e.雑音恐怖
音が気になって仕事も勉強も手につかないという人があり、一睡も出来ないと訴える人もある。かかるものを昔は神経が過敏になっているために、音を鋭く感ずるもののように考えていたが、これは神経の過敏とは別に関係のないことである。柱時計の音も耳についてうるさく感ずるという人が、電車に乗ってその轟音には何も苦痛を感じないところを見ても、雑音恐怖というものが心の構え方、心のからくりに関係するものであることがわかるのである。
我々が何かあまり気乗りのしない仕事にたずさわるとき、次第に嫌気がさしてくると、物音に気がついて、仕事の方がちょっと留守になる。すると、仕事の運びの悪いのは音が邪魔するからだ、そのために注意が散乱し、精神の統一がとれないからだという風に解釈して、結局音を聞くまい聞くまいと念ずる。ところがその態度はもうすでに雑音と取り組んで争っていることになるので、ますます注意を音に向け、音はますます耳につきいらいらして来るという風に、精神交互作用が行われてくる。
雑音もこれを排斥せずに聞き入れば、かえって刺激になり、作業能率を高めるという結果にもなる。静かな所ではかえって張り合がなくだらけてくる。私は大病院に勤務していた頃、医局員の大勢いる医局で盛んに論文もかき、著述もし、読書もした。医員の雑談や、野球のラジオ放送も少しも邪魔にならぬし、かえってそれが心を引き立てる役にも立つことを経験した。仕事に倦怠を覚えるとちょっと雑談の仲間入りもし、放送も聞いて楽しむ、そのまままた仕事に移り、いつのまにか、傍らの人声もラジオも全く耳に入ることを自覚しなくなるのである。私が高校時代不眠症に悩んだ頃、柱時計を外したり、隣室の人の話し声、歩く足音、衣擦れの音まで気になっていらいらしたときとは全く心構えが違っているのである。素直に受け入れて行けば、雑音も興味あるものとなる。