B.個々の症状とその対策

d.不眠症

不眠症の人は不眠ほど辛いものはないと思う。ただただ眠れさえすればよいと思う。眠れぬ夜を迎ええることは辛い。夕暮ともなれば、今日もまた眠れないのかと不安焦燥に馳られる。かかる人々には、安息の時であるべき夜が不倶戴天(ふぐたいてん)の敵のようになるのである。

不眠はどうして起るか。
動機は人によって様々で一定しないが、心のからくりはすべて同様である。我々は何かの機会にふと眠れないことがある。心配事があるとか、何かに興奮したとか、あるいは夜コーヒーや茶を飲みすぎたとか、また身体の痛みがあるとか、また時には昼寝し過ぎたとかいうような場合、寝つきが悪いとか、途中で醒めて眠れなくなったりする。普通の人はこんなこともあるものだと思い捨てて、そのままにしておくので、たとえ一両日眠れぬことがあっても間もなくまた元に帰るのである。しかるにある人は、不眠の害ということを重大に考え、不眠のために心身が衰弱するものと思いこみ、不眠を恐れ、眠ろう眠ろうと焦慮するので、その興奮のために寝つきはますます悪くなる。そうなるともう常に睡眠ということに注意が固着して、眠れたか眠れぬかを常に問題にするということになる。そうなると不眠を恐れるあまり、不眠の時間を実際以上に非常に長く感じてくる。うつらうつらの時間は丸で眠ったような感がしない。一体時間の経過の意識というものは主観的なもので、面白い遊びなどの時は瞬く間に過ぎ去るように感じ、反対に停留所に電車を待つような時は一〇分間でも非常に長く感ずる。身体の痛みのある時などはことに時間が長く感ぜられる。不眠恐怖の人が不眠の時間を長く感ずるのは当然のことである。これに反して熟睡の時間は無意識のうちに過ぎてしまうので、時間のうちに入らない。このようにして、不眠恐怖の人は実際は眠っていても眠ったように感じないのである。

なおここに注意しなければならないのは、不眠恐怖の人は出来るだけたくさん眠らなければならぬと欲張っているから、夜も早く就床し、朝も遅く起きて一日の臥床時間が一〇時間にもおよぶものがあるということである。いったい成人は普通六、七時間も眠れば充分で、時間が短ければ熟睡するから、正味五時間あれば実際は差支えないものである。我々は栄養に必要な量以上に食べていると同様に、多くは健康に必要な睡眠以上に眠りたがるものである。しかるに不眠恐怖の人が、一〇時間臥褥するとすれば、当然四、五時間は浅眠もしくは不眠の時間になるわけで、かかる時間は非常に長く感じられるから、ほとんど一晩中眠れなかったようにも感ずるのである。このように不眠恐怖の人は相当に寝ていても眠った感じがないのである。教室の掘田繁樹君はこのことを実験的に証明した。

不眠症の人々は、不眠の害を信じ込んでいるので、日常生活におけるあらゆる不快の心身の状態をすべて不眠のせいにしてしまう。昨夜眠りが足りなかったと思うと、もう今日は頭や身体の具合が悪いものときめているので、自己暗示的に症状をつくり出してくる。頭が重い身体がだるい、ふらふらする、疲労する、のぼせる、みな不眠のためだと思う。かくして不眠以外にもいろんな神経症状が生れてくる。
さてかかる不眠症に対していかに処置すべきであろうか。理解のよい機縁の熟した人は、本症の本態を知るのみで著しく軽快しあるいは全治する人もあり、一回の診療で数年来の不眠も一掃されることがある。病の性質を知るということは不眠症に限らず、すべての神経症に重要なことである。

次に実行すべきことは夜の臥褥(がじょく)時間を七から八時間に制限することである。これは始めのうちはちょっと困難なこともあり、不眠の翌日はいかにしても臥褥時間を長くしたいのであるが、それを押し切って実行することが大切である。就床時の心得としては、強いて眠ろうと努めることなく、眠れれば眠る、眠れなければ仕方がない。ただなり行きに任せておく、煩悶苦痛も起るままに任せておく、このことは強迫観念治療と同じことである。要するに眠る眠らないは仕方のないこととして、ただ就床しておればよい。昼間は夜の安眠不眠にかかわらず、また気分のいかんにかかわらず、作業に従事するのである。かくして、睡眠のいかんにかかわらず、作業には差支えなきことを体験することが必要である。そうすると不眠が恐るべきことでないことがわかり、不眠恐怖も次第に消えて、自ら睡眠感が生じて来る。入院治療によって指導していくとほとんど例外なしに治癒するもので、当人も驚くほど経過の早い者があり、私の治療した婦人は「私が寝ている間に先生が魔法でも使ったものではないかと思った」と云う位に不思議に思っていたが、不思議でも何んでもなく、心境の変化によって誰でも癒るものである。ただこの心身の変化は眠ろうとする努力では決して実現するものではないということを注意しなければならぬ。

睡眠剤の服用は、かかる神経性の不眠には全く必要を認めないのみならず、かえって有害のことが多い。睡眠剤の服用が習慣性となり、その量が次第に増して、活動カをますます減殺させるのは我々のしばしば見るところであって、従来の物質療法偏重の弊害であると云わなければならぬ。
なお不眠を来す病気の一つに抑欝病というのがあり、これは一見神経質の不眠とよく似ているが専門的に見ると種々の点で異るものである。ここにその詳細を省くが、これには、時として服薬も必要な時があり、電撃療法を用いることもあり、神経質療法と趣を異にするのであるが、これも必ず治癒すべき性質のものである。本症患者は実際の不眠を有することが多いけれども電撃療法で速やかに治癒するものである。


戻る