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普通神経症のグループ

”とらわれ”に気づく'98.11

先日メンタルヘルス岡本財団岡本理事長のお供で中国の日本森田療法学会に出席したり、中国での森田療法家や森田療法を受けた神経質の人に会ってきました。中国は訪れるたびに何かが変化していて活力のある国です。この国でも多くの神経症で悩む人が治療を求める時代になりました。岡本理事長のご尽力でその治療法の一つとして森田療法が中国に導入され、多くの治療者が育ちつつあります。中国の森田療法の専門家に聞くと、中国で多い神経質のタイプは普通神経質、次いで不安神経症、強迫観念症となるそうです。さまざまな身体的症状、その時々の体調、食事すること、吐いてしまうこと、自分の健康状態への不安などなど、身体とその感覚にとらわれてしまうのは人間の共通の心理でしょう。特に東洋人には多いのかもしれません。そこには体の調子、身体的感覚、身体症状に単にとらわれるのではなく、何らかの不安が介在しています。多くは予期不安と呼ばれるものでまたそれが起こるのではないかと恐れ、自分で自分の不安を強め、それが身体症状をさらに引き起こすという機制があります。あっ!!これがいつもの悪循環だ、とらわれだと自分で分かれば、だいぶ自分への理解がすすんだといえるでしょう。あとはどのグル−プの皆さんにもいえることですが、症状に注意を奪われ、大切な人とのコミュニケ−ションや生活感覚を忘れていないかどうか、自分でチェックすることが重要です。
眠れないときは..'98.12

エイズ恐怖、肝炎恐怖あるいは不眠恐怖はわれわれが生きている以上大なり小なり感じるものです。生、老、病、死というようにわれわれの基本的な悩みであるわけです。われわれが生きたい、よりよく生きたい、完全な状態で生活したいと思えば、体のこと、健康のこと、睡眠のことなど不安の種は尽きません。私も何らかのきっかけで自分の健康状態、眠れないことにとらわれます。その時には、眠る努力よりも、昼間の生活により注意を払おう、眠れないときは好きな本でも読みながら時間を過ごそうか、と覚悟を決めます。この時選ぶ本は今まで読んだことのない新しい本より、何度も読み返した好きな本が私にはよさそうです。また健康に対する不安は、私たちの年代では当然感じてきます。病気にならない努力よりも、まず生活の質を上げる努力をしてみようと考えるようにしています。
自助努力が重要'99.1

人の悩みにはさまざまな次元がありますので、一概には言えませんが、一般的には神経症的不安、恐怖に対する治療として、薬物療法、カウンセリング(あるいは精神療法)そして自助努力という3つの柱が挙げられます。そして最初の2つはいずれは必要がなくなりますが、自助努力はわれわれが生きていく上でもっとも重要なことになります。それに心の体験フォ−ラムが役に立つと思います。また、社会恐怖と呼ばれるものは人前での行動についての不安を主とするもので、いわゆる対人恐怖と少し悩みの焦点が異なります。しかし森田療法を学ぶことが大いに助けになると思います。
ヒポコンドリー(心気症)'99.2

ヒポコンドリ−について考えてみました。われわれはちょっとしたことから体の調子、健康および病への恐れなどにとらわれるのです。これは古代からしられた悩みでヒポコンドリ−(心気症)と呼ばれていました。私たちは生・病・老・死などの苦を持ちながら生きていくわけですが、その代表的なものが心気症つまり普通神経質というわけです。生きることに必然的に伴う苦悩ですので、われわれはそれとどう付き合うか、どう折り合いをつけるか、悪戦苦闘します。例えば眠れないことは、次の日がどうなるのだろうか、自分の健康状態は、早く寝なくては仕事が出来ないなどと悩み、悩めば悩むほど眠れなくなります。そのように苦悩しながら、その日その日をそれなりに生きていくこと、それが生きることとではないでしょうか。
体に関する悩み'99.3

体に関する悩みは、一般的に自己臭恐怖あるいは広い意味での対人恐怖と分類されます。または体へのとらわれつまり普通神経質とも近い関係にあります。実際には、その悩みが単純なものではなく、苦手な状況→体の不調→人に知られる恥ずかしさ、というつながりを持っているようです。そこには人には自分の弱さを知られたくない、という負けず嫌いがこころがあるかもしれません。まずは自分はそのように反応してしまうからだと心があるのだ、と認められればよいと思います。「腹の具合が緊張すると悪くなってね」と頭をかきながらいえれば、世界が変わるかもしれません。
あるがまま'99.4

“あるがまま”について私の感想を述べたいと思います。ありのままに現実と自分を認めていくことがいかに困難なことか、皆さんよくご承知のことと思います。自分の欠点については、ありのままにどころか、その十倍にも見て取り、自分のやったことについてはありのままではなく、過小評価していまうわけです。逆に自分の弱さをそのまま受け入れることが私たちは一般に困難です。ではどうしたらあるがままに現実を、自分を、自分の感情を認めていけるか、あるがままたらしめるにはどうしたらよいのか?自分の感性、自分の感じ方を大切にすること、恐怖の背後の健康な欲望を見つけていくこと、それを発揮すること、恐怖、不安をとりあえず捨てておけることだと思います。われわれが生きていくこと自体がある種の苦を生じるとするならば、それをとりあえず捨て置き、自分の欲望を発揮することだと思います。
生の欲望と悩み'99.5

われわれの悩みは、欲望から生じ、そしてわれわれが生きるということは、その欲望を生かすことであり、そこで生じる悩みを引き受けることである。われわれの人生とは、そのようなものであると思い定めれば、もっと素直に自分の欲望を感じ取れるかもしれないと私は思いました。
ストレスと上手く付き合う'99.6

仕事がいやで悩んでいる人へ
いやだいやだと思えば思うほど、つらさは募ります。心は悩みだけしか見えず、閉じられてしまいます。外を観察すると興味あることがいやな職場でも意外にあるかもしれませんし、相談できる上司や同僚がいるかもしれません。
仕事にストレスはつきもの。問題はそのいやなストレスをいかに取り除くかではなく、それを自分の中でいかに昇華(消化という言葉でもよいと思いますが)するかということです。
重圧に負けないために'99.7

職場の異動にも悩みはつきものです。昇進ともなれば周囲の期待もひしひしと感じ、それだけでプレッシャ−になるものです。特に責任感が強い完全主義者にとっては、失敗してはいけないと苦しくなってしまいます。
症状がひどい場合には専門家の受診をすすめます。また、何でも完全にやろうとするとつらくなるので、最初はまず勉強、わからないことは周りの人に助言を求め、ぼちぼちとできることから手を出していくことをすすめます。森田療法の勉強も役に立つでしょう。
手の震え'99.8

多くの人が手の震える恐怖で悩んでいます。食事中や仕事中に人に見られていると思うと手が震えてしまいます。おそらく「震えまい」と思えば思うほど手が震え、注意がそれに引きつけられ、それがまた手の震えを強めます。悪循環です。同じような状況になったらどうしようとさらに不安がつのります。予期恐怖です。まずは自分の陥っている悪循環に気づくこと、震えるものと覚悟を決めてその場その場のやるべきことに手を出していくこと、震えを取り除くための人生から、震えを持ちながらも自分のしたいことを探していく人生に価値を転換することが肝要です。
自己観察のすすめ'99.9

慢性の不眠と疲労感や手の震えといった悩みは、自覚しているご本人にはとてもつらいことです。しかしこのつらい体験の中には、自分で自分のつらさを強めているメカニズムがありそうです。それが「とらわれ」です。早く症状を取りたい、例えばきちんと眠りたい、疲れを取りたい、手を震えなくしたいなどの欲求が、症状への注意を強め、それが症状を強く感じさせます。まず、一歩距離を置いて、自己観察することを薦めます。そこからどの程度この自分で自分の症状を作り出しているかが理解できれば、解決の出口に立ったことになります。
ボチボチ感覚で'99.10

さまざまな体の症状や昼夜逆転で悩んでいる人にとって症状はつらく苦しいものですが、まず己を知ることが大切です。よくよく自分を観察すると、そこに自分の生き方が反映されているものです。これさえなくなればと思い、その症状を取ろうとすればするほど苦しみはつのります。これは一般に完全主義的生き方です。白か黒か、無か全か、という対立的生き方です。症状と付き合いながら、ボチボチ感覚でいけるとよいのですが。
眠れぬ夜の苦しさ'99.11

私たちの最も普遍的な悩みの一つが眠れないことです。私たちは眠れぬ夜を悶々として過ごし、次第にそれがひどくなると夜が恐くなるのです。しかし眠れぬ人の多くは、起きている時にさまざまな悩みがあります。眠れるという悩みは私たちが起きている時の行き詰まりを象徴的に示しています。眠れないと恐怖すればするほど眠れなくなります。不安になるまいと思えば思うほど、不安になります。ここに不安の逆説があります。もう一度昼間の生活がどうなのか、眠れぬ人は考えることが不眠恐怖の最大の解決法なのです。
書痙の悩み'99.12

人前で手が震える書痙の悩みは最近多いようです。以前、お葬式のご焼香で手が震えて以来人前で書くとき、会食するとき、お茶を飲むときに手が震えて悩んでいる方の相談に乗りました。その経験を紹介しましょう。その方も手が震えたらどうしよう(予期不安)といつも悩み、いつもそちらに注意が向いてしまいます(注意の狭窄、それしか考えられない状態)。これさえなければと思うほどに不安は募ります。このような視野狭窄状態にあることが自分でだんだん理解されてきました。そしてあるとき、結局震えても目の前のことをやるしかない、ここはひとつ恥をかいてみようという気になって会食に臨みました。結果は少々震えましたが、久しぶりに楽しく会食を終わりました。人はそれほど気にしていないのですね、というのがその後の彼女の印象でした。
家庭内での家族の対応'00.1

ご家族に、神経質・うつ状態の人がいるような場合、どのような対応がよいかご紹介します。原則として、
1)専門家に相談する。
2)家族の森田療法的な説得は時には逆効果です。
3)話を聞くことだけにとどめ、専門家に治療をまかせる。
4)そしてまめに専門家に家族の対応を相談する。
5)家族全員が同じような対応をする。ある人が「こうすれば」といい、他の人が異なったことを助言すると、事態は紛糾します。
6)そして最後に本人が焦っているのですから、周囲はそれにあまり巻き込まれず、焦らないことです。
引きこもり'00.2

アトピー性皮膚炎で人にも会えず、外出も出来ないで悩み「引きこもり」状態の人はたくさんいるのではないでしょうか。このような「引きこもっている」状況で自分の出来ることは何でしょう。出来ないことよりも出来ることに目を向けてください。自分のこころを豊かに出来ることは何でしょうか。出来ることから手を出してみてください。第2に焦らないこと。焦って何かをやろうとするが、何も出来ない自分に絶望してしまいます。つまり行動が極端になるのです。自分の思うように出来ないと全てがダメだと放り出してしまい、それがまた自己嫌悪を強めます。この悪循環に要注意。第3に自分の生活の組み立てを考え直すこと。具体的に自分の出来ることをぼちぼち取り組んでいくことです。60点主義で、肩の力を抜くと違った発想が生まれると思います。
身体感覚'00.3

私たちが何か心理的な危機状況にあるときにしばしばある身体感覚に注意が向き、それを取り除こうとすればするほどそちらに注意が向いてしまいます。そうなると身体感覚はさらに鋭く感じられます。こうなるとそれしか考えられない視野狭窄現象に陥ります。これが精神交互作用で、私たちにとって不快な身体感覚(痛みなど)、感情、観念などを感じたときに陥る悪循環過程です。
騒音'00.4

現代社会の生活は、騒音に満ちています。また人の生活が夜型に変わり、隣接した住居や集合住宅で、隣や上の人のたてる物音に悩む人も少なくありません。しかし森田療法でいう「とらわれ」に陥っている場合もあります。とあるきっかけで不快なこと、隣人のたてる物音に注意が引きつけられてしまい、その結果ますますその物音が鋭く、強く聞こえます。そしてそのことが ますます自分の注意をその物音に引きつけます。あり地獄に似た悪循環です。こうなると夜になればまたその音が聞こえるのではないかと恐れ、それしか考えられないような状態となります。ある種の視野狭窄です。それがまた悪循環を呼ぶのです。 この解決は、自分の陥っている状態をよく知り、日常の生活を大切にして、当分は物音が気になるものと覚悟を決めて、そのまま床につくことです。そしてとりあえず身体を休めるつもりで、好きな音楽を聴いたり、本を読むことを勧めます。気にするまいと思えば思うほど、気になるのが人情です。
失敗と挫折'00.5

会社が倒産して次の仕事のやる気がなくて困っている人が増えています。完全にうまくいかないならば、何もしたくない、もう失敗をしたくないと思っている人もいます。これは当然の心の反応ですが、発想を変えてみたらどうでしょうか。この挫折こそ、自分を成長させるチャンスです。まず自分の出来ることをぼちぼちと取り組んでみたらいかがでしょうか。それを続けていったらどうでしょうか。きっとあの時つらかったが、自分なりに肩の力を抜いて頑張ったから今の人生があると考えられるようになるのではないでしょうか。私たちの人生は、失敗、挫折を乗り越えてこそ成功を得ることが出来るのだと私は考えています。
限界を乗り越える'00.6

長年胃腸神経症で悩んでいた人が、最近は、以前とくらべて随分良くなってきました。 しかし、ここにきて森田の限界を感じています、と述べています。 あらゆる精神療法の治療はその途中で行き詰まります。森田療法もしかりです。そして私たちが生きていくこともやはり時に行き詰まります。しかしこのような時こそ森田の理解を深め、自分としての本来の生き方をつかみ取るチャンスです。  自分の行き詰まり、限界をしっかりと認めること、そしてどこか不自由なあるいは無理のある生き方をしていないかどうかを知ることが重要だと思います。余りに完全を求めていないか、自己中心的になっていないか、などです。 それと共に、森田療法の初心に返ること、ここでのフォ−ラムのやり取りやテ−マを絞った解説などは役に立つでしょう。参照ください。そこにも行き詰まり、限界を乗り越えるヒントがあります。
「わく」にはまる'00.7

健康への不安を持つと共に、自分の生き方がなにか「わく」にはまっていると悩んでしまう方がおられます。家族と共に安定して生活を送っているが、しかし何か自分で自分の「こうあるべき」という「わく」を作ってしまい、それで窮屈になっているのかもしれません。それを少しゆるめてみたら、固有で自然な生き方が出来るかもしれません。
「固着」'00.8

森田でいう「固着」の意味は、森田理論の核でもあり、また自分で容易に気づけるメカニズムですので、知っておくことは重要です。自分で自分の不安、恐怖、症状を拡大し、強化してしまう症状形成のメカニズムです。私たちは悩みに陥ってしまうと、それを取り除きたいと思えば思うほど、その悩みを深め、強めてしまいます。注意が悩みに向き、悩みは益々強く、鮮明に感じ、自分の意識の大部分を占めるようになります。このメカニズムに気づくことは、その悪循環から抜け出す一歩です。
「生きること」と森田療法'00.9

このグル−プで心因性疼痛で悩んでいる方がいます。心因性疼痛は、長期化する痛みで、なかなかこれといった治療はありません。しかし幸い症状が回復しつつあるようです。同時に多くの人生上の問題もお持ちなようです。このような時に森田療法から人は「生きること」について多くのことを学べると思います。人前で書くときの手の震えで苦しむ症状は書痙といい、多くの人が密かに悩んでいる症状のひとつです。書くことの不安から逃げれば逃げるほど、その不安は強くなり、さらにそこから回避してしまいます。これが不安の逆説です。人前で書く機会があったら、思い切って踏み出してみたらよいかもしれません。以前にも書痙について書きましたので、それを参照ください。
第18回日本森田療法学会'00.10

10月25日から27日まで北海道大学で第18回日本森田療法学会が開かれ、私も出席してきました。この学会で心身症(喘息やアトピ−性皮膚炎、慢性疼痛)に対する森田療法の有効性が発表されました。現代は健康ブ−ムです。さまざまな雑誌に健康食品、健康法などの記事が取り上げられています。それだけわたしたち現代人は健康に対して不安を持っているとも考えられます。わたしたちの不安の基本は森田先生も指摘したように死の恐怖であり、病、身体、健康に対する不安であります。このような時代に森田療法の果たす役割も大きいものがあるのだな、という印象を再確認しました。慢性的な身体疾患、心身症で悩む方も森田療法の知恵を生かすことでその人らしい生き方が出来ると思います。
完全主義者の行き詰まりをどう抜けるのか'00.11

 久しぶりにこのグル−プの話し合いが活気に満ちてきました。ある人が、「自分の決めた時間通りに行動できないと、いらいらして不安になります」と悩みを述べています。それに対して別の人は、ご自分の体験から出たとても良いアドバイスを送っています。「自分をちょっと拘束してしまう部分を少し緩やかにして」という手抜きのすすめです。わたくしの印象では、その人は完全主義者のようです。何でも完全にしなくては気が済みません。別の人が指摘しているように、自分を「こうしなくてはならない」と縛っているところがありそうです。わたくしは完全主義者にいつも、「ほどほどに60%主義で」、「優先順をつけること」、「自分をこうしなくてはならないと縛らずに、自然にしたいと思う気持ちを育てていくこと」、「その気持ちに素直に乗っていくこと」などと助言します。
病院を見つけること・変えること'00.12

 Aさんは、今までの病院が遠方過ぎるということで病院を変えることにしました。Bさんは、精神科に平成11年9月から通い出しましたが、薬だけの治療だけなので、不安を覚えているようです。たしかに自分に合った病院を見つけること は、簡単なようで、そうでもないようです。結局自分が信頼できる医師、あるいは心理療法士に出会えるかどうかが鍵となります。そのためにはいろいろな情報を集める必要があるでしょう。また現在かかっている治療者に薬物療法だけで自分の状態が回 復するのか、いつ頃をめどとしたらよいのか、など率直に聞くべきでしょう。そこで納得の答えがえられない場合は、病院を変えることを考えてもよいと思います。

 神経症は、薬物療法だけでは治りません。そのことについては、いずれ機会を見て詳しく述べたいと思いますが、不安に対するこころの態度をしっかりと作っていくことが治療を終結させるためには必要です。またCさんのお酒について一言。Dさんもいっているように楽しい酒は、神経症の治療の妨げになりません。しかし不安を紛らわすためのお酒は、今までの不安から逃げないで頑張ってきた努力を無にしてしまいます。  お酒の銘柄、味、などにこだわって、料理と一緒にお酒を楽しみましょう。

普通神経症のグル−プ'01.1

 このグル−プは久しぶりに活発です。さまざまな身体症状(物音に敏感、耳鳴り、不眠恐怖)で悩まれています。現在心療内科で薬物療法を受けていますが、これでよいのだろうかと不安を感じている方からです。 この方は、田舎に住んでいるので森田療法を行っている医療機関に心当たりはありません。また生活の発見会の集談会も遠方にあり、なかなか参加出来ないようです。 そこで、示唆に富むアドバイスを例によって的確に行っています。このような方が多いと思われますので、アドバイスとも重なることが多いのですが、このような状況でどのように森田療法を学び、健康な生活に戻っていくのか、わたくしなりの考えを述べてみたいと思います。

 1. 今までの医療機関は原則として続ける。薬物は自分で調整せずに、担当医と相談しながら行う。薬物療法は特に急性期には必要で、また急に止めることによっての反動には要注意です。 2. 森田療法の学習を始めたことを出来れば担当医に伝える。 3. 森田療法の本、資料を読んで、この治療法の基本的な考え方を理解するように努める。 4. 自分の出来ることから手を付けてみる。 5. 独学は避ける。出来れば集談会に参加、出来なければこのような体験フォ−ラムで自分の体験を発表し、いろいろな人の意見を聞く。

過剰反応'01.2

 Aさんが、長引く神経症性抑うつ状態で悩んでいます。
 「私は、他人との一 体感を過度に期待する傾向があります。そのため、なんとしても、相手の期待に応えたいと思い、周りの期待にすべて応えようとして、その結果疲れ果ててダウンしてし まいます。また、何事も完全にしたい欲求が強いようです 」。過剰適応してしまい、「あるがままとは何か、自然体とは何か、どうしたら良いのかどなたかお教えください」とのことでした。現代の抑うつ神経症の典型ともいえるでしょう。
 Bさんは、1.自分の身体に耳を傾けること(無理を承知で行動をしない)2.一 人で問題をかかえない(問題点を整理して協力していただけるよう工夫)3.仕事以外の趣味や楽しみを持つ と適切に助言しています。
 ここでAさんはさらに、「森田療法とは」と疑問に突き当たります。それに 対しBさんは「白黒をすぐにハッキリしなければ前に進めないという態度から白黒を味わいながら兎も角生活を押し進めていけるようになり、克服した誰もが不思議 な思いのする世界です。」 わたくしも同感です。人は悩みの渦にはいると理屈です ぐに解決を求めるようになります。そしてそれが益々悩みの渦を深めるのです。  
わたくしは、過剰適応とは、「生きること」の過小さを伴っていると考えています。つまり「生きることの過剰さ」は一方で「生きることの過小さ」と裏腹なのです。そして森田療法を学ぶことからそのような自分の生き方を知り、そして自然で固 有な生き方をしっかりと自分なりにつかむことが肝心だと思います。
書痙の悩み2'01.3

 「書けいで15年悩んでいます。どなたか良い解決法を教えてください」と書き込みをしています。 今までにも多くの書痙の方がこのフォ−ラムを訪れました。もう一度おさらいをしてみましょう。 書痙といっても、いろいろなタイプがあるようです。人前での署名したり、ものを書いたりする場合に手が震えて字が書けなくて悩む人がいます。

   例えば・・・ 結婚式とか、縁起が悪いのですがお葬式とかで、人前で字を書く必要がある場合に緊張して、字を書く手が震えてしまうなど。このような悩み方をする人は森田療法のよい適応です。  広い意味では、社会的、対人的場面での恐怖といってもよいでしょう。人前で緊張してはいけない、手が震えてはいけないと思えば思うほど、緊張し手が震えてしまいます。悪循環です。震えても仕方がない、と開き直りそのような場面に踏み込んでいけば、次第に緊張、恐怖は薄れ、変化していくものです。

もう一つは、あまり人前とか場面に規定されない、いつでも、1人でいるときにも震えて字が書きにくい人たちです。 このような方は一般に行動療法のよき適応です。近くの心療内科で行動療法に基づく書痙の治療をしているかどうか、確かめたらよいでしょう。  いずれにせよ、書痙がどのような場面で、どのように起きてくるのかを知ることがまず大切です。  

物音に悩む'01.4

 A さんは、隣人のテレビの音や歌声で不眠症に陥っています。確かに現代 社会の生活は騒音に満ちています。また人の生活が夜型に変わり、隣接した住居や 集合住宅で、隣や上の人のたてる物音に悩む人も少なくありません。
 
 しかしAさんの場合は、森田療法でいう「とらわれ」に陥っているようで す。とあるきっかけで不快なこと、この場合は隣人のたてる物音に注意が引きつけら れてしまい、その結果ますますその物音が鋭く、強く聞こえます。そしてそのことが ますます自分の注意をその物音に引きつけます。あり地獄に似た悪循環です。こうな ると夜になればまたその音が聞こえるのではないかと恐れ、それしか考えられないよ うな状態となります。ある種の視野狭窄です。それがまた悪循環を呼ぶのです。
 
 この解決はBさんが正しく指摘しているように、自分の陥っている状態をよく 知り、日常の生活を大切にして、当分は物音が気になるものと覚悟を決めて、そのま ま床につくことです。そしてとりあえず身体を休めるつもりで、好きな音楽を聴いた り、本を読むことを勧めます。気にするまいと思えば思うほど、気になるのが人情で す。
とらわれとは'01.5

 「アラーム音がなるといてもたってもいられなくなります」と訴え ています。「ファミリーレストラン等で鳴る、お客さんがきた事を知らせるチャイム の音や、連続して鳴り続ける音がすると、普通でいられなくなります。動悸と恐怖心 で息苦しくなり、その音が鳴っているのか、止まっているのかわからなくなりパニッ クになります」とのこと。これはBさんのいう「とらわれ」です。つまり気にす まい、と思えば思うほど注意はアラーム音に向いてしまい、そのことしか考えられな くなります。心はいつもその出現をめぐって不安となり、いわば視野狭窄状態に陥ります。
 
 まずはこのような悪循環過程の気づくこと、そして気になることは仕方のないこと と心を定め、目の前の出来ることに取り組んでいくことが大切でしょう。
  そしてAさんもすすめているようにまずセルフヘルプグループ「生活の発見 会」で森田療法について学ばれたらよいと思います。またこのフォーラムの書き込み も読んでいただくと役に立つでしょう。
完全主義者の陥る罠 '01.6

 Aさんは、13歳のころから摂食障害と神経質で悩んでいます。 摂食障害(拒食、 過食)で悩む方の多くは完全主義者で、神経質です。例えば、Aさんは「あるが まま」にとらわれ、かえって目の前の勉強ができなくなるといいます。また「すべて がうまくいきたいという欲がはんぱじゃありません。 失敗したくないし、損する事もしたくないし、そうすると慎重になりすぎて身動きとれなくなるし」という悩みを 持っています。これも観念的で、つまり頭でっかちな完全主義者の特徴をよく示しています。  
  そしてBさんの説明にもまず完全に頭で理解しようとします。 どうもAさんは、力が入りすぎているようです。  
 何事もほどほど、60%できれば 上等、と一方では力を抜きながら、他方では完全にできないならば何もしないほうがいい、と決め付けないことです。これが完全主義者の一つの特徴、オール・オア・ ナッシング、ゼロか百かという極端な思考や行動のパターンです。 これをまず変えていけると良いのですが。毎日少しずつ、自分なりの力を抜いたペースで継続していくことが肝要だと思います。
完全主義的になっていませんか '01.7

Aさんが、摂食障害、神経質で悩んでいます。受験勉強をしなくてはなりませんが、なかなか手に付きません。Bさんがいつものように、ていねいに適切に助言していますが、うまく実行できなくて焦ってもいるようです。その気持ちは分かりますが、Aさんの完全主義的、強迫的傾向が目につきます。早く完全にやりたい、それが出来なければ、すべてを投げ出してしまいたい、というオールオアナッシング、白か黒か、と決めつけやすい傾向です。  
  人は悩むとこのような極端な気持ちに陥りやすくなります。まず肩の力を抜いて、 目の前の出来ることをやる、それを毎日ぼちぼち感覚で続けていくことが大切だと思います。次第にこころが外に向かってやがて働き出すと思います。
「あるがまま」とは '01.8

Aさんがとても重要な疑問を投げかけています。  
 
  神経症になって8年が過ぎようとしていますがまだ完治していません。さまざまな不安、身体症状が気になりますが、それでも何とか「あるがまま」で仕事や生活を送っています。しかしいっこうに 症状の方は消えません。「あるがまま」というのは結局、症状の完治には結びつかないのでしょうか。要約するとこのようなものです。
 これに対してBさんが最近「あるがままになれば症状は克服できるか」というテーマで話し合い、その内容について紹介しています。

・悩みに直面して背負っていく覚悟ができて救われた。
・神経質の悩みはその中から何かを教えてくれている。
・完全、円満を求めすぎ、安心立命の世界を求めていた。
・受けざるを得ないことを否定する強引な生き方だった。
・自然の摂理とはあるがままのこと。
・事実を認めたくないというのが逆らった生き方だった。  

  ここで述べられていることは、不安をしっかりと受け止めていくことで得られた生き方なのです。 Aさんのいうあるがままとは、症状を持ちながら、行動が出来ているというレベルです。残念ながらここで行き詰まっているのです。症状と付き合うしかない、不安と付き合うしかないと、覚悟が出来れば症状は放っておけるようになるでしょう。そうなれば自然に症状とは変化し、自分の意識の背景に退きます。そして症状があるか、ないか、よりも自分としての生き方が大切になるのです。
  もう一度自分が症状を取ることにのみとらわれていないかどうか、検討してみてください。そして初心に戻り、これと付き合うしかないと心が定まれば、いわゆる症状は変化し、流動することが体験できるでしょう。次第にこころが外に向かってやがて働き出すと思います。
気分変調症(軽症うつ病)と森田療法 '01.9

 Aさんがうつ病で休職と復職を繰り返し、現在の主治医から気分変調症といわれ、治療を受けています。この病気は神経症の一種だろうか、森田療法で治療が可能だろうかと、尋ねています。うつ病と森田療法の関係については何回もここで取り上げてきましたので、それも参照してください。
 最近はこのような神経症なのか、うつ病なのかわかりにくい慢性的な経過をとるうつ病者が増えてきました。抗うつ剤の効果も残念なことに効果は限定的です。
 Aさんは自分の完全主義的生き方とこのようなうつ病の慢性化、神経症化が関係していると考えています。私も同意見です。
 
 さて気分変調症とは一般で軽度であるが経過が長引いているうつ状態のことをさします。従ってここには抑うつ神経症といわれる性格や環境の因子が強く影響するものも含まれます。現在このような気分変調症あるいは繰り返すうつ病に対してさまざまな精神療法が提唱されています。多くのうつ病者では薬物療法との併用が必要で、急激な断薬はうつ状態を悪化させる可能性があるため危険です。そしてその気分変調症のある群は確実に森田療法の対象となり、この治療法が有効です。その多くは完全主義的で、その生き方の行き詰まりとしてもうつ状態が理解できるものです。
 
 Aさんが森田療法の対象となるのか、一度このホ−ムペ−ジに掲載されている自己チェックリストで確認されたらよいかもしれません。そのうえで主治医と相談しながら、森田療法を学ぶことを勧めます。主治医と相談しながら、出来れば自分のことをさらに客観的に知るための日記などの記録をつけながら、その日その日の自分の生き方を振り返ってみることも意味があるかもしれません。そのことから自分の生き方が完全主義的で不自由であったとより深く理解できるでしょうし、 そこから解決の糸口が見つかると思います。森田療法の専門家あるいは生活の発見会に入会して適切な指導を受けることも一案です。ただしあまり焦らずに、自分にあったやり方を見つけていく心構えが大切です。
 
不安のあり方を知ること '01.10

 ここではAさんとBさんが次のような書き込みをしています。
 Aさんの悩みは、「トイレにいけないという場所に行くと、 パニックを起こし てしまい、冷汗をかいて落ち着かなくなります。授業中など特にそうなのですが・・ ・」。
  Bさんの悩みは「パニック障害で電車に乗れなくなったり、トイレが心配で自動車に乗れなくなったり、美容院や友人宅などに行かれない」ということです。
  いずれもトイレのことが気になるのですが、その本質は不安です。その不安を検討してみると、予期不安(また不安になるのでは、トイレに行きたくなるのでは)と状況不安(そのような状況に陥ったときの不安)でAさんの教室での不安、Bさんのボランティアの場所での不安がそれにあたります。そして予期不安が強ければ強いほど、状況不安も強くなるようです。つまり不安が不安を呼んでいます。このような不安の自己拡大のメカニズムを良く知ることが大切です。そして不安は 逃げれば逃げるほど、取り除こうとすればするほど強くなるものという不安の逆説を体験すること。しっかりと不安を受け止め、そのときに必要なことを思い切って飛び 込んでやってみること、が肝要です。森田療法を学習することがお二人に大いに役に立つでしょう。
完全さを求めていませんか '01.11

 Aさんは、吐き気恐怖、不安障害で悩んでいるようです。「もうカレン・カーペンター状態です。もう精神的にも肉体的にも死ぬ方向にじわじわ向かっているのがわかる。わかっているけど気持ち悪くて食べられない。・・・・どうせ生きるならポジティブに楽しく生きたい」と書き込んでいます。そして一方では「こうやって気分に流されてたら、永遠に直らないですよね」とも書いています。
 症状がつらいのはわかります。それを取り除こう、そこから逃げようとすればするほど、不安の罠に陥ります。これが不安の逆説です。この症状さえなければ、これがなくなったら・・・、これさえなければポジティブに生きられるのに、と嘆けば嘆くほど、残念ながら私たちはその苦しみを自分で作り出してしまいます。そこにはやはり完全主義者の考え方があるようです。今できることは何だろうと発想を変えることが大切です。むしろ力を抜いて、このつらさを持ちこたえながら、できることに取り組んでいく覚悟が決まったときに道は開けます。
とらわれること '02.01

 Aさん、Bさん、Cさん、Dさんがさまざまな悩みを書き込んでいます。しかしその悩みにはある共通性がありそうです。それが「とらわれ」です。そのとらわれに気づくことがわたくしは悩みの解決の第一歩であると考えています。ここではAさんの悩みを例に説明しましょう。
 Aさんは中学2年の時に神経症を発症しました。「その神経症による不快な気分をなくすことに力を注いでましたが、症状は逆にひどくなり深みにはまって行きました。そして、精神的な葛藤をなくそうとすればするほどおかしくなって行きました。こんなになるのは自分の精神が弱いからだと思って精神を強くしようとしましたが逆効果でした。」悩みの逆説と注意と自分の不快と考える症状、身体感覚、不安、恐怖などの悪循環(とらわれ)がはっきりと見て取れます。悩みはそれを打ち消そう、なくそう、そこから逃げよう、と思えば思うほど強くなります。そしてその不快な症状にのみ注意が行きいわば視野狭窄状態に陥ります。そしてそのことしか考えられないのです。そして「この症状さえなければ・・・」と考え、わが身の不幸を嘆きます。それがまた不安、悩みの逆説、とらわれを強めるのです。この機制に気づくことがそこから脱出する第一歩なのです。
不安に終わりがあるのか '02.02

 Aさんが、「Endless 不安?」という見出しのもとに次のような 書き込みをしています。 Aさんは、疾病恐怖があり、昨今の狂牛病のニュー スにはそれこそ終わりなき不安を抱かせるようです。Bさんの家族もあまり牛肉 を食べなくなったようです。実はわたくしの所もそうですが(笑い)
 私たちがよりよい生活を望み、よりよい人生を望む以上、終わりなき不安はつきも のです。そしてこのような私たちの本来の生きる欲望をしっかりと自覚し、そしてそ れに伴う不安をしっかりと見つめ、生かしていくことが肝要です。それをあってはな らないものと考えるときに私たちの「とらわれ」が始まるのです。
 食に対する不安は私たちの生きる欲望から考えれば当然のことですよね。この不安 を生かすことが私たちの食生活をさらによくしていける原動力になるのではないで しょうか。
私たちは自分の感情を操作できるのか '02.03

 Aさんが孤独恐怖について悩んでいます。お父さんを亡くしてから、強い不安と孤独感に襲われることがあるようです。Bさんは極度のあがり症で悩んでいます。Cさんは元気で前向きだったのに、自分に自信がなくなり、今は頑張るぞという感情のなくなってしまいました。そして回復に焦り、一人となるとなんとなく物悲しくもなってきます。
 Dさんがいうように、私たちの感情は本来自然なもので操作できるものではありません。さまざまにゆれる感情をそのままに受け止めながら、目の前のできることに取り組んでいくことが大切だと思います。不安がない日がよい日でなく、自分なりに踏み込むこととそこでの生きているという充実感が大切なのです。森田ではよくいうことですが、私たちの感情はどうにも操作はできないが、行動だけは6−7割は自分の責任で何とかなるものです。そしてできないことをやろうとする、つまり感情を操作しようとすると、それが悪循環を作るのです。
とらわれとは '02.04

 Bさんがあがり症で悩んでいます。彼女は「学生の時、本読みで声が震えて、手も震え、大変はずかしい思いをしてきました。それと対人関係では、3人 以上になると仲間意識が強く、自分以外の2人しかわからない話をされるなど、すごく不安や怒りをもつかなりの自己中心人間です」と自分の状態を述べて います。
 Tさんは頻尿恐怖で悩んでいます。彼は「絶えず尿の事を考えて、考えれば考えるほど尿意が増し、トイレに何度も行って、そのうち実際には尿が溜まっ ていないので、ほとんど尿が出ることがなく、その残尿感がずっと残ってしまい、辛い状態が続きます。 このような状態を繰り返しているうちに、日によっては、軽い鬱状態になるようになりました」と書き込みます。  
 2人の悩みはあがり症と頻尿恐怖とずいぶん違うようですが、その共通するものは何でしょうか。「とわられ」です。Bさんは人前での自分の心身の反応に対して、こうあってはならない、と考えているようです。そのためにそれを 何とかしなくては、そのような心身の反応を取り除かなくては、と思えば思うほど人前での心身の反応に注意が向き、それしか考えられない状態となります。それが自然な心身の反応としてもです!
 Tさんが自分で正確に記述しているように、絶えず尿のことを考えて、つまりそれにとらわれてそれしか考えられない状態となります。これがとらわれた状 態で、症状の種類よりもこのことが問題なのです。  
 とらわれの打破は、
   1)その症状、さらにはその背後にある不安をしっかりと 見つめ、それを受け止めていくこと、
   2)本来の生きかた、つまり症状の背後に 見え隠れする本来の生の欲望を発見し、それを発揮すること、が重要です。
治ることとは '02.05

 多くの人は自分の問題が森田療法で解決するのだろうか、どうしたら治るのだろうかと悩んでいます。当然のことですが。Kさんが、「経症を克服した方に質問なのですが、症状のまっただなかにあった時、かならず症状が消え直るという確信をもってましたか、それとも、一生直らないだろうという「あきらめ」の状態でしたか」と聞いています。Mさんは「私の場合は、症状が治るという確信もこのまま直らないだろうという「あきらめ」の状態もありました。しかし、森田療法の本を一冊二冊と読み進み、まだまだ読んでみたいなという気持ちが沸いてきて少し光が差していきました。 学び初めて約3年間、その間に相当数の書籍を読み大切な箇所を書き写し、生活の発見会の集談会で多くの方々と学んで多くのことをつかみました。お陰様で現在52歳になりますが、なぜあのように若いとき苦しんできたのか不思議な思いがしています。あなたもきっと大丈夫ですから頑張ってくださいね」と返事を書きます。
 Mさんの言葉を私流に理解すると、治るというプロセスに入るには「治すことをあきらめること」、「持ちこたえること」が肝要と考えます。治すことをあきらめる、とは症状を事実と認め、それは自分の気持ちではあれこれ出来ないもの、とあきらめる心の態度です。そして何とか症状を持ちながら、持ちこたえていけば、いずれ自己の生の欲望が現実の生きることへと向かっていきます。この段階がつらいのですが、これを持ちこたえるしかない、と覚悟が決まれば、自ずから道が開けます。
体の症状と神経質の関係 '02.06

 Tさんが、「昔は強迫だったのですが、今は全般的疲労感、眠気、注意集中困難、 無気力に悩んでいます。・・専門医には反応性の抑うつ状態と言われ、薬を飲んである程度軽快しましたが、 どうもこのまま廃人になりそうな嫌な感じがしています。まだ25なのに・・・」と書き込んでいます。
 神経症の症状はTさんのように変化することもありますが、その根っこの「とらわれる」と いうことには変わりありません。体の調子にとらわれ、これさえなければ、とどうしても嘆いてしまいます。 とくにTさんのような完全主義者にとって、体の不調はいやなもので、それを完全に取り除こうとしがちです。 そこから「とわわれ」が始まるのです。Mさんもいうように、Tさんの「よりよく生きたい」という 欲望に視点を当てて、目の前のできることに一つ一つ取り組んでいくことが肝心です。
不安を打ち消そうとするほど不安は募る '02.07

 SOさんが、とても興味ある書き込みをしています。「疾病恐怖のある 私は自分の恐れる病気についてこれまで調べた資料・メモ書きなどがたくさんあります。これまで何かにつけ思い出しては資料を開き、再度読み、場合によっては更に不安になって調べ、結局調べれば調べるほど、不安が増すという悪循環を 繰り返してきました」。
 これに対してMさんは「私も若い頃は随分あなたが繰り返す行為をして参りました。あなたがこの先、自由に強迫行為を中断できるようになってきますと、やがて事実は事実としても追求も可能となってきます。
  ・・・あくまでも、「本来、今、 なすべきをなす。」この一点に絞って生活を送れば、自由に確認すべき時には確認して、そしてまたそのことから速やかに離れることが可能になるものです」と助言します。まさにその通りです。つまりその確認行為が不安を打ち消す行為である以上、不安が不安を呼びます。 さらにSAさんが「あきらめること、降参すること」の大切さを助言します。「自分は治らないんだから諦め降参して、そんな自分が家族に、職場に、社会にこんなことができるようになった‥その時が神経質賞症の完全な克服だと思っています」そうです。症状を取ることを諦めたときに私たちの心は、とらわれから脱します。不安を打ち消そうとしなくなって初めて、不安を受け入れ放っておけるようになるのです。それとともに心が外に向き、本来の働きを取り戻すのです。
弱さを受け入れるしなやかな強さについて '02.08

 Hさんが頻尿恐怖、手及び体の震え恐怖の終わった理由について書いてあります。彼は会社での研修中に、頻尿恐怖、震え恐怖に陥ってしまいました。そして一番つらかったことは、「トイレに行かせて下さい」と講師に言えないことでした。そしてこの症状を周囲の人にさとられないようにしてさらに事態が悪化いたようでした。今でも頻尿もあり、手も震えますが、そのことを恐怖することはあまりないようです。それは彼の自覚では「その理由は虚勢をはった自分を捨ててしまったからです。・・・残された道は、虚勢を捨て、自然の弱いところもある自分になることでした。」
 Mさんも自分の体験について「私も昔は多くの先輩から『M君はもっと弱くなればよい』と言われ、こんなに苦しんでいるのにこんなに弱い存在なのにこれ以上弱くなれとは一体どういうつもりなのかと合点がいきませんでした。後にして思えば、『弱くなる』は『自分を知る』ということにつながり、謙虚さとして現れこのことが返って周りの者から『最近、君は強くなったなあ』と実践を通していわれるようになるといった具合です。」と述べています。
 そうなのです。私たちはしばしばこのように弱さを認められず、それを受け入れられず、不自然な完全さ、強さを求めます。それが私たちの苦悩の元なのです。私たちが成長し、しなやかな強さを身につけるには、弱さを事実として認め、それを受け入れるところから始まります。
病気の人に森田療法は無意味ですか '02.09

 Bさんは、病気の人に森田療法は無意味ですか、と問いかけます。自分は不治の病にかかっており、どうしても自分を受け入れることが出来ないと、苦しんでいます。つまりBさんは自分だけが特殊な病にかかっており、同じ苦しみを持っている人がいないのではないか、と考えているようです。
  この苦しみは自分の体の兆候をヒポコンドリー性に解釈し、それにとらわれているためではないかと私には思われます。体の感覚と自分の注意とが悪循環を形成し、このBさんの苦しみを作り上げているのではないでしょうか。そしてこのように苦しんでいるのは自分だけだ、と決めつけ、さらにつらい思いをしているのではないでしょうか。Mさん、Kさんが入院森田療法の選択も含めていろいろアドバイスをします。
  Bさんは「・・僕は7月末までの一年間ひきこもっていました。そしてここ一ヶ月仕事を続けることが出来ました。途中で職場から逃げたりもしましたが、なんとかやっています。そういうわけで、じょじょに仕事のやりがいや達成感を味わう感覚を取り戻しつつあります。・・28歳という年で完璧に病気に向き合うため入院し治療するのがいいか、一生症状を気にして仕事をがんばるのがいいのか悩みます」と書き込みます。Mさんもさらに助言するように、「一生症状を気にして仕事をがんばる」つもりなら、私もまず「生活の発見会」に参加しながら、自覚を深めていくことをすすめまず。まず出来ることをやって みること、そしてその経験をしっかりと自分のものとすることが大切だと思います。
薬を止めることとは '02.10

 Maさんが私のコメントについて紹介してくれています。このフォーラムに 関わってもう4年になりました!!。月日の経つのは早いものです。このフォーラムで皆さんの悩みを聞く(読む)ことは私にとって勉強になります。またMaさんを始め、多くの人たちの反応にも、なるほど!と感心することしきりです。
 Peさんが薬について書き込んでいます。主治医は「薬を飲まないで不安 になるより、薬を飲んででも行動的に過ごす方がいい。」と言います。私もそう思いますが、止めれるものなら早く止めたいです。薬を止めても不安感を持たずに行動的に過ごせる日が早く来てほしいです」 Maさんは「・・・実は薬が抜けただけで不安感もありますし、そう行動的に なれない時もあります。丁度、不安の最中では夢に怯えているような状況で元気になったらという憧れの夢を見たいものです。森田療法はそんな夢から覚め現実 に即した苦は苦、楽は楽というそのままを味あうごくごく一般的な生活を過ごしております。」と自分の経験を述べます。
 Saさんは「・・・基本的には薬を飲む。けど自分で必要ないなぁと思ったらやめる。最初からやめようなんて考えないでください。・・・そして飲んでも飲まなくてもいいなら今日はやめとこか‥そして何時の間にかそういえば薬飲んで ないなぁ最近‥そういえば薬あったよな、どこいったけ‥と進歩していきますよ。とにかく「戦わない」キーワードはこれかな。」といいます。
 また薬に関連したことではないですが、Thさんは「・・・長々と書きましたが、神経症に苦しんでいる人間が医療を利用するときは、検査と薬だけだと思います。書痙なり心臓神経症なりそれぞれの症状すべてを医者が体験しているわけではありません。書痙になったことのない医者は、書痙がどのように治癒していくのか知らないのです。その方法はそれぞれの症状にかかっている本人が、 もっともよく知っているのです」と書き込みます。
 私も皆さんの意見に同感です。薬は必要な時には服用し、心の態度がしっかりとしてきたら、自然に止められるもの、と考えられればよいでしょう。その人の 人生にとって薬を飲む、飲まないでなく、自分としていかに生きるかが重要です。そして無理のない回復とは、自分自身がただ素直に事実を見ていけば自ずか らわかるものだと思います。
子供にとらわれてしまうこと '02.11

 Peさんが、「小2の娘が先週から学校に行かないと言い出しました」と悩んで書き込みをしています。今のところは学校の先生が、学校に連れていってくれているそうです。このような問題について、Peさんは「『強い人間にしなければいけない』という考えや『たまたまその環境は合わないだけで、その子にとってより良い環境をつくってやれば、力を発揮する』という考えなど様々な考え方があり、どうしたらいいのか悩む毎日です」といいます。少子化の時代、世の母親の心配はつきません。
 Maさんのお子さんも小学校のときに不登校になったそうです。Maさんの経 験では「先生とも話し合いましたが、妙に意見が一致し、大人の都合で無理強いすることだけは避けようと了解しました。冷や冷やした一週間でしたが、家でお 兄ちゃんが帰ってくるまで独りでいるのが寂しいのかやがて登校するようにもなりました」とのことでした。そしてその後も不登校の原因についてはあれこれと探索しなかったようです。森田療法では不問的態度というものがあります。治療者が症状を取り上げないでそしらぬ振りをして放っておくことです。べつに意地悪をしているわけではありません。不登校を症状とすると、それについてあれこれ探索しないこと、そして「今ここで」できることについて注意をむけるように促す、ということになろうかと思います。Maさんの不問的態度の裏にその子に対する信頼があったことはいうまでもありません。
 結局、このような子供の危機には、親はまず子供の成長を信じて時を待つこと、が肝心かと思います。Peさんのお子さんもしばらくすると学校に行くようになったそうです。子供は挫折しながら成長していくものです、またその力を信じたいものです。
悩みと注意の関係 '02.12

 Moさんが次のようなことにとらわれて悩んでいます。「・・今、私が悩んでいることは、「とらわれ」です。本当にばかばかしくって自分でもあきれてしまいますが、そのとらわれが、「まばたき」であったり、行動するときに「数えてしまう」ことであったり、くだらないことばっかりです。・・・それがゆえに、いつも調子がいい状態を続けたい、、そのためには、この嫌な気分を頭ではなく、心から受け入れることが必要と考えています、、、あと一歩、なんとか受け入れることへの知恵をかしてください」と書き込みます。
 Moさんは以前にパニック障害に悩んでいましたが、「なるようにしかならない」と開き直ったら、よくなりました。Maさんの助言は次の通りです。観察のすすめですが、今までMoさんのやっていたことと違った方向です。「きっと三歳になられる娘さんは可愛いおちゃめなお嬢さんでしょうね。同じ観察をされるのなら、どうか娘さんの観察をして上げてください。自分以外の事物を観察してください。観察することは私達神経質者は大の得意技です。なぜ自分を観察してしまうかというわけは分かり切ったことです。自分が好きで好きで堪らないからです。しかしそれが禍してしまっては何にもなりませんね。 健康な方をよく観察してください。ちっとも自分のことは観察しないで他の事物ばかりを観察されておられます。そして興味を示すものには直ぐに手を出します。このように自己観察から他者観察へ方向を変えていってみてください。あるがままとは自然な周りの現象を受け入れていくことです」
私も同感です。私たちがとらわれているということは、自分自身に注意が向き、それに一喜一憂しているのです。少々自己中心的なのです。外に注意を向けて、そこでの自分の心の反応を大切にすること、そして気づいたことに手を出していくこと、です。そしてその前に、自分の不快な感情をそのままに、受け入れていく覚悟も大切です。そこから心は自然に外に向かった動き出すのです。
自分の体の調子にとらわれること '03.01

 kiさんは、「首のふるえ、こり、眼精疲労、頭重など」で悩んでいます。その背後には人生上に行き詰まりがあるようです。それゆえ自分の人生をリセットしたい、今の状況から逃げ出したいとも考えています。そしてこの症状さえなければ、と強く願いますが、それゆえますます身体症状に注意が引きつけられてしまいます。つまり悪循環です。
 いつも体の症状のこと、人生の行き詰まりを考え、そこから抜けられません。そして我と我が身の不幸を嘆くのです。これは典型的な神経質のとらわれの状態です。身体の症状は放っておきながら、出来ることを一つ一つ取り組んでいくこと、その出来ることに工夫と創意をつぎ込んでいくことが悪循環から抜ける手がかりとなるでしょう。そしてkiさんは出来ないこと、つらいことのみに注意を向けていますが、実は多くのことが出来ており、しっかりと自分としての人生を生きてもいるのです。自分の出来ていることをしっかり評価できたらよい、とも思いますが。
親と子供の森田療法 '03.02

 Agさんがお子さんのことで悩んでいます。「もうじき7歳になる長男のことでお聞きしたいのですが、三男の生まれる一ヶ月前よりチック(咳払い)が出始めました。それと重ねて、よくある病気から死に至ったというテレビ番組を見て以来、不安を訴えるようになり、自分の体調に過敏に反応するようになりました。怖いという感覚は大分薄れてきたようですが、早朝覚醒があり、身体が大丈夫か・・・と常に気にしているような状態です。神経質に育ててしまい、これからはおおらかにやっていこうと思っているのですが、子供に森田療法的なアドバイスを行ってもいいのでしょうか?理解できる程度の言葉でそれらしいことを話して、少しは克服しているようですが・・・ご助言おねがいします」と書き込んでいます。
 Saさんも同じような経験を持っているようです。Maさんがいうように、親の「こうあるべし」という厳しい躾がときにこのような子供の神経症的反応を引き起こし、それを長引かしてしまいます。子供は自分の不安を十分言葉で表現出来ず、行動や体の反応でその不安を示します。そのような時の親の対処として次のようなことがあげられます。Saさんもいうように子供が不安になっていることを理解し、子供の安心感を与えるように接してあげることです。厳しい態度は逆効果であることも知っておいたらよいでしょう。そして子供のよい点を見つけてあげて、ほめてあげることです。「こうあるべき」と子供を見ると欠点ばかりが目につきますが、子供をそのまま認めていける心を持てば、ほめるところはたくさんあるはずです。これが子供の良さを引き出し、成長を助けます。
 それが子供の不安の根本的な解決ですし、森田的な子供への接し方の基本だと私は思います。
受け入れることの難しさ '03.03

 Suさんが書痙で悩んでいます。そして「『上手く字が書けなくてもとりあえず書いてみる』など書痙をありのままに受け止めていくことが大切ということには、なるほどその通りなのだろうと思いました。しかしどなたか別の方も書いていましたが、汚い字さえもかけない場合や、人前かそうでないかの関係なく字がかけないという場合はどうなのでしょうか?そういう場合はありのままに受け入れることは難しいと思います。・・本当に字がかけないのですからいろいろな事に障害が出てきます」と書き込みます。
 それに対してKiさんが、『症状を「受け入れる」ということ』にとらわれてしまったといいます。そして病院の先生に相談したところ、『受け入れるのでなくて、放っておくこと、そして行動していくこと』とアドバイスされ、納得したそうです。しばしば神経質の人は、治療においても「かくあるべし」ととらわれてしまいます。「症状は受け入れるべし」でなく、確かに放っておいて、まず出来ることから取り組んでいくことが大切です。そして「気分」と「行動」は別、というしっかりとした認識を身につけることが肝要だと思います。
死の恐怖と生の欲望 '03.04

 Riさんが疾病恐怖で悩んでいます。「過去にも身体に『気になる』ホクロを見つけると病院で取ってもらっていたのですが・・ 不安におもう。病院に行く。手術で処理してもらう。身体に他の『気になる』ホクロを見つける。不安になる。悪循環です。疲れてしまいました。いっそ死にたいとさえ思います。
 自転車で通勤しているのですが、内股等にある小さなホクロが悪性化したら・・・・と思い悩みます・・」と書き込んでいます。この領域では、豊富な経験!?と見識をお持ちなMaさんとSnさんが自らの経験を紹介しながらアドバイスしています。
 疾病恐怖は、まさに死の恐怖です。私たちがいつでも感じる恐怖なのです。そしてその背後には生の欲望があります。死の恐怖は恐れざるを得ません。恐怖は恐怖として、持ちこたえながら、目の前のできることに取り組んでいく態度が大 切です。そしてこの恐怖は仕方がない、受け入れられるとともに、生の欲望がよりはっきりと自覚できるようになります。
症状は消えるもの? '03.05

 Miさんが症状について次のように書き込んでいます。「どうしても自分の症状が消えないです。…今の症状が消えないという事はどういうことなんでしょうか?この症状が消えないことの裏側には何があるんでしょうか? 何度も何度も同じことを聞いてるってことは十分わかっています…。この半年間、考えることばかりで何も行動にしていません…。」多くの神経症で悩む人たちが必ずといっていいほど陥る心の罠なのです。Maさんは次のようにアドバイスします。「Miさんと同じように職場復帰を真剣に考えると、やはり同じように『きちんと症状は治しておかないと』と言う風に考えてしまいます」。そして感情の法則を示して、この苦悩を持ちこたえるように助言します。このようなやり取りの中からMiさんは生活の発見会の経験、そこで悩みを分かち合え、共感できたこと、発見会の学習会に参加してみようと考えていることなどを書き込みます。自分の問題にしっかりと直面しようとはじめたようです。
 症状とは完全に治そうとすればするほど、その症状に注意が向き、とらわれてしまいます。つまり望んだことと結果が逆になるのです。症状を持ちながら、それを持ちこたえながら、人は多くのものができるものです。つまり症状、気分と行動は分けて考えることが大切です。このような認識を深めていけば、以前症状と呼んだものが意識の周辺に薄れていき、変化していくものです。
過食は森田療法で治るのか '03.06

 Mkさんが過食で悩んでいます。若い女性の悩みです。「過食してしまう衝動が止めれられないコントロールできない自分に嫌気がさしてしまいます。絶対に食べない!健康の事を思って食べない!などと決めていても、欲求に負けたり、イライラしてつい…といった状態です。今日も食べてしまった中途半端な自分が許せなくて、どうせたべたなら…っと暴走してしまいました。…その後は一回目に過食したことに落ちこみ考えこんでいました。」と書き込んでいます。
  つまりここに悪循環が見出せるのです。いらいら、落ち込みなどの感情体験→過食→落ち込み→また過食というぐるぐる回りです。それとともにMkさんは「…大人になりきれてない自分をどうコントロールしていけばいいのですか」と悩みます。Maさんの答えは明快です。「森田の世界(事実の世界)ならクッキーを23枚食べてしまった。胃がもたれて、これはいけないことをした。以後注意しよう。これで終わりです。 これを友人との付き合いに結びつけたり、学校の試験に結びつけたり、本当に可笑しいことでしょう。」。
 さらに私は、問題は過食でなくて、自分の感情をしっかりと心で受け止め、処理できないことだ、と付け加えるでしょう。自分の感情をしっかりと持ちこたえられるならば、感情は森田の言う感情の法則により、変化していきます。そこまで待つのです。それとともに気分は気分、行動は別物という認識を身につければ、過食の悩みの解決に近づいていくと思います。
神経症と薬について '03.07

 Haさんが薬物療法のことで悩んでいます。「今医師と相談しながら薬を減らそうとしているのですが、毎日一回飲んでいたのを2日に一回にしようとしてみています。飲んだ日は楽でなんともないのですが、飲まないときはしょっちゅうびくびくした感じになり活動が消極的になってしまい、たいした量ではないそうですが、薬を飲む日と飲まない日はやっぱり違うなと感じています。そこで少しお聞きしてみたいのですが、森田療法で神経症を克服された方は最終的には薬も飲まずにすみ、症状も気にならなくなられたのでしょうか? それとも気になりつつも自分の欲求にそって行動できるようになったということなのでしょうか?薬を減らしてならしていけば、そのうち症状も気にならなくなるものなのかなと疑問に感じたので聞いてみたいと思いました」と書き込みます。
 ここでもたびたびこの問題について取り上げてきましたが、重要なことなので私の考えを述べたいと思います。
 薬物療法は、急性の不安、うつ状態に対して行われます。しかし不安、うつ状態が慢性期に入りますとその効果は限定的です。
Moさんが指摘するように、薬物療法はそのような人の神経症からの解放には役に立ちません。従ってHaさんは次の点を留意すべきでしょう。不安とつきあう能力を育てるとともに、健康な生の欲望の発揮を目指すことが薬を減らすこと、止めることにつながります。それが神経症からの最終的な解放に結びつくからです。
 そして薬物を止めることのみに注意を向けないことも肝要です。さもないと、今度は薬を止める、止められない、という薬物に対する新しい神経症的とらわれを生むからです。
やる気が起こらないときには '03.08

 Mkさんがやる気が起こらない時にはどうしたらよいのか、と悩んでいます。
「ず〜っとなんですが、何に対してもやる気がおこらないんです。気分本位はいけないですよね、、、やる気がおこらないと動く気にもなれないんです、そういう時に行動本位にするにはどうしたらいいんですか」。さてこのような経験は誰でもするもの、やる気を起こすにはどうしたらよいでしょうか。Maさんは読書を例に次のように答えます。「嫌々でもよいからそれを我慢してやってみなさいといいます。大抵は挑戦しないで、予期感情だけで質問をされているケースが多いからです。・・気分と実際とではこの様に違うものなのです。」
 そうですね。気分と行動は別であるという認識が大切なのです。それが事実を知ることにもつながります。従ってやる気が起こらないときは、まず「とりあえず感覚」で取り組んでみることを私も勧めます。そこから次第に何かに取り組んでいる自分に気づくようになります。やる気が起こらないときこそ、このような事実を知るチャンスでもあるのです。
恐怖突入とは '03.09

 Mkさんが過敏性大腸炎で悩んでいます。Mkさんが出席した生活の発見会の集談会である嘔吐恐怖の男性が「今度の金土日とバスで県外にいかなければいけません、もう吐きながら行ってきます」と冗談まじりに言い、他の人が「あの人の言っていることが恐怖突入です!」と言う言葉を聞きました。Mkさんは困ってしまったそうです。「・・私の場合は、人がいる前だとしても、下しながらでもバスに乗ったり、出かけたりしなければいけないってことなんでしょうか?そうでなければ、治らない?ってことなのでしょうか?^_^;なんかけっこう酷なことだっと」と書き込みます。
 それに対してKaさんは次のようにコメントします。「・・この方は、必要があって県外にバスで行くのであって、治すために行くのではなく、ただ単に怖いまま行くだけです。私は本人ではないので本当のところはわかりませんが、怖いけれども行くというのは、きっと普通の一人の人間として、自分に必要なことはその障害はどうあれ、必要とあれば成し遂げたい、という気持ちがあるのではないでしょうか・・」と書きます。つまり恐怖は恐怖のままに必要なことに手をつけていくという森田療法の基本について述べています。
 しかしMkさんは、納得できないようです。このままだとこの話し合いは、「やる/やらない」、「出来る/出来ない」という論争になりかねません。
 恐怖突入にはいろいろな意味があります。症状を取り除いてからでないと、自分のやりたいことが出来ない、と考えるとそれは神経症的な認識です。症状を持ちながら出来ることから手をつけていく、と発想を変えてみると、違った世界が見えてきます。そこで症状(あるいは気分)と行動は別であるという認識に到達するかもしれません。そのために、今ここで自分は症状を持ちながらも何が出来るだろうか、と考え、工夫する心が大切です。
過食症と森田療法 '03.10

 Mkさんが過食の悪循環に陥りました。次のように書き込みます。「私の過食は疲れたり、うまく事がすすまなかったりっとした時にストレスや疲労で甘い物がほしくなるっといった感じの悪循環型です。・・ 「食べたい」っと思った時には、「食べた」「食べてはいけない」っという自分との戦いで、他の発想が浮ばないのです、、、。Maさんが言ってくれたようにホンの一寸した発想の転換がうかばないです・・」
 Maさんは発想の転換を勧めます。「森田先生が言われるように《神経症は病気ではない》の前提に立って、私は過食症じゃないんだ。ただの健康人だと発想の転換を計りましょう。無茶苦茶な食べ方さえしなければ、美味しいものはありがたく頂戴したらいい訳ですね。」。Yoも発想の転換と行動することを勧めます。「日記をつけるでもいいし、毎日散歩でもいいし、今のMkさんに出来る事を考えてみませんか?失敗してもともとです」
 私も同様に発想の転換を勧めます。私はMkさんを完全主義者と考えます。つまりちょっとした失敗が許せないのです。当分は食べてしまうもの(人として当たり前の欲求ですから)と覚悟することです。失敗の勧めです。そして食べるときには出来るだけ味わって食べてください。あまりに完全に、と思うと行き詰まり、それこそそのストレスでまた食べたくなるのです。程々に失敗しながら、森田療法では60点主義という言葉があるように、ぼちぼちと目の前の出来ることに取り組んでいってみたらどうでしょうか。
告白の勧め '03.11

 Mkさんが「さっき彼と別れました。自分の中の対人恐怖が原因です・・」つらい信教を書き込みます。Maさんは「神経質者が対人恐怖で悩んだり視線恐怖で悩んだりするのは、実は対外的に苦しんでいるのではなく、自分の内面との葛藤に苦しいだけです。これを打破するには、外へ外へ目を向けて具体的に行動をしていかなければなりません」と助言します。Yuさんは自分の体験を踏まえて、告白を勧めます。「彼に自分のこと、お話してみてはどうですか?とっても勇気がいると思うけど、心のおおらかな人なら、きっと分かって受け入れてくれますよ。むしろ正直に話してくれた事に、愛しさがぐっと増すんじゃないかな!。それで変な顔するんだったら、きっとそれまでの男だ、と思えばいい。一緒に森田を学べる人でもいいですねえ。・・」。
 私も同意見です。自分の欠点と思っていることを率直に話せることは、その人にとって成長なのです。いわば弱さをそのまま認めていける強さなのです。人はそのような経験を通して自分が症状と呼んでいるものから抜けていけるのです。
気分本位に気づくこと '03.12

 Mkさんが、さまざまな予期恐怖を持ちながら旅行に挑戦し、その体験を書き込んでいます。「今日、旅行からやっと、帰ってきました。一言でまとめて感想を言うなら、「案ずるより、産むがやすし」ですかね〜。・・(森田の本で書く時はなるべく具体的に書けばよい!っと書いてあったので、具体的に書いたつもりなのですが、具体的になってるでしょうか?自分ではよくわかりません、、、)」。
 さてこれについてMaさんのコメントは厳しいものです。「・・文面を見ると相変わらず症状のことばかり刻銘に述べられていて、これではどこへ旅行されてきたのか何が面白かったのかさっぱり解りません。・・森田的に具体的に書くとは、例えば、何時何分どこで何をやったということです。新しい発見・経験は詳しく記録します。どうしても辛いその時の感情は出来るだけ表現を控えます。「辛かった」とひとこと入れておけば十分です。一体森田先生の著書のどこを読まれているのでしょうか。少し厳しい内容だったかも知れませんが、厳しくと言われますので敢えてお話し申し上げました」。
 そのコメントをMkさんは素直に受け入れたようです。つまり最初のMkさんの書き込みは気分本位なものです。その時々の気分にとらわれ、さまざまなことを体験した事実を書いていないのです。私たちが森田療法を学ぶときには、しばしば一人では困難です。自分の体験について率直に話してくれる人たちを必要とします。そしてMaさんもいうように生活の発見会の相互学習がこのような場合に役に立つでしょう。それを通して、みずからのとらわれに気づき、気分本位から事実本位、事実にしっかりと立脚した自己理解が得られるのです。
悩みを打ち明けることの意味について '04.01

 Coさんが授業中に音読するときに声が震えるということで悩んでいます。
 「何をやっても改善されない気がして今すごく絶望してます(泣) 。こんな私でもこの症状は改善されますか??あと、このことをお母さんに相談しようか悩んでいます。もし相談するならどのように言えばいいのでしょうか??」
 さて皆さんならばどのように助言されるでしょうか。Maさんは次のように書き込みます。「その恐怖心を持ったまま、素直にご両親やお友達に「実はこうこう……」とお話になられてはいかがでしょうか。きっとご両親もお友達も同じ辛い目にお会いになった経験があるはずですよ。そうか、みんなも同じなのかと解れば、Coさん一人で悩まなくても良いはずです。先生にもそのことをお話しになってはいかがですか。先生、きっと微笑ましく思われますよ。・・」。
 Ymさんは「Coさんの気持ち、涙が出そうなくらい、よ〜く分かります!。」と共感を示します。Ymさんがいうように、このような悩みは決してまれなものではありません。私たちの苦悩は、それが特別なもの、自分だけのものと感じれば感じるほど、強くなるのです。そしてMaさんがいうように、まず自分の悩みを打ち明けてみることがよいと思いますそれは単に悩みをわかってもらうためではありません。その悩んでいるという事実を認め、それを受け入れていくという自分の悩みの解決の第一歩でもあるのです。
森田療法を学ぶことと年代 '04.02

 Ikさんが疾病恐怖をはじめとするさまざまな恐怖症で悩んでいます。「24才から2,3年神経症で強く悩み、通院しその後、結婚、出産、子育てを経験し、ときとして悩み、落ち込み、虚脱感を感じながらもここ10年あまりは、自分なりに何とか普通に生活出来る様になっていました。そして下の子供も大分大きくなり時間的にもゆとりが生まれてきたところでした。・・強烈な不安感を感じ、その後、離人感も深まり毎日が怖くて仕方なくなり、食欲も激減し、胃の調子も悪くなり、胃がん恐怖、その後は、新聞で、読んだ「精神疾患のある父親が、家族を惨殺」なんていう記事を読めば、今度は、自分がそんなことをしてしまうのでは、と強烈な不安感、強迫観念に悩まされ、そこからぬけできず、悩みつづけています。」
 そしてMaさん、Moさんに励まされて、森田療法の勉強に取り組もうとします。今度は「20代のもっと早い頃に森田に出会っていたら、もっと私の人生は変わったものに...などとつい考えてしまいます。中年に十分入っている私の硬い頭に森田は、どのくらい入り込んでくれるのか?でもやってみるしかないのですよね。」と書き込みます。
 Maさん、Moさんが言うように森田療法を学ぶことと年齢は関係ありません。思春期・青年期にはその年代なりの森田の学び方があり、成人期・中年期にはまたその年代の応じた、そしてその人生経験に応じた学び方があるのです。森田療法を学ぶということはものを憶える、記憶するというよりも人生の知恵を身につけるということであり、それは人生が行き詰まったときこそそのチャンスなのです。IKAさんのように一度神経症を克服し、また再燃した人は深く森田療法を理解できるのではないでしょうか。
目的本位とは '04.03

 Mkさんが森田療法の言葉にとらわれ、どうにも行き詰まったようです。「『目的本位』な行動をとっていかなければならないなら、疲れていても行動していかなければいけないってことですよね!? 『目的本位』の目的ってなんですか?私には目的がみつかってないです・・」
 Maさんは森田の言葉を説明します。「・・先生は、人間の態度を感情本位、理想本位、事実本位と三つに分け、感情本位は、自己の心身の状態に強くとらわれ、理想本位は思想の矛盾におち入って、ともに神経質に見られる態度で、これが事実本位でなければならぬといっておられます。私も森田先生の著書を色々と調べましたが、あまり「目的本位」「目的本位」とは言われておらずその様な解説は僅かです。それがどうも一人歩きをして、Mkさんをしてとらわれせしめているのではないでしょうか。森田で核となるのは、「事実本位」です。これが表現を変えて「事実唯真」とか「あるがまま」と発展していったものと考えられます。」まさにその通りです。目的本位という言葉が後に一人歩きして森田療法を学ぶ人たちを縛ってきたようです。大切なことは事実本位ということです。
 しかしなかなかMkさんは納得がいかないようです。Gqさんは自分の経験を次のように書き込みます。「・・わたしは、気分をそのままにできるようになり、自宅での生活もまあまあ充実するようになりましたが、掃除をしないとか、求職活動をしないとか、必要な勉強や準備をしないなど、『すべきこと』をしているとはいえず、これまでと状況は変わっていません。でも、そのできない『すべきこと』を気にすると、またとらわれてしまうので、いまでは放っておき、無いかのようにしています。そうすると、同じ状況でも苦ではなくなりました。そのうち何とかなるだろうといった感じで動き出すのを待っています。それは『気分本位』ではありません。できないこと、やっていないことには、『気分』も『目的』も現実ではありません・・」。目的本位ということに縛られると新しいとらわれを作ります。森田は2つの事実を大切にしました。「死は恐れざるを得ない」、「欲望はあきらめられない」です。死(あるいは死の恐怖、人間としての限界など)、ここではmikiさんのいう疲れですが、嫌なもの、怖いものだと認め、その現実を受け入れざるを得ないのです。一方、そうすることによりむしろその時々のしたいこと(生の欲望)がみえてくるのです。Gqさんの言葉で言えば、そのうち何とかなるだろうといった感じで動き出すのを待っていればよいのです。
疾病恐怖の対処方法 '04.04

 Stさんが疾病恐怖で悩んでいます。「私は3年くらい前から性病恐怖で悩んでいます。・・私は過去に2回程失敗した事があるのでもしかして感染してるかもと心配で、検査をこれまでも3回受けてきました。毎回陰性と出ますが、検査後に検査について調べてしまうと検査結果について不安な事が出てきて、間違った結果って事も結構あるという書き込みを読んだりすると検査が信用できなくなり不安になります・・」つまりいろいろな検査をしても、むしろ不安が募るだけなのです。Ykさんがこのような状態に対して自分の経験を基にアドバイスをします。「私も、10年ほど前疾病恐怖で辛い思いをしました。私の場合は、エイズ恐怖でした。検査から結果がでるまでの期間は頭が真っ白で辛い日々だったのが思い出されます。私は、2度検査してもう一度しようとしたところ、発見会の大先輩から「また検査するなら、おまえとの縁を切る」と言われ、辛いながら持ちこたえました。そしたら、時間とともに徐々に症状は薄れました。・・」
 この持ちこたえる体験こそが私たちの恐怖から解放を約束する方法なのです。持ちこたえることが出来ず、不安を打ち消すために検査をし続けるならば、その人の人生は病でないことを証明することだけのこととなります。持ちこたえ、感情の法則を経験してこそ、人生を自分の手に取り戻すことが出来るのです。
心身症と森田療法 '04.05

 Ruさんが胃腸の不調で悩んでいます。「・・私は胃腸神経症です。いつもお腹が張っているのが気になって仕方ありません。お腹にガスが溜まっている為に、ご飯があまり食べられません。食欲はあるのですが、思うように食べられないので余計に辛く感じます。・・」
 最近心身の不調を訴え、それにとらわれている人たちが増えてきたような印象を受けます。この財団の創始者岡本理事長も同じような悩みを持ち、それを森田療法で克服しました。まず岡本理事長の体験をつづった著書、「自分に克つ生き方」(ごま書房)、「私は森田療法に救われた」(ごま書房)をお読みください。必ず役に立つものと思います。このホームページからも注文できるようです。
 森田療法では自分の状態を正しく理解し、今までの認識や行動を変えることを重視します。そのためにもこのような読書療法は必ず役に立ちますし、ここでの書き込みやMaさんや他の方の助言にも耳を傾けてください。
 心身の状態に過敏になり、それにとらわれ、注意がそれだけに向いている状態であることをまず自覚することが大切です。それが理解できれば、今まで心身の状態に一喜一憂し、心配していた状態(これを気分本位といいます)から日々の行動をしっかりと行なうことに転換してみてください。それには当然三食を恐る恐る食べて、目の前の出来ることに取り組んでみてください。そこから変化が始まります。
身体症状にとらわれること '04.06

 Mnさんがさまざまな身体症状に苦しんでいます。「私はこの二年間、毎日一日中、慢性の目まい(フワフワ、ふらふら、不快な浮遊感など…)に悩まされ続けています。(器質的な異常は全くありません)この目まいの原因をさがし求めてようやく、森田先生の言う『普通神経症』にたどり着くことが出来ました。しかし、この期に及んで私は、『普通神経症』に十分当てはまっているというのに、自分の判断だけでは(専門の方に判断して頂けなければ)どうしても不安なのです。
 ・・・私のこの目まいの原因はちゃんと『普通神経症』に当てはまっているのでしょうか?」と書き込みます。Maさんは次のように答えます。「・・お電話でもそうですが、Mnさんはご自分の文章をもう一度読み直せしてごらんになりませんか。冷静になってお読みになれば、いかにご自分が「眩暈」にこだわっておられるとお解りになろうかと思います。 問題は「眩暈」よりもそのこだわりにあるとお電話でも感じ取りました。いかがでしょうか。まずは、これを機会に純粋に研究者にでもなったように森田を一から勉強されてはいかがでしょうか。
 「眩暈」から離れ、森田のこの解説が分からないという風にご質問されるようになると、私はMnさんが随分変わられると感じました。」。私も同感です。問題はめまいなどの身体症状でなく、それにそれこそ強迫的にこだわれ、とらわれることです。自分の身体症状をいつも気にして、そのことばかり考えている→ちょっとした身体的な感覚を察知する→病的だと心気的に解釈する→不安、恐怖が起こる→そのために益々自分の身体的感覚に注意がひきつけられる、という悪循環に陥っているのです。それがいわゆる症状というものの本態です。その悪循環の打破のためには、それを自覚すること、注意を外に向けること、その時々のできることに取り組むことなどが挙げられます。よい森田的体験をしっかりと積んでください。
行きつ戻りつ '04.07

 Snさんが再び疾病恐怖に落ち込んでしまいました。「・・私の場合、こちらのフォーラムに投稿なさる何人かの方と共通点があり、不安の深まりが際限なくなってしまいます。『大丈夫です。』という回答をもらっても、『今の製品は安全対策がしてあるから大丈夫だろうけれど、その対策がとられる前の同じ製品はどうなのか?』とか、それではその他の製品はどうだったのか?』といった具合です。・・森田先生は普通の人になれ、とおっしゃっています。普通の人だったら、どういった捉え方をして、どこで踏ん張り、不安のアリ地獄に落ちていかないのでしょうか? ・・」
 つまり心配事は誰でもあるのですが、それが症状、神経症的となると、このようにぐるぐると心配事が頭をめぐり、そこから離れなくなってしまいます。これがとらわれ(精神交互作用)です。
 Maさんは次のようにコメントします。「克服者の方の問題解決に向けての考えや行動はとても具体的になっています。考えと行動が即結びついているように思えます。失敗を恐れなくなっています。失敗を良い経験として受け入れ、また新たな方針を打ち出します。その反対に悩みの最中の方はある問題が発生するとどうしても感情的になって、行動が疎かになり、考えが堂々巡りばかりしている感じです。ですから不安に苛まれることになります。」
 その通りです。そしてこのとらわれを打破するには、まずとらわれ(心のくせ)に気づくこと、気分と行動を分けること、そして注意を外に向けてその時々の出来ることに取り組むことなどが肝要です。そして私たちは行きつ戻りつしながら、認識と体験を深めていくのです。それが克服者への道なのです。
身体の病と森田療法 '04.08

 Moさんが慢性すい炎と診断され、ショックを受けています。「昨日、お医者様より「慢性すい炎」との診断が下されました。御存知のない方もいらっしゃると思いますのでさわりの部分だけご紹介いたしますと、完治する事の無い病気です。繰り返しやすいので糖尿病と同様食事制限をし、すい臓に負担をかけない食生活、規則正しい生活を心がけることが必要となります。・・今、私が葛藤している事の一つには「神経質にならない事、そうする事でますます病状が快方に向かうのを妨げている」とわかっているのにそれが出来ないことです。リラックスしたいのにいつも緊張している、それを改善する必要があります。お医者様にも「病状は軽いので神経質にならないこと、食事は何をたべてもよい、調子が悪くなるものを除去していくといい、」といわれているのに素直に受け取れず、「大変な病気なのに私を安心させる為に言ってらっしゃるんだ」と自分勝手な判断をし、自分を苦しめている気がします。・・」
 Moさんの書き込みは私たちが思わぬ病を宣告されたときの気持ちを素直に表現しています。
 Maさんはなくなられた河野基樹先生や岩井寛先生について触れながら次のように助言します。「折角、お医者様から「病状は軽いので神経質にならないこと、食事は何をたべてもよい、調子が悪くなるものを除去していくといい、」と言われているのですから、そのまま素直に従うことが私の言います「境地」です。それに反して逆らい抗うことが悪智です。 ・・ Moさんもこれを機に真剣に森田に取り組んでいって下さいね。必ずや新境地が拓けることと存じます。」
 私もこの両先生、特に岩井寛先生は親しくしていただいたので、あの死の直前までの生き様に深く心が打たれました。Mpさん、Ikさんがそれぞれ励ましの言葉を贈ります。Moさんは励ましのメールによって勇気づけられたようです。Tnさんは自分や家族の病を語りながら、やはり励ましのメールを送ります。
 森田正馬自身が当時は死の病と恐れられていた結核などを患っていました。そして晩年には死線をさまよったこともあります。そのような経験をして、森田が最終的に到達した境地は次のようなものでした。
 「また私の自覚によれば、私は死の恐怖のほかに、生の欲望というものが、はっきりと現れております。私は今年の三月に、死ぬか生きるかの大病をやりましたが、非常に苦しくて、全く身動きができなかった。数日の後、まだ死の危険の去らない時から、看護婦に源平盛衰記を読ませた。少し病が楽になるに従い、・・・全くつまらぬ事までも、調べてみないと気がすまないという風でありました。・・この欲ばるという事は、何かにつけて、あれもこれもと、絶えず欲ばるがゆえに、つまり心がいつもハラハラしているという事になる。・・・私はこれをひっくるめて『欲望はこれをあきらめる事はできぬ』と申しておきます。これで、私はこの事と『死は恐れざるを得ぬ』との二つの公式が私の自覚から得た動かすべからざる事実であります。・・」(第12回形外会)
 私たちは病と向き合い、怖いものは怖い、つまり『死は恐れざるを得ぬ』と覚悟が決まれば、自らの生きる欲望を『欲望はこれをあきらめる事はできぬ』と深く自覚をすることが出来るようになります。身体の病はしばしば私たちをさらに深い自覚へと導くのです。
欲望の発揮とは '04.09

 Mkさんが自分の感情をもてあまし、振り回されているようです。「症状や不快な感情はそのままにしておくしかないんですよね。・・例えば、過食してしまいそうな時に、それを持ちこたえることができないんです。親との関係でも、すぐに子供ぽい性格で、相手が理解してくれないと思っているから余計に反発的な態度をとったりっと、、。不快な感覚になるとすぐに逃げてるような、、。心と行動は別なのに、心のままに行動がついているっという事実が余計に自分を追い込んでしまいます」と書き込みます。
 Maさんは、完全欲の強さ、「かくあるべし」の強さを指摘します。そして次のように助言します。「さあ、夢を膨らませて、mikiさんの完全欲を一杯に膨らませて、実践はこぎざみにあれもこれもと手を出していきましょうね。」つまりこうしたい、あのようにしたいという自然な欲望(森田療法では生の欲望と呼びます)に気づき、それを現実に発揮するために、出来ることを一つ、ひとつ取り組むことを勧めます。それが生の欲望の発揮なのです。
 Myさんも次のように助言します。「ちいさく一歩踏みだしてみて、そこでまた考えて、次の一歩を考える・・・というような感じのことです。現実的にはなかなかうまく行かないかもしれませんが、頑張ってください。。。」
 つまり不快な感情、症状を取り除くことをあきらめ、その代わりに自分の欲望を現実に発揮していくことが森田療法の最も重要な作業なのです。
性皮膚炎と森田療法 '04.10

 KKさんがアトピーで悩んでいます。「・・小さいときからアトピーだったのですが、ここ2〜 3年特にひどくなり、困っています。ひどくなる度に病院に行って薬をもらってなん とかしのいでいる状態です。インターネットでたまたまこのサイトを見つけて、ここ に書かれている神経症の症状やそれに対するとらわれの心理などが、私とアトピーの 関係にとてもよくにていることに驚き、イヤなことから逃れたいと思う私の心の弱さ がアトピーの原因の一つではないかと思うようになりました。・・」。
 その通りです。森田療法学会で皮膚科の細谷先生がアトピー性皮膚炎の森田療法的接近について発表しています。KKさんが自覚されているように、皮膚感覚にとらわれ、かゆみを取ろうと掻いてしまい、益々悪化してしまうという悪循環が形成され、それがアトピー性皮膚炎を慢性化させるようです。そのような悪循環を形成する人はいわゆる神経質、あるいは強迫的な人たちが多いので、森田療法がとても役に立つと細谷先生はいっています。森田療法を学び、自分の生き方を少しずつ修正することが、このつらいアトピー性皮膚炎の治療にも必ず役に立つと思います。
メールでやり取りする意味とは '04.11

 Fmさんがいろいろな悩みを抱えて精神病院に通っています。
「子供の頃から神経質で、高校ぐらいから、ひどい状態になってしまいました。・・20歳頃から精神病院にかよって、今も通っています。・・もう15回程職をかえました。・・家庭では親や兄弟とはいろいろと話しをするのですが、病院に通っても薬をもらうだけなので、パソコンででも、やりとりが、できたらいいなっておもいます。・・森田療法は勉強になりますし、いろいろ考えて、為になることがたくさんあると思います。これからの長い人生が変わってゆけたらなあと思います。」と書き込みます。Maさん、Miさんは一緒に森田療法を勉強しましょうとリスポンスします。それに対してFmさんは次のように返事します。「返事ありがとう。メールってとてもいいものだなって、思いました。森田療法は結構むずかしいところがあるなって感じます。けど、実践すれば病気や人間的に大人になれるのかなって思います。・・」
 私たちはさまざまな人生の困難に直面し、悩みます。その時に当然のことながら精神科の治療を必要とする場合も多々あります。しかし残念ながら精神科の治療だけではFmさんも経験したように往々にして薬をもらうだけになってしまいます。それはいわば対症療法で、私たちの悩みを解決するには人間として成長することが必須なのです。そのためにはこのような体験フォーラムで人とつながり、森田療法を学んでいくが役に立つと思います。
自立とは '04.12

 Mkさんが一人暮らしについて考え始めたようですが、一方ではそれについて不安を抱えているようです。
 「今、現実を受け入れようという体制なのですが、すんなり現実を受け入れれなくて、悪戦苦闘中です。今、自立=一人暮らしなのかな?っと考えています。親との関係に悩んでいる時から自立ということにこだわってきました・・」
 それについて、Mp さんはカナダから次のように書き込みます。彼女も親との関係で悩み、その経験をふまえた上での助言ですから説得力があります。
 「・・その後、結婚、出産を経て神経症にかかりました。「しっかりしなければいけない」「何でも完璧にやらなければ」という理想主義のしっぺ返しです。今では、自立をしていても弱音を吐いたり人に助けを求めたり、しっかりしていない時があってもいいのだと自分の経験から学びました。 ・・まず、何か新しい物事を始めるとき、必ずしも準備万端でなければならないというわけではありません。「親になるのに準備が出来ている人はいない」という言葉を聞いた事があります。これは、子供を授かって育てる中で、少しずつ親になるということを子供とともに学んでいくという意味です。一人暮らしにも同じことが言えるのではないでしょうか。親から離れてみたいと思ったら、とりあえず行動を起こしてみることで、新しい生活の中から自然と自立心が生まれてくるかもしれません。・・私も同じことで悩んだ経験があるので、書き込まずにはいられませんでした」
 Myさんは「ひとり暮らしはそんなにたいへんじゃないです・・親と離れて暮らす分、逆に絆が深まると思います・・」とmikiさんにアドバイスします。Maさんは次のようにアドバイスします。「・・Mkさん、胃腸神経症の人は絶えず胃腸の不具合ばかりを考えます。対人恐怖の人も心臓神経症の人も抑うつ神経症の人もみな同じで自分にとって不具合ばかりを問います。健康な人はどうかといいますと、そんなことは問わないでただひたすら欲望に乗って邁進するだけです・・」。
 私も同感です。まず一人暮らしあるいは自立ありきでなく、身近な生活に取り組んでいくことを勧めます。その作業を通して自分の「生きる欲望」を発見し、発揮していくことが大切なのではないでしょうか。一人暮らしをしなくても、自立した生活はそのようなことから可能となります。
身体の違和感にとらわれたら・・・ '05.01

 C7 さん。「喉の異物感、全身倦怠感、泌尿器系の違和感、肛門の緊張などほっておけないのではないかと思われる症状に悩んでおります」とのこと、さぞお困りのことと思います。少しずつ「とらわれ」のからくりにも気づいていらっしゃるようにお見受けしますが、一般に注意とからだの感覚とは悪循環を生じやすく、注意を向ければ向けるほど感覚も強く感じられてくるものですね。そして何か特定の感覚に注意がとらわれると、他の感覚のことは相対的にあまり気にならなくなるものでもあります。
 このようにして、からだの調子にとらわれやすい人は心配の対象がひとつのことから他の身体の部分へ移っていくことがよくあります。すでにお気づきのように喉の異物感は、全身倦怠感と同じく緊張や不安の現われとしてよく聞かれる訴えです(おそらく耳鼻科あたりでも既に検査を受けられているのでしょう)。泌尿器科系の違和感や頻尿も不安、緊張に伴って出現することがあります。ただし泌尿器系、肛門部周囲の違和感は、尿道や前立腺などの炎症の際にも生じる場合があるので、まず少し様子を見て、それでも症状が続くようなら一度泌尿器科を受診してみてはいかがでしょうか。
 C7 さんは「原因を知って安心するのではなく心の平穏が欲しい」と書いておられます。しかし悩んでいるだけではなく受診するという行動も必要な場合があります。仮に受診した結果問題がないということであれば、あとは違和感は気にしながら日々の生活に打ち込んでいかれることです。「もしもの不安」に駆られて、何ヶ所も受診してはいけません。病気に対する恐れの裏には、健康を求める欲求が強くあるものです。その欲求を病気に対する恐れとの闘いに向けるのではなく、健康な生活の実現に向けて発揮していくことです。
 ちなみに健康な生活をもたらすには、仕事のやり方を再検討する、自分の時間を確保する、適度な運動を実行するなど工夫の余地が多々あるはずです。このフォーラムではいろいろな人たちの工夫を知ることができます。自転車なんかもはやっているようですよ。
(中村 敬 先生)
不快との付き合い方を考える '05.02

 最近の投稿を見ていると歯の問題に悩まれている方が多いようです。Wkさんは1ヶ月前から虫歯の治療をしているようですが、「自分の歯の症状をインターネットで色々調べる→通っている歯科ではだめかも→両方とも歯を抜かなければならなくなるのか→入れ歯になりたくない→悲観して泣くというように最悪のことを一日中考えてしまい、堂々巡りです」と書かれています。確かに歯の痛みや不都合は毎日の食事も不快にしますし、日常生活を送る上で辛いものですね。Waさんも今の状態が“とらわれ”と気付いているようですが、特に体の不調は日々の生活に直接影響を及ぼすだけに、どうしてもすぐに取り除きたいと考えてしまうものです。そうした思いがより一層痛みや不調に注意を向かわせ、結果的に痛みを強めてしまったり(強く感じるようになる)悲観的な考えを発展させてしまいます。まさに悪循環ですね。ではそうした時にどうしたらいいでしょう?
 Miさんは「歯痛が酷い時でも何かに没頭していると痛みが和らいでいるということが良くありました」とおっしゃっています。歯の治療にはどうしても時間がかかりますし、自分の力ではどうにもならないものでもあります。とりあえず、今かかっている歯科の先生に治療は任せ、その間の時間をどう過ごすかを考えてみたらどうでしょうか。治療について疑問があれば、先生に率直に聞いてみるのも良いでしょう。いずれにしても、折角の一日を不快な感情一色で終わらせてしまうのはもったいないことです。歯のことは気になりつつで構いません。好きなビデオを見るなど、自分の興味のあることや本来好きなことに手を出してみることです。仕事に没頭してみるのも良いでしょう。当初は意識が歯の方に引っ張られるかもしれませんが、今関わっていることに注意が向いていくにつれ、いつの間にか歯のことは忘れている自分に気付くと思います。どうしても痛みが強い時などは、痛みと無理に闘おうとせず、Miさんもアドバイスされているように、鎮痛剤などを上手に使っていくことも一つの方法でしょう。耳鳴りに悩んでいらっしゃるSdさんにも同じような対処が有効だと思います。耳鳴りも歯痛と同様、確かに不快ですが、すぐには取り除けないのも事実です。ジージー鳴る耳鳴りはとても耳障りだと思いますが、集中は出来なくても少しでも出来るところから仕事に手を出してみると、注意が外に向いてくるでしょう。
 不快だからこそ、またそれが即座に取り除けないからこそ、付き合い方を考えてみる。つまり「転んでもただでは起きない」日々の過ごし方を考えてみることが、結局のところ不調を和らげることになるのです。
(久保田幹子 先生)
『とらわれ』ている自分に気づくこと '05.03

 Wkさん。最近メールやパソコンで自分の気持ちを書くことの方が多い時代になってきています。ただ一時期の感情に任せて色々書いてしまうと後で冷静に振り返るとまた違った考えであったと思い直すこともしばしばだと思います。wkさんだけでなく、皆様、投稿する前に一泊置いて一読してから投稿するほうが、より練れた文章を投稿することができるでしょう。そしてその方がご自身のためになるお返事も期待できると思います。
 Itさん。「気が遠くなって頭がしまるような苦しさ」といった症状がおありでさぞかしつらいことと存じます。このような症状は脳の異常によって起こることもありますので念のため頭部MRI、脳波検査を受けることをお勧めいたします。
 これからは頭部MRIや脳波検査で異常がないという前提で話を進めて参ります。Itさんは「気が遠くなる」ことなどの症状へ注意が向いてしまい、これをなくそうとすればますます「とらわれ」ていませんか?森田療法の治療目標はこの「とらわれ」からの脱却に主眼を置いています。その時その時に必要な目の前のことに取り組んでいくうちに、少しずつ「とらわれ」から脱却していけると思います。
 私は森田療法を専門としていますが、逆に森田先生の言葉にだけ「とらわれない」ように心がけております。それは現在の患者様に響くような言葉で伝えるよう心がけているからです。ですからItさんも森田療法の言葉:「あるがまま」にのみ「とらわれ」ずに、今「気が遠くなる」といった症状への「とらわれ」から脱却していくことを主眼に今必要なことへ目を向け、本来の自己実現を少しずつしていってはいかがでしょうか。症状にばかり目が向いていた時にはわからなかったことを発見できるかもしれません。
(舘野 歩 先生)
悩み(胃腸症状)を長い間抱えてきたこと '05.04

Lmさん、40年以上もの間、胃腸症状の悩みを一人で抱え、格闘されてきたとのこと。
きっと「よい仕事をしたい」「心身を良い状態に保ちたい」という気持ちが人一倍強い方なのでしょうね。
だからこそ「なんとかしよう」と何冊も本を読み、取り組み続けてこられたのでしょう。
その取り組みはときに悪循環になってしまっていたのかもしれませんが、これまで粘ってこられた歴史があったからこそ、森田療法の本に出会ったときこれほど早く吸収し、転換することができたのではないでしょうか。それも取り組む力の現れですよね。
おそらく取り組まれたことは「病人らしい生活をするのではなく」、三食を規則正しく摂り、しっかり動くことだったのでしょうね。
食卓に彩りを持たせるように工夫されたのもとてもよいやり方だと思います。身体の症状にとらわれているときは、ともすると「消化によいもの」という視点しかもてなくなりますものね。器質的に問題がないことを確認されてからは、臥せがちだったり、胃腸をいたわることを中心にした生活ではなく、規則正しい時間に食卓に座り、栄養のバランス、味付け、盛り付けなど食卓を豊かにしたり、てきぱきと動く生活を送られるのがよいでしょう。
対人恐怖についてもきっと取り組み方の「コツ」は共通しているはずです。
「気にならないように」するのではなく、不安を抱えたまま、必要な関わりに踏み込んでいきましょう。
Maさんが触れておられる岡本理事長さんの体験、Maさんのアドバイス、Mkさんの体験など、参考になることはたくさんあります。症状は異なるかもしれませんが、Ymさんの「やるべきことをやった」、そうしたら「知らないことを学ぶことも楽しいし、先生や新しい仲間との出会いも心を弾ませてくれた」というように本来持っている「生の欲望」を発揮された体験などもよい参考になることと思います。
何よりも「一人で悩みを抱えてこられた」Lmさんにとって同じように悩み、取り組んでいる仲間の存在は励みになることでしょう。
今後は食事のみならず、どんどん生活を充実させていってください。
(塩路 理恵子 先生)
絶対の安全 '05.05

 こんにちは、Nkさん。今Nkさんは、様々な恐怖の中でさぞかしお辛いのではないかと思います。でもNkさんが放射性物質をイメージして危険と考えるのは至極当然なことではないでしょうか。汚いものを汚いと思って嫌悪することもまたしかりです。我々は何らかの危険の中で日常生活を送っています。ただ危険よりも安全の方が経験的に多いということを知っているため、用心しながら生活しているにすぎないのです。危険に対して用意周到であるということは生活する上で本来とても大切なはずです。
 しかし危険に対する構えが強すぎて日常生活に支障が出ているとすれば、危険に対する姿勢を今一度見直してみる必要があると思います。ここでNkさんがあらためて「絶対の安全」という言葉にとらわれてないかを振り返ってみることはとても大切だと思います。何故なら「絶対の安全」を求めすぎることで、些細な危険でも見逃せず排除することに目が行きがちになってしまうからです。そうすれば目前の生活に目が向きにくくなるのも当然だと思います。まさに森田療法でいうところの症状の悪循環なのでしょう。
 けれども、Nkさんの文面を拝見していると苦しくても生活を送って頑張っているように見受けられます。危険にまつわる不安や恐怖はすぐには消せるものではありません。でも、ここで生活の歩みを全く止めてしまって欲しくないと思います。必要な生活を最低限でも送っていこうとする姿勢こそがNkさんの「絶対の安全」へのとらわれを絶つ術であると同時に危険への過度なとらわれを絶つ術だと思うからです。
 今は行きつ戻りつでもかまわないと思います。是非、不安恐怖を消す努力から辛いけれども日常の生活を少しでも充実させようとする努力へ転換していただけたらと思っています。頑張ってください。
(樋之口潤一郎)
人間関係で本当に大切なことは? '05.06

 Fmさん、こんにちは。自己臭、対人恐怖でお悩みとのことですね。他の人から臭わないといわれても気になってしまうものです。周りの人達のことが気になってさらに体が熱くなり、汗が出るとのこと、おそらく緊張感もお強いのでしょう。
 そのようなお気持ちの中で仕事場に何とか勤務している努力に驚かされます。本当に、お疲れ様です。ところで、そのようにご自分の体臭が気になるのはどうしてだとお考えでしょうか?誰でも人には不愉快な思いをさせたくない、よく思われたいと思うものです。正常な人間の心理なのです。おそらくFmさんは人一倍、他人に不愉快な思いをさせたくないお気持ちがお強いのかもしれません。それでいいのです。その気持ちがあるから人前で自分のありかたが気になり、不安にもなるのです。その当然の不安を感じながら、どのような行動をするかが重要です。不安があるからと必要な行動を避ければますます不安は強まるし行動もできなくなる悪循環になります。電車に乗れなくなった、とのことですが、必要があるなら、体臭が気になっても電車に乗るようにしたほうがいいでしょう。以前出来ていたことであり、ご自分で習慣づけてしまったことの結果でもあり、強い意志さえあればまた電車に乗れるようになります。最初は短い距離から、すいている時間帯でもいいのです。不安や緊張があっても踏み込む行動の積み重ねが必ず結果を生みます。同様に、体臭が気になるからと避けていた対人関係に少しずつ踏み込んでいくことで、案外自分の体臭が問題になっていないことに気がつくこともあるかと思います。
 人がこう言っていたから、とあらかじめ理屈づけることより、これからの対人関係の体験で身をもって感じられたことのほうが遥かに重要です。その体験の積み重ねでものの感じ方や見方も変わってくるものです。なお、人とのコミュニケーションでは、服装や声の出し方など、気をつけなければならないことは数知れずあります。体臭ばかりを気にしていて他の要素が目に入っていなかった、ということも多いものです。人に不愉快な思いをさせたくない、というご自身の神経質を生かし、人と接する目的は何なのか、本当に注意を向けるべきことは何か、もう一度人との接し方を見直してみることも一法と存じます。
(鹿島直之)
身体の症状があると… '05.07

 hiさんは原因不明の体の不調、Saさんは耳鳴りと、身体の症状に困っておられます。身体に症状が生じた時には、風邪を引いたときや骨折したときと同じように、身体の診療科にかかるものです。しかし、神経症を原因とした身体症状の場合には、実際に症状があるのに特に問題はないと言われ、患者さんは、姿の見えない相手と戦わざるを得なくなり、困り果ててしまうでしょう。HiさんSaさんは、現在はそれぞれ森田療法と出会い、今から治療を始めよう、学ぼうとされています。森田療法に合致する点があるのであれば、体への意識の集中がささいな違和感をかえって強めてしまっているといった症状の悪循環があると思います。
 症状があるなかで出来ることを少しずつ取り組んでみることからはじめ、活動を広げ、結果的に症状が軽減していくことが出来ればすばらしいと思います。そして、今までの人生を取り戻そうとするのでなく、大切なのは、現在を自分らしく生活することだと思います。そうすることによって今までの人生も違って見えるかもしれません。
(矢野勝治)
「エイズ恐怖」をめぐって '05.08

 Knさんの悩みは切実ですね。「疾病恐怖、特にHIVウイルスに対する恐怖感で悩んでいます。・・・大丈夫だと思うように努力しますが、気になって仕方がなく、どうにも止まりません」。
疾病恐怖についてはこれまで何度も医師や体験者の方々がコメントしていますので、「屋上屋を重ねる」ような気がしないでもありませんが、少々補足しておくことにしましょう。
 もう20年くらい前のことですが、マスコミ報道などを通じてHIV感染症についての不安が急速に広がった頃、「エイズ恐怖」の患者さんが相次いで来院されました。調べてみると「エイズ恐怖」を訴える人たちの中には、元々不潔恐怖的な傾向を持った方が少なくありませんでした。このタイプの人は、例えば「コンビニの店員が指に怪我をしていた」といった些細なことから、「万が一血液を介してウィルスが伝染したのではないか」という不安がつのっていくといった発症パターンでした。たいていはKn さんのように長時間手や身体を洗うといった行為にも及んでいました。
 もちろん病気は恐ろしいものです。ましてHIV感染症は治療薬が開発されたとはいえ、皆が恐れる病気の代表格だと言えます。その理由のひとつはスーザン・ソンタグが指摘したように、この病気が「背徳的な行為に対する罰」といった差別的なイメージを伝えることにもあるのでしょう。そんなイメージが貼り付けられた病気には万が一にも罹りたくないと思うのが人情ですね。それだけに、知識としては「他人のくしゃみや、公衆トイレの手洗いの際に洗面台からはねてくる水」によって感染することはないと分かっていても、恐れを完全に取り除くことはできないのです。ところがそのような「万が一の恐れ」を直ちに打ち消そうとする余り、たとえば洗浄を繰り返したりすると、かえって「ちゃんと洗えたかどうか」不確かになり、ますます不安にとらわれるという悪循環に陥ってしまうのです。もしも、病気に感染する可能性を完全になくそうとするのなら、一番確実な方法は人との接触を断って無菌室に閉じこもることでしょう。しかしそうすることによってその人の生活は、恐れていた当の病人と同様の生活に陥ってしまうことになりますね。
 Kn さん。私たちが病気を恐れるのは、健康に生きていきたいと願う気持ちが強いからこそです。どうか「病気を恐れて病人の生活に陥る」ことのないように。恐れは恐れとして、健康を願う気持ちを健康な生活−人とのかかわりの中で生き、仕事(と遊び)に精を出す暮し−の実現に向けて生かしてください。
(中村 敬)
「予期不安」にどう対処するか '05.09

 S4さんの悩みは、「就職意欲はあるのですが、行動する前に『ちゃんと仕事が出来るだろうか、通い続けれるだろうか』などと色々な不安を考えて」思うように行動が出来ないというものでした。これは予期不安と呼ばれるものであり、「完全に失敗なくやりたい」という欲求があるからこそ生じるものです。神経質の人はどうしても「ちゃんと」事を進めようとし、予想される不安は全て排除して「万全」な状態にしてから取り組もうとしがちです。そして不安があるうちはとても「ちゃんと」出来ないと考え、行動を避けてしまうのですが、それは結果的に自分の世界を狭めることになり、一層葛藤的になってしまうわけです。実際S4さんも「どうして出来なかったのか」と罪悪感や後悔の念にかられ、ますますマイナス思考になっていると書いています。まさに悪循環ですね。
 「進むのも怖い、しかし避ければ自分が情けない」。こうした迷いに直面した時、どうしたらよいでしょう?上述のフレーズからもわかるように、堂々巡りに陥っている時の答えは進むか否かの二者択一であり、そこでものさしになっているのは「万全」かどうかです。しかしいずれの方向を選んでも結局後悔は伴ってしまいます。そうだとするならば、とりあえず「万全」という半永久的なイメージを脇に置いて、「今」に立ち返ることが新しい道を探る手立てになるでしょう。考えてみれば、何とか避けようとしている不安は、大抵「もしも・・・だったら・・・」という仮定の文脈であり、実際にどうなるかはわからないものです。いくら万全を期そうとしても将来まで把握することは出来ません。それならば、完璧な未来はわからなくても、それに近づくために「今、せめて、何が出来るか」を考えてみることが最も現実的な対処と言えるのです。就職の面接であれば、どんな会社なのかをじっくり調べたり、面接で主張したいことを整理してみるのも「今、出来ること」でしょう。
  また一人暮らしであれば、どんな場所がいいのか、間取りはどうか、生活には幾らくらいかかりそうなのかetcを検討することが必要でしょう。こうして、「今出来ること」に目を向け、それを行動に移すことによって、次第に具体的なイメージがわいてくると言えます。行動するのか、考えるのかではなく、行動しながら考えることです。そしてその際には、遠い将来ではなく、「今」どうするのかを考えていくことが身近な一歩につながるでしょう。
(久保田幹子)
摂食障害に対する森田療法 '05.10

 At様、奥様が様々な自律神経症状に悩まされ、摂食障害、うつ状態で入退院を繰り返されさぞかし大変かと存じます。この体験フォーラムで相談回数もあまり多くないであろう摂食障害に対する森田療法について述べたいと思います。
 摂食障害には大きく分けて神経性無食欲症と、神経性大食症があります。神経性無食欲症とは、年齢と身長にみあった正常体重の最低限を維持することを拒否し、体重が不足していても体重が増えるや肥満への強い恐怖があり、低体重の自分を認めず、無月経が少なくとも3回ないものとされています。一方神経性大食症とは、普通より明らかに多く食べるといったむちゃ食いを繰り返し、これを制御できず、体重増加を防ぐために下剤などを利用したりし、平均して少なくとも三ヶ月間にわたり週二回は繰り返し、自分の評価は体形や体重に左右されるような状態です。
 森田療法で効果が期待できるのはどちらかといえば神経性大食症です。たくさん食べてしまうという行動の背後に「自分を過剰にコントロールしたい気持ち」があり、体重や体形に「とらわれている」といった文脈で捉えられれば、それだけ他人によく思われたい欲求が強いと読み替えることができ、この欲求を建設的な行動へ転換していくことが目標になるでしょう。ただ摂食障害は神経症というより心身症に近いため、神経症のように症状不問(この場合食事量を問題としない)というわけにはいきません。ある程度食行動への具体的対処を行いながら次第に先に述べたような森田療法的アプローチを実践していくのが望ましいです。
神経性無食欲症については神経性大食症以上に森田療法以外の技法を組み合わせて行なっていることが多いようです。
 いずれにしても、摂食障害に対しては森田療法の正攻法だけで乗り越えるのは難しいことがあります。もし現在おかかりの先生が森田療法をあまりお知りでない場合、過食や拒食などへの具体的助言を主治医にもらいつつ、食事以外の日常生活や今後の自分の生き方へ目をむけていくのも良いかもしれません。
(舘野 歩)
身体に導かれての変化 '05.11

 MaさんやPrさん、Clさんの言われているように「身体の回復が心の回復をもたらす」というのは、本当にその通りだと思います。
 私も入院森田療法を担当するようになって、何人もの人が臥褥や作業を通して、まず身体の健康が取り戻され、それにつられるようにして心の健康を取り戻されていく姿にとても感銘を受けています。
 森田先生は心身は同一物の裏表であり、その観方が異なるだけだと述べられています。
「精神はその人の生活活動そのもの」とも言われ、たとえば驚くという感情も横隔膜があがったり、動悸がすることなしに驚くことはできないというのです。
だからこそ、森田療法では身体を使っての生活の行動や、経験を通した体得を重視します。
 さて、日常での身体の健康のための手立てですが、ほかの部屋を拝見しても、このフォーラムではウォーキングが人気ですね。ウォーキングに限らず、日常の身体を動かしての家事なども良いと思います。
 それぞれの方が「わからない場所で怖がらなくなった」「季節を楽しめるようになりマウンテンバイクにも乗るようになった」「エアロビに初めて行って『また来週も来たい』と希望した」などの身体と心の変化を経験されています。
 自分のペースで進められる手軽な方法というのもいいのでしょう。
しっかり地面を踏みしめて歩くことは今を「生きている」ことの実感にもつながります。
足元だけでなく、目を上げて道端の花、今の季節だったら木々の紅葉に目をやるのもいいですね。毎日の変化に気づけるようになったらしめたもの。
 そうすることで、外界に目が向くようになり、心も生き生きと動き出すことでしょう。
(塩路理恵子)
一人相撲にならない '05.12

 こんにちは、Ngさん。文面拝読させていただきました。現在、不眠は如何ですか?文面からNgさんは仕事だけでなくご家庭でも非常に負担の多い生活を強いられていることが読み取れました。不眠に至るくらいですからさぞかし大変だったと思います。
 さらに様々な不安もあるようですね。不安の内容から、「今の負担の多い状況が続けば自分はどうなってしまうのだろう?」というNgさんの叫びが聞こえてくるような気がします。もしそうだとするならば、診断はさておいてもNgさんの状況で大切なことは、「負担の多い状況を軽減し、疲労を如何に溜め込まないか」ということであろうかと思います。不眠や不安が著しいとするならば、睡眠薬や抗不安薬、さらに心身の疲労の状況に応じて抗うつ薬をきちんと服薬し、まず症状の軽減を図るべきでしょう。
 しかし、その一方で今一度、自分だけで様々な問題を抱え込んでしまっていないかについても振り返ってみる必要があると思います。特にNgさんは服薬をためらうくらい薬に対する不安が強かったのですから、薬に頼るということを由としなかったのだと思います。もしかしたら今までも色々な人に頼ることもあまり由としてこられず、自分自身の力でのみ頑張ってきたのかもしれません。
 そうだとすれば、Ngさんの心身が悲鳴を上げるのは当然のように思います。そのため、まずは今の大変な状況を周囲の人々にきちんと相談することが大切かと思います。
 相談することで、周囲の人々はNgさんが如何に大変な状況で頑張ってきたことをはじめて理解するでしょう。さらに、その状況を知った周囲の人々から思いがけないアドバイスを頂くことが出来るかもしれません。頼ることは、Ngさんにとって勇気のいることかもしれません。けれど必ず新しい展開をもたらしてくれると思います。大変でしょうが是非頑張ってください。
(樋之口潤一郎)
性格改善には粘り強い努力が必要 '06.01

keさん、こんにちは。神経症になりやすい性格、ということに自分が当てはまると気がつかれたとのことですね。さらに、少しずつでも性格のアンバランスさや執着を少しずつでも改善していきたい、とのこと。反省する姿勢や観察力に富み、さらに向上心も強いかただとお見受けいたしました。
 さて、keさんが気がついたところでは、ご自身は「責任感が強くて努力家」、「融通が利かない」、「劣等感が強い」、「人からどう見られているかが非常に気になる」、「自分を表現することが下手で誤解されやすい」、「人から良く思われたい」、といった特徴があるということですね。一つ一つ私なりに考えていきたいと存じます。まず、「責任感が強くて努力家」、ということですが、これは他人や周囲に対して思いやりがあり、その思いやりにもとづいて努力を惜しまない、ということだと思います。この性格は「人から良く思われたい」、「人からどう思われているか非常に気になる」ということと関係があります。
 森田療法では向上発展したいという意欲を「生の欲望」と呼び、人間にとってごく自然なものと考えています。人から良く思われたい、そのために努力をする、この気持ち自体は「生の欲望」のあらわれであり、社会生活ではむしろ大切なことでしょう。この気持ちを弱めたり、無理に変化させる必要はないのではないでしょうか。また「劣等感が強い」も「人から良く思われたい」気持ちの裏返しであり、自然なお気持ちです。劣等感は時に辛く感じられるものですが、自分を責めずに劣等感を感じた具体的な対人関係や仕事の失敗といったことから何かを学ぶことが大切だと思います。劣等感を感じる自分が悪い、と決め付けるのではなく、人生に劣等感はつきものであり、そこから何か次に生かせることはないか考えることが重要だと思います。そしてその積み重ねが性格の変化にも結びついていくのです。
 次に「融通が利かない」「自分を表現することが下手で誤解されやすい」についてですが、仕事や対人関係で融通を利かせること、うまく自己表現すること、誰でもこのことは難しいのです。むしろ完全にそれが出来る、ということはまずないことでしょう。だから完全に出来なかったと感じたときでも、自分を責めずに、次に生かせることを考える機会にすればよいのです。どんな状況でも自分なりにベストを尽くす、失敗は次への工夫へと生かす、やはりこの積み重ねが肝要だと思います。
(鹿島 直之)
「うつ」の方へのアドバイス '06.02

maさん。長年うつ状態に困ってらっしゃる方への接し方は、なかなか難しいものですね。うつ状態の方へのアドバイスは、うつの重症度によっても少し異なります。たとえば死にたいという思いが強くなっているような方には、まずは休息と薬の服薬をお勧めします。場合によっては入院しての治療が望ましい場合もあります。maさんが接している方は今も仕事を続けているようですが、休日は横になって過ごすことが多く、体調も不良で食欲もなくなってきたということですから、まだ精神的エネルギーは乏しく、うつ病の症状がかなり残っていると推測されます。こうした方には、どうしたら休息を取ることができるか、相談に乗ってあげるといいと思います。主治医とも相談していることとは思いますが、しばらく仕事を休むという選択肢もありますし、休職しないにしても有給休暇を活用する、あるいは体調の思わしくないことを上司に相談して仕事の負担を減らしてもらうなど、具体的な対策をとる必要があるでしょう。 また、ある程度精神的エネルギーを回復された方には、徐々に無理なく行動を起こす上で、「臨機応変」「あるがまま」といった森田療法的なアドバイスが有効になります。さらに再発を予防するためには、うつが長引いている方の中にしばしば認められる傾向―かくあるべしという完全主義的傾向によって過大な負担を自分に課してしまい、結果的に疲弊して状態を悪化させるというパターンに気づいてもらうことが大切になります。
(矢野 勝治)
「頑張れ」と「頑張っていますね」 '06.03

 ikaさんは書きました。神経症や精神的に弱くなっている人には「がんばれ」という言葉はプレッシャーになり使うべきではないと思うのですが、と。それに対してmaさんは、あまりしんどそうな方には使わないけれど、背中を少し押してほしいなと思われている方には、優しく頑張ってくださいねと語ることもあります、と返答されています。またAさんは、つらいながらも行動しているとき、「頑張っていますね」といってもらったら嬉しく感じるという例をあげ、「頑張れ」は相手の様子や性格などを見ながら臨機応変に使えばいいと述べています。
 maさんに紹介していただいたように、私は『「うつ」はがんばらないで治す』という本を書きました。一般にうつ病のひとは、頑張らなくてはと思い、必死に頑張ってはいるものの、行動に向かうエネルギーが湧かず身体がついていかない状態にあります。それだけに他の人からの「(もっと)頑張れ」という励ましは、本人には「頑張りが足りない」と批判されているように感じられ、無力感を強めてしまうことになるのです。うつ病の人々の否定的な自己イメージが、そのような受け止め方に輪をかけることになります。こうした理由から、うつ病の人に「頑張れ」は禁句ということが知られるようになってきました。
ただし例外的にうつ病の人に対して治療者が「頑張れ」と励ますことがないではありません。結局ma さんやAさんのいうように、臨機応変に使えばいいということが正論だと思います。ただし臨機応変にその言葉を用いるには、相手の心理状態を感じ取る力や状況を適切に判断する力が必要ですから、上級編の技になるでしょう。それに対してAさんがいみじくも述べたように、「頑張っていますね」という言葉は、「(もっと)頑張って」というようなプレッシャーを与えず、相手をそのまま肯定するニュアンスになりますから、より安心して用いることができるのではないでしょうか。「頑張っていますね」という言葉は、相手の行動を認め励ます場合でも、あるいはうつ病の人に「これだけ頑張ってきたのだから、少し休んでもいいのですよ」というメッセージを伝える際にも有効だと思います。
(中村 敬)
隠さずに進むことがトンネルの出口に繋がる '06.04

 ikaさんの「やってしまいました」に象徴されるように、突然会議でふられてしどろもどろになる、というのはバツが悪いものですね。予想外の出来事に動揺する自分は確かに何となく情けないし、後味が悪いものです。でも、こうした出来事は神経症に特有のものでしょうか?ikaさんは「どこまでこのトンネルが続くのでしょう」と嘆いていらっしゃいますが、それはどんな事態になっても動揺しない、人前であがらない自分をゴールにしているからこそ、続くトンネルなのかもしれません。どんな事態に直面しても動揺しないとしたら、まるでロボットのようですね。私もmaさんが紹介した森田の喩えが真っ先に頭に浮かびました。「あがり性」だと表明することは、弱みを見せるように感じるかもしれませんが、結局それは隠すに値しない自然な反応ということです。そしてそれは伝える相手もこれまでに必ず体験していることなのです。だからこそ、伝えても「わかる、わかる」と受け入れてもらえるわけです。ikaさんも、もし同僚が会議でいきなり報告をさせられてドギマギしている様子を見たら、きっと親近感を覚えると思いますよ。普段は明るい人間だと思われているから、そうでない一面を見せると意外に思われそうでつらい、ということですが、「意外」と思っているのは自分であって、案外他人は「当然の反応」と思っているかもしれません。
 森田を学習しているからには、「出来て当然」とか、バツが悪いことも「バツが悪いと感じているうちはまだまだ・・」などと考えてしまいがちですが、森田を学習してもバツが悪いことをバツが悪いと感じること自体は変わらないのです。要は、それをあってはいけないことと考えるか、それも致し方ないと受け取るかの違いでしょう。そう考えると、ikaさんの「前回、恥をかいたから、またかいたらそれでもいいや」と開き直ったらさほどあがらなかった、という体験はとても貴重ですし、森田を学習したからこそ出来たことと言えるでしょう。この体験こそ、トンネルの出口に近づくヒントになります。「いやあ、突然でドギマギしたよ」とあっさり言ってしまった方が、周囲からは堂々として見えるかもしれませんよ。
(久保田 幹子)
頑張りすぎず生活スタイルを見直す '06.05

 20年近く身体の症状に悩まされさぞかし辛いかと思います。そんな中、ご自身が子供の手術の前をはじめとした様々なストレスが重なると頭痛、嘔吐、下痢が出現されるとのことですね。 森田療法の理論からすれば、このような身体症状を取り除こうとすればするほどますます身体症状へ「とらわれる」ことはあります。a様はこの「とらわれ」についてもご理解されていらっしゃいますね。後は、ha様が色々「頑張りすぎて」色々なことを重ねてこなしすぎていることはありませんか?だとすれば、頭痛、嘔吐、下痢はha様があまり無理しないようにという身体の「サイン(兆候)」かもしれません。ha様がやらなければならぬことも多いと思いますが、ちょっとまわりの人へお願いできることや、重なったことがらの中で優先順位をつけて後へまわしたりすることが、結果として頭痛、嘔吐、下痢などを減らすことになるかもしれません。身体症状が強いときこそ、ご自身の生活スタイルについて振り返ってみましょう。
(舘野歩)
「克