g.振顫(しんとう)と職業性痙攣(けいれん)、特に書痙(しょけい)
神経系統の器質的障碍(しょうがい)のある病気で身体のある部分に振顫を来すことがある。しかしかかる器質的の病原よりも、精神的からくりから起るとおころの神経質症状としての振顫の方がはるかに多い。この精神的条件から起る振顫は、ある特定の場合、特別にふるえるというのが特徴で、これが器質的の病気と異なるところである。例えば人前に出て何かする時に身体全体がふるえる。手足がふるえるとか、人前で酒杯や茶碗を手にしているとき、そろばんをするとき、字を書くとき手がふるえるもので、人前でやるときことにはなはだしく、自分独りの時はさほどでないという特徴を持っている。もっとも書痙などひどくなると、独りで自室にいるときにも相当にふるえるが、人前に出ると一層はげしくなるものである。<P> かかる振顫の起る動機は各人各様で、自分では自覚しない人も多い。課長の面前で字を書くときふるえるのに気ずいて、それ以来書痙になった人もあり、ある中年の紳士は、友人と酒席にあって、芸妓に酒をつがれたとき、手がふるえたのを友人に冷かされて以来、人前で盃を手に取るとふるえて酒がこぼれるようになり、宴会に出るのが非常に苦痛になった。ある局長は部下に訓辞を与えるとき、腰がふるえるのを自覚してから、人に面接しているとき身体がふるえだして、安楽椅子にしっかりつかまるのが習性になった。
かかる振顫は自分の職業に関係していることが多く、会社などで文字を書く職務の人が書痙を起し、お茶の先生が茶碗を持つときふるえるとか、音楽の教師がヴァイオリンを弾くときにふるえるとか、会計の人がそろばんをするときにふるえるとかいう具合になるので、職業性痙攣(けいれん)という名前がついているのである。昔は(今でもそう信じている医師もあるが)その筋肉をよけい使うので、神経の変調を来すと考えられたりしたが、いくら休んでも癒るものではなく、マッサージや、電気療法などやってもなんら効果はないもので、そこの神経の過労とは何も直接の関係はないのである。
文字を書くとき、ふるえたり、ひきつるようになったりして思うように書けないのを書痙といって、これは随分多いものである。学者は書痙を、痙攣型、振顫型、麻痺型等と種々分類しているが、実際にはこう判然と区別出来ないものが多く、また治療上にも型のいかんはさして意味を持つものではない。同一人において種々の趣が混じているものが多い。
人前で起る振顫や職業性痙攣が、神経質の一分症に過ぎぬことを発見したのは故森田正馬博士の功績であり、本症は精神的条件から起り、神経質療法で治癒することが明かになったのである。
発病の原因は他の神経質症状と全く同様のもので、ある機会に人前でふるえたりすることを自覚すると、それが非常な醜態であると感じ、あるいは自分の職業上の非常な痛手であると感じ、次の機会には予期恐怖にとらわれて異常に緊張し、自己暗示的にますます振顫を発し、さらにふるえまいと努力してますます緊張する結果、ふるえはますます増大してついに固定的症状を形成するのである。この症状を克服しあるいは逃げようとして、細工をろうする程ますます不快、嫌悪、恐怖の情は増し、日常生活にも支障を来たすようになる。
本症に対する心構えとしては一般治療の心得を守り、単に局部的症状を癒すことに専念せず生活全体の向上発展をうながさなければならぬ。症状そのものに対しては、振顫失調等は、今は仕方のないものとして、そのままに拮抗することなく、むしろ進んで顫えるという位の気持で、やるべきことをやる。顫えさせないためにいろんな手段を試みることは有害無益である。ことに書痙の人などは、ふるえさせまいとして、ペンや筆の持ち方まで変え、紙のおき方、姿勢などさまざまに変えているものが多いが、かかる手段は一切止めねばならぬ。すべて普通の健康人がやるように書くことが大切である。また達筆で書こうとせず、誰にもわかりやすいように、楷書できちんと書くようにするがいい。本症は大体対人恐怖と同様の性質のものであるから、その方のことも参照すべきである。根本的に神経質療法を行えば、局所の症状にはほとんど触れずに、いつのまにか全治するものである。