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総評コメント
心の体験フォーラム・症状別アドバイス集

強迫神経症のグループ

対人恐怖'98.11

強迫観念症には、強迫神経症と恐怖症が含まれます。掲示板に発言されている方の大部分は、恐怖症特に対人恐怖の人たちです。視線恐怖、赤面恐怖、電話恐怖、におい恐怖(自己臭恐怖と呼ばれます)、その他対人関係で悩む方などさまざまな恐怖が述べられています。対人恐怖の人は単に人が恐いのではありません。自分の弱点と思える症状が他の人にどのように思われるか、嫌われないか、避けられないか、を恐れ、またそのような自分がいやで受け入れることが出来ません。いってみればわれわれが人間関係で悩むことを鋭く、強く、激しく悩んでいる人たちといえましょうか。それだけ普遍的な悩みの一つであると思います。それは思春期にも、青年期にも、成人期にも、そして中年期でも表われてきます。また欧米では社会恐怖(社会的、対人的状況への恐怖)として1980年頃から知られるようになりました。森田療法の考えが役に立つと共に、集団での経験(発見会などでのグル−プ体験)が重要です。またなかなかグル−プに入れない方は専門家に相談していくことが必要です。
森田の生涯学習の重要性'98.12

“森田は生涯学習”という考え方はとても重要なことです。生活の発見会でも中間層のマンネリ化についてはよく話を聞きます。どうしても、ある程度自分の不安を克服できたと思うと次の段階が見えなくなります。森田の学習も惰性となります。しかしそれは生きること、生活すること自体もマンネリ化していることを意味します。このようなマンネリ化は常に起こります。森田療法の治療でもある時期にはマンネリ化がおこりますし、生活の発見会の学習でもでもそうですし、私たちの人生でもやはり同様です。初心に返ること、そして自分の欲望とはなにか、自分の人生とはなにか、をもう一度問い直すことが重要です。生の欲望の発揮にはマンネリはないでしょうから。
”盲従”ではいけない'99.1

心が行動へ向かっていない時期に目的本位、行動本位を強調すれば、自分で自分を苦しめてしまう結果になります。それが自分の神経症を強めてしまうこともあります。森田療法でいう行動本位、目的本位は、森田療法のめざす心のあり方へ到着するための一つの手段です。重要なことは自分を内省すること、自分の欲望を見つけていくこと、それに沿った行動を心がけること、自分を受け入れることなどです。まず森田療法に対して疑問を持つことは、その人の内省する力を養い、自分としての体験を獲得する最初のステップとなります。森田先生が嫌ったのは盲従です。その疑問を話し合うことから、自己理解や森田療法に対する理解も深まると思います。
対人関係で悩んだら..'99.2

若者らしいやりとりも盛んに行われているようです。学び、時には失敗し、挫折し、そこから成長する。大いなる目標に苦悩あり、苦悩の背後に欲望あり、人生のドラマは始まったばかりです。会社の同僚や上司などが嫌いですぐ態度や顔の表情に出てしまう悩みも対人恐怖の一種です。明るく振る舞わなくてならないし、それに疲れてしまうし。対人関係をうまくやろうとすると、失敗します。嫌なやつは嫌なやつ、変えようがありませんが、それと仕事は別と言い聞かせ、とりあえず仕事に注意を向けてみることが大切です。仕事に入ることで、嫌だという感情も変化するかもしれません。
”生の欲望”に気づく'99.3

集談会で自分の悩みが十分伝えられない、わかってもらえないという悩みは、人間にとって受け入れられることの大切さを表しています。悩みをうまく生かして、自分自身をよく理解できたらよいと思います。私たちはこのような悩みから自分を理解し、成長していくものです。このように自分を表現できたことは大切なことです。またここでのフォ−ラムでは重要な議論がなされています。離人感についての苦しみなども挙げられています。生きることの意味を探し、それを求めすぎると、逆に生き生きとして自分の感情を感じられなくなります。われわれには自ずからわきあがる悲しみ、苦しみ、喜びなどさまざまな感情があるはずですが、あることにとらわれるとそれすら注意を向けられなくなります。一つ一つの生活での行為とそこでの感情を大切にしながら過ごされるとよいと思います。悩みの背後に自分の欲望、森田では生の欲望といいますが、それを発見し、発揮していくことがわれわれにとって生きるということでしょう。これには多分理屈は要らないことだと思います。
対人恐怖の裏側に..'99.4

引きこもっている青年からのメッセ−ジが届いています。対人恐怖で悩む人は、人と接することに恐怖を持ち、そこから回避しようとしてしまいます。しかし人と接触することを避けていては問題の解決にはなりません。それは人と接するのが恐いという気持ちの背後に人一倍、人とうまくやりたい、他の人に認められたい、人間的交流を持ちたいという欲望があるのです。それをどういかすかです。人に認められたいと思う気持ちが強くなりすぎると、逆に人と接するのが恐くなります。あまりに強い人と円満な関係を持ちたい、人に評価されたいという欲望をほどほどに、自分なりと修正することも重要です。対人関係に悩む人は、一般に内弁慶で、家ではそれなりに過ごせますが、外ではだめなのです。人とうまくやるより、まず出来る仕事を優先すると発想を変えてみたらどうでしょうか。目の前の人とうまく付き合おうとする気持ちをとりあえず棚に上げてみて、まず自分で出来ることは何かを問うことです。そこから、むしろ人との関係が築けるようになります。人が周囲が見えるようになります。それが出来て始めて、他の人と人間的交流を持ちたいという本来の欲望の発揮が容易になります。
事実唯真'99.5

事実唯真がテ−マです。フォーラムにも具体的に述べられていますので、参照ください。さらに私の感想を付け加えると、結局われわれは現実と幻想のはざまで生きている。自分の思い込みからさめることが事実唯真で、そのためにはさまざまなことを知ることが重要なのでしょう。特に自分の弱さを知り、それを受け入れることが心の器を大きくし、そこから自分としての真の強さも知ることができると思います。
集談会に参加できなくて悩んでいる方がいます。集談会のあり方に疑問を持っているからです。このような時こそ、もう一度自分における森田療法を考える絶好の契機です。それは突き詰めていえば、自分の生き方への問いであり、自分の人生を見直すチャンスです。そこから新しい自分の気づき、発見、修正が見えてくると思います。
自己中心の克服'99.6

確かに私たちが成長するには自己中心性(わたくしはそれを我執と呼びますが)の気づきと修正が必要です。それは単に神経症を克服するという次元を超えて、私たちが生きるというそのもの、あるいは人生そのものと関係します。
予期不安について'99.7

予期不安ということについて考えたいと思います。手が震える、司会がうまくいかない、声が震える、吃るなど、私たちはどうしても人前での失敗を恐れます。そして失敗をあまりに恐れると、失敗したらどうしようという予期不安がつのってきます。これが曲者です。この不安を除こうとすればするほど不安が強まり、そのような場面を避けてしまいます。失敗してもよい、人前でびくびくするのも自分と思い定めれば、この予期不安は幾分かは軽くなるものです。そこから今までと違った発想が出てきます。
対人恐怖'99.8

対人場面での悩みを持つ方たちがたくさんいます。現代の社会はそれだけ人付き合いが難しい社会なのかも知れません。われわれの人間関係では、一方で自己を主張することが要請され、他方周囲との調和が必要です。対人恐怖で悩む人は、この両者のはざ間で鋭く苦しむのです。これはなかなか解決できないことですが、自分の足元を固め、自分を成長させていくことが遠回りなようでもっとも着実な方法です。
集談会のような自助グル−プで最も基本的なことは、批判なしに共感し傾聴することだと思います。人の悩みをまず共感的に傾聴する態度が重要です。また、よくなった人の体験は、悩んでいる人に重要な示唆を与えます。
われわれは人の話を聞くことから自分の体験を深め、自分をよりよく理解出来るようになります。その上で自分の体験を絶対視しない立場からの助言は重要だと考えます。そのような相互作用から私たちは、自分を理解し、修正する機会を得ることが出来ると思います。
完全主義から自然体へ'99.9

対人恐怖という人と接することに苦痛、恐怖を持つ人たちが、人と多く接する仕事が向いているのかどうかということについて、心の体験フォ−ラムで話し合われました。恐怖の裏に生の欲望があり、そして人はその欲望を決してあきらめることが出来ない。従って自分の欲望をどのように見つけて、発揮していくのか、が問題です。完全主義ではなく肩の力を抜いた60点主義あるいは自然体が望まれます。それにより自分の欲望をより素直に見つけることが出来ます。
率直に伝え、虚心に聞く'99.10

悩みの解決のためには、自分の悩みを率直に伝え、そして人の意見を虚心に聞くことから始めましょう。そこで重要なことは、自分の体験を絶対視しないことです。そこから心の成長、進歩が始まります。
フォーラムでは実用的なアイデアが提案されています。例えば「森田の言葉をいろいろな場所にはっておいて、迷ったとき、悩んだときに見ていく」というものです。行動療法でも勧める方法の一つです。強迫観念が浮かんだり、強迫行為をしたくなると、ポケットからそれを禁じる言葉の書いたカ−ドを取り出します。それを見ることで、とりあえず次の行動に移るように心がけます。古今東西人間のすることには多くの点で共通点があります。
強迫現象'99.11

強迫現象ということについて感想を述べます。フォーラムで発言されている方々を私は簡潔に完全主義者の挫折だと理解します。現代社会は常に完全であることを要求します。私たちも完全でありたいと思うわけですが、それが行き過ぎると自分で自分を縛ってしまいます。元来不完全な私たち人間を認めていくことから、私たちは成長し、自分の完全欲を現実に生かしていけると思います。
イライラする時は'99.12

わたし達がイライラするときにその原因は多くのものがあります。しかしそれが耐えがたいものである場合は、「今ここで」の生活が充実していないことが多いようです。そのときには、イライラの原因を探るよりも、どうしたら自分としての充実した生き方ができるだろうか、と発想を変えて自分の生活の再点検をしてみたらいかがでしょうか。自分の生活がそれなりにやれてくれば、森田の言う感情の法則が体験できると思います。
完全を求めない事'00.1

対人関係での悩みが多く寄せられています。現代は人間関係が希薄な時代ともいわれますが、それゆえに、多くの人たちは対人関係で悩むのです。
わたしたちは元来対人関係で傷つきやすいものです。なかなか自分の感情を率直に表現できないものです。そして対人関係は行き詰まりやすいものです。まずは自分がなにが苦手なのか、恐怖なのか、そしてその背後にある自分の欲望とはなにかをしっかりと見てみることが重要です。
恐怖の後ろに必ず欲望があり、恐怖を取り除こうとするよりも欲望を発揮すること。あまり完全を求めないことが大切です。それとともに傷つくことを恐れるあまり、防衛的になり、元来の人と接触したい、人と何かを分かち合いたい気持ちを見失なわないこだと思います。
不安の逆説'00.2

わたしたちは、不安恐怖になったときに、「なぜ自分がこんなに苦しまなくてはならないのか」「他の人は楽しく人と話しているのに」「他の人は何の人間関係の問題もないようにみえるに」とわれとわが身をのろい、自分の運命を嘆くこころがその不安を耐え難いものにします。
不安の逆説を体験することの重要性と言い換えることが出来ます。不安恐怖は、取り除こうとすると、結局自分で自分の不安を強めてしまいます。それがいつまでも追っかけてきます。不安恐怖はそれに入り込んでしまえば、不安の元来の変化し、流動するという体験をすることが出来ます。これをわたくしは不安の逆説と読んでいます。
不潔恐怖'00.3

不潔恐怖で悩んでいる人は多いようです。
不快な感じを持ちこたえ、放っておける心の態度を作る必要があります。強迫神経症の欲望はしばしば逆になりますので要注意。
不潔恐怖の人は不潔を恐れるあまり不潔となってしまいます。「清潔で気持ちがよいな」という元来の現実的な感覚を取り戻すことが肝心です。
薬物療法'00.4

以前に不安神経症のところでパニック障害の薬物療法について述べましたが、ここでは強迫神経症や対人恐怖の薬物療法の意味とその終結の仕方について述べましょう。強迫神経症に抗うつ剤SSRI(ルボックス、デプロメ−ル)が効果あることは知られています。しかしこの効果も症状をすっかり取り去るものではありません。強迫行為や強迫観念が減少する程度です。私は薬物療法と精神療法とは必ずしも対立するものとは考えていません。簡単にいえば急性期に薬物療法は必要ですが、その治療を終わらせるには精神療法が必須です。不安、不全感、不快な感情をそのまま受けとめられる心を作っていくことがより少量での薬物療法を可能とし、それが治療の終結に結びつきます。慢性期になればさらに精神療法の役割は大きくなります。 対人恐怖も、抑うつを伴う場合には薬物療法も一時的に効果を認めます。またアメリカでは社会恐怖(対人恐怖とほぼ同じタイプの神経症)にはある種の抗うつ剤の効果が認められるという報告があります。しかしその根本的治療は強迫神経症と同様に不安に対する心を作っていくことにあります。薬物療法で気をつけてもらいたいのは、自己判断による急激な服薬中断です。中断による症状の悪化が必ずみられ、それがまた薬物への依存や自分に対する自信をなくさせます。そのため主治医と相談して、精神療法と併用しながら減薬することがベストです。
森田療法'00.5

森田療法に関する考え方について意見を述べてみたいと思います。森田療法で得られる体験を Step1:理論森田 Step2:有森田(実践森田)Step:無森田(実践とかいう「言葉」さえ 「無」い)と分けて考えている方の例です。Step1:理論森田は高良先生のレベルで、発見会の体験発表はStep2:有森田(実践森田)だそうです。これも森田の理解のひとつでしょう。しかし私はこれにあまりこだわることには反対です。私が日頃から主張しているように、森田の読み方、理解の仕方はそれぞれの今までの人生、価値観、年齢、直面している問題、そして現在の環境と密接に関連します。森田療法の理解に深い、浅い、ステップ1から3というレベルがあるとは思えません。それぞれの個人の問題に合った森田の理解があり、そこからどのように自己の問題を洞察し、解決していくかが問題です。そして固有で自然な生き方を見つけることが出来るかです。ある人はさまざまな自分が好きになる方法を探しました。これは心理学的用語で自己受容といい、苦悩の解決の最も重要な点です。そこで森田療法を基本に内観療法とアサーション(認知行動療法の技法の一部で自己主張訓練とも呼ばれます)が彼に合った方法だとわかりました。私たち森田療法に関わり、興味を持つものは、自分にあった森田療法、時代が求め る森田療法をその本質を押さえながら、発展させていく、自分のものとしていく時代ではないでしょうか。
対人関係'00.6

現代は以前に比べて個人主義的となってきたといわれますが、やはり対人関係はわれわれの楽しみであると共に苦悩ももたらします。対人関係で悩む人は、仕事の場面は何とかなるが、皆がリラックスしたときに、どのように話したらよいのかについて悩みます。 このようなリラックスした時間でのコミュニケ−ションは、難しいもの。出たところ勝負という開き直りが大切でしょう。  対人関係に悩むということは、他の人の評価に敏感で、それに合わせた自分を演じてしまうことです。それは結局自分の持ち味を殺すことになりかねません。自分は自分で、自分のそのままを少しずつ率直に表現することが大切だと思います。
「対人恐怖でも恋愛できるのか」'00.7

対人恐怖に悩む人たちは、何よりも人が好きです。人が好きであるということが恋愛をする第一の条件です。恐怖の背後に欲望あり。人に接近したい欲望が対人恐怖で悩む人は強く持っています。それがしばしば強すぎて、人の評価が気になりすぎてつらいのです。しかし実際にはそういってもなかなかすぐに思ったような恋は出来ないでしょう。また好きな人が出来ても、その想いばかりが募り、なかなかその気持ちをうち明けられないでしょう。しかしそれは誰もが、少数の人たちをのぞいて、そうなのです。まず身近な対人関係を大切にすること、そこでの率直な自己表現を心がけること、自分としての生き方を求めていくことが大切だと思います。その延長上に恋愛があり、結婚があるのだろうと思います。
不潔恐怖の解決'00.8

不潔恐怖で悩む人は、当然深刻ですが、それと共に家族の悩みも深いものがあります。どうしても家族を巻き込むことが多いからです。不潔恐怖の解決は、逆説的ですが、ほどほどに清潔に自分の住んでいるところや自分自身を保つことですが、それがなかなか出来ません。 何か汚れたものを見たり、想像するだけで、恐怖にとらわれてしまうからです。そしてその恐怖を消すために、手を洗い、あるいは汚れていないか家族に確認し、肝心な清潔であることがおろそかになってしまいます。
 恐怖の対象を避けないで出来るところから手をつけていくこと、なるべく家族を巻き込まないこと、家族は完全に本人をサポ−トしようとはせず出来ることと出来ないことをはっきりさせていくことなどが重要です。
関係の中で生きる言葉'00.9

森田の言葉、あるいは森田療法の持つ知恵はさまざまなものを含みます。しかしそれが自分のこころに届き、ある種の感情を伴って「あ−そうだったのか」といつも思えるとは限りません。森田療法の言葉がこころに届くときには、悩むこころが軽くなり、今までと違った自分の理解に達すると共に前向きな姿勢が出てきます。それは多くの場合、人との関係、親しいそして信頼できる友人、同じ悩みを持つ人たち、あるいは治療者とのやり取りから起こります。言葉を生かすには、まず安定的な関係が必要なのです。森田療法を学ぼうとする人たちはある人を信頼できる能力を持っています。それが森田療法の持つ知恵を学ぶことを容易にします。
対人関係で悩む'00.10

対人関係で悩む人の多くは、人一倍人に認めてもらいたい気持ちが強いのです。そのために逆に人前では、緊張してしまい、目の遣りどころに困り、顔が引きつります。そしてそれが人にイヤな感じを与えているに違いないと悩みます。そしてこのように悩む人は、自分を殺して人に合わせてしまう傾向があります。
 しかしこの悩みは単純なものではありません。一方、対人関係で悩む人は、誇り高き人です。人前でのそのような反応自体は自然で人間的なのですが、それを自分の弱い点と思い、受け入れることが出来ないのです。そしてそれを取り除こうとして、悪循環に陥ります。
 人前での恐怖の背後に人と仲良くしたいという自然で健康的な欲望を意識し、まずは自分のすべきことをする、自分が何をしたいかを基準に考えていけると、その悪循環から抜ける手がかりがつかめると思います。
治るということ'00.11

 お互いの経験を伝えあうことから、さらに自分への気づきへとその体験をさらに深めていくことが可能となると思います。
ここでは「対人恐怖の心の持ち方」について考えてみましょう。Aさんは、中学3年生から対人恐怖に悩み、しかし持ち前の向上欲を発揮して社会人一年生となり、自分としての人生に充実感を感じるようになりました。わたくしの“軽度神経症を治す”も読んでもらったそうで、著者として嬉しく思います。そして対人関係で、もう少し「格好つけ過ぎている部分をとっぱらうことも必要ではないか」と感じているそうです。
 恐怖の背後に欲望あり。わたくしは、対人恐怖の人には健康な「人への接近欲求」があり、それが強すぎるためにむしろ恐怖におちいっていると考えています。従って、その健康な欲望に沿って「取り繕わない生な自分」を表現することはとても大切と思っています。
 それに対してBさんは、少々辛辣に、これが「対人の神経症のまった中ですね、本当に計らい多いね」といい、「対人の神経症の治癒とは人間関係を良くする事では無く、人間関係の囚われから外れて、自由闊達な心を手に入れる事です」と述べます。わたくしもこれが森田療法の原則であると思います。つまりわたくしの言葉で言えば「出来ること」と「出来ないこと」をしっかり分けて、「出来ること」(現実に取り組んでいくこと、行動すること)をして「出来ないこと」(感情、現実、他者をコントロ−ルすること)をそのまま認めて受け入れていくことだと思います。
 ここで重要なことは、自分の感情をそのまま素直に認めてそれを操作しないで放っておくともに、自分の自然な欲望をいかに現実の場面で生かしていくかです。つまり「感情の受容」と「欲望の発揮」が同時的になされて、治癒への道が開かれるとわたくしは考えています。わたしたちの悩みの本質的な解決は、不安、苦悩をそのままにしながら、自分の固有の欲望を現実にいかに表現するかにかかる、とわたくしは考えています。
対話することと自己を知ること'00.12

 「神経症」を治すには、すなわち「とらわれ」を打破すること、そうすると自ずから、ここが重要な点ですが、自分の健康な欲望(森田療法では生の欲望)が現れてきます。それに乗って生活に取り組んでいけばよいと言うことだと思います。そこでの試行錯誤、挫折、不安と喜びはもはや神経症とは呼ばないのです。そしてそれはいわば「生きること」そのもので、そこで本来の自分を生かしていけばよいのだろうと思います。

 さてもう一つは、このように皆さんが積極的にこのフォ−ラムに参加し、自分の体験を交換することの意味についてです。今年の総評のところでも書きましたが、自分の経験を書くこと、そして人と対話することはさらに自分の経験を客観的に見ることが出来、その経験を深め、自分のものとする力となります。

「円滑な人付き合いが出来ない」 '01.1

 ここでは書き込み、発言はいつも通り活発です。そしてここでのやり取りを通して皆さんがさらに自分の体験を深めている様子が伺われて、嬉しくなります。またはっとと気づかされることも多々あります。やはりこのような場での体験のやり取りは重要であると再確認しました。  今回は、「円滑な人付き合いが出来ない」を取り上げてみましょう。「放課後児童会という、いわゆるカギっ子をあづかる仕事をしているのですが、そこでの人間関係も、子どもとの付き合いもうまくいきません。」などのつらさを訴えています。このような悩みを持つ方が増えてきたようです。  それに対して、Aさんは「上手く話そうとか、いい大人として対処しようとか、考えずに、子供たちの楽しい話を聞く、子供たちと鬼ごっこやドッチボールなどして楽しく遊んではどうでしょう」と発想の転換を進めます。Bさんは「まずはその場に居ること」「輪に加わっていること」の重要性を指摘します。つまり「逃げないということが大事」なのです。Cさんは「あなたの現在の苦しみは、あなたが本来の苦しみを何十倍にも広げたものです」と自分で自分の悩みを拡大していくメカニズムを指摘しています。Cさんは他の所で「神経症の人はノミのような問題をゾウのようにしてしまう」という巧みな比喩を用いています。この「神経症的とらわれ」から抜けると、Cさんの言うように日々の幸せを感じる心が育ってくるでしょう。
  「ばかにされないために、こうしてみよう」と考えるより、「この子とどうやって関わったら楽しいかなぁ」と考えるようになったそうです。つまりこれは「人にどう思われるか」という人の評価を基準とした生き方から、「自分として何をしたいのか」という生き方への転換でもあるようです。皆さんの助言はそれぞれの体験に裏打ちされ、生きる智恵がそこには含まれています。
相互作用(インタ−アクション)'01.2

このグル−プのお互いのやり取りは相変わらず活発です。そしてここでの皆さんは 率直に自分の意見を表明しているようです。わたくしはそれらを見て、そのような相互作用(インタ−アクション)が人を成長させるのだ、と思いました。例えば、Aさんが、「怖くても逃げずに日常生活することを自分に言い聞かせようと思います。こわいと言うのは、対人恐怖症でいる自分のこと」と書き込みます。  それに対してBさんが、自分の体験に沿って「1.働いている自分を認めることの大切さ、2.自分自身の言い訳をしないこと、3.できることを一生懸命やりま しょう」と提案します。これは自分の経験に基づいたことで説得力があります。また 人に自分の経験を話すことで、自分自身への理解が着実に深まるのです。またCさんが対人恐怖で悩んでいます。そして「どなたか相談にのってください」と書き込みます。また、みなさんからアドバイスが届きます。Cさんが「とりあえず本をよんで実行してみようと思ってます。とにかくなにごとにも逃げずに、がんばってみます」とアドバイスに力を与えられたようです。ここからCさんの変化が始まるのだろうと思います。また生活の発見会の集談会についてもさまざまな意見が交わされます。そしてそこでの体験が、たくさんの方から語られます。そしてわたしたちは集談会の体験とはどのようなものか、についてこのようなやり取りから知ることが出来るのです。
アサ−ティブトレーニングについて '01.3

 今日は、対人恐怖の人に対するアサーティブ・トレ−ニングについて考えてみたいと思います。
 Aさんは「アサーティブネス(Assertiveness)(アサーションとも言います。)は、自己主張すること」の重要性を述べています。そしてそのトレ−ニングが対人恐怖で悩む人たちの役に立つと勧めます。それに対して、Bさんは反対です。対人場面でそのようなトレ−ニングはむしろ「神経症的とらわれ」を強めてしまうというのです。
 
  さてこのような議論は、以前にも日本森田療法学会や研究会で話題になったものですから、興味深く読みました。私は、ほぼCさんの考えに同感です。「対人恐怖の人は、とても強い悩みを抱えており、それを克服していくのに、 アサーティブトレーニングで何とかしようとするのは無理ではないかと感じます。 神経症のもととなった生き方や行動のしかたのまちがいは アサーティブトレーニングの是正しようとしている傾向よりも深いところに在るような気がするのです。」と述べています。
 Bさんが指摘しているように、最初は対人関係での工夫をいっさいしないことが逆説的ですが、もっとも重要です。つまり「はからい」を止めるのです。不安を取り除く工夫を止めて、そのままに放っておく心の態度です。それはすなわち、自分の悩みを抱え込む心を作ることであります。それが出来てくると、以前にも指摘しましたがその人の本来の生の欲望がしっかりと自覚されるようになります。 この時点では、A さんのいう「アサーティブ・トレーニング」や内観での内省がある人にとってはとても重要なことになるでしょう。しかしそれもその人の固有な「生き方」と関係します。  しかしもちろん違った生き方をし、そのようなことは必要がないという人もあるでしょう。それはおのおのの生の欲望に沿った人生の選択です。
薬物療法の意味 '01.4

  対人恐怖の友人から薬物療法の相談を受けて、その返答で困っていま す。以前に不安神経症のところでパニック障害の薬物療法について述べましたが、こ こでは強迫神経症や対人恐怖の薬物療法の意味とその終結の仕方について述べましょ う。
 
 強迫神経症に抗うつ剤SSRI(ルボックス、デプロメ−ル)が効果あることは知られ ています。しかしこの効果も症状をすっかり取り去るものではありません。強迫行為 や強迫観念が減少する程度です。私は薬物療法と精神療法とは必ずしも対立するもの とは考えていません。簡単にいえば急性期に薬物療法は必要ですが、その治療を終わ らせるには精神療法が必須です。不安、不全感、不快な感情をそのまま受けとめられ る心を作っていくことがより少量での薬物療法を可能とし、それが治療の終結に結び つきます。慢性期になればさらに精神療法の役割は大きくなります。
 
 対人恐怖も、抑うつを伴う場合には薬物療法も一時的に効果を認めます。またアメ リカでは社会恐怖(対人恐怖とほぼ同じタイプの神経症)にはある種の抗うつ剤の効 果が認められるという報告があります。しかしその根本的治療は強迫神経症と同様に 不安に対する心を作っていくことにあります。  薬物療法で気をつけてもらいたいのは、自己判断による急激な服薬中断です。中断 による症状の悪化が必ずみられ、それがまた薬物への依存や自分に対する自信をなく させます。そのため主治医と相談して、精神療法と併用しながら減薬することがベス トです。
自己体験の絶対化の危険性 '01.5
 
このグループでのデスカッションは活発です。この場はお互いの経験を尊重し、そ の経験に耳を傾け、そして自らの経験を語り、そこから自己の啓発をはかる場であり ます。ここでは誰が優位に立ってものを教え、また他の人が教えを乞う場ではありま せん。ここの参加者は常に対等であるべきでしょう。お互いがお互いを助け合うとい う自助の精神が体験フォーラムの本質的な特徴であり、そうでなければここは専門家 による一方的な治療あるいは教育の場になってしまいます。つまり体験フォーラムで はなくなるのです。
 これについては、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんのやり取りか らわたくしの意見を述べてみたいと思います。

  Aさんが1年間の職業生活を振り返り、彼としての気持ちの処理法について 書いています。彼は対人恐怖についてCさんと激論を交わしたこともある人で す。彼はこの1年間を振り返り「事実を見る目ができてきたかなと」と感じていま す。それは「自分がうじうじ心の中の不満や猜疑心や不安にとらわれているとき、紙 にその思いをかけるだけ書いてみるのです。何ページになろうと書いてみて書ききっ てもうないや、と思うくらい書いたら、その書いたものを読んでみます。自分がどん なことで悩んでいるのかがはっきり分かります。こういうことで悩んでいる、という 悩みの中身が事実として分かるのです。しかし、その悩みを解決しようとはしませ ん。これが一年たって変わったことです。事実を見ること知ることは大切なことだと 思います。」と記載しています。わたくしはなるほど、と感心しました。Aさ んとしての心の事実をありのままに見る方法を見つけたようだと、考えてからです。 それは自分のつらい感情をこころの事実として受け止め、そしてそのまま操作しない でおいておく、つまり心のなかにその体験を保持しておく作業です。
 
  これはわたくし が考える森田療法そして精神療法一般の基本的な作業と共通するものです。それがな されると、次第に本来の生の欲望も見えてきます。それがAさんの悩みの解決 やこころの成長に役に立つだろうと思いました。
 
  さて残念なのは、Cさんの反応です。Cさんはこのように書き込みます。 「久しぶりですA さん、以前は失礼しました。もう1年たちましたか!、そ うそう貴方には「1年で神経症を治す方法」と言うのをお教えしましたが 「対人恐 怖が治ってない」と書かれていますので実行しなかったみたいですね。」  これは先程書きましたこのフォーラムを成り立たせている原理・原則からいえばい うべきことではないでしょう。またどんなに優れた治療者でもこのようなことはいえ ないでしょう。わたくしは森田療法の専門家として少なくとも20年以上もそれなりの トレーニングを積んできましたが、今までこのような言葉を人に伝えたことはありま せん。そしてCさんがいうように誰にでも適応できる「神経症を1年で治す方 法」などあり得ないこととは私自身の経験から断言できます。これはCさんの個 人的な体験で、相手の立場も考えずに一般化、絶対化するのはきわめて危険です。  
 
  Cさんの体験フォーラムでの言葉は鋭く、真実の一部は伝えています。しかし それが絶対的な真実ではありませんし、ましてCさんは治療者でもありません。 森田療法は広く東洋的な人間理解に立脚した精神療法で、わたしたちが「あるがま ま」という人間性の事実の到達するためには、その人としての多くの方法があるはず です。 私たちが自己中心的なとらわれから抜けるということは、他者への愛、自己中心的 な「人を思うがままに操りたい」という欲望に気づき、そこから抜けたことを意味し ます。  
 
  その点で、Bさん、DさんがA さんの生き方を認め、尊重している 態度にはホッとさせられます。ある人の言葉が相手の心の届き、その意味を持つよう になるのは、悩む人の生き方を尊重し、共感し、その上で築かれた関係を前提としま す。
 それともう一度確認しておきますが、このようなお互いがお互いの意見を傾聴し、 尊重し、そして自分の経験を伝えあう場所です。この場所では自分が他人を治すとい う発想そのものが無責任であり、きわめて危険なことです。この場がある人の経験の 押しつけにならないことを切に願っています。
自分の経験を語ること '01.6

  このグループでのお互いのやり取りは活発です。今回はやり取りが多く、それぞれ 味わいがあるのですが、個別に取り上げません。  
 
  今は多くの方々は常時発言するメンバーとなって、このグループを盛り上げてくれます。そしてこの部屋を途方にくれて訪れた新しいメンバーにAさんはもとよ り、多くのメンバーが適切な助言を送ります。その助言はいわば自らの経験を語るこ とでもあります。助言することによってさらに自分の経験をしっかりと自覚し、深め ることができます。そこに一方通行でない、同じ悩んだ人たちが単に慰めあうのでは なく、自分の経験を伝え合い、それを通して成長する姿が見えてきます。最初は不安 に満ちて訪れてこの部屋の来訪者が、次第にここでの先輩の助言を取り入れながら、 試行錯誤をはじめます。  
 
  これは単に症状、不安に対する心の態度だけでなく、人生の、つまり生き方の変換を意味します。自分なりに自分の問題解決に取り組んでいこうとすることは、今までの受身からより前向きなこころの態度への転換です。つまり「生きること」そのもの がより積極的に、そしてさらには自分の健康な欲望への発揮の方向に向かっていくのだと思います。
自らを語ること '01.7
 
 Aさんが、離人症で悩んでいます。医師の治療も受けているようですが。彼が 「離人症の治し方をおしえてください」と書き込みをしています。Aさんの悩みとはどのようなものなのでしょうか。離人症とは症状の名前で、Aさんの悩みが 伝わってこないのです。従って私も多分このフォ−ラムのメンバ−も自分の体験と照らし合わせて適切なアドバイスが出来ません。まず具体的に自分の悩みがどのような ものか、どのように経験されているのか、それは自分の生活のどのような場面で起こるのかなどを、記述することを薦めます。必要に応じて担当の医師と話し合った方がよいかもしれません。  
 Bさんの発言には感動しました。自分の人生を語り、そして自らを反省します。彼が自分の経験を語ることにきわめて熱心であった理由がよく分かりました。そ して率直に自分の行きすぎを内省する態度は、さすがであると思いました。Bさんのさらに一皮むけた体験談や助言を期待し、待っています。  もう一つ、Cさんが「生活の発見会」に参加することの効果について述べています。私も全面的に賛成です。私は、このようなフォ−ラムでのやり取りの重要性については再三述べてきましたが、さらにそれを深めるであろうことは、「生活の発見会」への参加であり、実生活での実践です。直接的な感情体験がきわめて重要であると考えています。
苦しいのは自分だけではない '01.8
 
 ここでの書き込みは相変わらず活発です。Aさんが、「私って嫌われ者かな・ ・」と書き込みをしています。沢山投稿したのに、誰も参加しなくなり、一人相撲になっていたと感じたようです。そしてとても孤独を感じているとのことでした。この体験フォーラムの参加者はとても優しく、またこのような孤独を共有でいるようです。
 Bさん、Cさん、Dさん、Eさんがそれに反応して自分たちの感想を述べています。それにAさんも励まされたようです。「私だけが苦しいのではない」と気づきます。これが重要な点です。
  自分だけが苦しい、自分の悩みは特別だ、誰も自分のことを分かってくれないと思い悩むと、その悩みの渦から抜けることが出来ません。自分の苦悩を人に伝えること、そしてそれについて話し合えること、 他の人に共感してもらえることがその悩みの解決の第一歩なのです。そのような点で このフォ−ラムの果たす役割は大きいものがありますし、また自助グル−プである生活の発見会も同じような機能を持つと考えられます。
一緒に悩みを解決していくために '01.9
 
 Aさんが新しい会社に入って2ヶ月弱、症状がひどくなって、こころが自由に動かないと悩みを書き込んでいます。それに対してフォ−ラムのメンバーがさまざまな書き込みをしながら、彼の悩みの解決方法を一緒に考えていっています。

 Bさんは、「心に相手にならなければ自由になれます」、「もともと悩みはないものです。従って人為的に増幅された悩みに於いては、皆同じ苦しみです…」などと書き込んでいます。これは禅問答のようでわかりにくい助言です。
 このフォ−ラムでは自分自身の経験を具体的に示しながら、それぞれの森田療法と自分への理解を深めることが目的です。 Bさんも自分の経験から出た自分の言葉で伝えることが必要だと私は考えています。
 Cさんは、まず Aさんに、「心が伸び伸びした自由な状態」とはどんな状態で、その状態になればどのような行動が出来るのかを聞きます。この問いからAさんは自分の悩みを更に具体的に考えることが出来ます。またDさんはAさんの悩みとは違った面に注目し、指摘します。つまり発想の転換です。「2ヶ月もちゃんと勤めたのはエライと思います。症状がいろいろ出てくるのは仕方ないこと。 2ヶ月もったのだから、次は半年かな。症状を抱えながら、自問自答を繰り返しながらも、 いつか何かの突破口が見つかると思います。 それまでは辛抱辛抱」。これはとてもよい助言です。その人のよい点を指摘し、さらになんとか持ちこたえればその人としての大切な体験が出来るというのです。Cさんは、Aさんのつらさに共感しながら、「自分をいかに良く(?)見せるか”という努力を、 ”いかに人の為になるようなことをするか”という方向へ変えていくことができれば、自然に過剰な自意識も薄れていくのではないかと思いますが、どうでしょうか?」と助言します。それは症状と格闘しながら結果として症状にとらわれているAさんに、やはり発想の転換を勧めるものです。目の前の具体的に出来ることに取り組むように勧めています。
人とつながること '01.10
 
 今月はAさんが活発に書き込みをしています。彼女は対人恐怖で悩み、引きこもりがちでまたとてもこれではいけないと焦っています。それに対して多くの人が さまざまな自分の体験に沿ってアドバイスをしています。生活を工夫すること、日々の目的を果たすこと、自分のしたいことを見つけること、焦らないで自然に何かしたい気持ちがわくまで待つことなどなどです。これ以外にもあったと思いますが、たくさんのレスポンスなので書き切れません。このように人とつながっているAさんはよいコミュニケーションをしているな、と感じました。実際の生活では孤独かもしれません、しかしここでは確実に人と関わっているのです。
 このフォーラムで自分の考え、思いを率直に人に伝え、そこで 話しあう(チャットする)体験は重要です。そこから生活の発見会やアルバイト、大学生活などより実際の人との関係に近づけたらよいなと思います。またここでいろいろとアドバイスしている方にはそれぞれの特徴があるようです。 そのことがその人の個性的な生き方を反映しているようでとても興味深く書き込みを読んでいました。そしてまた人へのアドバイスがその人の体験を深めていくのです。
認識を変えることの重要性 '01.11
 
 Aさんが仕事のことで行き詰まっています。それを率直に表現しています。
 「うまくいかないことがよくある。しょっちゅう怒られている。・・・正直、この体験は辛い。一生懸命やれば、うまくいくんじゃないか、怒られることは無い、って学生時代は思っていたから。そこで分かれ道かなって思う。今の実力で精一杯やって、結果はまあ受け止めましょう。怒られても仕方ない。失敗もありでしょう。次も、腐らずに一生懸命やりましょう、って自分に励ましています」。
 これは今までと違った認識で自分と世界との関係を見られるようになったということを示しています。Aさんもいうように人生は一生懸命やったからうまくいくわけではありません。むしろそこで失敗し、そこから人は成長し、結果としての成功をつかむのでしょうね。失敗無くして成功なしです。
 そしてまた重要なことはBさんがいうように「落ち込んでいたとしても「必要なことはやる」・・・やった結果が、30点になるか、60点になるか、100点になるかは、時の運だと思います」。
 これもまた重要な認識です。それがたとえ良い結果を生まなかったとしても、失敗が単なる失敗でなく、次につながる失敗となり、失敗恐怖の克服にもつながるのです。
弱い心は弱い心として '01.12
 
 対人と抑うつが主症状のAさんが仕事のしんどさを書き込んでいます。Bさんは自分がぐうたらママで、何とかしなくてはと焦っています。Cさんは森田療法を「弱点を持った人がどう生きていくべきかを教えてくれる知恵の集積」だといいます。Dさんは「悔しい思いを胸にコツコツ積み上げていけばいいわけです。それが 真の神経質者の生き方です」とCさんに書き込みに答えます。
 Eさんは最初短期のアルバイトにでますが、契約の更新を前に揺れてきます。自分の考えたような理想的な人間関係の職場ではないようです。Fさんは 「…最近思うのは、うまくいかない時に人間一番成長するのかなということです。… 一緒に悩みながらぶつかりながら、なんとかやっていきませんか」と提案します。
 私たちは生きていく上で必ず苦悩に直面します。そして神経質の人たちはこの苦悩が一般に深く強い人たちともいえましょう。しかしこの苦悩を苦悩として認める心が育ってくれば、喜びも喜びとして感じられるようになるのです。つまり人生が生き生きとしてきます。Unagiさんが言っているように、つらい時こそ、私たちは人生の事実を知るチャンスとなります。それが成長するということだと思います。
 私たちには多くの弱点があります。それをそのまま認めていくこそ、生きることに対する工夫が生まれてくるのです。それをいやなものだと取り除こうとする心がわたしたちの苦悩を強め、それにこだわってしまうのです。
基本に戻ること '02.01

 このグループの話し合いはとても活発です。それを読みながらわたくしの感じたことを書いてみます。Aさんが「森田の基本に戻ろう」と書いています。森田の基本とは「びくびく、はらはら、震えるままに、必要なことをやっていく」ということです。わたくしも賛成です。何か生きることに行き詰まったときに、森田の基本に戻ることは大切だと思います。 また「不安のままに、できることに手を出す、そこでの工夫を凝らしてみる」つまり森田療法でいう「あるがまま」ということです。そして現実に接して、そこで格闘しながら、悩み、苦しむことはその人を確実に成長させます。したがって基本に戻るといっても、そこには最初と違ってさらに深い森田療法に対する理解、あるいは自己の生き方に対する洞察があるのだろうと思います。
 そのような取り組み、生き方はまたBさんがいうように「これでよいのだ」という自己受容を可能にします。もちろんCさんのようないわゆる失敗もあるでしょう。しかし大切なことは失敗したということではなく、何とかチャレンジできたという事実です。そしてまた初心に戻ればよいのです。
治ることをめぐって '02.02

 強迫神経症のグループでの書き込みとお互いのリスポンスは活発です。このような お互いのやり取りから、ここでの参加者がそれぞれの自分の生き方を模索している様 子が見えてきます。それが自分として生きていくことそのものだろうと私は考えてい ます。
 A さん、Bさんがとらわれから脱却するには、つまり神経症から治るには 「治す努力を止めること」と書き込んでいます。これが森田のいう逆説です。これは また不安の逆説でもあるのです。不安から逃げようとすればするほど、それを取り除 こうとすればするほど、不安は強まるのです。私たちが悩んでいるときも同じです。 その悩みを何とかしようとするから、事態は悪化し、逆にその苦悩は深まります。私 たちが苦悩に直面したときには、それをしっかりと持ちこたえながら、今できること は何か、と発想を変えることが大切です。
 従って私たちが苦悩を取り去ることを諦めたならば、本来の生きる欲望がしっかり と感じられるようになります。それはCさんがいう「自分で治すのでなく環境に 治してもらう」ということにつながります。結局のところ、治すことを諦めるという ことは、本来の固有で自然な自己の生きるということであり、自然に従順になること でありましょう。
神経症の悩みは周囲に理解されるのか '02.03

 Aさんが対人恐怖中でも醜形恐怖がひどく、外出できなくなりました。そして精神科で治療を受けようとしたのですが、両親はわかってくれません。Aさんは絶望しています。Bさんが率直に自分の悩みを伝えていくことを薦めます。Cさんは、人生にはいいときも悪いときもあり、今まではよいときだけ行動し、悪いときにはすべてを放り投げてきた、しかし悪いときにでも必要最小限のことを行動するようになってきてからは、急速に神経症が良くなってきた、といいます。つまり神経症で悩むことは、症状のことで悩むと共に、行動が極端となり、それ自体がその人を追い詰め、さらに苦しみを加速されることになります。このような状況から抜けるには一人ではしばしば困難です。生活の発見会のような自助グループでの集団学習、専門家のアドバイス治療を必要とします。
  しかしAさんのように親の理解が得られない場合がしばしばあります。どうしたらよいでしょうか。わたくしもBさんの助言に賛成です。自分の悩みを率直に、そして粘り強く説得していくことです。そのことは自分の悩みを人にわかりやすく説明する作業を意味します。神経症の悩みはしばしば人に理解してもらえてというだけで軽くなるものです。あるいは自分の弱点と思えることを人に率直に伝えられることだけでよくなることもあります。何がつらいのか、診断名、症状の名前でなく、自分の悩みとそれゆえに自分のしたいことができないのだ、と真剣に伝えれば多くの場合、次第に周囲の理解を得ることができます。そしてそれを家族に理解してもらうにはうまくいかないと投げ出さずに、Cさんがいうように、粘りづよくすること自体が問題解決の第一歩です。
完全主義者への処方 '02.04

 Sさんが完全主義者の行き詰まりについて述べています。Sさんは、自分自身の問題点として、
   @観念的な不完全恐怖、観念的な儀式的行為、
   A即応性の なさ、
   B人間性の事実の再認識 、
   C想念に対する姿勢 、
   D気分・感情に対する 認識、
   E劣等感、
   Fある納得が得られるまで行為をする、
   Gall or nothing
を挙 げ、なかでもall or nothingが一番問題だ、としています。私も完全主義者とは 白か黒かに決め付ける人と考えています。そのことが生きることの行き詰まりを 招きやすくします。
  これは神経質、特に強迫神経症のグループに書き込む人たちの特徴でもあります。その処方として、
1) まず完全主義者であることを自覚すること、
2) 自分の気分、不安、体調など自然な心と体の反応に対して完全主義で あろうとするとそのことにとらわれてしまうことの体験的理解、
3) 自然な心身の反応は自分の観 念的操作が及ばないものであるというあきらめ、 放っておく勇気、
4) この体調が、不安が、気分がよくなってから自分のしたいことをやろうという考えから ぼちぼちと出来ることから手を出していくという発想の転換、
  などです。
  いずれにせよ、生きていくうえで完全ということはありません。特に私たちの 感情的反応は、それを完全に思うがままにしようとすると苦しくなるのです。行き詰るのです。
いやいやながら持ちこたえていくこと '02.05

 普通神経質の部屋をのぞいた後に強迫神経症の部屋をみると、Cさんの書 き込みが目に付きました。 ちょうど「治るということ」は逆説的ですが「治すことをあきらめるということ」と「持ちこたえること」 が大切と私自身が書いたあとでしたのでなおさら興味をもちました。
 Cさんは「世の中、嫌なことや面倒くさいことがたくさんあります ね。・・・落ち込んでいたり、 職場の皆の中に入っていくのに大きな恐怖を感じ ていたり、仕事が順調でないときには... 本当にイヤでイヤで仕方ないこと もあります。しかし、そういう気持ちを押して、 ともかく会社に着いてしまえば 案外、気持ちが流れるということもあります。・・・ある日、気がつきました。
 このイヤイヤ気分はなくなることはない...と。・・・無限に繰り返されるこのイヤイヤ気分との 戦いは一生つきあっていくしかないのだと....。・・・ 毎日毎日、このイヤイヤを味わっていれば、 だんだんとそれが当たり前となる。 気がついたら、苦痛苦痛と思っていたものが、 実は苦痛ではなくなってい た...なんてことが...。」といいます。
  これがわたくしの強調したい「持 ちこたえること」です。そこにはイヤイヤ気分を 動かすことのできない自然な事 実として認め、それと付き合っていくしかないと次第に心が定めれば、 それ自体 苦痛でなくなるという逆説があるのです。そこに人間としての成長があり、 そしてそれとほぼ同時的にその人らしい生の欲望のあり方が次第に姿を見せてくるの です。 それが治るということです。しかし生きることには、いやなこと、悩むことはつきものです。 それをそのまま事実として受け止めていければ、また生きる 喜びもしっかりと体験できるのではないでしょうか。
治るということの逆説 '02.06

 このグループの6月の書き込みも活発で、「治癒―治ること」、あるいは「あるがまま」をめぐって 論議されています。この2つは密接に関係しますが、今回は治ることの逆説について解説してみたいと思います。
  悩む人たちはすべてまずこの悩みを取りたい、と考えます。つまり治りたい、治したいと考えるわけです。 そこで悩みの悪循環に捕まってしまいます。それを取り除きたい、と考えるがゆえに、そのことしか 考えられなくなるのです。治そうとして、症状をさらに自分で強めてしまうのです。 治したいという素直な気持ちは大切です。それと症状を取り除くということは全く違うことなのです。 治すためには、症状を取り除くという意味での治すことをあきらめなくてはならないのです。
 このことは、古今東西を問わず、人間の知恵として存在するようです。わたくしたちの不安、抑うつ、 恐怖、強迫観念などを治すには、何もしないこと、そのままにしておくこと、 つまりコントロールすることをあきらめることです。
とらわれから脱するには '02.07

 Aさんが、「仕事中は仕事に集中してするとしても、ただ単に雑談や会話をしているとき、相手の目を見ないようにしていても、目つきが変になり顔が引きつります。・・・森田先生は、目に神経が集中しすぎて、よけいに悪循環になると本には書いてましたが、会話中はなすべき事を成すとはどのようにすればいいのか解らなくなりました。誰か教えてください。」と書き込んでいます。これについてさまざまな人がそれぞれ適切な助言を書き込んでいます。それらを列挙してみましょう。括弧は引用部分で、最初に私が標語風に書き入れました。症状、感情はコントロールできないものである。「恐怖という感情が起こるのは認めるしかないと思います。感情は自分でコントロールできないですもんね。・・・お互い「自然に服従」して頑張っていきましょう!」(Tさん)建設的な生き方、不安から逃げないこと「私はうああ〜〜〜ってなった時は建設的な生き方、建設的な生き方、と考えてます。」(kさん) 降参すること、あきらめること「「苦しみが治らない」という事実に苦しいのです。苦しみを取るのはただ一つ「降参」するだけです。」(Sさん) 自分だけが悩んでいるのではない、自分の悩みだけが特別ではない「自分も、悪気はまったく無いのに緊張から相手にそっけない態度をとってしまい、不快感を与えたり逃げられてしまったりすることがしばしばあります。だからその辛い気持ち分りますよ。同じように悩んでる人って世の中には結構いるものです。一人じゃないです。」(Pさん)出来ることと出来ないことを分けること「悩みはなくすることはできない。嫌な気持ち、苦しさもなくすことはできない。でも、その悩みは後回しにして、目の前のやるべきこと、もっと大事なことに取り組んでいくしかないのだと思います」(Cさん)
 これらの認識を身につけることから、とらわれからの脱出の手がかりをつかむことが出来ます。
行き詰まりこそ自覚を深めるチャンス '02.08

 Pさんが森田療法の実践に行き詰まって次のように書き込んでいます。とても大切なことだと思いますので、引用してみます。「僕は対人恐怖になって五年半、症状に関していえばほとんど変っていません。以前、森田先生が外来患者の訴える症状に対してそれは治らないよといっていたそうです。やはり森田療法は症状を治療する療法じゃないから症状は治らないみたいですね。そんなこんなで最近自分は森田療法から距離をおこうかと思っています。・・・正直、症状に関してはほとんど諦めていますし。ただ森田療法に触れていると変に理屈っぽくなったり強迫観念を作り出したりと結構疲れるんです。」
 たしかに、時に森田療法では言葉そのものにとらわれ、理屈っぽくなったり、逆に強迫的になってしまう傾向が時に見られます。森田療法では、森田の知恵を学び、それを日常生活で実践し、そこでの体験をしっかりと自覚していく、というプロセスが重要です。そして自分の体験を自覚するには、他者の存在、例えば専門家、生活の発見会そしてこのような体験フォーラムの果たす役割は大きなものがあります。しかも自分の体験をしっかりと自覚し、それを次の行動につなげていくという作業には時間と根気がかかります。そして当然ながら、行きつ戻りつしながら、そのプロセスは進みますし、そこでいくつかの壁に突き当たります。この壁が重要なのです。そこで自分を知り、自分のとらわれを知り、自分の不自由な心のあり方を知るチャンスなのです。
仕事を辞めて・・'02.09

 強迫神経症のグループでは、恋、仕事の悩み、症状、うつと神経質、人との関係の悩みなどさまざまなことが書き込まれ、またそれに適切なレスポンスがされています。とても参考になります。今回は、KAさんの悩みに焦点を当ててみましょう。
 KAさんが仕事を辞めて、少々精神的に楽になりました。一方、辞めた後悔や将来への不安が押し寄せてきます。自分はこの世の中で生きていけるのか、こんな人間は入らないのでは、などと心は揺れ、自分をいじめる悪循環に陥っています。
 Koさんは「私は自分に言い聞かせます。『この世に不必要な人間なんていない、またどんな人生だってやり直せない人生なんて無い・・・と』」と書き込みます。私も同感です。だめと決めつけてしまえば、自己卑下の悪循環に陥ります。発想の転換、開き直りは重要です。hiさんは、無職ですが、今までの自分の経験から、「今、森田を理解してやろうと思っているのです。・・・今、KAさんも時間があります。今、このときしかできないことを自分で自問して、実行されてはいかがでしょうか?」と助言します。
 Kzさんも「KAさんと同じような状況です」と書き込みます。 KAさん、Kzさんは、これらのアドバイスにだいぶ勇気づけられたようです。 森田先生も自ら神経質に悩み、若い頃には随分寄り道をしたようです。そして自分なりに死の恐怖の苦しみを何とか逃れたいと悪戦苦闘しました。その悪戦苦闘が結局森田療法を生み出したのです。 KATUさんも、今できることは何か、を問い、やれることは苦痛がつきものだ、と 覚悟を決めながら、一歩一歩出来ることに取り組んでいったらどうでしょうか。
森田を知ることとは'02.10

 ここでも書き込みはいつも活発です。今回はこのフォーラムに初めて訪れたMiさんの発現を取り上げて、森田の知恵を知ることの意味について考えてみたいと思います。
 Miさんは次のような書き込みをしています。「・・・主に視線恐怖、表情恐怖、対人恐怖の症状で悩んでいます。・・・私はつい2ヶ月程前に、私の悩みには神経質症という名前がついているという事をネットで知り、それからちょっとして森田療法という存在を知りました。それまでの2年間はずっと「この自分特有のおかしな悩みは何だろう」と、1人答えを探しては自分で解決法を考えてやってみたりしました。例えば、何があっても平静を装ってみようとか、鏡の前で自分で 良いと思う表情を作ってみて、その表情をキープしたまま一日を過ごしてみようとか、数え切れないほどです。」森田を知らない間は、Miさんも書き込んでいるように、自分で自分の悩みを強め、さらにとらわれを強めてしまいがちです。Miさんはさらに次のように書き込みます。
 「でも全てが間違った解決方法でした。・・・この2年ほどの私の異様なはからいで、症状は自分自身で拡大するだけしてしまいました。・・・そして、その事に自分でも薄々気づいていました。なんとなく、これは自分を受け入れていくしかないんじゃないかって。だから森田療法に出会った時はすごく感動しました。治そうとするんじゃない、症状のある自分を、症状ひっくるめて自分って考えるんだ。」これが新しい発想であり、回復への第一歩なのです。そして「今では頭で解決する前に、行動が大事と思えるようになりました。前は勉強した事を頭で理解しないうちは恐ろしくて行動なんて出来ないと思っていた私だったので、大進歩だと自分で思っています。・・・これからもっと森田について勉強して実践して、症状にとらわれている間にこじれてしまった友達との関係とかも、少しずつ修復していこうと思います。・・・」と最後に書き込んでいます。
 このような素直な心としっかりと森田を学んでいこうとする態度が結局問題を解決する最短距離なのです。そしてそれは単なる問題解決方法でなく、自分の人生を自分の手に取り戻す大切な作業でもあるのです。
自分の苦しみは親のせい?'02.11

 Pyさんが、「・・私の対人恐怖症のもとは父が恐かったと言う事が分かりました。私の父親も人にすごく気を使う性格で(でもピントはずれてるんですが)そのイライラを家族にぶつけていたと思います。なかでも私は一番最初の子だったので特に「こうしなければならない」というなかで育ってきたように思います。・・」と書き込んでいます。
 またKaさんが「・・結局あたしの問題は、家庭環境-家族に帰着してると思う。けどどうすればいいのか、わかんない・・こうなった原因を追求することって、結構辛いし、親を傷つけたくない(自分も)とか、どうせ分かってもらえないとか、色々考えて。」と書き込みます。
 たしかに、Unさん、Miさん、Ayさん、Alさんが書き込んでいるように、自分の苦しみ、恐怖の原因には親の養育、接し方も関係あるでしょう。ただしすべてをそれに帰着することはできないでしょう。親はその時々で親なりにつらい思いをしながら、あるいは良かれと思ってしたことが裏目に出てしまったことも多々あるからです。私たちには何が真実なのか、決めることは困難です。
 ものごとには必ず2つの面があります。良いところ、悪いところです。自分を育ててくれた親の両面をそのまま認めていけるようになることがその人の成長につながると考えています。
私たちの感情とどうつきあうのか'02.12

 森田療法とは感情(私たちの自然なもの)をどのように認識し、それをどのように生かすのか、をめぐる精神療法であるともいえましょう。そこでこのことは先月も取り上げましたが、とても重要なことですのでayさんの書き込みに答える形で、一緒に考えていきたいと思います。不安神経症の今月のMiさん、Liさん、Maさんの書き込みも参照ください。
 Ayさんは次のように書き込みます。「子供達を連れバスと電車に乗り少し遠いところまで買い物に行きました。年内に座布団カバーを作りたかったのでうきうき気分で生地屋さんへ出かけたのですが、子供達から目を離すことも、目的の生地を選ぶことも出来ずイライラしてしまい、結局帰ることにしました。下の子をベビーカーに乗せて歩いてたのですが、怒りの感情を言葉にして上の子二人にぶつけそうになってしまい走り出してしまいました・・。必死で追いかけてきましたが泣いていました・・・後悔と怒りでわけがわからなくなり主人に電話しな がら私も泣いていました。すぐに帰ってくれと言われましたが、急に悔しくなり生地を買うのは延期にし、約束のおもちゃ売り場へ行き、主人も途中参加し食事をして楽しく過ごして帰りました。」二児の母の買い物はこのように大変なもの です。さてもちろんこのような事態はAyさんには好ましいことではないのですが、どうしたらよいのでしょうか。それに怒りをぶっつけてしまった後の罪責感もわれわれをつらくします。Maさんは、適切に助言をいたします。それが感情の法則です。ご存じの方が多いでしょうが、一応Maさんの書き込んだものを示しておきます。
「感情の法則」
1. 感情は、そのままに放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の曲線をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものである。
2. 感情はその衝動を満足すれば、急に静まり消失するものである。
3. 感情は同一の感覚に慣れる従って、にぶくなり不感となるものである。
4. 感情は、その刺げきが継続して起こるとき、注意をこれに集中するときに、ますます強くなるものである。
5. 感情は、新しい経験によって、これを体得し、その反復によってますます養成される。

 Miさんは次のように、Ayさんの大変さに共感した上で、書き込みます。
「(子供に当たるのが良いというわけではないけれど。)その後に「さっきは当たってしまってごめんね。」と言えるお母さんになれればいいのではと、最近思っている私です。」  まさにその通り、私たちが生きている以上、このやっかいでありますが、とても人間的な怒りという感情とは切っても切れないのです。この感情は破壊的ですが、時には創造的にもなるのです。怒る時には怒るしかない、それは心でやりくりしようとすると、逆に怒りが募り、最後には自分で思わぬ形で爆発してしまいます。そして自分が間違っていたと思ったら、率直にあやまる心が大切なので す。このような認識がむしろ怒りという感情とのつきあい方を教えてくれるのです。それが自覚を深めてくれます。また怒りが新しい人との関係や理解をもたらす可能性もあるのです。最初は破壊的と思ったことが創造的となるかもしれません。雨降って地固まるといいますから。
森田療法と過食症'03.01

 Miさんが過食で悩んでいます。そしてさまざまなことを試みますが、効果はなかったようです。果たして森田療法は過食症に効果があるのでしょうか。私は過食症の人に森田療法が効果を持ちうると考えています。それにはMiさんのように、完全主義的で神経症的な悩みを持っているという条件が付きますが。この悩みは決してまれなことではなく、現代に生きる人に共通した傾向です。森田療法はそのような人たちの悩み、それがどのようなものであれ、の解決法を提供します。
 Maさんがいうように、こうすればよいのですよ、というような簡単なマニュアル、答えは森田療法では用意されていません。しかし過食症を悪循環過程ととらえることが出来ます。過食を不安と同じように自分を苦しめ、何よりもそれを取り除きたいものと考えてみたらどうでしょう。食べたいという欲求と戦い、そして敗れ、そしてまた食べてしまうのです。そして過食の後の敗北感、落ち込みがつらいのです。それゆえまた過食に陥るのです。従ってこの悪循環を打破すること、そしてその背後にある完全主義的で強迫的なものごとの認識の仕方、生き方を変えていくことが大切なのです。
 「白か黒か」という認識パターン、「出来たこと」よりも「出来なかったこと」に注意が向き、それでさらに自分の悩みを強めてしまうような心の態度が問題なのです。食べることをコントロールすること、そして仕事、人との関係もすべて完全には行かないもの、つまり自分の思い通りにはならないもの、と自覚することが大切です。ほどほどでいこう、60点主義でいこう、と発想を変えることが悪循環からの脱出の第一歩です。まず森田療法をこのフォーラムで学んでみてください。
神経症の自己中心的とは'03.02

 Buさんが自分は自己中心的でないか、悩んでいます。アルバイト先に問い合わせの電話を2回もしてしまい、それが神経症の自己中心的な面かな、と悩んでいます。そして「人との話し方やコミュニケーションよりもこういうところを改善すべきですよね」と書き込みます。しかしUnさんは違った意見を持っています。「・・むしろ、このことを気にしすぎて、考えすぎて社会的な失礼なことをすることの方が心配です。神経症とは、小さなことを気にしすぎて、周りが見えなくなって、その結果非社会的になる、このことに気付いたほうが良いのでは、と思います」と書き込みます。
 私たちは他の人とのコミュニケーションでいつも悩みます。それは誰にでもあることです。しかしその場合でも、他者を気にすることには2つの種類があること、それらはとりあえず分けて考えた方がよいだろうということを述べてみたいと思います。
 他の人のことを考える時に、その人が自分をどう評価するのだろうか、とばかり考えてしまうことがあります。それは他の人のことを考えているようで、実は自分のことしか考えていないことになります。つまり自己中心的なわけです。
 もう一つは、本当に相手の立場に立ってものを考えることです。そこから必要なことをする態度が生まれてきます。Unさんがいうように、自己中心的になると、結局必要なことを言えずに、またはやらずに、自分ではそう思わないで非社会的な行動をとってしまいがちです。相手の立場に立ってこそ、今ここで必要なことに取りかかれる態度を身につけることが出来るのです。
育児で悩むこと'03.03

 Haさんが「下の子どもが生まれて家にいるようになってからずっと、対人恐怖や強迫神経症のような症状に苦しんでます。幼稚園や小学校のお付き合いは何とかこなしているのですが、こなしているだけなので中身がともなっていなく て、からっぽのお付き合いをずっと続けてきているような気がします。今は幼稚園の自転車での送り迎えがつらく、会う人会う人にぜんぶ気を使ってあいさつをするのでヘンな人、またはずいぶん気を使う人だな〜と思われていると思います」と書き込んでいます。どちらかというと育児そのものよりも、お母さん方とのつきあいで悩んでいるようです。
 それに対してメンバーである心優しいお母さん方がいろいろな助言をしています。Ikさんは「いやな思いをしてあたりまえぐらいの気持ちでいてはどうでしょうか。自分で自分を痛めつけているようなものだから、自分にマル!と誉め てあげると変わってきます」と発想の転換をすすめます。神経質の人は、出来たことよりも出来ないことに注目し、悩むくせがあります。このような認識は大切です。Saさんは、「『自信が無いながらも取り組む』、『恐怖突入』でやってみました。」とアドバイスします。Miさんは、「楽しくなければやりたくないという固定観念を捨てて、自分の好き嫌いはともかくとりあえず手を出していけば良いと思います。」と認識を変えることを助言します。Peさんは「私は1年前からいろいろボランティア活動をしています。自分でも役に立っているんだと思える瞬間、幸せな気分になります。」と世界を広げることをすすめます。
 その通りだと思います。育児は楽しくなくてはならない、母親は常に優しくなくてはならない、などと自分を縛ってしまったら、それこそ苦しくなるでしょう。また育児の時は世界が狭くなり、それがまた自分と子供だけに注意が集中し、とらわれやすい状態となります。新しい人との出会いが大切です。このフォーラムはそのような役割を担ってもいるのです。
対人恐怖とは'03.04

 対人恐怖で悩んでいる人が増えているようです。対人恐怖と一括して呼んでも、実は人は多くの形の悩みを持つものです。例えばDeさんは、なかなかわからないことを人に聞けません。Shさんは極度のあがり症で思春期から悩んでいます。Buさんは、会話がうまくできず、就職の面接がうまくいきません。
 Apさんは、あがり症で苦しんでおり、その出口が見えなくて辛い思いをしています。
 Myさんは、どこに行っても自分だけが浮いている、と感じてしまいます。
 このように人間とは人との関係で多彩に悩むものです。そして心はいつも人の動向、あっている人たちの一挙手一投足に向けられ、そこでの反応に一喜一憂してしまいます。あたかもその人たちがどのように自分を評価しているのか、しか目に入らないようです。一度初心に戻り、自分は何のためにここにいるのか、何をするのか、それをするしかないのだ、と心がそちらの工夫に向かうと、すでに心は相手の動向から離れ、本来の目的に向かって働き出します。
注意と雑念の悪循環 '03.05

 Flさんが雑念恐怖で悩んでいます。「些細な音(時計の音や、犬の鳴き声、隣の部屋のごくわずかな話声等)が気になって、勉強が全く手につかない。これらの音を完全に排除しないと眠れない。今までなんとも思わなかった音が、突然嫌で仕方なくなる(例えば、高校時代は、鼻をすする音が嫌いになりました)。嫌いになった音を聞かされると、頭が痛くなる。一度きらいになった音は、ずっと嫌いなままなので、今では10種類近く、嫌いな音に悩まされている」といいます。
 Taさんが体験に基づいた助言をしています。「雑念にこだわっているときは、僕もそうでしたが、それを意識的に消そうとしてしまいます。しかし、自分で思う雑念や雑音というのは自分の意思でコントロールできないのが現実なのです。・・消そうとか無くそうとか意識的にやろうとすることは、結果的にその雑念や雑音に注意をもっていってしまうことに なっているのです。なので、雑念や雑音がイヤだなーと思っても勉強なり仕事なりをしていけばいいのです。それが大切なことなのだから・・」
 私も同じ意見です。雑念恐怖とは、雑念の出現を恐れ、それを消そう消そうとして注意を雑念に集中してしまう状態です。tarkさんがいうようにそれをコントロールできないものと諦め、一方目の前のできることをしていく心の態度が大切です。それが結果として雑念恐怖から単なる雑念に変えることになります。それはすでに症状ではないのです。
事実を知ること '03.06

 Rcさんが明日の仕事の前に不安になっているようです。「仕事が決まってもあんまりたいして嬉しくないというか、何の感動も感じないんです…。それと、対人恐怖的だから会社の人と上手くやれるだろうかと不安でたまらない。前の仕事が2月いっぱいで終わってからは、履歴書を書いて面接に行っては不採用になる。で、また履歴書書いて面接に行っては、また不採用になる。こんな日々に疲れました。他にも理由はありますが、とにかく今って7年前に病院に入院する前と同じくらい『憂鬱な気分』なので明日からが本当に不安でたまらない…。」と書き込みます。さてこの不安はどのように理解され、どうしたらよいでしょうか。
 Maさんは鋭く指摘します。「会社に行ってみて、実際に働かなければ、何も分からないのではと思います。お話を読んでいますとやはり神経症的発想による不確実な煩悶です。実態のない不安に怯えないでください。明日からのお仕事、頑張ってくださいね」。
 その通りだと思います。つまり考えても仕方がないのです。現実に踏み出してみて事実を知ることこそが大切です。そこで何が起こるのかを観察してみるのもよいでしょう。そこからまた知恵も出てくるのです。Buさんのいうように「会社に行くのは辛い事も多いけど、『仕事をしにいくんだ! 人と話す事を目的にしているんじゃない』と自分に言い聞かせて取りあえず頑張ってます」という認識が大切です。確かに私たちは人と仲良くなるためでなく、仕事をするために職場に行くのですから、その仕事の工夫をするしかないのです。
事実を知ること '03.07

 Unさんが次のように書き込んでいます。「4月から異動して、色々あります。仕事が全くわからなくて、かなり、嫌味に近いことも言われたりしました。でも、結局、今の現実を受け止めえ、誠実にやっていくしかないのかな、と思います。現実は、変わりません。現実を逃げて、理屈をこねるだけなら誰でもできます。また、職場の軋轢はどこでもあります。 特に、神経症の人は(私もそうですが)、それまでの経験からそれが雰囲気に出て、嫌がらせに遭うことも当然あります。やれることは、現実を逃げずに、仕事を真剣にやり、人に対して誠実に接することだけだと思います。・・我々は、もともと不器用ですから、愚直にやっていくしかありません。仕事を真剣にやる、人に対する感謝の気持ちを表す、この基本的なことを忘れて、自分の思い通りに物事を進めようとすると、私の経験から、職場では必ず破綻します。」
 またChも同じような心境について語ります。「5月以降、私はちょっと前向きになりすぎてイケイケ状態になっていたようです。今ちょっと前につんのめりかけています。心理的には、職場で総スカンを食い、四面楚歌になっている心境です。・・職場の最近の出来事に注意を払おう。そして、知っておきたいことがあったら聞いてみること、そのことから逃げてはいけない。疎遠になった顧客に、久しぶりに連絡を入れてみること、そのことから逃げてはいけない。部長に報告すること、相談することから逃げてはいけない。部会に嫌々出席することから逃げてはいけない。・・こうしてみると、本当にイヤなことが一杯あって、かつ、そこからいつのまにか逃げているなあと思う。」
 私は、お二人ともしっかりと事実を知っている、と思います。事実を知ることがいかに難しいことか、それは神経症で悩んだことのある人たちは実感されているでしょう。どうしても私たちは「こうあるべし」、「こうあらねばならない」と決めつけ、そうならない現実に失望し、そしてそこから逃げてしまうのです。このことを知ることから自分を生かす力が育ってくるのです。お二人はこのことを私たちに教えてくれます。
悩みを分かち合うこととは '03.08

 Sqさんが不潔恐怖で苦しんでいます。「強迫神経症の不潔恐怖症で毎日が辛いです。全てうまくいかずに。生きているのが辛くて。少しでもいきる勇気をもらえたらと思っています。が、今かなり追い込まれて余裕がありません・・」。不潔恐怖はその恐怖が生活を行うことに直結しますので、苦しい毎日なのです。それとともに自分だけが、なぜこのような悩みで苦しんでいるのだろう、ということでも人は悩むのです。
 Kzさんも同じ不潔恐怖で悩んでいました。「・・私も、他の強迫観念も、ありましたけど、一番きつかったのは、不潔恐怖症に、陥ったことでした。陥ってしまって、一時、毎日、死ぬことばかり考えていました。でも、森田療法にであって、また、色々な方に、(友人や発見会の方、)御指導いただき、なんとか、日常生活も送られるようになりました。 Sqさんも、辛いかも知れないけど、何があっても、投げないで下さい。心は、一瞬一瞬、変わっていくんです。・・Maさんも、おっしゃられるとおり、これを機に森田療法を勉強していって下さい・・」と書き込みます。Kaさんに自分の悩みを理解されたこと、共感されたことそして悩んでいるのは自分だけでないことをわかったSqさんは、それだけで悩みが幾分か軽くなったようです。
 それがこの体験フォーラムのよいところなのです。そしてKzさんが勧めるように自分の状態を正直に書き込むことは、自分の悩みに対して自覚を深め、他の人の理解と助言を得やすくするのです。KzさんやMaさんの助言に従い、Sqさんは森田的な考えに基づき、嫌な気分はそのまま横に置いて、生活に取り組み始めたようです。森田療法の実行はしばしば一人では困難です。応援してくれる仲間がいてこそ、つまり一人ではないという感覚を持ってこそ、希望を持ちながらつらい日常生活を何とか持ちこたえ、正しい認識を身につけることができるようになるのです。
底つき体験とは '03.09

 Yoさんは、自分の激しい感情反応に振り回され、苦しんでいるようです。また仕事上の悩み、家族のことなど、Yoさんの苦しみは次から次へと襲ってくるようです。それに対して、Maさんはその時々の感情に振り回されない「不即不離」の関係を勧めます。Kaさんは、Yoさんなら必ず得ることがあると、森田正馬全集の5巻を読むことを勧めます。
 Yoさんは「Kaさん、Maさん、ありがとうございます。惨めな自分でもいいのだと、そのままに生きていいのだと、そういう自分をすっぽりと受け入れてもらったような気分で、勇気が出ました。・・これからも本を読んだり、アドバイスをいただきながらそのままの自分で、生き方を見つめていこうと思います。・・今、仕事での人間関係で悩み、元夫を傷つけてしまったかも知れない、そういう罪悪感の中で一日一日を過ごしています。こういう気持ちのまま、今を生きていこうと思って頑張っています。森田療法にであってよかったと思い、頑張れてる自分にも褒美をあげたいです」と書き込みます。
 このように自分の気持ちをしっかりと見つめ、それを書くこと、そして待つこと、がまず自分の感情とつきあい、それに振り回されなくなる第一歩です。そしてYoさんの人の助言を素直に受け入れる心が必ず自分を成長させていくことになるでしょう。
生きることの行き詰まりと落ち込み '03.10

 最近うつ病が増えてきたようです。特に女性のうつ病が増えてきたようにも思います。そして中でも、Yoさんのように、生きることに行き詰まり、落ち込んでしまう方々が増えているようです。「いつも完璧を目指して未熟な自分に情けなく落ち込んでしまいます。仕事は頑張っていくので、それだけは自分をほめてあげたいです。元々生きる気力に乏しく特に離婚してからはずーっとよくうつ状態で、特にこれをしたいというものがありません。 意識して行動しなければという感じで行動しています」。また他のところでは次のように書き込みます。
「・・誰も本気で自分の事を必要としてくれていない寂しさの中で「もう人生終わってもいいかな!」そういう気持ちの自分がいます。」しかしYoさんも自覚しているように、実はもっと建設的に生きたいとも思っているのです。しかし完全主義者のYoさんは自分の出来ないことにだけに注目し、そしてだめな自分と決め付けてしまします。自分で自分の「うつ」を拡大している傾向があります。また自信を失っていますから、どうしても人の評価が気になってしまうのです。
ここでも発想の転換が必要です。自分のできることをぼちぼちとするしかない、それを続けていくことが次第に自分のもつ健康な力を確認できるようになるのです。だめだと決め付ける前に「今、ここで」出来ることは何か、という思いにいたったら、すでに心は現実に向かって一歩一歩踏み出しているのです。
森田を学ぶということ '03.11

 Kaさんが次のように書き込んでいます「私も怖いのは嫌だし、緊張するのも、やっぱり抵抗があるんですが、でも自分の成長とか、向上とか、自分自身の人間として、生命として、活性化して発達しようと思ったら、やはりそんな環境が必要なんですね。・・だから、期限を決めざるを得ないような状況に自分を追いやるとか、人前に出て、やらないと居られない様な状況に自分をおいてしまうということが、結局は工夫として必要なんだと思います。そんなことを感じるこの頃です」。私も本来の生の欲望を発揮させるには、境遇の選択は重要だ、と考えています。Chさんも「神経症や症状は努力して治すことはできない。ただ、境遇が治してくれるだけです。忙しくて、自分のことに構っていられない環境。 それでいて自分の殻を打ち破らざるを得ない環境。これこそが神経症をいつのまにか治してくれるものでしょう。森田の基本がわかってきたら、もう森田のことはちょっと忘れて自分を新たな環境に置くことが大事だと思います」と助言します。Koさんも同意見です。
 それについてkaさんは「・・私としては、森田は忘れるには及ばないと思います。むしろ、もっともっと勉強するべきだと思います・・」と書き込みます。
 私はそれぞれの意見が正しいと思います。私たちは森田の知恵を学び、そしてそれを指針として自分の人生、つまり自分として生きることに取り組みます。それがまた行き詰まれば、森田の知恵に戻る、つまり森田をもう一度学びなおせばよいのです。そのような試行錯誤からその知恵は次第に自分のものとなり、自覚が深まるのです。
神経症と努力の方向 '03.12

 Koさんが強迫観念で悩んでいます。「・・私が気になっているものは一つではなくいろいろな事が気に なって頭から離れないのです。最近では「まばたき」がきになって他人と話している ときに目ばかり見てしまっています・・。」と書き込んでいます。Moさんが同じように悩んでいたことがある、と書き込みます。Koさんはほっとした様子で、次のように書き込みます。「・・私と同じ症状を経験された方をいると知ってすごく嬉しかったです。私みたいな悩みをもっている人はいないと思っていました。そして一生治らないと落ち込んで泣いてばかりいました。Mo様はどのようにして症状を改善されていったのでしょうか?・・」。
 そうです。私たちの最大の苦悩の源泉の一つとして、自分の悩みが特別である、自分のような悩みを持っている人はいない、ということです。他の人が同じように悩んでいる、そしてその悩みを克服したと聞けば人生に希望と勇気が出てくるものです。Moさんは次のように助言します。「・・努力の方向がちがっている(症状を取り除こうと努力するのではなく、症状をもちながら、症状をそのままに受け入れながら生活をしていくよう努めること)との御指摘を頂き、わたしの生活は一変いたしました。症状を取り除くはからいを一切やめてしまったのです。その分、今まで「症状がなくなってからやろう」と思っていた勉強を始め,自分の意識を外に外にむけるようにいたしました。もちろん、症状はもったままです。辛くはございましたが、症状を嘆き、症状をなくすことに一喜一憂していた頃の辛さに比べると雲泥の差があったように思います。」。とてもよい助言です。不安、恐怖、強迫観念とは逆説的なものです。それを取り除こうとしている間はそれにとらわれ、身動きがとれなくなるのです。いわば自分で自分の悩みを拡大していくのです。このことに対する気づきこそ悩みの解決の第一歩です。Moさんの言うように努力の方向を変えていけばよいのです。目の前の出来ることを一つ、一つ取り組んでいけば、少しずつ事態が前にと進んでいくのです。
入院森田療法について '04.01

 FFさんが対人恐怖(視線恐怖)で悩んでいます。「家族の中でも緊張してしまいます。家族みんなでテレビを見ることができません。視線が気になり緊張してしまうからです。家族でもそんなですから家族以外の人では顔もあげられないほど緊張します。森田療法の入院も経験しました。でもよくなりません。死にたくなる時があります。どうすればいいのでしょうか。」
 森田療法を学ぶ手段として入院、外来、発見会などの自助グループによる学習活動、それに最近ではこのようなインターネットを使った新しい体験フォーラムも入ります。この体験フォーラムはきわめて先進的な試みだと思います。ここで蓄積された知恵がさらに将来の悩む人たちの役に立つことを希望します。
 さてどれを選ぶかはその人の悩みの質や今までの社会的経験によって異なります。しかし重要なことは、それらが相互排除的でなく、お互いに相補うような関係であるということです。また入院治療が最終的なものでなく、それからが実は新しいスタートなのです。
Hiさんがいうように入院の場面ではよくなったと感じても、社会に出ると一度ぶり返したような経験を誰でもするのです。退院後は入院の時の経験をさらに自分のものとするある期間が必要で、それは外来や発見会、またこのような体験フォーラムで行われます。
 FFさんも自分をだめと決めつけずに、このフォーラムでさらに体験を深め、森田をさらに学んでいってください。
感情を抱えるということ '04.02

 Ymさんが今まで順調に来ていましたが、ここにきて行き詰まったようです。落ち込んでしまい、また自分の進む道に迷いが出てきたようです。「森田を知ってから今までは、これでやっていけてました。しかし、今回は違いました。
 ウジウジしても仕方のない事なのに、その思いに捉われ、ウジウジ状態が長引きました。ウジウジ思い続けながら(その思いの捉われながら)、次の行動に移りました。でも、やっぱりウジウジは続いたままでした・・・。 Maさん、それでも感情の放置ですか?。」Maさんの答えは、皆さんの予想通り「それでよいのです」というものです。Ymさんは「ありがとうございます。ウジウジするときは、ウジウジのままにですね。体得できる日を信じて、今日から、又、思いも新たに、行動行動と、がんばります!・・」
 同感です。私たちはさまざまな現実の刺激に会い、そしてその人固有の感情の反応をします。それをあってはならないものと決めつけ、それを取り除こうとすればとらわれの罠に落ち込むのです。ウジウジしながら、一歩、一歩前に進んでいく感覚こと重要なのです。
 それと共にKzさんも書き込んでいるように、Ymさんの素直さ、つまりわからないことはわからないと事実を認め、人に率直に聞く態度こそ、そのようなとらわれの罠に陥らないコツなのです。
自己臭・醜形恐怖で悩むこととは '04.03

 Tkさんが自己臭・醜貌恐怖で悩んでいます。「・・自己臭の場合は家に居る時は平気なのですが、人がいる所では相手が気になってしまって咳こむ音等が自分の臭いのせいではないか?と緊張してしまいます。醜形恐怖は主に自分の容姿の事で、最初はコンプレックス程度だったのですが、段々進んできて鏡を見る事さえ恐怖になってきて苦しんでいます。強迫神経症は上記の事柄を中心に確認するとい、関連症を患っています。要するに自分自身の体に過剰な意識を注ぎ、ちょっとした欠陥も許せないみたいな所があるかもしれません。自分の性格としては、神経質・内気・真面目・完全志向等が挙げられると思います。・・」そしてどうしたらこの「とらわれ」から脱することが出来るのか、と書き込みます。このように自己臭・醜形恐怖を「とらわれ」だを自覚することがまず問題の解決の第一歩です。しばしばそれが困難なのです。そして実際にそうなのか、自分が勝手にとらわれ、他の人の反応を自分に関係づけているのではないかと自覚し、観察することが重要です。
 Soさんが自分の体験から次のように助言します。「・・僕の場合は、自分の口の横にできた醜いしわにより、対人恐怖症になりました。醜形恐怖症なのかもしれません。昔から、自分の顔や容姿に自信を持っていた私は、わがままで自分の事しか考えられられない性格でした。・・今は、神経症により相手の顔を見てなかなかしゃべれない人間になりました。周りの人が、僕の口元を見て、おかしいんじゃないかと勘違いしたり、顔が引きつっていないかと常に気にしたり。 でも、Maさんにアドバイスをもらったのは『人はそれぞれ自分の顔や体にコンプレックスを持っていて当たり前』で、僕は人とうまく会話できないのをその皺のせいにしているだけだ、と気づきました。それから、大分楽に友人とも会話できるようになったと思います。・・」
 大切な経験と自覚です。つまり自分に欠点(顔が醜い、臭いがする)があると決めつけ、そのために人に避けられると考えてしまいます。それを自分のものと受け入れ、その時々にしたいと思うことに取り組んでいくことが肝心です。人がどう思うかは、私たちにとってどうしようもないこと、どうしようもないことにありこれやりくりすることを止めて、目の前の出来ることに取り組む心の態度が重要です。
自己臭の悩みと事実を知ること '04.04

 Moさんが自己臭で悩んでいます。この臭いに関する悩みは青年期に多いものです。自己臭で悩まれている方のつらさがこの書き込みには表現されています。
 「・・実は、確かに自分でも多少口臭や体臭が気になることもあり、(思い込みかもしれませんが・・・)それなりに気を使ってはいるのですが、気を使っていても、実際に体臭がきついのなら、仕方がないと思っているんです。でも、実際に体臭がきついとしても、わざわざ話の途中で脈絡も無く話を出されるとものすごい辛いです。どう考えても「臭い人には近づきたくない」というニュアンスで話されますから・・・。あまりに辛くて、その話を出した人を嫌いになってしまいそうなくらい、辛いんです。なんだか、これを起点に、また落ち込む日々が続いてしまいそうです。何をするにもオドオドしてしまう。私が単に考えすぎなんでしょうか。・・悲しいです・・・。」
 Maさんはずばり事実を知ることの大切さを指摘します。「私達が注意しなければいけないことは、事実を認識するだけで、そこから先の憶測は事実から離れますので慎まなければなりません」
 Tkさんも自分の経験をふまえて、次のようにアドバイスします。「自己臭恐怖の人は多分実際臭いを発しているか発していないかは別として他人の反応を過剰に受け止めすぎているのだと思います。ビクビクしたりとか。私もまた他人が鼻に手を向けるだけで極端な恐怖を感じてしまいます。例えば満員電車でも時折体臭っぽいのを感じる時がありますが、その人は全くそんな事気にしている風でもありません。勿論臭いを発しないよう努力するのはとても重要だと思いますが、それと同じくらいいかに気にしない思考にするかというのも重要ではないかと思います(とかいいつつ自分も過剰に気にしているのですが)。 ・・それでやる事やったんだから、回りが何と言おうと気にしない。いや気にしてもこっちはやることはやったんだから開き直る。・・それと同様に自分を客観視するのも仰る通り重要だと思います。」
 体験に裏付けられたとてもよいアドバイスだと思います。またyumirinさんは女性の立場からいろいろと臭いに関するアドバイスします。臭いというのは確かにあいまいでやっかいなものです。特に現在のような清潔さを大切にする日本社会では、人々は臭いに敏感になりますよね。私も事実を知ること、憶測はそれが神経症的とらわれと自覚し、しっかりと観察する自分を作っていくこと、目の前の目的を果たすことなどが重要だと思います。
再び対人恐怖をめぐって '04.05

 Waさんが対人恐怖(あがり症)で悩んでいます。いわば古くてそして今日的な悩みでもあります。アメリカの診断基準では、社会恐怖、社会不安障害というものにほぼ該当するのです。従って日本人だけの悩みでは決してないのです。
 「私は対人恐怖症に悩んでいます。例えば大勢の人前で話すのが大の苦手で、体の振るえが起き、頭の中が真っ白になり、まともに話せたことがありません。症状は子供の時からで、その様な場面を回避してきたこともあり、大人になった今でも変わりません。現在はその様な大勢の前で話すような機会がないことを願いつつ毎日を暮らすとても消極的な生き方をしていると思います。以前、心療内科にも通いましたが、結果的に薬に頼る為、根本的な解決とは思えず通院を止めました。森田療法の話は5年前程に本で知り、まさに自分の為の療法だと思いましたが、まだまだ理解が足りないためにうまく実行出来ません。・・」と書き込みます。このようなことで悩まれている方は多いものと思います。
 さてこのような悩みに皆さんはどのようなアドバイスを送っているでしょうか。
 Unさんは「私も、対人恐怖で抑うつのどん底の地獄を味わいました。ただ、今はお陰さまで、人並みに働いています。・・今の現実の状態等を書かれると、他の方もコメントしやすいと思います。自分のことを書くことを躊躇されるのでしたら、他の方の書き込みを色々と読まれても参考になるかもしれません」と助言します。つまり自己を知ること、人のアドバイスを参考にすることをアドバイスします。Unさんはそのようなことを手がかりに対人恐怖を克服していったのでしょう。
 Noさんは独特の言い回しでその問題解決法を示します。「・・「上がる」自分を自分としてはっきり認め受け入れ(自己受容)そんな事を問題にせず元気に明るく活躍すればいいのです。人前で話をする事になったら、上がっておお恥じをかけばいのです。・・この人前で恥じがかけない自分を別の方向から見つめて、煎じつめると自己中心的で、思い上がりが強く、幼児性を発揮しているのです・・」
 確かにはらはらびくびくしている自分を受け入れるしかないのです。そのような自分を隠そうとするからなおさらそれにとらわれ、苦しくなるのです。Ymさんは「このフォーラムや森田という、学びの場があって嬉しいです。職場や私生活でおおいに役立ち、思いも寄らなかったものの見方が出来たり、自分の傲慢さに気付かせて頂いたり・・」と書き込み、自己理解の大切さや他の人の見方を素直に受けとめることの大切さを述べます。
 しかしWaさんが率直に告白するように、それらの助言はわかるが出来ないからつらい、というところもあるのです。そのような場合は出来るところから、一つひとつ、試行錯誤を勧めます。自分なりに、森田を消化して、実行することが大切です。そこから自分の人生が変わっていくのです。
母親としての成長と森田療法 '04.06

 Ikさんが本来可愛いはずの子供への加害恐怖で苦しんでいます。「・・帰宅してどっと疲れが出たと思って、休息していたら前に座っている息子の首に目がいき、強い加害恐怖(罪悪恐怖)が起きて、強烈な苦しみと不安と自信喪失を感じました。・・」。
 たしかに子供に対する加害恐怖はつらい体験ですよね。Maさんもいうように「・・いくら想像されても事実とは違う、この点をよく把握すれば、如何に自分が気分や感情に振り回され馬鹿馬鹿しいことかがお解りかと思います。・・」
 その通りです。これは恐怖、イメージなのです。それをしっかりと自覚することが大切です。そして時に人間は自分の最愛のもの、大切なものこそ失ったらどうしようと怖れるものです。この恐怖の背後にある自分の愛情を信じていくことが重要です。そしてGqさんの意見に賛成です。「・・焦らずに、このまま森田の学習と実践を続けていきましょうね。母親が森田的に成長すると、子育ても気楽にできるようになるんじゃないでしょうか。」。子育ての大変な時期こそ森田の考えを生かすことが重要で、それが母親としての成長を助けるのではないでしょうか。
失うことと自分として生きること '04.07

 Yoさんが身近な人を亡くし、つらい経験をしています。「ここ数日、落ち込んでて抑うつ的になり困っています。・・絶えられない程の孤独感、喪失感、閉塞感、不安感に陥っています。
 何かをしなきゃ・・と思うし、気力で頑張っていますが、その気力をなくしてしまいそうです。」
 そのような書き込みに対して、多くの人が応援のエールを送り、それぞれ助言をしています。Maさんは自分だけで悩みを抱えずに必要ならば精神科の受診を勧めます。Unさんは、自分で自分の悩みを強めないように助言します。Chさんは人には回復する力が備わっているのだ、といいます。Kzさんは自分のつらい落ち込みの経験を伝えます。Yuさんは気分転換を勧めます。
 それらの書き込みを読んで、Yoさんは「・・自分なりに自分の道を見直してみたいと思っています。」と書き込みます。  私たちの人生には生老病死という苦難が待ち受けています。それは失うことともいえます。これから私たちは逃れることが出来ないのです。このつらい喪失体験はここでの皆さんの助言を参考にしながら持ちこたえていけば、時ともに薄らいでいくものです。それと共に自分としての人生がみえてきます。そこでみえてきたものは、この苦難を少しずつ受け入れた成長した自分の生き方でもあるのです。
嫌いな人とのつきあい方 '04.08

 Mrさんが職場の対人関係で悩んでいます。「皆さんには理屈ぬきに「とにかく嫌い!」って人、いますか? 私にはいます。今年職場に来た、年上の後輩です。当然のことながらちゃんと理由はあるのですが、もう嫌だなーというのが積み重なりすぎて、「存在自体が嫌い」なんです。・・当然、職場なので話もしなきゃいけないのですが、私があまりに 嫌いオーラを出してしまっているため、仕事以外では話しかけてこなくなりました。・・」
 Chさんは次のように自分の経験を交えながら助言します。「嫌いな人だからといって、無視していると、だんだん険悪になっていくことがありますよ。これが恐いのです。そばに居るのに、全く口をきかなくなります。だんだん、仇のように相手のことが憎らしくなり、相手の一挙一投足にイライラしてきます。・・好きになる必要はありません。嫌いという態度は控えること。 相手を無視するような態度は絶対に取らないこと。大人として、冷静に、口をきくこと。こんなことが大事かと思います。」
 Kzさんは自分のつらい経験を語ります。そして自戒を込めて次のように書き込んでいます。「・・改めて、私は「必死」になっていないなと思いました。どこか逃げ道をつくろうとしているような気がします。家庭を築き、大変な思いをしながらも働いている人たちを思うと、どこか引け目を感じたりします。私も気持ちだけは真剣に、軽い気持ちで逃げないように頑張って生きてゆきたいと思います。」
 この回答には、Chさんの別の書き込みが役に立ちそうです。最近お母様のことでChさんはつらい経験をしました。そして感情と行動の法則に関してある理解に達したのです。「私は今回の経験で、人間の感情というものの特質が少しわかった気がします。感情は1つことにこだわると、本当に狭い1つの世界に浸ってそこで安定してしまう性質があります。しかし、それと同時に、あえて行動することによって感情が流れ出す性質も持っているということがあります。このどちらの特質も人間の感情が持つごく自然に沿ったものなので、良い悪いの問題ではないと思います。・・大事なことは、重苦しい感情や、1つにとどまろうとする感情を抱えたままそのままに、おずおずと起き出して動き出すことです。・・重苦しく、苦しく、絶望を伴うような感情を感じたまま、現実から要請される必要とする行動に着手していくべきです。・・感情は狭い1つところにとどまっていた状態から、広い世界に向けて動き出します。」
 つまり嫌いなものは嫌い、これは感情の事実です。しかしそれにとらわれてしまい、あるいはそれに振り回されてしまっては、その時々の現実に取り組んでいくことは出来なくなるのです。職場とは、嫌な人を好きになる、あるいはさらに嫌いになる場所でなく、お金をもらって仕事をする場所です。従ってchさんがいうように仕事に必要なことを嫌いなままにやり取りして行けばよいのです。そうすることでそのような感情はまた変化していくのです。
職場のいじめ対策 '04.09

 Mtさんが職場にいじめで悩んでいます。「今日は、一日落ち込むことが続いてしまいました。 その始めは、昼間の職場の副料理長の、私へのいやがらせでした。」
 そこでの嫌な思いをして、つらい思いを引きずっているのです。
 Maさんは高口先生の講演の内容を引用して次のように言います。「ストレスに強い方は、同じように精神的に落ち込んでも行動はされていくんだそうです。それは行動することによってやがては沈んだ心が上がってくることが経験上解っているからなのだそうです。私もそうだなあと思います。」
 Mtさんは重要なことに気づきます。「思いきって書き込んで良かったと思いました。以前は、自分がいじめられるような存在なんだと認めることが辛くて、ひた隠しにしていました。それは対人恐怖があることを、ひた隠しにする心理と通じているように思います。いじめられることとか対人恐怖があることが、自分のとても恥ずかしい弱点と思っているからですね、たぶん。」  そうです。つらい思いを隠し、事実をしっかりとみないことがさらにつらさを増していく場合もあるのです。それを認め、そして人とその悩みを率直に話し合ってこそ、その対策が出てくるのです。
 Ymさんは次のように具体的な助言をします。「・・副料理長とは仕事上の関係と当分のあいだ割り切って、飛んでくるいじめの罵詈雑言は聞き流し、悩む時間を細かい仕事・雑用などの仕事に振り向けて無我夢中でやってみるのがよい方法ではないかと思います。」
 まさにその通りだと思います。このような人とは出来るだけうわべだけでも、ビジネスライクに接していくことがコツでしょうね。そして仕事に工夫する心を育てることこそ、つらいいじめを乗り越え、さらに成長していくことにつながるのではないでしょうか。
人とうまくつきあう方法とは '04.10

 Flさんが職場の人付き合いで悩んでいます。「人付き合いが上手く出来なくて悩んでいます。環境が変わるごとにたくさん友人が出来て楽しく過ごす時もあれば、場に馴染むことが出来ず孤独で過ごすこともあり、極端です。・・私は私なりに荒波を立てまいと心がけているつもりですが職場をいくつか変わっていますがその時々何らかのトラブルが起きるので今は人に対して積極的になれませんし、またその態度さえトラブルを招くようで新しい仕事を始めるのも躊躇しています。社会人として場の雰囲気を悪くせず仕事がしたいのですがどのように人と付き合えばいいのでしょうか?」
 Ugさんは次のように助言します。「人と上手く付き合える方法が、あれば私も教えて欲しいです。ただ、職場では、2つのことを心がけています。
1.自分の仕事については、しっかり勉強して何でも答えられるようにする。
2.何かしてもらったら「ありがとうございます」と大きな声で言う。
 私も、人間関係を作るのが上手ではありませんが、何とかやっています。それと、自分が楽しいな、と思うことを始めると良いと思いますよ。・・」
 Kzさんは次のように書き込みます。「場の雰囲気を悪くせずに仕事をしたいのは私も同じです。ですが、うまく行くときもあれば、どうしたって気まずい雰囲気になったりすることもありますよね。人間は完璧じゃないですから、それはしょうがないと思います。それよりも、自分の体裁を守ることを考えるより、自分がどう動いたら人の役に立てるか、それを優先的に考えて行動の指標にすることだと思います。そういった頭の使い方が習慣に出来ればいいんだろうと思います」
 表現こそ違いますが、お二人のいっていることは同じです。つまり人とうまく付き合おうと思えば思うほど、それにとらわれ、本来の自然な心の動きがなくなってしまうのです。そして結果として益々人とのつきあいがぎこちなくなるのです。つまり望んだことと結果が全く逆となる神経症的パラドックスです。職場の人たちの一挙手一投足に一喜一憂するのではなく、まず目の前の目的を果たすこと、つまり仕事を工夫することに心を砕くことが大切だと思います。
思い通りにならないもの '04.11

 Hcさんが以前にうつ病で悩み、今は神経症的な悩みで苦しんでいます。
「・・数年前から人前での緊張が激しく、ひどい口渇のために話すことができなくなる、ということを繰り返してきました。14年前から糖尿病でもあります。授業を始める前にVCを口に入れ、唾液の分泌を促し、ボトルの水を飲みながら、授業をやります。今、担任クラスの生徒と関係がしっくりいきません。怒らなければいけない時に唾液が止まってしまったり。この学校に来て2年ですがどうもしっくりしません。・・」
 Unさんは「・・鬱だけでしたら、精神科で抗鬱剤を処方してもらうとよくなります(私も経験者です)。ただ、生き方の問題ですので、考え方を変えないと根本的な解決にはならないのですが。苦しいと、些細なことで押しつぶされてしまいますので、この場で、文章で、こういう場面が辛い、こんな生徒が苦手だとか、色々と書き込んで見ると客観的に自分を見ることができるのかな、と思います。・・」と助言します。
 Gqさんは「・・うつ気分や疲労感や不快感や雑念も、そのままにしてすべきことやしたいことをしているとおさまっていきます。はじめは難しいですけど、我慢して素直にやってみて、コツ呑み込めば、とりあえず、ヤレヤレです。」
 このお二人の助言に賛成です。Unさんの言うようにある種のうつ病は抗うつ剤を服用すればよくなります。しかしHcさんのような悩みの場合の根本的な解決法は「生き方を変える」ことです。それはさまざまな心身の不快感、生徒たちとの関係も自分の思うがままにしたい、苦悩を取り除きたい、と思うとその苦悩は強まります。それを抱えながら自分なりに出来ることをする、出来ないことはあきらめることから道が開けるのではないでしょうか。これからの健闘を祈ります。
「うつ」の治療と仕事に復帰すること '04.12

 Ysさんがうつ状態に陥り、仕事の復帰のことで悩んでいます。「・・この1〜2ヶ月はとても落ち込んでました。
 職場で思わぬトラブルがあり、その後の精神状態が保てませんでした。・・この1〜2ヶ月、何もする気力がなく仕事から帰ったら疲れが押し寄せ、 PCの電源も入れたくないし、テレビも見たくないというほどだったので、敷居の高かった自分の職場の外来を受診し、ウツの治療を始めました。・・」そしてさらに次のように書き込みます。「・・気力で頑張れない自分が情けないと思ったりしていましたが、気力だけでは頑張れない時もあるし、医師や薬を信頼する事の重要さを教えたれた気がします。
 職場のみんなに迷惑をかけてしまったけど、「ゆっくり休むように!」と暖かい言葉をもらい心強かったです。自分の中にある弱さも根気強さも受け入れていきたいと思うこの頃です」
 Ysさんのこの自覚は大切です。まず私たちは、「うつ」に落ち込んだときに、しばしばそれを認められずに、自分の生活の弱さだ、怠けだと自分で自分を非難してしまいます。それが結果としてうつ病への対処を誤ってしまうのです。Ysさんが医師や薬を信頼し治療を受けようと考えたこと自体が現実を知り、その対処を知る上で重要なことです。またをうつ病で休んでしまうと、もともとまじめなタイプの人が多いだけに、職場に迷惑をかけたのでその分がんばらなくてはと、焦り、それがまた心身の過労、行き詰まりを招き、「うつ」に落ち込んでしまいます。
 そのようなときに、「うつ」に落ち込んでいる自分をそのまま認め、休むときは休み、できることを自分の状態に合わせて行うことが回復への重要なステップなのです。その確実な第一歩をYsさんは踏み出していると思います。
おっかなびっくり薬を減らす '05.01

Iaさんは書きました。「神経科の医師より、減薬を診察のたびに勧められ、憂鬱になってしまいます。・・・まだ私は精神的にかなり不安定で、減薬の自信がありません」

 Iaさんの飲んでいる薬や今の状態のことは分かりませんので、一般論としてコメントすることにします。神経症には今日、抗不安薬と抗うつ薬(特にSSRI =選択的セロトニン再取り込み阻害薬と呼ばれるタイプの薬)が広く処方され、それなりの効果があります。強迫神経症の場合、50%くらいの方にはSSRI がある程度有効だといわれています。しかし薬だけではすべての不安(症状)が解消するわけではなく、また服薬をやめた後の症状再燃も少なくありません。そこで多くの医師が、延々と長期間にわたって投薬を続けているのが現状です。なかには「一生服薬する必要がある」と言ってはばからない医師もいるようです(怠慢だと私は思いますが)。
 しかし森田療法に携わる医師は、薬だけで神経症を解決しようとせず、薬は患者さん自身が行動を立て直していくための補助手段と考えています。行動の広がりを見ながら徐々に薬は減らしていき、やがては薬を飲まずに生活できることを目指しているのです。仮に減薬の当初、不安が生じたとしてもそこで行動を崩さずに粘っていけば、時間と共に不安は通りすぎていくものです。神経症の方が一生涯服薬する必要はないのです! Iaさんの主治医もそのように考えていらっしゃるのではないでしょうか。
 自信がついてから薬を減らそうとすると、ついついその機会を先延ばしにすることになってしまいます。自信がついてから(不安がなくなってから)行動しようとするのと同様ですね。ですからある程度行動が立て直されてきたら、主治医と相談の上、おっかなびっくり薬を減らしながら生活に取り組んでいかれることをお勧めします(通常、薬はゆっくり減らしていきますよ)。
(中村 敬 先生)
人間関係で、今自分に何ができるか '05.02

 Ctさんの悩みは「自分の発言したこと・行動が、相手にどううつっているのか必要以上に気になります。先週までアルバイトをしていたのですが、いつも脂汗をかく感じでついにやめてしまいました」というものです。
 おそらくCtさんの悩みは対人恐怖的なものと推察します。しかし、こうした悩みを持つ人の多くは、本当は“周囲とうまく付き合いたい”、“任せられた仕事は失敗なくきちんとやりたい”と思っているものです。だからこそ、自分の言葉が相手を傷つけていないだろうか?あるいは自分がどう評価されているだろうか?と相手の反応を気にしてしまうのです。言い換えれば、周りからどう思われても関係ない、とマイペースな人は周囲の反応など気にならないのです。
 しかしマイペースな人の場合、当人は悩んでいなくても、周囲が困っていることは少なくありません。こうしてみると、Ctさんの悩みは決して周囲と関わる上で困ったものではなく、頑張るところがずれてしまっているために不都合が生じていると言えます。
 今回アルバイトはやめてしまったとのことですが、おそらく本来の仕事よりも周囲の思惑や自分の態度ばかりに注意が向いてしまったために、より一層緊張が強まり、結果的に仕事でもミスをしてしまったりして居たたまれなくなってしまったのではないでしょうか。もしそれで本来やりたかったアルバイトを今後もあきらめてしまったら、それはとても惜しいことです。周囲と付き合うときに、自分の期待通りに理解してもらう、あるいは評価してもらうことは難しいかもしれません。しかし、本当は相手とうまく付き合いたい、人と関わりたい、という気持ちを生かすために自分なりに出来ること、例えば「自分の伝えたいことは言葉にして伝えてみる」「なるべく相手にわかるように話す」「任された仕事には丁寧に取り組む」といったことは、何とか自分の力で出来ることです。また、相手の話によく耳を傾け、聞き上手になることも人間関係を築く上では重要です。今は自信を無くしてしまっているかもしれませんが、ここであきらめず、折角の思いを「相手からどう思われるか」ではなく「自分なりに何が出来るのか」といった方向に生かしてみてください。その試行錯誤は必ず自分の成長に繋がると思います。
(久保田幹子 先生)
あるがまま、自然な自分を出すこと '05.03

 Alさん。随分対人緊張で悩まれていて、現在のつらい気持ちが伝わってまいります。Alさんの文章を読んでみて感じたことからいくつかアドヴァイスを致します。
 「いつも自然に笑顔が作れれば人間関係がスムーズにいく」とお書きになられていましたよね。ここから、「いつも笑顔であらなければならない」といった「かくあるべし」理想の自己像に縛られていることが窺えます。他人と接する時にはその状況に応じて色々な表情をすることが「自然」であると思います。他人とのコミュニケーションは笑顔でいる、いないといった表情だけでするわけではありませんよね。言葉にならないコミュニケーションもあるわけです。ですから、「常に笑顔でいる」といった構えを緩め、ぎこちないながらでも本当に自分が話してみたい人と話してみましょう。自分が思うほど相手がalbaroさんの表情を気にしていないこともしばしばですよ。
(舘野 歩 先生)
「話す」よりも「伝える」から '05.04

Mlさん、対人緊張のつらいなかで通学をされているのですね。
文章を拝見しても、自分を振り返る力は十分ある方のようにお見受けします。
ご自身でも「完璧主義」とお書きになっているように、「こうでなければ」という姿勢が強いのでしょうね。
「どう思われたんだろう?」という不安は、「相手に認められたい」気持ちがあるからこそ生まれる、人を求める気持ちと背中合わせの自然な感情です。
その不安を消そうとして、「よく思われなくてはならない」「変に思われてはいけない」という風に構えてしまうと、ますます自分のあり方に目が向いてしまい、悪循環に陥ってしまいます。
人と話すときに自分の話し方ばかりに目が向いてしまい、そのために相手の話をちゃんと聞けなくなってしまっていることには、ご自分でも気づかれている様子。
そこで、まずは相手の話の内容をよく聞き、うなずいたり相槌をうったりする、よい聞き役になることを目指してみては?
そして、「話す」というよりは内容を「伝える」ことを大切にしてみましょう。
学校では、緊張したままでもよいので、授業を聞き、ノートをとるようにしてみてください。
きっと持ち前の「良い自分であろう」という気持ちが生かされてくると思いますよ。
(塩路 理恵子 先生)
聞き手上手 '05.05

 こんにちはHrさん。社会人になると色々な人と会話をしなくてはならなくなり、緊張することもしばしばありますよね。ただHrさんは話題を増やそうと本を読んだりして努力したとのこと。そこからHrさんは、苦手意識が強い一方で人と上手く会話をしたいという思いも人一倍強いのではないではないかと感じました。もしそうだとすれば、上手く話したいと思うばかりに、余計苦手意識克服に注意が向かってしまい緊張感を強めていったかもしれません。
 しかしスラスラ話せることは本来最良なコミュニケーションなのでしょうか?このことをHrさんが今一度自身に問いかけてみてはと思います。というのも、会話は何も話し手だけでなく聞き手もいてはじめて成り立つものだからです。話すことが苦手だとすれば聞き役から回ることもコミュニケーションの一つだと思います。会話の中で、自分が聞き役から話し手になることがもしあったとすれば、ここはしどろもどろで話し手に挑戦していって欲しいと思います。特に話し手になった際には、上手く話すことに意識をむけるのではなく、言いたい内容をきちんと伝えていくことに意識を向けていってもらえればと思います。
 当然ぎこちなく伝えていってよいのです。一生懸命伝えようとしている姿勢だけでも案外聞き手はHrさんの思いを理解してくれるものですよ。そして最後に、アルバイトからでも良いので仕事に復帰することを是非お勧めします。辛いかもしれませんが仕事はコミュニケーションに挑戦する絶好のチャンスでもあるからです。必ずや道は開けてくると思います。頑張ってください。
(樋之口潤一郎)
認知行動療法と森田療法 '05.06

 Trさん、こんにちは。強迫神経症の自分の症状とほかの症状のちがい、また、森田療法、認知行動療法という二つの治療法の比較と、いろいろと考えておられますね。神経症の治療では自分の状態を十分に理解し、意識的な努力を積み重ねることが大切です。その取り組みを尊重せずにはいられません。
 Trさんのご意見とご質問について考えさせていただきます。強迫性障害の治療には認知行動療法が一般的であると医師から言われたとのことですね。一般に、認知行動療法は、症状を引き起こす不合理で極端な、自動的で習慣にもなっている自分の考えかたに気づき、事実に即した考え方を身につける練習をします。その上で段階的に不安を伴う行動に踏み出していくようにします。森田療法と異なる点は、治療の目的として症状を治すことに重点がおかれること、また、思考や考えを現実的なものに修正しようとすること、といったところでしょう。
 森田療法は症状それ自体を治すことではなく、症状を抱えながらも取り組むことが出来た行動を重視します。また、患者さんの考え方そのものを直接変化させようとはしません。その代わり、不安は人間にとって自然の感情であり、不安やそれに伴う症状を取り除こうとすることがむしろ悪循環となって状態を悪化させること、不安のままに目的本位の行動に取り組む姿勢が重要であることをご理解して頂きます。また、森田療法と同じ点は、Trさんもおっしゃるように、不安を伴う行動にも踏み込んでいく必要がある、としていることです。どちらの治療法でも新しい考え方や物の見方をきちんと身につけるには行動も重要である、としていることは共通しているように思います。
 Trさんは雑念恐怖や雑音恐怖といった強迫観念があり、症状を取り除きたいという気持ちがお強いとのことですね。認知行動療法で、認知的に強迫観念の合理性について考えていっても、新たなとらわれやこだわりを生んで悪循環になる可能性もあるでしょう。Trさんの症状の治療は森田療法のほうが取り組みやすいかもしれません。強迫観念はあってもいいし、症状を取り除きたい気持ちは当然です。その当然の状況のなかで、目的本位にやるべきことに取り組む、行動していくことが重要です。
(鹿島直之)
回復の過程に波はあるものです '05.07

 Taさんが書いています。「はからいながらとらわれながら、やるべきことをするようにしているうちに、とらわれがなくなる経験が出来た。しかし、新たな強迫症状が生じ、そのことがどうしても気になってしまう。」それにMaさんが「態度を改め、症状に目を向けるのではなく、やるべきことを重視してください。」と返答しています。そこでtaさんが「はからうことばかりに気を取られ、やるべきことをするという大事なことを忘れていた。」と書いています。お二人のやり取りを拝見していますと、よい気付きをされていると思います。まず、Taさんは目的本位に行動することでとらわれがなくなる経験をしたと書かれていますように、症状とよい距離をとる経験をされていると思います。
 その一方で、新しい症状が生じ戸惑っています。回復途上では症状に波があるものです。直線的な回復というものはありません。しかし、その際においても、症状への構えは同じであり、初心に戻って「やるべきことに打ち込む」ことが、Taさんが「症状に向いている注意をもっと大切なところに向かせていければよいと思う」と書いていますように、自分らしい生活を送ることに繋がると思います。
 「症状が出てくると何もやりたくなくなるが、頑張って動くようにしている。」とのこと、その調子です。
(矢野勝治)
風が吹けば桶屋が儲かる・・・ '05.08

 Swさんは書きました。「自分でその不安を取り除く為の『答え探し』や『質問』をする際、念には念を入れて?!、「賞味期限の過ぎたのを2個も食べてしまった。」おまけに『なんとなく昨日は体調がよくなかったようだ』 そういえば『カビもついていなかったっけ?!』 といった風に不安の上塗りをしていってしまう事があります。」
 Swさんのいう「不安の連立方程式」とは、強迫観念の特徴をうまく捉えた表現ですね。不安な考えを取り除くための『答え探し』は、往々にして「万が一の可能性」に思い当たって一層の不安を招いてしまうものです。このような考えが連鎖をなすと、とてもありそうにないことにまで不安が行き着いてしまいますね。一例を挙げると「床屋に行ったら顔色の悪い客がいた」→「その人は感染性の病気かも知れない」→「その人の髪をカットしたとき、はさみが頭皮を傷つけ血が付いたかも知れない」→「血の付いたはさみがよく洗われないまま自分に使われたかも知れない」→「その血の中にあった病原体が、自分の頭皮の傷口から侵入したかも知れない」といったような考えの道筋です。このような「万が一の可能性」の連鎖をたぐっていくことは、例のことわざ「風が吹けば桶屋が儲かる」によく似ています。大風が吹けば→砂埃が舞い→その砂が目に入り→目を病む人が多くなる→こういう人の中には三味線を習う人がいて→三味線には猫の皮が必要だから猫が殺される→猫が殺されると鼠が増え→鼠は桶をかじる→だから桶屋が繁盛する、というありそうにない結論にたどり着くのです。このことわざには、「当てにならないことを期待する(予期する)ことのたとえ」という意味があります。強迫観念も同様に、万が一の疑惑を重ねていくうちに、当てにならない(ありそうにない)ことまで心配の種になっていくのですね。
 ですからこういった思考のパターンは「風が吹けば桶屋が儲かる」とでも名づけておき、不安の上塗りを重ねそうになったら、「あっ、風が吹けば・・・だ」と思い起こすようにしてはいかがでしょう。われながら思わず苦笑してしまい、疑惑の連鎖から抜けやすくなるかも知れませんよ。Swさんは、大分自分のことを客観的にご覧になれているようです。仕事には充実感をもって臨んでいるとのことですから、あと一歩のところまで回復されているのでしょう。「不安の連立方程式」でも「風が吹けば・・・」でもいいですから、強迫観念の連鎖を一言でくくってしまうような呼び方を見つけてみましょう。できればユーモラスな呼び名がいいかも。
(中村 敬)
人間関係はキャッチボール '05.09

 Hsさんは「人間関係で悩んでいる」とのことでした。学校にしろ会社にしろ、人との関わりがある以上、人間関係の悩みは尽きないものですね。しかしこうした悩みは、それだけ人と良い関係を作りたいという欲求の証でもあります。Hsさんはこうも書いていました。「僕は今までその人とうまくやるにはどうすればいいか、しか考えていませんでした。そして、その人とうまくやれるようになるべきだ、と考えていました。でも今、それは違うんじゃないかなって思い始めています」。良い関係を作りたいと思えば、どうしても相手から嫌われたくないと考えるものです。
 しかし、そう思えば思うほど、相手の顔色が気になったり、自分の表情などに注意が向いてしまって、かえってギクシャクした関係になってしまいます。これは「うまくやろう」と気負いすぎて、実際の相手や自分自身を見失ってしまうために生じる空回りとも言えるでしょう。そうした時には、案外関わっている相手そのものや相手の気持ち、自分の気持ちは置き去りにされてしまっているかもしれません。あるいは相手と「うまくやること」だけにとらわれて、自分がすべきことがないがしろにされてしまうこともあるでしょう。  たとえばキャッチボールは、相手の立っている場所、力量などを見て、投げる方向や力加減などを考えなければうまく出来ません。つまり、いくら自分だけが完璧なフォームで投げたとしても、相手の状態をしっかり観察して投げなければ相手にとっては非常にやりにくいキャッチボールになってしまうのです。人間関係もこのキャッチボールと同じようなものと言えるでしょう。すなわち、相手がわかるように言葉を投げること、そして相手が投げかけている言葉をキャッチしようと心がけること、その繰り返しが言葉のキャッチボール(会話)であり、そこからお互いの理解が深まるのです。
 またキャッチボールに戻って考えてみましょう。もし、自分のイメージ通りにボールを投げてくれない相手だったり、思ったとおりにボールを受けてくれない相手だと非常にやりにくさを感じると思います。しかし他人を思い通りに動かすことは出来ないので、結局自分が取りやすい位置に動いたり、取りやすいボールを投げるしかありません。人間関係も同じでしょう。結局相手も、そして自分自身もイメージどおりに動かすことは困難なのです。「うまくいかない!」とジレンマに陥った時、ちょっと一拍おいて考えてみたらどうでしょう。つまり、「うまく」というのが、「自分のイメージどおりに」ということになっていないかを振り返ってみるのです。
  Hsさんも書いていましたが、全ての人と「うまく」(=思い通りの)関係を作るのは難しいことです。しかし、すぐに思い通りに出来なくても、相手がどんな人なのか、どんなことを考えているのかに思いをめぐらし、そして自分はどんなことを考え、何を伝えたいのかを考えながら、