を持っています。それが森田療法の持つ知恵を学ぶことを容易にします。
対人関係で悩む'00.10

対人関係で悩む人の多くは、人一倍人に認めてもらいたい気持ちが強いのです。そのために逆に人前では、緊張してしまい、目の遣りどころに困り、顔が引きつります。そしてそれが人にイヤな感じを与えているに違いないと悩みます。そしてこのように悩む人は、自分を殺して人に合わせてしまう傾向があります。
 しかしこの悩みは単純なものではありません。一方、対人関係で悩む人は、誇り高き人です。人前でのそのような反応自体は自然で人間的なのですが、それを自分の弱い点と思い、受け入れることが出来ないのです。そしてそれを取り除こうとして、悪循環に陥ります。
 人前での恐怖の背後に人と仲良くしたいという自然で健康的な欲望を意識し、まずは自分のすべきことをする、自分が何をしたいかを基準に考えていけると、その悪循環から抜ける手がかりがつかめると思います。
治るということ'00.11

 お互いの経験を伝えあうことから、さらに自分への気づきへとその体験をさらに深めていくことが可能となると思います。
ここでは「対人恐怖の心の持ち方」について考えてみましょう。Aさんは、中学3年生から対人恐怖に悩み、しかし持ち前の向上欲を発揮して社会人一年生となり、自分としての人生に充実感を感じるようになりました。わたくしの“軽度神経症を治す”も読んでもらったそうで、著者として嬉しく思います。そして対人関係で、もう少し「格好つけ過ぎている部分をとっぱらうことも必要ではないか」と感じているそうです。
 恐怖の背後に欲望あり。わたくしは、対人恐怖の人には健康な「人への接近欲求」があり、それが強すぎるためにむしろ恐怖におちいっていると考えています。従って、その健康な欲望に沿って「取り繕わない生な自分」を表現することはとても大切と思っています。
 それに対してBさんは、少々辛辣に、これが「対人の神経症のまった中ですね、本当に計らい多いね」といい、「対人の神経症の治癒とは人間関係を良くする事では無く、人間関係の囚われから外れて、自由闊達な心を手に入れる事です」と述べます。わたくしもこれが森田療法の原則であると思います。つまりわたくしの言葉で言えば「出来ること」と「出来ないこと」をしっかり分けて、「出来ること」(現実に取り組んでいくこと、行動すること)をして「出来ないこと」(感情、現実、他者をコントロ−ルすること)をそのまま認めて受け入れていくことだと思います。
 ここで重要なことは、自分の感情をそのまま素直に認めてそれを操作しないで放っておくともに、自分の自然な欲望をいかに現実の場面で生かしていくかです。つまり「感情の受容」と「欲望の発揮」が同時的になされて、治癒への道が開かれるとわたくしは考えています。わたしたちの悩みの本質的な解決は、不安、苦悩をそのままにしながら、自分の固有の欲望を現実にいかに表現するかにかかる、とわたくしは考えています。
対話することと自己を知ること'00.12

 「神経症」を治すには、すなわち「とらわれ」を打破すること、そうすると自ずから、ここが重要な点ですが、自分の健康な欲望(森田療法では生の欲望)が現れてきます。それに乗って生活に取り組んでいけばよいと言うことだと思います。そこでの試行錯誤、挫折、不安と喜びはもはや神経症とは呼ばないのです。そしてそれはいわば「生きること」そのもので、そこで本来の自分を生かしていけばよいのだろうと思います。

 さてもう一つは、このように皆さんが積極的にこのフォ−ラムに参加し、自分の体験を交換することの意味についてです。今年の総評のところでも書きましたが、自分の経験を書くこと、そして人と対話することはさらに自分の経験を客観的に見ることが出来、その経験を深め、自分のものとする力となります。

「円滑な人付き合いが出来ない」 '01.1

 ここでは書き込み、発言はいつも通り活発です。そしてここでのやり取りを通して皆さんがさらに自分の体験を深めている様子が伺われて、嬉しくなります。また、はっとと気づかされることも多々あります。やはりこのような場での体験のやり取りは重要であると再確認しました。  今回は、「円滑な人付き合いが出来ない」を取り上げてみましょう。「放課後児童会という、いわゆるカギっ子をあづかる仕事をしているのですが、そこでの人間関係も、子どもとの付き合いもうまくいきません。」などのつらさを訴えています。このような悩みを持つ方が増えてきたようです。  それに対して、Aさんは「上手く話そうとか、いい大人として対処しようとか、考えずに、子供たちの楽しい話を聞く、子供たちと鬼ごっこやドッチボールなどして楽しく遊んではどうでしょう」と発想の転換を進めます。Bさんは「まずはその場に居ること」「輪に加わっていること」の重要性を指摘します。つまり「逃げないということが大事」なのです。Cさんは「あなたの現在の苦しみは、あなたが本来の苦しみを何十倍にも広げたものです」と自分で自分の悩みを拡大していくメカニズムを指摘しています。Cさんは他の所で「神経症の人はノミのような問題をゾウのようにしてしまう」という巧みな比喩を用いています。この「神経症的とらわれ」から抜けると、Cさんの言うように日々の幸せを感じる心が育ってくるでしょう。
  「ばかにされないために、こうしてみよう」と考えるより、「この子とどうやって関わったら楽しいかなぁ」と考えるようになったそうです。つまりこれは「人にどう思われるか」という人の評価を基準とした生き方から、「自分として何をしたいのか」という生き方への転換でもあるようです。皆さんの助言はそれぞれの体験に裏打ちされ、生きる智恵がそこには含まれています。
相互作用(インタ−アクション)'01.2

このグル−プのお互いのやり取りは相変わらず活発です。そしてここでの皆さんは 率直に自分の意見を表明しているようです。わたくしはそれらを見て、そのような相互作用(インタ−アクション)が人を成長させるのだ、と思いました。例えば、Aさんが、「怖くても逃げずに日常生活することを自分に言い聞かせようと思います。こわいと言うのは、対人恐怖症でいる自分のこと」と書き込みます。  それに対してBさんが、自分の体験に沿って「1.働いている自分を認めることの大切さ、2.自分自身の言い訳をしないこと、3.できることを一生懸命やりま しょう」と提案します。これは自分の経験に基づいたことで説得力があります。また 人に自分の経験を話すことで、自分自身への理解が着実に深まるのです。またCさんが対人恐怖で悩んでいます。そして「どなたか相談にのってください」と書き込みます。また、みなさんからアドバイスが届きます。Cさんが「とりあえず本をよんで実行してみようと思ってます。とにかくなにごとにも逃げずに、がんばってみます」とアドバイスに力を与えられたようです。ここからCさんの変化が始まるのだろうと思います。また生活の発見会の集談会についてもさまざまな意見が交わされます。そしてそこでの体験が、たくさんの方から語られます。そしてわたしたちは集談会の体験とはどのようなものか、についてこのようなやり取りから知ることが出来るのです。
アサ−ティブトレーニングについて '01.3

 今日は、対人恐怖の人に対するアサーティブ・トレ−ニングについて考えてみたいと思います。
 Aさんは「アサーティブネス(Assertiveness)(アサーションとも言います。)は、自己主張すること」の重要性を述べています。そしてそのトレ−ニングが対人恐怖で悩む人たちの役に立つと勧めます。それに対して、Bさんは反対です。対人場面でそのようなトレ−ニングはむしろ「神経症的とらわれ」を強めてしまうというのです。
 
  さてこのような議論は、以前にも日本森田療法学会や研究会で話題になったものですから、興味深く読みました。私は、ほぼCさんの考えに同感です。「対人恐怖の人は、とても強い悩みを抱えており、それを克服していくのに、 アサーティブトレーニングで何とかしようとするのは無理ではないかと感じます。 神経症のもととなった生き方や行動のしかたのまちがいは アサーティブトレーニングの是正しようとしている傾向よりも深いところに在るような気がするのです。」と述べています。
 Bさんが指摘しているように、最初は対人関係での工夫をいっさいしないことが逆説的ですが、もっとも重要です。つまり「はからい」を止めるのです。不安を取り除く工夫を止めて、そのままに放っておく心の態度です。それはすなわち、自分の悩みを抱え込む心を作ることであります。それが出来てくると、以前にも指摘しましたがその人の本来の生の欲望がしっかりと自覚されるようになります。 この時点では、A さんのいう「アサーティブ・トレーニング」や内観での内省がある人にとってはとても重要なことになるでしょう。しかしそれもその人の固有な「生き方」と関係します。  しかしもちろん違った生き方をし、そのようなことは必要がないという人もあるでしょう。それはおのおのの生の欲望に沿った人生の選択です。
薬物療法の意味 '01.4

  対人恐怖の友人から薬物療法の相談を受けて、その返答で困っていま す。以前に不安神経症のところでパニック障害の薬物療法について述べましたが、こ こでは強迫神経症や対人恐怖の薬物療法の意味とその終結の仕方について述べましょ う。
 
 強迫神経症に抗うつ剤SSRI(ルボックス、デプロメ−ル)が効果あることは知られ ています。しかしこの効果も症状をすっかり取り去るものではありません。強迫行為 や強迫観念が減少する程度です。私は薬物療法と精神療法とは必ずしも対立するもの とは考えていません。簡単にいえば急性期に薬物療法は必要ですが、その治療を終わ らせるには精神療法が必須です。不安、不全感、不快な感情をそのまま受けとめられ る心を作っていくことがより少量での薬物療法を可能とし、それが治療の終結に結び つきます。慢性期になればさらに精神療法の役割は大きくなります。
 
 対人恐怖も、抑うつを伴う場合には薬物療法も一時的に効果を認めます。またアメ リカでは社会恐怖(対人恐怖とほぼ同じタイプの神経症)にはある種の抗うつ剤の効 果が認められるという報告があります。しかしその根本的治療は強迫神経症と同様に 不安に対する心を作っていくことにあります。  薬物療法で気をつけてもらいたいのは、自己判断による急激な服薬中断です。中断 による症状の悪化が必ずみられ、それがまた薬物への依存や自分に対する自信をなく させます。そのため主治医と相談して、精神療法と併用しながら減薬することがベス トです。
自己体験の絶対化の危険性 '01.5
 
このグループでのデスカッションは活発です。この場はお互いの経験を尊重し、そ の経験に耳を傾け、そして自らの経験を語り、そこから自己の啓発をはかる場であり ます。ここでは誰が優位に立ってものを教え、また他の人が教えを乞う場ではありま せん。ここの参加者は常に対等であるべきでしょう。お互いがお互いを助け合うとい う自助の精神が体験フォーラムの本質的な特徴であり、そうでなければここは専門家 による一方的な治療あるいは教育の場になってしまいます。つまり体験フォーラムで はなくなるのです。
 これについては、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんのやり取りか らわたくしの意見を述べてみたいと思います。

  Aさんが1年間の職業生活を振り返り、彼としての気持ちの処理法について 書いています。彼は対人恐怖についてCさんと激論を交わしたこともある人で す。彼はこの1年間を振り返り「事実を見る目ができてきたかなと」と感じていま す。それは「自分がうじうじ心の中の不満や猜疑心や不安にとらわれているとき、紙 にその思いをかけるだけ書いてみるのです。何ページになろうと書いてみて書ききっ てもうないや、と思うくらい書いたら、その書いたものを読んでみます。自分がどん なことで悩んでいるのかがはっきり分かります。こういうことで悩んでいる、という 悩みの中身が事実として分かるのです。しかし、その悩みを解決しようとはしませ ん。これが一年たって変わったことです。事実を見ること知ることは大切なことだと 思います。」と記載しています。わたくしはなるほど、と感心しました。Aさ んとしての心の事実をありのままに見る方法を見つけたようだと、考えてからです。 それは自分のつらい感情をこころの事実として受け止め、そしてそのまま操作しない でおいておく、つまり心のなかにその体験を保持しておく作業です。
 
  これはわたくし が考える森田療法そして精神療法一般の基本的な作業と共通するものです。それがな されると、次第に本来の生の欲望も見えてきます。それがAさんの悩みの解決 やこころの成長に役に立つだろうと思いました。
 
  さて残念なのは、Cさんの反応です。Cさんはこのように書き込みます。 「久しぶりですA さん、以前は失礼しました。もう1年たちましたか!、そ うそう貴方には「1年で神経症を治す方法」と言うのをお教えしましたが 「対人恐 怖が治ってない」と書かれていますので実行しなかったみたいですね。」  これは先程書きましたこのフォーラムを成り立たせている原理・原則からいえばい うべきことではないでしょう。またどんなに優れた治療者でもこのようなことはいえ ないでしょう。わたくしは森田療法の専門家として少なくとも20年以上もそれなりの トレーニングを積んできましたが、今までこのような言葉を人に伝えたことはありま せん。そしてCさんがいうように誰にでも適応できる「神経症を1年で治す方 法」などあり得ないこととは私自身の経験から断言できます。これはCさんの個 人的な体験で、相手の立場も考えずに一般化、絶対化するのはきわめて危険です。  
 
  Cさんの体験フォーラムでの言葉は鋭く、真実の一部は伝えています。しかし それが絶対的な真実ではありませんし、ましてCさんは治療者でもありません。 森田療法は広く東洋的な人間理解に立脚した精神療法で、わたしたちが「あるがま ま」という人間性の事実の到達するためには、その人としての多くの方法があるはず です。 私たちが自己中心的なとらわれから抜けるということは、他者への愛、自己中心的 な「人を思うがままに操りたい」という欲望に気づき、そこから抜けたことを意味し ます。  
 
  その点で、Bさん、DさんがA さんの生き方を認め、尊重している 態度にはホッとさせられます。ある人の言葉が相手の心の届き、その意味を持つよう になるのは、悩む人の生き方を尊重し、共感し、その上で築かれた関係を前提としま す。
 それともう一度確認しておきますが、このようなお互いがお互いの意見を傾聴し、 尊重し、そして自分の経験を伝えあう場所です。この場所では自分が他人を治すとい う発想そのものが無責任であり、きわめて危険なことです。この場がある人の経験の 押しつけにならないことを切に願っています。
自分の経験を語ること '01.6

  このグループでのお互いのやり取りは活発です。今回はやり取りが多く、それぞれ 味わいがあるのですが、個別に取り上げません。  
 
  今は多くの方々は常時発言するメンバーとなって、このグループを盛り上げてくれます。そしてこの部屋を途方にくれて訪れた新しいメンバーにAさんはもとよ り、多くのメンバーが適切な助言を送ります。その助言はいわば自らの経験を語るこ とでもあります。助言することによってさらに自分の経験をしっかりと自覚し、深め ることができます。そこに一方通行でない、同じ悩んだ人たちが単に慰めあうのでは なく、自分の経験を伝え合い、それを通して成長する姿が見えてきます。最初は不安 に満ちて訪れてこの部屋の来訪者が、次第にここでの先輩の助言を取り入れながら、 試行錯誤をはじめます。  
 
  これは単に症状、不安に対する心の態度だけでなく、人生の、つまり生き方の変換を意味します。自分なりに自分の問題解決に取り組んでいこうとすることは、今までの受身からより前向きなこころの態度への転換です。つまり「生きること」そのもの がより積極的に、そしてさらには自分の健康な欲望への発揮の方向に向かっていくのだと思います。
自らを語ること '01.7
 
 Aさんが、離人症で悩んでいます。医師の治療も受けているようですが。彼が 「離人症の治し方をおしえてください」と書き込みをしています。Aさんの悩みとはどのようなものなのでしょうか。離人症とは症状の名前で、Aさんの悩みが 伝わってこないのです。従って私も多分このフォ−ラムのメンバ−も自分の体験と照らし合わせて適切なアドバイスが出来ません。まず具体的に自分の悩みがどのような ものか、どのように経験されているのか、それは自分の生活のどのような場面で起こるのかなどを、記述することを薦めます。必要に応じて担当の医師と話し合った方がよいかもしれません。  
 Bさんの発言には感動しました。自分の人生を語り、そして自らを反省します。彼が自分の経験を語ることにきわめて熱心であった理由がよく分かりました。そ して率直に自分の行きすぎを内省する態度は、さすがであると思いました。Bさんのさらに一皮むけた体験談や助言を期待し、待っています。  もう一つ、Cさんが「生活の発見会」に参加することの効果について述べています。私も全面的に賛成です。私は、このようなフォ−ラムでのやり取りの重要性については再三述べてきましたが、さらにそれを深めるであろうことは、「生活の発見会」への参加であり、実生活での実践です。直接的な感情体験がきわめて重要であると考えています。
苦しいのは自分だけではない '01.8
 
 ここでの書き込みは相変わらず活発です。Aさんが、「私って嫌われ者かな・ ・」と書き込みをしています。沢山投稿したのに、誰も参加しなくなり、一人相撲になっていたと感じたようです。そしてとても孤独を感じているとのことでした。この体験フォーラムの参加者はとても優しく、またこのような孤独を共有でいるようです。
 Bさん、Cさん、Dさん、Eさんがそれに反応して自分たちの感想を述べています。それにAさんも励まされたようです。「私だけが苦しいのではない」と気づきます。これが重要な点です。
  自分だけが苦しい、自分の悩みは特別だ、誰も自分のことを分かってくれないと思い悩むと、その悩みの渦から抜けることが出来ません。自分の苦悩を人に伝えること、そしてそれについて話し合えること、 他の人に共感してもらえることがその悩みの解決の第一歩なのです。そのような点で このフォ−ラムの果たす役割は大きいものがありますし、また自助グル−プである生活の発見会も同じような機能を持つと考えられます。
一緒に悩みを解決していくために '01.9
 
 Aさんが新しい会社に入って2ヶ月弱、症状がひどくなって、こころが自由に動かないと悩みを書き込んでいます。それに対してフォ−ラムのメンバーがさまざまな書き込みをしながら、彼の悩みの解決方法を一緒に考えていっています。

 Bさんは、「心に相手にならなければ自由になれます」、「もともと悩みはないものです。従って人為的に増幅された悩みに於いては、皆同じ苦しみです…」などと書き込んでいます。これは禅問答のようでわかりにくい助言です。
 このフォ−ラムでは自分自身の経験を具体的に示しながら、それぞれの森田療法と自分への理解を深めることが目的です。 Bさんも自分の経験から出た自分の言葉で伝えることが必要だと私は考えています。
 Cさんは、まず Aさんに、「心が伸び伸びした自由な状態」とはどんな状態で、その状態になればどのような行動が出来るのかを聞きます。この問いからAさんは自分の悩みを更に具体的に考えることが出来ます。またDさんはAさんの悩みとは違った面に注目し、指摘します。つまり発想の転換です。「2ヶ月もちゃんと勤めたのはエライと思います。症状がいろいろ出てくるのは仕方ないこと。 2ヶ月もったのだから、次は半年かな。症状を抱えながら、自問自答を繰り返しながらも、 いつか何かの突破口が見つかると思います。 それまでは辛抱辛抱」。これはとてもよい助言です。その人のよい点を指摘し、さらになんとか持ちこたえればその人としての大切な体験が出来るというのです。Cさんは、Aさんのつらさに共感しながら、「自分をいかに良く(?)見せるか”という努力を、 ”いかに人の為になるようなことをするか”という方向へ変えていくことができれば、自然に過剰な自意識も薄れていくのではないかと思いますが、どうでしょうか?」と助言します。それは症状と格闘しながら結果として症状にとらわれているAさんに、やはり発想の転換を勧めるものです。目の前の具体的に出来ることに取り組むように勧めています。
人とつながること '01.10
 
 今月はAさんが活発に書き込みをしています。彼女は対人恐怖で悩み、引きこもりがちでまたとてもこれではいけないと焦っています。それに対して多くの人が さまざまな自分の体験に沿ってアドバイスをしています。生活を工夫すること、日々の目的を果たすこと、自分のしたいことを見つけること、焦らないで自然に何かしたい気持ちがわくまで待つことなどなどです。これ以外にもあったと思いますが、たくさんのレスポンスなので書き切れません。このように人とつながっているAさんはよいコミュニケーションをしているな、と感じました。実際の生活では孤独かもしれません、しかしここでは確実に人と関わっているのです。
 このフォーラムで自分の考え、思いを率直に人に伝え、そこで 話しあう(チャットする)体験は重要です。そこから生活の発見会やアルバイト、大学生活などより実際の人との関係に近づけたらよいなと思います。またここでいろいろとアドバイスしている方にはそれぞれの特徴があるようです。 そのことがその人の個性的な生き方を反映しているようでとても興味深く書き込みを読んでいました。そしてまた人へのアドバイスがその人の体験を深めていくのです。
認識を変えることの重要性 '01.11
 
 Aさんが仕事のことで行き詰まっています。それを率直に表現しています。
 「うまくいかないことがよくある。しょっちゅう怒られている。・・・正直、この体験は辛い。一生懸命やれば、うまくいくんじゃないか、怒られることは無い、って学生時代は思っていたから。そこで分かれ道かなって思う。今の実力で精一杯やって、結果はまあ受け止めましょう。怒られても仕方ない。失敗もありでしょう。次も、腐らずに一生懸命やりましょう、って自分に励ましています」。
 これは今までと違った認識で自分と世界との関係を見られるようになったということを示しています。Aさんもいうように人生は一生懸命やったからうまくいくわけではありません。むしろそこで失敗し、そこから人は成長し、結果としての成功をつかむのでしょうね。失敗無くして成功なしです。
 そしてまた重要なことはBさんがいうように「落ち込んでいたとしても「必要なことはやる」・・・やった結果が、30点になるか、60点になるか、100点になるかは、時の運だと思います」。
 これもまた重要な認識です。それがたとえ良い結果を生まなかったとしても、失敗が単なる失敗でなく、次につながる失敗となり、失敗恐怖の克服にもつながるのです。
弱い心は弱い心として '01.12
 
 対人と抑うつが主症状のAさんが仕事のしんどさを書き込んでいます。Bさんは自分がぐうたらママで、何とかしなくてはと焦っています。Cさんは森田療法を「弱点を持った人がどう生きていくべきかを教えてくれる知恵の集積」だといいます。Dさんは「悔しい思いを胸にコツコツ積み上げていけばいいわけです。それが 真の神経質者の生き方です」とCさんに書き込みに答えます。
 Eさんは最初短期のアルバイトにでますが、契約の更新を前に揺れてきます。自分の考えたような理想的な人間関係の職場ではないようです。Fさんは 「…最近思うのは、うまくいかない時に人間一番成長するのかなということです。… 一緒に悩みながらぶつかりながら、なんとかやっていきませんか」と提案します。
 私たちは生きていく上で必ず苦悩に直面します。そして神経質の人たちはこの苦悩が一般に深く強い人たちともいえましょう。しかしこの苦悩を苦悩として認める心が育ってくれば、喜びも喜びとして感じられるようになるのです。つまり人生が生き生きとしてきます。Unagiさんが言っているように、つらい時こそ、私たちは人生の事実を知るチャンスとなります。それが成長するということだと思います。
 私たちには多くの弱点があります。それをそのまま認めていくこそ、生きることに対する工夫が生まれてくるのです。それをいやなものだと取り除こうとする心がわたしたちの苦悩を強め、それにこだわってしまうのです。
基本に戻ること '02.01

 このグループの話し合いはとても活発です。それを読みながらわたくしの感じたことを書いてみます。Aさんが「森田の基本に戻ろう」と書いています。森田の基本とは「びくびく、はらはら、震えるままに、必要なことをやっていく」ということです。わたくしも賛成です。何か生きることに行き詰まったときに、森田の基本に戻ることは大切だと思います。 また「不安のままに、できることに手を出す、そこでの工夫を凝らしてみる」つまり森田療法でいう「あるがまま」ということです。そして現実に接して、そこで格闘しながら、悩み、苦しむことはその人を確実に成長させます。したがって基本に戻るといっても、そこには最初と違ってさらに深い森田療法に対する理解、あるいは自己の生き方に対する洞察があるのだろうと思います。
 そのような取り組み、生き方はまたBさんがいうように「これでよいのだ」という自己受容を可能にします。もちろんCさんのようないわゆる失敗もあるでしょう。しかし大切なことは失敗したということではなく、何とかチャレンジできたという事実です。そしてまた初心に戻ればよいのです。
治ることをめぐって '02.02

 強迫神経症のグループでの書き込みとお互いのリスポンスは活発です。このような お互いのやり取りから、ここでの参加者がそれぞれの自分の生き方を模索している様 子が見えてきます。それが自分として生きていくことそのものだろうと私は考えてい ます。
 A さん、Bさんがとらわれから脱却するには、つまり神経症から治るには 「治す努力を止めること」と書き込んでいます。これが森田のいう逆説です。これは また不安の逆説でもあるのです。不安から逃げようとすればするほど、それを取り除 こうとすればするほど、不安は強まるのです。私たちが悩んでいるときも同じです。 その悩みを何とかしようとするから、事態は悪化し、逆にその苦悩は深まります。私 たちが苦悩に直面したときには、それをしっかりと持ちこたえながら、今できること は何か、と発想を変えることが大切です。
 従って私たちが苦悩を取り去ることを諦めたならば、本来の生きる欲望がしっかり と感じられるようになります。それはCさんがいう「自分で治すのでなく環境に 治してもらう」ということにつながります。結局のところ、治すことを諦めるという ことは、本来の固有で自然な自己の生きるということであり、自然に従順になること でありましょう。
神経症の悩みは周囲に理解されるのか '02.03

 Aさんが対人恐怖中でも醜形恐怖がひどく、外出できなくなりました。そして精神科で治療を受けようとしたのですが、両親はわかってくれません。Aさんは絶望しています。Bさんが率直に自分の悩みを伝えていくことを薦めます。Cさんは、人生にはいいときも悪いときもあり、今まではよいときだけ行動し、悪いときにはすべてを放り投げてきた、しかし悪いときにでも必要最小限のことを行動するようになってきてからは、急速に神経症が良くなってきた、といいます。つまり神経症で悩むことは、症状のことで悩むと共に、行動が極端となり、それ自体がその人を追い詰め、さらに苦しみを加速されることになります。このような状況から抜けるには一人ではしばしば困難です。生活の発見会のような自助グループでの集団学習、専門家のアドバイス治療を必要とします。
  しかしAさんのように親の理解が得られない場合がしばしばあります。どうしたらよいでしょうか。わたくしもBさんの助言に賛成です。自分の悩みを率直に、そして粘り強く説得していくことです。そのことは自分の悩みを人にわかりやすく説明する作業を意味します。神経症の悩みはしばしば人に理解してもらえてというだけで軽くなるものです。あるいは自分の弱点と思えることを人に率直に伝えられることだけでよくなることもあります。何がつらいのか、診断名、症状の名前でなく、自分の悩みとそれゆえに自分のしたいことができないのだ、と真剣に伝えれば多くの場合、次第に周囲の理解を得ることができます。そしてそれを家族に理解してもらうにはうまくいかないと投げ出さずに、Cさんがいうように、粘りづよくすること自体が問題解決の第一歩です。
完全主義者への処方 '02.04

 Sさんが完全主義者の行き詰まりについて述べています。Sさんは、自分自身の問題点として、
   @観念的な不完全恐怖、観念的な儀式的行為、
   A即応性の なさ、
   B人間性の事実の再認識 、
   C想念に対する姿勢 、
   D気分・感情に対する 認識、
   E劣等感、
   Fある納得が得られるまで行為をする、
   Gall or nothing
を挙 げ、なかでもall or nothingが一番問題だ、としています。私も完全主義者とは 白か黒かに決め付ける人と考えています。そのことが生きることの行き詰まりを 招きやすくします。
  これは神経質、特に強迫神経症のグループに書き込む人たちの特徴でもあります。その処方として、
1) まず完全主義者であることを自覚すること、
2) 自分の気分、不安、体調など自然な心と体の反応に対して完全主義で あろうとするとそのことにとらわれてしまうことの体験的理解、
3) 自然な心身の反応は自分の観 念的操作が及ばないものであるというあきらめ、 放っておく勇気、
4) この体調が、不安が、気分がよくなってから自分のしたいことをやろうという考えから ぼちぼちと出来ることから手を出していくという発想の転換、
  などです。
  いずれにせよ、生きていくうえで完全ということはありません。特に私たちの 感情的反応は、それを完全に思うがままにしようとすると苦しくなるのです。行き詰るのです。
いやいやながら持ちこたえていくこと '02.05

 普通神経質の部屋をのぞいた後に強迫神経症の部屋をみると、Cさんの書 き込みが目に付きました。 ちょうど「治るということ」は逆説的ですが「治すことをあきらめるということ」と「持ちこたえること」 が大切と私自身が書いたあとでしたのでなおさら興味をもちました。
 Cさんは「世の中、嫌なことや面倒くさいことがたくさんあります ね。・・・落ち込んでいたり、 職場の皆の中に入っていくのに大きな恐怖を感じ ていたり、仕事が順調でないときには... 本当にイヤでイヤで仕方ないこと もあります。しかし、そういう気持ちを押して、 ともかく会社に着いてしまえば 案外、気持ちが流れるということもあります。・・・ある日、気がつきました。
 このイヤイヤ気分はなくなることはない...と。・・・無限に繰り返されるこのイヤイヤ気分との 戦いは一生つきあっていくしかないのだと....。・・・ 毎日毎日、このイヤイヤを味わっていれば、 だんだんとそれが当たり前となる。 気がついたら、苦痛苦痛と思っていたものが、 実は苦痛ではなくなってい た...なんてことが...。」といいます。
  これがわたくしの強調したい「持 ちこたえること」です。そこにはイヤイヤ気分を 動かすことのできない自然な事 実として認め、それと付き合っていくしかないと次第に心が定めれば、 それ自体 苦痛でなくなるという逆説があるのです。そこに人間としての成長があり、 そしてそれとほぼ同時的にその人らしい生の欲望のあり方が次第に姿を見せてくるの です。 それが治るということです。しかし生きることには、いやなこと、悩むことはつきものです。 それをそのまま事実として受け止めていければ、また生きる 喜びもしっかりと体験できるのではないでしょうか。
治るということの逆説 '02.06

 このグループの6月の書き込みも活発で、「治癒―治ること」、あるいは「あるがまま」をめぐって 論議されています。この2つは密接に関係しますが、今回は治ることの逆説について解説してみたいと思います。
  悩む人たちはすべてまずこの悩みを取りたい、と考えます。つまり治りたい、治したいと考えるわけです。 そこで悩みの悪循環に捕まってしまいます。それを取り除きたい、と考えるがゆえに、そのことしか 考えられなくなるのです。治そうとして、症状をさらに自分で強めてしまうのです。 治したいという素直な気持ちは大切です。それと症状を取り除くということは全く違うことなのです。 治すためには、症状を取り除くという意味での治すことをあきらめなくてはならないのです。
 このことは、古今東西を問わず、人間の知恵として存在するようです。わたくしたちの不安、抑うつ、 恐怖、強迫観念などを治すには、何もしないこと、そのままにしておくこと、 つまりコントロールすることをあきらめることです。
とらわれから脱するには '02.07

 Aさんが、「仕事中は仕事に集中してするとしても、ただ単に雑談や会話をしているとき、相手の目を見ないようにしていても、目つきが変になり顔が引きつります。・・・森田先生は、目に神経が集中しすぎて、よけいに悪循環になると本には書いてましたが、会話中はなすべき事を成すとはどのようにすればいいのか解らなくなりました。誰か教えてください。」と書き込んでいます。これについてさまざまな人がそれぞれ適切な助言を書き込んでいます。それらを列挙してみましょう。括弧は引用部分で、最初に私が標語風に書き入れました。症状、感情はコントロールできないものである。「恐怖という感情が起こるのは認めるしかないと思います。感情は自分でコントロールできないですもんね。・・・お互い「自然に服従」して頑張っていきましょう!」(Tさん)建設的な生き方、不安から逃げないこと「私はうああ〜〜〜ってなった時は建設的な生き方、建設的な生き方、と考えてます。」(kさん) 降参すること、あきらめること「「苦しみが治らない」という事実に苦しいのです。苦しみを取るのはただ一つ「降参」するだけです。」(Sさん) 自分だけが悩んでいるのではない、自分の悩みだけが特別ではない「自分も、悪気はまったく無いのに緊張から相手にそっけない態度をとってしまい、不快感を与えたり逃げられてしまったりすることがしばしばあります。だからその辛い気持ち分りますよ。同じように悩んでる人って世の中には結構いるものです。一人じゃないです。」(Pさん)出来ることと出来ないことを分けること「悩みはなくすることはできない。嫌な気持ち、苦しさもなくすことはできない。でも、その悩みは後回しにして、目の前のやるべきこと、もっと大事なことに取り組んでいくしかないのだと思います」(Cさん)
 これらの認識を身につけることから、とらわれからの脱出の手がかりをつかむことが出来ます。
行き詰まりこそ自覚を深めるチャンス '02.08

 Pさんが森田療法の実践に行き詰まって次のように書き込んでいます。とても大切なことだと思いますので、引用してみます。「僕は対人恐怖になって五年半、症状に関していえばほとんど変っていません。以前、森田先生が外来患者の訴える症状に対してそれは治らないよといっていたそうです。やはり森田療法は症状を治療する療法じゃないから症状は治らないみたいですね。そんなこんなで最近自分は森田療法から距離をおこうかと思っています。・・・正直、症状に関してはほとんど諦めていますし。ただ森田療法に触れていると変に理屈っぽくなったり強迫観念を作り出したりと結構疲れるんです。」
 たしかに、時に森田療法では言葉そのものにとらわれ、理屈っぽくなったり、逆に強迫的になってしまう傾向が時に見られます。森田療法では、森田の知恵を学び、それを日常生活で実践し、そこでの体験をしっかりと自覚していく、というプロセスが重要です。そして自分の体験を自覚するには、他者の存在、例えば専門家、生活の発見会そしてこのような体験フォーラムの果たす役割は大きなものがあります。しかも自分の体験をしっかりと自覚し、それを次の行動につなげていくという作業には時間と根気がかかります。そして当然ながら、行きつ戻りつしながら、そのプロセスは進みますし、そこでいくつかの壁に突き当たります。この壁が重要なのです。そこで自分を知り、自分のとらわれを知り、自分の不自由な心のあり方を知るチャンスなのです。
仕事を辞めて・・'02.09

 強迫神経症のグループでは、恋、仕事の悩み、症状、うつと神経質、人との関係の悩みなどさまざまなことが書き込まれ、またそれに適切なレスポンスがされています。とても参考になります。今回は、KAさんの悩みに焦点を当ててみましょう。
 KAさんが仕事を辞めて、少々精神的に楽になりました。一方、辞めた後悔や将来への不安が押し寄せてきます。自分はこの世の中で生きていけるのか、こんな人間は入らないのでは、などと心は揺れ、自分をいじめる悪循環に陥っています。
 Koさんは「私は自分に言い聞かせます。『この世に不必要な人間なんていない、またどんな人生だってやり直せない人生なんて無い・・・と』」と書き込みます。私も同感です。だめと決めつけてしまえば、自己卑下の悪循環に陥ります。発想の転換、開き直りは重要です。hiさんは、無職ですが、今までの自分の経験から、「今、森田を理解してやろうと思っているのです。・・・今、KAさんも時間があります。今、このときしかできないことを自分で自問して、実行されてはいかがでしょうか?」と助言します。
 Kzさんも「KAさんと同じような状況です」と書き込みます。 KAさん、Kzさんは、これらのアドバイスにだいぶ勇気づけられたようです。 森田先生も自ら神経質に悩み、若い頃には随分寄り道をしたようです。そして自分なりに死の恐怖の苦しみを何とか逃れたいと悪戦苦闘しました。その悪戦苦闘が結局森田療法を生み出したのです。 KATUさんも、今できることは何か、を問い、やれることは苦痛がつきものだ、と 覚悟を決めながら、一歩一歩出来ることに取り組んでいったらどうでしょうか。
森田を知ることとは'02.10

 ここでも書き込みはいつも活発です。今回はこのフォーラムに初めて訪れたMiさんの発現を取り上げて、森田の知恵を知ることの意味について考えてみたいと思います。
 Miさんは次のような書き込みをしています。「・・・主に視線恐怖、表情恐怖、対人恐怖の症状で悩んでいます。・・・私はつい2ヶ月程前に、私の悩みには神経質症という名前がついているという事をネットで知り、それからちょっとして森田療法という存在を知りました。それまでの2年間はずっと「この自分特有のおかしな悩みは何だろう」と、1人答えを探しては自分で解決法を考えてやってみたりしました。例えば、何があっても平静を装ってみようとか、鏡の前で自分で 良いと思う表情を作ってみて、その表情をキープしたまま一日を過ごしてみようとか、数え切れないほどです。」森田を知らない間は、Miさんも書き込んでいるように、自分で自分の悩みを強め、さらにとらわれを強めてしまいがちです。Miさんはさらに次のように書き込みます。
 「でも全てが間違った解決方法でした。・・・この2年ほどの私の異様なはからいで、症状は自分自身で拡大するだけしてしまいました。・・・そして、その事に自分でも薄々気づいていました。なんとなく、これは自分を受け入れていくしかないんじゃないかって。だから森田療法に出会った時はすごく感動しました。治そうとするんじゃない、症状のある自分を、症状ひっくるめて自分って考えるんだ。」これが新しい発想であり、回復への第一歩なのです。そして「今では頭で解決する前に、行動が大事と思えるようになりました。前は勉強した事を頭で理解しないうちは恐ろしくて行動なんて出来ないと思っていた私だったので、大進歩だと自分で思っています。・・・これからもっと森田について勉強して実践して、症状にとらわれている間にこじれてしまった友達との関係とかも、少しずつ修復していこうと思います。・・・」と最後に書き込んでいます。
 このような素直な心としっかりと森田を学んでいこうとする態度が結局問題を解決する最短距離なのです。そしてそれは単なる問題解決方法でなく、自分の人生を自分の手に取り戻す大切な作業でもあるのです。
自分の苦しみは親のせい?'02.11

 Pyさんが、「・・私の対人恐怖症のもとは父が恐かったと言う事が分かりました。私の父親も人にすごく気を使う性格で(でもピントはずれてるんですが)そのイライラを家族にぶつけていたと思います。なかでも私は一番最初の子だったので特に「こうしなければならない」というなかで育ってきたように思います。・・」と書き込んでいます。
 またKaさんが「・・結局あたしの問題は、家庭環境-家族に帰着してると思う。けどどうすればいいのか、わかんない・・こうなった原因を追求することって、結構辛いし、親を傷つけたくない(自分も)とか、どうせ分かってもらえないとか、色々考えて。」と書き込みます。
 たしかに、Unさん、Miさん、Ayさん、Alさんが書き込んでいるように、自分の苦しみ、恐怖の原因には親の養育、接し方も関係あるでしょう。ただしすべてをそれに帰着することはできないでしょう。親はその時々で親なりにつらい思いをしながら、あるいは良かれと思ってしたことが裏目に出てしまったことも多々あるからです。私たちには何が真実なのか、決めることは困難です。
 ものごとには必ず2つの面があります。良いところ、悪いところです。自分を育ててくれた親の両面をそのまま認めていけるようになることがその人の成長につながると考えています。
私たちの感情とどうつきあうのか'02.12

 森田療法とは感情(私たちの自然なもの)をどのように認識し、それをどのように生かすのか、をめぐる精神療法であるともいえましょう。そこでこのことは先月も取り上げましたが、とても重要なことですのでayさんの書き込みに答える形で、一緒に考えていきたいと思います。不安神経症の今月のMiさん、Liさん、Maさんの書き込みも参照ください。
 Ayさんは次のように書き込みます。「子供達を連れバスと電車に乗り少し遠いところまで買い物に行きました。年内に座布団カバーを作りたかったのでうきうき気分で生地屋さんへ出かけたのですが、子供達から目を離すことも、目的の生地を選ぶことも出来ずイライラしてしまい、結局帰ることにしました。下の子をベビーカーに乗せて歩いてたのですが、怒りの感情を言葉にして上の子二人にぶつけそうになってしまい走り出してしまいました・・。必死で追いかけてきましたが泣いていました・・・後悔と怒りでわけがわからなくなり主人に電話しな がら私も泣いていました。すぐに帰ってくれと言われましたが、急に悔しくなり生地を買うのは延期にし、約束のおもちゃ売り場へ行き、主人も途中参加し食事をして楽しく過ごして帰りました。」二児の母の買い物はこのように大変なもの です。さてもちろんこのような事態はAyさんには好ましいことではないのですが、どうしたらよいのでしょうか。それに怒りをぶっつけてしまった後の罪責感もわれわれをつらくします。Maさんは、適切に助言をいたします。それが感情の法則です。ご存じの方が多いでしょうが、一応Maさんの書き込んだものを示しておきます。
「感情の法則」
1. 感情は、そのままに放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものである。
2. 感情はその衝動を満足すれば、急に静まり消失するものである。
3. 感情は同一の感覚に慣れる従って、にぶくなり不感となるものである。
4. 感情は、その刺げきが継続して起こるとき、注意をこれに集中するときに、ますます強くなるものである。
5. 感情は、新しい経験によって、これを体得し、その反復によってますます養成される。

 Miさんは次のように、Ayさんの大変さに共感した上で、書き込みます。
「(子供に当たるのが良いというわけではないけれど。)その後に「さっきは当たってしまってごめんね。」と言えるお母さんになれればいいのではと、最近思っている私です。」  まさにその通り、私たちが生きている以上、このやっかいでありますが、とても人間的な怒りという感情とは切っても切れないのです。この感情は破壊的ですが、時には創造的にもなるのです。怒る時には怒るしかない、それは心でやりくりしようとすると、逆に怒りが募り、最後には自分で思わぬ形で爆発してしまいます。そして自分が間違っていたと思ったら、率直にあやまる心が大切なので す。このような認識がむしろ怒りという感情とのつきあい方を教えてくれるのです。それが自覚を深めてくれます。また怒りが新しい人との関係や理解をもたらす可能性もあるのです。最初は破壊的と思ったことが創造的となるかもしれません。雨降って地固まるといいますから。
森田療法と過食症'03.01

 Miさんが過食で悩んでいます。そしてさまざまなことを試みますが、効果はなかったようです。果たして森田療法は過食症に効果があるのでしょうか。私は過食症の人に森田療法が効果を持ちうると考えています。それにはMiさんのように、完全主義的で神経症的な悩みを持っているという条件が付きますが。この悩みは決してまれなことではなく、現代に生きる人に共通した傾向です。森田療法はそのような人たちの悩み、それがどのようなものであれ、の解決法を提供します。
 Maさんがいうように、こうすればよいのですよ、というような簡単なマニュアル、答えは森田療法では用意されていません。しかし過食症を悪循環過程ととらえることが出来ます。過食を不安と同じように自分を苦しめ、何よりもそれを取り除きたいものと考えてみたらどうでしょう。食べたいという欲求と戦い、そして敗れ、そしてまた食べてしまうのです。そして過食の後の敗北感、落ち込みがつらいのです。それゆえまた過食に陥るのです。従ってこの悪循環を打破すること、そしてその背後にある完全主義的で強迫的なものごとの認識の仕方、生き方を変えていくことが大切なのです。
 「白か黒か」という認識パターン、「出来たこと」よりも「出来なかったこと」に注意が向き、それでさらに自分の悩みを強めてしまうような心の態度が問題なのです。食べることをコントロールすること、そして仕事、人との関係もすべて完全には行かないもの、つまり自分の思い通りにはならないもの、と自覚することが大切です。ほどほどでいこう、60点主義でいこう、と発想を変えることが悪循環からの脱出の第一歩です。まず森田療法をこのフォーラムで学んでみてください。
神経症の自己中心的とは'03.02

 Buさんが自分は自己中心的でないか、悩んでいます。アルバイト先に問い合わせの電話を2回もしてしまい、それが神経症の自己中心的な面かな、と悩んでいます。そして「人との話し方やコミュニケーションよりもこういうところを改善すべきですよね」と書き込みます。しかしUnさんは違った意見を持っています。「・・むしろ、このことを気にしすぎて、考えすぎて社会的な失礼なことをすることの方が心配です。神経症とは、小さなことを気にしすぎて、周りが見えなくなって、その結果非社会的になる、このことに気付いたほうが良いのでは、と思います」と書き込みます。
 私たちは他の人とのコミュニケーションでいつも悩みます。それは誰にでもあることです。しかしその場合でも、他者を気にすることには2つの種類があること、それらはとりあえず分けて考えた方がよいだろうということを述べてみたいと思います。
 他の人のことを考える時に、その人が自分をどう評価するのだろうか、とばかり考えてしまうことがあります。それは他の人のことを考えているようで、実は自分のことしか考えていないことになります。つまり自己中心的なわけです。
 もう一つは、本当に相手の立場に立ってものを考えることです。そこから必要なことをする態度が生まれてきます。Unさんがいうように、自己中心的になると、結局必要なことを言えずに、またはやらずに、自分ではそう思わないで非社会的な行動をとってしまいがちです。相手の立場に立ってこそ、今ここで必要なことに取りかかれる態度を身につけることが出来るのです。
育児で悩むこと'03.03

 Haさんが「下の子どもが生まれて家にいるようになってからずっと、対人恐怖や強迫神経症のような症状に苦しんでます。幼稚園や小学校のお付き合いは何とかこなしているのですが、こなしているだけなので中身がともなっていなく て、からっぽのお付き合いをずっと続けてきているような気がします。今は幼稚園の自転車での送り迎えがつらく、会う人会う人にぜんぶ気を使ってあいさつをするのでヘンな人、またはずいぶん気を使う人だな〜と思われていると思います」と書き込んでいます。どちらかというと育児そのものよりも、お母さん方とのつきあいで悩んでいるようです。
 それに対してメンバーである心優しいお母さん方がいろいろな助言をしています。Ikさんは「いやな思いをしてあたりまえぐらいの気持ちでいてはどうでしょうか。自分で自分を痛めつけているようなものだから、自分にマル!と誉め てあげると変わってきます」と発想の転換をすすめます。神経質の人は、出来たことよりも出来ないことに注目し、悩むくせがあります。このような認識は大切です。Saさんは、「『自信が無いながらも取り組む』、『恐怖突入』でやってみました。」とアドバイスします。Miさんは、「楽しくなければやりたくないという固定観念を捨てて、自分の好き嫌いはともかくとりあえず手を出していけば良いと思います。」と認識を変えることを助言します。Peさんは「私は1年前からいろいろボランティア活動をしています。自分でも役に立っているんだと思える瞬間、幸せな気分になります。」と世界を広げることをすすめます。
 その通りだと思います。育児は楽しくなくてはならない、母親は常に優しくなくてはならない、などと自分を縛ってしまったら、それこそ苦しくなるでしょう。また育児の時は世界が狭くなり、それがまた自分と子供だけに注意が集中し、とらわれやすい状態となります。新しい人との出会いが大切です。このフォーラムはそのような役割を担ってもいるのです。
対人恐怖とは'03.04

 対人恐怖で悩んでいる人が増えているようです。対人恐怖と一括して呼んでも、実は人は多くの形の悩みを持つものです。例えばDeさんは、なかなかわからないことを人に聞けません。Shさんは極度のあがり症で思春期から悩んでいます。Buさんは、会話がうまくできず、就職の面接がうまくいきません。
 Apさんは、あがり症で苦しんでおり、その出口が見えなくて辛い思いをしています。
 Myさんは、どこに行っても自分だけが浮いている、と感じてしまいます。
 このように人間とは人との関係で多彩に悩むものです。そして心はいつも人の動向、あっている人たちの一挙手一投足に向けられ、そこでの反応に一喜一憂してしまいます。あたかもその人たちがどのように自分を評価しているのか、しか目に入らないようです。一度初心に戻り、自分は何のためにここにいるのか、何をするのか、それをするしかないのだ、と心がそちらの工夫に向かうと、すでに心は相手の動向から離れ、本来の目的に向かって働き出します。
注意と雑念の悪循環 '03.05

 Flさんが雑念恐怖で悩んでいます。「些細な音(時計の音や、犬の鳴き声、隣の部屋のごくわずかな話声等)が気になって、勉強が全く手につかない。これらの音を完全に排除しないと眠れない。今までなんとも思わなかった音が、突然嫌で仕方なくなる(例えば、高校時代は、鼻をすする音が嫌いになりました)。嫌いになった音を聞かされると、頭が痛くなる。一度きらいになった音は、ずっと嫌いなままなので、今では10種類近く、嫌いな音に悩まされている」といいます。
 Taさんが体験に基づいた助言をしています。「雑念にこだわっているときは、僕もそうでしたが、それを意識的に消そうとしてしまいます。しかし、自分で思う雑念や雑音というのは自分の意思でコントロールできないのが現実なのです。・・消そうとか無くそうとか意識的にやろうとすることは、結果的にその雑念や雑音に注意をもっていってしまうことに なっているのです。なので、雑念や雑音がイヤだなーと思っても勉強なり仕事なりをしていけばいいのです。それが大切なことなのだから・・」
 私も同じ意見です。雑念恐怖とは、雑念の出現を恐れ、それを消そう消そうとして注意を雑念に集中してしまう状態です。tarkさんがいうようにそれをコントロールできないものと諦め、一方目の前のできることをしていく心の態度が大切です。それが結果として雑念恐怖から単なる雑念に変えることになります。それはすでに症状ではないのです。
事実を知ること '03.06

 Rcさんが明日の仕事の前に不安になっているようです。「仕事が決まってもあんまりたいして嬉しくないというか、何の感動も感じないんです…。それと、対人恐怖的だから会社の人と上手くやれるだろうかと不安でたまらない。前の仕事が2月いっぱいで終わってからは、履歴書を書いて面接に行っては不採用になる。で、また履歴書書いて面接に行っては、また不採用になる。こんな日々に疲れました。他にも理由はありますが、とにかく今って7年前に病院に入院する前と同じくらい『憂鬱な気分』なので明日からが本当に不安でたまらない…。」と書き込みます。さてこの不安はどのように理解され、どうしたらよいでしょうか。
 Maさんは鋭く指摘します。「会社に行ってみて、実際に働かなければ、何も分からないのではと思います。お話を読んでいますとやはり神経症的発想による不確実な煩悶です。実態のない不安に怯えないでください。明日からのお仕事、頑張ってくださいね」。
 その通りだと思います。つまり考えても仕方がないのです。現実に踏み出してみて事実を知ることこそが大切です。そこで何が起こるのかを観察してみるのもよいでしょう。そこからまた知恵も出てくるのです。Buさんのいうように「会社に行くのは辛い事も多いけど、『仕事をしにいくんだ! 人と話す事を目的にしているんじゃない』と自分に言い聞かせて取りあえず頑張ってます」という認識が大切です。確かに私たちは人と仲良くなるためでなく、仕事をするために職場に行くのですから、その仕事の工夫をするしかないのです。
事実を知ること '03.07

 Unさんが次のように書き込んでいます。「4月から異動して、色々あります。仕事が全くわからなくて、かなり、嫌味に近いことも言われたりしました。でも、結局、今の現実を受け止めえ、誠実にやっていくしかないのかな、と思います。現実は、変わりません。現実を逃げて、理屈をこねるだけなら誰でもできます。また、職場の軋轢はどこでもあります。 特に、神経症の人は(私もそうですが)、それまでの経験からそれが雰囲気に出て、嫌がらせに遭うことも当然あります。やれることは、現実を逃げずに、仕事を真剣にやり、人に対して誠実に接することだけだと思います。・・我々は、もともと不器用ですから、愚直にやっていくしかありません。仕事を真剣にやる、人に対する感謝の気持ちを表す、この基本的なことを忘れて、自分の思い通りに物事を進めようとすると、私の経験から、職場では必ず破綻します。」
 またChも同じような心境について語ります。「5月以降、私はちょっと前向きになりすぎてイケイケ状態になっていたようです。今ちょっと前につんのめりかけています。心理的には、職場で総スカンを食い、四面楚歌になっている心境です。・・職場の最近の出来事に注意を払おう。そして、知っておきたいことがあったら聞いてみること、そのことから逃げてはいけない。疎遠になった顧客に、久しぶりに連絡を入れてみること、そのことから逃げてはいけない。部長に報告すること、相談することから逃げてはいけない。部会に嫌々出席することから逃げてはいけない。・・こうしてみると、本当にイヤなことが一杯あって、かつ、そこからいつのまにか逃げているなあと思う。」
 私は、お二人ともしっかりと事実を知っている、と思います。事実を知ることがいかに難しいことか、それは神経症で悩んだことのある人たちは実感されているでしょう。どうしても私たちは「こうあるべし」、「こうあらねばならない」と決めつけ、そうならない現実に失望し、そしてそこから逃げてしまうのです。このことを知ることから自分を生かす力が育ってくるのです。お二人はこのことを私たちに教えてくれます。
悩みを分かち合うこととは '03.08

 Sqさんが不潔恐怖で苦しんでいます。「強迫神経症の不潔恐怖症で毎日が辛いです。全てうまくいかずに。生きているのが辛くて。少しでもいきる勇気をもらえたらと思っています。が、今かなり追い込まれて余裕がありません・・」。不潔恐怖はその恐怖が生活を行うことに直結しますので、苦しい毎日なのです。それとともに自分だけが、なぜこのような悩みで苦しんでいるのだろう、ということでも人は悩むのです。
 Kzさんも同じ不潔恐怖で悩んでいました。「・・私も、他の強迫観念も、ありましたけど、一番きつかったのは、不潔恐怖症に、陥ったことでした。陥ってしまって、一時、毎日、死ぬことばかり考えていました。でも、森田療法にであって、また、色々な方に、(友人や発見会の方、)御指導いただき、なんとか、日常生活も送られるようになりました。 Sqさんも、辛いかも知れないけど、何があっても、投げないで下さい。心は、一瞬一瞬、変わっていくんです。・・Maさんも、おっしゃられるとおり、これを機に森田療法を勉強していって下さい・・」と書き込みます。Kaさんに自分の悩みを理解されたこと、共感されたことそして悩んでいるのは自分だけでないことをわかったSqさんは、それだけで悩みが幾分か軽くなったようです。
 それがこの体験フォーラムのよいところなのです。そしてKzさんが勧めるように自分の状態を正直に書き込むことは、自分の悩みに対して自覚を深め、他の人の理解と助言を得やすくするのです。KzさんやMaさんの助言に従い、Sqさんは森田的な考えに基づき、嫌な気分はそのまま横に置いて、生活に取り組み始めたようです。森田療法の実行はしばしば一人では困難です。応援してくれる仲間がいてこそ、つまり一人ではないという感覚を持ってこそ、希望を持ちながらつらい日常生活を何とか持ちこたえ、正しい認識を身につけることができるようになるのです。
底つき体験とは '03.09

 Yoさんは、自分の激しい感情反応に振り回され、苦しんでいるようです。また仕事上の悩み、家族のことなど、Yoさんの苦しみは次から次へと襲ってくるようです。それに対して、Maさんはその時々の感情に振り回されない「不即不離」の関係を勧めます。Kaさんは、Yoさんなら必ず得ることがあると、森田正馬全集の5巻を読むことを勧めます。
 Yoさんは「Kaさん、Maさん、ありがとうございます。惨めな自分でもいいのだと、そのままに生きていいのだと、そういう自分をすっぽりと受け入れてもらったような気分で、勇気が出ました。・・これからも本を読んだり、アドバイスをいただきながらそのままの自分で、生き方を見つめていこうと思います。・・今、仕事での人間関係で悩み、元夫を傷つけてしまったかも知れない、そういう罪悪感の中で一日一日を過ごしています。こういう気持ちのまま、今を生きていこうと思って頑張っています。森田療法にであってよかったと思い、頑張れてる自分にも褒美をあげたいです」と書き込みます。
 このように自分の気持ちをしっかりと見つめ、それを書くこと、そして待つこと、がまず自分の感情とつきあい、それに振り回されなくなる第一歩です。そしてYoさんの人の助言を素直に受け入れる心が必ず自分を成長させていくことになるでしょう。
生きることの行き詰まりと落ち込み '03.10

 最近うつ病が増えてきたようです。特に女性のうつ病が増えてきたようにも思います。そして中でも、Yoさんのように、生きることに行き詰まり、落ち込んでしまう方々が増えているようです。「いつも完璧を目指して未熟な自分に情けなく落ち込んでしまいます。仕事は頑張っていくので、それだけは自分をほめてあげたいです。元々生きる気力に乏しく特に離婚してからはずーっとよくうつ状態で、特にこれをしたいというものがありません。 意識して行動しなければという感じで行動しています」。また他のところでは次のように書き込みます。
「・・誰も本気で自分の事を必要としてくれていない寂しさの中で「もう人生終わってもいいかな!」そういう気持ちの自分がいます。」しかしYoさんも自覚しているように、実はもっと建設的に生きたいとも思っているのです。しかし完全主義者のYoさんは自分の出来ないことにだけに注目し、そしてだめな自分と決め付けてしまします。自分で自分の「うつ」を拡大している傾向があります。また自信を失っていますから、どうしても人の評価が気になってしまうのです。
ここでも発想の転換が必要です。自分のできることをぼちぼちとするしかない、それを続けていくことが次第に自分のもつ健康な力を確認できるようになるのです。だめだと決め付ける前に「今、ここで」出来ることは何か、という思いにいたったら、すでに心は現実に向かって一歩一歩踏み出しているのです。
森田を学ぶということ '03.11

 Kaさんが次のように書き込んでいます「私も怖いのは嫌だし、緊張するのも、やっぱり抵抗があるんですが、でも自分の成長とか、向上とか、自分自身の人間として、生命として、活性化して発達しようと思ったら、やはりそんな環境が必要なんですね。・・だから、期限を決めざるを得ないような状況に自分を追いやるとか、人前に出て、やらないと居られない様な状況に自分をおいてしまうということが、結局は工夫として必要なんだと思います。そんなことを感じるこの頃です」。私も本来の生の欲望を発揮させるには、境遇の選択は重要だ、と考えています。Chさんも「神経症や症状は努力して治すことはできない。ただ、境遇が治してくれるだけです。忙しくて、自分のことに構っていられない環境。 それでいて自分の殻を打ち破らざるを得ない環境。これこそが神経症をいつのまにか治してくれるものでしょう。森田の基本がわかってきたら、もう森田のことはちょっと忘れて自分を新たな環境に置くことが大事だと思います」と助言します。Koさんも同意見です。
 それについてkaさんは「・・私としては、森田は忘れるには及ばないと思います。むしろ、もっともっと勉強するべきだと思います・・」と書き込みます。
 私はそれぞれの意見が正しいと思います。私たちは森田の知恵を学び、そしてそれを指針として自分の人生、つまり自分として生きることに取り組みます。それがまた行き詰まれば、森田の知恵に戻る、つまり森田をもう一度学びなおせばよいのです。そのような試行錯誤からその知恵は次第に自分のものとなり、自覚が深まるのです。
神経症と努力の方向 '03.12

 Koさんが強迫観念で悩んでいます。「・・私が気になっているものは一つではなくいろいろな事が気に なって頭から離れないのです。最近では「まばたき」がきになって他人と話している ときに目ばかり見てしまっています・・。」と書き込んでいます。Moさんが同じように悩んでいたことがある、と書き込みます。Koさんはほっとした様子で、次のように書き込みます。「・・私と同じ症状を経験された方をいると知ってすごく嬉しかったです。私みたいな悩みをもっている人はいないと思っていました。そして一生治らないと落ち込んで泣いてばかりいました。Mo様はどのようにして症状を改善されていったのでしょうか?・・」。
 そうです。私たちの最大の苦悩の源泉の一つとして、自分の悩みが特別である、自分のような悩みを持っている人はいない、ということです。他の人が同じように悩んでいる、そしてその悩みを克服したと聞けば人生に希望と勇気が出てくるものです。Moさんは次のように助言します。「・・努力の方向がちがっている(症状を取り除こうと努力するのではなく、症状をもちながら、症状をそのままに受け入れながら生活をしていくよう努めること)との御指摘を頂き、わたしの生活は一変いたしました。症状を取り除くはからいを一切やめてしまったのです。その分、今まで「症状がなくなってからやろう」と思っていた勉強を始め,自分の意識を外に外にむけるようにいたしました。もちろん、症状はもったままです。辛くはございましたが、症状を嘆き、症状をなくすことに一喜一憂していた頃の辛さに比べると雲泥の差があったように思います。」。とてもよい助言です。不安、恐怖、強迫観念とは逆説的なものです。それを取り除こうとしている間はそれにとらわれ、身動きがとれなくなるのです。いわば自分で自分の悩みを拡大していくのです。このことに対する気づきこそ悩みの解決の第一歩です。Moさんの言うように努力の方向を変えていけばよいのです。目の前の出来ることを一つ、一つ取り組んでいけば、少しずつ事態が前にと進んでいくのです。
入院森田療法について '04.01

 FFさんが対人恐怖(視線恐怖)で悩んでいます。「家族の中でも緊張してしまいます。家族みんなでテレビを見ることができません。視線が気になり緊張してしまうからです。家族でもそんなですから家族以外の人では顔もあげられないほど緊張します。森田療法の入院も経験しました。でもよくなりません。死にたくなる時があります。どうすればいいのでしょうか。」
 森田療法を学ぶ手段として入院、外来、発見会などの自助グループによる学習活動、それに最近ではこのようなインターネットを使った新しい体験フォーラムも入ります。この体験フォーラムはきわめて先進的な試みだと思います。ここで蓄積された知恵がさらに将来の悩む人たちの役に立つことを希望します。
 さてどれを選ぶかはその人の悩みの質や今までの社会的経験によって異なります。しかし重要なことは、それらが相互排除的でなく、お互いに相補うような関係であるということです。また入院治療が最終的なものでなく、それからが実は新しいスタートなのです。
Hiさんがいうように入院の場面ではよくなったと感じても、社会に出ると一度ぶり返したような経験を誰でもするのです。退院後は入院の時の経験をさらに自分のものとするある期間が必要で、それは外来や発見会、またこのような体験フォーラムで行われます。
 FFさんも自分をだめと決めつけずに、このフォーラムでさらに体験を深め、森田をさらに学んでいってください。
感情を抱えるということ '04.02

 Ymさんが今まで順調に来ていましたが、ここにきて行き詰まったようです。落ち込んでしまい、また自分の進む道に迷いが出てきたようです。「森田を知ってから今までは、これでやっていけてました。しかし、今回は違いました。
 ウジウジしても仕方のない事なのに、その思いに捉われ、ウジウジ状態が長引きました。ウジウジ思い続けながら(その思いの捉われながら)、次の行動に移りました。でも、やっぱりウジウジは続いたままでした・・・。 Maさん、それでも感情の放置ですか?。」Maさんの答えは、皆さんの予想通り「それでよいのです」というものです。Ymさんは「ありがとうございます。ウジウジするときは、ウジウジのままにですね。体得できる日を信じて、今日から、又、思いも新たに、行動行動と、がんばります!・・」
 同感です。私たちはさまざまな現実の刺激に会い、そしてその人固有の感情の反応をします。それをあってはならないものと決めつけ、それを取り除こうとすればとらわれの罠に落ち込むのです。ウジウジしながら、一歩、一歩前に進んでいく感覚こと重要なのです。
 それと共にKzさんも書き込んでいるように、Ymさんの素直さ、つまりわからないことはわからないと事実を認め、人に率直に聞く態度こそ、そのようなとらわれの罠に陥らないコツなのです。
自己臭・醜形恐怖で悩むこととは '04.03

 Tkさんが自己臭・醜貌恐怖で悩んでいます。「・・自己臭の場合は家に居る時は平気なのですが、人がいる所では相手が気になってしまって咳こむ音等が自分の臭いのせいではないか?と緊張してしまいます。醜形恐怖は主に自分の容姿の事で、最初はコンプレックス程度だったのですが、段々進んできて鏡を見る事さえ恐怖になってきて苦しんでいます。強迫神経症は上記の事柄を中心に確認するとい、関連症を患っています。要するに自分自身の体に過剰な意識を注ぎ、ちょっとした欠陥も許せないみたいな所があるかもしれません。自分の性格としては、神経質・内気・真面目・完全志向等が挙げられると思います。・・」そしてどうしたらこの「とらわれ」から脱することが出来るのか、と書き込みます。このように自己臭・醜形恐怖を「とらわれ」だを自覚することがまず問題の解決の第一歩です。しばしばそれが困難なのです。そして実際にそうなのか、自分が勝手にとらわれ、他の人の反応を自分に関係づけているのではないかと自覚し、観察することが重要です。
 Soさんが自分の体験から次のように助言します。「・・僕の場合は、自分の口の横にできた醜いしわにより、対人恐怖症になりました。醜形恐怖症なのかもしれません。昔から、自分の顔や容姿に自信を持っていた私は、わがままで自分の事しか考えられられない性格でした。・・今は、神経症により相手の顔を見てなかなかしゃべれない人間になりました。周りの人が、僕の口元を見て、おかしいんじゃないかと勘違いしたり、顔が引きつっていないかと常に気にしたり。 でも、Maさんにアドバイスをもらったのは『人はそれぞれ自分の顔や体にコンプレックスを持っていて当たり前』で、僕は人とうまく会話できないのをその皺のせいにしているだけだ、と気づきました。それから、大分楽に友人とも会話できるようになったと思います。・・」
 大切な経験と自覚です。つまり自分に欠点(顔が醜い、臭いがする)があると決めつけ、そのために人に避けられると考えてしまいます。それを自分のものと受け入れ、その時々にしたいと思うことに取り組んでいくことが肝心です。人がどう思うかは、私たちにとってどうしようもないこと、どうしようもないことにありこれやりくりすることを止めて、目の前の出来ることに取り組む心の態度が重要です。
自己臭の悩みと事実を知ること '04.04

 Moさんが自己臭で悩んでいます。この臭いに関する悩みは青年期に多いものです。自己臭で悩まれている方のつらさがこの書き込みには表現されています。
 「・・実は、確かに自分でも多少口臭や体臭が気になることもあり、(思い込みかもしれませんが・・・)それなりに気を使ってはいるのですが、気を使っていても、実際に体臭がきついのなら、仕方がないと思っているんです。でも、実際に体臭がきついとしても、わざわざ話の途中で脈絡も無く話を出されるとものすごい辛いです。どう考えても「臭い人には近づきたくない」というニュアンスで話されますから・・・。あまりに辛くて、その話を出した人を嫌いになってしまいそうなくらい、辛いんです。なんだか、これを起点に、また落ち込む日々が続いてしまいそうです。何をするにもオドオドしてしまう。私が単に考えすぎなんでしょうか。・・悲しいです・・・。」
 Maさんはずばり事実を知ることの大切さを指摘します。「私達が注意しなければいけないことは、事実を認識するだけで、そこから先の憶測は事実から離れますので慎まなければなりません」
 Tkさんも自分の経験をふまえて、次のようにアドバイスします。「自己臭恐怖の人は多分実際臭いを発しているか発していないかは別として他人の反応を過剰に受け止めすぎているのだと思います。ビクビクしたりとか。私もまた他人が鼻に手を向けるだけで極端な恐怖を感じてしまいます。例えば満員電車でも時折体臭っぽいのを感じる時がありますが、その人は全くそんな事気にしている風でもありません。勿論臭いを発しないよう努力するのはとても重要だと思いますが、それと同じくらいいかに気にしない思考にするかというのも重要ではないかと思います(とかいいつつ自分も過剰に気にしているのですが)。 ・・それでやる事やったんだから、回りが何と言おうと気にしない。いや気にしてもこっちはやることはやったんだから開き直る。・・それと同様に自分を客観視するのも仰る通り重要だと思います。」
 体験に裏付けられたとてもよいアドバイスだと思います。またyumirinさんは女性の立場からいろいろと臭いに関するアドバイスします。臭いというのは確かにあいまいでやっかいなものです。特に現在のような清潔さを大切にする日本社会では、人々は臭いに敏感になりますよね。私も事実を知ること、憶測はそれが神経症的とらわれと自覚し、しっかりと観察する自分を作っていくこと、目の前の目的を果たすことなどが重要だと思います。
再び対人恐怖をめぐって '04.05

 Waさんが対人恐怖(あがり症)で悩んでいます。いわば古くてそして今日的な悩みでもあります。アメリカの診断基準では、社会恐怖、社会不安障害というものにほぼ該当するのです。従って日本人だけの悩みでは決してないのです。
 「私は対人恐怖症に悩んでいます。例えば大勢の人前で話すのが大の苦手で、体の振るえが起き、頭の中が真っ白になり、まともに話せたことがありません。症状は子供の時からで、その様な場面を回避してきたこともあり、大人になった今でも変わりません。現在はその様な大勢の前で話すような機会がないことを願いつつ毎日を暮らすとても消極的な生き方をしていると思います。以前、心療内科にも通いましたが、結果的に薬に頼る為、根本的な解決とは思えず通院を止めました。森田療法の話は5年前程に本で知り、まさに自分の為の療法だと思いましたが、まだまだ理解が足りないためにうまく実行出来ません。・・」と書き込みます。このようなことで悩まれている方は多いものと思います。
 さてこのような悩みに皆さんはどのようなアドバイスを送っているでしょうか。
 Unさんは「私も、対人恐怖で抑うつのどん底の地獄を味わいました。ただ、今はお陰さまで、人並みに働いています。・・今の現実の状態等を書かれると、他の方もコメントしやすいと思います。自分のことを書くことを躊躇されるのでしたら、他の方の書き込みを色々と読まれても参考になるかもしれません」と助言します。つまり自己を知ること、人のアドバイスを参考にすることをアドバイスします。Unさんはそのようなことを手がかりに対人恐怖を克服していったのでしょう。
 Noさんは独特の言い回しでその問題解決法を示します。「・・「上がる」自分を自分としてはっきり認め受け入れ(自己受容)そんな事を問題にせず元気に明るく活躍すればいいのです。人前で話をする事になったら、上がっておお恥じをかけばいのです。・・この人前で恥じがかけない自分を別の方向から見つめて、煎じつめると自己中心的で、思い上がりが強く、幼児性を発揮しているのです・・」
 確かにはらはらびくびくしている自分を受け入れるしかないのです。そのような自分を隠そうとするからなおさらそれにとらわれ、苦しくなるのです。Ymさんは「このフォーラムや森田という、学びの場があって嬉しいです。職場や私生活でおおいに役立ち、思いも寄らなかったものの見方が出来たり、自分の傲慢さに気付かせて頂いたり・・」と書き込み、自己理解の大切さや他の人の見方を素直に受けとめることの大切さを述べます。
 しかしWaさんが率直に告白するように、それらの助言はわかるが出来ないからつらい、というところもあるのです。そのような場合は出来るところから、一つひとつ、試行錯誤を勧めます。自分なりに、森田を消化して、実行することが大切です。そこから自分の人生が変わっていくのです。
母親としての成長と森田療法 '04.06

 Ikさんが本来可愛いはずの子供への加害恐怖で苦しんでいます。「・・帰宅してどっと疲れが出たと思って、休息していたら前に座っている息子の首に目がいき、強い加害恐怖(罪悪恐怖)が起きて、強烈な苦しみと不安と自信喪失を感じました。・・」。
 たしかに子供に対する加害恐怖はつらい体験ですよね。Maさんもいうように「・・いくら想像されても事実とは違う、この点をよく把握すれば、如何に自分が気分や感情に振り回され馬鹿馬鹿しいことかがお解りかと思います。・・」
 その通りです。これは恐怖、イメージなのです。それをしっかりと自覚することが大切です。そして時に人間は自分の最愛のもの、大切なものこそ失ったらどうしようと怖れるものです。この恐怖の背後にある自分の愛情を信じていくことが重要です。そしてGqさんの意見に賛成です。「・・焦らずに、このまま森田の学習と実践を続けていきましょうね。母親が森田的に成長すると、子育ても気楽にできるようになるんじゃないでしょうか。」。子育ての大変な時期こそ森田の考えを生かすことが重要で、それが母親としての成長を助けるのではないでしょうか。
失うことと自分として生きること '04.07

 Yoさんが身近な人を亡くし、つらい経験をしています。「ここ数日、落ち込んでて抑うつ的になり困っています。・・絶えられない程の孤独感、喪失感、閉塞感、不安感に陥っています。
 何かをしなきゃ・・と思うし、気力で頑張っていますが、その気力をなくしてしまいそうです。」
 そのような書き込みに対して、多くの人が応援のエールを送り、それぞれ助言をしています。Maさんは自分だけで悩みを抱えずに必要ならば精神科の受診を勧めます。Unさんは、自分で自分の悩みを強めないように助言します。Chさんは人には回復する力が備わっているのだ、といいます。Kzさんは自分のつらい落ち込みの経験を伝えます。Yuさんは気分転換を勧めます。
 それらの書き込みを読んで、Yoさんは「・・自分なりに自分の道を見直してみたいと思っています。」と書き込みます。  私たちの人生には生老病死という苦難が待ち受けています。それは失うことともいえます。これから私たちは逃れることが出来ないのです。このつらい喪失体験はここでの皆さんの助言を参考にしながら持ちこたえていけば、時ともに薄らいでいくものです。それと共に自分としての人生がみえてきます。そこでみえてきたものは、この苦難を少しずつ受け入れた成長した自分の生き方でもあるのです。
嫌いな人とのつきあい方 '04.08

 Mrさんが職場の対人関係で悩んでいます。「皆さんには理屈ぬきに「とにかく嫌い!」って人、いますか? 私にはいます。今年職場に来た、年上の後輩です。当然のことながらちゃんと理由はあるのですが、もう嫌だなーというのが積み重なりすぎて、「存在自体が嫌い」なんです。・・当然、職場なので話もしなきゃいけないのですが、私があまりに 嫌いオーラを出してしまっているため、仕事以外では話しかけてこなくなりました。・・」
 Chさんは次のように自分の経験を交えながら助言します。「嫌いな人だからといって、無視していると、だんだん険悪になっていくことがありますよ。これが恐いのです。そばに居るのに、全く口をきかなくなります。だんだん、仇のように相手のことが憎らしくなり、相手の一挙一投足にイライラしてきます。・・好きになる必要はありません。嫌いという態度は控えること。 相手を無視するような態度は絶対に取らないこと。大人として、冷静に、口をきくこと。こんなことが大事かと思います。」
 Kzさんは自分のつらい経験を語ります。そして自戒を込めて次のように書き込んでいます。「・・改めて、私は「必死」になっていないなと思いました。どこか逃げ道をつくろうとしているような気がします。家庭を築き、大変な思いをしながらも働いている人たちを思うと、どこか引け目を感じたりします。私も気持ちだけは真剣に、軽い気持ちで逃げないように頑張って生きてゆきたいと思います。」
 この回答には、Chさんの別の書き込みが役に立ちそうです。最近お母様のことでChさんはつらい経験をしました。そして感情と行動の法則に関してある理解に達したのです。「私は今回の経験で、人間の感情というものの特質が少しわかった気がします。感情は1つことにこだわると、本当に狭い1つの世界に浸ってそこで安定してしまう性質があります。しかし、それと同時に、あえて行動することによって感情が流れ出す性質も持っているということがあります。このどちらの特質も人間の感情が持つごく自然に沿ったものなので、良い悪いの問題ではないと思います。・・大事なことは、重苦しい感情や、1つにとどまろうとする感情を抱えたままそのままに、おずおずと起き出して動き出すことです。・・重苦しく、苦しく、絶望を伴うような感情を感じたまま、現実から要請される必要とする行動に着手していくべきです。・・感情は狭い1つところにとどまっていた状態から、広い世界に向けて動き出します。」
 つまり嫌いなものは嫌い、これは感情の事実です。しかしそれにとらわれてしまい、あるいはそれに振り回されてしまっては、その時々の現実に取り組んでいくことは出来なくなるのです。職場とは、嫌な人を好きになる、あるいはさらに嫌いになる場所でなく、お金をもらって仕事をする場所です。従ってchさんがいうように仕事に必要なことを嫌いなままにやり取りして行けばよいのです。そうすることでそのような感情はまた変化していくのです。
職場のいじめ対策 '04.09

 Mtさんが職場にいじめで悩んでいます。「今日は、一日落ち込むことが続いてしまいました。 その始めは、昼間の職場の副料理長の、私へのいやがらせでした。」
 そこでの嫌な思いをして、つらい思いを引きずっているのです。
 Maさんは高口先生の講演の内容を引用して次のように言います。「ストレスに強い方は、同じように精神的に落ち込んでも行動はされていくんだそうです。それは行動することによってやがては沈んだ心が上がってくることが経験上解っているからなのだそうです。私もそうだなあと思います。」
 Mtさんは重要なことに気づきます。「思いきって書き込んで良かったと思いました。以前は、自分がいじめられるような存在なんだと認めることが辛くて、ひた隠しにしていました。それは対人恐怖があることを、ひた隠しにする心理と通じているように思います。いじめられることとか対人恐怖があることが、自分のとても恥ずかしい弱点と思っているからですね、たぶん。」  そうです。つらい思いを隠し、事実をしっかりとみないことがさらにつらさを増していく場合もあるのです。それを認め、そして人とその悩みを率直に話し合ってこそ、その対策が出てくるのです。
 Ymさんは次のように具体的な助言をします。「・・副料理長とは仕事上の関係と当分のあいだ割り切って、飛んでくるいじめの罵詈雑言は聞き流し、悩む時間を細かい仕事・雑用などの仕事に振り向けて無我夢中でやってみるのがよい方法ではないかと思います。」
 まさにその通りだと思います。このような人とは出来るだけうわべだけでも、ビジネスライクに接していくことがコツでしょうね。そして仕事に工夫する心を育てることこそ、つらいいじめを乗り越え、さらに成長していくことにつながるのではないでしょうか。
人とうまくつきあう方法とは '04.10

 Flさんが職場の人付き合いで悩んでいます。「人付き合いが上手く出来なくて悩んでいます。環境が変わるごとにたくさん友人が出来て楽しく過ごす時もあれば、場に馴染むことが出来ず孤独で過ごすこともあり、極端です。・・私は私なりに荒波を立てまいと心がけているつもりですが職場をいくつか変わっていますがその時々何らかのトラブルが起きるので今は人に対して積極的になれませんし、またその態度さえトラブルを招くようで新しい仕事を始めるのも躊躇しています。社会人として場の雰囲気を悪くせず仕事がしたいのですがどのように人と付き合えばいいのでしょうか?」
 Ugさんは次のように助言します。「人と上手く付き合える方法が、あれば私も教えて欲しいです。ただ、職場では、2つのことを心がけています。
1.自分の仕事については、しっかり勉強して何でも答えられるようにする。
2.何かしてもらったら「ありがとうございます」と大きな声で言う。
 私も、人間関係を作るのが上手ではありませんが、何とかやっています。それと、自分が楽しいな、と思うことを始めると良いと思いますよ。・・」
 Kzさんは次のように書き込みます。「場の雰囲気を悪くせずに仕事をしたいのは私も同じです。ですが、うまく行くときもあれば、どうしたって気まずい雰囲気になったりすることもありますよね。人間は完璧じゃないですから、それはしょうがないと思います。それよりも、自分の体裁を守ることを考えるより、自分がどう動いたら人の役に立てるか、それを優先的に考えて行動の指標にすることだと思います。そういった頭の使い方が習慣に出来ればいいんだろうと思います」
 表現こそ違いますが、お二人のいっていることは同じです。つまり人とうまく付き合おうと思えば思うほど、それにとらわれ、本来の自然な心の動きがなくなってしまうのです。そして結果として益々人とのつきあいがぎこちなくなるのです。つまり望んだことと結果が全く逆となる神経症的パラドックスです。職場の人たちの一挙手一投足に一喜一憂するのではなく、まず目の前の目的を果たすこと、つまり仕事を工夫することに心を砕くことが大切だと思います。
思い通りにならないもの '04.11

 Hcさんが以前にうつ病で悩み、今は神経症的な悩みで苦しんでいます。
「・・数年前から人前での緊張が激しく、ひどい口渇のために話すことができなくなる、ということを繰り返してきました。14年前から糖尿病でもあります。授業を始める前にVCを口に入れ、唾液の分泌を促し、ボトルの水を飲みながら、授業をやります。今、担任クラスの生徒と関係がしっくりいきません。怒らなければいけない時に唾液が止まってしまったり。この学校に来て2年ですがどうもしっくりしません。・・」
 Unさんは「・・鬱だけでしたら、精神科で抗鬱剤を処方してもらうとよくなります(私も経験者です)。ただ、生き方の問題ですので、考え方を変えないと根本的な解決にはならないのですが。苦しいと、些細なことで押しつぶされてしまいますので、この場で、文章で、こういう場面が辛い、こんな生徒が苦手だとか、色々と書き込んで見ると客観的に自分を見ることができるのかな、と思います。・・」と助言します。
 Gqさんは「・・うつ気分や疲労感や不快感や雑念も、そのままにしてすべきことやしたいことをしているとおさまっていきます。はじめは難しいですけど、我慢して素直にやってみて、コツ呑み込めば、とりあえず、ヤレヤレです。」
 このお二人の助言に賛成です。Unさんの言うようにある種のうつ病は抗うつ剤を服用すればよくなります。しかしHcさんのような悩みの場合の根本的な解決法は「生き方を変える」ことです。それはさまざまな心身の不快感、生徒たちとの関係も自分の思うがままにしたい、苦悩を取り除きたい、と思うとその苦悩は強まります。それを抱えながら自分なりに出来ることをする、出来ないことはあきらめることから道が開けるのではないでしょうか。これからの健闘を祈ります。
「うつ」の治療と仕事に復帰すること '04.12

 Ysさんがうつ状態に陥り、仕事の復帰のことで悩んでいます。「・・この1〜2ヶ月はとても落ち込んでました。
 職場で思わぬトラブルがあり、その後の精神状態が保てませんでした。・・この1〜2ヶ月、何もする気力がなく仕事から帰ったら疲れが押し寄せ、 PCの電源も入れたくないし、テレビも見たくないというほどだったので、敷居の高かった自分の職場の外来を受診し、ウツの治療を始めました。・・」そしてさらに次のように書き込みます。「・・気力で頑張れない自分が情けないと思ったりしていましたが、気力だけでは頑張れない時もあるし、医師や薬を信頼する事の重要さを教えたれた気がします。
 職場のみんなに迷惑をかけてしまったけど、「ゆっくり休むように!」と暖かい言葉をもらい心強かったです。自分の中にある弱さも根気強さも受け入れていきたいと思うこの頃です」
 Ysさんのこの自覚は大切です。まず私たちは、「うつ」に落ち込んだときに、しばしばそれを認められずに、自分の生活の弱さだ、怠けだと自分で自分を非難してしまいます。それが結果としてうつ病への対処を誤ってしまうのです。Ysさんが医師や薬を信頼し治療を受けようと考えたこと自体が現実を知り、その対処を知る上で重要なことです。またをうつ病で休んでしまうと、もともとまじめなタイプの人が多いだけに、職場に迷惑をかけたのでその分がんばらなくてはと、焦り、それがまた心身の過労、行き詰まりを招き、「うつ」に落ち込んでしまいます。
 そのようなときに、「うつ」に落ち込んでいる自分をそのまま認め、休むときは休み、できることを自分の状態に合わせて行うことが回復への重要なステップなのです。その確実な第一歩をYsさんは踏み出していると思います。
おっかなびっくり薬を減らす '05.01

Iaさんは書きました。「神経科の医師より、減薬を診察のたびに勧められ、憂鬱になってしまいます。・・・まだ私は精神的にかなり不安定で、減薬の自信がありません」

 Iaさんの飲んでいる薬や今の状態のことは分かりませんので、一般論としてコメントすることにします。神経症には今日、抗不安薬と抗うつ薬(特にSSRI =選択的セロトニン再取り込み阻害薬と呼ばれるタイプの薬)が広く処方され、それなりの効果があります。強迫神経症の場合、50%くらいの方にはSSRI がある程度有効だといわれています。しかし薬だけではすべての不安(症状)が解消するわけではなく、また服薬をやめた後の症状再燃も少なくありません。そこで多くの医師が、延々と長期間にわたって投薬を続けているのが現状です。なかには「一生服薬する必要がある」と言ってはばからない医師もいるようです(怠慢だと私は思いますが)。
 しかし森田療法に携わる医師は、薬だけで神経症を解決しようとせず、薬は患者さん自身が行動を立て直していくための補助手段と考えています。行動の広がりを見ながら徐々に薬は減らしていき、やがては薬を飲まずに生活できることを目指しているのです。仮に減薬の当初、不安が生じたとしてもそこで行動を崩さずに粘っていけば、時間と共に不安は通りすぎていくものです。神経症の方が一生涯服薬する必要はないのです! Iaさんの主治医もそのように考えていらっしゃるのではないでしょうか。
 自信がついてから薬を減らそうとすると、ついついその機会を先延ばしにすることになってしまいます。自信がついてから(不安がなくなってから)行動しようとするのと同様ですね。ですからある程度行動が立て直されてきたら、主治医と相談の上、おっかなびっくり薬を減らしながら生活に取り組んでいかれることをお勧めします(通常、薬はゆっくり減らしていきますよ)。
(中村 敬 先生)
人間関係で、今自分に何ができるか '05.02

 Ctさんの悩みは「自分の発言したこと・行動が、相手にどううつっているのか必要以上に気になります。先週までアルバイトをしていたのですが、いつも脂汗をかく感じでついにやめてしまいました」というものです。
 おそらくCtさんの悩みは対人恐怖的なものと推察します。しかし、こうした悩みを持つ人の多くは、本当は“周囲とうまく付き合いたい”、“任せられた仕事は失敗なくきちんとやりたい”と思っているものです。だからこそ、自分の言葉が相手を傷つけていないだろうか?あるいは自分がどう評価されているだろうか?と相手の反応を気にしてしまうのです。言い換えれば、周りからどう思われても関係ない、とマイペースな人は周囲の反応など気にならないのです。
 しかしマイペースな人の場合、当人は悩んでいなくても、周囲が困っていることは少なくありません。こうしてみると、Ctさんの悩みは決して周囲と関わる上で困ったものではなく、頑張るところがずれてしまっているために不都合が生じていると言えます。
 今回アルバイトはやめてしまったとのことですが、おそらく本来の仕事よりも周囲の思惑や自分の態度ばかりに注意が向いてしまったために、より一層緊張が強まり、結果的に仕事でもミスをしてしまったりして居たたまれなくなってしまったのではないでしょうか。もしそれで本来やりたかったアルバイトを今後もあきらめてしまったら、それはとても惜しいことです。周囲と付き合うときに、自分の期待通りに理解してもらう、あるいは評価してもらうことは難しいかもしれません。しかし、本当は相手とうまく付き合いたい、人と関わりたい、という気持ちを生かすために自分なりに出来ること、例えば「自分の伝えたいことは言葉にして伝えてみる」「なるべく相手にわかるように話す」「任された仕事には丁寧に取り組む」といったことは、何とか自分の力で出来ることです。また、相手の話によく耳を傾け、聞き上手になることも人間関係を築く上では重要です。今は自信を無くしてしまっているかもしれませんが、ここであきらめず、折角の思いを「相手からどう思われるか」ではなく「自分なりに何が出来るのか」といった方向に生かしてみてください。その試行錯誤は必ず自分の成長に繋がると思います。
(久保田幹子 先生)
あるがまま、自然な自分を出すこと '05.03

 Alさん。随分対人緊張で悩まれていて、現在のつらい気持ちが伝わってまいります。Alさんの文章を読んでみて感じたことからいくつかアドヴァイスを致します。
 「いつも自然に笑顔が作れれば人間関係がスムーズにいく」とお書きになられていましたよね。ここから、「いつも笑顔であらなければならない」といった「かくあるべし」理想の自己像に縛られていることが窺えます。他人と接する時にはその状況に応じて色々な表情をすることが「自然」であると思います。他人とのコミュニケーションは笑顔でいる、いないといった表情だけでするわけではありませんよね。言葉にならないコミュニケーションもあるわけです。ですから、「常に笑顔でいる」といった構えを緩め、ぎこちないながらでも本当に自分が話してみたい人と話してみましょう。自分が思うほど相手がalbaroさんの表情を気にしていないこともしばしばですよ。
(舘野 歩 先生)
「話す」よりも「伝える」から '05.04

Mlさん、対人緊張のつらいなかで通学をされているのですね。
文章を拝見しても、自分を振り返る力は十分ある方のようにお見受けします。
ご自身でも「完璧主義」とお書きになっているように、「こうでなければ」という姿勢が強いのでしょうね。
「どう思われたんだろう?」という不安は、「相手に認められたい」気持ちがあるからこそ生まれる、人を求める気持ちと背中合わせの自然な感情です。
その不安を消そうとして、「よく思われなくてはならない」「変に思われてはいけない」という風に構えてしまうと、ますます自分のあり方に目が向いてしまい、悪循環に陥ってしまいます。
人と話すときに自分の話し方ばかりに目が向いてしまい、そのために相手の話をちゃんと聞けなくなってしまっていることには、ご自分でも気づかれている様子。
そこで、まずは相手の話の内容をよく聞き、うなずいたり相槌をうったりする、よい聞き役になることを目指してみては?
そして、「話す」というよりは内容を「伝える」ことを大切にしてみましょう。
学校では、緊張したままでもよいので、授業を聞き、ノートをとるようにしてみてください。
きっと持ち前の「良い自分であろう」という気持ちが生かされてくると思いますよ。
(塩路 理恵子 先生)
聞き手上手 '05.05

 こんにちはHrさん。社会人になると色々な人と会話をしなくてはならなくなり、緊張することもしばしばありますよね。ただHrさんは話題を増やそうと本を読んだりして努力したとのこと。そこからHrさんは、苦手意識が強い一方で人と上手く会話をしたいという思いも人一倍強いのではないではないかと感じました。もしそうだとすれば、上手く話したいと思うばかりに、余計苦手意識克服に注意が向かってしまい緊張感を強めていったかもしれません。
 しかしスラスラ話せることは本来最良なコミュニケーションなのでしょうか?このことをHrさんが今一度自身に問いかけてみてはと思います。というのも、会話は何も話し手だけでなく聞き手もいてはじめて成り立つものだからです。話すことが苦手だとすれば聞き役から回ることもコミュニケーションの一つだと思います。会話の中で、自分が聞き役から話し手になることがもしあったとすれば、ここはしどろもどろで話し手に挑戦していって欲しいと思います。特に話し手になった際には、上手く話すことに意識をむけるのではなく、言いたい内容をきちんと伝えていくことに意識を向けていってもらえればと思います。
 当然ぎこちなく伝えていってよいのです。一生懸命伝えようとしている姿勢だけでも案外聞き手はHrさんの思いを理解してくれるものですよ。そして最後に、アルバイトからでも良いので仕事に復帰することを是非お勧めします。辛いかもしれませんが仕事はコミュニケーションに挑戦する絶好のチャンスでもあるからです。必ずや道は開けてくると思います。頑張ってください。
(樋之口潤一郎)
認知行動療法と森田療法 '05.06

 Trさん、こんにちは。強迫神経症の自分の症状とほかの症状のちがい、また、森田療法、認知行動療法という二つの治療法の比較と、いろいろと考えておられますね。神経症の治療では自分の状態を十分に理解し、意識的な努力を積み重ねることが大切です。その取り組みを尊重せずにはいられません。
 Trさんのご意見とご質問について考えさせていただきます。強迫性障害の治療には認知行動療法が一般的であると医師から言われたとのことですね。一般に、認知行動療法は、症状を引き起こす不合理で極端な、自動的で習慣にもなっている自分の考えかたに気づき、事実に即した考え方を身につける練習をします。その上で段階的に不安を伴う行動に踏み出していくようにします。森田療法と異なる点は、治療の目的として症状を治すことに重点がおかれること、また、思考や考えを現実的なものに修正しようとすること、といったところでしょう。
 森田療法は症状それ自体を治すことではなく、症状を抱えながらも取り組むことが出来た行動を重視します。また、患者さんの考え方そのものを直接変化させようとはしません。その代わり、不安は人間にとって自然の感情であり、不安やそれに伴う症状を取り除こうとすることがむしろ悪循環となって状態を悪化させること、不安のままに目的本位の行動に取り組む姿勢が重要であることをご理解して頂きます。また、森田療法と同じ点は、Trさんもおっしゃるように、不安を伴う行動にも踏み込んでいく必要がある、としていることです。どちらの治療法でも新しい考え方や物の見方をきちんと身につけるには行動も重要である、としていることは共通しているように思います。
 Trさんは雑念恐怖や雑音恐怖といった強迫観念があり、症状を取り除きたいという気持ちがお強いとのことですね。認知行動療法で、認知的に強迫観念の合理性について考えていっても、新たなとらわれやこだわりを生んで悪循環になる可能性もあるでしょう。Trさんの症状の治療は森田療法のほうが取り組みやすいかもしれません。強迫観念はあってもいいし、症状を取り除きたい気持ちは当然です。その当然の状況のなかで、目的本位にやるべきことに取り組む、行動していくことが重要です。
(鹿島直之)
回復の過程に波はあるものです '05.07

 Taさんが書いています。「はからいながらとらわれながら、やるべきことをするようにしているうちに、とらわれがなくなる経験が出来た。しかし、新たな強迫症状が生じ、そのことがどうしても気になってしまう。」それにMaさんが「態度を改め、症状に目を向けるのではなく、やるべきことを重視してください。」と返答しています。そこでtaさんが「はからうことばかりに気を取られ、やるべきことをするという大事なことを忘れていた。」と書いています。お二人のやり取りを拝見していますと、よい気付きをされていると思います。まず、Taさんは目的本位に行動することでとらわれがなくなる経験をしたと書かれていますように、症状とよい距離をとる経験をされていると思います。
 その一方で、新しい症状が生じ戸惑っています。回復途上では症状に波があるものです。直線的な回復というものはありません。しかし、その際においても、症状への構えは同じであり、初心に戻って「やるべきことに打ち込む」ことが、Taさんが「症状に向いている注意をもっと大切なところに向かせていければよいと思う」と書いていますように、自分らしい生活を送ることに繋がると思います。
 「症状が出てくると何もやりたくなくなるが、頑張って動くようにしている。」とのこと、その調子です。
(矢野勝治)
風が吹けば桶屋が儲かる・・・ '05.08

 Swさんは書きました。「自分でその不安を取り除く為の『答え探し』や『質問』をする際、念には念を入れて?!、「賞味期限の過ぎたのを2個も食べてしまった。」おまけに『なんとなく昨日は体調がよくなかったようだ』 そういえば『カビもついていなかったっけ?!』 といった風に不安の上塗りをしていってしまう事があります。」
 Swさんのいう「不安の連立方程式」とは、強迫観念の特徴をうまく捉えた表現ですね。不安な考えを取り除くための『答え探し』は、往々にして「万が一の可能性」に思い当たって一層の不安を招いてしまうものです。このような考えが連鎖をなすと、とてもありそうにないことにまで不安が行き着いてしまいますね。一例を挙げると「床屋に行ったら顔色の悪い客がいた」→「その人は感染性の病気かも知れない」→「その人の髪をカットしたとき、はさみが頭皮を傷つけ血が付いたかも知れない」→「血の付いたはさみがよく洗われないまま自分に使われたかも知れない」→「その血の中にあった病原体が、自分の頭皮の傷口から侵入したかも知れない」といったような考えの道筋です。このような「万が一の可能性」の連鎖をたぐっていくことは、例のことわざ「風が吹けば桶屋が儲かる」によく似ています。大風が吹けば→砂埃が舞い→その砂が目に入り→目を病む人が多くなる→こういう人の中には三味線を習う人がいて→三味線には猫の皮が必要だから猫が殺される→猫が殺されると鼠が増え→鼠は桶をかじる→だから桶屋が繁盛する、というありそうにない結論にたどり着くのです。このことわざには、「当てにならないことを期待する(予期する)ことのたとえ」という意味があります。強迫観念も同様に、万が一の疑惑を重ねていくうちに、当てにならない(ありそうにない)ことまで心配の種になっていくのですね。
 ですからこういった思考のパターンは「風が吹けば桶屋が儲かる」とでも名づけておき、不安の上塗りを重ねそうになったら、「あっ、風が吹けば・・・だ」と思い起こすようにしてはいかがでしょう。われながら思わず苦笑してしまい、疑惑の連鎖から抜けやすくなるかも知れませんよ。Swさんは、大分自分のことを客観的にご覧になれているようです。仕事には充実感をもって臨んでいるとのことですから、あと一歩のところまで回復されているのでしょう。「不安の連立方程式」でも「風が吹けば・・・」でもいいですから、強迫観念の連鎖を一言でくくってしまうような呼び方を見つけてみましょう。できればユーモラスな呼び名がいいかも。
(中村 敬)
人間関係はキャッチボール '05.09

 Hsさんは「人間関係で悩んでいる」とのことでした。学校にしろ会社にしろ、人との関わりがある以上、人間関係の悩みは尽きないものですね。しかしこうした悩みは、それだけ人と良い関係を作りたいという欲求の証でもあります。Hsさんはこうも書いていました。「僕は今までその人とうまくやるにはどうすればいいか、しか考えていませんでした。そして、その人とうまくやれるようになるべきだ、と考えていました。でも今、それは違うんじゃないかなって思い始めています」。良い関係を作りたいと思えば、どうしても相手から嫌われたくないと考えるものです。
 しかし、そう思えば思うほど、相手の顔色が気になったり、自分の表情などに注意が向いてしまって、かえってギクシャクした関係になってしまいます。これは「うまくやろう」と気負いすぎて、実際の相手や自分自身を見失ってしまうために生じる空回りとも言えるでしょう。そうした時には、案外関わっている相手そのものや相手の気持ち、自分の気持ちは置き去りにされてしまっているかもしれません。あるいは相手と「うまくやること」だけにとらわれて、自分がすべきことがないがしろにされてしまうこともあるでしょう。  たとえばキャッチボールは、相手の立っている場所、力量などを見て、投げる方向や力加減などを考えなければうまく出来ません。つまり、いくら自分だけが完璧なフォームで投げたとしても、相手の状態をしっかり観察して投げなければ相手にとっては非常にやりにくいキャッチボールになってしまうのです。人間関係もこのキャッチボールと同じようなものと言えるでしょう。すなわち、相手がわかるように言葉を投げること、そして相手が投げかけている言葉をキャッチしようと心がけること、その繰り返しが言葉のキャッチボール(会話)であり、そこからお互いの理解が深まるのです。
 またキャッチボールに戻って考えてみましょう。もし、自分のイメージ通りにボールを投げてくれない相手だったり、思ったとおりにボールを受けてくれない相手だと非常にやりにくさを感じると思います。しかし他人を思い通りに動かすことは出来ないので、結局自分が取りやすい位置に動いたり、取りやすいボールを投げるしかありません。人間関係も同じでしょう。結局相手も、そして自分自身もイメージどおりに動かすことは困難なのです。「うまくいかない!」とジレンマに陥った時、ちょっと一拍おいて考えてみたらどうでしょう。つまり、「うまく」というのが、「自分のイメージどおりに」ということになっていないかを振り返ってみるのです。
  Hsさんも書いていましたが、全ての人と「うまく」(=思い通りの)関係を作るのは難しいことです。しかし、すぐに思い通りに出来なくても、相手がどんな人なのか、どんなことを考えているのかに思いをめぐらし、そして自分はどんなことを考え、何を伝えたいのかを考えながら、少しずつ言葉にしていくことでしょう。初めはギクシャクしていたキャッチボールも、相手や自分のことがわかってくると段々にスムースになっていくかもしれません。Umさんも「気になる事実をなくそうとするのは無理な話」と書いているように、思い通りにならないことや後味の悪さをすぐに無くすことは難しいことです。それはそれとして受け止めつつ、今自分が出来ることを一つ一つやっていくことによって、違う何かが見えてくるかもしれません。Hsさんは通信制の高校に通い始めるとの事。新しい体験が得られるよう、応援しています。
(久保田幹子)
うつの回復期における治療原則について '05.10

Mr様、抑うつで悩まれ復職のことについて色々考えられさぞかし大変かと存じます。そこでうつの(特に回復期)治療原則について述べたいと思います。
 まず急性期では休息と抗うつ薬の服薬が原則です。しかし抑うつ気分が軽くなり、様々なことへの興味が出てきたら少しずつ休息から動いていくことが大事になってきます。動き始めたときは身体の疲労が出現するかもしれませんが、その場合は少し休息をし、また動く意欲が出てきたら、再度行動をしてみてください。一進一退を繰り返しながらもこのような行動を続けていくと次第にうつは回復していきます。
 仕事をしていない状態でほぼ元の自分にほぼなってから復職の話題を進めるのが良いでしょう。できれば復職する際は、同じ職場・部門で、軽勤務もしくは半日勤務が望ましいといえます。復職の際このような期間を設けて仕事に慣れていくことが得策です。この際できれば主治医と会社の産業医と連絡を取り合い、患者様の仕事量や出勤時間の調整をしていくことが好ましいと思います。
(舘野 歩)
本当に望んでいること '05.11

 Bsさん、周りがすべて敵に思えてしまうとのこと、つらいやりきれない気持ちでいるのですね。

>嫌われていると感じたり、孤独に感じたりしても、「どうせそんなものだ」とそのままを受け入れるようにしていたとのこと。けれども、本当にそれがBsさんにとっての「あるがまま」なのでしょうか?  Bsさん自身「そういう気持ちの処理の仕方が却って劣等感を植え付けている」と感じているよう。人に嫌われているように感じたら傷つくし、孤独は淋しい。
 そうした自然な感情を「そんなものだ」とねじ伏せようとすることで、苦しさを増していたかもしれませんね。
 そしてその苦しさから周りの人から引いた振る舞いをしてしまい、本来の望みと逆のことが起こっていたかもしれません。
 書き込みの文面からだけでは、どんな状況でつらく感じていらっしゃるのかまではわからないのですが、例えば「わかってほしいことが伝わらなかった」「話したいのに話せなかった」「相手の態度が冷たく感じた」というようなとき、やりきれない気持ちになるのではないでしょうか。
 もしそうだとしたら、その裏には「伝えたい」「話したい」「人と関わりたい」という思いがあるはず。  また、「世の中」「すべて」がいやな気持ちに塗り込められてしまいそうなとき、「今日はこんなことがあってつらかった」「○○と言われたことがいやだった」と事実を整理し直してみることも大切です。もう一度、本心に立ち戻って、Bsさんの本当の望みを見つめてください。
 そしてBsさんのほうから、周りの人やものごとに、恐る恐る働きかけてみてください。
 本来の望みや、働きかけることで起きてくる不安を「あるがままに」。
そうしたらまわりにあるものが、Bsさんが今感じているのとは違うものに見えてくるかもしれませんよ。
(塩路理恵子)
外相を整えること '05.12

 Brさん、こんにちは。文面拝読させていただきました。発見会を手がかりに6年間の引きこもり生活を自力で抜け出したのですから、Brさんの努力は並大抵なものではなかったと察します。
 さらに文面からBrさんの現在の悩みは、社会生活を前にして「どう自分自身が社会人として振舞ったらよいか?」ということであるように見てとれました。きっと対人場面での会話に対する悩みも社会人としてよく振る舞いたいという思いゆえであったからだと思います。
 しかし、その反面「面白いこと」や「気の利いたこと」を述べることが社会人として絶対に必要な振る舞いになってしまっていた感も否めません。そうだとすれば、「聞き上手」というアドバイスをもらったとしても、絶えず「気の利いた」会話にとらわれてしまい、本当の意味での「聞き上手」に徹せなかった可能性があります。ここで社会人としての振る舞いというものを今一度見直してみることが大切になります。果たして、会話をスムーズに進めることが社会人として一番必要なことでしょうか?
 むしろ、Ugさんが述べていらっしゃるような挨拶、時間をきちんと守る勤務態度、そしてきちんとした身なりなどが社会人として一番必要なことであるように思います。森田療法の中に「外相整えば、内相おのずと熟す」という言葉があります。この場合であれば、仕事に対する実直な態度が「外相を整える」部分に相当するでしょう。
 ですから話に上手く参加できなくても、Brさんの実直な勤務態度は必ずや人の信頼を集め、延いては、Brさんに新しい自信を与えてくれることと思います。その時には、自然な形で会話が出来るようになっているかもしれません。ぜひ、頑張っていただきたいと思います。
(樋之口潤一郎)
薬は使っても努力は必要 '06.01

 IKAさん、こんにちは。森田療法と薬の関係で悩んでおられるということですね。真剣に神経症を治そうと取り組んでいるからこそ、起こってくる当然の疑問だと存じます。さてSSRIについてですが、日本ではフルボキサミン(商品名:ルボックス、デプロメール)、パロキセチン(商品名:パキシル)の2種類が用いられています。どちらも神経症の不安や症状に有効で、抑うつや意欲の低下といった抑うつ症状にも効果があり、副作用も少ないお薬です。単独か、または抗不安薬と一緒に用いられ効果を発揮します。さて、IKAさんもSSRIを試してみたくなる、とのことですね。お気持ちはよくわかります。神経症の不安や症状は、なかなか周囲からは理解されずらいものですが、本当に辛いものです。
 少しでも楽になるのであれば、と思うのが人情です。しかし、maさんやunさんが言われているように、薬だけでは根本的な解決にはなりえないと思います。薬は確かに不安や症状を和らげますが、不安や症状の原因となっている不適切な行動や考え方を変えることはないからです。しかし、そのような不適切な行動や考え方を変えることなしには、一時的に良くなったように見えても、それこそ薬を減らしたり、中断すればすぐに再発ということにもなりかねません。薬はあくまでも不安や症状を和らげ必要な行動に踏み出すハードルを下げる役割、というように考えていたほうがいいように思います。
 治療の主役は、やはり不安や症状があっても必要な行動に取り組む努力の積み重ねです。
 IKAさんが不安や症状が強いために踏み出すことが出来ないが、どうしてもしなければならない必要な行動がある、といった場合にはSSRIの使用のことを含め薬物療法を主治医の先生と再度相談されてみてもいいと思います。主治医との相談の結果、薬を増量したとしても、不安や症状から逃げないよりいっそうの努力が重要でしょう。IKAさん、今のお気持ちで頑張ってくださいね。maさんのいうように薬に頼らないことも一法です。不安が強いことにそのまま取り組むほど収穫も多いものです。実際の生活の中では、不安や症状に出くわしてもあれこれ考えずに目の前のことへ前進、前進しつづけてください。
(鹿島 直之)
押してダメなら引いてみる '06.02

 chさんへ。この半年間仕事に全力投球して、大きなものを得られたと感じられたようですね。結果は残念なことにプロジェクトは中止になったとのことですが、chさんが懸命に目の前の仕事に取り組んだことには変わりありません。そしてなによりも、プロジェクトが中止になってからの1ヶ月間、おそらく悩みに悩んだ末に到達した「苦しむことは仕方ない」「(それでも)自分のやるべきと思うことをやっていくのみ」という言葉に、力強さを感じました。何だか、からりとした心境のように見受けられます。
それからchさんは別のところで書かれています。「何か問題をクリアしていくときって、それだけでなく総合的な力というか、生活の幅からくるその人の全体力のようなものが大きな力になると思います」。そのとおり、全体力っていい言葉ですね。たしかに、生活の幅が狭まると、視野も狭窄して袋小路に陥りやすくなるようです。反対に、行動の幅が増して関心が広がると、ふとしたことからヒントが見つかり、力づくで解決しようとしても果たせなかった問題が自然に解けていくということがありますね。ただし、無理やりいろいろなことに手を出そうとすると、首もお金も回らなくなってしまいます。特別のことでなくあたりまえの生活の中でも、その気になって探せば興味を惹かれることが多々あり、工夫のしがいもあるものです。試しに今夜、安くておいしい食事を取るために一工夫してみませんか。
(矢野 勝治)
びくびく、はらはらしながら人と交わっていく '06.03

Koさんは書きました。「自分に自信がなくて昔から人と話すときに緊張したり、面白いことを話さないととかプレッシャーがかかったり、自分の行動が気になったり嫌になったりすることが多くて悩んでいます」。きっとこのフォーラムを見ている多くの方が、自分と共通の悩みだなと感じられたことでしょう。これまでの体験談や医師のアドバイスなどに悩みの解決につながるようなヒントがあるはずですから、ぜひ参考にしてください。ここでは繰り返しになるかもしれませんが、そのポイントをお伝えしておきます。
 文面から推測すると、Koさんは「新しい友達づくりをしたい」「皆と打ち解けたい」「人に好かれたい、受け入れられたい」と切実に願っているのでしょうね。人間関係を築いていくには、まずKoさんのようにそれを求めることが出発点です。ただ Koさんの場合、人とよい関係を作るには「面白いことを話さなくてはならない」「変に思われてはいけない」「緊張したり動揺してはいけない」といった「こうあるべき」「こうあってはならない」という考えが強すぎするように見受けられます。実際には親しい関係になるまでにはどうしても時間が必要であり、そこに至るまでよく思われたい気持ちが強ければ悪く思われないようにと緊張するのも自然なことです。にもかかわらずKoさんは「緊張してはいけない」「素の自分を見せてはいけない」という思いが強いため、自分の緊張を絶えず監視し緊張を自覚するとそそくさと話をやめてしまっているのではないでしょうか。そのとき注意は、対面している相手ではなくもっぱら自分自身に向いているはずです。
 上記のことに思い当たるようでしたら、今日からこれまでと違う関わり方を試みてはいかがでしょうか。それはまず、あってはならないものとして緊張と戦うのではなく、緊張するまま、ハラハラビクビクしたまま、人との関わりを避けずに続けていくことが基本です。それからもうひとつ、人間関係を築くには「面白おかしい話をすること」よりも相手の話に耳を傾けること、つまり「話し上手」より「聞き上手」を心がけることです。それは会話の際だけでなく、相手のことに親身になって考え振舞うことにも帰結します。そのような行動ができればおのずから、人から信頼を寄せられるようになるはずです。
(中村 敬)
霧の中を進んでみる '06.04

 haさんは、人付き合いで悩んでいます。相手に合わせ過ぎて疲れてしまった経験から、最近は少しでも嫌なところがあるとそれが気になって付き合いを続けることが出来ないということです。haさん自身も「人と交わりたい欲求がとても強いのに、人と付き合うのがすごく疲れてしまう」と書いていますが、欲求が強いだけに、自分が全く失望しない完全な姿を相手に求めてしまっているのでしょうね。まさに一点の曇りも許せない、といったところでしょう。こうした心境は、snさんが書いている「もやもや」した気分であり、それをすっきりさせたいために関係を断ってしまったり、もやもやするくらいなら近づかないということになるのでしょう。本来の「人と交わりたい」という願望を考えるととても勿体ないことですね。snさんはこの「もやもや(感)」との付き合い方が課題と書いていますが、これはsnさんに限らず、神経症に悩む人全てに共通する課題とも言えるでしょう。
 この「もやもや」は、現実が理想どおりにいかない時に生じる気分であり、それを受け入れがたいために、「もやもや」にとらわれてしまうわけです。こんな時、私はよく次のような喩えを用いて、「もやもや」との付き合い方を考えてもらうようにしています。それは、「もし車を運転している時に、霧がたちこめてきたらどうするか?」ということです。当然、霧などなく視界が開けていた方が気持ちよく、また安全に運転できるわけですが、霧は自分の思ったようには晴れてくれませんし、そこで車を止めればかえって危険になります。つまり「もやもや」と付き合いつつ運転をせざるをえないわけです。ではそんな時、皆さんだったら何を頼りに運転をするでしょうか?大抵の場合は、薄ぼんやり見える前の車のテールランプや、センターラインを頼りに運転をするでしょう。そうしているうちに、自然と霧は晴れ、視界が開けてくるはずです。haさんの場合も、「もやもや」しつつも「人と交わりたい」という本来の欲求を頼りに関わってみたらどうでしょう。もしかしたら、少しずつ視界が開けて、これまで見えなかった相手の長所が見えてくるかもしれません。snowberryさんは「もやもやの中で生きる」と宣言してくれましたが、本来求めている生活に近づくために、とりあえず出来ることを頼りに霧の中を進んでみることです。単に「もやもやに耐える」だけではない、新しい発見があるはずです。
(久保田 幹子)
実践が自然治癒力を引き出す'06.05

 mo様、森田療法の本に出会えてよかったですね。赤面恐怖などの対人恐怖に対して森田療法は有効な治療法です。mo様の「こちらに発言するのも、とても緊張しています」の言葉に赤面恐怖で悩まれていることが伺えます。ただ発言すると緊張すると思いつつもまず今回書き込めたご自身をほめてあげましょう。「こちらにお発言するのも、とても緊張しています」の背後にはmo様の様々な「生の欲望」が隠れているような気が致します。例えば、「こ のホームページで発言して自分のことを理解してほしい、あるいはよく思われたい」などです。逆に言えば、ホームページでご自身の書き込みを読まれてわかってほしい気持ちが少なければ、緊張もしないわけです。つまり緊張はあってはけないものではなく、ある程度緊張をして自然な時もままあるわけです。ところが神経質的な構えが強いとこの緊張を あってはならないと思い排除しようとするとますます緊張は強まってしまうわけです。ですから緊張を無くそうとせず、緊張のまま、おそるおそるで良いので、緊張する場面で必要なことを言ったり書いたりしてみましょう。今回びくびくしつつ書き込みをされたのが第一歩だと思いますので、これからも同じような気持ちを持っていても良いので思い切って書き込みをしてみましょう。
(舘野歩)
真面目な人が叱責されたとき'06.06

Fuさんは「昨日仕事での失敗やうまく報告ができなかったせいで、怒鳴られてしまってから不安になってしまいとらわれてしまいました」と書いています。
忙しい診療所での受付医療事務でしたら、職場の緊張感も高いでしょうし、その中で頑張ってお仕事をされているのですね。きちんとやろう、怒られないようにしようという気持ちが強いだけに叱責されたときのつらさも大きいのでしょうね。
そういうときは「なんとかしなくちゃ」と思って焦ってしまい、頭の中が真っ白になってしまうもの。
こういうときこそ、逆に一呼吸、が大切になります。
真面目な人ほど怒られたとき「使えないやつと思われてしまった」と自分のすべてを否定されてしまったように感じたり、「自分は駄目な人間だ」と自分にレッテルを貼ってしまったりしてしまうようです。そういうときは、一呼吸置いて、それから言われた内容に目を向けてみましょう。「今はこのことで怒られたんだ」「これを直せばいいんだ」と自分に 言葉にしてあげるのもいいかもしれません。こうしたときの森田先生のもうひとつの知恵が「弱さになりきる」ということです。一旦「自分は気の利かない、弱い人間だ」と思い定める訳です。そうすることで「怒られないように」「失敗しないように」という構えから離れ、その場で必要なこと、求められていることに目が向けられてきます。
ビクビク、オドオドしながらでよいので、お仕事に向かってみてください。Fuさんの神経質が生かされている場面、きっとあるはずです。
(塩路 理恵子)
縁起の背後にある気持ち '06.07

こんにちはyuさん。yuさんは、数字に対する縁起にこだわってしまい、そのことに悩んでいるようにお見受けします。
「縁起の良くないことと数字が常にセットになって記憶される」と表現されている位ですから、さぞかし辛いのではないかとお察します。
しかし、「縁起」という言葉は、我々の日常生活の中では、ごく当たり前に使用されています。「縁起をかつぐ」「縁起が悪い」などは、まさに日常的な表現であるといえるでしょう。さらに、我々は、知らず知らずのうちに、数字と縁起を関連付けて生活しているようにも思います。
このことは、ホテルの部屋番号の表記の際、特定の番号を敢えてはずしていることなどからも見て取れます。つまり、我々は、心のどこかで常日頃、縁起をかついで生活していることになるのです。裏を返せば、それだけ災いを避けて、安泰な生活でありたいと念じているのだと思います。このような観点からみれば、yuさんの悩み自体は、ごく自然なものであると言えます。
むしろ、yuさんの注意すべき点は、数字と縁起を結びつけるか否かというところに心のエネルギーが裂かれてしまい、本当の意味で日常生活に打ち込めていないところにあるように思います。つまり、縁起の悪いことを連想しないようにすることが大切なのではなく、縁起を担ぐ背後にある「よりよい生活を送りたい」という欲求を生かしていくことが大切なのです。
森田療法では、このような向上発展したいとする欲求を生の欲望と呼び、この欲望を生かしていくことが神経症治療の中で重要であると位置づけています。ですから、yuさんは、縁起に対する拘りを持ちながらでも、身の回りの生活を少しずつ豊かにされていくよう努めていっていただければと思います。
取り組み当初は、当然、苦痛も伴うでしょう。しかし、生活への取り組みを続けることで、頭だけの理解だけではない、真の意味での体得が得られることになると思います。
是非頑張っていただきたいと思います。
(樋之口潤一郎)
苦しみが人の役にたつ '06.08

 naさん、こんにちは。うつと確認行為がひどいときがあり、2回精 神科の入院経験があるのですね。辛くなったときには安定剤の筋肉注射もして いるのですね。さらに、一回目の入院から日々の葛藤を抱えながらの6年間、 本当に大変でしたね。
次々に襲ってくる強迫観念、確認行為、どれも逃げ出し たいほどの苦痛の中で、どうやって踏みとどまって生活をしておられたのです か?
hide0810さんもおっしゃる通り、すごい底力と意志の力を感じさせられま す。また、ご意見として、今の自分にできることを見つけてやる、結局地道な 努力の積み重ね、とおっしゃっておられますが、全く同感です。
今の自分に出 来ることをやる、これは口でいうほど簡単なことではありません。症状や不安 に圧倒される中で、現在のやるべきことに立ち向かうこと、これはとても難し いことなのです。しかし、症状や不安がいかに強くとも、すでにそれは一瞬前 のことであり、通り過ぎようとしていることです。通り過ぎようとしているこ とにこだわらず、現在にとりくもうとする心の強さを養っていくこと、これが 治療であると思います。そしてそのためには日々の地道な努力が欠かせませ ん。治療に王道はないのです。
naさんの努力の方向は正しいように感 じます。さらに、症状以外のことに目を向け、感謝しながら過ごす、誰かが支 えていてくれること、自分も世の中の役にたっていると信じることをすすめて おられますが、これらもとても重要です。症状がある中で感謝して過ごす、非 常に難しいことですが、症状や病気を、自分が変化するチャンス、心の強さを 身につける機会として前向きにとらえるときに、症状をこだわらずに受け入れ ることがある程度は容易になると存じます。
また、支えてくれる誰かのこと や、自分も役に立っていることを意識することが、努力をする上で、大いに励 みになるでしょう。naさんのいままで血のにじむような努力のなかで 得られたお考えの数々に、私も大変感銘を受けましたし、hiさんもとて も感謝しておられます。naさん、本当にありがとう。是非いまの努力 を続けてください。今後も大いに人の役に立てるかただと信じています。
(鹿島 直之)
緊張するにも理由があるものです'06.09

Chさんは、顧客先での説明の際にうまく言葉が出なかったことから、帰りの電車の中でも同僚の人達とほとんど話さなかった由。それを気にされて、「そんな時でも最大限の努力をすべきだった」と振り返っています。

しかし振り返って考えてみると、久々の出張といういつもと勝手が違う状況では、緊張するのも自然なことではないでしょうか。そんなときにはスラスラと言葉が出てこないこともうなずけます。しかしChさんはそれをあってはいけないことと考え、「話下手が明らかになってしまって恥ずかしかった」と気にされたのですね。帰りの車では、「心の中の葛藤が凄かった」ということですから、自分の「失態」が頭の大半を占めて周囲の人の話が耳に入らず、話をする状況になかったのではないでしょうか。つまり自然な緊張を「こうあってはならない」と否定するために葛藤が生じ、一時的なとらわれに陥ったのでしょう。ですから、先ずはどんな状況でどんな感情を抱いたのか、それは本当に否定されるべきことなのかよく吟味してみてはいかがでしょう。こうしたことを通じてよく自分を知ることが、「自分自身と付き合う」ことに繋がるのではないでしょうか。

向上心の旺盛なChさんは、よく内省され、どうすればよいかを考えているのですね。Chさんの言われるように、感情に流されず目的本位に行動していくことは大事なことです。なるべく分かりやすくお客さんに説明できるよう、しっかり準備をし、緊張しながらも相手に伝えていく努力は大切です。それができれば緊張の有無は大して問題にならず、むしろ緊張は真剣に臨んでいる証拠とも言えるでしょう。また雑談のときには、無理に自分から話題を見つけようとしなくていいのです。それより人の話に耳を傾けることです。そうすれば話の流れの中で自然に言葉も浮かんでくるかも知れません。「話し上手より聞き上手」という言葉を思い出してください。
(矢野 勝治)

あせらずゆっくりと“あるがままに”'06.10

yuさん、はじめまして。「症状は相変わらずですが、少しずつ良くなりつつあります」とのこと。良かったですね。「少しずつでも良くなっている」という「事実」を大事にしましょう。少しずつで良いのです。あせらず、ゆっくりと1日1日を丁寧に過ごしていきましょう。

さて、「子供を持つか、持たないか」というお悩みを語っていらっしゃいますが、なかなか難しい問題ですね。「縁起恐怖」であるなしにかかわらず、「子供がどんな風に育つのか」「高齢出産のリスク」などは誰もが考える自然な悩みであると思われます。しかし、貴方がおっしゃっているように「症状にとらわれてしまっている」のであるとすれば、そこには解決の糸口を見出すことができます。まず、貴方が抱えている不安が「現実に起きている不安」であるのか、それとも「もしもの不安」であるのかを冷静に分けて考える必要性があろうかと思われます。すなわち、今考えてみて答えが出るものであれば大いに悩むことが必要でしょう。しかし「もしもの不安」にとらわれて不安が不安をよぶ、堂々巡りの状態であれば、その不安はそのまま棚上げしてみてはいかがでしょうか。その上でもう一度、貴方自身の気持ちの整理をしながら(貴方自身が子供を持ちたいのか、そうではないのか)、ご主人、ご家族、産婦人科の先生、精神科に受診しているのであれば主治医の先生の意見を参考にして、今後の方針を考えてみてはいかがでしょうか。あせらず、ゆっくりと1つ1つ考えていきましょう。必ず、道は拓けます。
(川上 正憲)

体験フォーラムの面目躍如!'06.11

「人と関わる事が苦痛で仕方ありません」というBLさんの悲痛な訴えに対して、その日のうちから多くの方が応援のメッセージを書き込まれました。一人ひとりのアドバイスを見ると、いずれもご自分の体験に根ざした適切な内容でしたから、さらに私から「屋上屋を重ねる」ような助言は必要ないと思います。皆さんの書き込みを見てBLさんも随分心励まされたに違いありません。何といっても「こういった悩みを抱えているのは自分ひとりじゃないんだ」という事実を知ることは大きな救いになるはずです。助言を寄せられた方々とBLさんのやりとりは、実に心温まるものでした。そしてBLさんはわずか2週間後にはバイト面接まで踏み込んでいるのです。すごいことだ!

これまでも随所でこのようなやりとりがなされていますが、今回のBLさんの書き込みを発端にした相互交流には、体験フォーラムの面目躍如といった感があります。何といってもネットを媒体にしたフォーラムは情報の交換がすばやく、誰かがピンチに陥ったときにタイムリーに助言を送ることができます。応援のメッセージを書き込んだ方々は、きっと忙しい日々を送っているはずですが、まだ見ぬ仲間のために手をさし伸ばす=アドバイスを書く時間を一生懸命やりくりされたのですね。自分のためではなく誰か他の人のために時間を割きエネルギーを傾けるという行為は、まさにそのとき自分自身の症状へのとらわれから脱していることをも意味しています。またBLさんが未知の人に向かって助けを求めるメッセージを書いたこと、それ自体が人の助言を受け入れ何かを始動する機が熟したことを意味しているともいえるでしょう。こうしてみると、訴えを発信することもそれに対して応答することも、等しく互いの援助につながっていることがよく分かります。どうかこの掲示板をご覧の方々は、これからもどんどん自分から書き込みをしてフォーラムを大いに活性化させてください。

蛇足ながらBLさんへ。これまで述べたようにネットでの交流を大いに心の糧として、一歩ずつ歩みを進めてください。そしてできれば、直接顔と顔をつき合わせるような交流の場も探せるといいですね。生活の発見会に入会し、恐る恐る集談会に参加してみることもその一つです。またもしもそのような行動が困難であれば、入院森田療法の場で人との関わりを直接体験しながら行動を広げていくことも選択肢のひとつです。今後の健闘を祈ります。
(中村 敬)

わからないからこそ、関わる意味がある'06.12

今回は、akさん、roさん、stさんなど、対人的な症状に悩んでいる方の書き込みが多かったようです。日常生活で人との関わりというのはどうしても避けられないものですから、色々と悩んでしまいますね。
実際こうした症状に悩む人は、akさんが「人と話すのが好きなんですが・・・」と書いているように、人一倍人との関わりを求めている人が多いのです。それだけに「よそよそしくならないようにしなきゃ(roさん)」と考えて、「打ち解けて話せない(akさん)」ことに悩むのです。つまり、相手に好かれたい、ちゃんとした人間関係を持たなければいけないと気負いすぎて、かえって自分を縛ってしまうわけです。そして、結果的に関わりを避けてしまったり、相手との関係を築くことが置き去りにされてしまうのです。

では、人と人との関係というのはどんな風に作られるものでしょう?
初対面の印象だけでその相手がどんな人かを決めているでしょうか?関わらないうちから相手がどんな人かを理解できるような千里眼を持っているでしょうか?

そうではないですよね。お料理でも、食べないうちからそれが美味しいかまずいかがわからないのと同じことです。どんな人なんだろう、どんなことに興味を持っているのだろう・・・などと関心を持って、相手と関わるうちに分かり合うことが出来るようになるのではないでしょうか。しかし、対人恐怖の人は先に結果を求めてしまう・・・何よりも相手と関わり、どんな人かを見る前に自分を完璧にしようと構えてしまう、まさに気持ちとは裏腹なシャットアウトですね。それは順番を逆に考えてしまうために生じるのです。roさんがとても貴重なことを語ってくれています。「ご主人とのお付き合いでも、最初はとても緊張したが、緊張しながらも話をあわせて付き合っているうちに症状が出なくなっていた。不思議です」と。緊張しない自分で付き合うのではなく、緊張しつつも付き合ううちにいつのまにか症状がなくなっていく、傷口が気になりつつもそのままにしていると、いつのまにか瘡蓋が取れているのと同じですね。「不思議」という一言に、自分が思い描いていた方向とは違っていた・・・という思いが含まれているようですが、ここに糸口があるのです。

勿論、症状とそのまま付き合うのは初めは辛いことでしょう。しかし、折角辛い思いをしながら付き合うのですから、自分をどう見せるかは後回しにして、「人が好き」「良い関係を築きたい」という欲求の原点に立ち戻り、相手がどんな人なのかをよく見て、聞いて、知ろうとすることに力を注いでみましょう。そして、こういったフォーラムの場を大いに活用して、人と関わりあう体験を重ねてみましょう。失敗の経験も成長の大事な肥やしになりますよ。
(久保田 幹子)

読書恐怖(強迫神経症)について'07.01

Ko様、読書恐怖に14か15歳の頃より悩まれて大変ですね。Ko様は読書をする際、内容を完全に把握しなければならないといった意識が強いことはありませんか?
本に書いてある文章を完全に吸収したいと思えば思うほど細部にこだわりかえって頭に入らなくなってしまっていませんか?

もしそうだとすると、読書で知識を得たいといった欲求が空回りしてしまっているということになります。
森田先生は読書恐怖を強迫神経症の枠でとらえているわけです。読書できないのではなく、読書することができるのに読んで理解したい気持ちが強すぎるために読めなくなってしまうのです。読書恐怖を森田療法的に解決するのであれば、本の内容を把握するしないに関わらず一度ざっと最初から最後まで読むようにしていってはいかがでしょうか?
一歩一歩把握しようとすることを積み重ねる結果、逆にいつか本の内容を把握できるようになっていると思いますよ。言い換えるなら「急がば回れ」ですね。
(舘野 歩)

「自己臭恐怖と森田療法」'07.02

Gさんは、20年あまり汗の問題と臭いの問題に悩まれてきたとのこと。

「このままだと子供も対人恐怖症になってしまいそうです。家を新築したばかりなのですが引越しを考えています。環境を変えてあげたほうがいいのでしょうか」と書かれています。そこまでの思いつめた気持ち、さぞおつらいことと思います。
Bさんが書いているように、「結婚して子供を生むということをした時点である程度の対人恐怖は乗り越えられている」ということ、つまり汗の問題に悩みながらも人生を切り開いてこられたことには、自分を認め、自信を持ってよいのではないでしょうか。 お子さんの公園デビューをきっかけに症状が強くなられているとのこと。

公園デビューといえば、お子さんと二人の子育ての世界から再び社会に触れ、「子供のためにもほかのお母さんたちともうまくやらなくちゃ」ととても緊張するときですよね。
言い換えれば、お子さんを大切に思い、よく育ててあげたいと思えばこそ、今不安が強くなっているのかもしれません。そしてその不安が臭いの問題に集められてしまっているのかもしれませんね。
「臭いの問題をなんとかしなければ」と思うほどに、周りの人の振る舞いにも敏感になり、ますます気になってしまう、という悪循環も起こってしまっているかもしれません。
Uさんは「大きな決断をする前に、自身の悩みを整理して」とアドバイスされていましす。自分が思うほどには相手の人は気にしていない、という事態もあるかもしれません。

まずは本来の「よい子育てをしたい」という願いを取り戻して、お子さんのために日々できるよりよい世話(家の中でのことも)に目を向けてみてください。そして、臭いのことだけでなく、その日にやれたことを振り返り、認めるようにしてみてください。 それともうひとつ。Gさんには主治医の先生がおられるでしょうか。
自己臭恐怖では、「自分の臭いのために相手に嫌な感じを与えてしまっている」「相手に避けられている」というように他の人の反応を自分の臭いのことと結びつけ、敏感になってしまうことがあります。そうしたとき、その過敏になっている部分を和らげ、生活を広げやすくするために補助的に薬物療法を用いるということも考えてよいと思います。
(塩路 理恵子)

「完全欲について」'07.03

こんにちは。現在、Iさんは、二児の母親として奮闘されていることと思います。その中でIさんは困っていることとして、お子さんに対して感情的になってしまうこと、買い物などで中々決断がつかないこと、さらに対人場面で自信が持てず緊張してしまうことなどを挙げています。
一見これらは全て異なった内容のように思われるかもしれません。しかし、どの出来事もIさんの特徴をよく表しているように思います。
その共通した特徴とは、Iさんが常に完全な母親や主婦であろうとしている点だと思います。

森田療法では、神経質性格の特徴の一つとして完全欲の強さを挙げています。つまり神経質の人々は、完全でありたいという欲求が他の人達に比べて強いために、常に万全な状態を維持することにとらわれてしまうのです。Iさんも、完全でありたいと思うあまりに、感情的になった自分を過剰に責めたり、決断が付かなくなったり、そして対人場面で余計に緊張を募らせてしまったのかもしれません。
しかし反面、森田療法では、この完全欲の強さこそ、神経症を克服する上で不可欠であるとも説いています。つまり、「常により良くありたい」という完全欲のもう一つの側面(森田療法でいうところの「生の欲望」)を生かしてこそ、神経質性格の人達の生活が光り輝くことを述べているのです。

Iさんのお子さんに対する姿勢も、より良く成長して欲しいという親の願いの表れでしょうし、決断できない背後にはもっと良いものを得たいという思いがあるのだと思います。さらに人前での緊張も、より良く人と接したいという気持ちの表れなのだと思います。だからこそ、Iさんの生の欲望を生活の中に生かしていく必要があるのです。
ではどうやって生かしていったら良いでしょうか?その答えのひとつは、不完全な自分をまず認めることなのだと思います。
その上でベストを尽くすように心がけることです。
次に現実の状況に応じて臨機応変に行動することを心がけることです。

森田療法では事実本位ともいいます。つまり、お子さんのことを例にあげれば、理想的な親として振舞うのではなく、必要なときにきちんと叱ってあげられる親になることが必要なのです。そうすることでIさんの生の欲望は生かされていくのです。最初は戸惑うことも多いかもしれません。しかし、このようなことを心がけて行動することは、Irisさんに新しい視点を与えてくれるはずです。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

「症状改善は地道な努力から」'07.04

「どんなことが症状改善につながるのか」

こんにちは、Tさん。神経症にひとりで悩み、苦しんでいます。イギリスロンドンに住んでいます。こちらだと、一人で悩みを抱えているようで、どうしたものかといつも思っています。カウンセラーとセッションをしていますが、いまいちカウンセラーの方も私の症状をよくわかっていないような。英語なので。対人恐怖のため、いじめにあったり、文句をいわれたり、仕事も月に何回かしていますが、人にあう、話すことが本当に何倍ものパワーが入ります。相手の目を見るのも怖いです。
あと、長年のこの症状からパラノイヤ、少しうつ気味になることも。人にあうと、その人のことを怖い、またいじめられるのでは?恐怖感がでて、それが相手に伝わってしまっているようで、人には悪いこと考えてるでしょ?とよく言われます。もっと生活が楽になったら、といつも思っています。

回答 「症状改善は地道な努力から」

Tさん、こんにちは。イギリスのロンドンに在住しておられるのですね。
対人恐怖のため、いじめにあったり、文句を言われる、人に会う、話すことが何倍ものパワーが入る、相手の目を見るのも怖い、とのこと、大変ですね。さぞ苦労されたことでしょう。さらに、時にはパラノイア、すなわち妄想的になったり、うつ気味になるとのこと、強い不安が続くための症状かもしれません。なお、そういう状況で異国にとどまり、仕事をしておられる、その勇気には驚かされます。また、カウンセラーとのコミュニケーションが英語であるために症状を理解してもらえず、一人で悩んでおられます。周りから理解されないと非常につらいものですね。その忍耐にも頭が下がります。

さて、どんなことが症状の改善につながるのでしょうか。
一般に、森田療法では、症状を改善させようとする注意こそが、かえって症状を持続させてしまうことがあるとされます。症状についてのこだわりそのものが、症状を固定させてしまうのです。
Tさんの場合も、「この症状さえなければ」とのお気持ちが、かえって改善の仇となっているのかもしれません。症状にこだわらず目の前のことに全力を尽くすことで、症状が和らぐ場合も多いものです。

症状を和らげるには、注意を症状ではなく、仕事や対人関係で本当に重要なことに向けることが大切です。 Tさんは、長年の症状に苦しみながらも、海外で仕事を続けておられるのです。普通の人ですら大変なことです。ですから、もっと取り組みに自信をもっていいのです。今までに出来たことを振り返り、さらに日常生活の仕事や対人関係で工夫や努力を重ねていくこと、それが重要です。
例えば、コミュニケーションで大切なことは、不安や緊張を感じないかどうかではなく、相手の話がどれだけ理解できたかなのです。まずは聞き上手になるよう心がけてもいいでしょう。人と会う場合に、不安があろうがなかろうが、相手の話に出来る限り集中する、といった努力が大切です。可能なら、仕事の日数も増やしてもいいかもしれません。不安にこだわり、そこから逃げることで不安が強まってしまうのです。不安や症状のために手をつけられずにいたことに、恐る恐る手を出してみてください。案外やってみるとできるものです。また、薬をまだ使用していないのなら、現地の病院を受診し、抗不安薬やSSRIといった薬を処方してもらってもいいでしょう。とりあえずの不安を和らげることが、日常生活での努力をしやすくします。なお、他の人の症状を知ったり、誰かに症状を理解してもらうことでも楽になります。森田療法関係の本を読むこと、および、このサイトへの引き続きの参加をお勧めします。Tさん、生活への取り組みを続けてください。必ず良くなります。
(鹿島 直之)

「聞くこと」と「聴くこと」'07.05

Tさんは、雑音が気になっています。
早く寝る必要があったある夜に隣の部屋からの騒音で眠れなくなって以来、小さな音にも敏感になってしまったとのことです。

まず、きっかけになった不眠について、通常は寝つくことが出来るのに、次の日に特別なことがあると眠れなくなることは良くあることです。
小学生のとき遠足の前夜などはなかなか眠れなかったことは皆さんも経験があることだと思います。
次の日早く起きなければいけない、大事なことが控えているなどの思いから、十分な睡眠を取り万全な体調でなければうまくいかないのではないかという思いがあったのではないでしょうか。寝よう寝ようとすればするほど目が覚めてしまう神経症性不眠の状態にあったと思われます。

次に「音を聴くこと」についてです。人間の聴力というものは大変うまく出来ていて、音は意識しなくても必要な音を識別し聞くことが出来るようになっているものです。例えば機械が録音したものを後で聞き直してみると雑音が多くて聞けなかったということは経験したことがあると思います。
つまり聞くということは、日常にあふれているたくさんの音の中から必要としている音を拾って増幅し、理解や判断をしているのです。
耳を澄ますとよく聞こえてきますね。音に意識を集中しているからと言えます。逆に言えば些細な音を気にすると普段は気にならない音でも拾って増大させてしまうとも言えます。
森田療法の考えでは音を気にするがあまりに聴力過敏の状態になり、余計な音まで拾ってしまい、さらに気になってしまう「悪循環」になっていると考えられます。

さてどうすれば改善できるかですが、睡眠に関しては、寝ることを体の休息と考え、横になっているだけでも身体の休息は図れますので、眠れるか否かを明日のことに結びつけすぎないようにしてみてください。また、隣宅の音についてですが、気にすれば気にするほど強まり、イライラするものです。隣宅の音も電車の音などの雑音と同じように、過剰にとらわれることなく、生活してみてください。
(矢野勝治)

「不安は不安のままに」'07.06

buさん、こんにちは。メール便のお仕事をお母さんと一緒に頑張っているようですね。そして、さらに一歩前進して、アルバイトの仕事に踏み出そうと考えていらっしゃるようです。
しかし、面接の電話をかけようとすると「昔の嫌な体験を思い出して」一歩が踏み出せないとのこと。大変つらい体験であったことと推察します。
心の傷が癒えるのは時間がかかるものです。おそらく大変つらい体験であったからこそ「また、そうした嫌な体験をするのではないか」という不安が生じるために次なる一歩が踏み出せないのではないでしょうか。しかし、buさんはつらい体験を抱えながらも次なるステップへ向けて努力を模索されています。そうした内なる原動力はどこから来るのでしょうか。
これこそまさにbuさんの「生の欲望」に他なりません。そうです、buさんには、内から湧き上がってくるエネルギーがあるのです。ご自分の中に湧き上がってくるこうした「〜したい」という気持ちを何よりも大事にしましょう。逆説的ではありますが「順調に仕事をしたい」という気持ちが強くなれば強くなるほど、「失敗したらどうしよう」という不安が強くなることがお分かりになると思います。

また、森田療法では我々に生じる様々な感情を病的なものとは考えません。buさんがつらい体験を通して感じられた「悲しみ、憤り、怒り」、またアルバイトに際して生じる「不安、恐れ」などはどれも全て起こるべくして起きている自然なものです。では、どのように行動したら良いのでしょうか。森田療法では、こうした感情に左右された行動をとるのではなく、感情は感情として抱えながら、「内なる希求」に従って(buさんの場合では「アルバイトをしたい」に相当します)、今、現在できることを焦らずゆっくりと取り組んでいくことを目指します。「不安は不安なままに」、今できることを1つ1つ取り組んでいきましょう。buさん、焦らずゆっくりで構いません。千里の道も一歩からです。
(川上正憲)

「幻聴のある人に対して森田療法は適切か?」'07.07

Cさんへ
「病識があれば幻聴のある人にも森田療法は適応なのでしょうか?」という問いですね。森田療法を行っている治療者の中でも意見の相違はあるかもしれませんが、原則幻聴のある方が薬物療法を受けずに森田療法を受けることはお勧めしません。幻聴は色々な病気から出現しますので、精神科医に診察をしてもらい、適切な診断の元に薬物療法を受けることが大事でしょう。その方がどうしても森田療法で治療したいと言った場合には、幻聴を薬物療法で改善させた上での話ですが、「幻聴へとらわれ悩んでいる悪循環から脱することを目標として日々生活上必要なことをしていく」という風にゆるやかに森田療法的な知恵を取り入れる程度が良いでしょう。

 幻聴をきたす病気に対して森田療法を主に治療を行うのは難しいですが、以下のような場合は森田療法を行っております。対人恐怖症の中で「自分のにおいが相手に不快な思いをさせている」と確信しているような方に対してで、このような対人恐怖を我々は重症型と呼んでいます。自分のにおいが他人へ不快な思いをさせているというのは現実にはないことですから「妄想」ということになります。このように自分から相手へといった現実にないことを確信していても、加害―忌避(害を与えて相手が避ける)の構造が保たれていると、対人恐怖症の枠内で捉えられ、森田療法の適応になります。また、強迫神経症の中では強迫観念が森田療法の適応で手洗い時間が長いといった強迫行為を伴っている方へは森田療法を実施するのが困難とされてきました。しかし現在は強迫行為の激しい方に対して薬物療法を積極的に併用して森田療法の治療効果をあげております。少々専門的な説明になってしまいわかりづらいかもしれませんがお役に立てれば幸いです。
(舘野 歩)

「ミスが怖い!」'07.08

Sさんは、仕事に際して、ミスが怖くて確認をやめられないという切実な悩みを書き込まれました。
 このフォーラムの多くの読者の方が、共通の悩みをお持ちではないでしょうか。このような症状を不完全恐怖(誤りや見落としがないかという強迫観念)と呼び慣わしています。おそらくSさんは完全欲が強く、仕事に対する責任感の旺盛な方なのでしょう。つまり仕事は「きちんと着実にやらなければならない。自分のミスで仕事に支障を来たしてはいけない」という心の構えが人一倍強いのだと推察します。そのような姿勢を持つのは、仕事上大切なことです。「仕事なんか適当でいい。支障を来たしたっていいや」という人がいたとしたら確かにミスへの恐れは持たないでしょうが、そんな姿勢では周りの人が困ってしまいますね。

Sさんのように「きちんとやらなければ」という構えが強ければ強いほど、「ミスをしたらどうしよう」という恐れもまた強くなるのは自然の心理です。どうやらSさんは、「何かあったら皆で解決していけばよい」と自分に言い聞かせて、そのような恐れをなくそうと努めているようですが、このように考え方を変えようとしてもミスへの恐れをなくすことはできませんし、本来自然な恐れをなくす必要もありません。問題はミスへの恐れを抱いたときの対処の仕方です。Sさんのように確認行為によってその恐れを排除しようとすると、こんどはちゃんと確認できたかどうか不安になって、さらに確認を繰り返すといった悪循環にはまることは身をもって体験されているはずです。このような悪循環から脱するには、ミスを恐れつつ、1度確認したら次に進めていくことが必要です。

 「それができないから困っているのだ!」という苛立ちの言葉が返ってきそうですね。「言うは易く行うは難し」であることは承知しています。たしかにそれは困難な道のりでしょう。確認したい気持ちをそのままにして先に進もうとすると、後ろ髪を強く引かれるような不全感、不快感が生じてくるのでしょう。さらに先に進んだら、髪の毛が全部抜けちゃうような恐ろしい事態が起こるような気がするかも知れません。しかし事実は違います! 何とか前に進んでいくと、不快感はゆるやかに減少していくものです。よろよろ急坂を登っていくと、ついには平坦な道にたどり着くものです。どうか1度新しいやり方を試みてください。そしてその結果を(たとえうまくいかなかったとしても)またフォーラムで知らせてください。私だけでなく、声援を送っている多くの読者がそれを待っているはずですから。

なお参考までに、ふたつの情報をお伝えしておきます。薬だけで不安をなくそうとしてもうまく行きませんが、薬は上記のようなやり方を実行する助けになることが多くあります。それからもうひとつ。私たちの施設で入院森田療法を受けた方々の治療結果を見ると、不完全恐怖のタイプ(それだけ完全欲が強い人々)は改善率が81.2%と、強迫症状の中でももっとも良好な結果でした。それだけ、森田療法的なやりかたで改善が期待される症状だということをお伝えしておきます。
(中村 敬)

「自分と向き合う」'07.09

こんにちは、Yさん。手の振るえに苦しみながら、日常の生活に頑張られている様子が良く伝わります。手の震えるままに実験本来の目的を果たそうとしているのですから、これこそ目的本位な姿勢であるといえます。

しかし、それだけではなくYさんは、実験を通じて、仲間たちと深い情緒的交流も体験されているように思いました。周囲の温かい眼差しは、Yさんに大きな安心感を与えたことでしょう。けれども、仲間たちは単に温かい言葉をYさんに送ったわけではないと思います。Yさんが弱い自分をいたずらに隠そうとせず、「実験を成し遂げたい」という正直な思いで望んだからこそ、周囲はそのことに深い共感と理解を示したのです。

このことは、神経症を克服する上で大変重要な体験であると思います。というのも、神経症の患者さんは、自分の弱みを周囲に見せまいとして、人一倍上手く振舞うことにとらわれてしまうからです。その結果、上手く振舞える自分だけが、あたかも本当の自分であるかのようにとらえがちになるのです。
しかし、弱さをもたない人間など誰もいません。むしろ弱さの中にこそ、神経症の患者さん本来の良さがあるのではないでしょうか?だからこそ、Yさんが述べられている「将来、人を癒してあげられるような人間になる」という文面には、弱い自分を生かそうとする大切な姿勢があるのだと思います。さらに、このことを踏まえてYさんにも是非、この体験フォーラムに参加し続けていただければと思います。他の方の体験を聞くことで、時に自分の認めたくない自分に気づかされることもあるかもしれません。その時は、何とも言えぬ心苦しさに駆られるものです。けれども、フォーラムで取り交わされる様々な意見や考えは、Yさんの生活に様々な示唆を与えてくれることと思います。是非頑張っていただき、本来のYさんらしさを育てていってください。

(樋之口潤一郎)

「ミスを恐れて仕事が怖い」'07.10

Rさんは「ミスを恐れて何度も確認してしまい、仕事をするのが怖い」と書いています。
「幼い頃から神経質な性格に悩んでいる」とのこと、ミスや応用がきかないのはいいかげんなのではなく、「神経質」ゆえ、とはご自分でも感じておられるよう。

きっとRさんにとって仕事というのは決してミスをしてはいけない、緊張するようなものなのでしょうね。
仕事でミスをしないように心がけるのは良い仕事をするためにとても大切なこと。でも、今のRさんにとっては「ミスをしないこと」が仕事の最大の目的になってしまい、守りの姿勢でがちがちになってしまっているのかもしれません。言い換えれば「良い仕事をする」ために「ミスをしないように心がける」はずなのに、その手段と目的が逆になってしまっているのです。

そこで、もう一度「仕事の目的」を取り戻してみましょう。「今日の仕事の目的は何か」「この仕事全体の目的は何か」という視点です。
森田先生が丸太の橋を渡るとき、足元ばかり見ていると足がすくみ、うまく動けなくなる、向こう岸をみつめて渡ると、緊張と弛緩のバランスがとれると書いています。

そのように目的を見据えて仕事をしていくと、そのときどきの必要なことに注意が向いていくのではないでしょうか。
付け加えると、焦りから浮き足立つと、ますますミスは増えるもの。焦ったときこそ一呼吸置くようにするとよいでしょう。
もうひとつ、「家でもミスがないか思い出して気が休まるときがない」とのこと。家ではそのときの目前、すなわち家事であったり、趣味であったり、休息であったり、に向かうようにしましょう。
ぜひ「神経質」を生かして、「良い仕事がしたい」という欲望を発揮していってください。

(塩路 理恵子)

「出来ることと、出来ないこと」'07.11

 Hさんが悩んでいること、すなわち「恐怖そのもの、苦痛そのものになるにはどうしたらいいのか」という問題は、おそらく神経症に悩む多くの人が直面するものでしょう。
Hさんは、便をもらす恐怖、歯医者の恐怖、暗闇の恐怖など様々な恐怖を体験しています。そしてそうした恐怖を抱きつつも、歯科の治療を受け、買い物もし、出先でお茶も出来たにもかかわらず、それがなかなか評価できず、恐怖にさいなまれてしまう自分を情けないと訴えています。また「恐怖そのもの、苦痛そのものになれば何も感じなくなると思っているのですが、それは間違いでしょうか?」と書かれています。では、「恐怖そのものになる、苦痛そのものになる」というのは果たして意識して(心がけて)出来るものなのでしょうか?

森田先生は次のように述べています。
「“はからわざる心”も同じく一つの心の態度であるが、これを教えられる人が、これを一つの事実として見ず、一つの手段として考えるときに、“はからわざらんとする心”が、すなわち“はからう心”になって“一波を以て一波を消さんと欲す、千波万波交々起こる”というふうに、ますますこんがらかってくるようになる」。また「“苦痛を苦痛として受け入れるようにしよう”ということは、その“受け入れよう”と心がけることが“思想の矛盾”となって、その受け入れることがますます苦しくなる」とも述べています。つまり、受け入れよう、はからわないようにしよう、と心がけた時点で、それははからいになるのであって、より一層心の葛藤を強めてしまうと指摘しているのです。

私達は、日々生活をしている中で、様々なことを考え、そして感じています。それは楽しい、嬉しいといった好ましい感情の時もあるでしょうし、不安、苦しみ、怒り、悲しみといった受け入れがたい感情の時もあるでしょう。その際、好ましい感情であれば歓迎されますが、そうでない場合は当然不快になり、それを避けたい気持ちになります。様々な感情が自然に生じてくるように、受け入れがたい感情を嫌だと思う心も自然なのです。
しかし、神経症に悩む人々は、それをも克服しようとして、さらに葛藤を強めてしまうのです。Pさんも記載しているように、歯医者さんを恐い、嫌だと思う人はとても多いはずです。暗闇が恐いと思う人も沢山いるでしょう。そして、そうした恐怖心を取り去りたいと思うのもまた自然なことなのです。恐怖そのものになりきろうとすることが、また新たなはからいを生んでしまうとしたら、どうしたらいいのでしょうか。恐いことも、また恐がる自分が嫌で何とかしたいと考えてしまうことも、自然の事実として受けとめるしかありません。「嫌だなあ・・・」と思いつつでいいのです。しかし、そこでどのように振る舞い、行動するかは自分の力で何とか出来ることです。Hさんが、恐々でも歯医者に行き、買い物をしたように。それを続けていく中で、少しずつそれを受けとめる自分が育っていくはずです。
受け入れがたい感情に襲われた時は、まず「出来ることと、出来ないこと」を分けてみたらどうでしょう。そして、出来ること(行動)に力を注いでみましょう。淡々と経験を重ねていくと、そのうち、様々な感情と付き合っている自分にふと気付くと思いますよ。
(久保田 幹子)

「いよいよ正念場に」'07.12

 ★質問:
  • ずっと自分の行動などの数を数えてしまうという症状に悩まされていますが、今までは頭の中で「現在の数は、6ではないか」などと実際の数ではない数にして強引にごまかしたりしていましたが、とらわれが強くそれができなくなり、いよいよ数をごまかせなくなって、このままずっと数えてしまうのではないかという恐怖が強くなってきました。今まで数えてもいなかったトイレの回数や寝る回数など自分でもバカバカしく思う行動の回数を数え始めたり、自分でも正念場にきてると感じています。ごまかすのは無理なので、もうずっと数えててもいいと考えて背水の陣のような心境になるしかないと思います。頭の中でぐるぐる数えて、数を確認したりごまかそうとしたり、頭がぼ〜っとするので車で事故ってしまいそうになりました。
    こういう恐怖や症状を認めてあげて、やるべきことを強力にやっていきたいと思うのですが、ちょっとめげてきそうです。
    でも少しずつでも頑張って生活していくしかないと思うので、やるべきことを一生懸命やっていこうと思います。
    どうしてもごまかそうとしてしまうのですが、そのままやるべきことをやっていくしかありませんもんね。
    愚痴を言ってすみません。あまりにも辛い状態でしたので、お許しください。
    なかなか自分と付き合うのが大変だな〜と思ってしまいます。
 ★回答:
  • ずっと自分の行動などの数を数えてしまうという症状に悩まされる、とのこと、強迫観念のようですね。不安から必要のないことが頭に浮かび、考えてしまうといった症状です。
    また、このままずっと数えてしまうのではないかという恐怖が強くなり、今まで数えてもいなかったトイレや寝る回数などバカバカしく思う行動の回数を数えることがあり、自分でも正念場にきていると感じる、とは大変ですね。症状の波にお悩みのようです。
    神経症の不安というものは様々な対象へと移ることも多いものです。バカバカしく思えることこそ辛いものですよね。よく我慢していらっしゃいます。また、そのままやるべきことをやっていくしかない、愚痴を言ってすみません。あまりにも辛い状態でしたのでお許しください。 とこのこと、辛い中でも前向きなお言葉、頭が下がります。
  • 神経症は必ず良くなると思いますが、良くなるまでの期間は長くかかることも多く、時にはとても辛く感じられることもあるかもしれません。愚痴が言いたくなって当たり前です。十分に努力をなさっておられるからこそ、愚痴も言いたくなるのです。そのお気持でいいのです。その中でも前向きでいようとする、その態度が尊いのです。どうかご自分を責めないでください。その上で、自分と付き合うのが大変だと思う、とあります。しかし、自分を変えたいという向上心があれば、自分と付き合うことは大変なものです。向上心があるからこそ、大変なのです。その感覚はまっとうなものです。それでいいのです。
  • さて、強迫観念を克服するためには何が重要か、考えてみます。
    Tさんは、もうずっと数えてもいいと背水の陣の心境になるしかない、恐怖や症状を認め、やるべきことをやっていきたいとも言っておられます。確かに森田療法では、不安や恐怖をあるがままに認めることが大切、といいます。
    しかし、この意味は不安や恐怖、症状につけこむ隙をあえて与える、ということではありません。不安や恐怖を受け入れるのはあくまでも目的に沿った行動をした上でなのです。
  • 森田療法の最大の目的とは不安や恐怖を受け入れることではなく、どんなときでも目的本位の行動に取り組めることです。Tさんは背水の陣と言われていますが、症状を受け入れる覚悟ではなく、何があろうが、症状があろうがなかろうが、やるべきことをきちんとやる、そのような覚悟が重要です。
    ある患者さんはその感覚を「躊躇しない」と言い、強迫観念を持つ別の患者さんは「不安を跳ね飛ばす」と話していました。不安や症状に気を遣うことはありません。気を遣えばそれらにエネルギーを与え、強めてしまいます。難しいことですが、数えようが、数えまいが、毅然と目前のやるべきことに立ち向かってください。重要なことはやるべきことがやれているかどうか、それだけです。
    運転時は運転に集中してくださいね。治療はその取り組みの積み重ねです。途方もない苦しみを耐え抜き、いまも前向きでおられるtarkさんなら、背水の陣の覚悟でよくなるまで取り組めると信じております。今の気持ちで頑張ってください。
    (鹿島 直之)
「話し上手は聞き上手」'08.01

 Sさんが人といる場面でうまく対応できずに悩み落ち込んでいます。友人といる時に話を聞くのが面倒になった思いが表情に出てしまい、雰囲気を壊してしまったと気にしています。また、時には気を遣うあまりに変なことを口走ったり、早口になったり、どもったりするとのことです。

人に嫌な印象をもたれないように(嫌な気分にさせないように)しようという思いから、自分がきちんとした態度や発言をしなければいけないと意識してしまうのですね。けれどもそうすることで意識が集中し顔が引きつったり早口になったりする悪循環になっていないでしょうか。「話し上手は聞き上手」とも言います。まずは聞き役になりその場にいることを目標にしてはいかがでしょうか。最初は興味がわかない内容でも話を聞いているうちに興味が湧いてきて、そのうちに不思議とその場に合致した返答も出来るようになってくるものです。

 今後お子さんが欲しいと考えられる一方で、子供の活動の広がりに応じて生じる付き合いを心配されているようです。お子さんにとって必要な場においてもまずは聞き役になって、その場にいることを目標にしたり必要なやり取りをすることから始めてみてはいかがでしょうか。
自分の不安から人と接するのを制限するのではなく、seikoさんが書いているように、今後いろんな人と出会い、いろんなことを楽しめるとよいですね。
(矢野勝治)

「成功することも、失敗することもある」'08.02

Mさん、こんにちは。「人とうまくしゃべれない」ことに悩んでらっしゃるようですね。これから就職活動をされるとのことですから、多くの人と接する機会があることでしょう。そのようなことを考えれば、ますます悩みが深くなることは大変、よく理解できます。

Mさんの「人とうまくしゃべれない」という気持ちを「森田療法」の観点から考えてみますと、次の2点が言えると思われます。

  1. Mさんは、人と上手にコミニケーションを行い、相手と良好な関係を構築したいと考えている。そして、円滑な就職活動を展開したいと思っている。
  2. 「人とうまく話さなければいけない」と言わば「失敗してはならない」と考えているのかもしれません。いかがでしょうか?

1、2のように考えることは何も不思議なことではありません。
我々人間は皆「よりよく生きたい」と考えるものです。しかし、そうした考えにあまりとらわれすぎてしまいますと、かえって萎縮した生活になってしまうかもしれません。では、どうしたら良いのでしょうか?
まず第一点、我々、人間はいつも成功するとは限りません。時には失敗したり、うまくいかない事もあるものです。そうした、「成功することも、失敗することもある」という現実に起こりうる可能性を念頭に入れましょう。そして「人とより良い関係を作りたい」というMさんの気持ちに素直に従って、恐る恐るで良いですから、必要な関わりを必要に応じて行動していくことを心がけていきましょう。そして、決して「うまく」話す必要はありません。伝えたい「内容」が相手に伝われば、Mさんの目的はまずは果たされるはずです。
さあ、恐る恐るで構いませんから、あせらずゆっくりと行動していきましょう。
(川上正憲)
「本当は何を求めているのだろう?」'08.03

 Aさん、対人恐怖でかなりお悩みのようですね。実際にお会いしていないので確実なことは言えませんが、Mさんがおっしゃるように、書き込まれた文章を読む限り、文の内容が道筋通っていないことはなく、何か別のひどい精神疾患とは考えにくいですよ。
それは「辛い」とおっしゃっても今の係りを引き継ぐために出勤していることや、帰宅後家事をするほどのエネルギーがあるからです。
そして外出したとき職場の人と会ったらどうしようと思うのも対人恐怖の症状です。森田療法が合わないのではと感じられたのはどんなところでしょうか?

森田療法に対する誤解でよくあるのは、「対人恐怖症状を我慢して仕事にでる」といった見解です。Aさんはこのように森田療法を理解されていらっしゃることはありませんか?
症状の我慢比べはある意味、森田先生の言う「症状測定器」になりがちです。対人恐怖の症状の背後には「まわりの人からよく思われたい」という強い欲求があるのです。つまり欲求の過大さがあるから対人恐怖症状、不安があるわけです。このあってよい不安を排除しようとすればするほど不安にとらわれていきます。まず不安を排除する姿勢をやめてみましょう。

森田先生は「結局われわれは、静かに自分を見つめるときに、自分は、果たして、何を求めつつあるかということを知らなければならない」と述べています。Aさんも本来自分は何を求めているのだろうか見つめてみましょう。
本当は緊張していて他人を避けたいのではなく、他人とうまくやっていきたい欲求があると思いますよ。不安をまるでカバンのように持ちつつ、Aさんの健康な欲求をいかしていって下さいね。職場でAさんが自己を生かせることを祈っております。
(舘野歩)

「大切な仕事ほど緊張も強い」'08.04

 Jさんはご自分のジレンマについて書き込まれました。パソコンを教える仕事がしたいと思ってインストラクターになったが、生徒や上司との関わりに苦痛が大きいこと。一方、朝だけのアルバイトでは楽しく仕事ができるが、それだけでは生活できず、どうすればいいのかというジレンマです。
 Jさん。やりたいことと現実の仕事との違いに失望している人や、そもそもやりたいことがわからないという人が多い中で、やりたいと思った仕事に就くことができたのは、幸福なことです。きっとそれ相当の努力もされてきたのでしょうね。やりたかったインストラクターの仕事であるだけに、大切に考え長く続けたいと思っておられることでしょう。そのように真剣であればあるほど、上司や生徒からよく思われたい、評価されたいという欲求も強くなります。逆に言えば、悪く思われないだろうか、否定的に評価されないだろうかという恐れも強くなり、不安や緊張を招いて人と接すること自体が苦痛に感じられてくるのです。他方、アルバイトの場合は、片手間仕事でいつ辞めてもいいという思いがあるのでしょう。その分だけ、悪く思われないかという恐れも少なく、いわば気楽に人と関わることができるのでしょう。こうしてみると苦痛の程度は、その仕事が大切であり真剣に取り組んでいることを示すバロメーターともいえます。
 Jさんは、苦手だからと辞めてしまえば早いが、苦手を何とか乗り越えようと努めておられるようです。そうです、Jさん!まずはインストラクターの仕事を粘って続けていくことです。ところで、教えるという仕事には必ず教えられる側、つまり生徒が存在します。Jさんは、相手から自分がどう思われるかということに注意を奪われがちなようですが、生徒もまた、先生からどう思われるかということをかなり気にしているはずです。「こんな基本的なことも知らないなんて、先生に馬鹿だと思われないだろうか」などとビクビクして、質問をためらっている生徒だっているかもしれません。よい先生とは、相手の反応にお構いなくどんどん説明を進めるのではなく、生徒の気持ちを敏感に察して、質問しやすいように間をあけたり、理解の程度を見ながら懇切丁寧に教えることのできる人です。Jさんは、自ら対人恐怖の経験をお持ちですから、他の人以上に、そのような生徒の気後れに気づくことができるはずです。どうかぜひ、神経質を生かして、生徒の心情に細やかに配慮しながら指導をする、よきインストラクターを目指してください。そのようなことに心を砕いていけば、生徒からの信頼も、ひいては上司からの信頼も自然に得られるはずです。「愛想はよいが、指導の雑なインストラクター」より、「口数は少なくても、指導が丁寧で親切なインストラクター」に信頼が集まるのは当然の帰結ですから。
(中村 敬)
「ありのままの自分とは?」'08.05

 Kさんは、「自分自身を表現していない」と言われて、自分をさらけ出したり、ありのままの自分を表現するにはどうしたらいいのかと書かれています。自分自身を出すということは、恥部や格好悪い点も出すことになり、そこに抵抗を感じてしまうと・・。
 でも、自分の全てをさらけ出すことに抵抗を感じるのは、とても自然な心ではないでしょうか?恥部や格好悪い点をなるべくなら見せたくない、それは誰しも思うことでしょうから。相手と関わり、それなりにお互いを理解し、安心感を持てたときに、人は弱い自分や格好悪いところも見せられるのではないでしょうか。
 では、自分自身を表現するとは一体どんなことなのでしょう。またありのままの自分とはどんな自分なのでしょう。
 案外、ありのままの自分をよくわかっていないのも、また自分なのかもしれません。また自分自身を“表現しよう”と気負ってしまうと、本来の自分がわからなくなってしまうかもしれませんね。

 人付き合いに対して苦手意識があると、どうしても相手がどう思っているか、どのように自分を見ているのかに注意が向いてしまい、肝心な自分の気持ちが後回しになってしまうものです。また、相手を見ているようで、実は思惑ばかりを気にして、本当の相手の姿を見ていないということがあります。まず表現するためには、自分がその時に何を感じ、何を考えているのか、どんなことに関心を持ち、どうしたいのか・・・など、自分自身を知る必要があるかもしれません。
 知るといっても、大袈裟に考える必要はありません。自分が楽しいと思ったとか、寂しいと思ったとか、もっと相手のことを知りたいと思ったとか・・・素朴にその時に感じたこと、考えたことをそのまま味わってみるのです。そうした自分の心の声を感じた時に、とりあえず不器用でもいいから、それを声に出してみたらどうでしょう。それこそ、ありのままの貴方の声ではないでしょうか。
 相手の思惑を気にしたり、ちゃんと自分を表現しようと身構えれば、こうした素直な感情は心の底に押し込められてしまいます。うまく付き合う術を書物に頼るとうまくいかないというのも、こうした構えを強化してしまうからでしょう。「どうすればいい?」という問い自体が、すでに素直な感情から離れた、How to になってしまっているのですから。

 恋愛にしても、通常の人間関係にしても、始めは格好つけるところからスタートするものです。それが、相手をもっと知りたい、どんな人なんだろう・・・という自らの気持ちに従って関わったとき、少しずつお互いの心の扉が開かれていくのではないでしょうか。最初から全てをさらけ出したら、逆に相手はビックリしてしまうかもしれませんよ。
(久保田幹子)

「いらいら、腹立ちと森田療法」'08.06

Sさんは「小、中学、高校生に対して異常なほどいらいらする、と書いています。 Sさんは同じくらいの年代で、「普通こんなことしないでしょう」「自分はちゃんとしているのに」という気持ちなのか、あるいは彼らより上の年代で、「公共の場で何をやってるんだ」と思うのか・・。
いずれにしても、マナーの悪い学生たちを見て、悟ったように静かな気持ちでいる、というのも無理な注文かもしれません。

神経症の人は、いらいらなどの感情が流れず、持続しやすいようです。
森田先生の言葉をそのまま引用してみましょう。

 「いたづらに自分の腹立ちの気分に執着し自分は腹が立たなければ楽であろうに、なんとかしてこの苦しみがなくなればよいとか、そのことばかりに集中するから、いつまでも忘れられない。ただ腹がたつままに、しかたなしに放任しておけば、自然に我々は「心は万境に随って転ず」という風に、いつのまにか、ほかの事柄に、心が紛れて、じきに忘れてしまうはずである。これが自然の心である。」
また、柱にぶつかったときに喜び、足元から鳥が飛び立って落ち着くというわけにはいかない、とも言われています。

 森田先生は、そんなとき、自分の腹立ちはそのままにもちこたえていて、そのときどきの相手に応じて必勝の方法を考える、という方法を挙げています。相手によっては、例えば親や上司だったら婉曲に、パートナーが相手だったらなだめたりすかしたり・・。そんな工夫を考えているうちに、腹立ちの気分も流れている、というのです。

 Sさんの場合、腹立ちまぎれに、という訳にもいかないから、どうして自分はこんなにいらいらするのだろう、と分析したり、青少年を巡る社会問題を考えてみたり、という感じでしょうか。イライラを分析してみると、自分の疲れや余裕のなさなどのコンディションに気づいたり、自分の重要視していることに改めて気づいたりするものです。
 Sさんの一日が、学生さんたちへのいらいらで塗りこめられてしまっているとしたら、ちょっともったいないかな、と思います。 仕事、勉強、家族、友達・・など、Sさん自身のなすべきこと、大切なことを取り戻してください。
(塩路理恵子)

「罪悪感も自然な感情」'08.07

 Gさんこんにちは。Gさんは、森田療法とめぐり合い、このフォーラムに繋がりました。その後、不安の中でも、まず基本である日常生活を大切にしようと頑張っている姿が見て取れます。このことは、神経症を克服する上で大切な一歩であるといえます。ところで、Gさんは、加害強迫に長年悩まされ、そのことで生活が狭められていると感じておられるようですね。

ここで、Gさんの加害強迫の内容は、実際どのようなものでしょうか? 外出時、「自分自身の何らかの行為が、相手に危害を加えてしまうのではないか」などの強迫観念が起るために、「大丈夫であろうか」という思いを強め、確認行為に終始してしまうのでしょうか?
 もし、そうであるとすれば、Gさんは、人を傷つけてしまった際の罪悪感を、「抱いてはいけない感情である」と見なしているのだと思います。しかし、罪悪感は、そんなにいけない感情でしょうか? 私は、そうであるとは思いせん。むしろ、社会生活を送る上で、大切な感情なのだと考えます。

 文面で、Gさんは、「生き生きと生活がしたい」と語っておられます。そのことは、まさにGさんの中に、向上発展を願うだけでなく、「人と深く接したい」という欲求が存在する証であるといえます。当然、人と関係が深まれば、相手に対する罪悪感も募るはずです。しかし、このような感情を排除するのではなく、むしろ、人との関係を深める上で、他者を労わる力に転換していくことを願っています。当然、最初からこのような態度の転換が順調に進むとは思いません。やはり、試行錯誤の連続であるでしょう。けれども、Gさんの、回復を願う大切な欲求が少しずつ、実生活のあらゆる場面に生かされていく体験を積んでいって欲しいと思っています。是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)

「緊張にとらわれる」'08.09

 Gさんは自分の緊張や不安をまわりに悟られてはいけないと気にして必要以上に緊張して、親しくない人の前ではぎこちなくなってしまい、愛想がなく冷たい人だと思われがちだというように人間関係で悩まれています。大学卒業後アルバイトをされたものの、人との関わりへの恐怖感と体力的にきついことから2ヶ月で辞めてしまったとのことです。これから先就職を考えているようですが、今の状態ではどこでもやっていけないのではないかと不安になるようです。

 一般的に親しくない人の前では誰しも緊張するものです。人とうまくやっていきたい、よく思われたいと思えばなおさらです。しかしGさんは緊張している自分を知られることを人一倍恥ずかしいことと苦にしているようです。緊張を悟られると大変なことが起こると思っていませんか。けれども事実はどうでしょう? Gさんが誰か他の人の緊張に気づいたとしたら、相手のことをどのように思うでしょうか? もうその人との関わりをやめてしまうでしょうか?
恐怖は想像によってどんどん事実とかけ離れていくことに気づいていただきたいところです。さてGさんは挨拶が苦手とのことですが、どうしても出来なければ会釈だけでもよいと思います。会釈のときに声が出るようであれば声を出して会釈してみましょう。それが挨拶となります。また、感情を表現することばかりを気にせずにその場に居て人の話を聞いているだけでも良いと思います。今後就職を考えているようですが、仕事の場面を想定すると、自分がどう見られるかが気になると思いますが、仕事ではリラックスして話すことよりも、緊張しながらでも必要な会話をかわし、しっかり仕事をやり遂げていくことが大事です。そのような仕事ぶりであれば、おのずから評価されることに繋がり信用を得られると思いますよ。
(うまくやろう)や(どうにかしたい)思いが生活場面で結実するとよいですね。頑張って下さい。
(矢野勝治)

「仕事増やしました」'08.10

 Jさん、薬局事務の仕事を始められたのですね。失敗したら気にしてしまう自分を感じつつ、何とかやってみようと思っている、これはとてもいいことですね。まさに目的本位の行動です。
なお、失敗を全く気にしないようでは困ります。Jさんはきちんとやりたいという気持ちがあるから気になるのです。それでいいのです。気にする心理を生かし、注意深く取り組んでください。
また、新しい仕事でうまくいかないことがあって当たり前なのです。失敗したからといって自分を責めたり、こだわりすぎる必要は全くありません。失敗に気づいたら次の行動の参考にしてください。Jさんは自分の失敗にきちんと気づくことができる人のように思います。神経質はいい性格です。それを生かしていきましょう。
さて、勤務なさっている調剤薬局で自分のデプロメールをもらえるか、勇気を出して聞いてみたら、小児科が主なのでなかった、とのことですね。その時「ドン引き」された気がして「聞 くんじゃなかった」と感じている、これで不利に立ったらどうしよう、とも不安になっているとのこと、大変お疲れ様です。お気持ちはごもっともですね。ただ、服用している薬を、自分が勤めている薬局で処方してもらえるのであれば、手間は省けるし、売上になるしで、聞いてみたくなるのはごく当たり前です。聞かないでいるほうがむしろ不思議なくらいです。不安の中で、勇気を出されたのは目的本位の行動であり、これはとてもいいことですので、全く後悔する必要はないと思います。

 また、Jさんは、聞いた時に相手が「ドン引き」したように感じたのことですが、私の思うところをお伝えします。Jさんのように、デプロメールを服用しながらでも、新しい仕事に取り組んでいく姿勢はとても大切なことなのです。新しいことに取り組む時には不安が強いものです。デプロメールによって不安が和らぎ、取り組むことが可能になるのであれば、服用はとても重要なことだと言えます。

相手がどのように感じようが、Jさんは何ら間違っていません。
むしろ目的本位の行動をとるために、服薬を含めいろいろな努力をなさっておられるのです。不利な立場になる理由は全くないはずです。もし、今の職場から精神状態について確認されるようなことがあるなら、主治医の先生とも相談してきちんと話し合えばいいだけです。勇気があるJさんならできると思います。Jさん、頑張ってくださいね。いろいろと気になることが多い中だからこそ、取り組む価値があるのです。
(鹿島直之)

「千里の道も一歩から」'08.11

 Pさん、こんにちは。「人見知り」でお悩みのようですね。文章を拝見すると、悩みを抱えながらもアルバイトをしたり、自動車学校に通ったりと、前へ前へと進もうとするエネルギーがあることを感じます。こうした前へ前へと進もうとするエネルギーがあることは大変重要です。

 そもそも、「人見知り」とは「相手に自分がどのように思われているかを必要以上に気にしすぎる故に生じる」ものと思われます。こうした「相手にどう思われるかという気持ち」の背後には、必ず「人に良く思われたい」という願望が存在するものです。「人に良く思われたい」と思う気持ちはなにもおかしくありません。
しかし、その感情が強すぎると「人に良く思われなければならない」と思う人もあるかもしれません。こうなると、「人に嫌われてはならない」といった形で自分自身を追い込んでしまう形になります。

 こうした悪循環に陥らないためには、

  1. 自分自身に浮かんでくる不安は不安のままに抱えていくようにしましょう。「人に嫌われたらどうしよう」という不安は何も異常なものではなく、「人に良く思われたい」と思えばこそ生じる自然な感情です。こうした生じるべくして生じている不安にとらわれて、不安をやりくりしようとする努力はかえって不安を強くしてしまいます。
  2. こうした不安を抱えながらの姿勢で、Pさんに内在する前へ前へと進もうとするエネルギーにしたがって、コツコツと目標に向かって取り組んでいきましょう。
  3. それから、物事の結果はすぐに現れるものではありません。人間関係にしろ、アルバイトにしろ、地道な努力を必要とするものです。自分の思い描く結果が直ぐに出ないからと言って途中で投げ出してしまうのは大変勿体無いです。千里の道も一歩からです。結果だけを目標にせずに、1日1日のコツコツと努力するプロセスを大事にしていきましょう。
(川上正憲)
「緊張をなくそうとする戦いをやめる」'08.12

 yさんは会議など大勢の前で発言する際の過度の緊張感とその為の疲れ、また、その際に人からどう見られているのかが気になって困ってらっしゃるのですね。きっと多くの方に共通する悩みなのではないでしょうか。

 ここに掲載されている他の方々の体験談なども参考になると思いますが、今回はそのエッセンスをお伝えします。文面から推測すると、yさんは会議などで発表する際にはきちんとしっかりと発言したい、という気持ちが強いのだと思います。自分の意見を伝える為にはそのような気持ちは大切なことだと思います。

 しかし、自分の意見を伝える為には「緊張していてはいけない」「表情が険しくなってはいけない」という考えが強すぎるという事はないでしょうか。実際、大勢の人の前で自分の意見を言う場面では他の人から自分はどう見られているのかが気になるものですし、やはり緊張するものです。にもかかわらず、「緊張している自分を見せてはいけない」という思いが強い為に、常に「自分が緊張しているか」を観察しているのではないでしょうか。そうだとすれば、注意は会議の内容ではなく、常に自分自身に向いており、その為に会議の内容が頭に入りにくくなっているのではないでしょうか。注意が自分自身に向くとますます緊張は強くなっていくものです。

 もし、この事が当てはまるようでしたら、今までと違うやり方を試みてはいかがでしょう。
それは何か言おうと焦る前に、先ず他の人々の発言にしっかりと耳を傾けるということです。「聞き上手」になることができれば、おのずから何をいうべきか、適切な内容が頭に浮かんでくるものです。そして言うべきことが浮かんだら、緊張をなくそうとする戦いをやめ、緊張したまま、表情がこわばり声は震えていても自分の伝えたい事を発言することです。大切なのは緊張したかどうかではなく、自分の意見、会議の内容に沿った適切な意見を伝えることができるかどうかです。このような姿勢で行動することがyさん自身を大きく変えてくれるはずです。 (谷井一夫)

「60%主義で」'09.1

 Pさん、孤立してしまうことでさぞかしお辛いと思います。そんな中でも息子の授業参観へ恐怖突入してこられたのはそれだけ息子さんを思い必要なことだからですよね?

 森田療法で恐怖突入という言葉があります。もちろん、恐怖を避けるより突入した方がよいのですが、えてしてその際自分の症状が現れるか否かだけを基準に考えている方によく私はお会いします。森田先生はこのような時患者さんに対して「症状測定器」と言っています。つまり孤立するかしないかを基準にして色々な場面へせっかく頑張って行っても結果を同じように孤立したか否かで判断するとまたそこでがっかりするといった悪循環へ入っていってしまいます。「孤立している」と思う裏側にはやはり「人と交流していきたい」といった気持ちが強いのだと思います。

 森田先生の著書「神経衰弱と強迫観念の根治法」に20歳の赤面恐怖患者を治療した記録があります。患者さんの「自分は事実、今一人の友人もなく、、、」。と言ったことに対し森田先生は「それは交際を求めてくる人さえも、自分がこれをすなおに受け入れないからである。人に負けるのがいやだからである。盲人がやたらに眼明きを邪推して、すね、いこじになるようなものである。自分が気の小さいことをありのままに打ち明ければ、真の友人として交りにくる人はいくらでもある。自分の本心が孤独を好むのではない。負け惜しみである。勝とうとあせるから負ける。負けるがままに捨て身になれば必ず勝つものです。」とコメントしています。

 ご参考になればと思い森田先生の言葉を載せました。
先程「孤立している」と思う裏には「人と交流したい」という気持ちが大きいと書きました。例えば、周りの人皆と仲良くなりたいと思ったりはしていませんか?何も周り全員と仲良くならなくても自分と気の合う人がいればよいくらいの気持ちでよいと思います。

 近い将来の親の葬儀でどうしたらよいか不安とありましたが、その際「堂々ときちんとしなければいけない」と思ってはいませんか?誰しも親の葬儀で気持ちを取り乱し皆の前で話す時にたどたどしくなったりすることはむしろ自然なのではないでしょうか?ここではあまり完全主義になりすぎず必要なことが言えればよいくらいの心構えでよろしいのではないでしょうか?
(舘野歩)

「無理に目を合わせる必要はない」'09.2

 Aさんは、上司の方の視線が気になり、目を合わせるのが辛くなったとのこと。表情もこわばるようになり、それ以来相手に無視されたように感じて悩んでおられるのですね。

 Aさんの症状は、視線(正視)恐怖および表情恐怖と呼ばれており、対人恐怖症状の中でも頻度の高い悩みです。誰しも他人の視線を意識したときは、多少の緊張を覚えるものです。特にそれが上司など目上の相手であれば、自分がどう見られているか気になるのも当然です。おそらくAさんは仕事熱心で、その上司からも好まれたい、高く評価されたいという願いが強いのでしょうね。それだけに、嫌われはしないか、マイナスの評価をされないかという不安も強く感じられるのではないでしょうか。

 またことによると、「相手の目を見て話をしなくてはいけない」という「?すべき」の考えにいささかとらわれてはいないでしょうか。無理に相手の目を見ようと頑張れば、顔にも力が入ってしまいそうですね。
さらにAさんは、顔のこわばりを感じたということから、不機嫌そうな面構えになった(どうしてそうだと分かるのでしょう?)→相手は自分を嫌っているという思い込みに陥ってしまったようです。こうなると、先に結論ありきで、相手の態度のなかで不都合な部分をいつしか探し出すようにもなります。「会っても挨拶されなかった」とありますが、そもそもAさんはそのとき自分から相手に挨拶したのでしょうか? もしかすると上司はAさんに気づかなかったかも知れません。あるいは気づいていたにしても、Aさんがこわばった顔を見られないようにと顔を向けなければ、相手も挨拶しにくかったかもしれません。

 緊張しないようにと努めれば努めるほど、かえって自分を意識して緊張がつのってしまいますし、緊張した姿を見せないようにとはからえばはからうほど、相手を遠ざけてしまうことになります。したがって大切なことは、緊張したまま、避けずに必要な会話をかわすこと、自分からはっきりと挨拶をするよう心がけていくことです。また会話の最中、ずっと相手の目を見ていることはかえって不自然ですし、目上の相手に対しては失礼にもなりかねません。相手の口元からネクタイの結び目のあたりに目を向け、時折目を見るくらいが自然な態度です。

 これから森田療法の勉強を通して、上記のような心のからくりに気づくことができれば何よりだと思います。本を読むだけでなく、このフォーラムの多くの人たちのやり取りを見れば、Aさんにとって沢山のヒントがあると思います。
(中村 敬)

「恐怖への突入よりも、未来への一歩と考えよう」'09.3

 Sさんは、これまで活発だったのが、卒業式のお別れ会で顔がひきつったことを機に、顔のこわばりを気にするようになったそうです。学校も行かれなくなり、かなり自信を失ってしまった今では、仕事をしたいと思うものの、予期不安から恐怖突入出来ない・・・と悩んでいました。

 Sさんも自分自身について「人に良く思われたいとか・・・自意識過剰」と表現していますが、対人的なことに悩む方の大半は、人との関わりをとても求めているのです。しかしその分、相手から好かれたいとか、良く思われたいという欲求が非常に強いために、些細な失敗もしてはいけない、それは恥ずべきことととらえ、思い通りにならない自分にとらわれていってしまうと言えます。

 Sさんも「普通にしようとすればするほどおかしくなった」と書いているように、人前でちゃんとしようと思えば思うほど、人の目に映る自分がどうであるか、あるいは期待通りの自分になっているかどうかに注意が向いてしまいます。そうなると、当初は『人と関わりたい』願望が強いがゆえに、相手の評価が気になったはずなのに、もう目の前にいる相手は二の次になってしまい、理想の自分との格闘になってしまう。そして、理想通りに出来ない自分ではダメ、と考えて、関わること自体をやめてしまうのです。これでは本末転倒ですね。

 こうした悪循環から脱出するために、森田療法では“気分本位ではなく目的本位に”とか、“恐怖突入”といった姿勢を促します。Sさんは、何とか試みたいものの、どうしても恐怖突入出来ない・・・とおっしゃっているわけです。確かに「恐怖」に「突入する」と文字通り受け止めると、とても怖いですよね。当然、躊躇もすると思いますし、少しでも怖い思いをしないように・・・と、また自分を万全に整えようとしてしまうでしょう。

 そこで、ちょっと見方を変えてみたらどうでしょうか。ここでいう「恐怖」とは、日頃、苦手と考えて避けている場面です。しかし、もともとはとても求めている場面でもあるのです。単に人との関わりが嫌いなのであれば、避けている自分に悩むこともないのですから。健康で前向きな欲求が、どうしてここまで恐怖になったのか?それは、そのあとの結果まで射程に入れてしまうからです。例えば、泳ぎたいと思うことと、泳げることは別ですよね。あるいは、金メダルを取りたいと思うことと、取れることも当然別の話です。しかし、神経症に悩む人たちは、「〜したい」と思うことに必ず思い通りの結果がついてくることを期待し、またそうでなければいけないと考えてしまいます。しかし、結果が保証されているものなど何もありません。だから、そこに踏み出すことが恐怖になるのです。

 Sさんは「男性をへんに意識してしまうし、顔がこわばる」と悩んでいますが、異性を全く意識しない人は存在するでしょうか?関心があるから、意識もするし、良く思われたいと思うから、自分を高めようとする。他者の存在は成長のきっかけにもなるのです。もちろん、お互いを分かり合うためにはコミュニケーションも必要です。その過程では誤解や衝突もあるかもしれない。しかし、そうしたぶつかり合いからお互いを深く知ることが出来るのです。まず一歩踏み出すことが、人と関わり、分かり合える友人や恋人を見つけることに繋がるのではないでしょうか。

 森田療法では、恐怖は欲求と表裏一体と考えます。恐怖に突入すると考えると、とてもハードルが高く思えてしまうかもしれませんが、その一歩が自分の望んでいた未来に繋がるととらえてみたらどうでしょう?恐怖を乗り越えるのではなく、希望に近づくために一歩踏み出してみるつもりで・・・。苦手な場面からいきなり挑戦する必要もありませんし、トントン拍子に進む必要もないのです。内心ドギマギしつつでも、とりあえず「やってみたいこと、手が届きそうなもの」から小さな一歩を踏み出すこと。それが、必ず新しい未来への一歩になるはずです。
(久保田幹子)

「対人関係に悩みながら・・」'09.4

 Pさんは対人関係に悩みながら3ヶ月アルバイトを続け、受験勉強にも励んでおられるとのこと。「周りに馴染めず、仕事をするときも他人の思惑が気になってしまい、嫌われないように行動し、結局やるべきことをやらずじまい、焦ってしまうわでいつもミスをして怒られています。」と書き込んでおられます。

 Kさんもまた、人に苦手意識を持っていて、仕事が続かなくて困っている、と書き込まれています。 対人関係は、人間が社会で生きる存在である以上必ず必要な、けれども難しいものですね。

 人との関係を大切に思えばこそ、「よく思われたい」「認められたい」ということが切なる願いとなって、うまくいかないとKさんのように「人の中にいるとすごく疲れてしまいます。怒られるとかなりショックで、緊張して、辞めたくなります」とさえ感じてしまうもの。
そんなとき、Pさんが書いているように「人間関係をよくするのは諦めて、その代わりいまやるべきことに集中する」、そんな「いい意味での開き直り」も必要なときがあるでしょう。でも、「人間関係を良くすることをあきらめる」のは、果たしてできるものでしょうか。その答えはpxoさん自身が一番知っているはずです。

 人との関わりを諦めることはできないけれど、イメージとしては、「対人関係を直接よくすることは一旦棚に上げておく」という感じでしょうか。人間関係を直接いじることはちょっとおいておいて、そのときに必要なことに向かうわけです。そして必要なことを通して人と関わるうち、自然と本当の意味で相手に必要なことも見えてくるはず。「どう思われているか気にしすぎて自分の仕事さえ満足にできなかったり・・」では、もったいないですものね。
「ひとりぼっちでもやれることがある」というPさんの言葉は「悩みを持った今の自分でもやれることがある」とちょっと修正しておきたいと思います。

 さてPさんが書いているように神経質の人は生真面目なのに、焦ったり浮き足立ってしまってミスをしてしまうことが結構あるようです。「人にどう思われているか」に意識が行ってしまい、仕事の手元から注意が離れてしまうのですね。せっかく持っているきめ細かな力、「神経質の生かしどころ」をしっかり押さえて、生活をどんどん充実させていってくださいね。

森田先生も、燃えるような煩悶の中にこそ、生きる力、生の欲望を見出しています。 大いに悩み、迷いながらアルバイトに、受験勉強に向かってください。
(塩路理恵子)


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