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症状別アドバイス集

不安神経症の部屋

「外装を整える」 '14.12 

文面から推察するに、Kさんは、パニック発作に悩まれているのではないかと推察します。13年間の闘病生活は、ご苦労の連続ではなかったでしょうか。  そんなKさんが、最近一駅だけ電車に乗れるようになりました。これは小さな一駅ではありません。とても大きな一駅であり、治療の上でも重要な一歩であると思います。ところで私は、Kさんの一連の恐怖突入が突然可能になったとは考えていません。というのも、神経症患者さんの恐怖突入を可能にする準備段階として、ある程度までの日常生活の回復が欠かせない事実を、私は診察場面で幾度となく経験してきたからです。だから、「普通を装えることが出来るようになった」という文面は、Kさんの生活全般そのものの回復を物語っているように感じます。

その際、日常生活の回復は症状の軽快ではなく、衣食住を何とか自立して送れるようになることを意味します。あるパニック障害のお母さんは電車に乗れなかったために、いつも二駅分の距離を自転車で飛ばし、子供たちのためにスーパーで生活用品を購入していました。しかし、そんな奮闘の日々が続くとある日に大雪となってしまったばかりに、電車に乗らざるを得なくなったといいます。そこで患者さんは嫌々電車に乗ることとなったのです。この話を外来で聞いた際、私は、電車に乗った行動以上に、子供たちのために自転車でスーパーに通い続けた姿勢にいたく感心しました。結果的に子供のための生活を疎かにしなかったからです。そして、Kさんのビクビクしながら生活するという姿勢にも、それと通ずるものがあるのではないかと思います。

ちなみにKさんは、普通に装うことを「演技する」という素敵な言葉で表現しています。私は、その演技で良いと思います。それも心の中まで演じる必要は全くありません。心の中はビクビク、ドキドキ、ハラハラで良いのです。でも行動は、あたかも自然に出来たように振る舞う努力を意識していって下さい。最初は、心の中と実際の行動の不一致に戸惑うかもしれません。けれども行動が積み重なって、生活に流れが出来てくると、自ずと「何とかなる」などの感覚が醸成されてくるものです。当然、この道のりは決して簡単なものではありませんが、しっかり演技しながら、Kさんがより良い生活に発展することを心より願っています。是非奮闘されてください。
(樋之口潤一郎)

「病気の不安の背後にあるもの」 '14.11 

Bさんは「仕事中に、突然目眩と動機が襲って来て、その恐怖が予期不安として残っています。目眩の原因はメニエール病とのことでしたが、以後体調に少しでも変化があれば病院へ回っては検査の繰り返しで自分が死んでしまうのではないかという恐怖に襲われて日常生活にも支障をきたしています。」と書き込まれています。

ご自身でも不安の強い性格をなんとかしたいと躍起になってきたとのこと。Bさんは神経質性格の持ち主なのでしょうね。神経質性格の特徴は内向的、心配症、ささいなことにこだわりやすいなどの弱気の部分を持つ一方で完全主義、理想主義、負けず嫌いなどの強気の部分を持つといわれています。「こうあるべきだ」という強気の自分が自然な不安を持つ弱気の自分を受け入れてあげにくく、葛藤を起こしやすくなります。 さて、めまいという症状は普段の当たり前の感覚が揺るがされるものであり、「死んでしまうのではないか」という恐怖も呼び起こされる、とても怖い体験だったことでしょう。「本当に大丈夫かな?」と不安になるのも無理のないこと。

けれども、毎日体の状態をモニターする(「症状測定器になる」ともいいます)と、実は体のちょっとした生理的な変化も拾ってしまったり、感覚が敏感になってしまい、そこでまた不安になる、というように注意と感覚が悪循環を起こしてしまいます。そして、その都度病院を回って不安を消そそうとすると、また別のことが不安になったり、不安になるたびに病院に行かなければならなくなったり。つまり、安心のためにしているはずの行動が逆に不安を強めることになってしまうのです。
病気への恐れ、とらわれの背後には「健康でありたい」「より良い生活を送りたい」という強い生の欲望があるものです。もう一度、「○○のために体調を整えなくては」「身体の調子を整えて○○したい」、の○○が何だったのかに立ち戻ってみましょう。

そうして、不安や怖さの中にそのままいてみてください(森田療法では「なりきる」ともいいます)。体調と付き合いながら、本来の望みである○○のために、その日にできることから手を付けてみましょう。そうすることで、とらわれが緩み、心身のバランスが回復していくことでしょう。
(塩路理恵子)

「Mさんのコメントの意味」 '14.10 

Kさん、パニック障害で、ちょっとした不安で動悸がして入浴を継続することができずさぞかしお辛いですね。Mさんが森田療法的なコメントをされましたが、森田療法をあまり御存じでない方かもしれませんので少し言葉を補いたいと思います。
不安、動悸が出てきた時に、そのまま倒れてしまうのではないか、あるいは死んでしまうのではないかと思ってしまっているのではないでしょうか?もしそうなのであれば、不安の裏側に「万全の態勢でありたい。」といった森田療法で言う過大な「生の欲望」があるから、不安も強まってしまうのです。心電図など内科で異常がないと言われているのであれば、倒れたり死んでしまうことはありません。パニック発作自体が問題ではなく、予期不安からパニック障害へ発展してしまったことが問題なのです。どのように発展するかというと、パニック発作がまた起きてしまうのではないかと予期不安が強くなるとパニック発作でない自律神経症状を発作と勘違いしてますます症状への注意と感覚の悪循環が生じていくのです。お辛いでしょうけどパニック発作は起きた時に対処をする、それ以外の時間は他のことをしている方が良いのです。Mさんが「慌てないことです」とコメントしたの、不安はピークが来ても必ず待てば下がることを体験してほしかったらだと思います。これを体験出来ると良いですね。

また、Mさんは「何時頃どういう事があったという風に日記にして書きこんで下さいね」とコメントしました。これには治療的な意味があります。症状のことばかりを書き込んでいると、ますます症状のへ「とらわれ」てしまうからです。他の方の日記の書き込みも症状の事でなく一日どのように過ごしたかを箇条書きに書かれていますよね。日々の行動を書くことにより今まで症状へ向いていた注意を日常生活へ転換していく治療的意味があるのです。また、自分の過ごした一日を症状が強かった弱かったということで評価するのでなく、一日どう過ごせたか、どれだけ自分のやりたいことを実行できたかを評価していきましょう。

皆さん、最初はおっかなびっくりで当然です。「びくびくしながら」「恐る恐る」で良いので、自分の「何かしたい」気持ちを少しずつ建設的な行動へ移していってみて下さい。気持ちをコントロールできなくても自分の行動はコントロールできます。コントロールできないことは放っておき、コントロールできる行動を少しずつ変えていきましょう。
Mさんのコメントを補足説明致しました。少しずつ日記を書きこんでみてはいかがでしょうか?
(舘野歩)

「相談すること」 '14.9 

4年前よりパニック障害に悩まされているPさんの投稿を拝見しました。発作は4年の間に3-4回ということはほぼ安定されていますね。ただストレスがたまると、また発作になるのではと心配されているという事ですね。

 以前は円形脱毛症、胃潰瘍なられたとのこと、確かにパニック障害も含めてストレスをため込みやすい方によくみられる疾患ばかりです。しかし、ストレスは生きている限り避けられないもの、ストレスと付き合いながらどのように生きていくかが大切ですね。

 Pさんの文章の中で、「以前スポーツジムでインストラクターに救急車を呼んでもらおうとしたが、辛抱して耐えた」と記載されていました。おそらくPさんは他人に迷惑をかけたくないという気持ちが強い方なんですね。そういう方は他人の事ばかり考えて、自分の気持ちには鈍感であることがあります。一般に、自分の感情を認識するのが苦手な状態をアレキシサイミア(失感情症)と言い、胃潰瘍などの心身症(心因の影響が大きい身体疾患)との関連が指摘されています。

 このような方には人に相談することを勧めます。仕事の問題であれば同僚や上司や産業医、プライベートな問題であれば家族や友人など、相談していくうちに自分がこんなふうに思っていたのかと気付くことがあります。いいアドバイスをもらおうとか、問題を解決してもらおうと思わず、ただ話すのです。問題が解決しなくても、悩みを相談し開放することで気持ちに気付いたり、肩の荷が下りることもあります。抗不安薬も効きますが、是非この方法も試して下さい。
(石山菜奈子)

「再発した際に以前の経験が生きる」 '14.8 

Aさんはパニック障害の再発で困っています。8年前に発症し2年前に薬が無くなったとのことですが、ストレスで再発したとのことです。新ママで早く治して子どもを安心させたいという思いでいます。
子供の前で具合が悪くなると、子供が気にするのではないかと思い、焦りが強まるかたちになっていませんか?焦れば焦るほど親としてちゃんとしていなければならないという思いが強まるものです。周りの協力を得ることが出来るのであれば、育児の負担軽減と自分の冷静さを取り戻すため、短時間でもよいのでお子さんと離れる時間をつくると良いかもしれません。
パニック障害の方で再発される方がいらっしゃいますが、一度森田療法で症状との距離をとれるようになった方は、その経験が再発した際には必ず生きてきます。頑張って下さい。
(矢野勝治)

「マイナスな気分を語れる大切さ」 '14.7 

Tさんの落ち込みとそれに対する皆さんのやりとりを読み、これぞ体験フォーラムと感動しました。落ち込みを表現できるって大事なことです。ネット上だからこそ、言いやすかったということもあるのでしょうか?ぽろっとこぼしてみて、本当によかったですね。こんなに多くの方が自分の体験を共有してくれたり、メッセージを送ってくれました。ご本人も「みんなに励ましてもらうことがこんなに心強いと思いませんでした」とおっしゃっています。これも出してみたからこその体験ですよね。

Tさんは一生懸命よくなろうという頑張る気持ちのとても大きな方なのだろうなと思います。だからこそ、具合が悪くなって気持ちが落ち込むのは悪いこと、そして、弱音を吐いたり、愚痴ってしまうのはダメなことと思ってしまうのではないでしょうか。

弱音の吐きっぱなし、愚痴の言いっぱなしだけだと元気がなくなるということはあると思います。
でも、Mさんのおっしゃるように、「落ち込むというのは誰にでもあること」です。落ち込んではいけないと思うと、その落ち込みをより深く大げさなものにしてしまうだけで、自分を救うことにはなりません。落ち込むのは本当に嫌な気持ちですが、いい感情も悪い感情も両方あって生きている人間なんですよね。不快な気持ちもあって当たり前の感情なのです。それを無理になくそうとか、コントロールしようとしたときに、無理が生じ、より落ち込んだり、場合によってはパニック準備状況を作ってしまうわけです。あって当然の感情を制御しようとする姿勢こそが不自然で、とらわれと症状を生じさせると考えたのが森田療法の特徴ですよね。つまり、あって当然の感情をそのままに感じ、表現できるようになることは、回復に必要なことなのです。
いい感情を感じた時には、五感の隅々までその感情を味わい、嫌な感情を感じた時にはRさんの言う「そのものになりきって」(場合によっては「あ〜嫌だ嫌だ!」と言いながら)その気持ちに一旦耐える。
そして、落ち込んだ中でも、その後どう立て直すか(ここがまた大切ですね)。必要なことをやっていく中で、また気持ちの変化も感じられるはずです。

落ち込むたびに自分バッシングをしてしまう人は、なぜそこまで落ち込んではダメだと思ってしまうのかを自分に問いかけてみましょう。その上で、実際の家族や知人に愚痴を言いにくいという思いのある人や、それには勇気がいると感じる人は、体験フォーラムで自分のその時の気持ち(良いも悪いも)をつぶやいてみるというのも有効かもしれません。
(今村祐子)

「背水の陣」 '14.6 

Cさん、色々副作用が出てしまい大変そうですね。しかしAさんはそれをきっかけに薬に頼らずになったこと、さらに「自分と向き合うことが大事では」とコメントされています。

森田は治療上「背水の陣」が大事と述べています。具体的には「神経質の症状が治るには、背水の陣ということが最も必要なことです。
背水の陣というのは、兵法で敵前に、川を後にして陣をしいて、逃げることの出来ないようにすることです。退却することができないと確定すると、突進して血路を開くよりほかに方法が尽きてしまう。鼠一匹でも、正面からパッと飛びかかってくると、たいていの人が身をかわすものです。必死の勢いで突進していけば、必ず血路は開ける。これを必死必勝といいます。『窮すれば通ず』といって、神経質の症状は、みなこの心境になりさえすれば、必ず全治することができます。(中略)
書痙の場合にも、まず第一に、背水の陣で、自分は字は書けないものと決めて、指が震えてむ腕がくたびれても、けっして普通の筆の持ち方を変えてはならない。そして金釘流に、字の型をつくるような心もちで、時間を構わず、ノロノロと書くようにする。けっして身のほどを知らずに、手際よく書こうとするような野心を起こしてはならない。」と説明しています。

森田先生の言葉をそのまま受け取ると現在の我々には厳しい口調かもしれません。ただ、まだ不安は薬でなんとかなる、と思っているとなかなか不安と向き合えないのも事実だと思います。現在、森田療法を専門とする医師は薬物療法を併用することが多いですがあくまで、不安を抱えるための補助的手段と位置付けている事を患者さんへ説明します。ですから、不安は不安のままでいることが、不安の背後の本当に御自身がしたいことを発揮する契機になると思いますよ。
(舘野歩)

「日記の活用を」 '14.5 

Bさんは受験勉強をされていますが、パニック発作が起きるかもしれないと一人で予備校に通ったり、教室に入れなくなってしまったりして、困っていらっしゃいます。パニック発作に悩まされながら受験勉強をやっていらっしゃって、とても大変だと思います。

パニック発作について、まずは以下のことを覚えておいて欲しいと思います。まず1つ目です。パニック発作は「このままほっておいたら死んでしまうのではないか」と感じるほどにとても怖く感じるものですが、それ自体でずっと続くものではなく、ほっておけば必ず時間の経過とともに消失していくものです。しかし、なんとかパニック発作をなくそう、なくそうと思えば思うほどパニック発作は大きくなってしまうものだということです。そして、このパニック発作は怖がれば怖がるほど離れて行ってくれません。それどころか、どんどん怖さを増していってしまうものなのです。

ですから、「恐怖突入」が必要になってきます。しかし、今まで避けてきたことにいきなり突入するのはとても勇気のいることでしょう。そこで、Bさんが始められた日記をもう一度活用されてみてはいかがでしょうか。Bさんは「休憩時間のほうが勉強時間よりも長かった。もっとしっかり勉強するべきだった。また、症状のため、散歩や買い物も一人では行けず…早く一人で行けるようになりたい」と語っていらっしゃいます。この日記の中で不安以外の別の気持ちに気づけていますね。これがBさんの不安の背後にある欲求ですね。欲求を知ることで、不安な時に今までとってきた行動とは違った行動に踏み込みやすくなると思います。また、日記は自分の生活を客観的に振り返り、症状がある中で、どんなことが出来ているのかを改めて知ることになるかもしれません。是非とも日記の活用を継続してみてくださいね。「早く一人で外出したい」と強く願うBさんなら続けられるはずです。
(谷井一夫)

「隣人の音」 '14.4 

Hさん、こんにちは。現在、Hさんは隣人の物音で悩まされているようですね。生活音は自分にとって心地よいものもあれば、不快なものもあり、特に隣人の過度な物音は、生活者当人の心をより不快にさせるように思います。しかし、このような状況下で、Hさんは何とか生活を維持し踏ん張っています。特に外出をするなどして、生活音から距離を取ろうとされている姿勢はとても大切な工夫であると考えます。

しかし一方でHさんは、この生活音に対して強い不満も持っています。Hさんは常に、隣人に対して「何とか物音を沈めて欲しい」と心の中で叫び続けているのだと思います。そうであるとしたら、この不満を建設的に生かす手はありません。つまり、この不満の背後には「静かな生活環境を取り戻したい」という思いがあるからです。その場合、隣人に直接要望を進言し、当たり障りの無い方であれば、まず腹を割って話すことも一考に値すると考えます。しかし相手が中々Hさんの心情を汲み取ってくれない方の場合や、直接会うことでHさんの怒りが却って煽られる場合には、別な手段を考えた方がやはり賢明でしょう。その際、Hさんが隣人を敵に回さず、むしろ住居の管理人や管理会社の担当者を味方につけることが大切です。

診療の中で患者さんからこのような相談を受けることが時々ありますが、私は「一人の敵を作るより、三人の味方を作ること」などとアドバイスすることにしています。つまりHさんがどのような状況で困っているのかについて相談できる理解者を増やしていくことが重要と考えます。ただその場合でも、「隣人の問題を早く解決して欲しい」という気持ちが先行する余りに、相談相手に感情的にならないことを是非お勧めしたいと思います。あくまでも、感情をぶつけることではなく、相手に理解してもらうことが目的だからです。理解者が一人でも増えれば、Hさんの心の閉塞感は薄まるでしょうし、より具体的な対策も見えてくるでしょう。

そして、最後にこのようなやり取りを十分行っても、怒りなどが収まらない時には、向精神薬の内服もHさんの心の安定を助けてくれると思います。今は苦しみの渦中であると思いますが、少しでもHさんにとってより良い生活が広がることを願っています。
(樋之口潤一郎)

「身体の不安と森田療法」 '14.3 

Kさんは、「今までは人が作ってくれた料理を食べるのが苦手といった(料理を残すことが悪いと考えてしまい、逆に食べられなくなる)症状でしたが、最近人間ドックで肝臓が引っかかり、自分の身体のことも心配になり、焦りや不安感に日々苛まれています」と書き込んでおられます。
もうすでに17年不安神経症歴をお持ちとのこと。それだけ大変な時間だったと同時に、それだけの期間つきあってこられているのですね。

さて、Kさんは、ネットでいろいろ調べている過程で入会されたとのことですので、森田療法の考え方にはまだあまり馴染みがないかもしれませんね。
森田療法の基本的な考え方に、「不安の裏には、より良く生きたいという『生の欲望』がある」というものがあります。

例えばKさんが、料理を残すのが悪いと感じるのは、相手の人との関係を良いものにしたいから、身体のことが心配になるのは「健康でありたい」「元気で○○をしたい」からこそですよね。まず、ご自身の中にある「望み」をもう一度見つめてみましょう。身体のことが不安になったとき、「健康でいたいと思うからこその気持ち」と読みかえてみるのもいいと思います。

一方でその自然な不安を排除しようとすると、ますます不安が強まる、という悪循環が起こってきます。残すと悪いからと「人の作ったものは食べない」としてしまったら、本来の望み=相手の人との関係を大事にしたい、ということとあべこべになってしまうことにもなってしまいますよね。身体のことも、「考えないようにしよう」「気にしないようにしよう」としてしまうと、ますます体調にとらわれてしまいます。体調のちょっとした変化にも敏感になって「大きな病気ではないか」という不安にとらわれてしまうこともあります。
健康診断については、現実的に再検査や精密検査が必要ならば受けて、お酒を控えたり食生活の改善や運動など、「今できること」を少しずつやっていきましょう。

検査の結果が出るまでは(これについては、「任せて、待つ」ことが大切)、不安はそのままに抱えつつ、仕事だったり、日々の生活のことに手を動かしていきましょう。
(塩路理恵子)

「死の恐怖は生きたいという欲求の証」 '14.2 

Wさんは、パニック障害に悩まれていましたが、最近は突然生じる死への恐怖に悩んでいるとのことでした。具体的には、寝ている間に死んでしまうのではないか、病気や死を連想するものがあると、自分も死ぬのではないかと思ってしまうといった恐怖です。

こうした死に対する恐怖心は、多かれ少なかれ私達も感じるはずのもので、とても自然な感情です。それは、限られた生を生きる私達にとって、避けることが出来ない感情だからです。しかし同時にそれはとても恐ろしいものであるために、どこかで直視しない、あるいは感じないようにしているのも事実です。
突然襲ってくるパニック発作は、これまで避けていた死の恐怖を実感させるものと言えます。それだけに、強く記憶に残ると共に、また同じ恐怖が襲ってくるのではないかという予期不安にさいなまれるようになります。こうした予期不安や死に対する恐怖心は、人間の根源的な不安に繋がるものであるだけに、なかなか受け入れがたいものですね。

しかし、Nさんもコメントされているように、死の恐怖は、生に対する欲求があるからこそ生じるもので表裏一体なのです。つまり、死を恐れる気持ちは、より良く生きたいという欲求の現れと言えます。折角、こうした欲求があるにもかかわらず、起こるかどうかわからない事態や、病気や死を恐れながら、今、こうして生きている日々を過ごしてしまうのは勿体ないことですね。まさに、死を恐れるあまり、生き生きとした生活をも手放してしまうようなものです。

私たちは自分の寿命を知ることは出来ません。それこそ、いつ、どのような形で、人生の最後が来るかどうかわからないのです。しかし、考えようによっては、それを知らないからこそ、生きていくことが出来るのかもしれません。いつか来るその日を迎えたときに、少しでも後悔のないように、今を精一杯生きる。それしか私達には出来ないのです。

Nさんが書かれているように、日記をつけることも、今を大切に生きる意味で良い方法だと思います。日記に、自分の気持ちやどんな一日を過ごしたのかを記すことは、生きた軌跡になるでしょうし、少しでも満足する毎日を過ごす術を探ることに繋がります。
不安や恐怖に目を向けて、「わからないこと」に時間やエネルギーを注ぐのではなく、「今」そして「出来ること」に力を注いでみましょう。色々な考えが頭をよぎった時には、「考えてもわからないこと」として脇に置き、少しでも後悔の少ない一日の過ごし方を考えてみたらいかがでしょうか。
(久保田幹子)

「無理をしてませんか?自分の気持ちを大切に」 '14.1 

Tさんは地元から遠く離れた土地で出産子育てをされているようですね。女性は夫の仕事に合わせる、子どもに合わせるなど、多くの変化に合わせるよう求められる事が多いですね。そのため「自分」というものがおろそかになりがちです。

子どもが小さい時は調子を崩し、そのたびにパートを休まなければならない、これは多くの女性が同様の悩みを持っていることだと思います。ただTさんは、子どもの調子が悪くなりパートを休むことを、他人に迷惑がかかっているのでは、と過剰に自分を責めていないでしょうか。お子さんが小さい時は度々調子を崩すので、迷惑をかけることは仕方ない事ですし、それはTさんの責任ではありません。もちろん、パート先に対しては「申し訳ない」と言いはしますが、「自分のせいではない、仕方ない事だ」と自分に言い聞かせ、何より仕事と子育てを両立している自分を誇りに思ってください。

ご自身の体調が悪くなってくると、パニック発作は起きやすくなりますね。動悸・息苦しさで家族に電話したとの事、これは今までTさんが自分1人で頑張ろうとしていた中、やっとのことで家族に助けを求められた瞬間のようにみえます。何か無理をしていた可能性があります。体調不良や悩みを自分1人で抱え込んでいませんでしたか。ご家族にTさんがどれだけ大変な思いをして環境に適応しようとしていたかを話しましたか。まずは、自分なりの無理しすぎないスタイルを確立することと、時には悩みや愚痴を家族や友達にこぼし気分転換する事です。ためこまないことが大切です。

今は大分回復されたとのことで安心しました。不安の内容を見ると1人で何かをする時が、不安の中心のようですね。1人でいるときに倒れてしまうかもしれない、などの心配でしょうか。心療内科の先生とも相談し、自分の無理のない範囲で、少しずつ「できそう」と思う事を試していくといいでしょう。特に、自分が「行きたい」場所の時はチャンスです。行きたい場所など自分の気持ちに沿った目的だと達成しやすい事があります。自分の気持ちに問いかけて徐々にあせらず挑戦してみてください。
(石山菜奈子)

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