B.個々の症状とその対策

h.疾病恐怖

病気にかかることを恐れる、あるいは現在持つ病気をいたむ心は、程度の差こそあれ万人共通のことであろう。自己保存欲の欠乏する精神病者、白痴、極端な変人は例外である。衛生思想が発達するにつれてその一面の弊害として恐怖症患者も増加してきた。
ヒルティは「多くの人にあっては、健康保持の関心が、まさにあらゆる他の関心を凌駕する程である。世界歴史において、幾千の虚弱病弱の人が、それにもかかわらず、否、かえってそのために最大の事業をなし、よく苦難に堪えたことを彼らは全く忘れているように見える」と云っているが、現代のある人々にはまことに適切な忠告である。

世には「衛生思想の漫画」を思わせるような恐怖症患者が多く、普通人から見るとむしろ滑稽にも見える程であるが、当人の身になると身をけずるような思いで、莫大な金と時を費して苦悩をつづけているのである。
恐怖の対象となるものは、肺結核、精神病、性病、心臓病、高血圧、癩(らい)病る生理的感覚を病的のものであるとして、これを恐怖するもの、また局部に不安な病意を集中して起る異状感覚を病的のものとして恐れるものもある。また局部より悪臭を発して他人に非常な迷惑をおよぼすものと誤信しているものがあり、また自己の自汚行為が他人に看破されていると悩むものもある。また何かの機会(飲酒、精神的恐怖)に偶然性交不能を経験するとそれが深刻な恐怖となり、次の機会には予期恐怖のため萎縮して性交不能となり、愈々(ゆゆ)それを恐怖して陰萎ということを不断の問題にする。早期射精すなわち早漏等もやはり神経質者の完全欲から、自他の完全なる満足を期待して焦慮し、あまりに完成を急ぐとこから生ずるものである。なおこの症状を訴えるものは多くは独身者で、正しい結婚生活における場合のごとき落ちつきを欠くことも重要な理由になるもので、かかる者も結婚後は普通の状態になることが多い。

さらに数多く見られるのは性器の発育不全を苦にするもので、自己の性器の短少なることを悩むものである。我々がかかる患者の性器を診ると、すべて普通生理的範囲内にあるもので、特別発育の悪いものは決してなく、その機能にもなんら障碍(しょうがい)はないのである。当人は過去における自慰によって発育が妨げられたと思い込んでいるのが多い。一体陰茎の大小は、その時の欝血のいかんによることが多いのである。患者は入浴の際他人の性器を見て自己のそれよりも大であると思うのであるが、入浴時においては陰茎および尿道の海綿体の欝血があるから、平時よりも大きくなっているのである。しかるに患者は自己の性器が短少であるとして、これを人に見らるることを恐怖するから、その精神的作用によって陰茎は当然萎縮しているのである。他人の欝血せるものと自己の萎縮せるものを比較して患者はしきりにこれを欺くのである。彼らは自己の性器短少をもっとも男性らしからざることの象微のように思う。

次に自慰恐怖であるが、ある程度に自慰恐怖を持たない青年はないと云ってもよく、それあるがために過度にわたることも避けられるわけであるが、その恐怖にとらわれて、自ら神経衰弱状態に陥るものは、神経質症状としてこれを治療しなければならぬ。一体自慰行為は独身青年に普通のことで、それ自身なんら病的のことではなく、生理的のことである。しかるに世には自慰の害を過大に書き立てる通俗医学者や広告があって、神経衰弱が自慰に基くものであり、精神病の原因にもなるものであるという誤った見解が行われて、これが患者の恐怖を駆り立てるのである。自慰の経験のない者は少ないので、それらを読むと、なるほどそうかと思いあたるのである。しかし自慰はむしろ生理的行為に属し、思春期における一週一、二回の自慰は特に有害であるとは認められない。患者は、他の種々の症状を自慰行為と結合して、すべて自慰の害に基くものと考えるのであるが、実は全く因果の関係はないのである。遺精、夢精等もすべて同様のことで、なんら有害のものではない。世には精液の一滴は血液の何十グラムに相当するものであるという愚にもつかぬ説が行われたりしてますます患者を迷いの中に追い込んでいる。心すべきことである。なお自慰が心身に悪影響をおよばしていることを恐怖するものの他に、自己の自慰行為が他人に看破されているのではないかということを恐怖するというものもある。
その他変体性欲恐怖等、性に関する神経症状は種々あるが、ここには省略する。

さてかかる症状を持っているものは、ほとんどすべての場合、その他の精神的随伴症状を持っている。すなわち不眠、心悸亢進、疲労感、対人恐怖、小心、取越苦労、頭内朦朧感等のいずれかをともなっているもので、患者はかかる症状が性器短小、自慰、遺精等々のために引き起されるものと憶測するので、ゆゆ主訴のことを問題にするのである。すべてかかる性に関する症状あるいは随伴的の神経症状は、何人にもある機会に起り得る生理的のことに過ぎないのであるが、不安な自己反省に傾きやすい神経質的性格者は、これをすべて自分に特別な病的のことときめ、精神的からくりによって自ら症状を重くしているのである。それゆえに医師はこれを治療するにあたって、かかる症状のなり立つ心のからくりを説明し、症状の本態を自覚せしめることが必要である。患者の中にはそれを明らかに理解したばかりで治癒するものもあるが、それは機縁の熟した者であって、中には文字の上で理解しても容易に治癒しがたいものがあり、かかる者は、体験療法によって神経質全体の陶冶(とうや)をはからなければならぬ。

しかし医師がこの症状の本態を熟知せず、例えば神経質の陰萎、性器短小感、遣精等を器質的疾患として、これに性ホルモン等の注射等を施す時は、時には一時的に多少の暗示的効果を見ることはあっても、決して永続的効果を望み得ないのである。我々の所を訪れるかかる患者の多くは数十回あるいは一〇〇回に及ぶホルモン注射を施行されても効果を見なかったものが多いのであり、この点大いに医師に警告したいところであり、医師は症状のなり立ちを知り、これが神経質症状に他ならぬことを洞察し得た場合、ただちに局部的の治療方針を一擲(いってき)し、神経質全体を治療することを眼目とし、これに合理的な精神療法を施さなければならぬ。


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